初稿置き場
カテゴリ「玉座の憧憬 本編」(時系列順)
小説・男女恋愛(改稿版)2025/05/22 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 2
「――くそっ」
セレンは無意識に悪態をついて、テーブルに拳を叩きつけた。
アキュリア領主の地位を拝命してから数日。
すっかり物の無くなった自室で下命を受けた日のことを思い出し、いまだに冷めやらぬ怒りがふつふつと沸いていた。
「何故、私がアキュイラなどに……!」
明朝になれば、セレンはここウィレミニア王国の都を発ち任地に赴かなければならない。
国の辺境にあるアキュリアまでは、馬車で二週間程がかかる。おいそれと行き来の出来ぬ地だった。
そうまでして父上は私をここから追い出したいのだろうか――。
セレンはぎゅっと拳を握り締める。
玉座に座る父の隣に立っていた、異母弟の姿が思い出される。王との血縁を疑うべくもないほど、濃青の瞳も、その容貌もよく似た、どこか儚さのある姿が思い浮かぶ。
隣国の公女であった母親と同じ色の黒髪くらいしか、父と違っている場所がないのではないかと思えるほど、彼らはよく似ていた。
母にばかり似たセレンには、それが羨ましくて仕方がない。
父王の寵妃だった母シエラがこの世を去ったのは、セレンが九つの頃だった。
それまでのセレンは、まるで王の「唯一の子」であるかのように、遇され尊重される嫡子だった。
だが母が亡くなると、周囲の状況は一変した。
セレンは王太子位から引きずり降ろされ、そして、一つ年下の弟が公国から召喚されると、彼がその代わりとなった。
正妃である隣国の公女は、アレイストを孕むと同時に故国へ宿下がりしたきりだった。自分の他に寵妃がいるという状況に耐えられなかったのだと聞いている。
彼女は今も公国にいるが、たとえこの場におらずとも、「公女」という肩書きは絶大だった。
正妃を、それもより強い後ろ盾を持つ王子が、次期国王としてセレンよりも注目されるのは自明だ。
それでも、セレンは特に玉瑕があって廃太子の憂き目に遭ったわけではない。能力も目に見えて劣るわけでもなく、中には長子であるセレンのままでも良かったのでは、という声もあった。
つまり現状として、セレンティーネという王女の立ち位置は、非常に繊細な問題を孕んでいた。
その問題を払拭し、アレイスト即位の邪魔になりかねないセレンを排除する。
そういう点では、セレンのアキュイラ赴任はこの上ない手だ。
彼の地は国境に接している。そのため、王の信任深い者にしか任せることはできない土地だ。しかしその隣国とは長らく友好関係にあるため、有事が起こるとは考えづらく、まさにセレンを飼い殺すのに相応しい立地だった。
このまま、王都から遠い地で自身の存在など忘れ去られていってしまうのではないか――。
そんな恐ろしさが胸に湧き起こる。
だが、そうなってしまえば母が死の間際まで望んだことを叶えられなくなってしまう。
――お前は王になるのよ、セレンティーネ。
彼女が死して十年以上の月日が流れた今も、その声は消えることがない。
このままでは、母の願いを叶えられない。
「…………ならば、いっそ」
セレンの思考がドス黒いものに沈んでいこうとした時だった。
「姉上」
控えめな叩扉の音と共に、青年の声が聞こえてハッとする。
――私は今、何を。
セレンは真っ青になって、口元を押さえた。
今、私は無理やりにでも王位を奪い取ってしまおうか、と思わなかったか。たとえ、どんな手を使ってでも。
浮かびかけた恐ろしい考えを振り払うように頭を振る。
そうしていると、返答がないことを訝しんだのか、もう一度「姉上?」と声が聞こえた。
自身のことをそんな風に呼ぶのは一人しかいない。
「アレイストか……?」
セレンは戸惑いながらも、異母弟の名を呼んだ。
「はい。今、お時間はよろしいでしょうか?」
何の用だろう。セレンは不思議に思いながらも、入室の許可を出す。
自分たちは取り立てて仲の良い姉弟ではない。いがみ合っている――とも言わないが、互いに難しい立場であり、どことなく交流を避けてきていた。
もちろん、顔を合わす機会はあるし、言葉を交わしたこともある。だが、個人的なやり取りは殆どなかったのだ。
そんな彼がわざわざ訪ねてきた。
訝しまずにはいられない状況だった。
「失礼いたします」
扉を開け、柔和な笑みと共に現れた彼は、左足を軽く引きずりながら杖をついて入室してくる。
その姿にハッとして、セレンは慌てて扉を押さえてやった。
「どうしたんだ? 何か用があったのなら、呼んでくれれば……」
彼は幼少期――、まだ公国で母と暮らしていた頃、何か事故に遭ったのだそうだ。それによって左足に麻痺が残っている。
そんな弟を歩かせたのが申し訳なくなり、セレンがそう言うと、アレイストは目を丸くして首を振る。
「まさか。姉上を呼びつけるなんて出来ませんよ」
それから、殺風景になった部屋を見渡して、苦笑を浮かべた。
「それに、ご出立前でお忙しいでしょう。最後の挨拶に、とは思いましたが、それでお手を煩わせるわけには」
「…………そう、だな」
苦笑を浮かべると、途端に沈黙が落ちた。それを破ったのはアレイストの意外な問いだった。
「姉上、下命を断ろうとは思わなかったのですか?」
「それは……」
こちらの様子を探るような、何とも言えない視線を向けてくる彼の目に、少し不満のようなものが感じられる。
だが、セレンは不思議だった。
どうして、そんなことを言うのだろう。
彼の立場を考えれば、セレンがいなくなることは歓迎しこそすれ、不満を覚える理由はない。
清々する――。そう言われる方が納得できるくらいだ。
「……王命に逆らうことなんて、出来るはずがないだろう? それに、あちらでやれる事もあるはずだ」
返答を迷った末に口にした言葉は、多少は強がってみせた側面もある。だが、自分で言ってみて気付いた。
そうだ。アキュイラを立派に治められれば、いずれ父上もその手腕を認めてくださるかもしれない。
言い聞かせるような気持ちが、ないわけではなった。
それでも、これから向かう新たな地で出来ること、すべきことが、必ずあるはずだと考える方が、よほど現実的に思えた。
「アレイスト。私がいない間も、陛下をしっかりお支えしてくれ」
立ち竦む彼の肩を叩く。しかし、何故か返答がなかった。それを不思議に思い、セレンは俯きがちのアレイストの顔を覗き込んだ。
「っ……?」
彼と目が合って思わず息を飲む。
一瞬――ほんの一瞬だけ、酷く冷たい視線に射抜かれような気がした。
「アレイスト……?」
しかし顔をあげた彼の顔は、特に普段と変わって見えない。
見間違いか――?
