初稿置き場

#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 30


 山小屋を後にしたセレンとロウェルは、どうにか誰にも見つからぬまま、ロムーリャ公国に接する街まで到着していた。
 とはいっても、この時のセレンは彼がどこへ向かうつもりなのかも知らず、知りたいとすら思わず、ただ手を引かれるままに歩いていただけだ。
「セレン、ここで人と合流する。その後、国を出る。いいか?」
 旅人を装い、汚れた外套で頭まで隠したまま、二人は繁華街を進んでいた。足を止めないまま発せられた問いに、セレンは緩慢に顔を上げ、すぐに俯いた。
「どうでもいい」
「……わかった」
 ロウェルの微かに落胆するような声も、どこか遠く聞こえる。
 本当に、もう全てがどうでもよかった。
 仮に今ここでロウェルが手を離し、自身を置いていったとしても、そのまま立ち止まり続けるであろうほどに。
 考えることは山のようにあるはずだった。
 ここはどこ? これからどこへ行こうとしている? ロウェルは自分をどうするつもり? どうして助けた? どうして――、アレイストではなくわたしの手を取ったの。
 だが、どの問いももやもやと形を成す前に、霧散して消えていく。頭の動きが鈍い。世界も遠い。
 本当に、全てがどうでもいいものに思えた。
 その時、身体にトンと軽い衝撃を覚えて、歩調が乱れた。
 視線を向ける。子供だ。
「ごめんなさい!」
 そう言って少年は走り去っていくが、今のセレンはそんな軽い衝突すら受け流せる状態ではなかった。
 足に力が入らず、ふらりと後ろへ倒れそうになる。
 ロウェルが手を引いてくれなければ、そのまま転倒していただろう。
 だが、それも良くなかった。
 後ろへ倒れかかっていた身体が急に引っ張られる。その動きで、頭を隠していたフードがはらりと落ちて、銀色の髪が舞う。
「あ……」
 平民には珍しいという輝くような銀糸の髪に、通行人たちが振り返り、そして――
「――いたぞ!」
 追手の目も引いてしまった。
「セレン、走るぞ」
 ロウェルが手を強く握り、走りはじめる。セレンは足がもつれて転びそうになりながらも、どうにか彼についていった。殆ど「引きずられている」という方が正しかったかもしれないが。
 騒ぎが大きくなって、追手の数も増える。ロウェルも彼らを撒こうとしているようだったが、どうにも上手くいかず、最終的には、路地裏に追い詰められていた。
 相手は三人。ロウェルは、セレンを自身の背後に押しやると、短剣を抜いた。
 ロウェルの背中を見ているのが、妙に初めて彼と出会った時の情景と重なった。
 ロウェルと追手の三人は、何やら問答をしていたが、セレンの耳には入ってこない。
 ただ、何か、酷い耳鳴りのような、目眩のようなものがしていた。
 キンッと高い金属音がして、セレンは顔を上げる。
 目の焦点が次第に合ってくる。
 戦っている。三人も、相手に。碌な武器も無しに。
 ロウェルはどうにか、一人は昏倒させたらしい。だが、まだ多勢に無勢だ。息も上がっている。
 しかしそれでも、ロウェルは一歩も引かなかった。
 何度か打ち合いが続き、一人が倒れる。だがもう一人――、その男が剣を構えた。
 セレンは息を飲む。
 頭にかかっていた靄が晴れていく。
 それと同時に、ロウェルの脇腹を刃が通ってゆくのが見えた。
 赤い血が飛ぶのが、嫌になるほど鮮やかに見える。
「――――ロウェル!!」
 悲鳴のようなセレンの叫びが響いた。
 その声が予想外だったのか、追手の男まで虚を突かれたようにこちらを見た。
 その一瞬の隙をロウェルは見逃さず、男の鳩尾に拳を叩き込んで気絶させた。
「……セレン」
 失神した男を地面へ放ったロウェルは、呆然とこちらを見る。腹からはまだ血が流れていた。
 セレンはロウェルに駆け寄って、彼の身体を抱き締めた。
「どした? 血に驚いたか?」
「そ、んなんじゃない……!」
 セレンはハッとして、外套を脱ぎ、その下の謁見時に着ていたままだった上着も脱いだ。何故かボタンが一つなくなっていたが、今はそれどころじゃない。
 そして、その更に下に着ているシャツのボタンに手をかけたところで、ロウェルが目に見えて狼狽する。
「ちょ、ちょちょ、待て待て待て! 何をする気だ!」
「何って、止血しないと」
 比較的清潔な布が今これしかないのだから仕方がない。
 答えながらボタンを外そうとするが、ロウェルががしりとその手を掴んで止めた。
「掠り傷! そこまでする必要ない!」
「どこが『掠り傷』!? まだ血が出てるのに!」
「もう止まるって!」
「だとしても! それに、下着は着てるから問題ない」
「問題あ――」
「――はい、そこまで」
 パンと手を叩く音と共に割って入った声に、セレンはビクッと飛び上がった。
 声のした方向を見ると、いつの間にかそこに男が立っていた。
 その男を睨みつけ誰何しようとするセレンを制したのは、ロウェルだった。
「遅かったな」
「無茶言わないでくださいよ。突然連絡が来たかと思えば、『誰にも悟られず、国境を越えさせろ』だなんて」
 どうやら二人は知り合いらしいと察するが、つい不安になってセレンはロウェルの腕をつんと引いた。
「えっと、こいつだよ。合流するって言ってた相手。俺の協力者で、名前はレオ。それで、えーっと……。やっぱり、一度会っただけじゃ覚えてないか?」
 ロウェルの言葉に首を捻りつつ、じっと男――レオを観察する。淡い金髪をした、端正な顔立ちをしている。
 たしかに、何か既視感がある。あれはどこで――
「――あ」
「思い出していただけたようで光栄です、殿下」
 そう言って頭を下げた彼は、たしかにあの日――ロウェルと初めて出会った日に彼と一緒にいた金髪の男だった。
「では行きましょうか、お二人とも。ロムーリャ公国へ」

 そうして、セレンはロウェルと共に公国へ向かったのだった。

2025/08/22 00:00:19

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