初稿置き場

#誓約の姫 オープニング4

//背景:王宮・応接室・昼

ウィルに連れられ、マリアが辿り着いたのは、国王の私的な応接室だった。
扉の前でウィルと別れ、一人室内に足を踏み入れて、今に至る。

マリア「アシュフォード公爵家が一女マリアが、国王陛下、並びに王太子殿下にご挨拶申し上げます」

数年ぶりにこれほど間近で顔を合わせた二人に、マリアが頭を下げると、王太子ハインがパッと立ち上がった。

ハイン「久し振りだね、マリア! そう堅苦しくしなくていいよ。さあ、顔を上げて」
マリア「お、お久し振りです、殿下」
ハイン「本当にね。変わりないようで安心したよ」
マリア「はい、殿下も……」

ハインにどうしてか、ぎゅっと手を握られて、マリアは少々困惑する。

マリア「あ、あの……。少し近い、ような……?」
ロベルト「ああ、それなんだがな、マリア――」
ハイン「アシュフォード卿」

ハイン「それは、僕の口から言わせてください」
マリア「?」

提案にロベルトが頷くと、ハインはもったいつけるように咳払いをしてから言った。

ハイン「マリア」
マリア「は、はい」
ハイン「僕と君との婚約が、ついに正式に決まった」
マリア「え……」
ハイン「王妹を母に持つ君とは、血が近すぎるんじゃないか、って周囲に渋られていたんだけどね。やっと説得できたんだ。僕の奥さんは君が良かったから」
マリア「え、えっと……」

突然の事態におろおろしていると、ハインが苦笑しながら握っていた手を離した。

ハイン「ごめん、突然だったよね。でも、絶対幸せにする。だから、実際に籍を入れるその日までに、ゆっくり心の準備をしてほしい」
マリア「……はい」

あまりにことに困惑して、マリアはそう答えるので精一杯だった。

2026/02/01 15:03:58

#誓約の姫 オープニング3

//背景:王宮・廊下・昼

マリア(随分と久し振りに来た気がするわ……)

ロベルトの後を追いながら歩くマリアは、視線だけを動かしながら、周囲を見渡す。幼少期は従兄でもある王太子と遊ぶため、頻繁に訪れていたものだが、ここ数年はさっぱりだった。

ロベルト「おや。ウィルくんじゃないか」
ウィル「これは、ご無沙汰しております。アシュフォード卿。それから、マリア姫も」
マリア「え、えぇ……」
ウィル「本日はどうなさったのですか、卿?」
ロベルト「いや、実は『あの件』が正式に決まったそうでね」
ウィル「!」

マリア(……『あの件』?)

ウィル「……そうでしたか。それは、急ぎ参内されるのも納得です。ですが……」

ウィルがこちらに視線を向ける。

ウィル「それならば、いきなり姫同席の元にお話しなさるのは、些か急が過ぎるのでは? 見たところ、姫にはまだ何も仰っていないようですし」
ロベルト「う、うむ……。たしかに」
ウィル「ひとまず、卿だけでお話なされては? 頃合いを見て、俺が姫をお連れしますよ」
ロベルト「…………」

ウィルの提案に、しばし悩む様子を見せたロベルトだったが、次の瞬間には笑顔で顔を上げた。

ロベルト「そうだな。では、ウィルくんの言う通りにしよう! 君ならば、安心できる」

ロベルト「ではマリア、ウィルく――、おっと……、王宮に仕える騎士殿をいつまでも「くん」呼びするのは失礼だった。アルジェリス卿と後から来なさい」
マリア「あっ、お父様!?」

