初稿置き場

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 3


「失礼します」
 ファルはアカデミーにある就職課の部屋から出たところで、知らず溜息が漏れた。
 その手にはレンから勧められた、蝶の民研究所の行う体験入所に関しての詳しい資料だ。参加の手続きを終わらせると、やり取りを代行しているアカデミーの職員から渡されたものだった。
 体験の概要、当日までに用意するもの、集合場所、持ち物――、そういったものが記された書類は妙に重く感じる。
「……レンがいる。大丈夫だ」
 震えそうになる手をぎゅっと握りしめて、もう一度深く息を吐いた。
 この蝶の国へ亡命するまでの間、ファルは両親と共に隣国の違法な研究所にいた。
 自分たちを、「蝶の民」を、実験動物のように扱っていたあの場所とは違う。
 それは分かっているが、ほんの少しの怖さを感じていた。
 それでも、体験に行こうと思ったのは――
「……僕は、」
 レンは初めて会った時から変わらない。自身が違うからこそ「蝶の民」に憧れを抱き、その研究者になるという夢を叶えようとしている。
 けれどファルは、いまだに未来が見えずにいた。
 ファルは己の黒い髪を摘まむ。
 羽化する前の蝶の民に多いその髪色は、子供のまま成長できないでいる自分をこれ以上なく表しているように思えた。
 適齢期を超えても蛹にすらなれない自分は、その心もまだ羽化出来ずにいる。
 これで、何か変わってほしい。
 そんな縋るような気持ちで、これまで目を背けていたものと向き合おうとしていたのだった。

2025/09/07 00:00:00

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 2


 十六歳になった国民が入学を義務付けられているアカデミー。
 だが、通学が義務化されているのは二年間の通常課程のみ。多くの学生はそこで学舎を卒業し、家業を継いだり、結婚して婚家に入ったりと別々の人生を歩んでゆく。
 しかしその二年間の後も、一部はアカデミーに残る道を選び、五年間の上級課程に進んでゆく。
 官僚や研究者など、いわゆるエリートコースを歩む者たちがそれだ。
「……うーん」
 レンもそのうちの一人となっていた。
 少し長い金茶の髪を後ろで一つに束ねた頭をガシガシと掻いて、目の前に置いたノートを指でトントンと叩く。
 昼食時を少し過ぎた食堂は、徐々に人もまばらになりつつある。レン自身、食事のためにこの場所へ訪れたはずなのだが、頭の中は講義のことでいっぱいで、傍らにおいたままの定食は湯気が消えて久しい。
「――悪い、待たせた?」
「うん?」
 聞こえた声に顔を上げると、視線の先には短い黒髪をさらりと流して首を傾げるファルがいる。
「あー……、いやぁ」
 彼の姿を見て、そういえば待ち合わせをしていたのだと思い出す。そして、その時間までに平らげてしまおうと思ってすっかり忘れていた昼食も。
 ファルは冷めた定食のプレートとレンの表情を見て、顛末を悟ったらしく肩を竦めて対面に座った。
「とりあえず、食べたら?」
「……そうする」
 レンはノートを脇にのけると、昼食を引き寄せた。
「――で、さっきのは? レポート?」
「そ。ほら、生物学の」
「生物学って……。まだ、出してなかったのか? 締切、明後日だろ?」
「一度書いたんだけど、なんか納得いかなくて」
 もぐもぐと口を動かしつつ答えると、ファルは半目になる。
「意外と真面目なんだよな」
「『意外と』はないだろー?」
 実際、他の友人たちにも「何故か」勉強できるだの、「思ってたより」頭がいいだの、と言われるレンだ。人を見た目で判断しちゃいけません、と真面目くさって言うと、ファルがふはと笑う。
「冗談だよ」
「まったく、お前までそんなこと言うんだから」
 くすくすと笑ったあと、レンはふとあることを思い出して、昼食のフライをかじったまま鞄を探った。
「ほーほー、ほへはんはへど」
「食べてから言ってくれ」
「ん、ごめん。これなんだけどさ」
 レンは取り出した一枚の紙をファルの方に向けて置いた。
 ファルが軽く目を瞠る。
「今度、これに参加しようと思うんだ」
 レンは真剣な目でファルを見つめながら言葉を続ける。
「もしよかったら、一緒に行かない?」
 その紙には「蝶の民研究所 体験入所案内」と書かれていた。