「お任せ下さい、姉上」
そう言ってアレイストは微笑んだが、セレンはどこか冷たいものを感じずにはいられなかった。
#玉座の憧憬_本編 2
「――くそっ」
セレンは無意識に悪態をついて、テーブルに拳を叩きつけた。
アキュリア領主の地位を拝命してから数日。
すっかり物の無くなった自室で下命を受けた日のことを思い出し、いまだに冷めやらぬ怒りがふつふつと沸いていた。
「何故、私がアキュイラなどに……!」
明朝になれば、セレンはここウィレミニア王国の都を発ち任地に赴かなければならない。
国の辺境にあるアキュリアまでは、馬車で二週間程がかかる。おいそれと行き来の出来ぬ地だった。
そうまでして父上は私をここから追い出したいのだろうか――。
セレンはぎゅっと拳を握り締める。
玉座に座る父の隣に立っていた、異母弟の姿が思い出される。王との血縁を疑うべくもないほど、濃青の瞳も、その容貌もよく似た、どこか儚さのある姿が思い浮かぶ。
隣国の公女であった母親と同じ色の黒髪くらいしか、父と違っている場所がないのではないかと思えるほど、彼らはよく似ていた。
母にばかり似たセレンには、それが羨ましくて仕方がない。
父王の寵妃だった母シエラがこの世を去ったのは、セレンが九つの頃だった。
それまでのセレンは、まるで王の「唯一の子」であるかのように、遇され尊重される嫡子だった。
だが母が亡くなると、周囲の状況は一変した。
セレンは王太子位から引きずり降ろされ、そして、一つ年下の弟が公国から召喚されると、彼がその代わりとなった。
正妃である隣国の公女は、アレイストを孕むと同時に故国へ宿下がりしたきりだった。自分の他に寵妃がいるという状況に耐えられなかったのだと聞いている。
彼女は今も公国にいるが、たとえこの場におらずとも、「公女」という肩書きは絶大だった。
正妃を、それもより強い後ろ盾を持つ王子が、次期国王としてセレンよりも注目されるのは自明だ。
それでも、セレンは特に玉瑕があって廃太子の憂き目に遭ったわけではない。能力も目に見えて劣るわけでもなく、中には長子であるセレンのままでも良かったのでは、という声もあった。
つまり現状として、セレンティーネという王女の立ち位置は、非常に繊細な問題を孕んでいた。
その問題を払拭し、アレイスト即位の邪魔になりかねないセレンを排除する。
そういう点では、セレンのアキュイラ赴任はこの上ない手だ。
彼の地は国境に接している。そのため、王の信任深い者にしか任せることはできない土地だ。しかしその隣国とは長らく友好関係にあるため、有事が起こるとは考えづらく、まさにセレンを飼い殺すのに相応しい立地だった。
このまま、王都から遠い地で自身の存在など忘れ去られていってしまうのではないか――。
そんな恐ろしさが胸に湧き起こる。
だが、そうなってしまえば母が死の間際まで望んだことを叶えられなくなってしまう。
――お前は王になるのよ、セレンティーネ。
彼女が死して十年以上の月日が流れた今も、その声は消えることがない。
このままでは、母の願いを叶えられない。
「…………ならば、いっそ」
セレンの思考がドス黒いものに沈んでいこうとした時だった。
「姉上」
控えめな叩扉の音と共に、青年の声が聞こえてハッとする。
――私は今、何を。
セレンは真っ青になって、口元を押さえた。
今、私は無理やりにでも王位を奪い取ってしまおうか、と思わなかったか。たとえ、どんな手を使ってでも。
浮かびかけた恐ろしい考えを振り払うように頭を振る。
そうしていると、返答がないことを訝しんだのか、もう一度「姉上?」と声が聞こえた。
自身のことをそんな風に呼ぶのは一人しかいない。
「アレイストか……?」
セレンは戸惑いながらも、異母弟の名を呼んだ。
「はい。今、お時間はよろしいでしょうか?」
何の用だろう。セレンは不思議に思いながらも、入室の許可を出す。
自分たちは取り立てて仲の良い姉弟ではない。いがみ合っている――とも言わないが、互いに難しい立場であり、どことなく交流を避けてきていた。
もちろん、顔を合わす機会はあるし、言葉を交わしたこともある。だが、個人的なやり取りは殆どなかったのだ。
そんな彼がわざわざ訪ねてきた。
訝しまずにはいられない状況だった。
「失礼いたします」
扉を開け、柔和な笑みと共に現れた彼は、左足を軽く引きずりながら杖をついて入室してくる。
その姿にハッとして、セレンは慌てて扉を押さえてやった。
「どうしたんだ? 何か用があったのなら、呼んでくれれば……」
彼は幼少期――、まだ公国で母と暮らしていた頃、何か事故に遭ったのだそうだ。それによって左足に麻痺が残っている。
そんな弟を歩かせたのが申し訳なくなり、セレンがそう言うと、アレイストは目を丸くして首を振る。
「まさか。姉上を呼びつけるなんて出来ませんよ」
それから、殺風景になった部屋を見渡して、苦笑を浮かべた。
「それに、ご出立前でお忙しいでしょう。最後の挨拶に、とは思いましたが、それでお手を煩わせるわけには」
「…………そう、だな」
苦笑を浮かべると、途端に沈黙が落ちた。それを破ったのはアレイストの意外な問いだった。
「姉上、下命を断ろうとは思わなかったのですか?」
「それは……」
こちらの様子を探るような、何とも言えない視線を向けてくる彼の目に、少し不満のようなものが感じられる。
だが、セレンは不思議だった。
どうして、そんなことを言うのだろう。
彼の立場を考えれば、セレンがいなくなることは歓迎しこそすれ、不満を覚える理由はない。
清々する――。そう言われる方が納得できるくらいだ。
「……王命に逆らうことなんて、出来るはずがないだろう? それに、あちらでやれる事もあるはずだ」
返答を迷った末に口にした言葉は、多少は強がってみせた側面もある。だが、自分で言ってみて気付いた。
そうだ。アキュイラを立派に治められれば、いずれ父上もその手腕を認めてくださるかもしれない。
言い聞かせるような気持ちが、ないわけではなった。
それでも、これから向かう新たな地で出来ること、すべきことが、必ずあるはずだと考える方が、よほど現実的に思えた。
「アレイスト。私がいない間も、陛下をしっかりお支えしてくれ」
立ち竦む彼の肩を叩く。しかし、何故か返答がなかった。それを不思議に思い、セレンは俯きがちのアレイストの顔を覗き込んだ。
「っ……?」
彼と目が合って思わず息を飲む。
一瞬――ほんの一瞬だけ、酷く冷たい視線に射抜かれような気がした。
「アレイスト……?」
しかし顔をあげた彼の顔は、特に普段と変わって見えない。
見間違いか――?
「お任せ下さい、姉上」
そう言ってアレイストは微笑んだが、セレンはどこか冷たいものを感じずにはいられなかった。
2025/05/23 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 3
ウィレミニアの王都を出発してから数日、セレンは山中を馬車で移動していた。
アキュイラまでの道のりは、旅慣れない侍女も含めた長旅となるため、一月近い余裕をもって行程を組んでいる。
王宮を出て日が浅い今は、まだ都の方が近い位置にいる。
馬車に揺られるセレンの対面には、自身の乳姉妹であり現在は侍女を務めているミイスがいた。彼女は気心の知れた相手で、何の気兼ねもない。
行程の長さには辟易するものの、穏やかな馬車旅となる――。そのはずだった。
だが、セレンはどこか落ち着かない心持ちのままだ。隣に立てかけていた剣を持って、柄に触れたり、どうしても言い知れぬ焦燥感が募る。
ミイスからは心配げな視線が向けられていることにも気付いていたが、どうしてもゆったりと構えることができないでいた。
本当に、このまま王都を去っても良いのだろうか――。
もう王宮を出てから幾日も経つというのに、そんな疑問は薄れるどころか日に日に強まっている。
アレイストには「アキュイラでやれる事がある」などと強がりを口にしたが、どんどんと迷いが出てきている。
任地への旅が進み、王都から遠い地で領主をするという現実が刻一刻と迫り、ますます焦りが湧く。
セレンは、この十年余りの期間を、母の最期の願いを叶えるべく生きてきた。
王になる。
セレンにあるのはそれだけだった。
それが今は、まるで負け犬のように都に背を向けている。
こんな姿を見た母上は、一体何と仰るだろうか――。
「ミイス……」
「はい、姫様」
にっこりと微笑んで応える彼女の栗色の瞳を見て、少しだけ気分が落ち着いた。
「母上は……、私にいつも……王になるよう仰っていただろう?」
「ええ。妃殿下は姫様にとてもご期待なさっていらっしゃいましたからね」
それがどうした、というようにミイスが首を傾げて、肩口で切りそろえられた瞳と同じ色の髪がさらりと揺れた。
セレンは言葉に詰まって、きゅっと唇を引き結んだ。
期待。そう、私は期待されていた。なのに。
セレンは、胸の内に渦巻く判然としない思いを、迷いながら口に出そうとする。
「母上は、今の私を――」
だが、それ以上が言葉になることはなかった。
「――きゃあっ!」
突然、大きな衝撃と共に、馬車が急停止する。ミイスの悲鳴にハッとして、セレンは座席から投げ出される彼女の身体を受け止める。
「何事だ!」
床に転がった剣を拾い上げながら、外に向かって声を上げる。
「賊です! 殿下は中に――」
御者の声が聞こえ、微かに剣劇の音もする。
「いや、私も出る!」
セレンは、ミイスに怪我がないかだけ確かめて、握り締めた剣と共に扉に手をかけた。
「いけません、姫様!」
背後からはミイスの制止しようとする声が聞こえたが、それは無視して外へと躍り出る。抜刀して、鞘を放る。
ザッと周囲に視線を走らせる。
状況は、思わしいものではなかった。
御者は腕を射抜かれ、周囲を固めていた護衛も、倍はいそうな敵と相対している。
その時、飛んできた矢をセレンは剣で叩き落し、チッと舌打ちした。
「射手までいるのか……」
これはかなりまずいかもしれない。
どうやって状況を打開すべきなのか考えながらも、襲いかかってきた刺客に応戦する。
振り下ろされた剣を受け流し、相手の足を斬る。
致命傷を与えられたわけではないが、どうっと地面に倒れたのを見て、セレンは男に背を向けて走り出そうとした。
あれはもう動けないだろう。ならば、それに構っているよりは、一人でも多く敵を倒さねば――。
そんな焦りがあったのだと思う。
走り出したセレンは、何か嫌なものを感じて思わず振り返った。
「っ――!」
そこには先程倒したはずの男がいて、振りかぶった剣身に光が反射する。
まずい……!!
