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アミラはあっという間に買い上げられて、奴隷商の元を離れることとなった。
そして男に手を引かれるまま、これまでの人生で乗ったこともない上等な馬車に揺られ、これまた見たこともないほど巨大な屋敷に連れてこられていた。
到着した後は、何人もの侍女に傅かれながら湯浴みを済ませ、背中にある鞭打ちの跡を手当てされる。
久方ぶりの風呂はやはり気持ちが良かったし、ゴワゴワした服を脱げたのも、ベタついた髪を丁寧に梳られるのも悪い気はしなかった。だが、この状況を歓迎できるのかと言われれば、また話は別だ。
どう考えても、「奴隷」に対する態度ではない。
その上、侍女たちには「お嬢様」などと呼ばれるのだ。これから何が起きるのか予想もつかず、自身を買った男への疑念ばかりが膨らんでいる。
広い応接室のソファにちょこんと座ったアミラは、出された茶をちびちび啜りながら、じっと息を詰めて周囲を警戒し続けていた。
着せられたドレスはコルセットも何もなく、おそらくは室内着だ。しかし手触りや細かな装飾を見るに、拐われる前に持っていた一張羅よりも高価な代物のではないか――。
その時、部屋の扉が叩かれる音が響き、びくりと身体が跳ねる。
応答の後すぐに入ってきたのは、アミラをここまで連れてきた男だった。
じっ、とその男を観察しながら思う。
自分は予想していたよりもずっと、高貴な身分の人間に買われたらしかった。
「湯加減はどうでした? 侍女たちに粗相はありませんでしたか?」
「…………特に何も。みんな良くしてくれました。久し振りのお湯も気持ちよかったです」
警戒心が露わなのは伝わっているのだろう。彼は肩を竦めて苦笑すると対面に腰を下ろした。
「茶は飲むのですね」
アミラの前に置かれた、水位の下がったティーカップを目に留めた男は、不意にそんなことを言った。警戒していることを当て擦るような物言いに眉根を寄せるが、静かに言葉を返す。
「殺す気なら、そもそも買わないでしょう」
「殺害が目的ではないかもしれないではないですか」
「……それこそ、こちらに拒否権はないじゃないですか」
アミラを買い、その所有権を得たのは眼前にいるこの男だ。何をされても、どうこう言う権利は存在しない。
分かっていて聞いているのか、と睨みつけると、何故か彼は満足そうに笑った。
「良かった。貴女は存外賢い方のようだ」
「……馬鹿にしてるの」
「いいえ、本心です。それと、茶には何も入れてませんから、安心してください」
アミラは黙ったまま、男を見据える。その言葉が真実かは不明だが、いきなり襲いかかられる可能性は低そうだとは思った。
ならば、今のうちに目的は把握しておきたい。
「どうして、わたしを買ったんですか」
「一言で言えば、貴女を利用するため……でしょうかね」
男の返答にアミラは無言で頷く。
「『利用』と聞いて、怒らないのですね」
「……むしろ、そうじゃない方が怖いんですけど」
これほどの厚遇をしておいて、何もない方が不自然だ。
アミラの言葉に彼は微笑む。
「では簡潔に。包み隠さずお話しましょうか」
そうして男は、その目的を語りはじめた。
「我が家はクウィンシア帝国の名家でした」
「帝国……って、たしか、二十年くらい前に滅んだ……」
彼はこくりと頷く。
その帝国とは母国であるテレイス王国の隣にあった国の一つだった。だが、アミラが生まれるより前に滅亡しており、現在その国は存在していない。
歴史の授業で軽く触れた程度だが、失策により荒廃し、反乱の末に皇族が死に絶えた。その後、周辺諸国によって分割統治されるようになった――。そう聞いている。
「我が家は帝国貴族として斬首されることこそ免れましたが、貴族としての権威は地に落ちている状態です」
その割には羽振りが良くないか、とアミラが怪訝な顔をすると、男はひっそりと商会を起こし、そちらの収益で体面を守っているのだと説明した。
