第二部風の吹く都

第二楽章迫りし(とき)

 二日目の儀は、山の中ですることとなった。通常、大風の儀は見世物の側面も備えているため、市街に特設された舞台の上で儀を行う。だが、二度目の儀に関しては、存在自体公になっていないため、その場所でおおっぴらにするわけにはいかない。そのあたりの状況をかんがみた結果として、最適な場所として選ばれたのがそこだった。

 山とは言っても、城郭の裏手にある小高い丘のような場所で、一般人の立ち入りが制限されている。普段は王侯貴族が狩猟に使う以外では、ほとんど人の立ち入りもない。

 こういう時には、うってつけ、ということだ。

 大風の儀のことを聞いてから数日経ち、本格的に儀の練習が始まったため、今日ラミアは、ルテスと落ち合い、儀を行う場所の下見に行くという予定を立てていた。ルテスとは森の入り口付近で待ち合わせとしているので、今ラミアは一人だった。

「あ……。」

 ラミアは思わず声を漏らした。その視線の先には、ラミアの姿を見て眉を寄せたレルカの姿があった。もうすぐ朝の練習の時間になる。レルカの目的地はそこだろう。

 レルカがじっとラミアを見る。二人の視線は交差したが、お互い足を止めたのは、ほんの一瞬で、すぐにお互い歩きはじめた。

 しかし、二人がすれ違おうとした時、レルカがギッとラミアを睨んで振り返った。

「待ちなさい!」

「…どうしたの?」

 ラミアは困ったように微笑みながら、レルカの方を振り返った。

「どうして…、どうして、今回の儀に出ないのよ?」

 レルカは叫びたくなる気持ちをようやく堪えているのか、握り締めた拳を体の横でぷるぷると震わせていた。

 ラミアは肩を竦めた。しかし、何も言わず、いや、言えずに黙ってレルカを見ていた。

 詳しい理由は話せないが、それは、その理由を聞いていようがいまいが、承知しているはずだ。それにおそらく、レルカが本当にしたいのは「理由を聞く事」ではなく、もっと、長い間で積もった、色々な思いをぶつける事だろう。

 だが、それならなおさら、ラミアは彼女に何も言うことは出来ない。

「何か言いなさいよ! 私は、貴女の代わりなんて……!!」

 レルカは真っ直ぐラミアを見たまま、しかし彼女の目尻には、涙が盛り上がってきた。

 ラミアは、何ともいえぬ表情で、レルカがそう叫ぶ姿を見ていた。

 ラミアは、本当は一ノ姫にはレルカがなるべきだと思っていた。もちろん、彼女を傷付けると言うのが分かっていたラミアは、レルカに面と向かってそう言った事は無かった。ラミア自身は、実力はそう変わらないと思っていた。舞の技量では、むしろレルカの方が上だとさえ思っていた。

 どうして、私が一ノ姫なのか、私でも分からないのに……。

 ラミアは小さく首を振ると、身を翻した。

「―――ラミア!!」

 レルカの声が震えていた。ラミアは足を止めたが、振り返ろうとはしない。

「私は貴女が……、相応しいと思ってる。」

 レルカはきっと嫌味にしかとらない、とれないだろう。しかしラミアは、今こそ、素直な気持ちを言うべきだと思った。たとえ、どうとられても。

 そしてラミアは、そのまま歩いて行った。レルカもラミアを呼び止める事はなかった。




「ルテス、待たせた?」

 ラミアは、もうすでに待っていたルテスの元まで、小走りになって急いだ。

「さっき来たところだから、そんなに走らなくていい。」

 ラミアは静止を聞かず、ルテスの側まで走っていった。

 ふと、二年前の状況が蘇る。妖精の集落の長、ミレースの元へと行こうとした時も、こんな風に向こうで待つ、ルテスのところまで走っていた。

「行こう。」

 そう言って、ラミアはルテスに笑顔を向けた。あの時と同じだった。

 しかし今回の目的は、あの時のように何処かを目指すわけではない。今回は、この山の中から、最適な舞舞台を探すために登る。二度目の儀はこの山の中で行う。それは決まっていたのだが、具体的に「どこで」というのは、ラミアとルテスの二人の判断に任されていた。