セレンは己の判断の甘さを呪った。しっかり仕留めてから移動をするべきだったのだ。
だが、後悔してももう遅い。
気付くのが遅れたせいで、避けることも、剣で受けるのも間に合いそうになかったからだ。
わたしは、こんなところで……?
振り下ろされる剣が、妙に遅く感じた。
これが「走馬灯」というものなのだろうか。なんてことを思った時だった。
キンッ、と高い音がして、迫っていた凶刃が跳ね飛ばされる。
「あっ……」
どこからともなく飛んできたナイフに弾かれたのだと気付く。
そして次の瞬間には、セレンと刺客との間に、別の人影が割って入った。
その人物は腰に佩いていた長剣を抜くと、あっという間に刺客を倒してしまう。
そして、セレンの方に振り返る。
「敵に背を向けるなんて不用心だぞ、お嬢さん」
茶髪を項で雑に纏めた旅装の男は、そう言って緑色の印象的な目をニヤリと細めて笑った。
#玉座の憧憬_本編 3
ウィレミニアの王都を出発してから数日、セレンは山中を馬車で移動していた。
アキュイラまでの道のりは、旅慣れない侍女も含めた長旅となるため、一月近い余裕をもって行程を組んでいる。
王宮を出て日が浅い今は、まだ都の方が近い位置にいる。
馬車に揺られるセレンの対面には、自身の乳姉妹であり現在は侍女を務めているミイスがいた。彼女は気心の知れた相手で、何の気兼ねもない。
行程の長さには辟易するものの、穏やかな馬車旅となる――。そのはずだった。
だが、セレンはどこか落ち着かない心持ちのままだ。隣に立てかけていた剣を持って、柄に触れたり、どうしても言い知れぬ焦燥感が募る。
ミイスからは心配げな視線が向けられていることにも気付いていたが、どうしてもゆったりと構えることができないでいた。
本当に、このまま王都を去っても良いのだろうか――。
もう王宮を出てから幾日も経つというのに、そんな疑問は薄れるどころか日に日に強まっている。
アレイストには「アキュイラでやれる事がある」などと強がりを口にしたが、どんどんと迷いが出てきている。
任地への旅が進み、王都から遠い地で領主をするという現実が刻一刻と迫り、ますます焦りが湧く。
セレンは、この十年余りの期間を、母の最期の願いを叶えるべく生きてきた。
王になる。
セレンにあるのはそれだけだった。
それが今は、まるで負け犬のように都に背を向けている。
こんな姿を見た母上は、一体何と仰るだろうか――。
「ミイス……」
「はい、姫様」
にっこりと微笑んで応える彼女の栗色の瞳を見て、少しだけ気分が落ち着いた。
「母上は……、私にいつも……王になるよう仰っていただろう?」
「ええ。妃殿下は姫様にとてもご期待なさっていらっしゃいましたからね」
それがどうした、というようにミイスが首を傾げて、肩口で切りそろえられた瞳と同じ色の髪がさらりと揺れた。
セレンは言葉に詰まって、きゅっと唇を引き結んだ。
期待。そう、私は期待されていた。なのに。
セレンは、胸の内に渦巻く判然としない思いを、迷いながら口に出そうとする。
「母上は、今の私を――」
だが、それ以上が言葉になることはなかった。
「――きゃあっ!」
突然、大きな衝撃と共に、馬車が急停止する。ミイスの悲鳴にハッとして、セレンは座席から投げ出される彼女の身体を受け止める。
「何事だ!」
床に転がった剣を拾い上げながら、外に向かって声を上げる。
「賊です! 殿下は中に――」
御者の声が聞こえ、微かに剣劇の音もする。
「いや、私も出る!」
セレンは、ミイスに怪我がないかだけ確かめて、握り締めた剣と共に扉に手をかけた。
「いけません、姫様!」
背後からはミイスの制止しようとする声が聞こえたが、それは無視して外へと躍り出る。抜刀して、鞘を放る。
ザッと周囲に視線を走らせる。
状況は、思わしいものではなかった。
御者は腕を射抜かれ、周囲を固めていた護衛も、倍はいそうな敵と相対している。
その時、飛んできた矢をセレンは剣で叩き落し、チッと舌打ちした。
「射手までいるのか……」
これはかなりまずいかもしれない。
どうやって状況を打開すべきなのか考えながらも、襲いかかってきた刺客に応戦する。
振り下ろされた剣を受け流し、相手の足を斬る。
致命傷を与えられたわけではないが、どうっと地面に倒れたのを見て、セレンは男に背を向けて走り出そうとした。
あれはもう動けないだろう。ならば、それに構っているよりは、一人でも多く敵を倒さねば――。
そんな焦りがあったのだと思う。
走り出したセレンは、何か嫌なものを感じて思わず振り返った。
「っ――!」
そこには先程倒したはずの男がいて、振りかぶった剣身に光が反射する。
まずい……!!
セレンは己の判断の甘さを呪った。しっかり仕留めてから移動をするべきだったのだ。
だが、後悔してももう遅い。
気付くのが遅れたせいで、避けることも、剣で受けるのも間に合いそうになかったからだ。
わたしは、こんなところで……?