さっさと立ち去っていったロベルトを、マリアは呆然と見送るしかできなかった。

マリア「…………」

マリア「……それで、どうして父を遠ざけましたの?」
ウィル「ん? 何のことだ?」

先程までとは打って変わり、気安い態度になったウィルに、マリアは肩を竦めた。

マリア「とぼけるなら……、まあいいです」

マリア「貴方とも随分お久し振りですね、ウィル様」
ウィル「まあ、ガキの頃とは違うからな」
マリア「そうですね」

ウィルとは、いわゆる「幼馴染」だ。
とはいっても、狭い貴族社会で年回りの近い、家格も近い子供たちが顔見知りなのは、当然と言えば当然だ。結婚を意識するような年回りに近付くごとに交流は薄くなって、こうして顔を合わせたのは何年ぶりだろう。

マリア「騎士になった、って聞いてましたけど……。こうしてみると、なかなか板についていますね」
ウィル「まぁな。そういうお前も、すっかり『淑女』だな」

ウィル「馬子にも衣装?」
マリア「……バカにしてます?」
ウィル「ハハ、冗談冗談。あんま怒んなよ。かわいい顔が台無しだぜ?」

ぽんぽんと頭に乗せられた手に、ますますムッとする。

マリア「もう、いっつも子ども扱いして……。それより、そろそろ行かなくて良いのですか? 何の話なのかは知りませんが、私にも関係のあるお話なのでしょう? あまり、お待たせしては――」
ウィル「…………」
マリア「な、なんですか……?」
ウィル「……いや、なんでも。そんな時期か、って思ってさ」
マリア「え?」
ウィル「なんでもねーよ。行こうか、マリアの言う通り、あんまり陛下をお待たせするのもな」
マリア「あっ、ま、待ってください……!」

マリア(どういう意味……?)

