初稿置き場
2025/08/22 00:00:21
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 31
セレンは、ロウェルの眠る部屋の窓辺に立って、その先に広がる風景を眺めていた。
生まれ育った城の窓から見える、整備された庭とは違い、自然のままに近い草原が広がっている。
ふと気配を感じて振り返れば、いつ起きたのかロウェルがじっとこちらを見ていた。
「気分はどう?」
「まあ、そこそこかな」
彼が起き上がろうとするのを首を振って止める。
あの日、脇腹に受けた「掠り傷」は、見た目通り深いものだった。もう少し処置が遅れていれば失血しすぎて命も危うかったほどだ。
実際、馬車の中でレオが応急処置をする頃には、かなり朦朧とした様子で、この屋敷についてからも殆ど意識を失っていた。
「ここは?」
「……リーティエ公女の屋敷」
短い問いに答えるが、彼に驚いた様子はなかった。元々の目的地がこの場所だった何よりの証拠だ。
何故、とは思う。何故、リーティエ公女――アレイストの母の元に連れてきたのか。
だが最早、セレンにロウェルを疑う気持ちなどなく、ただ純粋に疑問だった。
「わたしをここまで連れてきたのは、公女と会わせるため?」
ロウェルは少し迷うように目を伏せたあと、頷いて答える。
「おそらく、アレイストは俺たちを追ってくる。どこまでも。それを止めさせられるのは……公女殿下だけだ」
初めて対面したリーティエのことを思い出す。
やわらかな雰囲気の、どこか少女のような人だった。
アレイストは、この少女のような女性を守るために、父からの召喚に応じたのだろうと悟った。
ふとロウェルから視線を外して、外を見る。
「ここは、本当にいいところね」
「ああ……」
時間も穏やかに流れて、空気はあたたかい。
ここの空気そのままのような彼女だけが、アレイストを変えることができる。
なんとなく、わかるような気がした。
#玉座の憧憬_本編 31
セレンは、ロウェルの眠る部屋の窓辺に立って、その先に広がる風景を眺めていた。
生まれ育った城の窓から見える、整備された庭とは違い、自然のままに近い草原が広がっている。
ふと気配を感じて振り返れば、いつ起きたのかロウェルがじっとこちらを見ていた。
「気分はどう?」
「まあ、そこそこかな」
彼が起き上がろうとするのを首を振って止める。
あの日、脇腹に受けた「掠り傷」は、見た目通り深いものだった。もう少し処置が遅れていれば失血しすぎて命も危うかったほどだ。
実際、馬車の中でレオが応急処置をする頃には、かなり朦朧とした様子で、この屋敷についてからも殆ど意識を失っていた。
「ここは?」
「……リーティエ公女の屋敷」
短い問いに答えるが、彼に驚いた様子はなかった。元々の目的地がこの場所だった何よりの証拠だ。
何故、とは思う。何故、リーティエ公女――アレイストの母の元に連れてきたのか。
だが最早、セレンにロウェルを疑う気持ちなどなく、ただ純粋に疑問だった。
「わたしをここまで連れてきたのは、公女と会わせるため?」
ロウェルは少し迷うように目を伏せたあと、頷いて答える。
「おそらく、アレイストは俺たちを追ってくる。どこまでも。それを止めさせられるのは……公女殿下だけだ」
初めて対面したリーティエのことを思い出す。
やわらかな雰囲気の、どこか少女のような人だった。
アレイストは、この少女のような女性を守るために、父からの召喚に応じたのだろうと悟った。
ふとロウェルから視線を外して、外を見る。
「ここは、本当にいいところね」
「ああ……」
時間も穏やかに流れて、空気はあたたかい。
ここの空気そのままのような彼女だけが、アレイストを変えることができる。
なんとなく、わかるような気がした。
2025/08/22 00:00:20
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 30
山小屋を後にしたセレンとロウェルは、どうにか誰にも見つからぬまま、ロムーリャ公国に接する街まで到着していた。
とはいっても、この時のセレンは彼がどこへ向かうつもりなのかも知らず、知りたいとすら思わず、ただ手を引かれるままに歩いていただけだ。
「セレン、ここで人と合流する。その後、国を出る。いいか?」
旅人を装い、汚れた外套で頭まで隠したまま、二人は繁華街を進んでいた。足を止めないまま発せられた問いに、セレンは緩慢に顔を上げ、すぐに俯いた。
「どうでもいい」
「……わかった」
ロウェルの微かに落胆するような声も、どこか遠く聞こえる。
本当に、もう全てがどうでもよかった。
仮に今ここでロウェルが手を離し、自身を置いていったとしても、そのまま立ち止まり続けるであろうほどに。
考えることは山のようにあるはずだった。
ここはどこ? これからどこへ行こうとしている? ロウェルは自分をどうするつもり? どうして助けた? どうして――、アレイストではなくわたしの手を取ったの。
だが、どの問いももやもやと形を成す前に、霧散して消えていく。頭の動きが鈍い。世界も遠い。
本当に、全てがどうでもいいものに思えた。
その時、身体にトンと軽い衝撃を覚えて、歩調が乱れた。
視線を向ける。子供だ。
「ごめんなさい!」
そう言って少年は走り去っていくが、今のセレンはそんな軽い衝突すら受け流せる状態ではなかった。
足に力が入らず、ふらりと後ろへ倒れそうになる。
ロウェルが手を引いてくれなければ、そのまま転倒していただろう。
だが、それも良くなかった。
後ろへ倒れかかっていた身体が急に引っ張られる。その動きで、頭を隠していたフードがはらりと落ちて、銀色の髪が舞う。
「あ……」
平民には珍しいという輝くような銀糸の髪に、通行人たちが振り返り、そして――
「――いたぞ!」
追手の目も引いてしまった。
「セレン、走るぞ」
ロウェルが手を強く握り、走りはじめる。セレンは足がもつれて転びそうになりながらも、どうにか彼についていった。殆ど「引きずられている」という方が正しかったかもしれないが。
騒ぎが大きくなって、追手の数も増える。ロウェルも彼らを撒こうとしているようだったが、どうにも上手くいかず、最終的には、路地裏に追い詰められていた。
相手は三人。ロウェルは、セレンを自身の背後に押しやると、短剣を抜いた。
ロウェルの背中を見ているのが、妙に初めて彼と出会った時の情景と重なった。
ロウェルと追手の三人は、何やら問答をしていたが、セレンの耳には入ってこない。
ただ、何か、酷い耳鳴りのような、目眩のようなものがしていた。
キンッと高い金属音がして、セレンは顔を上げる。
目の焦点が次第に合ってくる。
戦っている。三人も、相手に。碌な武器も無しに。
ロウェルはどうにか、一人は昏倒させたらしい。だが、まだ多勢に無勢だ。息も上がっている。
しかしそれでも、ロウェルは一歩も引かなかった。
何度か打ち合いが続き、一人が倒れる。だがもう一人――、その男が剣を構えた。
セレンは息を飲む。
頭にかかっていた靄が晴れていく。
それと同時に、ロウェルの脇腹を刃が通ってゆくのが見えた。
赤い血が飛ぶのが、嫌になるほど鮮やかに見える。
「――――ロウェル!!」
悲鳴のようなセレンの叫びが響いた。
その声が予想外だったのか、追手の男まで虚を突かれたようにこちらを見た。
その一瞬の隙をロウェルは見逃さず、男の鳩尾に拳を叩き込んで気絶させた。
「……セレン」
失神した男を地面へ放ったロウェルは、呆然とこちらを見る。腹からはまだ血が流れていた。
セレンはロウェルに駆け寄って、彼の身体を抱き締めた。
「どした? 血に驚いたか?」
「そ、んなんじゃない……!」
セレンはハッとして、外套を脱ぎ、その下の謁見時に着ていたままだった上着も脱いだ。何故かボタンが一つなくなっていたが、今はそれどころじゃない。
そして、その更に下に着ているシャツのボタンに手をかけたところで、ロウェルが目に見えて狼狽する。
「ちょ、ちょちょ、待て待て待て! 何をする気だ!」
「何って、止血しないと」
比較的清潔な布が今これしかないのだから仕方がない。
答えながらボタンを外そうとするが、ロウェルががしりとその手を掴んで止めた。
「掠り傷! そこまでする必要ない!」
「どこが『掠り傷』!? まだ血が出てるのに!」
「もう止まるって!」
「だとしても! それに、下着は着てるから問題ない」
「問題あ――」