振り下ろされる剣が、妙に遅く感じた。
これが「走馬灯」というものなのだろうか。なんてことを思った時だった。
キンッ、と高い音がして、迫っていた凶刃が跳ね飛ばされる。
「あっ……」
どこからともなく飛んできたナイフに弾かれたのだと気付く。
そして次の瞬間には、セレンと刺客との間に、別の人影が割って入った。
その人物は腰に佩いていた長剣を抜くと、あっという間に刺客を倒してしまう。
そして、セレンの方に振り返る。
「敵に背を向けるなんて不用心だぞ、お嬢さん」
茶髪を項で雑に纏めた旅装の男は、そう言って緑色の印象的な目をニヤリと細めて笑った。
2025/06/14 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 4
「よーし、ざっとこんなもんだな」
剣を納め、手をパンパンと払った茶髪の男は、セレンの法を向いて、ニカッと笑った。
「……助太刀、感謝する」
「いやいや、礼には及ばないよ」
そう言って朗らかに微笑む男に、セレンは眉根を寄せる。
正直、とても怪しい。
セレンは危ういところを助けられたのは事実だし、彼が乱入してからというものの、余程腕が立つのかあっという間に戦況をひっくり返してしまった。怪我人こそいるものの、セレンたちは賊から難を逃れることができた。
ありがたいと思っているのは事実だったが、腕の立つ旅人がそう偶然に通りがかるものだろうか。
「それで、貴方は一体――」
セレンが男に問いかけよとした時、彼はセレンの更に背後を見て、手を上げた。
「遅かったじゃないか! もう終わったぞ」
セレンが振り返ると、こちらへ歩いてくる淡い金髪の男が見えた。彼は微かに眉根を寄せて、茶髪の男を睨む。
「貴方が勝手に突っ込んで行ったんでしょう! それに、あっちには弓兵がいたんですよ!」
そういえば、いつからか弓矢が飛んで来なくなっていた。口振りから察するに、この金髪の青年が倒してくれたのだろう。
セレンは彼にも頭を下げる。
「危ないところを助けられた。感謝する。それで、貴方がたは何者だ?」
セレンの問いに答えたのは、茶髪の男だった。
「俺ら、傭兵みたいなことやってんの。ここにはたまたま通りがかったんだけど、物騒な音が聞こえて来てみれば、身分の高そうな人が襲われてるし、これは助けなければ――、ってね」
片目を瞑る男に、セレンはつい胡乱げな視線を送る。
なんとも調子のよい男だ。
「それで、お嬢さん? あんたらはこれからどこへ行くんだ?」
「……何故、そんなことを聞く」
警戒心を滲ませて問い返すと、彼は飄々とした様子を崩さずに肩を竦めた。
「なに。ここで会ったのも何かの縁だろう? 怪我人もいることだし、道中の用心号にいかがかな、と思ってさ」
申し出は悪い話ではなかった。
だが、どこか疑念が拭えずにセレンはそれを断ろうと口を開く。
しかしそれよりも早く言葉を発したのは、金髪の男だった。
「――私は嫌です」
「えぇっ!? いいじゃんかよ。こんな美人が困ってんだぞ?」
茶髪の男はセレンに視線を向けながらそんなことを言う。だが、金髪の男は首を横に降った。
「行くなら、どうぞお一人で」
そう言い放つと、彼は踵を返してすたすたとその場を去っていった。
「おーおー、そうかい。なら一人でも行くもんね」
べー、と舌を出す男に、セレンの方が驚いてしまう。
「お、追いかけなくいいのか……?」
「いいのいいの。こういうのしょっちゅうだし」
二人がどういう関係なの以下よく分からず、セレンは金髪の男が去っていった方向と、茶髪の男を見比べる。
「それで、俺を雇う気はある?」
セレンは小首を傾げる男に、口を引き結んだ。
そして、迷った末に口を開く。
「断る」
「そんなぁ……」
悲しい顔をする男に、セレンは仕方なく続ける。
「――が、礼くらいはしよう。とりあえず、次の町まではついて来てくれ」
「お! さっすが、お嬢さん! そうこなくっちゃな」
嬉しそうに拳を握る男に、セレンはまた呆れたように肩を竦めたのだった。
#玉座の憧憬_本編 4
「よーし、ざっとこんなもんだな」
剣を納め、手をパンパンと払った茶髪の男は、セレンの法を向いて、ニカッと笑った。
「……助太刀、感謝する」
「いやいや、礼には及ばないよ」
そう言って朗らかに微笑む男に、セレンは眉根を寄せる。
正直、とても怪しい。
セレンは危ういところを助けられたのは事実だし、彼が乱入してからというものの、余程腕が立つのかあっという間に戦況をひっくり返してしまった。怪我人こそいるものの、セレンたちは賊から難を逃れることができた。
ありがたいと思っているのは事実だったが、腕の立つ旅人がそう偶然に通りがかるものだろうか。
「それで、貴方は一体――」
セレンが男に問いかけよとした時、彼はセレンの更に背後を見て、手を上げた。
「遅かったじゃないか! もう終わったぞ」
セレンが振り返ると、こちらへ歩いてくる淡い金髪の男が見えた。彼は微かに眉根を寄せて、茶髪の男を睨む。
「貴方が勝手に突っ込んで行ったんでしょう! それに、あっちには弓兵がいたんですよ!」
そういえば、いつからか弓矢が飛んで来なくなっていた。口振りから察するに、この金髪の青年が倒してくれたのだろう。
セレンは彼にも頭を下げる。
「危ないところを助けられた。感謝する。それで、貴方がたは何者だ?」
セレンの問いに答えたのは、茶髪の男だった。
「俺ら、傭兵みたいなことやってんの。ここにはたまたま通りがかったんだけど、物騒な音が聞こえて来てみれば、身分の高そうな人が襲われてるし、これは助けなければ――、ってね」
片目を瞑る男に、セレンはつい胡乱げな視線を送る。
なんとも調子のよい男だ。
「それで、お嬢さん? あんたらはこれからどこへ行くんだ?」
「……何故、そんなことを聞く」
警戒心を滲ませて問い返すと、彼は飄々とした様子を崩さずに肩を竦めた。
「なに。ここで会ったのも何かの縁だろう? 怪我人もいることだし、道中の用心号にいかがかな、と思ってさ」
申し出は悪い話ではなかった。
だが、どこか疑念が拭えずにセレンはそれを断ろうと口を開く。
しかしそれよりも早く言葉を発したのは、金髪の男だった。
「――私は嫌です」
「えぇっ!? いいじゃんかよ。こんな美人が困ってんだぞ?」
茶髪の男はセレンに視線を向けながらそんなことを言う。だが、金髪の男は首を横に降った。
「行くなら、どうぞお一人で」
そう言い放つと、彼は踵を返してすたすたとその場を去っていった。
「おーおー、そうかい。なら一人でも行くもんね」
べー、と舌を出す男に、セレンの方が驚いてしまう。
「お、追いかけなくいいのか……?」
「いいのいいの。こういうのしょっちゅうだし」
二人がどういう関係なの以下よく分からず、セレンは金髪の男が去っていった方向と、茶髪の男を見比べる。
「それで、俺を雇う気はある?」
セレンは小首を傾げる男に、口を引き結んだ。
そして、迷った末に口を開く。
「断る」
「そんなぁ……」
悲しい顔をする男に、セレンは仕方なく続ける。
「――が、礼くらいはしよう。とりあえず、次の町まではついて来てくれ」
「お! さっすが、お嬢さん! そうこなくっちゃな」
嬉しそうに拳を握る男に、セレンはまた呆れたように肩を竦めたのだった。
2025/07/19 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 5
麓の町へ辿り着いた頃には、空はすっかり赤くなっていた。
急遽襲われ、行程が遅れてしまっている。本来、この次にある街で宿泊予定だったのだが、どうにか一行が泊まれるだけの宿が空いていた。
金持ちの平民向け、といった風情の場所で、セレンの目には些か貧相に見える部分や成金趣味のように感じるところもあったが、掃除は行き届いており、対応も丁寧なものだ。
急な来訪である以上、文句があるわけではなかった。
「――姫様、聞きましたよ?」
セレンに充てがわれた部屋へ現れたミイスは、どこか不満げな顔をしていた。
「何をだ……?」
もう既に賊の中へ飛び出して行ったことについては、こんこんと説教をされた後だ。
何かまだ怒らせることをしていただろうか、と首を傾げる。
「護衛のお申し出、お断りになったって。何故ですか?」
「ああ……」
出発前に傭兵のようなことをやっているという男と交わした会話についてだった。