しかし、ウィルがその疑問に答えてくれることはなく、あっという間に、国王の待つ部屋へと連れていかれたのだった。

2026/02/01 15:00:32

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 11


 あの後、ファルと再び込み入った話をする間もないまま、夜が明ける。
 この日も、前日とは別の被験者の元へ行くことになっており、ファルと二人エルジュの後を追って、現場へと向かった。
 昨日はかなり安定している被験者だったが、今日訪ねるのは経過観察に注意を払わねばならない対象だそうだった。
 とはいっても、研究所の所員でもない部外者を連れていけるくらいなので、差し迫った何かは無い――と、聞かされていた。
 しかし。
 被験者宅に辿り着いた時、エルジュがドアベルを押すよりも早く、その扉が内側から開いた。
「――エルジュさん! 丁度良かった、今研究所に連絡しようと……!」
 開け放たれた玄関から現れた男性は、エルジュの姿に余程安堵したのか、涙目になっている。
 そんな男の様子に、表情を引き締めたのはエルジュだ。
「何がありました」
「繭が……、息子の繭が、黒く――!」
 息を飲んだエルジュは、慌てて家の中へと駆けていく。
 レンたちも逡巡したものの、玄関先に突っ立っていても仕方がないと、彼の後を追った。
 廊下を幾度か曲がり、部屋へ入る。
 そこには、立ち竦むエルジュと――繭があった。
 だが、昨日見たものとはまるで違う。
 輝くほど真っ白だった繭とは似ても似つかぬほど、そこにあるのは、ダークグレーに黒ずんでいる。心なしか表面もごわついて見えた。
「こんな、急に……」
 呆然とエルジュが呟く。
「――っ、レン、ファル」
 振り向いたエルジュが、レンたちの名を呼んだ。
「貴方たち、魔法は?」
「つ、使えます」
 レンが答え、ファルも隣で頷いている。
「ならば魔素の操作もできますね。来てください、彼を羽化させます」
「えっ!?」
 思わず声を上げたのはレンだけだったが、ファルも驚愕に目を見開いていた。
「で、でも、外から強制的に羽化させるなんて……」
 繭に近付くエルジュの背に問いかけると、彼は立ち止まって振り返る。そして、シャツのカフスボタンを外し、袖を捲った。
「やらねば、彼がそのまま死ぬだけです」
 それだけ言うと、またレンたちに背を向けて、繭の方へ向かった。
 蛹期の蝶の民は非常に繊細――。それを承知の上で外圧をかけるなど、普通ならあり得ない。
 だがエルジュが言うのだから、このまま放置しても中の人間が死んでしまうだけなのだろう。
 それを分かっていても、足が竦んで動かない。
 その時、隣からぽんと肩に手が乗せられる。
「……ファル」
「やろう。僕たちしかいないんだ」
 そんなことを言うファルの手は、小刻みに震えていた。
 当然だ。彼は助けるため()()()繭へ手を加える様を、間近で見ている。
 自分よりも余程、怖いはずだ。
「――そうだな。俺たちがやらなきゃな」
 レンはファルの震える手に、自分のそれを重ねて笑った。
「何をすればいいですか!」
 二人で繭に近付きながら、エルジュに問いかける。
 彼は少しほっとしたように表情を緩めて、繭を指差した。
「まず、揺らさないように手を当てて。それから、魔法を使う時の要領で、中に魔素を流してください」
 頷いて指示に従い、黒ずんだ繭に手を当てる。
 やはり、昨日のものよりごわごわとしていて、生気が薄い気がした。
「――その後はどうすれば?」
 おそるおそる魔素を流しはじめながら問いかける。
「暫くそのままで。これは蛹期の経過を強制的に早める行為です。一定程度魔素を吸収すれば羽化が――、はじまりましたね」
 エルジュが手を離したのに合わせて、レンとファルも繭から手を離す。
 程なくして、パリパリという小さな音と共に、繭にヒビが入る。そして、繭が裂けはじめると同時に、天井に張り付いていた糸が少しずつ剥がれて繭が床にゆっくり着地する。
 そこまで見届けたエルジュは、安堵の息をついてレンたちに手を振った。
「もう大丈夫です。少し離れてあげて」
「は、はい」
 繭の裂け目が大きくなる。
 そして、中からのそりと一人の青年が身体を起こした。
 彼が不思議そうに目を瞬かせると、エルジュがゆっくりと近付いて片膝をついた。
「羽化おめでとう。身体の調子はいかがですか?」
「……えっと」
 ポツポツと青年がエルジュの質問に答えるのを横目に、レンは隣に立つファルの様子を窺った。
「――ファル」
「あ……」
 青白い顔をした彼の手を、暖めるように両手で握りしめる。
「もう終わった。あの子も元気だよ」
「…………うん」
 ファルは力が抜けたように、レンの肩に頭を預けて息をついた。
 そんな彼の頭をよしよしと撫でて、レンもようやく一息ついたのだった。

2026/02/01 14:53:15

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 10


 研究所に戻ったレンとファルは、他の参加者の戻りを待ちながら、体験入所の日報を纏めていた。
「やばい、紙足りないんだけど」
「ぶふっ……」
 次第に狭くなっていく自由記述欄にレンが呟くと、ファルが吹き出して肩を震わせる。
「わ、笑うなよぉ……」
「いいじゃないか。『以下、別紙』で続き書けば」
 半笑いのままの提案に、「それしかないか」と考えつつ、手元は止まったままのファルの様子を窺う。
「……な、やっぱキツかった?」
 主語のない問いに、ファルがこてと首を傾げた。だが、暫くして何についての問いなのか理解したらしく、一転して呆れ顔を浮かべた。
「そういうんじゃない、って言っただろ」
「でも」
「本当に違うから。ただ――」
 ファルは一度言葉を切ると、周囲を気にするように視線を巡らせて、レン以外誰もいないのを確認すると、声を潜めて続けた。
「『普通の繭』はあんなに綺麗なんだな、っていうのと――。あと、僕は『普通』じゃないからな……。本当に羽化できるのか、って」
「ファル……」
 レンは何と返してよいか分からず、思わず黙ってしまう。
 彼が見てきたのであろう「普通ではない繭」とは、一体どんなものだったのだろうか。そして、それらを間近で見ていざるを得なかった幼少期のファルはどれほど――。
 軽々しく慰めを口にすることもできずにいると、俄に部屋の外が騒がしくなった。
「みんな戻ってきたみたいだな」
「……だな」
 何事もなかったかのように言うファルに、レンはぎこちない笑みを返す。
 これ以上の話をここでするわけにはいかない。
 日報に目を落としたファルに倣うように、レンも手元を見る。
 だが、集中などできるはずもなく、ペンを持つ手は一向に動いてくれなかった。

