初稿置き場
こちらには、男女恋愛・BL・全年齢・R18など、雑多に置いています。
作品一覧に記載のジャンルをお読みの上、自己責任でご覧ください。
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作品一覧
改稿版更新中
玉座の憧憬 本編:小説・男女恋愛
初稿更新終了
ツンデレ王子様の結婚事情:漫画(字コンテ)・BL
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
初稿更新中
改稿版完結
2026/02/03 00:10:59
#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 13
レンたちは研究所の奥へ奥へと向かうエルジュの後をひたすら追っていた。
初日の案内では訪れなかった区画で、薬品のような何かの臭いがする。
渡されたマスクと髪を覆う帽子とを身に付け、そこに白衣を纏ったエルジュについて、ようやく解剖室へと辿り着く。
「戻りました」
そう声をかけて入室したエルジュに続き、レンはそろりと中へ足を踏み入れる。
「っ……」
マスク越しにも感じた臭気に息を飲む。腐臭にような、それでいて微かに甘みのある――嗅いだことのない臭いだった。
「これ……」
「羽化に失敗した繭の、中身の臭いです」
エルジュが囁き声で説明をする。彼に、こちらへと促されて、部屋の中央へと足を向けた。
そこには人ひとりが乗りそうな台と、それを囲むように三人の所員がいた。
「……? 他のみんなは……」
レンの疑問に所員の一人が首を振った。どうやら、立ち合いをせずに帰ったようだ。
だが、台に乗せられた人物を見た時、レンは彼らの選択が正しい、と思ってしまった。
「――っ!」
思わず口元を手で覆って、飛び出しかけた悲鳴を飲み込んだ。
頭と、胴体は、確かに人のそれだ。そこだけ見れば眠っているだけのようにも見える。
しかし、その手足は――、途中で溶けて消えてしまったかのように無くなっている。右腕は肘まであるが、その先は筋肉と骨が剥き出しで、手首から先がない。左腕は肩の付け根から存在せず、右足は膝まであるものの、中の骨や肉が未形成なのか、重力に従って半液状のように広がっている。左足は足首から先が無かった。
「繭の中では、生命維持器官以外が溶ます。そして、再び肉体が形成される際は、脳や内臓といった場所から再構築されるんです」
「ああ、だから手足が……」
人間の肉体にとって重要な器官から再構成され、その後に四肢が形成される。だから、その過程で死んでしまった蝶の民は、このような状態になるのだろう。
「――では、はじめましょうか」
所員の一人が口を開き、黙祷をはじめる。レンもそれに続いて、目を閉じた。
暫しの沈黙が過ぎレンが目を開くと、台の傍にいた人々もぱらぱらと動きはじめていた。
手術で使うようなメスと鉗子、それからハサミのようなものが主な道具のようだ。
レンは邪魔をしないように一歩離れて、解剖の様子を見守る。
体表の状態などの記録を取った後は、メスが胸部や頭蓋を通り、中身が露出していく。所員はそれらを観察し、何かの長さを測ったり、細々と何かを書き付けていた。
レンはもちろん、通常の人間の解剖も見たことはないので、どこが違っていて、どこが同じなのかもよく分からない。だが、ふと疑問を覚えて隣でついていてくれるエルジュに、声を潜めて問いかけた。
「あの……、骨とかってどうなってるんです?」
ただの小さな薄い刃物でしかないメスが頭蓋骨を割き、小さなハサミが肋骨を切断する様子は、素人目にも異様だ。
切れ味がすごくいい魔導具? いや、というよりも――
「なんか、すごく柔らかそうに見える、というか」
レンがそう言うと、エルジュが頷いて答える。
「その通りです。羽化前の肉体は、平常時より脆く壊れやすい。骨も羽化寸前まで、殆ど強度がないんですよ」
「へぇ……」
蝶の民はあらためて不思議な生態をしているな、と思う。
彼らの羽化を「生まれなおし」などとも表現することはあるが、母体の胎内で行われる肉体の形成とは、まるで違うもののようだ。
その時、鉗子の一本が所員の手から滑り落ち、カシャンッと耳障りな音を立てて床にぶつかった。
「っ!?」
その音と同時に、後ろから手を掴まれて、レンはビクッと肩を跳ねさせた。
「いっ、……ファル?」
強い力で掴まれ、小さく呻きながら背後を振り返る。
俯いた彼の顔を覗き込む。
「ファル……?」
顔色が先程よりも悪い。瞳孔が開いていて、焦点が合っていなかった。
なのに、手を掴む力だけは強く、まるで……助けを求めているようだと感じてしまう。
レンはきゅっと唇を噛むと、顔を上げた。
「すみません。俺たち、少し外の空気を吸ってきます」
ファルの手を引いて、部屋を出る。
どうしてここにファルを連れてきてしまったんだろう。
そんな後悔をしながら。
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 13
レンたちは研究所の奥へ奥へと向かうエルジュの後をひたすら追っていた。
初日の案内では訪れなかった区画で、薬品のような何かの臭いがする。
渡されたマスクと髪を覆う帽子とを身に付け、そこに白衣を纏ったエルジュについて、ようやく解剖室へと辿り着く。
「戻りました」
そう声をかけて入室したエルジュに続き、レンはそろりと中へ足を踏み入れる。
「っ……」
マスク越しにも感じた臭気に息を飲む。腐臭にような、それでいて微かに甘みのある――嗅いだことのない臭いだった。
「これ……」
「羽化に失敗した繭の、中身の臭いです」
エルジュが囁き声で説明をする。彼に、こちらへと促されて、部屋の中央へと足を向けた。
そこには人ひとりが乗りそうな台と、それを囲むように三人の所員がいた。
「……? 他のみんなは……」
レンの疑問に所員の一人が首を振った。どうやら、立ち合いをせずに帰ったようだ。
だが、台に乗せられた人物を見た時、レンは彼らの選択が正しい、と思ってしまった。
「――っ!」
思わず口元を手で覆って、飛び出しかけた悲鳴を飲み込んだ。
頭と、胴体は、確かに人のそれだ。そこだけ見れば眠っているだけのようにも見える。
しかし、その手足は――、途中で溶けて消えてしまったかのように無くなっている。右腕は肘まであるが、その先は筋肉と骨が剥き出しで、手首から先がない。左腕は肩の付け根から存在せず、右足は膝まであるものの、中の骨や肉が未形成なのか、重力に従って半液状のように広がっている。左足は足首から先が無かった。
「繭の中では、生命維持器官以外が溶ます。そして、再び肉体が形成される際は、脳や内臓といった場所から再構築されるんです」
「ああ、だから手足が……」
人間の肉体にとって重要な器官から再構成され、その後に四肢が形成される。だから、その過程で死んでしまった蝶の民は、このような状態になるのだろう。
「――では、はじめましょうか」
所員の一人が口を開き、黙祷をはじめる。レンもそれに続いて、目を閉じた。
