第二部風の吹く都

第三楽章風向かう少女

 大風の儀に使われる衣装は、普段の儀に使われるものとは、少し違った作りをしている。強い風が吹くことが分かっている為、金属などの硬い装飾品は殆ど着けず、代わりに軽く薄い布で作られた装飾が増える。

 レルカは苛々としながら、そのピラピラとした布を次々と結んでいった。王宮楽団員としては、何度も大風の儀に臨んでいるレルカだったが、一ノ姫役ともなると、装飾が格段に増える。その上、仕方がないと分かってはいても、一ノ姫の代役をすることを、割り切り切れていなかったのだから、尚更レルカの苛立ちは募った。

 一ノ姫役とは言っても、舞自体は変わりなく、装束と立ち位置が変わるだけだが、重圧は比べようもないほど重い。

 レルカは一ノ姫になりたかった。しかし、こんな形で、しかも代役などという形で、なりたかった訳ではない。

 レルカは最後の布を結ぶと、近くの椅子にへたり込むように座った。これだけで疲れてしまった。レルカは溜息を吐いて、窓の外の空を見た。もう空は大分赤く染まっていて、幾ばくもないうちに日没になるだろう。舞は深夜から始まるので、まだ時間はあるが、日が落ちれば舞台の確認など、王宮楽団員達も忙しくなる。

 そのまま、どのくらいの間ぼんやりとしていたのか、ノックの音でレルカが我に帰った時には、空はもう暗くなり始めていた。レルカは慌てて立ち上がり、扉の向こうに返事をすると、そろっと扉を開けたのはユリーシアだった。

「用意はできましたか、レルカ?」

「長官様……。」

 レルカが頷き返すと、ユリーシアは柔らかく微笑んで、出てくるように促した。

「皆さんの出来はどうですか?」

 黙ったままユリーシアについてくるレルカに、ユリーシアはそう問いかけた。

「……今年は、新入りがいないようなので、皆勝手が分かっていますから。」

 今年の儀までに王宮楽団に入ったばかりの新入りは、ルテスのみ。彼も抜けているらしいと分かった今、残りの二十八人は全員、一度以上は経験があるため、新しく教える必要がない。その点、一ノ姫役ということで、全員のまとめ役をせねばならないレルカとしては、楽ではあったのだが、どことなく釈然としない思いはあった。

「そうですか。…今年は少し人数が少ないですから、無理はなさらないように。」

「………。」

 レルカは、やはり釈然としない思いが拭いきれず、唇を噛んで押し黙った。

 あの日ラミアに言われた、「私は貴女が、相応しいと思ってる。」という言葉が、レルカは頭から離れなかった。嬉しさではない。ただ、そう言われた時、悔しくて、悲しくて、腹立たしくて、ぐちゃぐちゃな思いが、レルカの胸に込み上がった。そう思うなら何故、自分に一ノ姫を譲らないのか、結局一ノ姫に選ばれているのはラミアではないか、と。

「……なぜ、ラミア、一ノ姫は来ないんですか。」

 ユリーシアはレルカの突然の問いに、悲しげに目を細めると、レルカから視線を外して、小さく首を振った。

「今はまだ…。」

 レルカは俯いたまま、ぎゅっと唇を噛み締めた。おそらく、ラミアはこの一件の全てを知っている。しかし、当事者達に近いはずの自分は、蚊帳の外。それが、レルカは腹立たしかった。

「そうですか。」

 そのあと、レルカもユリーシアも喋ることなく、無言のまま歩いていった。




 ケイルは呪術師にそろそろだと呼ばれ、愛用の弦楽器を抱え舞台の裏側へと出てきた。もうすっかり辺りは暗く、日も落ちてしまった。しかし篝火が多く焚かれ、暗いと感じることもなく、人の出入りも激しい為、夜の静けさも無い。今、舞台上では設営の最終確認が行われ、それが終わると、ようやく楽団員達も舞台上に上がることができる。表にはもう、多くの客が待ち構えていることだろう。

 ケイルは辺りをきょろきょろと見渡して、目当ての人物を見つけ、彼女の方まで歩いていった。

「機嫌悪そうだな、レルカ。」

 あえて茶化したような口調でそう言いながら近づき、レルカの機嫌を取れぬかと思ったケイルだったが、どうも失敗に終わったようで、レルカはむっすりとした顔のままで座っていた。

