初稿置き場

#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 3


 ユリスは、この国で歴代宰相を務める家系の嫡子として産まれた。
 祖母が降嫁した王女である貴き名家出身の母と、権力欲が些か強く人を駒としてしか見ていないものの有能な父。
 貴族家としてはありがちな、アルファ同士の夫婦だった。
 貴族――特に、王族に近ければ近いほど、アルファ性の子供が産まれる確率は高い。ユリスの家系も産まれる子供の殆どがアルファであり、ベータすら長らく傍系にしか産まれていないほどだった。
 だが――。
 産まれたユリスの性別を確認した母は、真っ青になって卒倒したという。
 ユリスは――、オメガだった。
 オメガの社会進出が進むと共に、表面上オメガへの差別は撤廃された。
 だが、人々の根底にはまだまだ差別意識は残り続けている。
 おそらく、「嫡子」でなければ、今のユリスはいなかった。
 貴族家に産まれたオメガの行く末は、通常大きく二つだ。
 汚点として「死産」させられるか、もう一つ。
 他家へ嫁がせる道具として、ある意味では大切に養育されるか、だ。
 オメガはアルファの妊娠率が高いと言われている。そのため、アルファがほしい家の嫁として一定の需要があるからだ。
 だが、そういった背景があっても、ユリスがもし第二子以降の生まれであったならば、生かされてはいなかっただろう。
 ユリスは両親にとって、結婚五年目にしてようやくできた「待望の子供」だったからだ。
 今後、「もう一人」ができる保証はどこにもなかった。
 そのためユリスは自身の性別を秘匿されたまま、「嫡子」として育てられた。
 そもそも子の三性を無闇に明かすことはない。高位貴族の出身というだけで、アルファだと見なされる。そうでなかったとしてもベータ――。ましてや、項保護の首輪を付けていないユリスが、「オメガ」だなどと勘繰られるようなことはなかった。
 とはいえ、父はおそらく代わりの子供ができれば、すぐにでもユリスを「処分」する心積もりだったはずだ。
 そうならなかったのは――、
 ユリスは物思いから浮上して、執務机のかじりつくルベルトを視線だけで見つめた。
 五歳になった頃に参加させられた、王太子殿下と同世代の子供たちが交流を持つ園遊会で、ユリスが彼の「お気に入り」になったからだった。
 二つ年上の彼は、ユリスが参加した会ではユリスの傍を決して離れず、まるで全てのものから守ろうとでもするかのように、傍に居続けた。
 そうでなければ、その少し後に妊娠が発覚した妹が産まれると共に、ユリスの扱いは百八十度変わっていたはずだ。
「さて、ユリス。少し出てくる」
「――お見合い、でしたか」
「そ。母上も結婚結婚うるさくて」
「……王妃殿下もご心配なさっているのでしょう。二十五にもなって婚約者も決まってないのは」
「候補ならいるから! 今日もその内の一人と会うんだし……」
「所詮『候補』でしょうに」
「ぬぐっ」
 彼は王族として、血を残す義務がある。最悪の場合は傍系を養子に取るという手もあるにはあるが、頑健で優秀なアルファの王太子がいるのだから、わざわざ面倒な手続きを踏む必要などあるはずもない。
「……何故、結婚なさらないんです」
「それはそのー、あれだ。『婚約者に逃げられた胸の傷が――』」
 彼が幼少期に結んでいた婚約の相手のことだ。そのオメガ女性は自身の家に仕えていたベータ男性と駆け落ち同然に家を出たらしい。ルベルトは「愛する婚約者がその方が幸せなら」と身を引いた――ことになっている。
 心優しき王太子殿下の逸話の一つになっているが、実際は違う。
「俺に建前が通じるとでも?」
 胡乱な目で問い返すと、ルベルトはぺろっと舌を出して、肩を竦めた。
「やっぱ、見逃してくんない?」
 彼は別に婚約者を「愛して」などいなかった。もちろん、人としての好意はあったようだし、あのまま結婚していたとて、特段不仲な夫婦になったわけではないだろう。
 だが、ルベルトは「愛していた」ことにする方が、都合が良いと判断した。
 愛する人を涙ながらに手放す王子。
 相手の女側へも、「王子が許している」以上、不必要な程の糾弾は起こらない。
 優しい人だ、と思う。
 だが、その後何年にも渡ってそれを理由に、結婚から逃げ回っているのを見るに、それすら計算だったのではと思う時があった。
「――言いたくないなら、別に無理には聞きませんが」
「あ、そんな深刻な理由じゃないさ。ただ……諦めきれなくて」
「? 何を?」
「えっ!? あー? その、リリアーヌ(元婚約者)みたいに、『真に愛する人』と結ばれたいな~、なんて! そ、それよりそろそろ遅れるから、行ってくる!!」
「あ……」
 はぐらかされた。
 直感的にそう思った。
「……彼が、誰とどうなろうが、関係ないだろ」
 自分に言い聞かせるように呟く。
 今の自分は「アルファ」だ。
 それに、抑制剤を常用し、フェロモンの発生を抑え、「オメガとしての自分」を殺し続けてきた今、今更「オメガとしての役割」を果たせるのかどうかさえ分からない。
 強い抑制剤は当然人体に影響を及ぼす。
 それを幼少期から服用してきたユリスは、おそらく――。
 そっと、ユリスは肚のあたりに手を置いた。
「いや、分かっていたことじゃないか……」
 長い間共にいて、ルベルトを好きにならずにいられるはずがなかった。
 魅力的なアルファに、オメガの本能が惹きつけられているだけ。そう思おうとしても、無理だった。
 何より、自分たちの関係は「アルファ同士の友人」以上のものにはなれない。
 彼がいずれ妃として迎えるであろう女やオメガたちと会いに行く後ろ姿に、どれほど胸が引き裂かれそうになったとしても――。
 その時、唐突に執務室の扉が空いた。
 驚いてそちらを見る、が、そこにいるのが誰かすら確認する間もなく、膝から力が抜けた。
「え……」
 へた、と床に手をついて、ドクンドクンと音を立てる心臓を抑えながら、どうにか顔を上げた。
「ルベルト、様……?」
 何故、先程出ていったばかりの彼がいるのだろう。
 ルベルトは、赤い顔で荒く息をつきながら、切れ切れに言葉を発する。
「ユリス、すまないが人を――、発情誘発剤をかけられた」
「っ!!」
 それは、強制的にアルファやオメガを発情させる薬だ。アルファを誘惑したいオメガが時折使って問題を起こした、と聞くこともある。
 まさかそれを王族に、と信じ難い気持ちだったが、今はそれに驚いている場合ではない。
(立たなきゃ……、「アルファ」ならば今すぐに)
 ルベルトは会う予定だった令嬢の元には行かず、すぐに引き返してきたのだろう。
 彼の判断は間違っていない。アルファやベータであれば、彼の現状に冷静に対処できるはずだからだ。
 ユリスが、「オメガ」でさえなければ――。
「ユリ、ス……?」
「あっ……」
 彼の目に射抜かれただけで、じわりと後ろが濡れた。
 オメガの発情はアルファやベータを誘うが、アルファの発情もまた、オメガの発情を誘発してしまう。
「――」
 ルベルトはゆらりと立ち上がると、扉の鍵をかけた。
「な、なにを……」
 そして、彼はユリスの傍まで歩いてくると、膝をついて頤を持ち上げ――、唇を塞いだ。
「んぅっ!?」
 舌が絡め取られ、じゅっと音を立てて吸われる。
「あっ……っ」
 もう、駄目だった。
 最後の一欠片だけ残っていた理性が、溶けて消えてゆく。
「ル、ベルト、さま……」
 抗えるはずもない。オメガの本能、何より、ユリスはずっとずっとこの男が欲しかったのだから――。