暫しの沈黙が過ぎレンが目を開くと、台の傍にいた人々もぱらぱらと動きはじめていた。
手術で使うようなメスと鉗子、それからハサミのようなものが主な道具のようだ。
レンは邪魔をしないように一歩離れて、解剖の様子を見守る。
体表の状態などの記録を取った後は、メスが胸部や頭蓋を通り、中身が露出していく。所員はそれらを観察し、何かの長さを測ったり、細々と何かを書き付けていた。
レンはもちろん、通常の人間の解剖も見たことはないので、どこが違っていて、どこが同じなのかもよく分からない。だが、ふと疑問を覚えて隣でついていてくれるエルジュに、声を潜めて問いかけた。
「あの……、骨とかってどうなってるんです?」
ただの小さな薄い刃物でしかないメスが頭蓋骨を割き、小さなハサミが肋骨を切断する様子は、素人目にも異様だ。
切れ味がすごくいい魔導具? いや、というよりも――
「なんか、すごく柔らかそうに見える、というか」
レンがそう言うと、エルジュが頷いて答える。
「その通りです。羽化前の肉体は、平常時より脆く壊れやすい。骨も羽化寸前まで、殆ど強度がないんですよ」
「へぇ……」
蝶の民はあらためて不思議な生態をしているな、と思う。
彼らの羽化を「生まれなおし」などとも表現することはあるが、母体の胎内で行われる肉体の形成とは、まるで違うもののようだ。
その時、鉗子の一本が所員の手から滑り落ち、カシャンッと耳障りな音を立てて床にぶつかった。
「っ!?」
その音と同時に、後ろから手を掴まれて、レンはビクッと肩を跳ねさせた。
「いっ、……ファル?」
強い力で掴まれ、小さく呻きながら背後を振り返る。
俯いた彼の顔を覗き込む。
「ファル……?」
顔色が先程よりも悪い。瞳孔が開いていて、焦点が合っていなかった。
なのに、手を掴む力だけは強く、まるで……助けを求めているようだと感じてしまう。
レンはきゅっと唇を噛むと、顔を上げた。
「すみません。俺たち、少し外の空気を吸ってきます」
ファルの手を引いて、部屋を出る。
どうしてここにファルを連れてきてしまったんだろう。
そんな後悔をしながら。
2026/02/03 00:09:37
#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 12
レンたちは羽化した少年を医師へと引き継いだ後、ようやく外へと出た。
一時は生存も危ぶまれた少年だったが、今のところ大きな問題もないようだった。正確なところはこれからはっきりするだろが、エルジュによると、身体に機能面の障害が発生しているならば、既に分かる形で出ていることが多いらしい。
つまり、ひとまずは安心して良いとのことで、レンもファルもほっとしていた。
少年の家を出たあと、エルジュがすぐに通信用の魔導具で研究所と連絡を取りはじめた。小型の通信装置はまだまだ高価なものなのだが、こういった不測の事態に備えて、外回りの際には携帯を義務化されているようだった。
「――ええ、はい。彼は無事……、はい。はい……、え?」
エルジュの視線がこちらを向き、レンとファルは顔を見合わせる。
程なくして通信を終わらせたエルジュに、レンが問いかけた。
「あの、何かありましたか?」
「ええ……。……先程、研究所にてお預かりしていた繭が一人、亡くなられました」
「――っ!」
蝶の民にも、遺伝病のようなものと言えばいいのか、家系的に羽化時に問題が発生しやすい血筋の者がいるらしい。そういった人々の中には生存率を上げるために研究所内での経過観察を望む場合があるという。そんな幾人かの内の一人が亡くなった、という報告だった。
レンたちが言葉を失っていると、エルジュが静かに口を開いた。
「魔素の影響なのか……、こういった異常が同時に発生することは稀にあります。先程の彼は助けられましたが――、手を尽くしても力が及ばないこともあるのが現実です」
エルジュは通信の魔導具を鞄にしまってから、レンたちを順に見た。
「これから、死亡した被験者の解剖が行われます」
隣でファルがひゅっと息を飲んだ。
「レン、貴方は入所を希望していましたね?」
「は、はい」
「所長が体験入所者の立ち合いを許可しています。今後、貴方が研究者の道を進むのならば、見ておくべきかと」
「――はい」
羽化できずに死んでしまった被験者を見る――。そのことに、恐怖を感じないわけではなかった。
だが、エルジュの言う通りだ。目を逸らすべきではない。
レンがしっかりと頷くと、エルジュが頷き返してから、今度はファルの方を見た。
「ファル」
「…………はい」
彼は見るからに青褪めていて、顔色が悪かった。
「これは、体験入所のプログラムには含まれていません。立ち合いを希望しないのであれば、ここで帰っても何も問題ありませんよ。……どうしますか」
「ファル……」
レンの名を呼ぶ声も聞こえていないのか、ファルは青い顔のままエルジュを見ていた。
このまま帰った方がいいのではないか。
レンはそう思ったが、ファルは不意にぎゅっと目を閉じて息をはくと、再び顔を上げた。
「……行きます」
エルジュの目が少しだけ見開かれる。彼もレンと同じく、帰宅を選択すると予測していたのだろう。
だが、ファルの覚悟をした目を見て、二度は聞かなかった。
「わかりました。では二人とも、戻りましょう」
足早に研究所への道を戻るエルジュの後を追う。
レンはファルに何も声をかけられぬまま、無言で歩を進めるのだった。
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 12
レンたちは羽化した少年を医師へと引き継いだ後、ようやく外へと出た。
一時は生存も危ぶまれた少年だったが、今のところ大きな問題もないようだった。正確なところはこれからはっきりするだろが、エルジュによると、身体に機能面の障害が発生しているならば、既に分かる形で出ていることが多いらしい。
つまり、ひとまずは安心して良いとのことで、レンもファルもほっとしていた。
少年の家を出たあと、エルジュがすぐに通信用の魔導具で研究所と連絡を取りはじめた。小型の通信装置はまだまだ高価なものなのだが、こういった不測の事態に備えて、外回りの際には携帯を義務化されているようだった。
「――ええ、はい。彼は無事……、はい。はい……、え?」
エルジュの視線がこちらを向き、レンとファルは顔を見合わせる。
程なくして通信を終わらせたエルジュに、レンが問いかけた。
「あの、何かありましたか?」
「ええ……。……先程、研究所にてお預かりしていた繭が一人、亡くなられました」
「――っ!」
蝶の民にも、遺伝病のようなものと言えばいいのか、家系的に羽化時に問題が発生しやすい血筋の者がいるらしい。そういった人々の中には生存率を上げるために研究所内での経過観察を望む場合があるという。そんな幾人かの内の一人が亡くなった、という報告だった。
レンたちが言葉を失っていると、エルジュが静かに口を開いた。