「何故、って。あんな急に現れた男をすぐに信用できるのか?」
「でも、姫様を助けてくださいましたわ」
「それは……、そうだが」
セレンが命を救われたこともまた事実であるため、強く反論ができない。
私が考えすぎなのだろうか。
だが、あの男の現れたタイミングは、些か上手く出来過ぎではないかと思ってしまう。
「――とりあえず、駄目なものは駄目だ。ここまでは来てもらったが、明日にでも謝礼を渡して……。それで、終わりだ」
彼女を説得できる言葉が浮かばず、突き放すように背を向けた。背中にじとりと視線を感じるが、それを無視して黙り込む。
そして、暫く沈黙が続いた後、ミイスが溜息をついた。
「……仕方ないですね、もう! 姫様も頑固でらっしゃるんだから」
どうやら折れてくれたらしいと察して、セレンはそろりと振り返った。
「どうしてそこまであの男のことを?」
何か事情でもあるのだろうか、と尋ねると、ミイスは一瞬ぽかんとしたあと、ビシッとセレンを指差した。
「姫様が危険なことなさるからでしょう! もう!!」
彼がいれば、止めてくれるかと思ったのにと、ミイスはぷりぷり怒っている。
「お断りになるんだったら、危ないことなさらないでくださいね?」
「…………善処する」
善処? とミイスが睨んできたのは、言うまでもない。
#玉座の憧憬_本編 5
麓の町へ辿り着いた頃には、空はすっかり赤くなっていた。
急遽襲われ、行程が遅れてしまっている。本来、この次にある街で宿泊予定だったのだが、どうにか一行が泊まれるだけの宿が空いていた。
金持ちの平民向け、といった風情の場所で、セレンの目には些か貧相に見える部分や成金趣味のように感じるところもあったが、掃除は行き届いており、対応も丁寧なものだ。
急な来訪である以上、文句があるわけではなかった。
「――姫様、聞きましたよ?」
セレンに充てがわれた部屋へ現れたミイスは、どこか不満げな顔をしていた。
「何をだ……?」
もう既に賊の中へ飛び出して行ったことについては、こんこんと説教をされた後だ。
何かまだ怒らせることをしていただろうか、と首を傾げる。
「護衛のお申し出、お断りになったって。何故ですか?」
「ああ……」
出発前に傭兵のようなことをやっているという男と交わした会話についてだった。
「何故、って。あんな急に現れた男をすぐに信用できるのか?」
「でも、姫様を助けてくださいましたわ」
「それは……、そうだが」
セレンが命を救われたこともまた事実であるため、強く反論ができない。
私が考えすぎなのだろうか。
だが、あの男の現れたタイミングは、些か上手く出来過ぎではないかと思ってしまう。
「――とりあえず、駄目なものは駄目だ。ここまでは来てもらったが、明日にでも謝礼を渡して……。それで、終わりだ」
彼女を説得できる言葉が浮かばず、突き放すように背を向けた。背中にじとりと視線を感じるが、それを無視して黙り込む。
そして、暫く沈黙が続いた後、ミイスが溜息をついた。
「……仕方ないですね、もう! 姫様も頑固でらっしゃるんだから」
どうやら折れてくれたらしいと察して、セレンはそろりと振り返った。
「どうしてそこまであの男のことを?」
何か事情でもあるのだろうか、と尋ねると、ミイスは一瞬ぽかんとしたあと、ビシッとセレンを指差した。
「姫様が危険なことなさるからでしょう! もう!!」
彼がいれば、止めてくれるかと思ったのにと、ミイスはぷりぷり怒っている。
「お断りになるんだったら、危ないことなさらないでくださいね?」
「…………善処する」
善処? とミイスが睨んできたのは、言うまでもない。
2025/07/22 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 6
目の前には、大勢の人々がいた。
笑顔でこちらを見ている彼らは、新たな国の次期指導者が現れたのを、キラキラとした目で見ている。
セレンは、父と、それから母とに見守られ、受け継いだばかりの王太子の冠を頭に、胸を張ってその場に立っていた。
『立派な姿ね。それでこそ、陛下の子』
やわらかな母の声が聞こえる。
王の子として、堂々と完璧に振る舞うセレンにかけられる言葉に、安堵と嬉しさが募る。
よかった。このまま父上の跡を継いで王になれば――、きっとたくさん褒めてくれる。
しかし、父はそこに見知らぬ少年を連れてきた。
セレンのことなど視界にも入れず、彼を「自分の――王の子」だと宣誓する姿を、遠くから呆然と見つめる。
足元が崩れ落ちたような感覚。
ただただ真っ暗な闇の中へ堕ちていく。
――嫡子アレイストを、王太子と定める。
それを実際に聞いた時の虚無感が、セレンの胸を襲った。そして、
『なんて……、期待外れな』
冷たい、地を這うような母の声が聞こえて――
#玉座の憧憬_本編 6
目の前には、大勢の人々がいた。
笑顔でこちらを見ている彼らは、新たな国の次期指導者が現れたのを、キラキラとした目で見ている。
セレンは、父と、それから母とに見守られ、受け継いだばかりの王太子の冠を頭に、胸を張ってその場に立っていた。
『立派な姿ね。それでこそ、陛下の子』
やわらかな母の声が聞こえる。
王の子として、堂々と完璧に振る舞うセレンにかけられる言葉に、安堵と嬉しさが募る。
よかった。このまま父上の跡を継いで王になれば――、きっとたくさん褒めてくれる。
しかし、父はそこに見知らぬ少年を連れてきた。
セレンのことなど視界にも入れず、彼を「自分の――王の子」だと宣誓する姿を、遠くから呆然と見つめる。
足元が崩れ落ちたような感覚。
ただただ真っ暗な闇の中へ堕ちていく。
――嫡子アレイストを、王太子と定める。
それを実際に聞いた時の虚無感が、セレンの胸を襲った。そして、
『なんて……、期待外れな』
冷たい、地を這うような母の声が聞こえて――
2025/07/26 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 7
「――っ!」
セレンはガバッと身を起こすと、早鐘を打つ胸を押さえて荒く息をついた。
「…………夢、か」
辺りは暗く夜の帷の中にあったが、自分が使っていたベッドも周囲も、眠る前と何一つ変わっていない。
「母上、は……、やはり――」
セレンが王位につくことを望んでいるのではないか。
王都をどんどんと離れていっているこの現状に、指先が震える。母の意に叛いていることが、酷く恐ろしい。
セレンは震えを誤魔化すようにぎゅっと拳を握って瞑目する。
あの夢は、王太子位を失った十歳の頃を思い起こさせる。
ただ一つ違うのは、アレイストが立太子したあの場に、母は既にいなかったということだ。
だから、実際にああして母に声をかけられたわけではない。
あれはただの幻。死者は甦らない。
頭では理解している、のに。
セレンは自身の身体をぎゅっと抱きしめて、ふると身体を震わせた。
しかし、そんな姿すら情けないものに感じて、その腕を解く。
セレンはきゅっと唇を噛み締めて、足を床に下ろした。
「夜風にでも当たろう……」
このままではとても眠れそうになかったから。
#玉座の憧憬_本編 7
「――っ!」
セレンはガバッと身を起こすと、早鐘を打つ胸を押さえて荒く息をついた。
「…………夢、か」
辺りは暗く夜の帷の中にあったが、自分が使っていたベッドも周囲も、眠る前と何一つ変わっていない。
「母上、は……、やはり――」
セレンが王位につくことを望んでいるのではないか。
王都をどんどんと離れていっているこの現状に、指先が震える。母の意に叛いていることが、酷く恐ろしい。
セレンは震えを誤魔化すようにぎゅっと拳を握って瞑目する。
あの夢は、王太子位を失った十歳の頃を思い起こさせる。
ただ一つ違うのは、アレイストが立太子したあの場に、母は既にいなかったということだ。
だから、実際にああして母に声をかけられたわけではない。
あれはただの幻。死者は甦らない。
頭では理解している、のに。
セレンは自身の身体をぎゅっと抱きしめて、ふると身体を震わせた。
しかし、そんな姿すら情けないものに感じて、その腕を解く。
セレンはきゅっと唇を噛み締めて、足を床に下ろした。
「夜風にでも当たろう……」
このままではとても眠れそうになかったから。
2025/07/30 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 8