2026/02/01 14:51:46

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 9


 被験者宅での実習が終わり、レンたちは研究所への帰途についていた。
 主にはエルジュの作業を見守っていただけではあるが、レンは上機嫌のままるんるんと歩く。
 蛹化した蝶の民は非常に繊細ゆえに、外部から中の状況を知る方法も限られている。
 主には繭の表面を微量に採取して、薬品と反応させることで、羽化までの期間が順調か判別している。
 今回エルジュに見せてもらったものもそれで、繭の破片を入れた蒸留水に、試薬を入れると鮮やかな菫色に変わったのには感動した。
 基本的には蛹期の初期は青、羽化直前には赤へと変わるらしい。
 今回現れた菫色は、この時期としては一般的な色であり、順調に羽化への道のりを辿っているという証だ。
「――けど、ほんと不思議だよなぁ。繭表面から、中の状況が分かるなんて」
 レンはファルと並んで歩きながら、半ば独り言のように呟いた。
 それに反応したのは意外にもエルジュで、半歩前を歩いていた彼は、ちらと振り返って口を開く。
「そうでもないですよ。あの繭自体も、蝶の民が生み出したものですから。繭を含めた全てが、一つの生命と考えることもできます」
「なるほど……。でも繭って、羽化後は肉体に再度取り込まれませんよね?」
 羽化後に不要となるものが「生命の一部」なのか、と疑問を返すと、エルジュは難しい顔をしながらも頷いた。
「もちろん考え方はそれぞれですし、諸説あります。ですが、人体でも同じことは言えますよ」
 彼はレンの頭を指差した。
「例えば髪。生え変わり、抜け落ちた後の人毛を『生命』とは思えずとも、肉体の一部となっている今はどうですか?」
「…………。たしかに!!」
 新たな知見にハッとして声を上げる。エルジュが微笑ましいものを見るような目で、ほんの少しだけ目を細めた。
「ファル、貴方はどうでしたか。口数が少なかったように思いますが」
 問われたファルは、どこかぼんやりとした様子で顔を上げた。その姿に、レンも今更ながら心配になる。
 目の前のことに集中しすぎて、ファルの存在がすっかり意識の外に追いやられていたことを反省しながら、彼の顔を覗き込んだ。
「なんかごめん、俺ばっか楽しんじゃって」
「……いや、そういうんじゃなくて」
 ファルは言葉に迷うように、二度、三度と口を開け閉めしたあと、続きを呟いた。
「僕はまだ……、二十三にもなって蛹になる気配もないから、その……、今日の彼のように…本当になれるのか、と……」
 ファルの言う通り、二十歳を超えていまだに蛹化の兆しがないのは、かなり遅い部類だ。
 だがエルジュは事も無げに肩を竦めた。
「確かに平均よりは遅い、と言わざるを得ませんが。それでも個人差があります。三十代になって羽化した例もありますからね。気にしすぎないことです」
「…………はい」
 ファルは、慰めの言葉に薄く笑みを浮かべた。
 だがそこに、拭いきれない不安を見て、レンは落ち着かない気持ちになっていた。

