08
灰色のしあわせ

 シエナとウィルフレッドが王都から戻ってきた時より、遅れること一月。

「大変、申し訳ありませんでした、お父様」

 ようやくヴィオリア家へ戻ってきたロリーナは、旅装を解くこともせず、再会した父にそう言って深々と頭を下げた。

 さすがに面を食らったらしいランドルフは、渋面を作った後、溜息をつくと手を振る。

「いい、詳しい話は後だ。着替えてこい」

 それだけ言うと、踵を返してしまい、そこにはシエナとロリーナの二人しかいなくなった。父の後ろでひっそり息を潜めていたシエナは、父の後ろ姿もみえなくなった頃ようやく顔を上げたロリーナに、そろりと近付いた。

「えっと……、とりあえず、おかえりなさい、ロリーナ」

 困り顔のシエナにロリーナは苦笑する。

「ただいま、シエナ」

 ほんの近くまで遊びに行っていた時のような、変わらぬ挨拶。ロリーナは何も変わっていないと再確認し、こちらもようやく緊張が解れる。

 シエナはロリーナに抱きついて、再会の抱擁をした。

「ティニスさんは?」

「今はエムロディア家の方に、謝罪に行ってるわ」

 ひとしきり二人で抱き合った後、シエナの問いかけに彼女はそう答えた。

 今回ロリーナが王都から戻ってきたのはシエナ一人ではない。彼女の想い人であるティニスも一緒だ。

 ロリーナ失踪にはじまった一連の騒動を収めるべく、彼女たちはこの地に舞い戻ってきた。有り体に言えば、ロリーナとの結婚の許諾を得るためだが、それには迷惑をかけた両家への謝罪も含まれている。

 ティニス自身にその意志がなかったとはいえ、結果を見ればウィルフレッドから婚約者を奪い取ったという形になる。

 ウィルフレッドによると、エムロディア家の方は、当人が気にしていないなら構わない、と理解を示してくれているようだ。とはいえ当事者としては、そのままというわけにもいかないだろう。

「そう……、後でこちらにも?」

「もちろん。……あの人が悪いわけじゃないのにね」

 ロリーナは苦笑して肩を竦めた。

「でも、確執は無くしておきたかったから」

「確執?」

 頷いたロリーナは照れたように笑う。

「だって……。後先考えずに行動しちゃった私に言えたことじゃないかもしれないけど……。でも、あなたの晴れ舞台を、何の憂いもなく見たかったんだもの!」

「わ、わたし……?」

「そうよ。だって、愛する人と結ばれる女性はきっと綺麗だわ。それが、大事な大事な妹なら、一層綺麗に決まってるもの」

 その言葉に、シエナははっと目を見開いた。

「……わたしが、ウィルフレッド様のことを想っている、って……、知っていたの、ロリーナ?」

 おそるおそる尋ねると、ロリーナはきょとんとしている。

「知らないと思ってたの? ……あ……そう、そうよね」

 一転して目を伏せたロリーナは、小さく溜息をついた。

「ごめんなさい、シエナ」

「何故、謝るの……?」

 唐突な謝罪に、シエナは目を瞬かせる。

「だって、私はあなたにずっと惨いことをしていたんだもの。あなたたちの気持ちを知ってたのに、ウィルフレッドとの仲を引き裂くようなことを……、ずっとしてしまっていたわ」