2025/08/31 00:00:00

#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 4


「あっ、あっ! やあっ……!」
 痛い、痛い、いたい――。
 強く噛まれた項も、初めて開かれた身体も。
 だが、肉体は愛しい男の熱を浅ましくも締め付けて、全身で喜んでいる。
「ユリス……」
 項を擽る吐息に身体が震える。
「も、やだ、ルベルトさま……! ひうっ!」
 噛み跡を舌が這い、それ以上の拒絶を塞ぐように唇を奪われる。
「んっ! んんぅ……、ぁぅ…………」
 気持ちいい、嬉しい、もっと。
 そんな心の声に従順な身体は、ますます熱く、甘くとけていってしまう。
「ユリス、きもちいい?」
「あ……」
 頷きかけて、一欠片だけ残った理性で首を振った。
「……はは、うそつきだな」
「あっ!!」
 ぐんっと奥を突かれて、ユリスの陰茎から蜜が滴り落ちる。
 足ががくがくと震えて、身体を支えていられない。ルベルトがそれを支えて、もう一度キスをしながら、一度屹立を抜いた。
「っん……」
 やだ、抜かないで。
 唇を塞がれていなければ、そう口走ってしまっていただろう。
 だが、ぽっかりと開いた寂しさに、理性が負けてしまう前に、ルベルトがユリスを仰向けに寝かせて、足を開かせる。
「……そう、物欲しそうな顔をしないでくれ」
「っ!?」
 そんな顔してないと反論する前に、後孔に屹立が添えられて――、
「あっ、あぁ……!!」
 また、内部に侵入される。
 欠乏が埋められて、声を抑えられない。ルベルトも限界が近いのか、淫らな水音をさせながら夢中で腰を振っていた。
「あっ、んん、あ、ルベルトさま……」
 名前を呼べば、ぎゅっときつく抱きしめられて、中で彼が果てたのが分かった。
「っ、んんっ……!」
 自身も間を置かずに達してしまう。
「ユリス……」
 深い絶頂に、意識がふわふわとして、次第に沈んでゆく。
「やっと……、手に入れた…………」
 囁かれた言葉の真意を尋ねる間もなく、ユリスは意識を手放した。

2025/08/28 00:00:00

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 1


 アカデミーの入学から早六年が過ぎた。
 たくさんいた同級生たちは十八になる年に、通常課程の修了と共に卒業してゆき、賑やかさが鳴りを潜めてゆく。
 一年時から親交の深かった友人とも、それぞれの道を進むことを決めた。
 その日からも既に時が経ち――
「レン。そろそろ行こう、朝食に遅れる」
 その声にハッとして、レンは目を瞬かせた。寮の相部屋から出ていこうとする無二の親友となったファルの後ろ姿を見止める。
「――ああ!」
 アカデミー上級課程に入り五年。
 レンとファルは二十三歳、アカデミーの最終学年に差し掛かっていた。