「魔素の影響なのか……、こういった異常が同時に発生することは稀にあります。先程の彼は助けられましたが――、手を尽くしても力が及ばないこともあるのが現実です」
エルジュは通信の魔導具を鞄にしまってから、レンたちを順に見た。
「これから、死亡した被験者の解剖が行われます」
隣でファルがひゅっと息を飲んだ。
「レン、貴方は入所を希望していましたね?」
「は、はい」
「所長が体験入所者の立ち合いを許可しています。今後、貴方が研究者の道を進むのならば、見ておくべきかと」
「――はい」
羽化できずに死んでしまった被験者を見る――。そのことに、恐怖を感じないわけではなかった。
だが、エルジュの言う通りだ。目を逸らすべきではない。
レンがしっかりと頷くと、エルジュが頷き返してから、今度はファルの方を見た。
「ファル」
「…………はい」
彼は見るからに青褪めていて、顔色が悪かった。
「これは、体験入所のプログラムには含まれていません。立ち合いを希望しないのであれば、ここで帰っても何も問題ありませんよ。……どうしますか」
「ファル……」
レンの名を呼ぶ声も聞こえていないのか、ファルは青い顔のままエルジュを見ていた。
このまま帰った方がいいのではないか。
レンはそう思ったが、ファルは不意にぎゅっと目を閉じて息をはくと、再び顔を上げた。
「……行きます」
エルジュの目が少しだけ見開かれる。彼もレンと同じく、帰宅を選択すると予測していたのだろう。
だが、ファルの覚悟をした目を見て、二度は聞かなかった。
「わかりました。では二人とも、戻りましょう」
足早に研究所への道を戻るエルジュの後を追う。
レンはファルに何も声をかけられぬまま、無言で歩を進めるのだった。
2026/02/03 00:08:19
#誓約の姫 分岐2-A
A:「じゃあ、部屋で刺繍でもしているわ」
//背景:主人公部屋・夕
マリアはオリヴィエの用意してくれた刺繍に取りかかった。
感嘆されるほど上手くもなければ、何を刺しているか分からないほど下手でもない、いたって普通の腕前だが、ぼんやり考え事をするには、丁度いい。
季節に合わせて、落ち葉でも刺そうかと、橙色の糸を手に取ったところで、エゼルが茶器を持って、部屋に入ってきた。
マリア「ありがとう、エゼル。昼間はほとんど残してしまってごめんなさいね」
エゼル「いえ。お嬢様の責任ではございませんので」
それきりエゼルは黙ってしまったが、今はその沈黙が妙に心地よかった。
茶を注ぐ音が止まり、そっとカップが傍に置かれる。
マリアは、退室しようとするエゼルの背中に声をかけた。
マリア「ねぇ、エゼル」
エゼル「はい」
彼が足を止めて振り返る。
マリア「私、王太子殿下と婚約したの」
エゼル「はい」
マリア「知ってた?」
エゼル「はい」
坦々とした返答に、マリアはどこか落ち着かないものを感じて、問いを重ねた。
マリア「皆、知っていたのかしら」
エゼル「『皆』が、どの範囲を示すのかは分かりませんが、おそらく」
マリア「……お父様も、以前から知っていらっしゃったのよね」
エゼル「家長である旦那様がご存じないとは考えられかねます」
マリア「そうよね……」
マリア「どうして、教えてくれなかったのだと思う……?」
エゼル「…………」
エゼル
「旦那様のご配慮かと。確定事項でないことをお耳に入れて、お嬢様を混乱させたくなかったのでは、と愚考いたします。旦那様は……、お嬢様のことを、大切に思っていらっしゃいますから
分岐2-1
A:「そうだと……、嬉しいわね」
B:「……そうかしら」
分岐2-1-A
A:「そうだと……、嬉しいわね」
エゼル「きっと、そうです」
マリア(今、エゼルが笑った……?)
//エゼル:通常
マリア(気のせい、かしら……?)
珍しい彼の表情に、呆然としていたマリアは、自分が針を持っていたことを忘れてしまっていた。
マリア「――――いっ!」
思い出したのは、指先に鋭い痛みが走った後だ。
エゼル「お嬢様!」
マリア「え……」
//スチル:執事ルート分岐前(血の滲んだマリアの指先に、ハンカチを当てるエゼル)
マリア「あ、あの、エゼル……」
彼があんな声を出したのを聞いたのは、初めてかもしれない。指先にぷくりと浮かぶ血よりも、そちらの方に驚いて、固まってしまう。
エゼル「失礼いたしました。すぐに手当てを」
エゼルはサッと立ち上がると、手当ての道具を持ってくると言って、部屋を立ち去った。
マリア「……今日は、珍しいことばかりだわ」
不思議なことをあるものだと、マリアはエゼルが戻ってくるまでの間、ぼんやりと彼が出て行った扉を見つめていた。
分岐2-1-B
B:「……そうかしら」
マリア「王太子妃なんていう荷の重いもの、私が嫌がるとでも思ったのではないかしら……」
エゼル「…………、質問は以上でしょうか」
マリア「え、ええ。ごめんなさい。呼び止めてしまって」
エゼル「いえ。それでは、失礼いたします」
立ち去っていくエゼルを見送り、マリアは小さく溜息をついた。
マリア「もう少し、打ち解けてほしい……。そう思うのは、我儘なのかしら」
マリアは一人になった部屋で、刺繍を再開した。
A:「じゃあ、部屋で刺繍でもしているわ」
//背景:主人公部屋・夕
マリアはオリヴィエの用意してくれた刺繍に取りかかった。
感嘆されるほど上手くもなければ、何を刺しているか分からないほど下手でもない、いたって普通の腕前だが、ぼんやり考え事をするには、丁度いい。
季節に合わせて、落ち葉でも刺そうかと、橙色の糸を手に取ったところで、エゼルが茶器を持って、部屋に入ってきた。
マリア「ありがとう、エゼル。昼間はほとんど残してしまってごめんなさいね」
エゼル「いえ。お嬢様の責任ではございませんので」
それきりエゼルは黙ってしまったが、今はその沈黙が妙に心地よかった。
茶を注ぐ音が止まり、そっとカップが傍に置かれる。
マリアは、退室しようとするエゼルの背中に声をかけた。
マリア「ねぇ、エゼル」
エゼル「はい」
彼が足を止めて振り返る。
マリア「私、王太子殿下と婚約したの」
エゼル「はい」
マリア「知ってた?」
エゼル「はい」
坦々とした返答に、マリアはどこか落ち着かないものを感じて、問いを重ねた。
マリア「皆、知っていたのかしら」
エゼル「『皆』が、どの範囲を示すのかは分かりませんが、おそらく」
マリア「……お父様も、以前から知っていらっしゃったのよね」
エゼル「家長である旦那様がご存じないとは考えられかねます」
マリア「そうよね……」
マリア「どうして、教えてくれなかったのだと思う……?」
エゼル「…………」
エゼル
「旦那様のご配慮かと。確定事項でないことをお耳に入れて、お嬢様を混乱させたくなかったのでは、と愚考いたします。旦那様は……、お嬢様のことを、大切に思っていらっしゃいますから
分岐2-1
A:「そうだと……、嬉しいわね」
B:「……そうかしら」
分岐2-1-A
A:「そうだと……、嬉しいわね」
エゼル「きっと、そうです」
マリア(今、エゼルが笑った……?)
//エゼル:通常
マリア(気のせい、かしら……?)