「――はい、そこまで」
パンと手を叩く音と共に割って入った声に、セレンはビクッと飛び上がった。
声のした方向を見ると、いつの間にかそこに男が立っていた。
その男を睨みつけ誰何しようとするセレンを制したのは、ロウェルだった。
「遅かったな」
「無茶言わないでくださいよ。突然連絡が来たかと思えば、『誰にも悟られず、国境を越えさせろ』だなんて」
どうやら二人は知り合いらしいと察するが、つい不安になってセレンはロウェルの腕をつんと引いた。
「えっと、こいつだよ。合流するって言ってた相手。俺の協力者で、名前はレオ。それで、えーっと……。やっぱり、一度会っただけじゃ覚えてないか?」
ロウェルの言葉に首を捻りつつ、じっと男――レオを観察する。淡い金髪をした、端正な顔立ちをしている。
たしかに、何か既視感がある。あれはどこで――
「――あ」
「思い出していただけたようで光栄です、殿下」
そう言って頭を下げた彼は、たしかにあの日――ロウェルと初めて出会った日に彼と一緒にいた金髪の男だった。
「では行きましょうか、お二人とも。ロムーリャ公国へ」
そうして、セレンはロウェルと共に公国へ向かったのだった。
#玉座の憧憬_本編 30
山小屋を後にしたセレンとロウェルは、どうにか誰にも見つからぬまま、ロムーリャ公国に接する街まで到着していた。
とはいっても、この時のセレンは彼がどこへ向かうつもりなのかも知らず、知りたいとすら思わず、ただ手を引かれるままに歩いていただけだ。
「セレン、ここで人と合流する。その後、国を出る。いいか?」
旅人を装い、汚れた外套で頭まで隠したまま、二人は繁華街を進んでいた。足を止めないまま発せられた問いに、セレンは緩慢に顔を上げ、すぐに俯いた。
「どうでもいい」
「……わかった」
ロウェルの微かに落胆するような声も、どこか遠く聞こえる。
本当に、もう全てがどうでもよかった。
仮に今ここでロウェルが手を離し、自身を置いていったとしても、そのまま立ち止まり続けるであろうほどに。
考えることは山のようにあるはずだった。
ここはどこ? これからどこへ行こうとしている? ロウェルは自分をどうするつもり? どうして助けた? どうして――、アレイストではなくわたしの手を取ったの。
だが、どの問いももやもやと形を成す前に、霧散して消えていく。頭の動きが鈍い。世界も遠い。
本当に、全てがどうでもいいものに思えた。
その時、身体にトンと軽い衝撃を覚えて、歩調が乱れた。
視線を向ける。子供だ。
「ごめんなさい!」
そう言って少年は走り去っていくが、今のセレンはそんな軽い衝突すら受け流せる状態ではなかった。
足に力が入らず、ふらりと後ろへ倒れそうになる。
ロウェルが手を引いてくれなければ、そのまま転倒していただろう。
だが、それも良くなかった。
後ろへ倒れかかっていた身体が急に引っ張られる。その動きで、頭を隠していたフードがはらりと落ちて、銀色の髪が舞う。
「あ……」
平民には珍しいという輝くような銀糸の髪に、通行人たちが振り返り、そして――
「――いたぞ!」
追手の目も引いてしまった。
「セレン、走るぞ」
ロウェルが手を強く握り、走りはじめる。セレンは足がもつれて転びそうになりながらも、どうにか彼についていった。殆ど「引きずられている」という方が正しかったかもしれないが。
騒ぎが大きくなって、追手の数も増える。ロウェルも彼らを撒こうとしているようだったが、どうにも上手くいかず、最終的には、路地裏に追い詰められていた。
相手は三人。ロウェルは、セレンを自身の背後に押しやると、短剣を抜いた。
ロウェルの背中を見ているのが、妙に初めて彼と出会った時の情景と重なった。
ロウェルと追手の三人は、何やら問答をしていたが、セレンの耳には入ってこない。
ただ、何か、酷い耳鳴りのような、目眩のようなものがしていた。
キンッと高い金属音がして、セレンは顔を上げる。
目の焦点が次第に合ってくる。
戦っている。三人も、相手に。碌な武器も無しに。
ロウェルはどうにか、一人は昏倒させたらしい。だが、まだ多勢に無勢だ。息も上がっている。
しかしそれでも、ロウェルは一歩も引かなかった。
何度か打ち合いが続き、一人が倒れる。だがもう一人――、その男が剣を構えた。
セレンは息を飲む。
頭にかかっていた靄が晴れていく。
それと同時に、ロウェルの脇腹を刃が通ってゆくのが見えた。
赤い血が飛ぶのが、嫌になるほど鮮やかに見える。
「――――ロウェル!!」
悲鳴のようなセレンの叫びが響いた。
その声が予想外だったのか、追手の男まで虚を突かれたようにこちらを見た。
その一瞬の隙をロウェルは見逃さず、男の鳩尾に拳を叩き込んで気絶させた。
「……セレン」
失神した男を地面へ放ったロウェルは、呆然とこちらを見る。腹からはまだ血が流れていた。
セレンはロウェルに駆け寄って、彼の身体を抱き締めた。
「どした? 血に驚いたか?」
「そ、んなんじゃない……!」
セレンはハッとして、外套を脱ぎ、その下の謁見時に着ていたままだった上着も脱いだ。何故かボタンが一つなくなっていたが、今はそれどころじゃない。
そして、その更に下に着ているシャツのボタンに手をかけたところで、ロウェルが目に見えて狼狽する。
「ちょ、ちょちょ、待て待て待て! 何をする気だ!」
「何って、止血しないと」
比較的清潔な布が今これしかないのだから仕方がない。
答えながらボタンを外そうとするが、ロウェルががしりとその手を掴んで止めた。
「掠り傷! そこまでする必要ない!」
「どこが『掠り傷』!? まだ血が出てるのに!」
「もう止まるって!」
「だとしても! それに、下着は着てるから問題ない」
「問題あ――」
「――はい、そこまで」
パンと手を叩く音と共に割って入った声に、セレンはビクッと飛び上がった。
声のした方向を見ると、いつの間にかそこに男が立っていた。
その男を睨みつけ誰何しようとするセレンを制したのは、ロウェルだった。
「遅かったな」
「無茶言わないでくださいよ。突然連絡が来たかと思えば、『誰にも悟られず、国境を越えさせろ』だなんて」
どうやら二人は知り合いらしいと察するが、つい不安になってセレンはロウェルの腕をつんと引いた。
「えっと、こいつだよ。合流するって言ってた相手。俺の協力者で、名前はレオ。それで、えーっと……。やっぱり、一度会っただけじゃ覚えてないか?」
ロウェルの言葉に首を捻りつつ、じっと男――レオを観察する。淡い金髪をした、端正な顔立ちをしている。
たしかに、何か既視感がある。あれはどこで――
「――あ」
「思い出していただけたようで光栄です、殿下」
そう言って頭を下げた彼は、たしかにあの日――ロウェルと初めて出会った日に彼と一緒にいた金髪の男だった。
「では行きましょうか、お二人とも。ロムーリャ公国へ」
そうして、セレンはロウェルと共に公国へ向かったのだった。
2025/08/22 00:00:19
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 29
アレイストが父王と会っていた頃、セレンたちは彼の予想通りロムーリャ公国にいた。
離宮の一室で眠るロウェルをセレンはじっと見つめる。
どうしてこんなことに。
そんなことを思いながら彼の手を握って、そこにまだぬくもりがあることにほっとする。
「……ロウェル、わたしは……これからどうすればいい?」
もう世界は遠く感じない。
父に剣を向けた事実に手が震え、あの時の自分はどこかおかしかったのも分かる。
そしてそれと同時に、まだ生きているのだから王位を狙わねばならないと、そんな母の声もしていた。
だが自分は、王の子ではなかった。
ならば、玉座など狙えるはずもない。
……でも、じゃあ、わたしはこれからどうやって生きていけばいいんだろう。
いっそ、あの場でアレイストに殺されていれば。
そうすれば、こうして彼が傷付くこともなかったのに。
セレンはロウェルの手を、ぎゅっと強く握る。
時間はほんの少し前に遡る――。
#玉座の憧憬_本編 29
アレイストが父王と会っていた頃、セレンたちは彼の予想通りロムーリャ公国にいた。
離宮の一室で眠るロウェルをセレンはじっと見つめる。
どうしてこんなことに。
そんなことを思いながら彼の手を握って、そこにまだぬくもりがあることにほっとする。
「……ロウェル、わたしは……これからどうすればいい?」
もう世界は遠く感じない。
