初稿置き場

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 2


「――くそっ」
 セレンは無意識に悪態をついて、テーブルに拳を叩きつけた。
 アキュリア領主の地位を拝命してから数日。
 すっかり物の無くなった自室で下命を受けた日のことを思い出し、いまだに冷めやらぬ怒りがふつふつと沸いていた。
「何故、私がアキュイラなどに……!」
 明朝になれば、セレンはここウィレミニア王国の都を発ち任地に赴かなければならない。
 国の辺境にあるアキュリアまでは、馬車で二週間程がかかる。おいそれと行き来の出来ぬ地だった。
 そうまでして父上は私をここから追い出したいのだろうか――。
 セレンはぎゅっと拳を握り締める。
 玉座に座る父の隣に立っていた、異母弟の姿が思い出される。王との血縁を疑うべくもないほど、濃青の瞳も、その容貌もよく似た、どこか儚さのある姿が思い浮かぶ。
 隣国の公女であった母親と同じ色の黒髪くらいしか、父と違っている場所がないのではないかと思えるほど、彼らはよく似ていた。
 母にばかり似たセレンには、それが羨ましくて仕方がない。
 父王の寵妃だった母シエラがこの世を去ったのは、セレンが九つの頃だった。
 それまでのセレンは、まるで王の「唯一の子」であるかのように、遇され尊重される嫡子だった。
 だが母が亡くなると、周囲の状況は一変した。
 セレンは王太子位から引きずり降ろされ、そして、一つ年下の弟が公国から召喚されると、彼がその代わりとなった。
 正妃である隣国の公女は、アレイストを孕むと同時に故国へ宿下がりしたきりだった。自分の他に寵妃がいるという状況に耐えられなかったのだと聞いている。
 彼女は今も公国にいるが、たとえこの場におらずとも、「公女」という肩書きは絶大だった。
 正妃を、それもより強い後ろ盾を持つ王子が、次期国王としてセレンよりも注目されるのは自明だ。
 それでも、セレンは特に玉瑕があって廃太子の憂き目に遭ったわけではない。能力も目に見えて劣るわけでもなく、中には長子であるセレンのままでも良かったのでは、という声もあった。
 つまり現状として、セレンティーネという王女の立ち位置は、非常に繊細な問題を孕んでいた。
 その問題を払拭し、アレイスト即位の邪魔になりかねないセレンを排除する。
 そういう点では、セレンのアキュイラ赴任はこの上ない手だ。
 彼の地は国境に接している。そのため、王の信任深い者にしか任せることはできない土地だ。しかしその隣国とは長らく友好関係にあるため、有事が起こるとは考えづらく、まさにセレンを飼い殺すのに相応しい立地だった。
 このまま、王都から遠い地で自身の存在など忘れ去られていってしまうのではないか――。
 そんな恐ろしさが胸に湧き起こる。
 だが、そうなってしまえば母が死の間際まで望んだことを叶えられなくなってしまう。
 ――お前は王になるのよ、セレンティーネ。
 彼女が死して十年以上の月日が流れた今も、その声は消えることがない。
 このままでは、母の願いを叶えられない。
「…………ならば、いっそ」
 セレンの思考がドス黒いものに沈んでいこうとした時だった。
「姉上」
 控えめな叩扉の音と共に、青年の声が聞こえてハッとする。
 ――私は今、何を。
 セレンは真っ青になって、口元を押さえた。
 今、私は無理やりにでも王位を奪い取ってしまおうか、と思わなかったか。たとえ、()()()()を使ってでも。
 浮かびかけた恐ろしい考えを振り払うように頭を振る。
 そうしていると、返答がないことを訝しんだのか、もう一度「姉上?」と声が聞こえた。
 自身のことをそんな風に呼ぶのは一人しかいない。
「アレイストか……?」
 セレンは戸惑いながらも、異母弟の名を呼んだ。
「はい。今、お時間はよろしいでしょうか?」
 何の用だろう。セレンは不思議に思いながらも、入室の許可を出す。
 自分たちは取り立てて仲の良い姉弟ではない。いがみ合っている――とも言わないが、互いに難しい立場であり、どことなく交流を避けてきていた。
 もちろん、顔を合わす機会はあるし、言葉を交わしたこともある。だが、個人的なやり取りは殆どなかったのだ。
 そんな彼がわざわざ訪ねてきた。
 訝しまずにはいられない状況だった。
「失礼いたします」
 扉を開け、柔和な笑みと共に現れた彼は、左足を軽く引きずりながら杖をついて入室してくる。
 その姿にハッとして、セレンは慌てて扉を押さえてやった。
「どうしたんだ? 何か用があったのなら、呼んでくれれば……」
 彼は幼少期――、まだ公国で母と暮らしていた頃、何か事故に遭ったのだそうだ。それによって左足に麻痺が残っている。
 そんな弟を歩かせたのが申し訳なくなり、セレンがそう言うと、アレイストは目を丸くして首を振る。
「まさか。姉上を呼びつけるなんて出来ませんよ」
 それから、殺風景になった部屋を見渡して、苦笑を浮かべた。
「それに、ご出立前でお忙しいでしょう。最後の挨拶に、とは思いましたが、それでお手を煩わせるわけには」
「…………そう、だな」
 苦笑を浮かべると、途端に沈黙が落ちた。それを破ったのはアレイストの意外な問いだった。
「姉上、下命を断ろうとは思わなかったのですか?」
「それは……」
 こちらの様子を探るような、何とも言えない視線を向けてくる彼の目に、少し不満のようなものが感じられる。
 だが、セレンは不思議だった。
 どうして、そんなことを言うのだろう。
 彼の立場を考えれば、セレンがいなくなることは歓迎しこそすれ、不満を覚える理由はない。
 清々する――。そう言われる方が納得できるくらいだ。
「……王命に逆らうことなんて、出来るはずがないだろう? それに、あちらでやれる事もあるはずだ」
 返答を迷った末に口にした言葉は、多少は強がってみせた側面もある。だが、自分で言ってみて気付いた。
 そうだ。アキュイラを立派に治められれば、いずれ父上もその手腕を認めてくださるかもしれない。
 言い聞かせるような気持ちが、ないわけではなった。
 それでも、これから向かう新たな地で出来ること、すべきことが、必ずあるはずだと考える方が、よほど現実的に思えた。
「アレイスト。私がいない間も、陛下をしっかりお支えしてくれ」
 立ち竦む彼の肩を叩く。しかし、何故か返答がなかった。それを不思議に思い、セレンは俯きがちのアレイストの顔を覗き込んだ。
「っ……?」
 彼と目が合って思わず息を飲む。
 一瞬――ほんの一瞬だけ、酷く冷たい視線に射抜かれような気がした。
「アレイスト……?」
 しかし顔をあげた彼の顔は、特に普段と変わって見えない。
 見間違いか――?
「お任せ下さい、姉上」
 そう言ってアレイストは微笑んだが、セレンはどこか冷たいものを感じずにはいられなかった。