2025/08/24 00:00:00

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 36


 その後、アレイストはセレンと顔を合わせぬままとんぼ返りしていき、数日後にはセレン自身もアキュイラへと戻った。
 数ヶ月ぶりに顔を合わせたミイスは、人目も憚らず大泣きしたあと、心労などで出発時よりも更に痩せたきり、まだ体型の戻っていないセレンに気付くと、誰が止める間もなく、ロウェルの頬に平手打ちが飛んでいた。
 ミイスの言い分としては、「貴方がついていながら、どうして姫様がこんなことになっているんですか!」とのことだ。ロウェルは返す言葉もないのか、ただただ頭を下げるばかりだった。
 こうして「誘拐されていた」セレンは、まるで何事もなかったかのように、アキュイラへと戻った。
 その筋書きが真実ではないことくらい、皆分かっていただろうに、誰も追求してくることはなく、セレンはこの恩に報いるためにも、一層領主業に邁進していった。

 それから数年。
 セレンの姿は王都の城内にあった。
 今度は押し入ったわけでは当然なく、今宵の主役の姉として招待をされた席だ。
 今日は、主役――アレイストの婚礼が行われていた。
 日中に誓いを終え、今はパーティーが行われている。セレンはアレイストの代わりに、ファーストダンスを終えて壁際まで抜けてきたところだ。
「ほい」
 差し出されたグラスに顔を上げる。
「ありがとう、ロウェル」
 パートナーとして出席しているのは、もちろんこの男だ。今のところ、婚約者ですらないのだが、当然のように一緒にいる。
 セレンは細いグラスに軽く口を付けつつ、新妻と談笑するアレイストの姿を見つめた。
 表情がとてもやわらかい。
 王太子としての笑顔でも、あの夜に見た寂しげな微笑でもない。
 そのことに安堵して――、安堵できている自分にもほっとする。
「アレイストも随分、落ち着いたみたいね」
「あぁー、まあ。最初は結構荒れてたけどな」
 セレンは目を眇めて、子供の成長を見守るような目をしているロウェルに、胡乱な視線を向けた。
「そうね。あなたは頻繁にアレイストと会ってるものね。わたしに『傍で見てろ』とか言ってたくせに、殆どいやしないんだから」
「ちょ……、殆ど、ってことはないだろ。月一くらいでしか……」
「往復の時間を考えたら、半分はいないじゃない」
「うぐっ……」
 しどろもどろになるロウェルに多少は溜飲が下がり、セレンは肩を竦めた。
「でも、奥様とも上手くいってそうだし、そろそろ返してもらわないとね。……ねえ、ロウェル」
「なんだ?」
「結婚する?」
「ぶっ!」
 飲んでいたワインを吹き出したロウェルは、げほげほと涙目で咳き込みながら、こちらを見上げる。
「……本気か?」
「だって、アレイストの縁談も纏って、もう気兼ねする必要はないし。正式に籍を入れれば、もう少しアレイストの方へ行く頻度も減らしてくれるでしょ」
「それは、まあ……。そろそろ(アレイスト)離れしなきゃなぁ、とは思ってたところだし……」
「じゃあ、いいじゃない」
「いや、それはそうなんだけど」
 ロウェルは何やら唸ったあと、はあ、と大きな溜息をついた。
 それから、セレンの空いている方の手をうやうやしく掴んだ。この数年で、すっかり剣ダコの消えた手は、ほっそりとした令嬢の手で、セレンは自分自身でも不思議に見えるときがあった。
 ロウェルはそんな手の指先に、ちゅっとキスを落とした。
「答えは……、その、イエスだ。イエス、だが」
「『だが』?」
「プロポーズは、今度俺からやり直させてくれ」
 なんとも渋い顔でそう言ったロウェルに、セレンはぷっと笑ってしまった。
「ふふ、なら期待して待ってようかしら。でもいいの? 仕切り直しをしようとしてる、なんてミイスの耳に入ったら、口煩くダメ出しされそうだけど」
「う゛……。たしかに……」
 アキュイラに戻って以降、ミイスはやたらとロウェルに手厳しい。だがロウェルも、それを甘んじて受け入れているので、思うところがあるのだろう。
 ちなみにセレンは内心、まるで姑の嫁いびりだなぁ、と思っているが、それは内緒だ。
「いや! でも、やるから。待っててくれ」
 意気込んで宣言するロウェルに、セレンはくすくすと笑った。
「なら、楽しみにしてる」
 セレンはロウェルの手に指を絡めて、先程より一歩距離を詰めた。彼の肩に身体を預けて、目を閉じる。
 彼の隣が、わたしの居場所。
 これからも――、死が二人の元に訪れるまで。