珍しい彼の表情に、呆然としていたマリアは、自分が針を持っていたことを忘れてしまっていた。
マリア「――――いっ!」
思い出したのは、指先に鋭い痛みが走った後だ。
エゼル「お嬢様!」
マリア「え……」
//スチル:執事ルート分岐前(血の滲んだマリアの指先に、ハンカチを当てるエゼル)
マリア「あ、あの、エゼル……」
彼があんな声を出したのを聞いたのは、初めてかもしれない。指先にぷくりと浮かぶ血よりも、そちらの方に驚いて、固まってしまう。
エゼル「失礼いたしました。すぐに手当てを」
エゼルはサッと立ち上がると、手当ての道具を持ってくると言って、部屋を立ち去った。
マリア「……今日は、珍しいことばかりだわ」
不思議なことをあるものだと、マリアはエゼルが戻ってくるまでの間、ぼんやりと彼が出て行った扉を見つめていた。
分岐2-1-B
B:「……そうかしら」
マリア「王太子妃なんていう荷の重いもの、私が嫌がるとでも思ったのではないかしら……」
エゼル「…………、質問は以上でしょうか」
マリア「え、ええ。ごめんなさい。呼び止めてしまって」
エゼル「いえ。それでは、失礼いたします」
立ち去っていくエゼルを見送り、マリアは小さく溜息をついた。
マリア「もう少し、打ち解けてほしい……。そう思うのは、我儘なのかしら」
マリアは一人になった部屋で、刺繍を再開した。
2026/02/01 15:26:00
#誓約の姫 政略結婚について
//背景:主人公部屋・夕
オリヴィエ「お帰りなさいませ、お嬢様」
マリア「オリヴィエ……」
自邸へと戻ってきたマリアは、オリヴィエの笑顔にほっとしたような、泣きたいような気持ちになる。
マリア「みんな、今回のこと知っていたのね?」
オリヴィエ「……そう、ですね。王太子殿下の想いに、気付いてらっしゃった方は多いかと」
マリア「私、全く知らなかったわ……」
オリヴィエ「お嬢様……」
どこか、自分だけが置いて行かれたような。
マリアはそんな気持ちでいっぱいだった。
ハインからの言葉も、上手く呑み込めないままだ。彼の言葉は優しかったけれど、一言も「断っていい」とは言わなかった。
王太子と公爵家の縁談。これは紛れもない「政略結婚」で、そこにマリア個人の意思は関係ない。
マリア「…………」
オリヴィエ「お嬢様」
マリア「なあに?」
オリヴィエ「王太子殿下との婚姻は……、お嫌ですか?」
マリア「……!」
分岐1
A:「……仕方がないことよ」
B:「正直に言うならば、嫌……なのかもしれないわ」
分岐1-A
A:「……仕方がないことよ」
マリア「だってそうでしょう?お父様が決めたことだもの」
オリヴィエ「そんな……」
マリア「いいのよ、オリヴィエ」
マリア「それに、王太子殿下に望まれて嫁ぐことができるだなんて、きっと幸せなことだわ」
それに彼は知らぬ相手でもない。誰とも知れぬ人間を夫にするよりは、よほど幸せになれるはずだ。
ただ、自身の気持ちが付いて来ていない、というだけで。
分岐1-B
B:「正直に言うならば、嫌……なのかもしれないわ」
マリア「だって、これまで一度だって、ハイン殿下のことを、そんな風に見たことがないのだもの……」
よく考えれば、公爵家の姫として王太子に嫁ぐ、というのは特段奇異なことではない。
だが、そのことを意識せずに来たのは、国王の妹――当時は王女だった母が、アシュフォード家に降嫁しており、マリアまで王家に嫁げば、この家があまりに王家と近くなってしまう、と危惧されていたからだ。
しかしハインは、それを押してまで、自身を妃にと望んでくれた――。
そのこと自体は「嫌」ではないけれど、これからどう変わっていってしまうのか、それが分からなくて、少し怖い……。
分岐終了
オリヴィエ「お嬢様……」
オリヴィエ「そうです。少し気晴らしでもなさったらいかがでしょう?」
マリア「そうね……」
分岐2
A:「じゃあ、部屋で刺繍でもしているわ」
B:「だったら、少し庭を散歩でもしようかしら」
C:「でも今日は疲れたから、もう休むわね」
オリヴィエ「わかりました。では、お支度を――」
//背景:主人公部屋・夕
オリヴィエ「お帰りなさいませ、お嬢様」
マリア「オリヴィエ……」
自邸へと戻ってきたマリアは、オリヴィエの笑顔にほっとしたような、泣きたいような気持ちになる。
マリア「みんな、今回のこと知っていたのね?」
オリヴィエ「……そう、ですね。王太子殿下の想いに、気付いてらっしゃった方は多いかと」
マリア「私、全く知らなかったわ……」
オリヴィエ「お嬢様……」
どこか、自分だけが置いて行かれたような。
マリアはそんな気持ちでいっぱいだった。
ハインからの言葉も、上手く呑み込めないままだ。彼の言葉は優しかったけれど、一言も「断っていい」とは言わなかった。
王太子と公爵家の縁談。これは紛れもない「政略結婚」で、そこにマリア個人の意思は関係ない。
マリア「…………」
オリヴィエ「お嬢様」
マリア「なあに?」
オリヴィエ「王太子殿下との婚姻は……、お嫌ですか?」
マリア「……!」
分岐1
A:「……仕方がないことよ」
B:「正直に言うならば、嫌……なのかもしれないわ」
分岐1-A
A:「……仕方がないことよ」
マリア「だってそうでしょう?お父様が決めたことだもの」
オリヴィエ「そんな……」
マリア「いいのよ、オリヴィエ」
マリア「それに、王太子殿下に望まれて嫁ぐことができるだなんて、きっと幸せなことだわ」
それに彼は知らぬ相手でもない。誰とも知れぬ人間を夫にするよりは、よほど幸せになれるはずだ。
ただ、自身の気持ちが付いて来ていない、というだけで。
分岐1-B
B:「正直に言うならば、嫌……なのかもしれないわ」
マリア「だって、これまで一度だって、ハイン殿下のことを、そんな風に見たことがないのだもの……」
よく考えれば、公爵家の姫として王太子に嫁ぐ、というのは特段奇異なことではない。
だが、そのことを意識せずに来たのは、国王の妹――当時は王女だった母が、アシュフォード家に降嫁しており、マリアまで王家に嫁げば、この家があまりに王家と近くなってしまう、と危惧されていたからだ。
しかしハインは、それを押してまで、自身を妃にと望んでくれた――。
そのこと自体は「嫌」ではないけれど、これからどう変わっていってしまうのか、それが分からなくて、少し怖い……。
分岐終了
オリヴィエ「お嬢様……」
オリヴィエ「そうです。少し気晴らしでもなさったらいかがでしょう?」
マリア「そうね……」
分岐2
A:「じゃあ、部屋で刺繍でもしているわ」
B:「だったら、少し庭を散歩でもしようかしら」
C:「でも今日は疲れたから、もう休むわね」
オリヴィエ「わかりました。では、お支度を――」
2026/02/01 15:11:10
#誓約の姫 オープニング4
//背景:王宮・応接室・昼
ウィルに連れられ、マリアが辿り着いたのは、国王の私的な応接室だった。
扉の前でウィルと別れ、一人室内に足を踏み入れて、今に至る。
マリア「アシュフォード公爵家が一女マリアが、国王陛下、並びに王太子殿下にご挨拶申し上げます」
数年ぶりにこれほど間近で顔を合わせた二人に、マリアが頭を下げると、王太子ハインがパッと立ち上がった。
ハイン「久し振りだね、マリア! そう堅苦しくしなくていいよ。さあ、顔を上げて」
マリア「お、お久し振りです、殿下」
ハイン「本当にね。変わりないようで安心したよ」
マリア「はい、殿下も……」
ハインにどうしてか、ぎゅっと手を握られて、マリアは少々困惑する。
マリア「あ、あの……。少し近い、ような……?」
ロベルト「ああ、それなんだがな、マリア――」
ハイン「アシュフォード卿」
ハイン「それは、僕の口から言わせてください」
マリア「?」
提案にロベルトが頷くと、ハインはもったいつけるように咳払いをしてから言った。
ハイン「マリア」
マリア「は、はい」
ハイン「僕と君との婚約が、ついに正式に決まった」
マリア「え……」
ハイン「王妹を母に持つ君とは、血が近すぎるんじゃないか、って周囲に渋られていたんだけどね。やっと説得できたんだ。僕の奥さんは君が良かったから」
マリア「え、えっと……」
突然の事態におろおろしていると、ハインが苦笑しながら握っていた手を離した。
ハイン「ごめん、突然だったよね。でも、絶対幸せにする。だから、実際に籍を入れるその日までに、ゆっくり心の準備をしてほしい」