 しかし、仕方がないので、ともかく見ないことにして、ケイルはレルカの隣に座った。レルカはケイルの存在に勿論、気が付いているはずなのだが、不満げな表情を変えることなく、舞台を睨んだまま、視線を動かさなかった。

 おそらく、ラミアのことやら、一ノ姫代役のことやらを、ぐるぐると考えているのだろう。レルカの眉間には軽く皺が寄っている。

「レルカ?」

 ケイルはあえて、そんな彼女の空気を読まず、レルカの顔を覗き込むと、ニコッと笑って手を振った。それには流石のレルカも無反応ではいられなくなったのか、レルカは口をへの字に曲げると、ケイルの額を指で弾いた。

「いたっ。」

「機嫌なんて良いわけないでしょ! まったく……。」

 ふんと鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまったレルカに、ケイルも苦笑いを送ると、慰めるように彼女の肩をポンポンと叩いた。

「そう、怒るなよ。舞に影響するぞ?」

 とは言ったものの、ケイルは本当にレルカが舞に影響させるとは、思ってはいなかったのだが。レルカは矜持が高く、舞への意識が誰よりも高い。

「……わかってる。」

 レルカは眉を下げ、意気消沈したような顔で俯いた。

 そんなレルカを見たケイルは、仕方ないなと肩を竦めて、レルカの肩から手を離すと、脇に置いていた弦楽器を取り上げて、ぽろんと爪弾いた。そして、ゆっくりと音を奏ではじめた。

 曲は『姫の葬送歌』。儀では滅多に選ばれない曲だったが、ゆったりとした曲調で、切ない調べのこの曲は、レルカが好んでいる曲だった。

 もっとも本人は知られているとは、思っていないだろうけれど。

 レルカはケイルが弾き終るまで、黙ってその調べに聞き入っていた。

 曲が終わり暫くすると、レルカはすくっと立ち上がって、ケイルの方を振り向いた。

「行きましょう。」

「ああ。」

 レルカの顔色が、少しだけ良くなっていた。




「今頃皆、儀の真っただ中なんだよね…。」

 ラミアは王宮楽団内にある自室の窓の桟に寄りかかりながら、遠くの空を見た。ずっと先の、街の中心部の当たりの空は、いつもでは考えられない程明るい。今夜は観光客も多く、夜明け前までは風が吹かないので、屋台などもまだまだ盛況を極めているはずだ。

「あの光の外にいるなんて…。」

 王都に来てからもう八年の時が経った。しかし、十歳で王都に来て、すぐに王宮楽団の予備隊に入り、三年経ったときには、もう王宮楽団員となったラミアは、あの儀の光を外から見つめた事など無かった。予備隊の時は裏で舞っているテンシアを見ていたし、王宮楽団員になった後は、あの舞台に上がる側だ。

 ラミアは目を擦りながら、外を見ていた。明日の夜は起きていなければならないので、今寝れば、きっと眠くなってしまう。そう思って、なんとか騙し騙し起きていた。

「…ルテス起きてないかな。話してれば、寝ないと思うんだけど。」

 ラミアはよいせ、と気合を入れて桟から離れると、部屋の扉を開けた。

「うわっ!」

「え?!」

 扉を開けた瞬間、人の声がしたことに驚いて、ラミアは扉の傍からぱっと退いた。しかしよく見てみると、その先には、扉を叩こうとしていたのか、その格好のまま手を止めるルテスがいた。扉が内開きでなければ彼に扉が激突していただろう。