   終

2025/08/22 00:00:25

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 35


「…………、」
 朝焼けの中、目を覚ましたセレンは、ベッドの上でのそりと起き上がって、窓から見える白い空を見ていた。
 久し振りに――、本当に久し振りに、夢も見ずに眠った気がする。
 昨夜、アレイストと、ロウェルと、交わした言葉の一つ一つはまだ鮮明だが、どこか遠い過去のようにも思えた。
 とても、不思議な気分だった。
「……ねぇ、母様」
 今日は黙って傍に立っているだけの母に呼びかける。
 ただ恐ろしかった存在が、今は少しだけ違って見える。
 居場所が欲しくて必死だった。
 自分と母は、きっと同じ気持ちを抱えていただけなのだ。
「わたし、はじめて今、母様が生きてらっしゃったら――、って思った。生きていらっしゃったら、どういう思いで玉座に執着していらっしゃったのか、……その心に、誰が住んでいたのか、聞くことができたのに、って」
 幻影の母は黙したまま、何も語らない。
 当たり前だ。セレンは「本当の母」のことなんて、きっと何も知らないのだから。
「母様、わたし……王には、()()()()わ」
 王族の血が流れていないから、だとか、そんな表面的な理由なんかじゃない。
 これはやっと取り戻しはじめた、「わたし」の決断だ。
「だから……、いつかわたしが母様と同じ場所へ行った時、沢山恨み言を聞くわ。でも、少しだけ見ていてほしいの。……ロウェルと生きていく、わたしを」
 母は最後まで何も言わなかった。
 でも、それでいいのだ。
 きっとこれからも、母の夢に苦しむ夜はあるだろう。それでも、もう少しだけ生きてみることにしたから。
「またね、母様」
 セレンは立ち上がって、おもいっきり伸びをした。
 本当に久し振りに感じる、清々しい朝だった。

2025/08/22 00:00:24

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 34


 セレンが眠ってしまうまで傍で見届けたロウェルは、そっと部屋を退室した。
 そこにむっつりと腕を組んで壁にもたれる人影を見つけて、目を丸くする。
「アレイスト……」
 ちらと睨むようにロウェルを一瞥するアレイストだが、そのまま何も言わない。ロウェルはきょろと視線を巡らせて尋ねた。
「リーティエ公女は?」
「母上なら、もう戻られた」
 ならお前は? と視線で問うが、アレイストは黙ったままだ。しかし、そのまま前を素通りして戻ることもできず、ロウェルは所在なく佇む。
 そうしていると、アレイストは小さな溜息と共に、ようやく口を開いた。
「陛下には、誘拐されたセレンティーネ王女は公国内で保護、現在はリーティエ妃の元で静養中。誘拐犯は辛くも取り逃がした――、と伝えておく」
 アレイストの言葉から、セレンは謀反人ではなく、誘拐の被害者として捜索されていたのだろうと悟る。どうりで、追手に迫られた時、セレンへの害意を感じなかったはずだと納得する。
「わかった。頃合いを見てアキュイラに連れて行くよ」
「……ああ」
 それきり、また沈黙が落ちる。
 だが、今度その静寂を破ったのはロウェルだった。
「――なあ、アレイスト。……ごめんな」
 アレイストの頬がぴくりと痙攣して、ロウェルに鋭い視線を向けた。
「それは、何に対する謝罪だ」
「……、さあ。全部かも。でも一番は、あの日……お前の手を離してしまったこと、かな」
 ロウェルの視線が、無意識にアレイストの左足へと向かう。その仕草で、ロウェルの言う「あの日」がいつのことか理解したのだろう。アレイストはまた溜息ついた。
「その件なら、謝罪は受けたはずだが?」
「たしかに謝りはしたな。でも、それを受け取ったことないだろ、お前」
 ロウェルの言わんとすることが分かったのか、アレイストの眉間に刻まれていた皺が深くなった。
 ロウェルとて、謝ったからといって簡単に許してもらえるとは思っていないし、もしそうなったとしても自分で自分を許せない。
 だが、あの事件のあと初めて顔を合わせたアレイストに、心からの謝罪をして頭を下げたロウェルに返ってきたのは、「別に、いい」という短い返答と、それまで見たこともなかった冷たい顔だった。
 謝罪をする、ということすら許されないのだ、と悟るには十分だった。
 でも、それでも。もっと彼に踏み込んで、鬱陶しがられても謝るべきだった、と今は思う。
 そうすればきっと――、こんな寂しそうな目をさせずに済んだのに。
「アレイスト」
「な、っ」
 少し強引に腕を引いて、その身体を抱きしめる。
「俺は、今でもお前が大事だし、友人だと……、弟だと、思ってるから」
「っ……」
 はじめは抵抗しようとしていた腕の力が抜けて、ロウェルの服を掴んだ。
「お前、ほんと……」
 肩口に顔を埋めたアレイストが、もごもごと何かを呟く。
「ん?」
「……ずるい。もう、僕のそばには、戻らない……くせに」
「また、会いに行くよ。必ず」
 それっきり何も言わなくなったアレイストの背中を撫でる。
 いつか、この夜のことも笑い話にできる日が来ることを願いながら。