父に剣を向けた事実に手が震え、あの時の自分はどこかおかしかったのも分かる。
そしてそれと同時に、まだ生きているのだから王位を狙わねばならないと、そんな母の声もしていた。
だが自分は、王の子ではなかった。
ならば、玉座など狙えるはずもない。
……でも、じゃあ、わたしはこれからどうやって生きていけばいいんだろう。
いっそ、あの場でアレイストに殺されていれば。
そうすれば、こうして彼が傷付くこともなかったのに。
セレンはロウェルの手を、ぎゅっと強く握る。
時間はほんの少し前に遡る――。
2025/08/22 00:00:18
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 28
アレイストは独り、執務室の窓から今にも雨が降り出しそうな曇天を見ていた。
セレンティーネとロウェルが姿を消してから数日。彼らが夜を明かしたらしい王都近くの山小屋は見つかったが、その後の足取りはまだ掴めていない。
彼らが次に行くとすればどこだ。
一番はじめに思いつくのは国外逃亡だが――。アレイストは眉根を寄せる。
あのロウェルが、身を寄せる当てもない場所を安易に選ぶだろうか。
であれば、次に怪しいのはアキュイラだ。しかし、ここも可能性としては低いだろう。反逆の疑いがかかっている……と彼らが考えているであろう女を匿うほどの信頼関係が、この短い間に築けていたとは思えない。
ならば残るは……。
「――失礼いたします!」
扉を開けて入ってきた兵の方へアレイストはゆっくりと振り返った。
「ロムーリャ公国に接する街にて、セレンティーネ殿下と殿下を連れた男を発見いたしました」
アレイストは彼の報告に目を細めた。
「そうですか……。それで、姉上とその男は?」
「申し訳ありません。直前で邪魔が入り、殿下の保護及び誘拐犯の捕獲はままなりませんでした」
アレイストはきゅっと口を引き結んで押し黙った。
やはり、公国へ向かったか――。
おそらくもう既に入国は果たしている頃だろう、とあたりをつけて、アレイストは「姉を心から心配する弟」の振りで溜息をついた。
「そう、なんですね。……いえ、足取りが分かっただけでもよしとしましょう。引き続き捜索を」
「はっ!」
彼はビシリと敬礼をして、部屋を出ていった。
そう。今、セレンティーネは「誘拐されている」ことになっていた。
ロウェルが彼女を連れ出した直後、現れた国王がそういうことにしてしまったのだ。愛する女の娘を守るために。
剣を向けられ、殺されそうになったにもかかわらず、それでもかばうなど、愚の骨頂としか思えなかった。
だが、国王の言葉を自分が取り消せるはずもなく、今アレイストが「連れ去られた可哀想なセレンティーネ王女」を探すこととなっていた。
やはり、娘から剣を向けられた心労があったのか、国王が倒れてしまったからだ。
倒れるならばもっと早く倒れればよかったものをと、ベッドの上で弱々しく横たわる男に、この数日で何度恨み言をぶつけたくなったか分からない。
本当に腹立たしい。
憤りを溜息に乗せて吐き出すと、アレイストは部屋を出て、国王の眠る寝室へと向かった。
「失礼いたします」
陛下、と声を掛けると、男の目がうっすらと開かれる。
「……アレイストか」
「はい。先ほど、姉上の行方に関して情報が入りまして」
そう囁くと、彼はハッと目を見開いて起き上がろうとした。だが急に動いたせいか、起こした上体を折り、激しく咳き込む。
アレイストは、それを冷たい目で見下ろしながら続ける。
「おそらく二人は公国へ入ったと思われます。ですので、私に公国行きのご許可を賜りたく」
肩で息をしながら男が顔を上げた。
「……お前、自ら行くのか」
「ええ。『姉の迎えに弟が出向く』……、何かおかしなことでも?」
「…………いや」
沈黙してしまった彼は、長いこと黙考した末に小さく頷いた。
「許可しよう」
「ありがとうございます、陛下」
アレイストはにっこり微笑んで、そのまま男に背を向けた。
「――アレイスト」
扉の前まで辿り着いた時、名を呼ばれてアレイストは扉に伸ばそうとしていた手を止めた。
「アレイスト……、どうか、セレンティーネを……ゆるしてやってくれないか」
アレイストは杖を握る手に、ギュッと力を込めた。
ゆるす? 一体何を? 全て持っているのに、気付きもしない愚かさを? それとも、私から全てを奪っていく厚顔さをか?
アレイストは振り返って、微笑みを返した。
当然じゃないかとも、何を言っているのか分からないとも、取れる笑みを。
「失礼いたします」
それだけ言って、居室を後にする。
「っ――」
来た道を戻り、自分の部屋へ入って鍵を締める。
そのまま崩れ落ちるように座り込んで、床を殴りつける。
「くそっ……」
拳は絨毯に沈んで、何の慰めにもならなかった。
#玉座の憧憬_本編 28
アレイストは独り、執務室の窓から今にも雨が降り出しそうな曇天を見ていた。
セレンティーネとロウェルが姿を消してから数日。彼らが夜を明かしたらしい王都近くの山小屋は見つかったが、その後の足取りはまだ掴めていない。
彼らが次に行くとすればどこだ。
一番はじめに思いつくのは国外逃亡だが――。アレイストは眉根を寄せる。
あのロウェルが、身を寄せる当てもない場所を安易に選ぶだろうか。
であれば、次に怪しいのはアキュイラだ。しかし、ここも可能性としては低いだろう。反逆の疑いがかかっている……と彼らが考えているであろう女を匿うほどの信頼関係が、この短い間に築けていたとは思えない。
ならば残るは……。
「――失礼いたします!」
扉を開けて入ってきた兵の方へアレイストはゆっくりと振り返った。
「ロムーリャ公国に接する街にて、セレンティーネ殿下と殿下を連れた男を発見いたしました」
アレイストは彼の報告に目を細めた。
「そうですか……。それで、姉上とその男は?」
「申し訳ありません。直前で邪魔が入り、殿下の保護及び誘拐犯の捕獲はままなりませんでした」
アレイストはきゅっと口を引き結んで押し黙った。
やはり、公国へ向かったか――。
おそらくもう既に入国は果たしている頃だろう、とあたりをつけて、アレイストは「姉を心から心配する弟」の振りで溜息をついた。
「そう、なんですね。……いえ、足取りが分かっただけでもよしとしましょう。引き続き捜索を」
「はっ!」
彼はビシリと敬礼をして、部屋を出ていった。
そう。今、セレンティーネは「誘拐されている」ことになっていた。
ロウェルが彼女を連れ出した直後、現れた国王がそういうことにしてしまったのだ。愛する女の娘を守るために。
剣を向けられ、殺されそうになったにもかかわらず、それでもかばうなど、愚の骨頂としか思えなかった。
だが、国王の言葉を自分が取り消せるはずもなく、今アレイストが「連れ去られた可哀想なセレンティーネ王女」を探すこととなっていた。
やはり、娘から剣を向けられた心労があったのか、国王が倒れてしまったからだ。
倒れるならばもっと早く倒れればよかったものをと、ベッドの上で弱々しく横たわる男に、この数日で何度恨み言をぶつけたくなったか分からない。
本当に腹立たしい。
憤りを溜息に乗せて吐き出すと、アレイストは部屋を出て、国王の眠る寝室へと向かった。
「失礼いたします」
陛下、と声を掛けると、男の目がうっすらと開かれる。
「……アレイストか」
「はい。先ほど、姉上の行方に関して情報が入りまして」
そう囁くと、彼はハッと目を見開いて起き上がろうとした。だが急に動いたせいか、起こした上体を折り、激しく咳き込む。
アレイストは、それを冷たい目で見下ろしながら続ける。
「おそらく二人は公国へ入ったと思われます。ですので、私に公国行きのご許可を賜りたく」
肩で息をしながら男が顔を上げた。
「……お前、自ら行くのか」
「ええ。『姉の迎えに弟が出向く』……、何かおかしなことでも?」
「…………いや」
沈黙してしまった彼は、長いこと黙考した末に小さく頷いた。
「許可しよう」
「ありがとうございます、陛下」
アレイストはにっこり微笑んで、そのまま男に背を向けた。
「――アレイスト」
扉の前まで辿り着いた時、名を呼ばれてアレイストは扉に伸ばそうとしていた手を止めた。
「アレイスト……、どうか、セレンティーネを……ゆるしてやってくれないか」
アレイストは杖を握る手に、ギュッと力を込めた。
ゆるす? 一体何を? 全て持っているのに、気付きもしない愚かさを? それとも、私から全てを奪っていく厚顔さをか?