2025/08/27 00:00:00

#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 3


 ユリスは、この国で歴代宰相を務める家系の嫡子として産まれた。
 祖母が降嫁した王女である貴き名家出身の母と、権力欲が些か強く人を駒としてしか見ていないものの有能な父。
 貴族家としてはありがちな、アルファ同士の夫婦だった。
 貴族――特に、王族に近ければ近いほど、アルファ性の子供が産まれる確率は高い。ユリスの家系も産まれる子供の殆どがアルファであり、ベータすら長らく傍系にしか産まれていないほどだった。
 だが――。
 産まれたユリスの性別を確認した母は、真っ青になって卒倒したという。
 ユリスは――、オメガだった。
 オメガの社会進出が進むと共に、表面上オメガへの差別は撤廃された。
 だが、人々の根底にはまだまだ差別意識は残り続けている。
 おそらく、「嫡子」でなければ、今のユリスはいなかった。
 貴族家に産まれたオメガの行く末は、通常大きく二つだ。
 汚点として「死産」させられるか、もう一つ。
 他家へ嫁がせる道具として、ある意味では大切に養育されるか、だ。
 オメガはアルファの妊娠率が高いと言われている。そのため、アルファがほしい家の嫁として一定の需要があるからだ。
 だが、そういった背景があっても、ユリスがもし第二子以降の生まれであったならば、生かされてはいなかっただろう。
 ユリスは両親にとって、結婚五年目にしてようやくできた「待望の子供」だったからだ。
 今後、「もう一人」ができる保証はどこにもなかった。
 そのためユリスは自身の性別を秘匿されたまま、「嫡子」として育てられた。
 そもそも子の三性を無闇に明かすことはない。高位貴族の出身というだけで、アルファだと見なされる。そうでなかったとしてもベータ――。ましてや、項保護の首輪を付けていないユリスが、「オメガ」だなどと勘繰られるようなことはなかった。
 とはいえ、父はおそらく代わりの子供ができれば、すぐにでもユリスを「処分」する心積もりだったはずだ。
 そうならなかったのは――、
 ユリスは物思いから浮上して、執務机のかじりつくルベルトを視線だけで見つめた。
 五歳になった頃に参加させられた、王太子殿下と同世代の子供たちが交流を持つ園遊会で、ユリスが彼の「お気に入り」になったからだった。
 二つ年上の彼は、ユリスが参加した会ではユリスの傍を決して離れず、まるで全てのものから守ろうとでもするかのように、傍に居続けた。
 そうでなければ、その少し後に妊娠が発覚した妹が産まれると共に、ユリスの扱いは百八十度変わっていたはずだ。
「さて、ユリス。少し出てくる」
「――お見合い、でしたか」
「そ。母上も結婚結婚うるさくて」
「……王妃殿下もご心配なさっているのでしょう。二十五にもなって婚約者も決まってないのは」
「候補ならいるから! 今日もその内の一人と会うんだし……」
「所詮『候補』でしょうに」
「ぬぐっ」
 彼は王族として、血を残す義務がある。最悪の場合は傍系を養子に取るという手もあるにはあるが、頑健で優秀なアルファの王太子がいるのだから、わざわざ面倒な手続きを踏む必要などあるはずもない。
「……何故、結婚なさらないんです」
「それはそのー、あれだ。『婚約者に逃げられた胸の傷が――』」
 彼が幼少期に結んでいた婚約の相手のことだ。そのオメガ女性は自身の家に仕えていたベータ男性と駆け落ち同然に家を出たらしい。ルベルトは「愛する婚約者がその方が幸せなら」と身を引いた――ことになっている。
 心優しき王太子殿下の逸話の一つになっているが、実際は違う。
「俺に建前が通じるとでも?」
 胡乱な目で問い返すと、ルベルトはぺろっと舌を出して、肩を竦めた。