2025/08/22 00:00:23

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 33


 昼間は落ち着いている気持ちも、夜になればざわめきだす。
 耳元で聞こえる母の声は、一層大きく。
 ただ無為に時間が流れるままになっている罪悪感もまた、セレンを苛む。
 眠れない。明け方近くに気絶するようにほんの少し眠る生活が続いている。
 その日も同じように、ただ目を瞑って、夜の闇に耐えていた。
 カタン、と小さな物音がした。静かな闇の中では、その音がやけに大きく聞こえる。
 空気の動く気配がして、窓が開いたのだと分かった。
 それでも、セレンは目を開けようとせず、ただじっとしていた。
 ギシッとベッドの軋む音がして、誰かが体重をかけたのが分かった。
 微かに息遣いが聞こえる。すぐそばに体温も。
 そして、首元に冷たい金属が触れた。
「――抵抗しないんですか」
 こちらが起きていることを、疑いもしない問いだった。
 セレンはゆっくりと目を明けて、そこに想像通りの人物がいるのを確認する。
「アレイスト……」
 真夜中に、闇の中に沈むように佇む男を見上げた。
 非常識な訪問だと責める気にも、勘違いされると窘める気にもならなかった。
 こんな夜が来ることを、どこかで知っていたような気さえした。
 首筋に当てられた刃にも、恐怖を感じない。
 だって、これはセレンが望んでいたことだったから。
「『抵抗』? なぜ、しなければならないの? やっと、解放されるのに」
 アレイストの瞳が揺れた気がした。
 押し当てられた刃が、更に強く押し当てられて、薄く皮が裂ける。チリッと痛みが走るとともに、微かな血の匂いがした。
「――ッ、貴女は!」
 アレイストは奥歯をギリッと噛み締めた。
「貴女は、いつだって私のほしかったものを持っているのに! 何故、いつも……、いつも! 私から奪うんだっ!!」
 思いがけない言葉に、セレンは目を瞬かせた。
「欲しかったものを持っているのは、あなただわ、アレイスト……」
「そんなことない! 父の関心も、心から貴女を案じてくれる人も、自由も! 貴女は持っていたじゃないか……」
 そんな風に見えていたのか、とセレンは驚きながら聞いていた。でも、そんなもの、本当にわたしにあっただろうかと空虚に響く。
「父は……、愛する女の影を追っていただけ。心から案じてくれる人なんていない。母が毎夜『王になれ』と囁く日々に、『自由』なんてあるはずないじゃないの。わたしは……、父から期待されるあなたが、ずっと羨ましかった。それに、あなたは母親から一身に愛されてるのに」
 視界があっという間に滲んで、目尻から涙が零れていった。
 わたしは、愛されたかった。
 優しく抱きしめてほしかった。
 それだけだったのに。
 声もなくぽろぽろと涙を零していると、アレイストは視線を逸らして唇を噛んだ。
 そして、首元に添えていた刃をスッと離した。
「アレイスト……」
「……私は、貴女を苦しめたくて来たんです。でも、貴女は死にたいらしい。なら、この行為に意味はない」
 そう言って、セレンの元から離れていこうとした。
 はじめ、セレンはアレイストの言葉の意味が分からなかった。
 だが、その声で、横顔で、彼が敵意を失ったと悟る。
 それに気付いたセレンは、跳ね起きてその腕を掴んだ。
「……嫌」
 驚いたように、アレイストが振り返る。
「嫌、いやよ! わたしはもう、こんな世界で生きていられない」
 掴んだ服をぎゅうときつく握りしめる。目からは大粒の涙が頬を滑り落ちて、シーツをぼたぼたと濡らしていた。
「わたしは、あなたが、終わらせてくれると思えたから耐えられた! そうでなければ……、もう、むり、なの。いかないで……。おねがい。わたしを、殺して! 殺してよぉ……!!」
 セレンは耐えきれずに声を上げて泣いた。
 もう抗うのが辛かった。
 毎日毎秒、出来損ないと罵る母の声に耐えるのも。この屋敷に流れるあまりに優しい日々に、それを享受して幼少期を過ごしたであろうアレイストに、羨望で胸を掻き毟りたくなるのも。結局、ひとりぼっちなのだと痛感する夜を越えるのも。
 もう、耐えられないのだ。
 わんわん泣きじゃくるセレンに、アレイストはしばらく何も言わなかった。
 だが、セレンの泣く声が少し落ち着いた時、ぽつと消えてしまいそうな声で言った。
「……なら、」
 アレイストの手が、涙で濡れたセレンの頬をすべった。顔を上げさせられて、視線が交錯する。
「一緒に、死にましょうか」
「え……」