アレイストは振り返って、微笑みを返した。
当然じゃないかとも、何を言っているのか分からないとも、取れる笑みを。
「失礼いたします」
それだけ言って、居室を後にする。
「っ――」
来た道を戻り、自分の部屋へ入って鍵を締める。
そのまま崩れ落ちるように座り込んで、床を殴りつける。
「くそっ……」
拳は絨毯に沈んで、何の慰めにもならなかった。
2025/08/22 00:00:17
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 27
セレンの問いかけで、ロウェルはアレイストとたしかに「友人」であった過去を思い出していた。
まだふにゃふにゃの赤ん坊だったアレイストに、ロウェルは「将来仕えるべき主君」なのだと引き合わされた。
主従として育った自分たちではあったが、幼少の頃は「兄弟」と言った方が近い関係性だったように思う。
三歳年下の自分を慕ってくれる男の子。身分は彼の方が上だったが、そんなことは関係ないと思っていた。
あの日までは。
年相応にやんちゃだったロウェルは、少々危険な遊びにアレイストを連れ出すことも少なくはなかった。「あの日」も、そんなよくある一日――のはずだったのだ。
アレイストの暮らしていた離宮の裏手にある森は、二人にとっていつもの遊び場で、ほんの冒険心でいつもより深い場所へ向かった。
いつもと違う景色に好奇心が刺激されて、繋いだ手を離した。そして、本当に一瞬だけ、アレイストから目を離してしまった。
悲鳴が聞こえたのは、すぐ後のこと。振り返った時には崖下に転落していくアレイストの姿が見えた。
それからはどうしたのだったか、よく覚えていない。
大人を呼びに行ったのか、それとも中々戻ってこない自分たちを発見してもらったのか。
ともかく気が付いた時には、アレイストは医者の治療を受け、命に別状はないことを知った。
だが――、落ち方が悪かったのだろう。折れた足の骨は神経を傷付け、アレイストの左足には麻痺が残った。
ロウェルが八歳、アレイストが五歳の頃のことだった。
ふ、とロウェルの意識が現実へと戻ってくる。
ちらりと背後に視線を向けると、セレンはやはり疲れが溜まっていたのか、眉間に深い皺を刻みながらも眠ってしまっていた。
ロウェルは一つ息を吐く。
辺りに気配はなく、とても静かな夜だ。
だからこそ、色々な思いが押し寄せてきて、思考を支配する。
アレイストは今、どうしているだろうか。
彼の傍を離れるという決断を、自分が下す日が来るなんて、ほんの少し前まで想像もしていなかった。
後悔が無い、とは言い切れない。
まだ、アレイストに負わせてしまったものの代償を、支払いきれてなどいないからだ。
十七年前のあの日、目覚めたアレイストは、一言もロウェルを責めなかった。
周囲の大人たちも、しばし昏睡状態だった彼の容態の方が心配だったのだろう。
誰も、ロウェルに責任を追求しなかった。
ロウェルは謝罪をする機会さえ、もらえなかったのだ。
「……いっそ、あの時お前が…泣いて俺を責めていたら、違ったのかな」
もちろん、罪悪感に苛まれただろう。でも、彼の気持ちを受け止めて、自分も相手が飽きるほどに謝って、そして――、今も友人のようにいられたのではないだろうか。
そんな風に夢想する時がある。
けれど、もう自分たちの関係は「友人」にはなり得ない。「主従」というには、絡まり合い過ぎた歪な関係だと思う。
控えめで優しい王太子殿下。彼は、ロウェルの前でだけは激情にかられ、八つ当たりをして、苦しげに顔を歪めて、ロウェルの心を幾度となく試した。
今回のセレンへの接触も、おそらくその一環だった。
――お前は私のために、一人の女を死地に追いやり見殺せるのか。
そう、問いかけられていたのだろう。
できる、と……思った。思っていた。
だが、真にアレイストを思うのならば、実行するより前に止めるべきだったのだ。
そのことに見て見ぬ振りをして、尽くすべきただ一人に報いたかった――。
「……アレイスト」
けれど、セレンと――自分と同じかそれ以上に他者に縛られた彼女と出逢い、もうその歪さに目を背けていることができなくなったのだ。
ロウェルはふらりと立ち上がって、眠るセレンの傍に膝をついた。
険しい顔をしているのに、無防備に眠る女――。
「セレン、俺は……」
彼女の首に手を添える。ひたりと肌が触れて、首筋の血管から彼女の鼓動を感じた。
「っ……」
パッと手を離して唇を噛む。
その喉は、簡単に縊り殺せてしまいそうなほどに細い。
同じ寂しさを共有できるセレンに、惹かれる気持ちがあるのは自覚していた。
けれど、アレイストの命がただ「彼女を殺せ」というものだったのならば。
葛藤の末に、実行してしまえていただろうという自分が今もいることに、ロウェルは気付いている。
#玉座の憧憬_本編 27
セレンの問いかけで、ロウェルはアレイストとたしかに「友人」であった過去を思い出していた。
まだふにゃふにゃの赤ん坊だったアレイストに、ロウェルは「将来仕えるべき主君」なのだと引き合わされた。
主従として育った自分たちではあったが、幼少の頃は「兄弟」と言った方が近い関係性だったように思う。
三歳年下の自分を慕ってくれる男の子。身分は彼の方が上だったが、そんなことは関係ないと思っていた。
あの日までは。
年相応にやんちゃだったロウェルは、少々危険な遊びにアレイストを連れ出すことも少なくはなかった。「あの日」も、そんなよくある一日――のはずだったのだ。
アレイストの暮らしていた離宮の裏手にある森は、二人にとっていつもの遊び場で、ほんの冒険心でいつもより深い場所へ向かった。
いつもと違う景色に好奇心が刺激されて、繋いだ手を離した。そして、本当に一瞬だけ、アレイストから目を離してしまった。
悲鳴が聞こえたのは、すぐ後のこと。振り返った時には崖下に転落していくアレイストの姿が見えた。
それからはどうしたのだったか、よく覚えていない。
大人を呼びに行ったのか、それとも中々戻ってこない自分たちを発見してもらったのか。
ともかく気が付いた時には、アレイストは医者の治療を受け、命に別状はないことを知った。
だが――、落ち方が悪かったのだろう。折れた足の骨は神経を傷付け、アレイストの左足には麻痺が残った。
ロウェルが八歳、アレイストが五歳の頃のことだった。
ふ、とロウェルの意識が現実へと戻ってくる。
ちらりと背後に視線を向けると、セレンはやはり疲れが溜まっていたのか、眉間に深い皺を刻みながらも眠ってしまっていた。
ロウェルは一つ息を吐く。
辺りに気配はなく、とても静かな夜だ。
だからこそ、色々な思いが押し寄せてきて、思考を支配する。
アレイストは今、どうしているだろうか。
彼の傍を離れるという決断を、自分が下す日が来るなんて、ほんの少し前まで想像もしていなかった。
後悔が無い、とは言い切れない。
まだ、アレイストに負わせてしまったものの代償を、支払いきれてなどいないからだ。
十七年前のあの日、目覚めたアレイストは、一言もロウェルを責めなかった。
周囲の大人たちも、しばし昏睡状態だった彼の容態の方が心配だったのだろう。
誰も、ロウェルに責任を追求しなかった。
ロウェルは謝罪をする機会さえ、もらえなかったのだ。
「……いっそ、あの時お前が…泣いて俺を責めていたら、違ったのかな」
もちろん、罪悪感に苛まれただろう。でも、彼の気持ちを受け止めて、自分も相手が飽きるほどに謝って、そして――、今も友人のようにいられたのではないだろうか。
そんな風に夢想する時がある。
けれど、もう自分たちの関係は「友人」にはなり得ない。「主従」というには、絡まり合い過ぎた歪な関係だと思う。
控えめで優しい王太子殿下。彼は、ロウェルの前でだけは激情にかられ、八つ当たりをして、苦しげに顔を歪めて、ロウェルの心を幾度となく試した。
今回のセレンへの接触も、おそらくその一環だった。
――お前は私のために、一人の女を死地に追いやり見殺せるのか。
そう、問いかけられていたのだろう。
できる、と……思った。思っていた。
だが、真にアレイストを思うのならば、実行するより前に止めるべきだったのだ。
そのことに見て見ぬ振りをして、尽くすべきただ一人に報いたかった――。
「……アレイスト」
けれど、セレンと――自分と同じかそれ以上に他者に縛られた彼女と出逢い、もうその歪さに目を背けていることができなくなったのだ。
ロウェルはふらりと立ち上がって、眠るセレンの傍に膝をついた。
険しい顔をしているのに、無防備に眠る女――。
「セレン、俺は……」
彼女の首に手を添える。ひたりと肌が触れて、首筋の血管から彼女の鼓動を感じた。
「っ……」
パッと手を離して唇を噛む。
その喉は、簡単に縊り殺せてしまいそうなほどに細い。
同じ寂しさを共有できるセレンに、惹かれる気持ちがあるのは自覚していた。