「やっぱ、見逃してくんない?」
 彼は別に婚約者を「愛して」などいなかった。もちろん、人としての好意はあったようだし、あのまま結婚していたとて、特段不仲な夫婦になったわけではないだろう。
 だが、ルベルトは「愛していた」ことにする方が、都合が良いと判断した。
 愛する人を涙ながらに手放す王子。
 相手の女側へも、「王子が許している」以上、不必要な程の糾弾は起こらない。
 優しい人だ、と思う。
 だが、その後何年にも渡ってそれを理由に、結婚から逃げ回っているのを見るに、それすら計算だったのではと思う時があった。
「――言いたくないなら、別に無理には聞きませんが」
「あ、そんな深刻な理由じゃないさ。ただ……諦めきれなくて」
「? 何を?」
「えっ!? あー? その、リリアーヌ(元婚約者)みたいに、『真に愛する人』と結ばれたいな~、なんて! そ、それよりそろそろ遅れるから、行ってくる!!」
「あ……」
 はぐらかされた。
 直感的にそう思った。
「……彼が、誰とどうなろうが、関係ないだろ」
 自分に言い聞かせるように呟く。
 今の自分は「アルファ」だ。
 それに、抑制剤を常用し、フェロモンの発生を抑え、「オメガとしての自分」を殺し続けてきた今、今更「オメガとしての役割」を果たせるのかどうかさえ分からない。
 強い抑制剤は当然人体に影響を及ぼす。
 それを幼少期から服用してきたユリスは、おそらく――。
 そっと、ユリスは肚のあたりに手を置いた。
「いや、分かっていたことじゃないか……」
 長い間共にいて、ルベルトを好きにならずにいられるはずがなかった。
 魅力的なアルファに、オメガの本能が惹きつけられているだけ。そう思おうとしても、無理だった。
 何より、自分たちの関係は「アルファ同士の友人」以上のものにはなれない。
 彼がいずれ妃として迎えるであろう女やオメガたちと会いに行く後ろ姿に、どれほど胸が引き裂かれそうになったとしても――。
 その時、唐突に執務室の扉が空いた。
 驚いてそちらを見る、が、そこにいるのが誰かすら確認する間もなく、膝から力が抜けた。
「え……」
 へた、と床に手をついて、ドクンドクンと音を立てる心臓を抑えながら、どうにか顔を上げた。
「ルベルト、様……?」
 何故、先程出ていったばかりの彼がいるのだろう。
 ルベルトは、赤い顔で荒く息をつきながら、切れ切れに言葉を発する。
「ユリス、すまないが人を――、発情誘発剤をかけられた」
「っ!!」
 それは、強制的にアルファやオメガを発情させる薬だ。アルファを誘惑したいオメガが時折使って問題を起こした、と聞くこともある。
 まさかそれを王族に、と信じ難い気持ちだったが、今はそれに驚いている場合ではない。
(立たなきゃ……、「アルファ」ならば今すぐに)
 ルベルトは会う予定だった令嬢の元には行かず、すぐに引き返してきたのだろう。
 彼の判断は間違っていない。アルファやベータであれば、彼の現状に冷静に対処できるはずだからだ。
 ユリスが、「オメガ」でさえなければ――。
「ユリ、ス……?」
「あっ……」
 彼の目に射抜かれただけで、じわりと後ろが濡れた。
 オメガの発情はアルファやベータを誘うが、アルファの発情もまた、オメガの発情を誘発してしまう。
「――」
 ルベルトはゆらりと立ち上がると、扉の鍵をかけた。
「な、なにを……」
 そして、彼はユリスの傍まで歩いてくると、膝をついて頤を持ち上げ――、唇を塞いだ。
「んぅっ!?」
 舌が絡め取られ、じゅっと音を立てて吸われる。
「あっ……っ」
 もう、駄目だった。
 最後の一欠片だけ残っていた理性が、溶けて消えてゆく。
「ル、ベルト、さま……」
 抗えるはずもない。オメガの本能、何より、ユリスはずっとずっとこの男が欲しかったのだから――。