 どこか慈愛さえ感じる微笑みを、アレイストが向けていた。
 こんなに間近で彼の顔を見たのは、はじめてかもしれない。そんなことをぼんやり思った。
 その近かった距離が更に近付いていく。
 吐息を唇に感じた。
 そして、あとほんの少しで触れてしまいそうなほど近付いた時――、
「――セレン!!」
 突然響いたロウェルの声で、ハッと我に返った。
 腕を半ば強引に引かれ、アレイストと距離を取らされる。
 背後からセレンを抱きしめるロウェルは、厳しい眼差しでアレイストを見ていた。
 だが、彼らの間に言葉が交わされることはない。ただ黙って、お互いを見ていた。
 その均衡を破ったのは、アレイストの名を呼ぶ細い女の声だ。
「アレイスト」
 廊下から姿を表したリーティエは、酷く悲しげな表情で息子を見ている。
 冷たささえ感じたアレイストの表情が歪んだ。
「おいで、アレイスト」
 その一言で、金縛りが解けたように、アレイストはふらと歩き出した。杖がないためか覚束ない足取りをリーティエが支える。それから彼女は、セレンに申し訳なさげに微笑むと、息子と二人でその場を後にした。
 母に支えられ慈しまれるその姿が――、羨ましくて、仕方がなかった。
 その姿が見えなくなった後、ロウェルがハッとしたようにセレンの顔を覗き込む。
「セレン……、大丈夫――なわけないよな。少し座ろう」
 ベッドの縁に並んで腰掛けて、背中を優しく撫でられる。
「いつから聞いてたの」
 ロウェルは答えなかったが、その表情から察するに粗方聞こえていたのだろうと思う。
 セレンはされるがままになったまま、ぽつりと言った。
「あなたの望み通りになったのね」
 ロウェルの手がぴたりと止まる。
「俺の、望み?」
「アレイストに『姉殺し』をさせないこと。……違う?」
 単なる勘ではあるが、もうアレイストがセレンを殺しに来ることはきっとないだろう。
 それはセレンの地獄がまだ続くことを意味している。
「あなたは、アレイストが『姉を殺す』ことを阻止しようとして、わたしを助けたのでしょう? 思い出したの。あなたの『贖罪』すべき相手は、きっとアレイストなんじゃない?」
 彼と出会って間もない頃、月夜の晩に酒で忘れたいことを「贖罪と過去の罪」だと、この男は言った。そして、山小屋でもアレイストのことを「友人『だった』」と言っていた。
 予想に過ぎないが、ロウェルから何の反応もないことが、肯定にも等しく思えた。
 セレンは諦念と共に目を閉じる。
 わたしは、いつも何かの代替品。
 母にとっては、自身の正当性を顕示するための駒。
 父にとっては、愛した女の面影を追う道具。
 ロウェルにとっては――、
 その答えが出る前に、ロウェルの両手がセレンの頬を包んだ。驚いて目を開くと、額にキスが落ちる。
「……そういう側面がなかった、とは言わない。でも」
 ロウェルはセレンの額に、こつんと自分のそれをぶつけて続けた。
「でも、今はそれだけじゃないよ、セレン。君のことがとても大事なんだ。……生きてて、ほしいよ」
「……そんなの」
 つい口をついて出た反論の言葉に、ロウェルは頷く。
「わかってる。こんな言葉だけじゃ、信じてもらえないことなんて。でも、本心なんだ。だから……、それを確かめるまで傍で見ててくれ」
「……もし、嘘だったら?」
「君が『信じられない』と判断したなら――、俺が君を殺す」
 その言葉に、セレンはハッと息を飲んだ。
「俺のために地獄に留まってもらうんだ。責任は果たすさ。だから、俺以外の誰にも殺されないでくれ。君自分にも、……アレイストにも」
「――っ、ふふ」
 セレンは真剣な誓いに笑ってしまった。
 こんな馬鹿げたことを言ってくれるのは、きっと世界でもこの男だけだろう。
 これで、自殺を試みることすらできなくなってしまった。どうしてくれるのか。
 セレンはくすくすと笑いながら、その目からまた涙が零れていることに気付く。
「――その言葉、忘れないで」
 その誓いが履行されている限り、ロウェルは決して傍を離れない。
 ならば、もう少しだけ生きてみるのもいいかもしれない。
「ねぇ、ロウェル」
 彼に対するこの気持ちは、一体何と形容すればいいのだろう。
 好きも、愛してるも、違う気がした。
 ただ、セレンの中でこの男は唯一替えの効かない「特別」になってしまったことだけは間違いない。
 そんな男に裏切られたとすれば、自分はどれほどの絶望を感じるだろう。
 それでも、この命が尽きるその時まで、きっと彼は傍にいる。
「やっぱり……、なんでもないわ」
 なら、それは幸福なことなのかもしれない。
 そんなことを思った。