けれど、アレイストの命がただ「彼女を殺せ」というものだったのならば。
葛藤の末に、実行してしまえていただろうという自分が今もいることに、ロウェルは気付いている。
2025/08/22 00:00:16
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 26
全てが曖昧に通り過ぎていく。
セレンは、馬上の景色を見るともなく視界に映していた。
憤り、絶望、後悔――。それらはどこか遠くへ行ったらしく、今のセレンの胸に浮かんでくることはない。
疲れてしまった。
ただただ、大きな虚脱感が伸し掛かっている。
時間が歪んでしまっているのか、少し目を閉じただけのつもりだったのに、次に目を開いた時にはどこかの山中にいて、放置されて久しいらしい山小屋が目の前にあった。
「セレン、今晩はここで夜を明かす。明日は早く出るから、出来るだけ身体を休めておいてくれ」
「……そう」
ロウェルの言葉に頷きだけ返して、小屋の中に入った。
彼が手慣れた様子で埃を払い、寝床を用意する。
セレンがぼんやりとその様子を見つめていると、作業を済ませたロウェルが手を引いて、薄い毛布を肩に掛けてきた。
指示された場所に身を横たえて、じっと息を詰める。
ロウェルは窓辺に座って、厳しい顔で外を見つめていた。
この男の目的は何なのだろう。
もう信用なんてできない。でも――。
「あなたは、アレイストの何」
セレンは囁くような声で呟いた。
ロウェルは驚いたような顔でこちらを向いて、悲しい――いや、どこか諦めたような苦笑を浮かべた。
「……さあ、何だったんだろう。友人……『だった』。昔は」
ロウェルは遠くを見るような目をして、外に視線を戻した。
その目は今もアレイストの方へ向いているのだろうか――。
#玉座の憧憬_本編 26
全てが曖昧に通り過ぎていく。
セレンは、馬上の景色を見るともなく視界に映していた。
憤り、絶望、後悔――。それらはどこか遠くへ行ったらしく、今のセレンの胸に浮かんでくることはない。
疲れてしまった。
ただただ、大きな虚脱感が伸し掛かっている。
時間が歪んでしまっているのか、少し目を閉じただけのつもりだったのに、次に目を開いた時にはどこかの山中にいて、放置されて久しいらしい山小屋が目の前にあった。
「セレン、今晩はここで夜を明かす。明日は早く出るから、出来るだけ身体を休めておいてくれ」
「……そう」
ロウェルの言葉に頷きだけ返して、小屋の中に入った。
彼が手慣れた様子で埃を払い、寝床を用意する。
セレンがぼんやりとその様子を見つめていると、作業を済ませたロウェルが手を引いて、薄い毛布を肩に掛けてきた。
指示された場所に身を横たえて、じっと息を詰める。
ロウェルは窓辺に座って、厳しい顔で外を見つめていた。
この男の目的は何なのだろう。
もう信用なんてできない。でも――。
「あなたは、アレイストの何」
セレンは囁くような声で呟いた。
ロウェルは驚いたような顔でこちらを向いて、悲しい――いや、どこか諦めたような苦笑を浮かべた。
「……さあ、何だったんだろう。友人……『だった』。昔は」
ロウェルは遠くを見るような目をして、外に視線を戻した。
その目は今もアレイストの方へ向いているのだろうか――。
2025/08/22 00:00:15
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 25
城の裏手にある通用門を目指し、ロウェルは走っていた。
手を握りしめたままのセレンは、奇妙なほど黙りこくったまま付いてきている。だが手が握り返されるわけでもなく、ロウェルが手を離せばそのまま立ち止まってしまいそうなほどに、その目は虚空を見つめていた。
追手はどの程度出されるだろうか。
自分はこんな抜け殻のような彼女を、無事に救い出せるのだろうか。
「っ……」
アレイストの叫びが、未だに消えてくれない。
気を抜けば今すぐ引き返して、「俺はお前のために生きなければならないのに」と、懺悔しに戻りたい衝動に駆られた。
だが、今は後悔などしている場合ではない。
「セレン」
裏庭の門を潜りながら呼びかけると、彼女は緩慢な動作で顔を上げた。
「ひとまず、王都を脱出する。付いてきてくれるか?」
「…………好きにしたら」
やる気も、覇気もない返答に、喉を締められたような心地がした。
俺が、もっと早く決断できていれば――。
「――……なら、好きにする。行こう」
セレンの反応は薄い。ロウェルに促されるまま、通用門付近に隠していた馬に乗って、その後ろにロウェルが騎乗しても何も言わなかった。
馬を出発させる時も、彼女は無反応だった。
それが、これほど胸を突くなんて、ロウェルは想像もしていなかった。
#玉座の憧憬_本編 25
城の裏手にある通用門を目指し、ロウェルは走っていた。
手を握りしめたままのセレンは、奇妙なほど黙りこくったまま付いてきている。だが手が握り返されるわけでもなく、ロウェルが手を離せばそのまま立ち止まってしまいそうなほどに、その目は虚空を見つめていた。
追手はどの程度出されるだろうか。
自分はこんな抜け殻のような彼女を、無事に救い出せるのだろうか。
「っ……」
アレイストの叫びが、未だに消えてくれない。
気を抜けば今すぐ引き返して、「俺はお前のために生きなければならないのに」と、懺悔しに戻りたい衝動に駆られた。
だが、今は後悔などしている場合ではない。
「セレン」
裏庭の門を潜りながら呼びかけると、彼女は緩慢な動作で顔を上げた。
「ひとまず、王都を脱出する。付いてきてくれるか?」
「…………好きにしたら」
やる気も、覇気もない返答に、喉を締められたような心地がした。
俺が、もっと早く決断できていれば――。
「――……なら、好きにする。行こう」
セレンの反応は薄い。ロウェルに促されるまま、通用門付近に隠していた馬に乗って、その後ろにロウェルが騎乗しても何も言わなかった。
馬を出発させる時も、彼女は無反応だった。
それが、これほど胸を突くなんて、ロウェルは想像もしていなかった。
2025/08/22 00:00:14
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 24
久し振りに足を踏み入れた王城は、たった数ヶ月しか離れていなかったにもかかわらず、随分と久しいものに感じた。
アレイストと別れ、父の待つ応接室へと向かう。
アキュイラへの赴任を任じられた謁見の間――、よりは私的な空間だが、それでも「客人」として扱われていると感じてしまう。
ここに自分の居場所は無いのだと、痛感させられた気がした。
無意識で帯剣したままだった剣の柄を握る。その金属が擦れる音で、自身が酷く緊張しているのだと気付く。
目的の部屋まで辿り着くと、案内の従僕が一礼して去ってゆく。一人部屋の中に取り残されたセレンは、数度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。ソファに座る気にはなれなかった。
だが、程なくして叩扉の音がすると、間髪入れずに父が姿を現した。
「セレンティーネ」
呼ばれた名に、拳を握る。
「急に戻ると聞いて驚いた。どうした、何かあったか? 便りも無いゆえ、心配していた――」
白々しい。
この数ヶ月、欠片でも思い出すことなど本当にあったのだろうか。
彼にはアレイストという立派な跡取りが存在する。「王女」は、必要ない――。
「……父上」
セレンは暗い声で呟いた。
「何故、私をここから追い出したのですか」
「なに……?」
父の困惑したような声さえ厭わしい。セレンは嘲笑を浮かべる。
「白を切らずとも結構です。私の存在が邪魔だったのでしょう?」
「セレンティーネ、お前は一体何を……」
「――もういい加減にしてくれ!!」
セレンは堪らず叫ぶ。
「私は……、私は王にならねばならないんだ! そのためには、あんな辺境にいるわけにはいかない!!」
「……セレンティーネッ!?」
気が付くと自分の手に剣が握られている。
頭の片隅に残る冷静な部分が、いつそれを抜いたのだろうと思ったが、腰にある鞘が空になっていると気付く。
ああ、でも。父も弟も、殺してしまえば――、母の願いは成就する。
ならばそれは、とても「良いこと」のように思えた。
「待て! そんなことをしても、お前は『王』にはなれない!」
「……戯言を」
セレンは剣を振り上げた。
彼の言葉は、ただの命乞いにしか聞こえなかったからだ。
分かっているのだ。セレンとて。こんな方法で地位を得ても、長続きなどしないことくらい。それでも――
「私が許しても大臣たちは許さない! お前には――、っ、王家の血が流れていないのだから!!」
「…………は?」
振り下ろした剣が、父の肉体に触れる寸前で、セレンは手を止めた。
今、この男は、何と言った?