2025/08/24 00:00:00

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 36


 その後、アレイストはセレンと顔を合わせぬままとんぼ返りしていき、数日後にはセレン自身もアキュイラへと戻った。
 数ヶ月ぶりに顔を合わせたミイスは、人目も憚らず大泣きしたあと、心労などで出発時よりも更に痩せたきり、まだ体型の戻っていないセレンに気付くと、誰が止める間もなく、ロウェルの頬に平手打ちが飛んでいた。
 ミイスの言い分としては、「貴方がついていながら、どうして姫様がこんなことになっているんですか!」とのことだ。ロウェルは返す言葉もないのか、ただただ頭を下げるばかりだった。
 こうして「誘拐されていた」セレンは、まるで何事もなかったかのように、アキュイラへと戻った。
 その筋書きが真実ではないことくらい、皆分かっていただろうに、誰も追求してくることはなく、セレンはこの恩に報いるためにも、一層領主業に邁進していった。

 それから数年。
 セレンの姿は王都の城内にあった。
 今度は押し入ったわけでは当然なく、今宵の主役の姉として招待をされた席だ。
 今日は、主役――アレイストの婚礼が行われていた。
 日中に誓いを終え、今はパーティーが行われている。セレンはアレイストの代わりに、ファーストダンスを終えて壁際まで抜けてきたところだ。
「ほい」
 差し出されたグラスに顔を上げる。
「ありがとう、ロウェル」
 パートナーとして出席しているのは、もちろんこの男だ。今のところ、婚約者ですらないのだが、当然のように一緒にいる。
 セレンは細いグラスに軽く口を付けつつ、新妻と談笑するアレイストの姿を見つめた。
 表情がとてもやわらかい。
 王太子としての笑顔でも、あの夜に見た寂しげな微笑でもない。
 そのことに安堵して――、安堵できている自分にもほっとする。
「アレイストも随分、落ち着いたみたいね」
「あぁー、まあ。最初は結構荒れてたけどな」
 セレンは目を眇めて、子供の成長を見守るような目をしているロウェルに、胡乱な視線を向けた。
「そうね。あなたは頻繁にアレイストと会ってるものね。わたしに『傍で見てろ』とか言ってたくせに、殆どいやしないんだから」
「ちょ……、殆ど、ってことはないだろ。月一くらいでしか……」
「往復の時間を考えたら、半分はいないじゃない」
「うぐっ……」
 しどろもどろになるロウェルに多少は溜飲が下がり、セレンは肩を竦めた。
「でも、奥様とも上手くいってそうだし、そろそろ返してもらわないとね。……ねえ、ロウェル」
「なんだ?」
「結婚する?」
「ぶっ!」
 飲んでいたワインを吹き出したロウェルは、げほげほと涙目で咳き込みながら、こちらを見上げる。
「……本気か?」
「だって、アレイストの縁談も纏って、もう気兼ねする必要はないし。正式に籍を入れれば、もう少しアレイストの方へ行く頻度も減らしてくれるでしょ」
「それは、まあ……。そろそろ(アレイスト)離れしなきゃなぁ、とは思ってたところだし……」
「じゃあ、いいじゃない」
「いや、それはそうなんだけど」
 ロウェルは何やら唸ったあと、はあ、と大きな溜息をついた。
 それから、セレンの空いている方の手をうやうやしく掴んだ。この数年で、すっかり剣ダコの消えた手は、ほっそりとした令嬢の手で、セレンは自分自身でも不思議に見えるときがあった。
 ロウェルはそんな手の指先に、ちゅっとキスを落とした。
「答えは……、その、イエスだ。イエス、だが」
「『だが』?」
「プロポーズは、今度俺からやり直させてくれ」
 なんとも渋い顔でそう言ったロウェルに、セレンはぷっと笑ってしまった。
「ふふ、なら期待して待ってようかしら。でもいいの? 仕切り直しをしようとしてる、なんてミイスの耳に入ったら、口煩くダメ出しされそうだけど」
「う゛……。たしかに……」
 アキュイラに戻って以降、ミイスはやたらとロウェルに手厳しい。だがロウェルも、それを甘んじて受け入れているので、思うところがあるのだろう。
 ちなみにセレンは内心、まるで姑の嫁いびりだなぁ、と思っているが、それは内緒だ。
「いや! でも、やるから。待っててくれ」
 意気込んで宣言するロウェルに、セレンはくすくすと笑った。
「なら、楽しみにしてる」
 セレンはロウェルの手に指を絡めて、先程より一歩距離を詰めた。彼の肩に身体を預けて、目を閉じる。
 彼の隣が、わたしの居場所。
 これからも――、死が二人の元に訪れるまで。

   終

2025/08/22 00:00:25

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 35


「…………、」
 朝焼けの中、目を覚ましたセレンは、ベッドの上でのそりと起き上がって、窓から見える白い空を見ていた。
 久し振りに――、本当に久し振りに、夢も見ずに眠った気がする。
 昨夜、アレイストと、ロウェルと、交わした言葉の一つ一つはまだ鮮明だが、どこか遠い過去のようにも思えた。
 とても、不思議な気分だった。
「……ねぇ、母様」
 今日は黙って傍に立っているだけの母に呼びかける。
 ただ恐ろしかった存在が、今は少しだけ違って見える。
 居場所が欲しくて必死だった。
 自分と母は、きっと同じ気持ちを抱えていただけなのだ。
「わたし、はじめて今、母様が生きてらっしゃったら――、って思った。生きていらっしゃったら、どういう思いで玉座に執着していらっしゃったのか、……その心に、誰が住んでいたのか、聞くことができたのに、って」
 幻影の母は黙したまま、何も語らない。
 当たり前だ。セレンは「本当の母」のことなんて、きっと何も知らないのだから。
「母様、わたし……王には、()()()()わ」
 王族の血が流れていないから、だとか、そんな表面的な理由なんかじゃない。
 これはやっと取り戻しはじめた、「わたし」の決断だ。
「だから……、いつかわたしが母様と同じ場所へ行った時、沢山恨み言を聞くわ。でも、少しだけ見ていてほしいの。……ロウェルと生きていく、わたしを」
 母は最後まで何も言わなかった。
 でも、それでいいのだ。
 きっとこれからも、母の夢に苦しむ夜はあるだろう。それでも、もう少しだけ生きてみることにしたから。
「またね、母様」
 セレンは立ち上がって、おもいっきり伸びをした。
 本当に久し振りに感じる、清々しい朝だった。