2026/02/01 14:50:49

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 8


「わぁ……」
 レンは目の前の光景に感嘆の声を漏らした。
 そこには、輝くような白い色をした大きな繭がある。
 部屋の一角に、粘性の糸で天井と床が繋がれ、宙に浮くようにそれがあった。
 家族全員、ただの人――蝶の民ではないレンは、繭を見ること自体初めてだ。
「すっげぇ、綺麗……」
 本に載っている写真でしか見たことのなかったそれは、実際に見てみると迫力がまるで違う。
 人一人が入っているのだから当然だが、繭は思っていたよりも大きく、表面には艶めくような輝きがある。
 同級生たちが蛹期に入り、羽化して戻ってくるのを見るたび、その煌めきを纏うような変化に目を奪われたものだ。この繭があの変貌をもたらすのは、どこか納得だった。
 中にいるのは、今年十六になる少年だそうだ。蛹化してから約二ヶ月。肉体は溶けており、再構築がはじまるよりは前の、まさに生まれ変わる途中の時期である。
 つい手を伸ばしたくなって、ハッとして引っ込める。だが我慢できずに、背後で様子を見守る少年の母を見る。
「あ、あの、あの! さわっちゃ……、だめ、ですよね……?」
 彼女はぱちりと目を瞬かせると、エルジュの方を向いた。
 その視線を受けて、鞄から筆記具を取り出していたエルジュは、はあ、と大きな溜息をついた。
「絶対に、揺らさないなら……問題はないですよ」
 レンは彼の返答にぱあっと顔を輝かせて、もう一度少年の母を見る。
 彼女も苦笑して頷くのを確認すると、ぐっと拳を握った。
「ありがとうございます!!」
 深々と頭を下げたレンは、さっそく――と繭に向き直る。
 そおっと指を近付けて、指先で触れる。
 表面はサラサラとしていて、細い糸が幾重にも重なっているためか、遠目で見るよりもデコボコしている。
 少し緊張が解けて、今度は手の平を当てた。
「…………あったかい……」
 人の体温より少し低いが、同じ場所にずっと手の平を当てていると、じんわりとぬくもりが伝わってくる。
 本当に生きてるんだな、と改めて実感しながらそっと繭を撫でる。
「……ありがとな。元気に出てくるんだぞ」
 今彼が聞こえているのかは分からないが、少年に礼を言うと、レンはそっと手を離して、ゆっくりと数歩後退した。
 ふと視線を感じて顔を上げると、エルジュがこちらを見ている。
「なんですか?」
「……いえ」
 ふるりと首を振った彼は、眼鏡を押し上げて繭に向き直る。
 その口元がうっすらと弧を描いていたが、レンはますます不思議に思って首を傾げるのだった。