止まった刃に安堵したのか、彼は短く息をつくと、後ろに尻もちをついた。
「……本当だ。シエラが、お前の母が直接……、死ぬ間際に言った。だから、お前と私は――」
「黙れ!!」
セレンは、悲鳴のように叫んで、それ以上の言葉を遮った。
「そんな……そんなはず、ない。母様は、わたしを、『王の子』だって……」
だが、それ以上に反論が続かない。
セレンは焦点の合わない目で、床に座り込んだままの父――だと思っていた男を見下ろした。
本当は、どこかで分かっていた。
母譲りの流れるような銀の髪。それ以外、父にも母にも似ていない自分。
母が執拗に繰り返した「お前は王の子なのだから」という言葉が、違う意味を帯びる。
それは、事実とは違うからこそ、繰り返し口にしたのではないだろうか。まるで、言い聞かせるように。
でも、それならば、私は――。
その時、不意に部屋の扉が開いた。
「……アレイスト」
そこに現れた人物の名を、セレンはぼんやりと呟いた。
彼は抜き身の剣を握り締めるセレンに目を丸くしたが、そのすぐ後には楽しそうに笑った。
「なんだ。もしかして、もう言ってしまわれたのですか、陛下?」
二人の状況に驚くでもなく、至極悠然と部屋に入ってきた彼に、セレンはぞっとしたものを感じて、一歩後ずさった。
アレイストはセレンに微笑むと、床に座ったままの父の傍に膝をついた。
「お可哀想に、陛下。愛した娘に剣を向けられて、さぞご心痛のことでしょう。たとえ一滴も血の繋がらぬ娘でも、王女としてこれ以上無いほど、心を砕いてらっしゃったのに」
優しげな声で囁く姿は、これまで見せていた顔と変わらない。
だが――、この男は「誰」だ。
背筋にぞわぞわと怖気が走る。
アレイストは、膝をついたままこちらを見上げた。
「貴女は、とても大切にされていたのですよ。何も知らない、愚かな姉上」
はっきりと言葉にされて、これまでの行動が本当にどれほど「愚か」だったか、思い知らされる。剣を握っていられなくなって手から滑れ落ちたそれが、毛足の長い絨毯に沈んだ。
「さあ、陛下。後は私にお任せを」
そう言いながらアレイストが立ち上がると、開けっ放しだった扉の外に合図を送る。そこに現れた男たち――おそらく、アレイストの臣下たち――が、父を立たせて連れて行った。
「――さて、姉上」
アレイストが、セレンの落とした剣を拾い上げながら言った。
「これで、貴女は立派な反逆者ですね」
その「反逆」という言葉に、びくりと肩が跳ねた。
しかし、何も言い返すことはできずに、一度は開いた口をまた閉じる。
だが、一つ言っておかねばならないことがあると思い出して、声を絞り出した。
「……この件は、私一人の、独断によるものだ。アキュイラは関係ない。だから……」
反逆罪で処されるとして、セレンに連座させられるような親族は存在しない。だが、もしもそちらに害が及んでしまったら、と思ったのだ。今更になって。
どうしてもっと早く、この行動の危険性に思い至れなかったのだろう。
本当に自分は、何もかも遅すぎた。
セレンはきゅっと唇を噛んで、アレイストの返答を待つ。だが彼は、まるで「そんなことか」とでも言うように肩を竦めた。
「知ってますよ。そのくらい」
「……『知ってる』、だって?」
セレンが顔を上げると、アレイストは堪えきれなかったかのように笑いだした。
「なんだ。気付いたから置いてきたんじゃなかったんですね」
「は……?」
アレイストは、セレンの疑問には答えず、突然後ろを向いた。
「お前の演技も中々だったみたいだね、ロウェル」
セレンは瞠目して、アレイストの視線を追う。
そこには、息を切らせて肩で息をするロウェルがいた。
「……アレイスト」
苦虫を噛み潰したような顔で、ロウェルが弟の名を呼んだ。
「あ……」
セレンは小さく喘いで、叫びだしそうになった口を閉じる。
そうか。そういう……。
全てが繋がって、セレンはもう立っていられずに、床に手をついた。
俯いたまま、ぽつりと呟く。
「わたし、貴方に……それほど憎まれていたの、アレイスト」
「……頭の回転は悪くないみたいですね」
セレンの問いを肯定したも同然の言葉に、視界が滲んだ。
ロウェルはアレイストの手先だったのだ。
セレンの心を開かせ、付け込んで――、こうして言い逃れの出来ぬほどの罪を犯させ、確実に葬り去るための。
最初から出来過ぎだった。賊に襲われたところに通りがかるなど都合が良すぎる。はじめは確かに疑っていたはずなのに、いつからこれほど心を許していたのだろう。
自身の存在を疎ましく思っていたのは、彼だったのか。
セレンは顔を上げて、アレイストを見上げた。
彼の持つ剣の刃に部屋の明かりが反射して、場違いなほど綺麗に見えた。
先ほど、セレンがしたように、アレイストが剣を振り上げる。
セレンはその様をじっと見ていた。
ああ、これでやっと――。
迫りくる刃に身体の力を抜こうとした時、突然その動きが止まった。
セレンも、そしてアレイストも驚いた顔をしている。
その剣を止めたのは――、アレイストの腕を掴んだロウェルだった。
アレイストが背後からきつく腕を握りしめるロウェルを睨む。
「何のつもり、っ――」
ロウェルはアレイストの手を軽く捻って、剣を手放させる。
「アレイスト……。俺はもう……お前とは行けない」
「なっ……」
それだけ言うと、ロウェルはセレンの腕を掴んで立たせ、半ば引きずる形で部屋を飛び出した。
「――お前まで、私を捨てるのか……、ロウェル!!」
状況についていけず、されるがまま走るセレンの後ろに、悲鳴のような叫びが聞こえる。
セレンの腕を掴む手が、一瞬震えた気がした。
#玉座の憧憬_本編 24
久し振りに足を踏み入れた王城は、たった数ヶ月しか離れていなかったにもかかわらず、随分と久しいものに感じた。
アレイストと別れ、父の待つ応接室へと向かう。
アキュイラへの赴任を任じられた謁見の間――、よりは私的な空間だが、それでも「客人」として扱われていると感じてしまう。
ここに自分の居場所は無いのだと、痛感させられた気がした。
無意識で帯剣したままだった剣の柄を握る。その金属が擦れる音で、自身が酷く緊張しているのだと気付く。
目的の部屋まで辿り着くと、案内の従僕が一礼して去ってゆく。一人部屋の中に取り残されたセレンは、数度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。ソファに座る気にはなれなかった。
だが、程なくして叩扉の音がすると、間髪入れずに父が姿を現した。
「セレンティーネ」
呼ばれた名に、拳を握る。
「急に戻ると聞いて驚いた。どうした、何かあったか? 便りも無いゆえ、心配していた――」
白々しい。
この数ヶ月、欠片でも思い出すことなど本当にあったのだろうか。
彼にはアレイストという立派な跡取りが存在する。「王女」は、必要ない――。
「……父上」
セレンは暗い声で呟いた。
「何故、私をここから追い出したのですか」
「なに……?」
父の困惑したような声さえ厭わしい。セレンは嘲笑を浮かべる。
「白を切らずとも結構です。私の存在が邪魔だったのでしょう?」
「セレンティーネ、お前は一体何を……」
「――もういい加減にしてくれ!!」
セレンは堪らず叫ぶ。
「私は……、私は王にならねばならないんだ! そのためには、あんな辺境にいるわけにはいかない!!」
「……セレンティーネッ!?」
気が付くと自分の手に剣が握られている。
頭の片隅に残る冷静な部分が、いつそれを抜いたのだろうと思ったが、腰にある鞘が空になっていると気付く。
ああ、でも。父も弟も、殺してしまえば――、母の願いは成就する。
ならばそれは、とても「良いこと」のように思えた。
「待て! そんなことをしても、お前は『王』にはなれない!」
「……戯言を」
セレンは剣を振り上げた。
彼の言葉は、ただの命乞いにしか聞こえなかったからだ。
分かっているのだ。セレンとて。こんな方法で地位を得ても、長続きなどしないことくらい。それでも――
「私が許しても大臣たちは許さない! お前には――、っ、王家の血が流れていないのだから!!」
「…………は?」
振り下ろした剣が、父の肉体に触れる寸前で、セレンは手を止めた。
今、この男は、何と言った?