2025/08/22 00:00:24

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 34


 セレンが眠ってしまうまで傍で見届けたロウェルは、そっと部屋を退室した。
 そこにむっつりと腕を組んで壁にもたれる人影を見つけて、目を丸くする。
「アレイスト……」
 ちらと睨むようにロウェルを一瞥するアレイストだが、そのまま何も言わない。ロウェルはきょろと視線を巡らせて尋ねた。
「リーティエ公女は?」
「母上なら、もう戻られた」
 ならお前は? と視線で問うが、アレイストは黙ったままだ。しかし、そのまま前を素通りして戻ることもできず、ロウェルは所在なく佇む。
 そうしていると、アレイストは小さな溜息と共に、ようやく口を開いた。
「陛下には、誘拐されたセレンティーネ王女は公国内で保護、現在はリーティエ妃の元で静養中。誘拐犯は辛くも取り逃がした――、と伝えておく」
 アレイストの言葉から、セレンは謀反人ではなく、誘拐の被害者として捜索されていたのだろうと悟る。どうりで、追手に迫られた時、セレンへの害意を感じなかったはずだと納得する。
「わかった。頃合いを見てアキュイラに連れて行くよ」
「……ああ」
 それきり、また沈黙が落ちる。
 だが、今度その静寂を破ったのはロウェルだった。
「――なあ、アレイスト。……ごめんな」
 アレイストの頬がぴくりと痙攣して、ロウェルに鋭い視線を向けた。
「それは、何に対する謝罪だ」
「……、さあ。全部かも。でも一番は、あの日……お前の手を離してしまったこと、かな」
 ロウェルの視線が、無意識にアレイストの左足へと向かう。その仕草で、ロウェルの言う「あの日」がいつのことか理解したのだろう。アレイストはまた溜息ついた。
「その件なら、謝罪は受けたはずだが?」
「たしかに謝りはしたな。でも、それを受け取ったことないだろ、お前」
 ロウェルの言わんとすることが分かったのか、アレイストの眉間に刻まれていた皺が深くなった。
 ロウェルとて、謝ったからといって簡単に許してもらえるとは思っていないし、もしそうなったとしても自分で自分を許せない。
 だが、あの事件のあと初めて顔を合わせたアレイストに、心からの謝罪をして頭を下げたロウェルに返ってきたのは、「別に、いい」という短い返答と、それまで見たこともなかった冷たい顔だった。
 謝罪をする、ということすら許されないのだ、と悟るには十分だった。
 でも、それでも。もっと彼に踏み込んで、鬱陶しがられても謝るべきだった、と今は思う。
 そうすればきっと――、こんな寂しそうな目をさせずに済んだのに。
「アレイスト」
「な、っ」
 少し強引に腕を引いて、その身体を抱きしめる。
「俺は、今でもお前が大事だし、友人だと……、弟だと、思ってるから」
「っ……」
 はじめは抵抗しようとしていた腕の力が抜けて、ロウェルの服を掴んだ。
「お前、ほんと……」
 肩口に顔を埋めたアレイストが、もごもごと何かを呟く。
「ん?」
「……ずるい。もう、僕のそばには、戻らない……くせに」
「また、会いに行くよ。必ず」
 それっきり何も言わなくなったアレイストの背中を撫でる。
 いつか、この夜のことも笑い話にできる日が来ることを願いながら。

