初稿置き場
#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章
21
「なあなあ。やっぱ俺、もうちょい探検してきていい?」
二人でしばし自然を散策し、休憩と川近くの木陰に腰を下ろしたファルを尻目に、レンは上流を指差してそう言った。
「いいけど……、あんまり遠くまでは行くなよ? 僕もそこまで土地勘ないし、見つけられなくなる」
「だーいじょうぶだって。ちょっと川沿いに歩いてくるだけだし」
それなら、と頷いたファルに手を振って、レンは小川の流れを辿って歩き出す。
途中で拾った木の枝を軽く振り回しながら、ゆっくりと歩を進めた。
川のせせらぎと、鳥の声と、それから木々のざわめきが聞こえてくる。
街の喧騒とは全く違うが、森の中も想像よりずっと音であふれているのだと気付く。ファルと別れ、一人になったせいか、それらがより存在感を増して聞こえていた。
「……あ、人だ」
前方に人影が見えて、レンは一度足を止めた。
その人物は川岸に座り込み、竿らしきものを握っている。どうやら釣り人のようだ。
歩みを再開したレンは、その人物にひょこひょこと近付いて、声をかけた。
「こんにちは、おじさん。ここって何が釣れるの?」
顔を上げた男は突然現れたレンに警戒する様子もなく、朗らかに笑った。
「いや、これといって。小魚ばかりさ」
「ふぅん」
レンは彼が釣り糸を垂らす先を覗き込んでみる。だが確かに彼の言葉通り、川は澄んでいて大きな魚の姿はない。手の平にも満たない程度の小魚がすいっと泳いでいくのが見えた。
「君、ここいらじゃ見ない顔だね。旅行者かい?」
「うん。友達の帰省についてきたんだ」
返答しながらもじーっと川面を見つめていると、釣り人はおかしそうにくすくすと笑った。
「そんなに面白い?」
「面白いよ! こんなに綺麗な川……初めて見た」
レンはようやく顔を上げて、男の隣に腰を下ろす。
「俺、王都に住んでてさ。こんなに自然の多い所、初めてなんだ」
「そうか。……じゃあ、釣りもしたことない? やってみるか?」
「え! いいの――」
嬉々として頷こうとして、はたとファルのことを思い出す。
「……ごめん、今はやめとくよ。友達を待たせてるんだ。あ、でも。俺、何日かこの近くにいるんだ。だから、その間にもう一度会えたら……お願いしていいかな?」
笑顔で了承してくれた釣り人にお礼を言って、代わりに暫く彼の隣に腰を下ろし、釣り糸が水面を揺らすのを見つめる。
「さっき、友人の帰省に同行してきた、って言っていたね。仲が良いんだな」
「んー、まあね。アカデミーの一年からの付き合いで……。さすがに帰省先にまで付いてきたのは初めてだけどさ。今年で卒業だからって」
レンはそこで言葉を一度切り、苦笑して続けた。
「俺が……その、進路に悩んでるからさ。心配させたんだと思う。優しいやつなんだ。自分だって大変なのに」
急に持ちかけられた今回の旅行が、ファルの気遣いだとレンも勿論分かっていた。もしかすると、解剖の際に取り乱したことで負い目すら感じてるのかもしれない。
今レンが悩んでいるのは、確かにあの日のファルが契機ではあるが、彼には何の責任もないのに。
ちらりと釣り人の表情を窺う。彼の目はただ穏やかで凪いでいた。
今日会ったばかりの、名前すら知らない相手だ。――だからこそ、気兼ねなく聞けた。
「おじさんは……、何かに悩んだ時って、どうやって決めてる?」
「悩んだ時、か。そうだな……」
彼の目が眇められ、その視線はどこか遠くを透かし見るかのようだった。
「私は……、『最も大切にしたいものは何か』を、己に問いかけて決断したね」
「大切にしたいもの……」
彼はレンの方を向いて微笑んだ。
「そう。人でも物でも、信念でもいい。それを守る最善の方法を選ぶんだ。どうしても譲れない、たった一つのために」
「おじさんは、その『大切なもの』を守れた?」
頷いてくれるかと思ってレンは聞いた。だが予想に反して、彼は曖昧に微笑む。
「さあ、どうかな……。苦労も多かった。もっと良い道があったのではないか、と考える日もある。でも――」
「でも?」
「後悔はしてないんだ」
からりと笑った男に、レンは驚いて目を見開く。
「守れたか、わからなくても?」
その問いには、彼は迷わず頷いた。
「もちろん、『あの時もっとああしていれば』という後悔なら無数にあるさ。けれど、大切なものを『これだ』と決めた自分には、欠片も後悔していないんだ」
「……そっか」
何か胸の中に、ぽっと光が灯った気がした。
レンはそんなあたたかな気持ちにニッと笑って、立ち上がった。
「何か参考になったかな」
「うん。まだはっきりしたわけじゃないけど、少し掴めそうな気がする。後は自分で考えてみるよ」
「そうか」
彼はやわらかく微笑んで頷いた。
レンは心も身体も少し軽くなった気がして、男の座っていた石の上から、ぴょんと飛び降りる。
「ありがとう、おじさん! あ、また会ったら釣り教えてね!」
手を振りつつ元来た方向へ戻るレンに、彼も手を振り返してくれる。レンは意気揚々と川沿いを進んで、ファルのところへと戻った。
彼はレンの顔を見て、目を瞬かせる。
「何かあったのか?」
「え?」
「いや……、少し表情が明るい気がして」
一目で指摘されるほど分かりやすかったのか、と少々照れつつ、レンは笑みを返した。
「ああ、ちょっとな!」
どことなく照れくさくて、先程出会った親切なおじさんの話はそれとなく誤魔化しつつ、もうしばし森を散策したあと、漸くファルの実家へと向かった。