「私はこの生活も悪くはない――と、考えているのですが……。父はそう思ってはいないんですよ」
男の父は「帝国貴族」としての自負が強いのだという。そんな中で、領地が接収された後の落ち目ぶりが許せないのだそうだ。男自身はというと、帝国の滅亡が幼少期だったこともあってか、それほど拘りがあるようではなかった。
「権威を取り戻すには、より高位の貴族との婚姻が一番です。それはこの国でも、クウィンシアでも……、そしてテレイスでも同じでしょう?」
アミラは男の言葉を肯定して頷いた。自身は、父が騎士をしているだけの領地無しの一代爵のため、あまり関係がない。だが、王家から領地を預かる叔母夫妻――それを受け継ぐことになる従兄弟たちの話は聞いている。彼らにこれといって野心は無いが、それでも家同士の結び付きにおいて、身分が重要なのは十分に理解できた。
「ですが、我が家は父と、嫡男である私しかもう残っておりません。ですので、貴女を引き取りました」
「……どういうことですか?」
話が急に飛んだように思えて、首を傾げる。
「貴女にはこれから教育を受けてもらいます。その後に、政略の駒として働いてもらうつもりです」
アミラは彼の言葉をゆっくりと咀嚼してから口を開いた。
「つまり、この家の娘として結婚しろ……と?」
「そう思ってもらって構いません」
男の浮かべる腹の見えない笑みに、アミラは眉根を寄せる。
どうにも釈然としない。
一見筋の通った説明のように聞こえるが、どこかもやもやとしたものが残る。
アミラはその「もやもや」が何なのかは不明瞭なまま、口を開いた。
「なんで――、わたし…なの……?」
出てきた自分の言葉にハッとする。
瞬間、燻っていた「腑に落ちない」感覚の正体にも気付いた。
政略の駒となる娘を探しているのが事実だとして、何もわざわざ場末の奴隷市から買ってくる必要などない。そこが不可解なのだ。
真意を探るように男を見つめると、彼は観念したように肩を竦めた。
「酷い環境から救い出された恩義を感じ、裏切らないだろうと思ったから……、という理由では納得してくれなさそうですね」
「それでも、『わたし』である必要性がないじゃないですか」
恩義を感じるような「酷い環境」にいる娘など、探せばいくらだっているはずだ。そんな中でも例えば――、際立って見目麗しいなどという、特筆すべき特徴でもあれば別だっただろう。しかしアミラには、「これ」というほどのものはない。容姿も美人と称せる父母のものを受け継いで整ってはいても、「絶世の美女」というほどではなかった。
「……分かりましたよ、お話しします。実は貴女を指名したのは父なんです」
男がやれやれと言いたげに溜息をついて続ける。
「貴女は父の――、そうですね……『かつての想い人』によく似ているのだとか」
アミラがひくりと表情を引きつらせたのを見て、男は両手を上げた。
「安心してください。父はその『想い人』を愛欲の対象というより……、信仰する神のように崇めています。貴女にも畏れ多くて指一本触れないはずです」
「そ……そう、ですか」
何といえばよいのか分からず、曖昧な相槌を返す。
彼は「先程の呆れ顔の意味が理解できただろう」という目をしながら、上げていた手を降ろした。
「ともかく。父にとって神のような、そんな存在が牢獄に囚われているとなれば――、助け出したくなるのも道理でしょう」
「わたしは……その『想い人』ではないのに?」
「ええ、もちろん。その方は既にこの世におられませんから。……たとえ似ているだけでも、放置などできないほどなのですよ。父にとってはね」
アミラはじっと男を観察する。
ひとまず、事情は把握できたと言っていいのかもしれない。想い人に似ているというだけで、誰とも知れぬ奴隷を貴族が家に招き入れようというのは、正直理解できないが――。恋というのは時として判断を狂わせるものだ。過去、駆け落ち紛いのことをしたという母を見ていれば、それも分からないではなかった。
普段どれほど冷静だったり聡明でも、わけのわからない行動をすることもあるのだろう。