2025/05/23 00:00:00

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 1


 謁見の間に重苦しい沈黙が続く。
 一段高い所にいる王とその息子、それから部屋の脇にずらりと並ぶ高官たち。
 その中で騎士服を身に纏った女が一人、膝をついて国王に頭を垂れていた。
 美しい銀髪は肩から零れ落ち、床に広がっている。俯いた怜悧な美貌と相まって、一枚の荘厳な絵のようにさえ見えた。
「――セレンティーネ」
 王が威厳のある声で女の名を呼ぶ。
「お前をアキュイラの領主に任ずる。国防の要たる彼の地を治め、国のために一層その身を賭して尽くすように」
 厳かな宣言にセレンティーネ――セレンは、ぎゅっと拳を握り締めた。
 ――やはり、父上は私を疎んじておられるのか。
 玉座に座る王を、セレンはアメジストのような鮮やかな紫色をした目だけ動かして睨むように見上げた。
 その隣には、自身とは似ても似つかぬ容貌をした――、だが父王とはよくよく似た顔の異母弟が立っている。
 どこか不安げな様子でこちらを見る様が、腹立たしくて仕方がない。
 あそこは、私の居場所だったはずなのに。
 だが、王命に逆らうことなどできるはずもなく、セレンは更に深く頭を垂れた。
「謹んで、拝命いたします――」
 だが、内心に荒れ狂う怒りの嵐は抑えきれずに、ギリッと唇を噛み締めた。

2025/05/22 00:00:00

#血塗れ聖女を拾ったのは

 全てに、霞がかかっていた。
 聖女だと祭り上げられて、その裏で神官たちに「教育」されていた時も。
 使えるようになったか確かめるため、初めて人間に「神罰」を与えた時も。
 戦場で彼らが人の形にすら見えないほどの高みから、大地を真っ赤に染めた時も。
 敵軍の前に一人立たされ、彼らの返り血を頭から浴びた時も。
 そして――、用済みだと詰られ、かつて「敵」だと教えられた隣国を治める王の前に、和平の証として突き飛ばされた今も。
 ぼんやりと顔を上げる。
 そこには無表情でこちらを見下ろす男がいた。
 ああ、わたくしは彼に殺されるのね。
 他人事のように、そう思った。
 いや、実際「他人事」だったのだ。
 自分の生き死に。どこで何をするのか。その何もかもを決める権利を、彼女は持っていなかったから。
 きっとこの男は、すぐにでも剣を抜いて自身の首を落とすだろう。
 彼女はただ、その時を待つ。
 死ぬことは怖くなかった。いや、怖いという感情すら遠くて、何の感慨もない。
 ただ、これからは何もしなくて良くなるのかと、ほんの少しだけ喜びの気持ちが湧いた。だがそれも、彼女自身がそれを「喜び」だと認識する前に消えてしまうくらい、淡いものだった。
 しかし、彼はいつまで経っても剣を持とうとしない。
 そうか。ここで殺すのではなく母国へと連れ帰り、民衆の前で処刑をするのかもしれない。
 なんだ、まだ殺してくれないのか。
 そんな落胆がよぎった時、何故か男は彼女の目の前に膝をついた。
「これが『和平の証』? 貴殿も粋なことをする」
 顎を掴まれて、なされるがまま顔を上げる。
 背後でへどもどと媚を売るこの国の王を、男は鼻で嗤った。
「まあ、いいだろう。その心意気に免じて、先程の条件を二割引き下げてやる」
 そして、男は彼女を妙に優しい手付きで抱え上げると、一枚の書状にペンを走らせた。
 これで和平が締結したのだ。
「では、これからは良い付き合いをしていけることを願っている。なにせ、()()()の故国だからな」
 男は彼女の手を取って、その甲に唇で触れた。
「…………はい?」
 呆然と呟いたのは、彼女自身ではなかったが、抱え上げられたままの元聖女にも珍しくその表情に、驚きが浮かんでいた。