「え、ルテス? 何で?」

 漸く手を下ろしたルテスは、気まり悪げに頭を掻きながら、ラミアを見下ろした。

「その、なんていうか。起きてるかな、と思って、な。…こんな時間にどうなんだ、とも思ったんだけど。」

 ラミアは少し照れているようなルテスを見て、クスリと笑った。

「なんだ、なら私と一緒ね。二人なら、寝ないでいられるかな、って思ってたのよ。」

 ラミアはにこにことそう言うと、ルテスを少し待たせて、部屋の中へ戻ると、あるものを持って、彼の前に戻ってきた。

「それ……。」

「ふふふ、私の部屋に、こんなのがあるなんて思わなかったでしょ!」

 そう言って、ラミアがルテスに突きつけたのは、茶色い酒瓶だった。ルテスはそれを見て呆れ顔になる。

「余計に寝そうにならない?」

「大丈夫よ。」

 ラミアはまかせろと言わんばかりに胸を叩くと、部屋の鍵を閉めた。ラミアとしては、それより心配なのは、二日酔いの方なのだが、二人で瓶一本なら問題ないだろう。

「……とは言ったけど、実は僕も酒、用意してた。」

 ルテスはそう言いながら、後手に持っていた酒瓶を、ラミアに見せたが、肩を竦め、自分用のつもりだったけど、と付け足した。この国では十六から飲酒が許可されているが、ラミアが酒をたしなむとは思っていなかったそうだ。

 そして、どちらかの部屋に行くわけにも行かず、結局寮の食堂で晩酌と洒落込むこととなった。

 大風の儀の日は、勿論のことながら誰もいないが、楽団員以外の職員達も今日は休みの為、本当の意味でここには二人しかいなかった。廊下も暗く、少しの灯りと月明かりだけを頼りに、なんとか目的の場所まで着くと、扉を入ってすぐのところに腰を下ろし、食堂の灯りは近い場所しか付けなかった。

「いよいよ明日だね……。」

 まずラミアの持ってきた酒を、食堂からもらってきたグラスに注いで縁を合わせた。そして、お互いに一口飲んで一息吐くと、ラミアが不意にそう言った。

 場所の下見に行った日から、毎日二人で合わせていたが、一度もあの、舞台に選んだ場所へは行っていなかった。本番の時までは実際の舞台で、練習することはしないのが、舞楽の暗黙の了解となっている為だ。

「不安はない?」

 何せ今回のことは、異例づくめだった。大風が二度あるのは勿論、大風の儀で奏でる曲『かぜなぐあさ』を二人で奉じるのもはじめてだった。この曲は、一人でもできる曲ではあるが、大風の儀以外ではあまり使用されない為、少人数で演ずることは稀だった。

 ラミアは、酒をもう一口啜って、ルテスの返答を待った。

「……多少は。」

 ルテスの返答はその一言だったが、その一言には、様々な思いが込められているような気がした。そもそも、ルテスは今回の儀が、はじめての大風の儀。不安が無いわけがなかった。

 もう自分は何度もしているから、気が付かなかった、とラミアは自分の迂闊さを笑った。

「そうだよね。私も不安。」

 ラミアはもう一度クスクスと笑って、グラスを取り上げた。

「まあ、明日の事を今考えるのは止めにして、飲みましょ。」

 ルテスもそれに同意すると、彼もグラスを取り上げ、二人はもう一度グラスを合わせ笑みを交わした。




 どのくらい経った…?

 レルカは動きを止める事なく、目だけであたりを確認した。空を見上げれば、ようやく空が白み出して、もう間も無く夜が明けるだろう。夜が明ければ、漸く半分。昼まではまだまだ長いが、レルカはそこは考えないようにして、今度は観客がいた方向を見た。もう観客は疎らになっていて、夜の賑わいとは打って変わり、閑散としている。夜が明ければ、大風がいつ吹いてもおかしく無いので、この場にいては危険な可能性もあるので、誰もいない事には、とくに不思議は無い。

 そして後ろを確認すると、経験の浅い楽団員達には、やはり疲労の色が濃く、舞姫達は身体の痛みと、楽士達は指の痛み、そして眠気と戦っていた。

 レルカ自身と、ケイルはこの中でも楽団員の経歴が長い方のためか、まだ余裕がある様子だった。

 今年の大風はどの程度になるのだろう……。

 一ノ姫が抜けるといる、経験の無い事態に、レルカは何かと言いつつも、不安を隠しきれずにいた。レルカが楽団員になってからの一ノ姫は、テンシアとラミアの二人のみで、どちらの時も、レルカが知る限りでは、大きな被害は出ていない。

 儀が始まる前までは、必ず成功させてやる、と思っていたレルカだったが、ここに来て、その思いが不安で揺らいだ。一ノ姫でない自分を筆頭に、二十八人で大風が治められるのだろうか、と。