外へ出ると薄い夜着を風が吹き抜けていく。
何か羽織って来るべきだった、と身を震わせつつ、宿の裏庭を当てもなく歩く。
ぼんやりと夜空を見上げながら建物の角を曲がると、ふと人の気配を感じてセレンは視線を戻した。
「あ……」
そこには昼間の男が木箱に腰掛けて、こちらを見ていた。
「よぉ。……寝れねぇの?」
不意打ちの邂逅に固まっていると、男は呑気な様子でひらひらと手を振った。
「何故ここに……」
「お嬢さんと同じだと思うけど?」
なんと答えてよいか分からず黙っていると、彼は気にした様子もなくへらりと笑って、隣に置いていた瓶を持ち上げた。
「飲む?」
「……酒か? 今はそんな気分じゃ……」
「いいから、いいから」
男はセレンの話など聞きもせず、小さなグラスに瓶の中身を注いで差し出してきた。
それを無視するのも決まりが悪く、セレンは仕方なくそれを受け取ると、彼が座っているのとは別の木箱に腰を降ろした。
「お、や~っと座ってくれたな」
にやにやと笑う男を無視して、セレンは薄赤色をした酒を一口飲む。ほのかに香る果物の匂いが強すぎない酒精と共に喉を滑り落ちていく。
「……酒なんて、久し振りだ」
王女として出席する会食などで飲むことはあったが、私的な時間で酒を口にしたことなどあっただろうか。
不思議と好みにあう甘めのそれをあっという間に飲み干すと、男はグラスに継ぎ足してくれながら言った。
「そうなのか。酒は悪くないぞ。……嫌なことも忘れさせてくれる」
彼も別のグラスに酒を注いで、それを飲む。
「嫌なこと……? 貴方――……、あ、と……」
名を呼ぼうとして、まだ聞いていなかったことを思い出す。いくら怪しんでいたとはいえ、命の恩人に名前さえ尋ねていなかったのかと恥ずかしくなった。
そわそわとするセレンに、彼はくっと笑って言った。
「俺はロウェル。お嬢さんは?」
「……セレン」
本名をそのまま答えるのはまずいと思い、略称を答える。
「へぇ、美人は名前まで綺麗なんだな」
さらっとそんなことを言われて、思いがけずセレンの頬は赤くなる。だが、それに気付かぬ振りをして、話を戻した。
「そ、それで。貴方も……忘れたいことがあるのか?」
「『も』ね……。お嬢さんはどうなんだ?」
ロウェルの問いに、冷たい母の声が甦った気がした。
だが、それを振り払うように小さく首を振る。
「別に大したことじゃない。少し……、夢見が悪かっただけだ」
「夢……ね。嫌な過去でも思い出した?」
やわらかな声音で続く問いに、セレンは素直に頷いていた。
酒が緊張も警戒すらも和らげていたのかもしれない。
「……貴方は?」
「俺は――」
ロウェルはグラスに口をつけながら、遠くにある細い月を見つめる。
「犯した罪と……贖罪について、かな」
出会って以降彼が纏っていた、どことなく軽薄な空気がフッと煙のように消えた。
「贖罪……?」
ちらりとロウェルがこちらを悔いて、セレンはその暗い瞳にびくりと肩を震わせた。
だが、その一瞬後には、彼は再び仮面を被り直すかのように、軽く笑う。
「なんてな。そんな重いもんじゃねぇさ」
誤魔化すような笑みにセレンは何も言えなくなる。
だが何故か、あの深い闇を思わせる目が、この男の本質な気がして、取り繕ったような言葉を信じる気にはなれなかった。
「……それで、何故…私達について来ようと?」
どうしてそんなことを改めて聞いたのか、セレンは自分でもよく分からなかった。
ただ、もう少し、この男の心の内に触れてみたかったのかもしれない。
だが、彼はもう表情を崩すことなく、軽薄な調子のまま言った。
「言ったろ? ここで会ったのも何かの縁だし、って。今は暇してるから仕事があるとありがたい、ってのもあるけど。でも第一は――」
ロウェルは、ジッとセレンの顔を見つめた。
「第一は、かわいい女がいるから?」
「――は?」
セレンは男の言葉にスッと目を細める。
かわいい女――。たしかに、この一行にはミイスをはじめとした侍女たちが幾人も同行している。
セレンは「この男……」と額に青筋を立てて、ロウェルを睨んだ。
「お前……、ミイスたちに色目を使うなら――」
「は!? 違う違う!」
「何が違うん――」
怒鳴ろうとしたところで、ロウェルが指を差してくる。
「なんだ、この指は」
「本気で言ってる? 俺の言ってる『かわいい女』って、あんたのことなんだけど」
「はあっ!?」
揶揄われてる。絶対に。
セレンはグラスを握る手にギリギリと力を込める。
だが、ロウェルは追い打ちをかけるように、へらへらと笑って言った。
「冗談だよ。あんたは『かわいい』じゃなくて……、綺麗なんだよな」
「っ!!」
いやに真剣な目で言われ、セレンは羞恥のあまりに残っていた酒を呷ると、すくっと立ち上がった。
「馬鹿なことを言うのもいい加減にしろ!」
セレンはグラスをロウェルに押し付けるように返すと、そのままくるりと背を向けてその場を後にしようとする。
だが、その背中に声がかけられる。
「それで? ついてってもいい?」
「~~っ、勝手にしろ!!」
やけっぱちに叫んで、セレンは足早にその場所を後にする。
なんだかんだ、あの男の思惑通りにされてしまったのでは――。と気付いたのは、ふて寝しようと布団をかぶったものの結局眠れずに、ベッドの上で朝日を拝んだ時のことだった。
#玉座の憧憬_本編 8
外へ出ると薄い夜着を風が吹き抜けていく。
何か羽織って来るべきだった、と身を震わせつつ、宿の裏庭を当てもなく歩く。
ぼんやりと夜空を見上げながら建物の角を曲がると、ふと人の気配を感じてセレンは視線を戻した。
「あ……」
そこには昼間の男が木箱に腰掛けて、こちらを見ていた。
「よぉ。……寝れねぇの?」
不意打ちの邂逅に固まっていると、男は呑気な様子でひらひらと手を振った。
「何故ここに……」
「お嬢さんと同じだと思うけど?」
なんと答えてよいか分からず黙っていると、彼は気にした様子もなくへらりと笑って、隣に置いていた瓶を持ち上げた。
「飲む?」
「……酒か? 今はそんな気分じゃ……」
「いいから、いいから」
男はセレンの話など聞きもせず、小さなグラスに瓶の中身を注いで差し出してきた。
それを無視するのも決まりが悪く、セレンは仕方なくそれを受け取ると、彼が座っているのとは別の木箱に腰を降ろした。
「お、や~っと座ってくれたな」
にやにやと笑う男を無視して、セレンは薄赤色をした酒を一口飲む。ほのかに香る果物の匂いが強すぎない酒精と共に喉を滑り落ちていく。
「……酒なんて、久し振りだ」
王女として出席する会食などで飲むことはあったが、私的な時間で酒を口にしたことなどあっただろうか。
不思議と好みにあう甘めのそれをあっという間に飲み干すと、男はグラスに継ぎ足してくれながら言った。
「そうなのか。酒は悪くないぞ。……嫌なことも忘れさせてくれる」
彼も別のグラスに酒を注いで、それを飲む。
「嫌なこと……? 貴方――……、あ、と……」
名を呼ぼうとして、まだ聞いていなかったことを思い出す。いくら怪しんでいたとはいえ、命の恩人に名前さえ尋ねていなかったのかと恥ずかしくなった。
そわそわとするセレンに、彼はくっと笑って言った。
「俺はロウェル。お嬢さんは?」
「……セレン」
本名をそのまま答えるのはまずいと思い、略称を答える。
「へぇ、美人は名前まで綺麗なんだな」
さらっとそんなことを言われて、思いがけずセレンの頬は赤くなる。だが、それに気付かぬ振りをして、話を戻した。
「そ、それで。貴方も……忘れたいことがあるのか?」
「『も』ね……。お嬢さんはどうなんだ?」
ロウェルの問いに、冷たい母の声が甦った気がした。
だが、それを振り払うように小さく首を振る。
「別に大したことじゃない。少し……、夢見が悪かっただけだ」
「夢……ね。嫌な過去でも思い出した?」
やわらかな声音で続く問いに、セレンは素直に頷いていた。
酒が緊張も警戒すらも和らげていたのかもしれない。
「……貴方は?」
「俺は――」
ロウェルはグラスに口をつけながら、遠くにある細い月を見つめる。
「犯した罪と……贖罪について、かな」
出会って以降彼が纏っていた、どことなく軽薄な空気がフッと煙のように消えた。
「贖罪……?」
ちらりとロウェルがこちらを悔いて、セレンはその暗い瞳にびくりと肩を震わせた。