     *

 聖女アルミラは、聖教国リミエール辺境の貧しい家に生まれた。
 輝くような白銀の髪に同じ色の瞳をした、貧民の子とは思えぬほど美しい赤子で、彼女はすぐに教会に「保護」を受け、聖女として認定された。
 保護、などと聞こえのよい言葉を使っていたが、物心ついたアルミラは既に、両親なる男女が金と引き換えに自分を売り払ったことを理解していた。
 生後間もない頃に引き離された故か、アルミラが顔も知らぬ親を寂しがることもなく、大人ばかりの世界に順応していた。
 せざるを得なかった、と言う方が正しいかもしれないが。
 アルミラの幼少期は、痛みと空腹が常に傍にあった。
 聖女としての「教育」は、アルミラに気品と聖女の力に関する知識を与えたが、感情を奪い、心を鈍麻させた。
 聖教国リミエールは、「神に与えられし力を使って人々を救う」という初代聖女の打ち立てた理念の下に建国された。だが時代が下りその理念は形骸化して、今となっては世界の覇権を握らんとする教皇の操り人形――、それが「聖女」であった。
 もちろん、アルミラもそんな一人だ。
 聖女は元来、人を癒し導く存在だった。だが、一度攻撃へ転じれば、その威力は凄まじい。
 特にアルミラは、その「神罰」と呼ばれる、天から雷を降らせる力が歴代聖女の中でも取り分け強かった。その結果アルミラは、齢十歳を迎える頃には、戦場に立たされていたのだった。
 聖戦の名の下に、リミエールは領土を拡大していった。
 はじめは力が安定しなかったアルミラだったが、その精度は年々増していき、周辺諸国には多大な脅威となっていった。
 だが、アルミラが十五になった頃、とある国との戦争で大怪我を負うことになる。
 大国サーヴェリアンとの戦だった。
 当時の王太子が自ら先陣を切り、アルミラを討ち取ろうとしたのだ。
 幸い、深手を負いはしたが、アルミラは生き残った。
 だが、リミエールの痛手には変わらず、アルミラの傷が癒えるまでの間は、大規模な戦が行われることもなかった。
 サーヴェリアンはその間に力をつけ、リミエールと対抗しうる国へと成長し――、そしてその四年後。
 まさに今、ついにリミエールを降して、和平協定を結ぶに至ったのだった。

 アルミラは自身を抱え上げる男の顔を、ぼんやりと見る。
 こんなに間近で彼を見るのは二度目だ。
「……あなた、国王になったのね」
 彼は、四年前アルミラに深手を負わせた、サーヴェリアンの王太子だった。いつの間にか、国王になっていたようだが。
 思いついたことを呟くと、彼は目を丸くして笑う。
「第一声がそれなのだな。おかしな女だ」
「…………そう?」
 おかしさで言うのなら、敵国の仇を抱えて歩くこの男の方が余程だろう。
 これから自分をどうするのかは知らないが、「我が妃」という先程の言葉が、冗談か相手の意表を突くための軽口だったのだろうという程度は想像がつく。
 まあ、この後どうなろうと、どうでもよいことだ。
 アルミラにとっては、自身の所有者が変わっただけ。もしかすると、すぐにでも飽きて殺してくれるかもしれない。
「それよりもお前、軽すぎるぞ。ちゃんと食ってるのか?」
「出されたものを残したことはないわ」
 それこそ、腐っていようが、泥や虫が入っていようが。
 そこまで言うのは億劫で最低限だけ返答するが、彼は訝しげな顔のままだ。
「本当か? ……まあいい、これから分かることだ」
 アルミラを抱え直した男は、そのまま無言で歩く。和平協定の会談はリミエールの教皇庁で行われており、彼にとっては慣れない場所のはずだが、その足取りに迷いはない。
 そして、ある部屋に辿り着いた彼は、アルミラを抱えたまま扉を開けて、中に入る。
 どうやら、彼が滞在している客室のようだ。
「陛下! お早いお戻りで……」
 側近の一人らしき青年が、こちらを見て瞠目する。アルミラと目が合って、更に蒼白になった。
「どうして、聖女を抱えているんですか!!」
「もらった」
「もらった!?」
「ああ、俺の妃にする」
「は……?」
 その発言には、さすがのアルミラも青年と同じ気持ちだった。
「冗談ではなかったの?」
「俺はそんなくだらない冗談は言わん。冗談だと思っていたのなら、何故黙ってついてきた?」
「……『なぜ』って? そう決まったから」
 男はまた訝しげな顔をして、何かを言おうとしたが、それより早く青年が叫んだ。
「返品してきて下さい!」
「断る」
「聖教国の聖女を『妃』になんか、できるはずないでしょう!?」
「それを何とかするのが、お前たちの仕事だろう。――さあ、そろそろ部屋から出てけ。二人にしろ」
「はあ!? 聖女なんかと二人にできるはず――」
「命令だ」
 冷たく言い放たれた青年は、グッと言葉を詰まらせて、しぶしぶ頷いた。
「何かあったら、すぐにお呼び下さいよ」
 青年はギリッとアルミラを睨みつけると、部屋を出て行った。
「やれやれ。本当にあいつは小言が多いな……」
 彼はぶつぶつと文句を言いながら、部屋の中にあった、出入り口とは別の扉を開けた。
 その先には大きなベッドがあって、なるほどと妙に納得してしまう。
 聖女は純潔を失うとその力が衰え、次代に引き継がれてゆくとされている。そのため、その身に()()()()()()()()()ことこそ無かったが、「奉仕」はさせられていた。また自身の容姿は、劣情を誘うらしいというのも、なんとなく理解している。
 アルミラは、じぃっと男を見た。
「もしかして、知らない?」
「何がだ?」
「それとも、私から聖女の力を奪えるなら丁度良いということ?」
「……は?」
「『妃』だなんて言わなければよかったのに。『愛妾』だと正直に言えば、彼も怒らなかったのではない?」
「お前……」
 彼は絶句したように言葉を切ると、何故か溜息をついた。
「いかがわしい勘違いをするな。お前を抱くのは、もっと太らせて健康的にしてからだ」
「ふぅん……」
 変わった趣味だな、と思ったが口には出さなかった。なんとなく、一層呆れられる気がしたからだ。
「それより。お前、怪我をしているだろう。歩き方が変だった」
「怪我……?」
 男はベッドの縁にアルミラを座らせると、棚から箱を出した。
「ほら、我慢せず見せろ。どこだ」
「怪我なんてしてないけれど……」
 思い当たることがなく、正直に言ったのだが男は眉間に皺を寄せる。
「嘘をつくな。隠すなら服を脱がせるぞ」
「……脱げばいいの?」
 それで彼が満足するなら――、とアルミラは立ち上がって服を床に落とす。
 局部を隠した下着にも手をかけようとして、彼は慌てたようにそれを制止した。
「――いい、十分だ。一度服を着てくれ」
「……そう?」
 彼は頭を押さえて、暫し何かを考え込んでいるようだった。
 アルミラはそんな男の様子を、ただ不思議に思う。
 無数に浮かぶ変色した痣が、そんなに珍しかったのかしら、と。