2025/08/22 00:00:22

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 32


 ここ暫くのセレンが、一体何を考えているのか。
 穏やかに微笑むようになった彼女を見て、ロウェルは時折、言い知れぬ不安に駆られる。
 アレイストの生家に着いて以降、セレンの周囲はただ凪いでいる。
「セレン」
 まだベッドから出ることを許してもらえないロウェルは、その傍らで刺繍に勤しむ彼女に声をかけた。
 その手付きは若干危うげだが、リーティエ公女に教えてもらったのだと、微笑みながら言っていた。
「どうしたの?」
 顔を上げたセレンが、首を傾げる。
「……最近、夜は眠れてるか?」
 唐突にそう尋ねたロウェルに、セレンは不思議そうな顔で目を瞬かせた。
「なぜそんなことを?」
「いや……、その、前はあまり眠れなかっただろ。今はどうなのか、って」
 ロウェルの返答に、セレンはおかしそうに笑った。
「あなたがそれを聞くの? 私に一服盛っていたのはお前だろうに」
 さらりと告げられた言葉に、息を飲む。
「気付いて……」
「あの変に甘い茶だろう。あれを飲んだ後は決まって頭がぼんやりしたから」
 ロウェルを責めるでもなく、穏やかに微笑んだまま告げられる言葉に、二の句が継げずに黙ってしまう。
「あれにはどういう効果が?」
「……判断力を鈍らせ、思考力を低下させる効果があった」
「なんだ。じゃあ、母様の声は関係なかったのね。今も効果が続いてるのかなって、ちょっとだけ期待してたのに」
「あれにそんな持続性は――……、今も母親の声が聞こえるのか……?」
 愕然として問いかけた言葉に、セレンは笑った。
「もちろん。今もここにいるわ」
 そう言って、彼女は何もない虚空を指差した。
 当然といった顔をするセレンに、ロウェルは胸が潰れそうになった。
 自分は、想像していたよりもずっと――罪深いことをしたのかもしれない。
「セレン……、こっちへ来てくれないか」
 腕を広げると、彼女は作りかけの刺繍を置いて、言われた通りに傍までやってきた。
 その細い身体をぎゅっと抱きしめる。
 アキュイラにいた頃よりも、随分と痩せた。そんなことを今更のように思い知らされた。
「辛くはないか?」
 彼女の長い髪を撫で、じっと返答を待つ。
 長い沈黙の後、セレンはぽつりと言った。
「……これは、私に与えられた罰だ」
「『罰』?」
「そう。目を閉じ、耳を塞ぎ、自分で考えることを怠った愚か者への罰だ。だから、辛くなどない」
 そう言い切ったセレンは、ふとロウェルの方を見上げて、微笑みを浮かべた。
「それにきっと、近い内に終わるわ。ね?」
 ロウェルはぎゅっと強くセレンの身体を抱き締めた。
 母の幻聴がセレンへの罰だと言うのなら、きっとロウェルへの罰はこの状況そのものなのだろうと思った。
 まるで二人の人間がそこにいるかのように、ちぐはぐな喋り方をするようになったセレン。
 心が、壊れかけているのかもしれない。そう思ったのは今日がはじめてではなかった。
 それを引き起こしたのが自分だという現実を見つめ続けること。
 きっとそれが、ロウェルに課された罰だ。

2025/08/22 00:00:21

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 31


 セレンは、ロウェルの眠る部屋の窓辺に立って、その先に広がる風景を眺めていた。
 生まれ育った城の窓から見える、整備された庭とは違い、自然のままに近い草原が広がっている。
 ふと気配を感じて振り返れば、いつ起きたのかロウェルがじっとこちらを見ていた。
「気分はどう?」
「まあ、そこそこかな」
 彼が起き上がろうとするのを首を振って止める。
 あの日、脇腹に受けた「掠り傷」は、見た目通り深いものだった。もう少し処置が遅れていれば失血しすぎて命も危うかったほどだ。
 実際、馬車の中でレオが応急処置をする頃には、かなり朦朧とした様子で、この屋敷についてからも殆ど意識を失っていた。
「ここは?」
「……リーティエ公女の屋敷」
 短い問いに答えるが、彼に驚いた様子はなかった。元々の目的地がこの場所だった何よりの証拠だ。
 何故、とは思う。何故、リーティエ公女――アレイストの母の元に連れてきたのか。
 だが最早、セレンにロウェルを疑う気持ちなどなく、ただ純粋に疑問だった。
「わたしをここまで連れてきたのは、公女と会わせるため?」
 ロウェルは少し迷うように目を伏せたあと、頷いて答える。
「おそらく、アレイストは俺たちを追ってくる。どこまでも。それを止めさせられるのは……公女殿下だけだ」
 初めて対面したリーティエのことを思い出す。
 やわらかな雰囲気の、どこか少女のような人だった。
 アレイストは、この少女のような女性を守るために、父からの召喚に応じたのだろうと悟った。
 ふとロウェルから視線を外して、外を見る。
「ここは、本当にいいところね」
「ああ……」
 時間も穏やかに流れて、空気はあたたかい。
 ここの空気そのままのような彼女だけが、アレイストを変えることができる。
 なんとなく、わかるような気がした。