 もっとも、呪術師庁がこれでいくと決めた事なので、ある程度は大丈夫なのであろうが、実際の被害の規模までは分からない。

 その上、背後の様子から考えるに、昼まで保たず倒れる者も出てくるはずだ。例年通りなら、二、三名はいつも出てくる。

 そう思った矢先、レルカの背後で、舞の動きから逸脱した気配を感じ、ドサッという何かが崩れ落ちるような音が聞こえた。そして、舞台の後ろの方から、数名の足音が聞こえ、邪魔をせぬよう近付いて、倒れた舞姫は担ぎ出されていった。

 場所から察するに、今年二年目のまだ経験の浅い舞姫だろう。去年の儀でも保たずに倒れていた舞姫の一人だったはずと、レルカは思っていた。もっとも、最初は皆そんなもので、はじめの三年間はだいたいが、やり遂げられずに医務室に運ばれているので、倒れた事自体は気にはならなかったレルカだが、人数が減る事には、やはり多少の危機感を覚えた。

 そうこうしている間に、空はどんどんと明るくなって、日が遠くの山の端から顔を覗かせる。

 そして、その瞬間に、一陣の風が吹いた。

 来た……。

 レルカはバチッと目を開いた。勿論、風が目に見えるはずもないが、強い風が纏わりつくように吹き、服を巻き上げ、髪を絡めとるような渦巻く風を感じた。

 立っていられない程ではないにせよ、酷く強い風が、人の隙間をぬって吹いてゆく。風の音も酷くて、舞姫たちの動きも、楽士たちの音も、ほとんど聞くことが出来なかった。

 自分はちゃんと音に合わせて舞っているのか、レルカは酷い不安に駆られながら、しかし、動きを止めることは出来なかった。

 まるで、一人きりで舞っている様だった。




 夜が明ける少し前のこと。ラミアとルテスは、二本目の酒瓶を半分ほど空け、互いにほろ酔い状態で、うとうととしていた。

「実は人と飲んだのはじめてなんだよねぇ。いつも、寝酒にちびっと飲むくらいで。」

 ラミアはグラスに半分ほど残っていた、酒を一気に飲み干した。

「僕はたまにケイルと。」

「ああ、仲良いもんね…。」

 ラミアは、自分のグラスにルテスが酒を注いでくれるのをぼんやりと眺めながら、少し悲しげに目を伏せた。

「一ノ姫じゃなかったら、私もレルカと、お酒飲んだりしてたのかな……。」

 三年前、一ノ姫に選ばれるまでの、お互いにただの楽団員であった二年間、二人はお互い良い好敵手であり、仲の良い友人だった。しかし、テンシアの失踪と共に、次の一ノ姫の選抜がはじまると、二人の関係は急速に変わっていった。そして、ラミアが一ノ姫となったことが、二人の仲を決定的に隔ててしまった。

「王宮楽団に入った頃、レルカに面倒見てもらってたんだ…。」

 その時、ラミアの目から、ぱたりと雫が落ちた。一度零れた涙は止まらずに、次々に零れ落ちる。袖で拭っても拭っても、追いつかない。

「ラミア……。」

 ルテスは思わず立ち上がって、ラミアの隣に身体を移した。

「ご、ごめんね…。なんか……。」

 ルテスがラミアの肩をそっと抱き寄せると、ラミアはそのまま彼の胸に崩れ落ちるように、顔を当てて、涙を拭い続けた。

 ラミアは涙を拭いながら、自分は何故泣いているのだろうと、不思議に思った。特段悲しいことがあったわけじゃない、辛いことも。それなのに何故、と。

 レルカのことは、もうかなり前に割り切れた、とラミアは思っていた。しかし、そうではなかったのだろうか。

 ラミアは気分を落ち着けるために、息を吐いた。そして、こそっとルテスの顔を見上げた。思えば、こうやって誰かに抱きしめてもらうようなことも、随分と久しぶりだ。テンシアが失踪した後、こうやって甘えられる誰かがいなかったラミアは、懐かしい気分に浸りながら、ルテスの胸に頬を押し付け、目を閉じた。