 普段人の立ち入りが少ないせいか、山の中は細い獣道のほかは、道らしい道はない。もちろん、人の手で管理されているので、危なげな場所はなかったが。

 動きやすい格好をしてきたラミアだったが、ルテスには危なげに見えたらしく、ルテスは自然に彼女に手を貸して、気が付けば二人は手をつないで山を登っていた。

 山の上の方まで来ると、それほど標高が上がったようには思えなかったが、空気が少しひんやりとして、清涼さがあった。頂上と思しきところまで登ると、木々が無い少し平らになった空間があった。

「わぁ…! ルテス、見て!」

 ラミアはそう言いながら、ルテスの手を引いて崖際まで走っていった。崖の縁から少し空けて足を止めると、ラミアはその先を指差した。

 ラミアの指差す方向には、城下が広がり、人々がとても小さく見えた。ラミアはふっと息を吐いた。強い風が吹いて巻き上げられた髪を、ラミアは手で押さえつけた。

「王都って、こんなに広いのね…。」

 ラミアはルテスの手が離れないようにするかのように、手に力を入れた。ルテスがラミアの様子を伺うと、彼女は少し悲しげな表情をしていた。

 ラミアは黙ったまま目を閉じた。

 こんなにじっくりと王都を眺めたのは初めてかもしれない。自分はなんて狭い世界にいるのだろう。

 ラミアはゆっくりと目を開けた。こんな景色を見ることができると、ラミアは思った事も無かった。

 ラミアの世界は、王城内の王宮楽団の詰所をはじめとした、ほんの少しだ。もちろん一般人に比べ、国の各地へ行く事も多いが、結局、舞から離れられない。ラミアは自分から舞を取った時、何も残らないということを恐れていた。だから、この眼前に広がる世界の中で生きる事は無い。きっと、死ぬまで舞の中で生きるのだろうと、ラミアは思い知らされたような気がした。

 だから、って…、私にはテンシアのような勇気は無いから……。

 テンシアは、自分には無い勇気を出して、今、逃げている。

 ラミアは遠くの空を見て、今はどこにいるとも知れないテンシアを思った。

 テンシアは逃げている。いや、戦っているのかもしれない。

 テンシアが逃げ、戦っているのは、ラミアにもいずれ降りかかるであろう、一ノ姫の運命だ。これは殆どの舞姫が知らない、一ノ姫の真実。いや、きっとラミアも、テンシアから聞かされなければ知らなかったはずの、一ノ姫の末路だ。

 一ノ姫の多くは四十代を迎える前に引退を迎え、次の一ノ姫の選定が始まる。しかし、引退した一ノ姫がどうなるのかは、誰も知らない。それどころか、盛大な就任式をして一ノ姫になる彼女等が、具体的に「いつ」引退したのかすら、知られていない。それが当然であるため、誰も疑問にも思わ無いが、それを知らないのは、一般人だけでなく、舞姫や楽師達も同様に知る事は無い。

 何故、誰も知らないのか。

 それは、一ノ姫が若い世代に力が追い抜かれたとき、程なくして、秘密裏に処分されているからだ。

 だが、テンシアは殺される前に、王宮楽団を抜け出した。

「一ノ姫なんて……。」

 数年だけの栄華の為に、残りの人生を失くすなど、馬鹿げた話だ。ラミアはそう思いつつも、何も出来ず、ただ一ノ姫の責務を享受していた。

「ラミア?」

 深刻な顔で黙っていたラミアの顔を、ルテスは心配げに覗き込んだ。ラミアはルテスに分からないように、自分を自嘲するように、肩をすくめると、笑顔を浮かべて首を振った。

「ね、ここにしよっか。ここなら……たとえ見えなくても、王都の人が見ているような、神様も見やすいような気がしない?」

「……そうだな。」

 ラミアの表情が明るいものに変わったのに、ルテスはホッとすると、再び城下を見つめるラミアに倣うように、ルテスも城下を見つめた。

 ラミアは城下を見つめながら、意識は重なった手にあった。ルテスの温かい手が、自分をここに繋ぎ止めてくれているような気がした。




 一度目の儀まで後一週間を切った日の夜、呪術師庁副長官のヴェリスは、予言の間から漏れる明かりに気がつき、部屋の前で足を止めた。今は大風の儀以外に急を要する案件も無い為、夜まで予言の間に籠る必要も無く、今の時間は誰もいないはずだった。