2026/02/01 14:49:51

#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 22


 半年後。
「っ……」
 ほろりと頬を流れ落ちた涙に、ユリスは目を覚ました。
 発情期用の抑制剤の効果が切れてきたらしい。
 身体の奥がじくじくと熱く、頬をすべっていった涙にも震えてしまう。
(なんか、懐かしい夢を見たな……)
 ユリスは自室のベッドで丸くなって、目を閉じる。
 ルベルトと番になり、彼の元を去って――、二度目の発情期が訪れていた。
 一度目の時は発情期が来たことに、つまり妊娠していないことに落胆して、分かっていたことだろうと自嘲したものだ。そして、ルベルトが追いかけて来てくれるのではないか、そんな想像をして、勝手に裏切られて、一週間余りの時間を泣いて過ごした。
 来るわけがない。
 今ユリスがいるのは、国の辺境にある一地方だ。しかしその場所は父ダリアスによって、徹底的に秘匿されているはずだからだ。
「……大丈夫」
 薄くなってきた項の痕を指で辿り、言い聞かせるように呟く。
 この半年、ユリスも何もしていなかったわけではない。
 現在ユリスは、通いの家庭教師――のようなものをしている。ここの領主夫妻の幼い息子……オメガ子息の話相手だ。
 自分を慕ってくれる年少の男の子の顔が思い浮かぶ。
 王都を離れ一番に驚いたのは、オメガへの偏見が都より遥かに緩かったことだろうか。
 昔はオメガといえば産まれても売り払われることが常だったと聞いていたが、世界はとっくに変わっていたらしいと知った。
 むしろ、アルファの権勢を高めたいが故に、オメガ排斥の思想は都――特に貴族の中の方が強かったのだ。
 ユリスは今ただのユリスとして、一人のオメガとして、ここで暮らしている。
 今もし、王都に戻れたとして、もうユリスをアルファだと思う人間はいないだろう。そう自分でも感じるほど、自分は変わった。
 それが良い変化なのか――、は、まだ分からないけれど。
「んっ……」
 ユリスは熱い息を吐き出して、手を下履きの中に滑り込ませた。
「あ、……っ」
 緩く勃ち上がった前をやわく握る。それだけの刺激で腰が震えて、後ろが濡れた。
「っふ、ん、あぁ……」
 手で陰茎を扱き、身体をくねらせる。
「っ――!!」
 白濁が手の平を汚し、身体が弛緩する。それと同時に、涙も零れた。
(さみしい)
 普段は理性で抑え込めている感情が溢れ出す。
(さみしい、さみしい……、さみしい……っ)
 汚れた手をシーツに擦り付けて拭くと、そのまま後孔に回す。
「っ、あぁん……」
 つぷりと中に指を挿れる。一度達したばかりの敏感な身体は、ぎゅうぎゅうと細いその指を締め付ける。
 でも、こんなのじゃ足りない。
 もっと熱いもので奥まで満たされたかった。
 全身を包まれて、愛しい匂いで胸をいっぱいにしたい。
 ぽろぽろと涙が零れ落ちていくまま、彼の腕に抱かれていた時を思い出しながら、中を抉った。
「ルベルト、さまぁ……っ!」
 今すぐここに現れて、抱きしめて――。
「……ユリス」
 耳に届いた声に、ハッと息を飲む。
 潤んだ目で扉の方を見る。
「――ルベルト、さま……?」
 いや、でも、あり得ない。
 目蓋を閉じて、もう一度開く。
 目元に溜まっていた涙が落ちて、滲んだ視界は晴れたが、彼の姿はまだそこにある。
 でも、信じられない。
(きっと、発情期が見せる幻だ……)
 でも、それならば。それならば、少しくらい我儘を言ってもいいだろうか。
「っ、なんで……。なんで、今更来たんですか……!」
 上体を起こし、俯いたまま叫ぶ。目からはまた涙がぱたぱたと落ちていくのが見えた。
「おれ、ずっとまってたのに……!!」
 口にして気付く。
 そうだ。本当はずっと待っていた。
 お前が大切だと、他の人間と番になる気はないと、そう言った彼が、その言葉を守りに来てくれることを。
 自分から去っておいて虫が良いと、冷静な部分は言うが、それを振り切って求めてほしかった。
(だって、ほんとうは――)
「あなたのそばにいなくちゃ、おれは生きていけない……」
 貴方が近くにいないと、俺は息の仕方も忘れてしまう。
 可愛い弟のような存在に慕われて、毎日が楽しかった。けれど、心にはいつも穴が開いていて、生きている実感が持てないでいた。
 それに気付いたら折れてしまう。
 どこかでそのことを分かっていたから、見ない振りをしていた。
 なのに。
 どうして今更、と怒りが湧く。
 彼を最後に見た日から半年が経って、やっと――、忘れられるかもしれないと、そう思いはじめていたのに。
 本物のルベルトがいるわけではない。
 それでも、怒りが収まらずに顔を上げる。
 だがその激情が言葉になることはなかった。
「――私もだ」
 は、と息が漏れる。
「……ル、ベルト…さま……?」
 ユリスは男の腕の中にいた。
 体温、匂い、感触――、全てが鮮明にルベルトの存在を主張している。
 おそるおそる、彼の腕に触れる。
「ほん、もの……?」
 通り抜けることも、消えてしまうこともなく、ユリスの指先はルベルトに触れていた。
 呆然と呟くとルベルトは苦笑して、ユリスの頬を両手で包む。
「ああ。私はここにいる。……遅くなって悪かった」
「あ……」
 挟まれた頬が、じんわりと熱くなる。彼の熱が移ったのか、自分の頬がただ熱いのか。それは分からないが、彼が確かに目の前にいるのだと、理解するには十分だった。
「なんで……」
 目尻に涙を溜めて問えば、額にキスが降ってくる。
「言っただろ、『私もだ』って。私も……、お前が傍にいなければ、生きていけない。だから、迎えに来たんだ」