そう結論づけて、アミラは小さく息をついた。
少なくとも、ここにいれば衣食住の心配が無いことは確からしい。
「わかりました。なら貴方のことは……『お兄様』とでもお呼びすれば?」
そちらの目的を受け入れるということが理解できるようにそう訊ねると、男は首を横に振った。
「いえ。名前で――『リーヴィス』と。敬語も不要です」
意味不明な指示に怪訝な顔をすると、男――リーヴィスは肩を竦めた。
「『信仰対象』から敬われるような扱いをされるのは、父の不興を買いますので」
「……わかり――、わかったわ。リーヴィス」
言われた通りにしてみせると、彼はやはり腹の見えない笑みを浮かべる。
「ええ。こちらこそよろしくお願いします、アミラ」
今日は休むように、と告げてリーヴィスは部屋を出て行った。
それから、アミラはふと思う。
わたし、いつあの人に名乗ったのだろう――、と。
「あ、雪……」
それからの日々は、アミラ自身驚くほど穏やかだった。
窓辺から見えるちらつきはじめた雪に声を上げると、勉強に付き合ってくれていたリーヴィスが目を細める。
「ああ、もうそんな季節ですか」
彼が握っていたペンを置くのに気付いて席を立ったアミラは、窓まで駆け寄った。さすがに外で遊びたくなる歳ではないが、見慣れない景色に好奇心が抑えられない。
「テレイスはあまり降らないんでしたか」
「ええ。特に王都じゃほとんど。降ったとしても、もっと先よ」
リーヴィスもつられるように腰を上げ、そっと隣までやってきた。
「きれいね……」
雪に見惚れる振りをしながら、アミラはちらりと傍らへと視線を向ける。
この男と出会ってから、早数ヶ月が過ぎた。
いまだ、アミラの身分は彼の所有物のままだ。しかし、扱いは初日と変わらず丁寧すぎるほどだった。
リーヴィスは、伏せがちだという父に代わって貴族当主の仕事もこなしつつ、商会の運営にも携わっている。つまり、アミラには想像もつかないほど多忙なはずなのだ。だが、こうして頻繁に顔を出しては、なにくれとなく世話を焼いてくれている。教師に聞くほどでもない些細な質問から、ダンスの練習相手まで買って出るこの男は、一体いつ寝ているのだろう。
はじめは彼を警戒していたアミラだが、そんな甲斐甲斐しい相手にいつまでも毛を逆立てていられるはずもなく、すっかり打ち解けていた。またリーヴィス自身も、貼り付けたような笑みを見せることは減って、空気が緩んできていると感じるのは、きっと気のせいではないはずだ。
「……帰りたいですか」
ふと落ちた問いにアミラは目を瞬かせる。
「そりゃあね。でも、まだ無理なんでしょう?」
「……ええ」
基本的にこの国で奴隷は、主人の許可無しに国外へは出ることができない。見つかり次第即刻処分、という徹底ぶりだ。そんな中アミラ一人で逃げ出したところで、ここの国民ではない以上、ほぼ確実に関所で捕らえられてしまう。
リーヴィスの許可さえあれば出国は可能――、ではあるものの、手続きがあまりに煩雑で、金の力で市民権を入手させる方が余程簡単らしい。
とはいえ、今後「貴族の娘」として現れる予定であるアミラだ。そういった手段も後のことを考えればあまりとりたくないという。
そもそもとして、奴隷を貴族へ転身させること自体がなかなかに危ない橋であるため、アミラも納得するしかなかった。
しかし、本命であるこの家への養子入りも、当たり前だがそう簡単な話ではない。詳しい方法はよく分からなかったが、なんにせよ時間がかかるのだそうだ。
いずれ来たるであろう帰国の日まで健やかに過ごすためには、リーヴィスの言うことを素直に聞いて、正式な身分を獲得できるまで待つ。それしか、現状やれることはない。
「アミラ」
リーヴィスの手が、そっとアミラの肩を抱く。
「……巻き込んでしまって、すまない」
触れたぬくもりに、どこか物寂しいものを覚えた。
「いいよ。貴方に拾われなかったら、わたしもう死んじゃってたかもしれないんだし」
息を飲むリーヴィスに身を寄せて、目を閉じる。
彼の手に、ぎゅっと力が籠もった気がした。