初稿置き場

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 20


『――この、出来損ないっ!!』
 癇癪を起こした甲高い女の声と共に、セレンの頰に強烈な痛みが走った。
 大人の平手打ちに幼い少女が耐えられるはずもなく、床に崩れ落ちて頬を押さえる。
 痛い、という言葉を口内で噛み殺し、セレンはおそるおそる顔を上げた。
 そこには、怖ろしい形相でこちらを見下ろす母が立っている。
「ご、ごめんなさい、母様……」
 セレンは震える声で謝罪の言葉を呟くが、彼女は一層眉を吊り上げて叫ぶ。
『お前は「王女」なのよ、セレンティーネ! どうして、あの程度のことも出来ないの!!』
「ごめん、なさい」
 怒声に身体を震わせながら、ひたすらに謝るが、母の叫びは止まらない。延々と、セレンを責める言葉が続く。
「ごめんなさい……、ごめ、なさい……」
 耳を塞ぐように蹲って、何度も何度も謝罪する。
 そして、どのくらいの時間が経っただろうか。不意に母の声が止んだ。
 セレンはそろりと顔を上げるが、母はまだそこにじっと立っている。どす黒い顔でこちらを見下ろしたまま、暗い声で呟いた。
『お前は『王女』なのよ。誰が、何と言おうと。だから、お前は王太子としての務めを果たさねばならない』
 母がふいと背を向ける。
 そして、独り言のように続けた。
『それが出来ないお前には、価値などないのよ。セレンティーネ』
 セレンは去っていく母の姿を、見えなくなるまで黙って見つめていた。
「……あっ」
 だが、その姿が消えると同時に、あっという間に視界が歪んで、ぼたぼたと涙が落ちてゆく。
 その雫が自身の目から零れていると理解して、セレンは恐怖でひっと喉を鳴らした。
 泣いてはいけない。涙を流すような「弱い子」は、今度こそ母様に捨てられてしまう。
 だが、その涙を止めようと、何度拭っても次から次へと溢れてくる。
 おねがい、止まって――。
 その時、目元に誰かの指が触れた気がした。
 セレンはそっと目蓋を開くが、周囲が暗くてよく見えない。
「どうした?」
 母様じゃない。やわらかな男の声だ。
 だれだっけ……。
「怖い夢でも見た?」
 でも、とても安心する声だ。
 セレンはほっとしながら目を閉じて、小さく答える。
「……かあさまが、わたしをせめるの。でも……、でも、それはわたしが、わるい子だから……」
 わたしが上手く振る舞えないから。わたしが母様の期待に応えられないから。
 全部、全部――、わたしが悪い。
 だから、母様の叱責も当然で、全て受け止めるべきなのに。
 でも――、哀しくて。
「――セレン」
 そっと抱き起こされて、()()に抱きしめられる。
「セレンは、『悪い子』なんかじゃない」
「……でも」
 人の体温がこんなにも間近にあることが慣れなくて、じっとしていると、背中をゆっくりと撫でられる。
「俺は知ってる。セレンが一途で頑張り屋なこと、俺は……」
 あたたかな手で背を撫でられていると、徐々に身体の力が抜けて、また涙が零れ落ちた。
 今度は恐怖が湧かなかった。
 でも。
 セレンは眠気で緩慢になりながらも、首を横に振った。
「わたしは……私は、母上の期待に…………。王に、ならなくては――」
 彼が息を飲んで、セレンの身体をきつく抱き竦めた。
「セレン、俺は――」
 その後に続く言葉はなかった。

2025/08/22 00:00:09

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