2025/08/22 00:00:20

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 30


 山小屋を後にしたセレンとロウェルは、どうにか誰にも見つからぬまま、ロムーリャ公国に接する街まで到着していた。
 とはいっても、この時のセレンは彼がどこへ向かうつもりなのかも知らず、知りたいとすら思わず、ただ手を引かれるままに歩いていただけだ。
「セレン、ここで人と合流する。その後、国を出る。いいか?」
 旅人を装い、汚れた外套で頭まで隠したまま、二人は繁華街を進んでいた。足を止めないまま発せられた問いに、セレンは緩慢に顔を上げ、すぐに俯いた。
「どうでもいい」
「……わかった」
 ロウェルの微かに落胆するような声も、どこか遠く聞こえる。
 本当に、もう全てがどうでもよかった。
 仮に今ここでロウェルが手を離し、自身を置いていったとしても、そのまま立ち止まり続けるであろうほどに。
 考えることは山のようにあるはずだった。
 ここはどこ? これからどこへ行こうとしている? ロウェルは自分をどうするつもり? どうして助けた? どうして――、アレイストではなくわたしの手を取ったの。
 だが、どの問いももやもやと形を成す前に、霧散して消えていく。頭の動きが鈍い。世界も遠い。
 本当に、全てがどうでもいいものに思えた。
 その時、身体にトンと軽い衝撃を覚えて、歩調が乱れた。
 視線を向ける。子供だ。
「ごめんなさい!」
 そう言って少年は走り去っていくが、今のセレンはそんな軽い衝突すら受け流せる状態ではなかった。
 足に力が入らず、ふらりと後ろへ倒れそうになる。
 ロウェルが手を引いてくれなければ、そのまま転倒していただろう。
 だが、それも良くなかった。
 後ろへ倒れかかっていた身体が急に引っ張られる。その動きで、頭を隠していたフードがはらりと落ちて、銀色の髪が舞う。
「あ……」
 平民には珍しいという輝くような銀糸の髪に、通行人たちが振り返り、そして――
「――いたぞ!」
 追手の目も引いてしまった。
「セレン、走るぞ」
 ロウェルが手を強く握り、走りはじめる。セレンは足がもつれて転びそうになりながらも、どうにか彼についていった。殆ど「引きずられている」という方が正しかったかもしれないが。
 騒ぎが大きくなって、追手の数も増える。ロウェルも彼らを撒こうとしているようだったが、どうにも上手くいかず、最終的には、路地裏に追い詰められていた。
 相手は三人。ロウェルは、セレンを自身の背後に押しやると、短剣を抜いた。
 ロウェルの背中を見ているのが、妙に初めて彼と出会った時の情景と重なった。
 ロウェルと追手の三人は、何やら問答をしていたが、セレンの耳には入ってこない。
 ただ、何か、酷い耳鳴りのような、目眩のようなものがしていた。
 キンッと高い金属音がして、セレンは顔を上げる。
 目の焦点が次第に合ってくる。
 戦っている。三人も、相手に。碌な武器も無しに。
 ロウェルはどうにか、一人は昏倒させたらしい。だが、まだ多勢に無勢だ。息も上がっている。
 しかしそれでも、ロウェルは一歩も引かなかった。
 何度か打ち合いが続き、一人が倒れる。だがもう一人――、その男が剣を構えた。
 セレンは息を飲む。
 頭にかかっていた靄が晴れていく。
 それと同時に、ロウェルの脇腹を刃が通ってゆくのが見えた。
 赤い血が飛ぶのが、嫌になるほど鮮やかに見える。
「――――ロウェル!!」
 悲鳴のようなセレンの叫びが響いた。
 その声が予想外だったのか、追手の男まで虚を突かれたようにこちらを見た。
 その一瞬の隙をロウェルは見逃さず、男の鳩尾に拳を叩き込んで気絶させた。
「……セレン」
 失神した男を地面へ放ったロウェルは、呆然とこちらを見る。腹からはまだ血が流れていた。
 セレンはロウェルに駆け寄って、彼の身体を抱き締めた。
「どした? 血に驚いたか?」
「そ、んなんじゃない……!」
 セレンはハッとして、外套を脱ぎ、その下の謁見時に着ていたままだった上着も脱いだ。何故かボタンが一つなくなっていたが、今はそれどころじゃない。
 そして、その更に下に着ているシャツのボタンに手をかけたところで、ロウェルが目に見えて狼狽する。
「ちょ、ちょちょ、待て待て待て! 何をする気だ!」
「何って、止血しないと」
 比較的清潔な布が今これしかないのだから仕方がない。
 答えながらボタンを外そうとするが、ロウェルががしりとその手を掴んで止めた。
「掠り傷! そこまでする必要ない!」
「どこが『掠り傷』!? まだ血が出てるのに!」
「もう止まるって!」
「だとしても! それに、下着は着てるから問題ない」
「問題あ――」
「――はい、そこまで」
 パンと手を叩く音と共に割って入った声に、セレンはビクッと飛び上がった。
 声のした方向を見ると、いつの間にかそこに男が立っていた。
 その男を睨みつけ誰何しようとするセレンを制したのは、ロウェルだった。
「遅かったな」
「無茶言わないでくださいよ。突然連絡が来たかと思えば、『誰にも悟られず、国境を越えさせろ』だなんて」
 どうやら二人は知り合いらしいと察するが、つい不安になってセレンはロウェルの腕をつんと引いた。
「えっと、こいつだよ。合流するって言ってた相手。俺の協力者で、名前はレオ。それで、えーっと……。やっぱり、一度会っただけじゃ覚えてないか?」
 ロウェルの言葉に首を捻りつつ、じっと男――レオを観察する。淡い金髪をした、端正な顔立ちをしている。
 たしかに、何か既視感がある。あれはどこで――
「――あ」
「思い出していただけたようで光栄です、殿下」
 そう言って頭を下げた彼は、たしかにあの日――ロウェルと初めて出会った日に彼と一緒にいた金髪の男だった。
「では行きましょうか、お二人とも。ロムーリャ公国へ」