「ラミア、大丈夫?」

「……ん。ごめんね。……なんだか、こうゆうの久し振り。」

 ルテスは、ラミアの背をそっと撫でて彼女を見下ろした。きっとこういうとき、ルテスならば家族の事を、自分の父母のことを思い出すのだろう。しかし、ラミアが思い出すのはテンシアと過ごした四年間のことばかりで、あまり故郷にいる家族のことは思い出さなかった。

「ああ……、テンシアに会いたいなぁ。」

 ルテスがぴくっと動くのを、ラミアは感じた。ラミアの口から出てきたのが、家族のことではなく、先代一ノ姫のテンシアの名であることに驚いたのだろうと、ラミアは結論付け、やっぱり、と思った。

「ルテスが思い出すのは、やっぱり御家族のこと? いい人たちだったもんね……。」

「家族のことは、思い出さないのか?」

 ラミアはもっともな問いだと、肩を竦めた。しかし、故郷の事を思い出しても、懐かしく思うのは、故郷に溢れていた緑だけで、あまり家族を恋しく思った事は無かった。もっとも、「家族」を恋しく思っていたわけではないと気が付いたのは、割と最近の話だったのだが。

 しかし、それでもいつも恋しく思うのは、何故か十年を共にした親ではなく、たった四年しか一緒にいなかったはずの、テンシアのことだった。

「思い出すことはあるけど…。不思議ね、会いたい、って思うのはテンシアなの。」

 勿論ラミアは、親を嫌っているわけではなかった。ただ、両親と過ごした優しい記憶はあまりにも少なく、思い出すのは、故郷の地方楽団の練習場と、練習を抜け出しては駆け回っていた野山だけだった。

「思えば、こうやって傍にいてくれたこと……、殆どなかったのよね、うちの親。」

 ラミアは苦笑いを浮かべてそう言った。ラミアの背を撫でていたルテスの手が止まった。ラミアがルテスを見上げると、信じられないといった表情をしている。

 当然かもしれない。二年前フーデリアでラミアがお世話になった彼の家は、とても暖かく、愛情あふれた家庭だと、はじめて訪れたラミアでさえも確信を持てるような、そんな家庭だった。

 正直、羨ましくなかった、といえば嘘になる。

「私って、本当、舞以外何やっても駄目でね。不出来な子供だったの。勉強も出来なかったし、走りだって遅いし……。よく言われたわ、「何で、こんなことも出来ないんだ」って……。」

 ラミアは何でも無い事を喋る様に、笑みを浮かべた。でも、仕方が無かった。不出来な自分が悪いのであって、怒られても、殴られても、自分が悪かったのだから。

「でもね、舞だけは、誰よりも上手くできて、先生も良く褒めてくれたし、その時だけは、皆笑ってたの。」

 ただ、親に褒められたいが一心で、友達も、自由も犠牲にして、舞い続けた。それでも、ラミアは型に嵌められた舞は大嫌いで、他大勢と練習するときだけは、見つからないように抜け出して、野山で自由に駆け回って、くるくる踊っていた。心から楽しいと思えたのは、その時だけだった。

「私、舞なんて嫌いだったの。私の村に、テンシアが来た時もそうだった。」

 ラミアが十歳になった頃、ラミアの故郷に酷い雨が続いて、川も氾濫して、大変なことになった。勿論、辺境の村にいきなり一ノ姫が来るわけもなく、はじめは楽団員が何名か来て、雨を止ませようとした。しかし、何度やってみても、一向に雨は止まず、遂に一ノ姫が呼び出されるまでになった。その時の一ノ姫がテンシアだ。

 そして、テンシアが舞うと、村の空に鎮座していた黒い雨雲が、あっという間に姿を消したのだった。

「その次の日だったかしら…。突然、テンシアに話しかけられてね。『王都に来ないか』って……。」

 それを聞いた時、正直嫌だった。「王都に行く」というのが、村にいたときよりももっと、舞をしなければならなくなることが、ラミアには分かっていたからだ。

 しかし、そんな気持ちを抱えるラミアとは裏腹に、周りは諸手を上げてそれを喜んだ。そして、ラミアも喜んでいるはずだ、と決めてかかっていた。それでも断ろうと思っていたラミアだったが、両親の喜びようを見て、嫌だという言葉だけは、言うことが出来なかった。いや、それとなく伝えてはみたものの、両親も、ラミアが王都に行くものと思い込んでいて、反論の隙さえ与えてはくれなかった。