 和平協定の日からすぐ、アルミラはサーヴェリアンへと移動した。
 自身を妃だと宣ったあの男――名前をファサードというらしい彼は、あの日以降アルミラを片時も離すことなく、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
 もっとも、そんなファサードの行いが「甲斐甲斐しい世話」と称されるようなものであることをアルミラが理解したのは、暫く経ってからだったが。
 移動の馬車から一歩も出ることなく、サーヴェリアンの王都に到着し、王宮に着いた後もファサードに抱えられて彼の私室に連れて行かれた。
 一応、「王妃候補」という肩書が付いているらしいが、アルミラが顔を合わせるのは、ファサードを除けば医者と故国でも会った側近、それから一人の侍女だけだった。
「……ねえ、あなた?」
 窓辺の花を変えていた侍女が振り返って微笑んだ。
「どうされました、聖女様?」
「もしかして、陛下はお暇なの?」
 そんなことを問うと、彼女はぱちりと目を瞬かせた。
「まあ……。どうしてそのようなことをお思いに?」
「だって……。あの人、殆どの時間ここにいるわ」
 今は珍しく――本当に珍しく不在だが、四六時中この部屋にいるのだ。書類を読んでいることもあるため、仕事はしているようだが……。
 侍女はふふと笑って答える。
「それほど愛されていらっしゃるのですわ。片時も離れたくないほど」
「……そうなのかしら」
 アルミラが首を傾げていると、侍女はまた笑って、ふと扉の方を見る。
「もうじき戻られますわ。陛下本人にお聞きになってはいかがでしょう?」
「……そうね」
 そんな話をしていると、俄に扉の外が騒がしくなって、ファサードが入ってくる。その傍らには側近の青年もいた。
「――ですから! そもそも聖――アルミラ様のことで、貴族の心象が良くなくなっているのですから、もっと発言に気を付けて下さらないと!」
「分かっている。だから、はっきり言ってやっただろう」
「そういう気を付け方じゃない、って言ってんですよ!!」
 側近はいつもファサードに怒っているような気がする。だが、誰もそれを気にしてはおらず、彼らの仲が良い証拠なのだと侍女が教えてくれた。
「お二人共、口論はほどほどにしてください。聖女様が驚いていらっしゃいますよ」
「……いえ、私は」
 別にどうでもいいのだけれど。
 しかし、それを言葉にする前に、彼らはぴたりと口を閉じた。
「たしかに、アルミラ様の前でする話ではなかったですね。申し訳ありません」
「いえ……? お気になさらず、側近の方」
「…………ルネです。いい加減覚えてください」
 彼はいつもこう言うが、意味があるのかしらとアルミラは首を傾げる。
 何度交わされたか分からないやり取りに、ファサードが苦笑して、隣に座った。
「まあ、追々覚えるだろう。アルミラ、寂しくはなかったか?」
「? はい。特には」
「……そうか」
 この問いもいつものもので、傍を離れた後は必ず聞かれるものだ。アルミラの返答も変わらず、そして、それを聞く度にファサードはどこか困った顔をする。
 アルミラにはそれが何故なのか、よく分からなかった。
「レネット、アルミラに変わりはなかったな?」
「はい。勿論でございます、陛下」
 侍女とも変わりないやり取りをして、ファサードはアルミラの髪を手で梳いた。
「ルネ、今日はもうくだらない会議はないな? 以後の仕事はここでする。用意を」
 側近は大きな溜息をついて、アルミラに視線を向けて微かに顔をしかめた。
「まったく。くだらなくないってんですよ。……はいはい、承知しました。すぐお持ちします」
 側近が部屋を出るのに続いて、侍女も退室する。二人きりになると、ファサードはアルミラの頬にキスをして、指にも口付ける。
 この行為に一体何の意味があるのか。
 アルミラはいつも不思議だった。
「……お前は本当に美しいな」
 ファサードの言葉に、彼を見上げる。
「だがその心が動けば、きっと……もっと美しくなる」
 彼が何を求めているのか、よく分からない。
 けれど、もし何か願いがあるのなら、叶えてあげたい――かもしれない。
 アルミラはファサードにやわらかく抱きしめられて、そっと目を閉じながら、そんなことを思った。