マリア「……はい」
あまりにことに困惑して、マリアはそう答えるので精一杯だった。
//背景:王宮・応接室・昼
ウィルに連れられ、マリアが辿り着いたのは、国王の私的な応接室だった。
扉の前でウィルと別れ、一人室内に足を踏み入れて、今に至る。
マリア「アシュフォード公爵家が一女マリアが、国王陛下、並びに王太子殿下にご挨拶申し上げます」
数年ぶりにこれほど間近で顔を合わせた二人に、マリアが頭を下げると、王太子ハインがパッと立ち上がった。
ハイン「久し振りだね、マリア! そう堅苦しくしなくていいよ。さあ、顔を上げて」
マリア「お、お久し振りです、殿下」
ハイン「本当にね。変わりないようで安心したよ」
マリア「はい、殿下も……」
ハインにどうしてか、ぎゅっと手を握られて、マリアは少々困惑する。
マリア「あ、あの……。少し近い、ような……?」
ロベルト「ああ、それなんだがな、マリア――」
ハイン「アシュフォード卿」
ハイン「それは、僕の口から言わせてください」
マリア「?」
提案にロベルトが頷くと、ハインはもったいつけるように咳払いをしてから言った。
ハイン「マリア」
マリア「は、はい」
ハイン「僕と君との婚約が、ついに正式に決まった」
マリア「え……」
ハイン「王妹を母に持つ君とは、血が近すぎるんじゃないか、って周囲に渋られていたんだけどね。やっと説得できたんだ。僕の奥さんは君が良かったから」
マリア「え、えっと……」
突然の事態におろおろしていると、ハインが苦笑しながら握っていた手を離した。
ハイン「ごめん、突然だったよね。でも、絶対幸せにする。だから、実際に籍を入れるその日までに、ゆっくり心の準備をしてほしい」
マリア「……はい」
あまりにことに困惑して、マリアはそう答えるので精一杯だった。
2026/02/01 15:03:58
#誓約の姫 オープニング3
//背景:王宮・廊下・昼
マリア(随分と久し振りに来た気がするわ……)
ロベルトの後を追いながら歩くマリアは、視線だけを動かしながら、周囲を見渡す。幼少期は従兄でもある王太子と遊ぶため、頻繁に訪れていたものだが、ここ数年はさっぱりだった。
ロベルト「おや。ウィルくんじゃないか」
ウィル「これは、ご無沙汰しております。アシュフォード卿。それから、マリア姫も」
マリア「え、えぇ……」
ウィル「本日はどうなさったのですか、卿?」
ロベルト「いや、実は『あの件』が正式に決まったそうでね」
ウィル「!」
マリア(……『あの件』?)
ウィル「……そうでしたか。それは、急ぎ参内されるのも納得です。ですが……」
ウィルがこちらに視線を向ける。
ウィル「それならば、いきなり姫同席の元にお話しなさるのは、些か急が過ぎるのでは? 見たところ、姫にはまだ何も仰っていないようですし」
ロベルト「う、うむ……。たしかに」
ウィル「ひとまず、卿だけでお話なされては? 頃合いを見て、俺が姫をお連れしますよ」
ロベルト「…………」
ウィルの提案に、しばし悩む様子を見せたロベルトだったが、次の瞬間には笑顔で顔を上げた。
ロベルト「そうだな。では、ウィルくんの言う通りにしよう! 君ならば、安心できる」
ロベルト「ではマリア、ウィルく――、おっと……、王宮に仕える騎士殿をいつまでも「くん」呼びするのは失礼だった。アルジェリス卿と後から来なさい」
マリア「あっ、お父様!?」
さっさと立ち去っていったロベルトを、マリアは呆然と見送るしかできなかった。
マリア「…………」
マリア「……それで、どうして父を遠ざけましたの?」
ウィル「ん? 何のことだ?」
先程までとは打って変わり、気安い態度になったウィルに、マリアは肩を竦めた。
マリア「とぼけるなら……、まあいいです」
マリア「貴方とも随分お久し振りですね、ウィル様」
ウィル「まあ、ガキの頃とは違うからな」
マリア「そうですね」
ウィルとは、いわゆる「幼馴染」だ。
とはいっても、狭い貴族社会で年回りの近い、家格も近い子供たちが顔見知りなのは、当然と言えば当然だ。結婚を意識するような年回りに近付くごとに交流は薄くなって、こうして顔を合わせたのは何年ぶりだろう。
マリア「騎士になった、って聞いてましたけど……。こうしてみると、なかなか板についていますね」
ウィル「まぁな。そういうお前も、すっかり『淑女』だな」
ウィル「馬子にも衣装?」
マリア「……バカにしてます?」
ウィル「ハハ、冗談冗談。あんま怒んなよ。かわいい顔が台無しだぜ?」
ぽんぽんと頭に乗せられた手に、ますますムッとする。
マリア「もう、いっつも子ども扱いして……。それより、そろそろ行かなくて良いのですか? 何の話なのかは知りませんが、私にも関係のあるお話なのでしょう? あまり、お待たせしては――」
ウィル「…………」
マリア「な、なんですか……?」
ウィル「……いや、なんでも。そんな時期か、って思ってさ」
マリア「え?」
ウィル「なんでもねーよ。行こうか、マリアの言う通り、あんまり陛下をお待たせするのもな」
マリア「あっ、ま、待ってください……!」
マリア(どういう意味……?)
しかし、ウィルがその疑問に答えてくれることはなく、あっという間に、国王の待つ部屋へと連れていかれたのだった。
//背景:王宮・廊下・昼
マリア(随分と久し振りに来た気がするわ……)
ロベルトの後を追いながら歩くマリアは、視線だけを動かしながら、周囲を見渡す。幼少期は従兄でもある王太子と遊ぶため、頻繁に訪れていたものだが、ここ数年はさっぱりだった。
ロベルト「おや。ウィルくんじゃないか」
ウィル「これは、ご無沙汰しております。アシュフォード卿。それから、マリア姫も」
マリア「え、えぇ……」
ウィル「本日はどうなさったのですか、卿?」
ロベルト「いや、実は『あの件』が正式に決まったそうでね」
ウィル「!」
マリア(……『あの件』?)
ウィル「……そうでしたか。それは、急ぎ参内されるのも納得です。ですが……」
ウィルがこちらに視線を向ける。
ウィル「それならば、いきなり姫同席の元にお話しなさるのは、些か急が過ぎるのでは? 見たところ、姫にはまだ何も仰っていないようですし」
ロベルト「う、うむ……。たしかに」
ウィル「ひとまず、卿だけでお話なされては? 頃合いを見て、俺が姫をお連れしますよ」
ロベルト「…………」
ウィルの提案に、しばし悩む様子を見せたロベルトだったが、次の瞬間には笑顔で顔を上げた。
ロベルト「そうだな。では、ウィルくんの言う通りにしよう! 君ならば、安心できる」
ロベルト「ではマリア、ウィルく――、おっと……、王宮に仕える騎士殿をいつまでも「くん」呼びするのは失礼だった。アルジェリス卿と後から来なさい」
マリア「あっ、お父様!?」
さっさと立ち去っていったロベルトを、マリアは呆然と見送るしかできなかった。
マリア「…………」
マリア「……それで、どうして父を遠ざけましたの?」
ウィル「ん? 何のことだ?」
先程までとは打って変わり、気安い態度になったウィルに、マリアは肩を竦めた。
マリア「とぼけるなら……、まあいいです」
マリア「貴方とも随分お久し振りですね、ウィル様」
ウィル「まあ、ガキの頃とは違うからな」
マリア「そうですね」
ウィルとは、いわゆる「幼馴染」だ。
とはいっても、狭い貴族社会で年回りの近い、家格も近い子供たちが顔見知りなのは、当然と言えば当然だ。結婚を意識するような年回りに近付くごとに交流は薄くなって、こうして顔を合わせたのは何年ぶりだろう。
マリア「騎士になった、って聞いてましたけど……。こうしてみると、なかなか板についていますね」
ウィル「まぁな。そういうお前も、すっかり『淑女』だな」
ウィル「馬子にも衣装?」
マリア「……バカにしてます?」
ウィル「ハハ、冗談冗談。あんま怒んなよ。かわいい顔が台無しだぜ?」
ぽんぽんと頭に乗せられた手に、ますますムッとする。
マリア「もう、いっつも子ども扱いして……。それより、そろそろ行かなくて良いのですか? 何の話なのかは知りませんが、私にも関係のあるお話なのでしょう? あまり、お待たせしては――」
ウィル「…………」
マリア「な、なんですか……?」
ウィル「……いや、なんでも。そんな時期か、って思ってさ」
マリア「え?」
ウィル「なんでもねーよ。行こうか、マリアの言う通り、あんまり陛下をお待たせするのもな」
マリア「あっ、ま、待ってください……!」
マリア(どういう意味……?)