止まった刃に安堵したのか、彼は短く息をつくと、後ろに尻もちをついた。
「……本当だ。シエラが、お前の母が直接……、死ぬ間際に言った。だから、お前と私は――」
「黙れ!!」
セレンは、悲鳴のように叫んで、それ以上の言葉を遮った。
「そんな……そんなはず、ない。母様は、わたしを、『王の子』だって……」
だが、それ以上に反論が続かない。
セレンは焦点の合わない目で、床に座り込んだままの父――だと思っていた男を見下ろした。
本当は、どこかで分かっていた。
母譲りの流れるような銀の髪。それ以外、父にも母にも似ていない自分。
母が執拗に繰り返した「お前は王の子なのだから」という言葉が、違う意味を帯びる。
それは、事実とは違うからこそ、繰り返し口にしたのではないだろうか。まるで、言い聞かせるように。
でも、それならば、私は――。
その時、不意に部屋の扉が開いた。
「……アレイスト」
そこに現れた人物の名を、セレンはぼんやりと呟いた。
彼は抜き身の剣を握り締めるセレンに目を丸くしたが、そのすぐ後には楽しそうに笑った。
「なんだ。もしかして、もう言ってしまわれたのですか、陛下?」
二人の状況に驚くでもなく、至極悠然と部屋に入ってきた彼に、セレンはぞっとしたものを感じて、一歩後ずさった。
アレイストはセレンに微笑むと、床に座ったままの父の傍に膝をついた。
「お可哀想に、陛下。愛した娘に剣を向けられて、さぞご心痛のことでしょう。たとえ一滴も血の繋がらぬ娘でも、王女としてこれ以上無いほど、心を砕いてらっしゃったのに」
優しげな声で囁く姿は、これまで見せていた顔と変わらない。
だが――、この男は「誰」だ。
背筋にぞわぞわと怖気が走る。
アレイストは、膝をついたままこちらを見上げた。
「貴女は、とても大切にされていたのですよ。何も知らない、愚かな姉上」
はっきりと言葉にされて、これまでの行動が本当にどれほど「愚か」だったか、思い知らされる。剣を握っていられなくなって手から滑れ落ちたそれが、毛足の長い絨毯に沈んだ。
「さあ、陛下。後は私にお任せを」
そう言いながらアレイストが立ち上がると、開けっ放しだった扉の外に合図を送る。そこに現れた男たち――おそらく、アレイストの臣下たち――が、父を立たせて連れて行った。
「――さて、姉上」
アレイストが、セレンの落とした剣を拾い上げながら言った。
「これで、貴女は立派な反逆者ですね」
その「反逆」という言葉に、びくりと肩が跳ねた。
しかし、何も言い返すことはできずに、一度は開いた口をまた閉じる。
だが、一つ言っておかねばならないことがあると思い出して、声を絞り出した。
「……この件は、私一人の、独断によるものだ。アキュイラは関係ない。だから……」
反逆罪で処されるとして、セレンに連座させられるような親族は存在しない。だが、もしもそちらに害が及んでしまったら、と思ったのだ。今更になって。
どうしてもっと早く、この行動の危険性に思い至れなかったのだろう。
本当に自分は、何もかも遅すぎた。
セレンはきゅっと唇を噛んで、アレイストの返答を待つ。だが彼は、まるで「そんなことか」とでも言うように肩を竦めた。
「知ってますよ。そのくらい」
「……『知ってる』、だって?」
セレンが顔を上げると、アレイストは堪えきれなかったかのように笑いだした。
「なんだ。気付いたから置いてきたんじゃなかったんですね」
「は……?」
アレイストは、セレンの疑問には答えず、突然後ろを向いた。
「お前の演技も中々だったみたいだね、ロウェル」
セレンは瞠目して、アレイストの視線を追う。
そこには、息を切らせて肩で息をするロウェルがいた。
「……アレイスト」
苦虫を噛み潰したような顔で、ロウェルが弟の名を呼んだ。
「あ……」
セレンは小さく喘いで、叫びだしそうになった口を閉じる。
そうか。そういう……。
全てが繋がって、セレンはもう立っていられずに、床に手をついた。
俯いたまま、ぽつりと呟く。
「わたし、貴方に……それほど憎まれていたの、アレイスト」
「……頭の回転は悪くないみたいですね」
セレンの問いを肯定したも同然の言葉に、視界が滲んだ。
ロウェルはアレイストの手先だったのだ。
セレンの心を開かせ、付け込んで――、こうして言い逃れの出来ぬほどの罪を犯させ、確実に葬り去るための。
最初から出来過ぎだった。賊に襲われたところに通りがかるなど都合が良すぎる。はじめは確かに疑っていたはずなのに、いつからこれほど心を許していたのだろう。
自身の存在を疎ましく思っていたのは、彼だったのか。
セレンは顔を上げて、アレイストを見上げた。
彼の持つ剣の刃に部屋の明かりが反射して、場違いなほど綺麗に見えた。
先ほど、セレンがしたように、アレイストが剣を振り上げる。
セレンはその様をじっと見ていた。
ああ、これでやっと――。
迫りくる刃に身体の力を抜こうとした時、突然その動きが止まった。
セレンも、そしてアレイストも驚いた顔をしている。
その剣を止めたのは――、アレイストの腕を掴んだロウェルだった。
アレイストが背後からきつく腕を握りしめるロウェルを睨む。
「何のつもり、っ――」
ロウェルはアレイストの手を軽く捻って、剣を手放させる。
「アレイスト……。俺はもう……お前とは行けない」
「なっ……」
それだけ言うと、ロウェルはセレンの腕を掴んで立たせ、半ば引きずる形で部屋を飛び出した。
「――お前まで、私を捨てるのか……、ロウェル!!」
状況についていけず、されるがまま走るセレンの後ろに、悲鳴のような叫びが聞こえる。
セレンの腕を掴む手が、一瞬震えた気がした。
2025/08/22 00:00:13
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 23
セレンは馬車に揺られながら、じっと息を潜めて対面にいるアレイストの様子を窺っていた。
暴漢に襲われ、弟と再会をして、今は二人きりで王都へ向かう馬車の中だ。
どうしてこんなことになっているのか。そもそも、アレイストは何故あんな場所に――?