 サーヴェリアンでの穏やかな日々が続く。
 ファサードが傍にいることにも慣れ、アルミラはほんの少しだけ、部屋の外に興味を持ちはじめていた。
 けれど、自分はこの国の人々にとって、敵国の――それも沢山の兵士を殺した人間だから、きっと良くは思われていないことも理解している。
 側近の彼が度々アルミラを睨むのも、きっとそのせいだ。
 過去に自身が行ったこと。
 もうどうしようもない。
 アルミラは顔を上げる。
 目の前には、一面に死体の転がる大地が広がっていた。
 この光景をアルミラは過去に見たことがある。
 命令に従って「神罰」を与えた時のものだ。
 周囲に生き物の気配はない。その場で息をしているのは、自分だけ――。
 そう気付くと、ゾワリと悪寒が走った。
「あ……」
 自身の身体を見下ろす。薄い布地の真っ白なワンピースは、サーヴェリアンに来て以降いつもアルミラが眠る時に纏っている夜着だ。
 それが、真っ赤に染まっている。
「っ」
 息を飲む。
 その赤を払おうとした手も、血で汚れていた。
「あっ……」
 アルミラは、ぞわぞわと心に忍び寄る感情に、一歩後ずさる。
 一刻も早くここから逃げなければ。
 そんな衝動に駆られて、踵を返そうとした。
 だが、その足首を取られて転んでしまう。
「っ――」
 振り向いたそこには、顔も判別がつかないほど腐り落ちた人らしいものが、無数にこちらへ手を伸ばしていた。
 まるで、アルミラを地獄に引きずり込もうとしているかのように――。
「ひっ……」
 喉を引き攣らせて、アルミラはどうにか立ち上がって駆け出した。
 ――どこにいるの?
 アルミラは、ただ足を動かした。
 ――一体、()()()はどこに……。
 その時、手首を何かが掴んだような気がした。
 また、先程の人形の何かかと思って、振り払おうとする。しかし、その手首を掴む手は力強くて離れない。
「っ、離して……」
「――……ラ」
「やあ……っ!」
「アルミラッ!」
 聞こえた声にハッとして、アルミラは()()()()()()
「っ、あ……、へいか…………」
 そこは、いつもの寝台の上だった。
「随分、魘されていたな」
「……うなされて?」
 ファサードを不思議な気持ちで見上げる。
 あれは夢だったのかと、確認するように辺りを見渡すが、まだ真夜中らしくあまりよく見えない。
 だが、手首を掴んでいたのが傍にいる彼だと気付いて、途端に身体の力が抜けた。
「どうした、怖い夢だったか?」
「……怖い、ゆめ」
 その言葉が、アルミラの心にすとんと落ちてくる。
 アルミラはゆっくり顔を上げて、またファサードを見た。そして、彼の服をきゅっと掴む。
「…………うん。こわい、ゆめ……だった」
「そうか。ならば、ほら。もっとこっちへ来い」
 ファサードが広げる腕へ、アルミラは飛び込むように縋り付いた。
 そうだ。「怖い」夢だった。
 あれは確かに、「怖い」という感情だった。
 長い間、もやもやと形を成していなかった感情が、カチリと定まった感覚があった。
 アルミラはファサードの服を掴む手に、ぎゅっと力を込める。
 気付いてしまった怖さ。今感じている安心感。
 それらが、鮮やかに――鮮明になってゆく。
 アルミラはきゅっと唇を噛んだ。
 これまでの自分を保っていたものが、足元から崩れ落ちていく。そんな予感に、微かな怯えを感じながら。



「……アルミラ」
 そっと呼びかけた声に返答はない。
 ファサードは、自身の腕の中で再び眠りについた彼女の頭を撫でる。
 銀糸の髪がさらさらと零れ落ちる様を横目に、肘をついてあどけない彼女の寝顔をじっと見つめる。
 アルミラに「感情」が戻りつつある。
 先程の彼女の顔を見て、ファサードはそれを確信していた。
 一体、故国リミエールでどんな扱いをされていたのか。彼女は、痛みにも自分の心にも酷く鈍感だった。
 初日に見た、痣だらけの肌がようやく癒え、骨と皮だかかのように痩せ細っていた身体にも、多少肉がついた。
 きっと、いずれ心も癒えていくだろうと、ファサードも予想はしていた。
 その日が間近に迫ったことを感じて――、ファサードは眉をひそめる。
 アルミラの心が癒されていくのは嬉しい。だが、その心が戻った時、彼女の背負う傷の重さは彼女自身を酷く苛むだろう。
 だが、それはファサードがどうにかしてやれる問題ではない。
 傍にいて、手を握り、親愛のキスをして、抱きしめてやることは出来ても、それだけだ。
「アルミラ」
 そっと彼女の名前を呼んで、額に口付けを落とす。
「お前がもし――」
 いつか自死を望むなら。
 ファサードには、彼女の願いを叶えてやる覚悟があった。
 けれど願わくば。
「アルミラ、お前は気付いていないだろう? 表情を動かすのが下手なお前だが、『アルミラ』と名を呼ばれた時だけは、嬉しそうに微笑んでいるのを」
 いつも淡々としている彼女が、はっきりと「笑み」を浮かべた姿は、まだファサードもお目にかかれていない。
 だが、名前を呼ばれた時だけは、微かに嬉しそうな気配を滲ませている。
 それが、アルミラの発する「生きたい」という声だと信じて、ファサードは彼女の手をしっかりと握りしめて、自分も目を閉じた。