2026/10/04 14:06:18
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二人でしばし自然を散策し、休憩と川近くの木陰に腰を下ろしたファルを尻目に、レンは上流を指差してそう言った。
「いいけど……、あんまり遠くまでは行くなよ? 僕もそこまで土地勘ないし、見つけられなくなる」
「だーいじょうぶだって。ちょっと川沿いに歩いてくるだけだし」
それなら、と頷いたファルに手を振って、レンは小川の流れを辿って歩き出す。
途中で拾った木の枝を軽く振り回しながら、ゆっくりと歩を進めた。
川のせせらぎと、鳥の声と、それから木々のざわめきが聞こえてくる。
街の喧騒とは全く違うが、森の中も想像よりずっと音であふれているのだと気付く。ファルと別れ、一人になったせいか、それらがより存在感を増して聞こえていた。
「……あ、人だ」
前方に人影が見えて、レンは一度足を止めた。
その人物は川岸に座り込み、竿らしきものを握っている。どうやら釣り人のようだ。
歩みを再開したレンは、その人物にひょこひょこと近付いて、声をかけた。
「こんにちは、おじさん。ここって何が釣れるの?」
顔を上げた男は突然現れたレンに警戒する様子もなく、朗らかに笑った。
「いや、これといって。小魚ばかりさ」
「ふぅん」
レンは彼が釣り糸を垂らす先を覗き込んでみる。だが確かに彼の言葉通り、川は澄んでいて大きな魚の姿はない。手の平にも満たない程度の小魚がすいっと泳いでいくのが見えた。
「君、ここいらじゃ見ない顔だね。旅行者かい?」
「うん。友達の帰省についてきたんだ」
返答しながらもじーっと川面を見つめていると、釣り人はおかしそうにくすくすと笑った。
「そんなに面白い?」
「面白いよ! こんなに綺麗な川……初めて見た」
レンはようやく顔を上げて、男の隣に腰を下ろす。
「俺、王都に住んでてさ。こんなに自然の多い所、初めてなんだ」
「そうか。……じゃあ、釣りもしたことない? やってみるか?」
「え! いいの――」
嬉々として頷こうとして、はたとファルのことを思い出す。
「……ごめん、今はやめとくよ。友達を待たせてるんだ。あ、でも。俺、何日かこの近くにいるんだ。だから、その間にもう一度会えたら……お願いしていいかな?」
笑顔で了承してくれた釣り人にお礼を言って、代わりに暫く彼の隣に腰を下ろし、釣り糸が水面を揺らすのを見つめる。
「さっき、友人の帰省に同行してきた、って言っていたね。仲が良いんだな」
「んー、まあね。アカデミーの一年からの付き合いで……。さすがに帰省先にまで付いてきたのは初めてだけどさ。今年で卒業だからって」
レンはそこで言葉を一度切り、苦笑して続けた。
「俺が……その、進路に悩んでるからさ。心配させたんだと思う。優しいやつなんだ。自分だって大変なのに」
急に持ちかけられた今回の旅行が、ファルの気遣いだとレンも勿論分かっていた。もしかすると、解剖の際に取り乱したことで負い目すら感じてるのかもしれない。
今レンが悩んでいるのは、確かにあの日のファルが契機ではあるが、彼には何の責任もないのに。
ちらりと釣り人の表情を窺う。彼の目はただ穏やかで凪いでいた。
今日会ったばかりの、名前すら知らない相手だ。――だからこそ、気兼ねなく聞けた。
「おじさんは……、何かに悩んだ時って、どうやって決めてる?」
「悩んだ時、か。そうだな……」
彼の目が眇められ、その視線はどこか遠くを透かし見るかのようだった。
「私は……、『最も大切にしたいものは何か』を、己に問いかけて決断したね」
「大切にしたいもの……」
彼はレンの方を向いて微笑んだ。
「そう。人でも物でも、信念でもいい。それを守る最善の方法を選ぶんだ。どうしても譲れない、たった一つのために」
「おじさんは、その『大切なもの』を守れた?」
頷いてくれるかと思ってレンは聞いた。だが予想に反して、彼は曖昧に微笑む。
「さあ、どうかな……。苦労も多かった。もっと良い道があったのではないか、と考える日もある。でも――」
「でも?」
「後悔はしてないんだ」
からりと笑った男に、レンは驚いて目を見開く。
「守れたか、わからなくても?」
その問いには、彼は迷わず頷いた。
「もちろん、『あの時もっとああしていれば』という後悔なら無数にあるさ。けれど、大切なものを『これだ』と決めた自分には、欠片も後悔していないんだ」
「……そっか」
何か胸の中に、ぽっと光が灯った気がした。
レンはそんなあたたかな気持ちにニッと笑って、立ち上がった。
「何か参考になったかな」
「うん。まだはっきりしたわけじゃないけど、少し掴めそうな気がする。後は自分で考えてみるよ」
「そうか」
彼はやわらかく微笑んで頷いた。
レンは心も身体も少し軽くなった気がして、男の座っていた石の上から、ぴょんと飛び降りる。
「ありがとう、おじさん! あ、また会ったら釣り教えてね!」
手を振りつつ元来た方向へ戻るレンに、彼も手を振り返してくれる。レンは意気揚々と川沿いを進んで、ファルのところへと戻った。
彼はレンの顔を見て、目を瞬かせる。
「何かあったのか?」
「え?」
「いや……、少し表情が明るい気がして」
一目で指摘されるほど分かりやすかったのか、と少々照れつつ、レンは笑みを返した。
「ああ、ちょっとな!」
どことなく照れくさくて、先程出会った親切なおじさんの話はそれとなく誤魔化しつつ、もうしばし森を散策したあと、漸くファルの実家へと向かった。