2025/08/22 00:00:23

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 33


 昼間は落ち着いている気持ちも、夜になればざわめきだす。
 耳元で聞こえる母の声は、一層大きく。
 ただ無為に時間が流れるままになっている罪悪感もまた、セレンを苛む。
 眠れない。明け方近くに気絶するようにほんの少し眠る生活が続いている。
 その日も同じように、ただ目を瞑って、夜の闇に耐えていた。
 カタン、と小さな物音がした。静かな闇の中では、その音がやけに大きく聞こえる。
 空気の動く気配がして、窓が開いたのだと分かった。
 それでも、セレンは目を開けようとせず、ただじっとしていた。
 ギシッとベッドの軋む音がして、誰かが体重をかけたのが分かった。
 微かに息遣いが聞こえる。すぐそばに体温も。
 そして、首元に冷たい金属が触れた。
「――抵抗しないんですか」
 こちらが起きていることを、疑いもしない問いだった。
 セレンはゆっくりと目を明けて、そこに想像通りの人物がいるのを確認する。
「アレイスト……」
 真夜中に、闇の中に沈むように佇む男を見上げた。
 非常識な訪問だと責める気にも、勘違いされると窘める気にもならなかった。
 こんな夜が来ることを、どこかで知っていたような気さえした。
 首筋に当てられた刃にも、恐怖を感じない。
 だって、これはセレンが望んでいたことだったから。
「『抵抗』? なぜ、しなければならないの? やっと、解放されるのに」
 アレイストの瞳が揺れた気がした。
 押し当てられた刃が、更に強く押し当てられて、薄く皮が裂ける。チリッと痛みが走るとともに、微かな血の匂いがした。
「――ッ、貴女は!」
 アレイストは奥歯をギリッと噛み締めた。
「貴女は、いつだって私のほしかったものを持っているのに! 何故、いつも……、いつも! 私から奪うんだっ!!」
 思いがけない言葉に、セレンは目を瞬かせた。
「欲しかったものを持っているのは、あなただわ、アレイスト……」
「そんなことない! 父の関心も、心から貴女を案じてくれる人も、自由も! 貴女は持っていたじゃないか……」
 そんな風に見えていたのか、とセレンは驚きながら聞いていた。でも、そんなもの、本当にわたしにあっただろうかと空虚に響く。
「父は……、愛する女の影を追っていただけ。心から案じてくれる人なんていない。母が毎夜『王になれ』と囁く日々に、『自由』なんてあるはずないじゃないの。わたしは……、父から期待されるあなたが、ずっと羨ましかった。それに、あなたは母親から一身に愛されてるのに」
 視界があっという間に滲んで、目尻から涙が零れていった。
 わたしは、愛されたかった。
 優しく抱きしめてほしかった。
 それだけだったのに。
 声もなくぽろぽろと涙を零していると、アレイストは視線を逸らして唇を噛んだ。
 そして、首元に添えていた刃をスッと離した。
「アレイスト……」
「……私は、貴女を苦しめたくて来たんです。でも、貴女は死にたいらしい。なら、この行為に意味はない」
 そう言って、セレンの元から離れていこうとした。
 はじめ、セレンはアレイストの言葉の意味が分からなかった。
 だが、その声で、横顔で、彼が敵意を失ったと悟る。
 それに気付いたセレンは、跳ね起きてその腕を掴んだ。
「……嫌」
 驚いたように、アレイストが振り返る。
「嫌、いやよ! わたしはもう、こんな世界で生きていられない」
 掴んだ服をぎゅうときつく握りしめる。目からは大粒の涙が頬を滑り落ちて、シーツをぼたぼたと濡らしていた。
「わたしは、あなたが、終わらせてくれると思えたから耐えられた! そうでなければ……、もう、むり、なの。いかないで……。おねがい。わたしを、殺して! 殺してよぉ……!!」
 セレンは耐えきれずに声を上げて泣いた。
 もう抗うのが辛かった。
 毎日毎秒、出来損ないと罵る母の声に耐えるのも。この屋敷に流れるあまりに優しい日々に、それを享受して幼少期を過ごしたであろうアレイストに、羨望で胸を掻き毟りたくなるのも。結局、ひとりぼっちなのだと痛感する夜を越えるのも。
 もう、耐えられないのだ。
 わんわん泣きじゃくるセレンに、アレイストはしばらく何も言わなかった。
 だが、セレンの泣く声が少し落ち着いた時、ぽつと消えてしまいそうな声で言った。
「……なら、」
 アレイストの手が、涙で濡れたセレンの頬をすべった。顔を上げさせられて、視線が交錯する。
「一緒に、死にましょうか」
「え……」
 どこか慈愛さえ感じる微笑みを、アレイストが向けていた。