 だが、彼女との「平穏」な日々は、ファサードの予想よりもずっと早く崩れ去る。
「――陛下っ!」
 ある日の午後のことだ。
 レネット――アルミラに付けた侍女が、悲痛な声で叫んで、床に膝をついた。
「聖女様が姿を消されました! ――ルネ様とご一緒に!!」
 ファサードは驚いて目を見開く。彼女が告げたのは、自身が最も信を置く側近の名だ。
「……ルネと?」
「はい、ルネ様は聖女様を良くは思われておりませんでした。もしや、聖女様を害そうと……」
 レネットは、アルミラに対してルネがとっていた険のある態度を口にして、唇を震わせる。
 ファサードはチッと舌打ちをして、身を翻して叫んだ。
「ルネの行方を探せ! 銀髪の女と共にいるはずだ! どちらも必ず無傷で俺の前に連れて来い!!」



「っ……」
 アルミラは腹部に感じた不快感に呻きながら、目を覚ました。
「……いたい」
 ぽつりと呟いて、そうだこの不快感は「痛み」だったと思い出す。
 ここはどこだろう、と硬い床から身を起こそうとして失敗した。手を後ろで縛められ、足も同様に動かすことが出来ない。
 周囲を確認することは出来ないが、ここがファサードにサーヴェリアンへ連れられて以来暮らしていた部屋ではないのは分かる。
 転がされていたのは石の冷たい床の上。雨漏りでもしているのか水の跳ねる音もする。空気が澱んでいて、気分が悪かった。
 何より――、アルミラは肩を使ってどうにか起き上がり、辺りを見渡した。
「あ、いた……」
 すぐそばには、アルミラと同じように縛られて、アルミラよりも酷く痛めつけられた青年が転がされていた。
「ねえ、生きてる?」
 近くまで寄って声をかける。
「ねえ、側近のか――」
「っ、こんな時くらい、名前で呼んでくれませんかね」
 呆れ混じりに睨み上げてくる彼に、アルミラは肩を竦める。
「だって……、そんなに重要だと思えなくて」
 そう言うと、今度こそ彼は心底呆れ果てたような顔をした。
「重要ですよ、アルミラ様。それに、本当は貴女にも分かっているはずです」
「え?」
「……『聖女様』と『アルミラ様』、どちらで呼ばれたいですか。それが答えです。――まあ、貴女には分からなかったようだがな、レネット」
 身体の痛みに顔をしかめながら起き上がった側近が、視線を向けた方向を見る。
 そこには、この部屋唯一の扉を開け、無表情で中へ入ってきた侍女がいた。
「あら、人を察しの悪い女のように言わないで下さいます?」
 くすくすと取ってつけたように笑う彼女に、側近が顔をしかめる。
「レネット、アルミラ様を拐ったのは何故だ」
 そう、アルミラは彼女に――彼女が手引きしたらしい男たちに誘拐された。
 今日は長い時間ファサードが傍にいられないから、とかでアルミラについていた側近は、それを阻止しようとして怪我をした。アルミラ自身も、連れ出す際に暴れるのを防ぐためか鳩尾に拳を入れられていた。
「何故、ですって?」
 笑っていた侍女の顔から表情が抜け落ちる。
「貴方には分かるはずでは、ルネ様?」
「…………復讐か」
「ええ、そうよ! そこの聖女に絆された、裏切り者などには理解できないでしょうけれど!」
 酷く興奮した侍女は、金切り声を上げる。
 側近はそんな彼女に目を伏せて、片頬を皮肉げに上げる。
「絆された訳ではない。私だって……いまだに『聖女』は憎いよ」
「……なら。わたしのする事、止めはしませんね?」
 侍女が澱んだ暗い目でアルミラを見下ろす。彼女は後ろ手に隠していたナイフを構えて、こちらに歩いてくる。
 アルミラはその刃の煌めきを見つめながら、ぼんやりと思う。
 斬りつけられるのは、あの時ファサードに殺されかけた以来。きっと――、とても痛いだろう。
 けれど。
 アルミラは鈍く痛み出した頭に、一度ぎゅっと目を閉じる。
 これは、自分がしてきたことの報いなのだと悟る。
 侍女は「復讐」という言葉を否定しなかった。おそらくアルミラは、彼女の傷付けてはならないものを傷付けたのだ。取り戻せはしないほど、深く。
 ならば、仕方がない。
 あれは命令されて、などと見苦しい言い訳をするつもりはなかった。
 だって、あれは確かに、私が行ったことだもの。
 アルミラは目を開ける。
 だが、そこにあったのは、侍女の姿ではなかった。
「……そこを退いてください、ルネ様」
 暗い侍女の声が響く。
 アルミラは信じ難い思いで、側近の背中を見つめる。
 彼は侍女との間に身体を割り込ませ、まるでアルミラをかばうようにそこにいた。
「――どうして?」
 アルミラの口から、ほろりと疑問が零れ落ちる。
 彼は聖女を憎んでいると言った。それなのに、今も、ここに来る前も、どうして守ろうとしてくれるのだろう。
 側近は前を向いたまま、侍女から視線を外さない。だが、こちらの問いは聞こえていたようで、ぽつと返答があった。
「貴女は――、『アルミラ様』は、陛下の大事な方ですから」
 その言葉に、侍女は眉を吊り上げた。
「なら、貴方から殺してやるわ」
 振り上げられたナイフに、アルミラは息を飲む。
 自分も彼も手足を縛られて動くことは出来ない。その上、きっと彼はこの場から動きはしないだろう。
 無抵抗の人間に刃を突き立てることなど、簡単に出来てしまう。
「……ファサード」
 彼に今すぐ助けてほしかった。
 でも、ここには自分しかいない。
 ならば、私が守らなければ、この人はきっと死んでしまう――。
「――神よ、()()に『加護』を!!」