 そうして、セレンはロウェルと共に公国へ向かったのだった。

2025/08/22 00:00:19

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 29


 アレイストが父王と会っていた頃、セレンたちは彼の予想通りロムーリャ公国にいた。
 離宮の一室で眠るロウェルをセレンはじっと見つめる。
 どうしてこんなことに。
 そんなことを思いながら彼の手を握って、そこにまだぬくもりがあることにほっとする。
「……ロウェル、わたしは……これからどうすればいい?」
 もう世界は遠く感じない。
 父に剣を向けた事実に手が震え、あの時の自分はどこかおかしかったのも分かる。
 そしてそれと同時に、まだ生きているのだから王位を狙わねばならないと、そんな母の声もしていた。
 だが自分は、王の子ではなかった。
 ならば、玉座など狙えるはずもない。
 ……でも、じゃあ、わたしはこれからどうやって生きていけばいいんだろう。
 いっそ、あの場でアレイストに殺されていれば。
 そうすれば、こうして彼が傷付くこともなかったのに。
 セレンはロウェルの手を、ぎゅっと強く握る。
 時間はほんの少し前に遡る――。

2025/08/22 00:00:18

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 28


 アレイストは独り、執務室の窓から今にも雨が降り出しそうな曇天を見ていた。
 セレンティーネとロウェルが姿を消してから数日。彼らが夜を明かしたらしい王都近くの山小屋は見つかったが、その後の足取りはまだ掴めていない。
 彼らが次に行くとすればどこだ。
 一番はじめに思いつくのは国外逃亡だが――。アレイストは眉根を寄せる。
 あのロウェルが、身を寄せる当てもない場所を安易に選ぶだろうか。
 であれば、次に怪しいのはアキュイラだ。しかし、ここも可能性としては低いだろう。反逆の疑いがかかっている……と彼らが考えているであろう女を匿うほどの信頼関係が、この短い間に築けていたとは思えない。
 ならば残るは……。
「――失礼いたします!」
 扉を開けて入ってきた兵の方へアレイストはゆっくりと振り返った。
「ロムーリャ公国に接する街にて、セレンティーネ殿下と殿下を連れた男を発見いたしました」
 アレイストは彼の報告に目を細めた。
「そうですか……。それで、姉上とその男は?」
「申し訳ありません。直前で邪魔が入り、殿下の保護及び誘拐犯の捕獲はままなりませんでした」
 アレイストはきゅっと口を引き結んで押し黙った。
 やはり、公国へ向かったか――。
 おそらくもう既に入国は果たしている頃だろう、とあたりをつけて、アレイストは「姉を心から心配する弟」の振りで溜息をついた。
「そう、なんですね。……いえ、足取りが分かっただけでもよしとしましょう。引き続き捜索を」
「はっ!」
 彼はビシリと敬礼をして、部屋を出ていった。
 そう。今、セレンティーネは「誘拐されている」ことになっていた。
 ロウェルが彼女を連れ出した直後、現れた国王がそういうことにしてしまったのだ。愛する女の娘を守るために。
 剣を向けられ、殺されそうになったにもかかわらず、それでもかばうなど、愚の骨頂としか思えなかった。
 だが、国王の言葉を自分が取り消せるはずもなく、今アレイストが「連れ去られた可哀想なセレンティーネ王女」を探すこととなっていた。
 やはり、娘から剣を向けられた心労があったのか、国王が倒れてしまったからだ。
 倒れるならばもっと早く倒れればよかったものをと、ベッドの上で弱々しく横たわる男に、この数日で何度恨み言をぶつけたくなったか分からない。
 本当に腹立たしい。
 憤りを溜息に乗せて吐き出すと、アレイストは部屋を出て、国王の眠る寝室へと向かった。
「失礼いたします」
 陛下、と声を掛けると、男の目がうっすらと開かれる。
「……アレイストか」
「はい。先ほど、姉上の行方に関して情報が入りまして」
 そう囁くと、彼はハッと目を見開いて起き上がろうとした。だが急に動いたせいか、起こした上体を折り、激しく咳き込む。
 アレイストは、それを冷たい目で見下ろしながら続ける。
「おそらく二人は公国へ入ったと思われます。ですので、私に公国行きのご許可を賜りたく」
 肩で息をしながら男が顔を上げた。
「……お前、自ら行くのか」
「ええ。『姉の迎えに弟が出向く』……、何かおかしなことでも?」
「…………いや」
 沈黙してしまった彼は、長いこと黙考した末に小さく頷いた。
「許可しよう」
「ありがとうございます、陛下」
 アレイストはにっこり微笑んで、そのまま男に背を向けた。
「――アレイスト」
 扉の前まで辿り着いた時、名を呼ばれてアレイストは扉に伸ばそうとしていた手を止めた。
「アレイスト……、どうか、セレンティーネを……ゆるしてやってくれないか」
 アレイストは杖を握る手に、ギュッと力を込めた。
 ゆるす? 一体何を? 全て持っているのに、気付きもしない愚かさを? それとも、私から全てを奪っていく厚顔さをか?
 アレイストは振り返って、微笑みを返した。
 当然じゃないかとも、何を言っているのか分からないとも、取れる笑みを。
「失礼いたします」
 それだけ言って、居室を後にする。
「っ――」
 来た道を戻り、自分の部屋へ入って鍵を締める。
 そのまま崩れ落ちるように座り込んで、床を殴りつける。
「くそっ……」
 拳は絨毯に沈んで、何の慰めにもならなかった。

2025/08/22 00:00:17

作品一覧
改稿版更新中
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初稿更新終了
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