だが、その一瞬後には、彼は再び仮面を被り直すかのように、軽く笑う。
「なんてな。そんな重いもんじゃねぇさ」
誤魔化すような笑みにセレンは何も言えなくなる。
だが何故か、あの深い闇を思わせる目が、この男の本質な気がして、取り繕ったような言葉を信じる気にはなれなかった。
「……それで、何故…私達について来ようと?」
どうしてそんなことを改めて聞いたのか、セレンは自分でもよく分からなかった。
ただ、もう少し、この男の心の内に触れてみたかったのかもしれない。
だが、彼はもう表情を崩すことなく、軽薄な調子のまま言った。
「言ったろ? ここで会ったのも何かの縁だし、って。今は暇してるから仕事があるとありがたい、ってのもあるけど。でも第一は――」
ロウェルは、ジッとセレンの顔を見つめた。
「第一は、かわいい女がいるから?」
「――は?」
セレンは男の言葉にスッと目を細める。
かわいい女――。たしかに、この一行にはミイスをはじめとした侍女たちが幾人も同行している。
セレンは「この男……」と額に青筋を立てて、ロウェルを睨んだ。
「お前……、ミイスたちに色目を使うなら――」
「は!? 違う違う!」
「何が違うん――」
怒鳴ろうとしたところで、ロウェルが指を差してくる。
「なんだ、この指は」
「本気で言ってる? 俺の言ってる『かわいい女』って、あんたのことなんだけど」
「はあっ!?」
揶揄われてる。絶対に。
セレンはグラスを握る手にギリギリと力を込める。
だが、ロウェルは追い打ちをかけるように、へらへらと笑って言った。
「冗談だよ。あんたは『かわいい』じゃなくて……、綺麗なんだよな」
「っ!!」
いやに真剣な目で言われ、セレンは羞恥のあまりに残っていた酒を呷ると、すくっと立ち上がった。
「馬鹿なことを言うのもいい加減にしろ!」
セレンはグラスをロウェルに押し付けるように返すと、そのままくるりと背を向けてその場を後にしようとする。
だが、その背中に声がかけられる。
「それで? ついてってもいい?」
「~~っ、勝手にしろ!!」
やけっぱちに叫んで、セレンは足早にその場所を後にする。
なんだかんだ、あの男の思惑通りにされてしまったのでは――。と気付いたのは、ふて寝しようと布団をかぶったものの結局眠れずに、ベッドの上で朝日を拝んだ時のことだった。
2025/08/18 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 9
結局、セレンはロウェルの同行を正式に許可した。
一度は「勝手にしろ」と言ってしまったのもあるが、実際、怪我人の多い現状人手はあって困ることはないからだ。
それに、あまりに頑迷なのも、子供っぽい意地のように思えてしまったというのもある。
ロウェルを負傷した御者の補佐に当てて、旅路が続く。
数日が経ち、いくつか山を超えはしたものの、あの時のような襲撃はなく、穏やかに時間が過ぎていった。
はじめに抱いていたロウェルへの警戒が、日ごとに薄れていく、
それと同時に、胸の奥で燻っていた「ある疑念」も、己の勘違いだったように思えてきていた。
「なあ、なんか気になることでもあるのか?」
ある日の野営中、不意にロウェルから問いかけられたセレンは、驚いて顔を上げた。
「……私は、そんなに変な顔をしていたか?」
「いんや。ただ……、たまーに周りを見回しているだろ。――警戒するみたいに」
セレンは思わぬ指摘に息を飲んだ。
この男は、存外周囲をよく見ている。傭兵をやっていくには、この程度の抜け目のなさは必要なのだろうか。
セレンはしばし考えたあと、素直に首を縦に振った。
「本当に、襲撃はあの一度きりの偶然だったのか、って」
「なにそれ。ただの物取りじゃなかったって言いたいのか?」
彼の問いに首肯する。
「荷が目的には、見えなかったんだ」
馬車の外へ飛び出した瞬間に感じた殺気を思い出す。
もしも積荷や金が目的ならば、セレンをはじめとした女には、生きていてもらった方が都合が良いはずだ。護衛たちは目的の妨げになるため殺すとしても、それ以外は――、売るなり、犯すなり、使い道がある。
ここウィレミニアでは、表向き人身売買は禁止されているものの、合法以外の方法ならばいくらでもあった。
ずっと考えていた疑念を口にすると、ロウェルは腕を組んで首を捻る。
「うぅん……、言いたいことは分かるが、それだけじゃあなぁ……」
セレンが押し黙っていると、ロウェルが顔を覗き込んできて、枝垂れていた前髪を耳にかけてくる。
「それだけが理由じゃなかったり?」
「…………ああ。お前は…奴らの武器を見たか?」
「武器?」
ロウェルは目を瞬かせる。
「奴らの使っていた武器が……、お――私の家に仕える者たちに支給されているものに似ていた気がして」
王宮、と言いかけて慌てて訂正する。
ロウェルは不自然に途切れた言葉には気付かなかったらしく、ただ驚いた顔をする。
「――んだな」
「何?」
「いや、身内から狙われてるの思ってるのか、と驚いて」
「無い話じゃないさ」
セレンは苦笑を浮かべた。
己の存在は、躍起になって消すほどではないと思っていたが、彼らにとってはそうではなかったのかもしれない。
「弟は、……家督を継ぐのに私が邪魔だろうし、父だって、きっと――」
アキュイラへの赴任も、自身を排除するための方便だったのだろうか。
セレンが唇を噛んで俯くと、突然頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「ちょっ、何をするんだ!」
「いや……。あんまさ、悲観するなよー、って思って」
顔を上げると、軽い調子の言葉とは裏腹に、どこか思い詰めたような顔をするロウェルと目が合った。
その表情に、ぎゅっと胸を掴まれた心地になる。
「……うるさい。悲観なんかしてないっ」
セレンはぷいっと顔を背けると、彼の手を払って髪を整える。
「そ? ならいいけど」
ちらっと視線だけ戻すと、もうロウェルはいつもどおりの顔をしていた。
セレンはそのことに、密かな安堵を覚えたのだった。
#玉座の憧憬_本編 9
結局、セレンはロウェルの同行を正式に許可した。
一度は「勝手にしろ」と言ってしまったのもあるが、実際、怪我人の多い現状人手はあって困ることはないからだ。
それに、あまりに頑迷なのも、子供っぽい意地のように思えてしまったというのもある。
ロウェルを負傷した御者の補佐に当てて、旅路が続く。
数日が経ち、いくつか山を超えはしたものの、あの時のような襲撃はなく、穏やかに時間が過ぎていった。
はじめに抱いていたロウェルへの警戒が、日ごとに薄れていく、
それと同時に、胸の奥で燻っていた「ある疑念」も、己の勘違いだったように思えてきていた。
「なあ、なんか気になることでもあるのか?」
ある日の野営中、不意にロウェルから問いかけられたセレンは、驚いて顔を上げた。
「……私は、そんなに変な顔をしていたか?」
「いんや。ただ……、たまーに周りを見回しているだろ。――警戒するみたいに」
セレンは思わぬ指摘に息を飲んだ。
この男は、存外周囲をよく見ている。傭兵をやっていくには、この程度の抜け目のなさは必要なのだろうか。
セレンはしばし考えたあと、素直に首を縦に振った。
「本当に、襲撃はあの一度きりの偶然だったのか、って」
「なにそれ。ただの物取りじゃなかったって言いたいのか?」
彼の問いに首肯する。
「荷が目的には、見えなかったんだ」
馬車の外へ飛び出した瞬間に感じた殺気を思い出す。
もしも積荷や金が目的ならば、セレンをはじめとした女には、生きていてもらった方が都合が良いはずだ。護衛たちは目的の妨げになるため殺すとしても、それ以外は――、売るなり、犯すなり、使い道がある。
ここウィレミニアでは、表向き人身売買は禁止されているものの、合法以外の方法ならばいくらでもあった。
ずっと考えていた疑念を口にすると、ロウェルは腕を組んで首を捻る。
「うぅん……、言いたいことは分かるが、それだけじゃあなぁ……」
セレンが押し黙っていると、ロウェルが顔を覗き込んできて、枝垂れていた前髪を耳にかけてくる。
「それだけが理由じゃなかったり?」
「…………ああ。お前は…奴らの武器を見たか?」
「武器?」
ロウェルは目を瞬かせる。
「奴らの使っていた武器が……、お――私の家に仕える者たちに支給されているものに似ていた気がして」