 キンッ、と高い音がして、誰かが息を飲む。
「きゃあっ!」
 侍女の悲鳴と共に、ナイフが何かに当たって跳ねる音がする。
 アルミラは、はあはあと荒く息をついて、ルネの前に展開された聖女の持つ力の一つである「加護」の結界を見つめた。
「せ、成功、した……?」
「アルミラ様、これは――」
「『加護』、といって……。対象を護る堅固な結界術よ。……初めて成功したけれど」
 アルミラは長らく聖女の力として「神罰」のみを使ってきた。――否、それしか使えなかったのだ。
 本来、聖女というものは癒し手の側面が強く、「神罰」も効果は強力だが、聖女自身に生命の危機が迫った時などといった限られた場でしか使えないものだった。
 だが、アルミラは歴代の聖女が得意としてきた、護りの結界を張る「加護」や、人々の傷や病を治す「祝福」といった力が一切使えなかった。その代わりのように、自在に使えてしまった「神罰」が、戦争の道具に使われたのだった。
「つまり、ひとまずは難を逃れたと考えても良いのでしょうか?」
 ルネの問いにアルミラは微かに眉をひそめた。
「いいえ……。私自身、これをいつまで展開出来るのか分からないの。だから――」
 そう説明している間にも、結界の色が薄くなっているのに気付く。
「天はわたしを味方したようね」
 結界に阻まれ、弾き飛ばされたナイフごと床に蹲っていた侍女――名前は、そう、レネット。レネットが、立ち上がって、こちらを嘲るような表情で嗤う。
 もう一度ナイフを構え直した彼女が、どんどんと輝きを失ってゆく結界が完全に消え去るのを待っているのは明らかだった。
「……レネット」
 そっと名を呼ぶと、彼女の顔が忌々しげに歪む。
「あら、覚えて頂けていたなんて、光栄ですこと」
「あなたの目的は、私を殺すことなのでしょう? なら、ルネは関係がないわ。見逃してほしいの」
 どうにか彼に被害が及ばないように、と言ってみるが、レネットはハンと鼻を鳴らした。
「その男はお前をかばったのだから、同罪に決まっているわ」
「――そうか。なら、俺のことも殺すか?」
 突然割って入った声に、全員が息を飲んだ。
「……ファサード?」
 アルミラはそこにいる姿を、俄には信じられずその名を呟いた。
 ここに来るまでに何があったのか、傷だらけの彼はアルミラに微笑むと、レネットへ視線を移す。
「やってくれたな、レネット」
「陛下……っ」
「お前を信頼して、アルミラの護衛を最低限にしていたのが仇になった。まさか、暗殺集団を雇うとはな」
 ここまで来るのに苦労した、と続いた言葉に、彼の負った傷の原因を悟る。
 そんな痛みを伴ってまで、ここに来てくれたという事実に胸がきゅっとなる。
「陛下、わたしは……!」
「黙れ。言い訳は牢の中で聞いてやる」
 ファサードは、一息にレネットのいるところまで距離を詰めると、彼女の首に手刀を落とし、その意識を奪った。
「――アルミラ、怪我はないか?」
「ないわ。ルネが守ってくれたの」
「そうか……」
 アルミラの傍まで歩み寄ったファサードは、膝をついてアルミラの顔を覗き込む。
「……ファサード?」
 その時、彼の額から滴った血が、アルミラの頬に落ちた。
 彼が目を見開き、その血を親指で掬い取る。そして、何故かその血をアルミラの唇に塗りつけると、そのままその唇を塞がれた。
「っ? ぅん……」
 訳が分からず呆然としている間にも、彼の舌が肌をなぞって、隙間に割り入ってくる。
 舌を絡め取られたことに驚いてびくりと身体を震わせると、ファサードはハッとしたように唇を離した。
「……しまった。お前から求めてくるまで耐えるつもりだったのに」
 よく分からないが、心がドキドキふわふわして、アルミラは離れてしまった唇を少し淋しく思っていた。
 だから、こてと首を傾げて、ファサードを見上げる。
「もうしないの?」
 ファサードは、眉間に皺を寄せて首を振ると、頬に残った血を舌先で舐め取った。
「…………しない、つもりだ。ただ、血を滴らせたお前は、本当に美しいからな。つい、理性が」
「ふぅん……?」
 よく分からず首を傾げると、ファサードは額にキスを落としてくる。
「お前に自覚はなかっただろうが、初めて戦場で見えた時のお前は、ゾッとするほど美しかったんだぞ。思えば一目惚れだったのかもしれないな」
 初めて彼と会ったのは、アルミラが彼に殺されかけた時だが、その直前に起こした「神罰」で、アルミラは頭から返り血を浴びていたはずだ。
 それを「美しい」などと宣ったファサードに、さすがのアルミラも少々険しい顔になる。
「あなた、少しおかしいわ……」
「知らなかったのか?」
 ファサードがニヤリと笑った時、すぐ隣から咳払いが聞こえて、アルミラはハッとする。
 そちらを見ると、ルネが何とも言えない表情で呆れていた。
「お二人共、仲がよろしいのは結構ですが、そろそろ縄を解いてくれませんかね」
「ああ、そうだったな。すまん」
 素直に謝るファサードに肩を竦めたルネは、今度はこれ見よがしに溜息をついて続けた。
「それと。アルミラ様は腹部を殴られておいでなので、先程のは嘘です、陛下」
 怪我はないか、というファサードからの問いに肯定を返したことを言われているのだと気付く。
「……アルミラ」
「そういえば、そうでしたね……」
 非難がましいファサードからの視線に目を逸らし、鈍い痛みを感じる鳩尾を撫でて呟く。すると彼らは示し合わせたように、似通った呆れ混じりの笑みを浮かべたのだった。


