09
遠い昔の記憶は、セピア色

 シエナは屋敷の中庭で、ぼんやりと空を眺めていた。

 ロリーナが慌ただしく出かけたことをランドルフに伝えると、彼は大きな大きな溜息をついたものの、ロリーナの行動力に諦めを覚えたのか、深くは追及しなかった。

 ただ、シエナの時間はぽっかりと空いてしまい、途方に暮れた。今日一日はきっと忙しい日になるだろう、と思っていたのだ。

 ロリーナが父に謝罪するのを聞き、今後のことを話し合う――。きっとそれだけで日が暮れてしまうことだろうと思っていた。

 しかし、今のシエナは暇を持て余していると言える。今更ロリーナを追うこともできないし、だからといってやることもなかった。

「……なんて」

 シエナは自嘲の笑みをもらす。

 もっともらしい理由をつけてはみたが、本当はわかっている。今からでもロリーナを追った方がいい。彼女の目的地は、十中八九ウィルフレッドのところだ。

 ならば、真に話をしなければならないのは、ロリーナではなく、シエナだ。

 だが、向き合わなければと思えば思うほど、身が竦む。こんなところでぐずぐずしていても、仕方がないというのに。

 その時、ふと桃色の花弁が視界を掠めた。

 周囲に咲く、薄桃色の薔薇の花。

 それの存在を唐突に思い出した。

「そういえば、昔もここで……」

 ほんの小さな時分のことだ。

 ウィルフレッドとロリーナが婚約するよりも、更に更に昔。まだ自分の気持ちにも無自覚で、彼への想いも年上の頼れる兄への憧れのような、そんな時の話だ。

 あまりにも昔で、記憶はうすらぼけていて、遠い――記憶。

 あの時も、シエナはこの場所にいた。

 なんということはない。何か――叱られたとか、そういう類のことで、泣きそうになりながら、庭の隅で膝を抱えていた。

 その時はロリーナもおらず、世界でひとりぼっちになってしまったかのような寂しさに襲われながら、必死に涙を堪えていた。

 その時だ。

「シエナ」

 そう声がして、彼が現れた。

 庭に立ち、こちらを見る彼の姿が、あまりに――そう、うつくしくて。

 シエナはウィルフレッドに「恋」をしたのだ。

 そうだ。丁度、今目にしている光景のように――。

「え……」

 シエナは目を見開いて、ゆらりと立ち上がった。

 薄茶けた記憶の中の光景が、急に色鮮やかに甦る。

 いや、違う。

「シエナ」

 目の前には、記憶の少年よりも随分成長した、男が立っている。

「ウィル、フレッドさま……?」

 全く違う姿。しかし、その瞳に宿るこちらを労るような、慈しむような視線は何も変わらない。

 彼は、シエナが恋した男の姿のまま、そこに立っている――

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