王宮、と言いかけて慌てて訂正する。
ロウェルは不自然に途切れた言葉には気付かなかったらしく、ただ驚いた顔をする。
「――んだな」
「何?」
「いや、身内から狙われてるの思ってるのか、と驚いて」
「無い話じゃないさ」
セレンは苦笑を浮かべた。
己の存在は、躍起になって消すほどではないと思っていたが、彼らにとってはそうではなかったのかもしれない。
「弟は、……家督を継ぐのに私が邪魔だろうし、父だって、きっと――」
アキュイラへの赴任も、自身を排除するための方便だったのだろうか。
セレンが唇を噛んで俯くと、突然頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「ちょっ、何をするんだ!」
「いや……。あんまさ、悲観するなよー、って思って」
顔を上げると、軽い調子の言葉とは裏腹に、どこか思い詰めたような顔をするロウェルと目が合った。
その表情に、ぎゅっと胸を掴まれた心地になる。
「……うるさい。悲観なんかしてないっ」
セレンはぷいっと顔を背けると、彼の手を払って髪を整える。
「そ? ならいいけど」
ちらっと視線だけ戻すと、もうロウェルはいつもどおりの顔をしていた。
セレンはそのことに、密かな安堵を覚えたのだった。
2025/08/19 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 10
セレンの心配をよそに、一行は何の問題も起こらないまま、アキュイラの地を踏んだ。
国境地帯ではあるものの、もう何十年と戦の起こっていない街は美しく整備され、馬車から見るその光景は両国の平和を象徴しているように思えた。
これから、自分はこの場所で生きて、そして死んでいくのだろうか。
ほんの少し、胸の中に寂寥が浮かぶ。だがそれと同じくらい、この美しい街を守っていくという役目は、そう悪いものではないのかもしれないとも思う。
「――少し、街を歩いてみたいんだが」
ぽつりと零れた言葉にミイスがにっこりと微笑み、程なくして馬車は街の広場に停車したのだった。
ロウェルの手を借りて地面へと降りたセレンは、王都とはまた違うアキュイラの街並みに、きょろきょろと視線を巡らせる。
そんなセレンにくすとロウェルが笑みを漏らす。
「楽しそうだな」
「なっ……そ、そんなんじゃないっ。私は周囲を警戒して――」
「はいはい、そういうことにしといてやるよ」
苦笑しながら髪をかき混ぜる手に、セレンはますます目を吊り上げる。
「だから、髪を乱すのはやめろと――」
セレンが拳を握ると、彼は手を離して肩を竦めた。
「まあ、なんにせよ無事に着いてよかったじゃないか」
「……ああ」
「んじゃ、俺もお役御免だな」
そう言って、ニッと笑うロウェルに、セレンは虚を突かれる。
「は――?」
「おいおい。元々アキュイラまでの護衛、っていう契約だったろ? 忘れちまったか?」
「そういうわけじゃ……」
たしかに、目的の場所まで到着はした。だが、てっきり城まで――、これからセレンが住むことになる場所までは着いて来るのかと思っていたのだ。
まだ別れまで暫しの猶予があると思っていた――。
だが、ロウェルは「お役御免」という言葉を取り消す気配もなく、セレンは呆然としたまま、どうにか謝礼金の手配だけは指示をする。
ロウェルは受け取った袋を開けて、ザッと中身を確認するとすぐに懐にしまった。
「はいよ、たしかに」
セレンは何と言ってよいか分からずに、ただロウェルの姿を無言で見つめる。
「それじゃあな」
「…………ああ」
ここで彼を引き留める理由など存在しない。
セレンは俯きながら、こくりと頷いた。
だが、彼はすぐには去ろうとせず、小さく嘆息する。そして、セレンの俯いた視界に彼の手が伸びてくる。
「な、に……」
頬をすべる指に、上を向かされる。
感情の読めない彼の目と視線が絡んで、セレンはぴくりと肩を跳ねさせた。
「そんな顔しなくても、すぐに会える。またな、セレンティーネ」
「え……」
ロウェルの唇が頬をかすめてゆく。
セレンは彼の体温が移ったかのように熱い頬を押さえながら、今度こそ去っていくロウェルの背中をただ見送った。
#玉座の憧憬_本編 10
セレンの心配をよそに、一行は何の問題も起こらないまま、アキュイラの地を踏んだ。
国境地帯ではあるものの、もう何十年と戦の起こっていない街は美しく整備され、馬車から見るその光景は両国の平和を象徴しているように思えた。
これから、自分はこの場所で生きて、そして死んでいくのだろうか。
ほんの少し、胸の中に寂寥が浮かぶ。だがそれと同じくらい、この美しい街を守っていくという役目は、そう悪いものではないのかもしれないとも思う。
「――少し、街を歩いてみたいんだが」
ぽつりと零れた言葉にミイスがにっこりと微笑み、程なくして馬車は街の広場に停車したのだった。
ロウェルの手を借りて地面へと降りたセレンは、王都とはまた違うアキュイラの街並みに、きょろきょろと視線を巡らせる。
そんなセレンにくすとロウェルが笑みを漏らす。
「楽しそうだな」
「なっ……そ、そんなんじゃないっ。私は周囲を警戒して――」
「はいはい、そういうことにしといてやるよ」
苦笑しながら髪をかき混ぜる手に、セレンはますます目を吊り上げる。
「だから、髪を乱すのはやめろと――」
セレンが拳を握ると、彼は手を離して肩を竦めた。
「まあ、なんにせよ無事に着いてよかったじゃないか」
「……ああ」
「んじゃ、俺もお役御免だな」
そう言って、ニッと笑うロウェルに、セレンは虚を突かれる。
「は――?」
「おいおい。元々アキュイラまでの護衛、っていう契約だったろ? 忘れちまったか?」
「そういうわけじゃ……」
たしかに、目的の場所まで到着はした。だが、てっきり城まで――、これからセレンが住むことになる場所までは着いて来るのかと思っていたのだ。
まだ別れまで暫しの猶予があると思っていた――。
だが、ロウェルは「お役御免」という言葉を取り消す気配もなく、セレンは呆然としたまま、どうにか謝礼金の手配だけは指示をする。
ロウェルは受け取った袋を開けて、ザッと中身を確認するとすぐに懐にしまった。
「はいよ、たしかに」
セレンは何と言ってよいか分からずに、ただロウェルの姿を無言で見つめる。
「それじゃあな」
「…………ああ」
ここで彼を引き留める理由など存在しない。
セレンは俯きながら、こくりと頷いた。
だが、彼はすぐには去ろうとせず、小さく嘆息する。そして、セレンの俯いた視界に彼の手が伸びてくる。
「な、に……」
頬をすべる指に、上を向かされる。
感情の読めない彼の目と視線が絡んで、セレンはぴくりと肩を跳ねさせた。
「そんな顔しなくても、すぐに会える。またな、セレンティーネ」
「え……」
ロウェルの唇が頬をかすめてゆく。
セレンは彼の体温が移ったかのように熱い頬を押さえながら、今度こそ去っていくロウェルの背中をただ見送った。
2025/08/20 00:00:00
作品一覧
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#玉座の憧憬_本編 1
謁見の間に重苦しい沈黙が続く。
一段高い所にいる王とその息子、それから部屋の脇にずらりと並ぶ高官たち。
その中で騎士服を身に纏った女が一人、膝をついて国王に頭を垂れていた。
美しい銀髪は肩から零れ落ち、床に広がっている。俯いた怜悧な美貌と相まって、一枚の荘厳な絵のようにさえ見えた。
「――セレンティーネ」
王が威厳のある声で女の名を呼ぶ。
「お前をアキュイラの領主に任ずる。国防の要たる彼の地を治め、国のために一層その身を賭して尽くすように」
厳かな宣言にセレンティーネ――セレンは、ぎゅっと拳を握り締めた。
――やはり、父上は私を疎んじておられるのか。
玉座に座る王を、セレンはアメジストのような鮮やかな紫色をした目だけ動かして睨むように見上げた。
その隣には、自身とは似ても似つかぬ容貌をした――、だが父王とはよくよく似た顔の異母弟が立っている。
どこか不安げな様子でこちらを見る様が、腹立たしくて仕方がない。
あそこは、私の居場所だったはずなのに。
だが、王命に逆らうことなどできるはずもなく、セレンは更に深く頭を垂れた。
「謹んで、拝命いたします――」
だが、内心に荒れ狂う怒りの嵐は抑えきれずに、ギリッと唇を噛み締めた。