     *


 その後、レネットは王都からの追放処分となった。
 まだ正式に「王妃」ではないアルミラ――王の客人に過ぎない平民を害そうとした、というだけで極刑には出来なかったからだと聞いた。
 だが本当は、彼女が胸に隠し持った「婚約者を殺した聖女」への憎しみを見抜けなかった、ファサード自身の負い目によるものだと、ルネは解釈しているようだ。……アルミラもそう思っている。
 アルミラ個人に、レネットに対して思うところはない。むしろ、そんな恨みを抱いていたにもかかわらず、随分優しくしてもらえたと考えているし、おそらく――アルミラはレネットのことを好いていた。
 だから、彼女の命が奪われるような結果にならずに済んで良かったと感じた。レネット自身が、処遇に関してどう考えているのかは、もう知ることは出来ないけれど。
「ねえねえ、ファサード。今日、ルネはどこにいるの?」
 ようやく部屋の外に出してもらえるようになったアルミラは、庭に用意された椅子に座って、隣にいるファサードに抱きつきながら、上目遣いで尋ねる。
「……最近、お前はルネのことばかりだな」
 機嫌が悪くなったらしい彼に、アルミラはきょとんとする。
「だって、好きな人とは会いたいわ」
「好き……。アルミラ、それはどういう『好き』だ?」
「好きに種類があるの?」
「……小動物に感じる『好き』と、人間に感じる『好き』は違うだろう?」
 たしかに、と思ったアルミラは、首を捻ってうーんと考え込む。
 最近、難しい本も読めるようになったアルミラは、自分は読書が「好き」らしいと気付いた。
 その中で読んだ物語で、そう主人公は――、
「――お兄様に対する『好き』、かしら。想像なのだけれど」
 主人公の女の子が、大好きなお兄様に抱いている気持ちと似たようなものをルネに感じている、と、思う。たぶん。アルミラには兄はおろか、親もいなかったため、絶対にとは言い切れないが。
「そうか」
 ファサードの機嫌は少し直ったらしい。アルミラはほっとして、にこにこと笑った。彼にはずっと楽しく過ごしてほしいからだ。
「っ、アルミラ?」
「なあに?」
「…………いや。ああ……、そうだな。俺のことは? 俺のことは『好き』か?」
「……うん、すき」
「どんな風に?」
「その……、どきどきして、ふわふわして、ぽかぽかするの。でも、たまに胸がきゅうってなるわ」
 なんだか照れくさくなってしまい、ファサードから目を逸らすと、彼がそれを追うように額に口付けを落とす。
「ファ、ファサード」
「俺もお前が好きだ」
 頬にキスをされてそんな風に囁かれると、頬がとても熱くなる。
「ひゃあ……」
 なんだか堪らなくなって、アルミラはぎゅっと目を閉じた。唇に吐息がかかる。
 キスされてしまうのかしら――。
 あの日に一度だけされた唇への口付けを思い出して、胸が高鳴った。
 しかし、そこに肌が触れるよりも早く、別の声が聞こえた。
「――陛下」
 アルミラはパッと顔を上げる。
「「ルネ」」
 呆れた顔をする彼の名を呼ぶ声が重なる。だが、嬉しくて声を上げたアルミラと違い、ファサードはどこか不満げな声だった。
 何故だろうと思うアルミラだったが、ルネはそんなファサードの態度に疑問を感じてはいないのか、肩を竦める。
「お止めするよう命じられたのは、ご自身では?」
「……それは、分かってる」
 まだ憮然とするファサードは、アルミラを抱き上げて自身の膝に乗せた。
「ねえ、ルネ。ファサードは何を怒っているの?」
「それは――……」
 彼はファサードに抱き上げられたアルミラの、頭の頂点から足先までをじーっと見つめて、溜息をつくと続けた。
「正直、陛下の杞憂ではないかと思うので言いますが。陛下はご自身の行いが、教会の糞ジジイ共の行為を思い出させるのではと、ご懸念されているんですよ」
「くそじじい……」
 珍しくルネの口から飛び出した、直接的な暴言に驚きつつ、アルミラは指で自身の唇に触れた。
 たしかに、ルネの言うところの「糞ジジイ」に、()を舐め回されたことはあるし、大変不快だった――と今思い返せばそう思う。
 けれど――、とファサードの顔を見下ろす。
「ファサードは『糞ジジイ』じゃないわ」
 アルミラは初めて自分から、彼の頬にキスをした。
 彼に触れられると、胸が高鳴ってどきどきする。心がふわふわして、飛び立っていきそうになるのだ。
「……アルミラ」
 ぽかんとするファサードに、アルミラは笑みを返した。
 きっとこの気持ちが「幸せ」だと言うのだと、アルミラ自身が気付く日は、そう遠くはないだろう。

Fin.

2025/05/21 00:00:00

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