しかし、ウィルがその疑問に答えてくれることはなく、あっという間に、国王の待つ部屋へと連れていかれたのだった。
2026/02/01 15:00:32
#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 11
あの後、ファルと再び込み入った話をする間もないまま、夜が明ける。
この日も、前日とは別の被験者の元へ行くことになっており、ファルと二人エルジュの後を追って、現場へと向かった。
昨日はかなり安定している被験者だったが、今日訪ねるのは経過観察に注意を払わねばならない対象だそうだった。
とはいっても、研究所の所員でもない部外者を連れていけるくらいなので、差し迫った何かは無い――と、聞かされていた。
しかし。
被験者宅に辿り着いた時、エルジュがドアベルを押すよりも早く、その扉が内側から開いた。
「――エルジュさん! 丁度良かった、今研究所に連絡しようと……!」
開け放たれた玄関から現れた男性は、エルジュの姿に余程安堵したのか、涙目になっている。
そんな男の様子に、表情を引き締めたのはエルジュだ。
「何がありました」
「繭が……、息子の繭が、黒く――!」
息を飲んだエルジュは、慌てて家の中へと駆けていく。
レンたちも逡巡したものの、玄関先に突っ立っていても仕方がないと、彼の後を追った。
廊下を幾度か曲がり、部屋へ入る。
そこには、立ち竦むエルジュと――繭があった。
だが、昨日見たものとはまるで違う。
輝くほど真っ白だった繭とは似ても似つかぬほど、そこにあるのは、ダークグレーに黒ずんでいる。心なしか表面もごわついて見えた。
「こんな、急に……」
呆然とエルジュが呟く。
「――っ、レン、ファル」
振り向いたエルジュが、レンたちの名を呼んだ。
「貴方たち、魔法は?」
「つ、使えます」
レンが答え、ファルも隣で頷いている。
「ならば魔素の操作もできますね。来てください、彼を羽化させます」
「えっ!?」
思わず声を上げたのはレンだけだったが、ファルも驚愕に目を見開いていた。
「で、でも、外から強制的に羽化させるなんて……」
繭に近付くエルジュの背に問いかけると、彼は立ち止まって振り返る。そして、シャツのカフスボタンを外し、袖を捲った。
「やらねば、彼がそのまま死ぬだけです」
それだけ言うと、またレンたちに背を向けて、繭の方へ向かった。
蛹期の蝶の民は非常に繊細――。それを承知の上で外圧をかけるなど、普通ならあり得ない。
だがエルジュが言うのだから、このまま放置しても中の人間が死んでしまうだけなのだろう。
それを分かっていても、足が竦んで動かない。
その時、隣からぽんと肩に手が乗せられる。
「……ファル」
「やろう。僕たちしかいないんだ」
そんなことを言うファルの手は、小刻みに震えていた。
当然だ。彼は助けるためでない繭へ手を加える様を、間近で見ている。
自分よりも余程、怖いはずだ。
「――そうだな。俺たちがやらなきゃな」
レンはファルの震える手に、自分のそれを重ねて笑った。
「何をすればいいですか!」
二人で繭に近付きながら、エルジュに問いかける。
彼は少しほっとしたように表情を緩めて、繭を指差した。
「まず、揺らさないように手を当てて。それから、魔法を使う時の要領で、中に魔素を流してください」
頷いて指示に従い、黒ずんだ繭に手を当てる。
やはり、昨日のものよりごわごわとしていて、生気が薄い気がした。
「――その後はどうすれば?」
おそるおそる魔素を流しはじめながら問いかける。
「暫くそのままで。これは蛹期の経過を強制的に早める行為です。一定程度魔素を吸収すれば羽化が――、はじまりましたね」
エルジュが手を離したのに合わせて、レンとファルも繭から手を離す。
程なくして、パリパリという小さな音と共に、繭にヒビが入る。そして、繭が裂けはじめると同時に、天井に張り付いていた糸が少しずつ剥がれて繭が床にゆっくり着地する。
そこまで見届けたエルジュは、安堵の息をついてレンたちに手を振った。
「もう大丈夫です。少し離れてあげて」
「は、はい」
繭の裂け目が大きくなる。
そして、中からのそりと一人の青年が身体を起こした。
彼が不思議そうに目を瞬かせると、エルジュがゆっくりと近付いて片膝をついた。
「羽化おめでとう。身体の調子はいかがですか?」
「……えっと」
ポツポツと青年がエルジュの質問に答えるのを横目に、レンは隣に立つファルの様子を窺った。
「――ファル」
「あ……」
青白い顔をした彼の手を、暖めるように両手で握りしめる。
「もう終わった。あの子も元気だよ」
「…………うん」
ファルは力が抜けたように、レンの肩に頭を預けて息をついた。
そんな彼の頭をよしよしと撫でて、レンもようやく一息ついたのだった。
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 11
あの後、ファルと再び込み入った話をする間もないまま、夜が明ける。
この日も、前日とは別の被験者の元へ行くことになっており、ファルと二人エルジュの後を追って、現場へと向かった。
昨日はかなり安定している被験者だったが、今日訪ねるのは経過観察に注意を払わねばならない対象だそうだった。
とはいっても、研究所の所員でもない部外者を連れていけるくらいなので、差し迫った何かは無い――と、聞かされていた。
しかし。
被験者宅に辿り着いた時、エルジュがドアベルを押すよりも早く、その扉が内側から開いた。
「――エルジュさん! 丁度良かった、今研究所に連絡しようと……!」
開け放たれた玄関から現れた男性は、エルジュの姿に余程安堵したのか、涙目になっている。
そんな男の様子に、表情を引き締めたのはエルジュだ。
「何がありました」
「繭が……、息子の繭が、黒く――!」
息を飲んだエルジュは、慌てて家の中へと駆けていく。
レンたちも逡巡したものの、玄関先に突っ立っていても仕方がないと、彼の後を追った。
廊下を幾度か曲がり、部屋へ入る。
そこには、立ち竦むエルジュと――繭があった。
だが、昨日見たものとはまるで違う。
輝くほど真っ白だった繭とは似ても似つかぬほど、そこにあるのは、ダークグレーに黒ずんでいる。心なしか表面もごわついて見えた。
「こんな、急に……」
呆然とエルジュが呟く。
「――っ、レン、ファル」
振り向いたエルジュが、レンたちの名を呼んだ。
「貴方たち、魔法は?」
「つ、使えます」
レンが答え、ファルも隣で頷いている。
「ならば魔素の操作もできますね。来てください、彼を羽化させます」
「えっ!?」
思わず声を上げたのはレンだけだったが、ファルも驚愕に目を見開いていた。
「で、でも、外から強制的に羽化させるなんて……」
繭に近付くエルジュの背に問いかけると、彼は立ち止まって振り返る。そして、シャツのカフスボタンを外し、袖を捲った。
「やらねば、彼がそのまま死ぬだけです」
それだけ言うと、またレンたちに背を向けて、繭の方へ向かった。
蛹期の蝶の民は非常に繊細――。それを承知の上で外圧をかけるなど、普通ならあり得ない。
だがエルジュが言うのだから、このまま放置しても中の人間が死んでしまうだけなのだろう。
それを分かっていても、足が竦んで動かない。
その時、隣からぽんと肩に手が乗せられる。
「……ファル」
「やろう。僕たちしかいないんだ」