「で、でもそれは、自分で望んでしたことじゃ、ないでしょう?」

「ええ、たしかに。それに私は、ティニスを好きになるまで……、あなたたちにどれほど酷いことをしているのか、気付いていなかったから」

 ロリーナはおろおろするシエナを見て、ふっと相好を崩した。

「ロ、ロリーナ?」

「今回ね、色々な人に迷惑をかけたけれど、一つだけ本当に良かったな、と思っていることがあるの」

「……ティニスさんと一緒になれそうなこと?」

「それは……、これからのお父様との交渉次第、でしょ? だから別のこと」

 確かに、ロリーナとティニスのことは、もうほぼ引き離される可能性はなさそうだとはいえ、ランドルフから正式に許すという言葉をもらっているわけではない。

 シエナは首を捻る。

「えぇ……? じゃあ?」

「あなたとウィルが結ばれること」

 シエナは予想外の答えに目を見開く。しかし、すぐにロリーナから視線を外して俯いた。

「それは、わたしにとっては、そうかもしれない……けど、ウィルフレッド様にとっては……」

 今度は、ロリーナが目を見開く。

「どういうこと?」

「だって、ウィルフレッド様は……、ロリーナを……」

「は?」

 素っ頓狂な声にシエナは顔を上げた。ロリーナは怪訝な顔をしている。

「だ、だって! わた、わたしは……、そもそもロリーナとウィルフレッド様は想いあっているんだ、って……。だから……」

 この一月、ウィルフレッドはシエナに優しかった。

 はじめに拒んだからか、無闇に距離を詰めようとはしてこなかったが、今までとは比べものにならないほど、彼は頻繁にヴィオリア家へ足を運んでくれていた。

 嬉しかった。

 嬉しくて、嬉しくて――。でも、それが義務感からくるものだろうと思うと、同じくらい苦しかった。

 俯いていると、上からロリーナの嘆息が聞こえた。そして、彼女の手がこちらに伸びてきて――

「――いたっ!」

 その細い指に、額を弾かれた。

 シエナはひりひりする額を押さえて、顔を上げる。

「シエナのおばか」

 泣き笑いのような顔でロリーナが言うと、彼女の腕がまた伸びてくる。しかし、今度はどこを弾くでもなく、やわらかくシエナの背に回った。

「ロリーナ……?」

 ぎゅっと抱きしめられ、シエナは困惑する。

 抱きしめられる理由が思い当たらず、彼女が何を考えているのか知ろうにも、その表情を伺うこともできない。

 ロリーナは暫く無言でシエナを抱きしめた後、ぽつりと言った。

「ねぇ、シエナ。あなたはもう、私がウィルのことを好きじゃなかった、って知ってるでしょ? なら、ウィルは? 本当にあなたの想像はあってるの? よく思い出してみてよ」

 言われてみればそうだった。

 これまでシエナは、二人が想い合っていると信じて疑ったことなどなかった。それは、ロリーナがティニスを追いかけていったと知った後でも、だ。

 何故、一度も考え直してみようとすら思わなかったのだろう。

 ロリーナにとんとんと背をあやすように叩かれ、シエナは自然と目を閉じる。

 いつも優しかった彼。ロリーナの振りをしている時も、黙って側にいてくれた。

 ネックレスをくれた時の真剣な声。シエナとして「ウィルフレッド様」と呼んだ時の寂しげな顔。朝の湖で口付けを拒んだ時の、その表情は――

 全てが繋がった時、頬にカッと熱が点った気がした。

 ロリーナがそっと身を離す。

「少しはわかったかしら」

「え、でも、それじゃ……」

 わたしは、あの湖で何と言った?

 シエナは血の気がサァッと引いていくのを感じた。

 ――だって、わたしたちは……、愛し合っている、わけじゃ、ない。

 あの時シエナは、彼は自分を愛していないという意味で言った。だが、もしも今思い当たったことが事実ならば、彼はこう受け取ったはずだ。

 シエナは、ウィルフレッドを愛していない、と――。

 それに気付いたときには、シエナはもう半泣きになっていた。

「わ、わたし……、ウィルフレッド様に、とても……、とても酷いことを……」

「……シエナ」

 シエナの震える手をロリーナがそっと包み込む。

「よくは分からないけど。それでもね、全部……はっきりした態度を取らない男が悪いのよ」

「へ……?」

 ロリーナの手に力が籠もった。

「いつもそうよ、黙っているのがカッコいいとでも思ってるのかしら。……まあ、いずれにせよ、私のかわいいシエナを泣かせたのは万死に値するわ」

「え、ロ、ロリーナ……!?」

 ロリーナはシエナの手を離すと、くるりと踵を返して玄関の方へ向かう。

「どこへ……」

「エムロディア家に。そういうわけだから、お父様には後でティニスと来ます、って言っておいてね」

「な、なんで!?」

 ロリーナはパチンと片目を瞑ると、あっという間に外へ飛び出していった。

 後には、呆然とするシエナただ一人が取り残されたのだった。

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