 こんなに間近で彼の顔を見たのは、はじめてかもしれない。そんなことをぼんやり思った。
 その近かった距離が更に近付いていく。
 吐息を唇に感じた。
 そして、あとほんの少しで触れてしまいそうなほど近付いた時――、
「――セレン!!」
 突然響いたロウェルの声で、ハッと我に返った。
 腕を半ば強引に引かれ、アレイストと距離を取らされる。
 背後からセレンを抱きしめるロウェルは、厳しい眼差しでアレイストを見ていた。
 だが、彼らの間に言葉が交わされることはない。ただ黙って、お互いを見ていた。
 その均衡を破ったのは、アレイストの名を呼ぶ細い女の声だ。
「アレイスト」
 廊下から姿を表したリーティエは、酷く悲しげな表情で息子を見ている。
 冷たささえ感じたアレイストの表情が歪んだ。
「おいで、アレイスト」
 その一言で、金縛りが解けたように、アレイストはふらと歩き出した。杖がないためか覚束ない足取りをリーティエが支える。それから彼女は、セレンに申し訳なさげに微笑むと、息子と二人でその場を後にした。
 母に支えられ慈しまれるその姿が――、羨ましくて、仕方がなかった。
 その姿が見えなくなった後、ロウェルがハッとしたようにセレンの顔を覗き込む。
「セレン……、大丈夫――なわけないよな。少し座ろう」
 ベッドの縁に並んで腰掛けて、背中を優しく撫でられる。
「いつから聞いてたの」
 ロウェルは答えなかったが、その表情から察するに粗方聞こえていたのだろうと思う。
 セレンはされるがままになったまま、ぽつりと言った。
「あなたの望み通りになったのね」
 ロウェルの手がぴたりと止まる。
「俺の、望み?」
「アレイストに『姉殺し』をさせないこと。……違う?」
 単なる勘ではあるが、もうアレイストがセレンを殺しに来ることはきっとないだろう。
 それはセレンの地獄がまだ続くことを意味している。
「あなたは、アレイストが『姉を殺す』ことを阻止しようとして、わたしを助けたのでしょう? 思い出したの。あなたの『贖罪』すべき相手は、きっとアレイストなんじゃない?」
 彼と出会って間もない頃、月夜の晩に酒で忘れたいことを「贖罪と過去の罪」だと、この男は言った。そして、山小屋でもアレイストのことを「友人『だった』」と言っていた。
 予想に過ぎないが、ロウェルから何の反応もないことが、肯定にも等しく思えた。
 セレンは諦念と共に目を閉じる。
 わたしは、いつも何かの代替品。
 母にとっては、自身の正当性を顕示するための駒。
 父にとっては、愛した女の面影を追う道具。
 ロウェルにとっては――、
 その答えが出る前に、ロウェルの両手がセレンの頬を包んだ。驚いて目を開くと、額にキスが落ちる。
「……そういう側面がなかった、とは言わない。でも」
 ロウェルはセレンの額に、こつんと自分のそれをぶつけて続けた。
「でも、今はそれだけじゃないよ、セレン。君のことがとても大事なんだ。……生きてて、ほしいよ」
「……そんなの」
 つい口をついて出た反論の言葉に、ロウェルは頷く。
「わかってる。こんな言葉だけじゃ、信じてもらえないことなんて。でも、本心なんだ。だから……、それを確かめるまで傍で見ててくれ」
「……もし、嘘だったら?」
「君が『信じられない』と判断したなら――、俺が君を殺す」
 その言葉に、セレンはハッと息を飲んだ。
「俺のために地獄に留まってもらうんだ。責任は果たすさ。だから、俺以外の誰にも殺されないでくれ。君自分にも、……アレイストにも」
「――っ、ふふ」
 セレンは真剣な誓いに笑ってしまった。
 こんな馬鹿げたことを言ってくれるのは、きっと世界でもこの男だけだろう。
 これで、自殺を試みることすらできなくなってしまった。どうしてくれるのか。
 セレンはくすくすと笑いながら、その目からまた涙が零れていることに気付く。
「――その言葉、忘れないで」
 その誓いが履行されている限り、ロウェルは決して傍を離れない。
 ならば、もう少しだけ生きてみるのもいいかもしれない。
「ねぇ、ロウェル」
 彼に対するこの気持ちは、一体何と形容すればいいのだろう。
 好きも、愛してるも、違う気がした。
 ただ、セレンの中でこの男は唯一替えの効かない「特別」になってしまったことだけは間違いない。
 そんな男に裏切られたとすれば、自分はどれほどの絶望を感じるだろう。
 それでも、この命が尽きるその時まで、きっと彼は傍にいる。
「やっぱり……、なんでもないわ」
 なら、それは幸福なことなのかもしれない。
 そんなことを思った。

2025/08/22 00:00:22

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