そんなことを言うファルの手は、小刻みに震えていた。
当然だ。彼は助けるためでない繭へ手を加える様を、間近で見ている。
自分よりも余程、怖いはずだ。
「――そうだな。俺たちがやらなきゃな」
レンはファルの震える手に、自分のそれを重ねて笑った。
「何をすればいいですか!」
二人で繭に近付きながら、エルジュに問いかける。
彼は少しほっとしたように表情を緩めて、繭を指差した。
「まず、揺らさないように手を当てて。それから、魔法を使う時の要領で、中に魔素を流してください」
頷いて指示に従い、黒ずんだ繭に手を当てる。
やはり、昨日のものよりごわごわとしていて、生気が薄い気がした。
「――その後はどうすれば?」
おそるおそる魔素を流しはじめながら問いかける。
「暫くそのままで。これは蛹期の経過を強制的に早める行為です。一定程度魔素を吸収すれば羽化が――、はじまりましたね」
エルジュが手を離したのに合わせて、レンとファルも繭から手を離す。
程なくして、パリパリという小さな音と共に、繭にヒビが入る。そして、繭が裂けはじめると同時に、天井に張り付いていた糸が少しずつ剥がれて繭が床にゆっくり着地する。
そこまで見届けたエルジュは、安堵の息をついてレンたちに手を振った。
「もう大丈夫です。少し離れてあげて」
「は、はい」
繭の裂け目が大きくなる。
そして、中からのそりと一人の青年が身体を起こした。
彼が不思議そうに目を瞬かせると、エルジュがゆっくりと近付いて片膝をついた。
「羽化おめでとう。身体の調子はいかがですか?」
「……えっと」
ポツポツと青年がエルジュの質問に答えるのを横目に、レンは隣に立つファルの様子を窺った。
「――ファル」
「あ……」
青白い顔をした彼の手を、暖めるように両手で握りしめる。
「もう終わった。あの子も元気だよ」
「…………うん」
ファルは力が抜けたように、レンの肩に頭を預けて息をついた。
そんな彼の頭をよしよしと撫でて、レンもようやく一息ついたのだった。
2026/02/01 14:53:15
#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 10
研究所に戻ったレンとファルは、他の参加者の戻りを待ちながら、体験入所の日報を纏めていた。
「やばい、紙足りないんだけど」
「ぶふっ……」
次第に狭くなっていく自由記述欄にレンが呟くと、ファルが吹き出して肩を震わせる。
「わ、笑うなよぉ……」
「いいじゃないか。『以下、別紙』で続き書けば」
半笑いのままの提案に、「それしかないか」と考えつつ、手元は止まったままのファルの様子を窺う。
「……な、やっぱキツかった?」
主語のない問いに、ファルがこてと首を傾げた。だが、暫くして何についての問いなのか理解したらしく、一転して呆れ顔を浮かべた。
「そういうんじゃない、って言っただろ」
「でも」
「本当に違うから。ただ――」
ファルは一度言葉を切ると、周囲を気にするように視線を巡らせて、レン以外誰もいないのを確認すると、声を潜めて続けた。
「『普通の繭』はあんなに綺麗なんだな、っていうのと――。あと、僕は『普通』じゃないからな……。本当に羽化できるのか、って」
「ファル……」
レンは何と返してよいか分からず、思わず黙ってしまう。
彼が見てきたのであろう「普通ではない繭」とは、一体どんなものだったのだろうか。そして、それらを間近で見ていざるを得なかった幼少期のファルはどれほど――。
軽々しく慰めを口にすることもできずにいると、俄に部屋の外が騒がしくなった。
「みんな戻ってきたみたいだな」
「……だな」
何事もなかったかのように言うファルに、レンはぎこちない笑みを返す。
これ以上の話をここでするわけにはいかない。
日報に目を落としたファルに倣うように、レンも手元を見る。
だが、集中などできるはずもなく、ペンを持つ手は一向に動いてくれなかった。
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 10
研究所に戻ったレンとファルは、他の参加者の戻りを待ちながら、体験入所の日報を纏めていた。
「やばい、紙足りないんだけど」
「ぶふっ……」
次第に狭くなっていく自由記述欄にレンが呟くと、ファルが吹き出して肩を震わせる。
「わ、笑うなよぉ……」
「いいじゃないか。『以下、別紙』で続き書けば」
半笑いのままの提案に、「それしかないか」と考えつつ、手元は止まったままのファルの様子を窺う。
「……な、やっぱキツかった?」
主語のない問いに、ファルがこてと首を傾げた。だが、暫くして何についての問いなのか理解したらしく、一転して呆れ顔を浮かべた。
「そういうんじゃない、って言っただろ」
「でも」
「本当に違うから。ただ――」
ファルは一度言葉を切ると、周囲を気にするように視線を巡らせて、レン以外誰もいないのを確認すると、声を潜めて続けた。
「『普通の繭』はあんなに綺麗なんだな、っていうのと――。あと、僕は『普通』じゃないからな……。本当に羽化できるのか、って」
「ファル……」
レンは何と返してよいか分からず、思わず黙ってしまう。
彼が見てきたのであろう「普通ではない繭」とは、一体どんなものだったのだろうか。そして、それらを間近で見ていざるを得なかった幼少期のファルはどれほど――。
軽々しく慰めを口にすることもできずにいると、俄に部屋の外が騒がしくなった。
「みんな戻ってきたみたいだな」
「……だな」
何事もなかったかのように言うファルに、レンはぎこちない笑みを返す。
これ以上の話をここでするわけにはいかない。
日報に目を落としたファルに倣うように、レンも手元を見る。
だが、集中などできるはずもなく、ペンを持つ手は一向に動いてくれなかった。
2026/02/01 14:51:46
#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 9
被験者宅での実習が終わり、レンたちは研究所への帰途についていた。
主にはエルジュの作業を見守っていただけではあるが、レンは上機嫌のままるんるんと歩く。
蛹化した蝶の民は非常に繊細ゆえに、外部から中の状況を知る方法も限られている。
主には繭の表面を微量に採取して、薬品と反応させることで、羽化までの期間が順調か判別している。
今回エルジュに見せてもらったものもそれで、繭の破片を入れた蒸留水に、試薬を入れると鮮やかな菫色に変わったのには感動した。
基本的には蛹期の初期は青、羽化直前には赤へと変わるらしい。
今回現れた菫色は、この時期としては一般的な色であり、順調に羽化への道のりを辿っているという証だ。
「――けど、ほんと不思議だよなぁ。繭表面から、中の状況が分かるなんて」
レンはファルと並んで歩きながら、半ば独り言のように呟いた。
それに反応したのは意外にもエルジュで、半歩前を歩いていた彼は、ちらと振り返って口を開く。
「そうでもないですよ。あの繭自体も、蝶の民が生み出したものですから。繭を含めた全てが、一つの生命と考えることもできます」
「なるほど……。でも繭って、羽化後は肉体に再度取り込まれませんよね?」
羽化後に不要となるものが「生命の一部」なのか、と疑問を返すと、エルジュは難しい顔をしながらも頷いた。
「もちろん考え方はそれぞれですし、諸説あります。ですが、人体でも同じことは言えますよ」