「それで、私は王都へ行ったの。それから、すぐ訓練生になったけど…、テンシアは私のこと分かってたんだろうね、……テンシアは、私に無理に舞うように言ったことないの。休みたいなら、休めばいい、って。」

 そんなテンシアの元で、ようやく肩の荷が下りて、気分が自由になった気がした。

「そのときよ。舞が、好きになれたの。はじめてね。」

「そうか。」

 ラミアは、ふふっと笑うと、ルテスの胸にすり寄って、幸せそうに微笑んだ。そして、ふぅと息を吐くと、眠げに目を擦った。

 しかし、ラミアはすっと真剣な表情になって顔を上げると、窓の外を見た。

「ラミア、どうした…?」

「風が……。」

 しかし、ルテスが窓の方を見ても、窓ガラスも、樹も、目立って揺れているようには感じなかった。ルテスは首を傾げる。ラミアは何を言っているのだろう。

 しかし、次の瞬間、突然変化が生じた。

「―――!」

 強い風が、窓ガラスを叩いた。割れてしまうのではないか、というようなバリバリという音がして、樹の揺れる音と、隙間風が酷く五月蝿く鳴り響いた。

 ルテスが目を見開いて驚いているのと対照的に、ラミアはいたって落ち着いた表情のまま、そっと立ち上がると、そろそろと窓辺に近付いた。そして、窓に手を合わせて、じっと窓の外を見ていた。

 ルテスも立ち上がって、ラミアの隣に移動した。そして、ラミアの表情を窺った。ラミアはルテスの方を見ずに、一心に外を見つめていた。

「……恐いね。」

 何が、とは言わなかった。

 この風なのか、明日の事なのか、自分の安否か、それとも…。

「……ああ。」

 ルテスはそっとラミアの肩に手を回して、彼女に寄り添った。

 彼女が何を言いたいのか、ルテスには分かる気がした。




「―――――カ、レルカ!」

 レルカは誰かが自分の名を呼ぶ声で、意識を、いや、自分が意識を失っていた事に気が付いた。ゆっくりと辺りを確認すると、周りは担架で運ばれている者が数名と、ふらふらながら自分で帰っていく者が数名おり、そして残りはレルカと同じくへたり込んでいた。

「私………。―――お、大風は?!」

 ぼんやりと頭を抑えていたレルカは、今自分が何をしていたのかを思い出して、バッと立ち上がろうとした。しかし、それは強い力に阻まれて、もう一度ペタッと床に座り込んでしまった。

「待った、レルカ。大風は消えた、だからちょっとは休め。」

「………ケイル。」

 レルカはのろのろと隣にいるケイルを見上げた。どうやら、名前を呼んでいたのも、立つ事を阻止したのも、彼だったらしい。

「私達、出来たの…?」

「大丈夫、風が止んでからだ。覚えてない?」

 レルカは首を捻ったが、いつからか記憶はぷっつりと途切れ、風がいつ止んだのかさえ覚えていなかった。装飾もいくつか取れてしまっていて、ケイルは首元の紐が飛ばされたのか、少し胸がはだけている。そして、レルカはケイルの頬に目を留めた。

「ケイル!」

 レルカは驚いて声を上げると、ケイルの頬に触れた。ケイルの頬には何かで切られたような傷があり、薄っすらと血が滲んでいた。

「こんなの、どうってことねぇよ。レルカこそ……。」

 そう言って、ケイルは労しげにレルカの前髪を掻き上げて、彼女の顔や腕などといった肌が出ていた部分を、じっと見ていく。そこには、血こそ出ていないものの、細かな傷が無数に付いている。

 大風に巻き上げられた砂が付けたものだろう。一ノ姫役として、最前列にいたレルカにはもろに当たったはずだ。

 レルカはケイルに指摘されて、はじめて自分が傷だらけである事に気が付いた。しかし、レルカはこんな傷など、一向に気にならなかった。

「これで、今年は終わったんだよ、ね……。」

 ケイルは何も言わなかったが、レルカは気にした様子もなく、空を見上げた。

 空が暗い。いつのまに雲が出てきたのだろう。

 レルカは何故か、不安が、嫌な予感が拭いきれなかった。

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