疑問は尽きないが、彼に殆ど有無を言わせてもらえずに、こんなことになっている。
「姉上」
不意の呼びかけに、セレンは思わずびくりと肩を跳ねさせながら顔を上げた。
アレイストは笑みを浮かべていて……、何を考えているのか分からず、少しだけ不安を覚える。
「……なんだ?」
「いえ。あんな場所でお会いするなんて、驚いたなと思いまして」
「あ、ああ……」
お前こそ、と返すより早く、アレイストが続ける。
「しかも、追われてましたよね。何があったのですか?」
「それは――」
何と答えてよいのか分からず、口を噤む。
いや、そもそもこんな場所まで来た自身の「目的」を考えれば、「世継ぎ」と二人きりの今は、最大の好機なのかもしれない。そんな気持ちが脳裏を掠める。
だが結局は、剣の柄に手を伸ばすことはせずに、口を開いた。
「私にも…分からない。急に襲われたんだ」
「……、そうでしたか。それは怖ろしい。ご無事でよかった」
「そう、だな……」
変わらぬ笑みを向けてくるアレイストだが、セレンの緊張が解けることはない。むしろ、その笑顔の裏で何を考えているのかが恐ろしく、握り締めた手は汗で粘ついている気がした。
彼は何故あの場にいた?
それを都合よく助けられたのは何故だ?
どうして、当然のように王都へ向かっていると知っている?
けれど、そう思うのは――、私が後ろ暗いものを抱えてこの場にいるせいかもしれない。
「――それで、今日は陛下にお会いされようと?」
「ああ……」
アレイストの問いに、緩慢に頷く。
そう。父王に会うために来たのは確かだ。
だが、会った後どうしたらいいのだろう。譲位を迫る? それとも……
「それは、陛下もお喜びになるでしょうね。姉上の顔を見れなくなったのが寂しいと思っておいでのようですから」
「……それは、光栄だな」
そんなことはあり得ない。扱いの厄介な王女を追いやれて、清々しているはずだ。
セレンはそんな本音を心の奥底に封じ込めて、ぎこちなく口端を上げた。
アキュイラへの赴任を命じられた日の怒りが、少しずつ再燃しはじめている。
それを表情に出さないように気を付けつつ、セレンはふと窓の外を見た。
――今日、おそらく全てが終わる。
数ヶ月ぶりの王都を見つめながら、セレンはきつく拳を握りしめた。
#玉座の憧憬_本編 23
セレンは馬車に揺られながら、じっと息を潜めて対面にいるアレイストの様子を窺っていた。
暴漢に襲われ、弟と再会をして、今は二人きりで王都へ向かう馬車の中だ。
どうしてこんなことになっているのか。そもそも、アレイストは何故あんな場所に――?
疑問は尽きないが、彼に殆ど有無を言わせてもらえずに、こんなことになっている。
「姉上」
不意の呼びかけに、セレンは思わずびくりと肩を跳ねさせながら顔を上げた。
アレイストは笑みを浮かべていて……、何を考えているのか分からず、少しだけ不安を覚える。
「……なんだ?」
「いえ。あんな場所でお会いするなんて、驚いたなと思いまして」
「あ、ああ……」
お前こそ、と返すより早く、アレイストが続ける。
「しかも、追われてましたよね。何があったのですか?」
「それは――」
何と答えてよいのか分からず、口を噤む。
いや、そもそもこんな場所まで来た自身の「目的」を考えれば、「世継ぎ」と二人きりの今は、最大の好機なのかもしれない。そんな気持ちが脳裏を掠める。
だが結局は、剣の柄に手を伸ばすことはせずに、口を開いた。
「私にも…分からない。急に襲われたんだ」
「……、そうでしたか。それは怖ろしい。ご無事でよかった」
「そう、だな……」
変わらぬ笑みを向けてくるアレイストだが、セレンの緊張が解けることはない。むしろ、その笑顔の裏で何を考えているのかが恐ろしく、握り締めた手は汗で粘ついている気がした。
彼は何故あの場にいた?
それを都合よく助けられたのは何故だ?
どうして、当然のように王都へ向かっていると知っている?
けれど、そう思うのは――、私が後ろ暗いものを抱えてこの場にいるせいかもしれない。
「――それで、今日は陛下にお会いされようと?」
「ああ……」
アレイストの問いに、緩慢に頷く。
そう。父王に会うために来たのは確かだ。
だが、会った後どうしたらいいのだろう。譲位を迫る? それとも……
「それは、陛下もお喜びになるでしょうね。姉上の顔を見れなくなったのが寂しいと思っておいでのようですから」
「……それは、光栄だな」
そんなことはあり得ない。扱いの厄介な王女を追いやれて、清々しているはずだ。
セレンはそんな本音を心の奥底に封じ込めて、ぎこちなく口端を上げた。
アキュイラへの赴任を命じられた日の怒りが、少しずつ再燃しはじめている。
それを表情に出さないように気を付けつつ、セレンはふと窓の外を見た。
――今日、おそらく全てが終わる。
数ヶ月ぶりの王都を見つめながら、セレンはきつく拳を握りしめた。
2025/08/22 00:00:12
作品一覧
改稿版更新中
初稿更新終了
ツンデレ王子様の結婚事情:漫画(字コンテ)・BL
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
初稿更新中
改稿版完結
#玉座の憧憬_本編 32
ここ暫くのセレンが、一体何を考えているのか。
穏やかに微笑むようになった彼女を見て、ロウェルは時折、言い知れぬ不安に駆られる。
アレイストの生家に着いて以降、セレンの周囲はただ凪いでいる。
「セレン」
まだベッドから出ることを許してもらえないロウェルは、その傍らで刺繍に勤しむ彼女に声をかけた。
その手付きは若干危うげだが、リーティエ公女に教えてもらったのだと、微笑みながら言っていた。
「どうしたの?」
顔を上げたセレンが、首を傾げる。
「……最近、夜は眠れてるか?」
唐突にそう尋ねたロウェルに、セレンは不思議そうな顔で目を瞬かせた。
「なぜそんなことを?」
「いや……、その、前はあまり眠れなかっただろ。今はどうなのか、って」
ロウェルの返答に、セレンはおかしそうに笑った。
「あなたがそれを聞くの? 私に一服盛っていたのはお前だろうに」
さらりと告げられた言葉に、息を飲む。
「気付いて……」
「あの変に甘い茶だろう。あれを飲んだ後は決まって頭がぼんやりしたから」
ロウェルを責めるでもなく、穏やかに微笑んだまま告げられる言葉に、二の句が継げずに黙ってしまう。
「あれにはどういう効果が?」
「……判断力を鈍らせ、思考力を低下させる効果があった」
「なんだ。じゃあ、母様の声は関係なかったのね。今も効果が続いてるのかなって、ちょっとだけ期待してたのに」
「あれにそんな持続性は――……、今も母親の声が聞こえるのか……?」
愕然として問いかけた言葉に、セレンは笑った。
「もちろん。今もここにいるわ」
そう言って、彼女は何もない虚空を指差した。
当然といった顔をするセレンに、ロウェルは胸が潰れそうになった。
自分は、想像していたよりもずっと――罪深いことをしたのかもしれない。
「セレン……、こっちへ来てくれないか」
腕を広げると、彼女は作りかけの刺繍を置いて、言われた通りに傍までやってきた。
その細い身体をぎゅっと抱きしめる。
アキュイラにいた頃よりも、随分と痩せた。そんなことを今更のように思い知らされた。
「辛くはないか?」
彼女の長い髪を撫で、じっと返答を待つ。
長い沈黙の後、セレンはぽつりと言った。
「……これは、私に与えられた罰だ」
「『罰』?」
「そう。目を閉じ、耳を塞ぎ、自分で考えることを怠った愚か者への罰だ。だから、辛くなどない」
そう言い切ったセレンは、ふとロウェルの方を見上げて、微笑みを浮かべた。
「それにきっと、近い内に終わるわ。ね?」
ロウェルはぎゅっと強くセレンの身体を抱き締めた。
母の幻聴がセレンへの罰だと言うのなら、きっとロウェルへの罰はこの状況そのものなのだろうと思った。
まるで二人の人間がそこにいるかのように、ちぐはぐな喋り方をするようになったセレン。
心が、壊れかけているのかもしれない。そう思ったのは今日がはじめてではなかった。
それを引き起こしたのが自分だという現実を見つめ続けること。
きっとそれが、ロウェルに課された罰だ。