彼はレンの頭を指差した。
「例えば髪。生え変わり、抜け落ちた後の人毛を『生命』とは思えずとも、肉体の一部となっている今はどうですか?」
「…………。たしかに!!」
新たな知見にハッとして声を上げる。エルジュが微笑ましいものを見るような目で、ほんの少しだけ目を細めた。
「ファル、貴方はどうでしたか。口数が少なかったように思いますが」
問われたファルは、どこかぼんやりとした様子で顔を上げた。その姿に、レンも今更ながら心配になる。
目の前のことに集中しすぎて、ファルの存在がすっかり意識の外に追いやられていたことを反省しながら、彼の顔を覗き込んだ。
「なんかごめん、俺ばっか楽しんじゃって」
「……いや、そういうんじゃなくて」
ファルは言葉に迷うように、二度、三度と口を開け閉めしたあと、続きを呟いた。
「僕はまだ……、二十三にもなって蛹になる気配もないから、その……、今日の彼のように…本当になれるのか、と……」
ファルの言う通り、二十歳を超えていまだに蛹化の兆しがないのは、かなり遅い部類だ。
だがエルジュは事も無げに肩を竦めた。
「確かに平均よりは遅い、と言わざるを得ませんが。それでも個人差があります。三十代になって羽化した例もありますからね。気にしすぎないことです」
「…………はい」
ファルは、慰めの言葉に薄く笑みを浮かべた。
だがそこに、拭いきれない不安を見て、レンは落ち着かない気持ちになっていた。
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 9
被験者宅での実習が終わり、レンたちは研究所への帰途についていた。
主にはエルジュの作業を見守っていただけではあるが、レンは上機嫌のままるんるんと歩く。
蛹化した蝶の民は非常に繊細ゆえに、外部から中の状況を知る方法も限られている。
主には繭の表面を微量に採取して、薬品と反応させることで、羽化までの期間が順調か判別している。
今回エルジュに見せてもらったものもそれで、繭の破片を入れた蒸留水に、試薬を入れると鮮やかな菫色に変わったのには感動した。
基本的には蛹期の初期は青、羽化直前には赤へと変わるらしい。
今回現れた菫色は、この時期としては一般的な色であり、順調に羽化への道のりを辿っているという証だ。
「――けど、ほんと不思議だよなぁ。繭表面から、中の状況が分かるなんて」
レンはファルと並んで歩きながら、半ば独り言のように呟いた。
それに反応したのは意外にもエルジュで、半歩前を歩いていた彼は、ちらと振り返って口を開く。
「そうでもないですよ。あの繭自体も、蝶の民が生み出したものですから。繭を含めた全てが、一つの生命と考えることもできます」
「なるほど……。でも繭って、羽化後は肉体に再度取り込まれませんよね?」
羽化後に不要となるものが「生命の一部」なのか、と疑問を返すと、エルジュは難しい顔をしながらも頷いた。
「もちろん考え方はそれぞれですし、諸説あります。ですが、人体でも同じことは言えますよ」
彼はレンの頭を指差した。
「例えば髪。生え変わり、抜け落ちた後の人毛を『生命』とは思えずとも、肉体の一部となっている今はどうですか?」
「…………。たしかに!!」
新たな知見にハッとして声を上げる。エルジュが微笑ましいものを見るような目で、ほんの少しだけ目を細めた。
「ファル、貴方はどうでしたか。口数が少なかったように思いますが」
問われたファルは、どこかぼんやりとした様子で顔を上げた。その姿に、レンも今更ながら心配になる。
目の前のことに集中しすぎて、ファルの存在がすっかり意識の外に追いやられていたことを反省しながら、彼の顔を覗き込んだ。
「なんかごめん、俺ばっか楽しんじゃって」
「……いや、そういうんじゃなくて」
ファルは言葉に迷うように、二度、三度と口を開け閉めしたあと、続きを呟いた。
「僕はまだ……、二十三にもなって蛹になる気配もないから、その……、今日の彼のように…本当になれるのか、と……」
ファルの言う通り、二十歳を超えていまだに蛹化の兆しがないのは、かなり遅い部類だ。
だがエルジュは事も無げに肩を竦めた。
「確かに平均よりは遅い、と言わざるを得ませんが。それでも個人差があります。三十代になって羽化した例もありますからね。気にしすぎないことです」
「…………はい」
ファルは、慰めの言葉に薄く笑みを浮かべた。
だがそこに、拭いきれない不安を見て、レンは落ち着かない気持ちになっていた。
2026/02/01 14:50:49
作品一覧
改稿版更新中
玉座の憧憬 本編:小説・男女恋愛
初稿更新終了
ツンデレ王子様の結婚事情:漫画(字コンテ)・BL
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
初稿更新中
改稿版完結
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 14
建物の外に出たレンは、座れる場所を探して視線を巡らせた。
丁度、裏手の方にベンチを発見して、ファルを座らせると自分も隣に座る。
黙って俯いたままのファルの背を、空いた手でそっと撫でる。
そうしていると、少しずつ握り締める力が緩んでくるのが分かった。
「……大丈夫か?」
そっと声をかけると、ようやく彼の顔がゆっくりと上げられて、こちらを向く。先程の虚ろな目で派なくなっていることにほっとしながら、レンは背を撫で続けた。
ファルはレンの言葉には答えず、すっと遠くの空を見る。
「――同じ、牢にいたおじさんだった」
唐突に話しはじめたファルの言葉を、レンは黙ったまま頷いて続きを促す。
「名前は知らない。あそこじゃ、番号で呼ばれるのが普通で……八十六って呼ばれてた人だった」
「……うん」
「優しい人でさ。僕も、大好きだった。でもある日、帰ってこなくなった」
ファルは坦々と続ける。
「一週間経って、二週間経って……。きっと殺されてしまったんだ、って諦めた。急に人が消えるのも、普通のことだったから」
言葉を切ったファルは、上げていた顔を伏せて続けた。
「その日、連れていかれた部屋で……、あの臭いがしたんだ」
レンは、背を撫でる手を思わず止めてしまった。
「そこには筋肉と骨が露出した『何か』があった。かろうじて大人の人間なのはわかったけど、表皮は全部溶けてて、誰かなんて分かったもんじゃない。――分からない方が、よかった……っ」
握られた手に、再度力が籠る。
レンはかける言葉が見つからないまま、ファルの叫びを聞くしかなかった。
「あの『肉塊』を、奴らは八十六番って呼んだんだ……!!」
指の骨が砕けるんじゃないか、と思うほど強い力で手が握り締められる。
痛かった。けれど、ファルの心を襲っているであろう痛みに比べれば、どれほどのものだろうかとも思う。
「……ファル」
背に回した手で彼の肩を引き寄せ抱きしめる。
「ごめんな」
軽い気持ちで彼の傷を抉るような場所に誘ってしまったことへの謝罪だった。
自身の肩に彼の頭を引き寄せて、そのまま髪を撫でる。
今できることが、これくらいしか思い浮かばなかったからだ。
ファルは空いた手をレンの背に回して、ぎゅっと縋りつくように服を掴んだ。
そして、ぽつりと言う。
「レンが謝ることじゃないだろ……」
「……そーだな」
それでも握り締められた手も、抱擁も、解かれることはなかった。