2026/02/01 14:47:24

#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 21


 城へと戻るルベルトと別れ、ユリスは自宅の門を潜った。
 静かであたたかみのない雰囲気はいつもと変わらないが、何か違和感があった。
 馬車を降り、玄関ホールへ足を踏み入れる。そこに、普段から最低限の接触しかない家令が立っているのを見て、感じた「違和感」が気のせいではなかったのだと悟った。
「旦那様がお待ちです」
「……、わかった」
 返答の声は、自分でも情けないほど震えていた。
 それでも、どうにか自分を叱咤して父が待つという書斎へ足を向ける。
「――失礼いたします」
 部屋の扉を開けると、その先には普段から厳しい顔を更に険しくした、父ダリアスがいた。
「私が何を言いたいか分かるか」
 挨拶もなしに切り込まれた問いに、ユリスは言葉に詰まる。
 何の話かなんて分からない。だが、「良い話」でないことは、彼の顔を見れば明白だ。
(何か、言わなければ――)
 そう思うのに、唇が震えるばかりで喉からは何の音も出てこない。
 立ち竦むユリスに痺れを切らしたのか、ダリアスが苛立たしげに溜息をついて、ピッと指を差してきた。
「後ろを向け。項を見せろ」
「あ……」
 その確信を持った言い方で、既に自分の身に起こったことが知られているのだと悟った。
 恐怖で崩れ落ちそうになる足で、どうにかダリアスに背を向けて、震える指で長い髪を手繰る。
 すると、もう一度溜息が聞こえた。
「もういい、こちらを向け」
「はい……」
「相手は王太子だな」
(そこまで知られてるのか……)
 ユリスはきゅっと唇を噛んで頷く。
 ここで隠し立てした所で意味がないのは分かっていたからだ。ユリスが何を言おうとも、既に確信を持つだけの情報を、この男は手に入れているはずだからだ。
「この事は、既に両陛下の耳にも届いている」
「!」
「……オメガ程ではないにせよ、番を得ればアルファの肉体にも変化はある。息子のそれに気付かぬほど、両陛下は暗愚ではいらっしゃらない」
 では、はじめから隠し通すことなど不可能だったのだ。
「では、ルベルト様からお聞きになったのですね」
「ああ。殿下といえど、陛下からのご命令を受けてまで、口を噤んだままではいられないからな」
 ダリアスの言葉にユリスはハッと顔を上げた。
(それはつまり、陛下からのご下命があるまで、黙っていて下さったということ……?)
 冷静に考えれば、一国の王子が番を得たことを国王とその妃にまで知らせないなどあり得ない。
 これまでは、単純に運良く知られずに済んでいると思い込んでいたが――。
 ルベルトがユリスの意思を尊重しようとしてくれていたのだと知り、ついユリスの涙腺が緩む。
「殿下は、お前を妃にと望んでおられる」
「……はい」
「それが現実的でないことは、理解しているな?」
「………………はい」
 ダリアスの視線は、ユリスの下腹に向けられている。
 子供を孕むのが難しい身体で、後継を必要とするルベルトの妻の座に居座るわけにはいかない。
「殿下はまだ、お前の身体のことをご存知ないために、そのようなことを仰っているが……。事が事が故に、両陛下には、既にお伝えしている」
 ダリアスが一度言葉を切って、指を二本立てた。
「こうなった以上、お前に取れる手は二つだ。一つ、オメガであることを公表し、殿下の望む通り妃になる。ただしこれは、側妃もしくは愛妾を迎えることが前提だ」
「はい」
「もう一つは、王都を去り、二度と殿下には会わないこと」
「――っ!」
「理由は言わずとも分かるな?」
 ユリスはダリアスから視線を逸らして頷いた。
「俺が傍にいる限り、ルベルト様は妃をお選びになろうとしない、から……ですね」
 ダリアスが頷く。
「仮にこのまま発情期を共にせず、番が解消されようとも、殿下はそうなさるだろうと両陛下はお考えだ。お前をアルファだと思っている時から、殿下はお前に執心なさっていたんだ。誰でもそう思う」
「……はい」
 堪えきれなかった涙が、床の上に落ちた。
「――どうする。後はお前の選択次第だ」

2026/02/01 14:46:00

#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 20


「…………、」
 ゆっくりと進む馬車に揺られ、ユリスは外の景色をぼんやりと見ていた。
(ルベルト様、怒ってるだろうな……)
 何も言わずに、彼に背を向け逃げた。王都を出立してまだ半日も経っていないというのに、もう後悔しそうになっている自分に嫌気が差す。
 けれど、この選択は間違ってないはずだ。
 本当はもっと彼の傍にいたかった。
 でも、ルベルトは「王太子殿下」だ。酷く個人的な独占欲だけで縛り付けていい人ではない。
 だから決して、この選択を後悔してはならないのだ。
 ユリスは目を閉じて、微睡みに身を委ねる。
 事は、ルベルトとの「旅行」から戻り、ローエンベルクの邸宅へ辿り着いた時まで遡る――。

2026/02/01 14:44:28

#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 19


「宰相!! どういうつもりだ!」
 突然部屋に押し入ったルベルトに、宰相――ユリスの父ダリアス・ローエンベルクは、露骨に眉をひそめた。
「何事ですか、王太子殿下」
 含みを持たせた問いかけに、「王太子らしからぬ振る舞いだ」という非難を感じる。
 だが今は、それに構っている余裕などない。
「とぼけるな、ユリスのことだ」
 昨日まで普段となんら変わらない様子だった。だが、今朝になってみれば、待てど暮らせどユリスは出仕してこない。
 焦れてたまたま部屋にやってきたアストルを問い詰めれば――
『ユリス様は昨日をもって、ご退職されました。殿下へのご報告は……、訊ねられるまで黙っているように、とのご指示でした』
 と、この通りだ。
 急に何故、と混乱の中調べてみれば、業務上の引き継ぎなどは完璧で、ユリスだけが煙のようにきえてしまったかのような錯覚を覚えた。
 とはいえ、本来なら王太子である自分の許可もなく辞めるなどできるはずもない。
 それを可能にするには――、目の前のこの男の協力なくしてはあり得ない。
 ダリアスは溜息をつくと、人払いをした。
「何か問題がありましたか」
「問題、だと……?」
「ええ、そうです。執務の滞りなどは起きていないはずですが」
「っ――」
 ルベルトは答えに窮した。
 事実、「業務上の」問題はなかったからだ。
「そっ、それでも、ユリスが私に一言もなくいなくなるなど……」
「今の状況は、あれの選択です、殿下。貴方の元にいることを、あれは拒んだ。それだけの話でしょう」
 傍にいることを拒んだ、という言葉がルベルトの肩に重く伸し掛かる。
 何も言えなくなってしまったルベルトを一瞥し、ダリアスはもう話は終わりだというように、仕事に戻りながら言った。
「――貴方はまだ若い。『番』をこの世の全てのように思えてしまっても仕方がない、が……。フェロモンの結び付きに踊らされ、一生を棒に振るのは愚かな行為です。契約も、少し離れていれば消えてしまう程度のものなのですから」
 それだけ言うと、彼は口を閉じ、もうルベルトの方を見ることはなかった。

2026/02/01 14:43:38

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