 ヴェリスは小さく溜息をつくと、眉間にしわを寄せ、苛立ちのこもった目でその扉を見つめた。二度の大風をどうするか、それを決めてから一週間程経つこの日、この一週間は耐えてきたヴェリスだったが、ついに我慢の限界を超え、睨み据えていた扉をその内心に逆らって、ゆっくりと開けた。そして、腸が煮え繰り返りそうな心中を押し隠して、至極冷静に予言の間を、奥へと進んでいった。

 そして、一番奥の間まで辿り着くと、中をチラリと確認し、思っていた通りの人物がいたことを認めると、ヴェリスは拳を握りしめて、近くの壁を殴る。もう、我慢の限界だった。

「ユリーシア様!」

 中にいた人物、ユリーシアは、ヴェリスの存在に全く気が付いていなかったのか、ビクッと肩を震わせると、恐る恐る、といった様子でゆっくりと振り返った。

「ヴェリス……?」

 苦笑いを浮かべるユリーシアの顔は、どことなく青みがかっていた。それを見たヴェリスは、ますます眉を吊り上げて、ユリーシアの側までつかつかと近寄ると、ユリーシアの前にあった風の天球から、それに置かれていた彼女の手を引き剥がした。

「いい加減、休んで下さい! 貴女が倒れたら、元も子もないでしょう?!」

「で、でも……。」

 いつになく怒ってるヴェリスの剣幕に、ユリーシアもたじろいだ。ユリーシアはここ一週間、まともな食事も睡眠もせず、この予言の間に籠っていた。他の呪術師達からの心配の声も上がっており、一週間経っても結局変わりはなく、ついにヴェリスの堪忍袋の緒が切れた。

 ヴェリスはユリーシアの手を掴んだまま、彼女の傍に膝をついた。ユリーシアは悲しげな顔で、ヴェリスに掴まれた手を見つめている。

「ヴェリス…、私、やっぱり、大風が二度あるなんて、信じられないの。だから……。」

 ヴェリスは溜息を吐くと、小さく首を振った。

 ユリーシアが何をしているのか、それが分かっていたから、ヴェリスはこの一週間彼女に何も言うことが出来なかった。ユリーシアは予言を信じられないと言っているが、本当に信じられないわけではないだろう。ただ、信じたくない、ラミアを危険なめに合わせたくない、その思いがユリーシアを支配して、この一週間という間、不眠不休で風の天球に張り付いている結果となった。

「予言の結果は間違ってはいない、それは貴女が一番よく分かっているはずでしょう。」

 ユリーシアは目に涙を浮かべて、ヴェリスを見上げた。ヴェリスは自分が掴む、細いユリーシアの手に力が籠るのを感じた。

「分かってる、分かってるわ。でも…でもね……。」

 ユリーシアはもっと最善の方法が無かったのかと、今でも悩んでいる。もう二度の大風に向けて全てが動き出している、今になっても。ユリーシアは自分の無力が許せないのだろう。しかし、そんなユリーシアを見て、ヴェリスもまた、同じことを思っていた。何も出来ぬなら、せめて彼女が探す「最善の方法」が提示できればいいのにと。

 ヴェリスは堪らず、空いている方の手でユリーシアを抱き寄せた。

「今は…お休み下さい。お願いします……私の為に。」

 突然抱き寄せられ、驚きで身を硬くしていたユリーシアだったが、ふぅと力を抜くと、ヴェリスに体を預けて、彼の胸に頬を寄せた。目を閉じると、目尻に溜まっていた涙が一筋溢れた。

「そう、よね……。私が倒れたら、ヴェリス一人で儀の準備とか…、しなきゃだものね………。」

 ユリーシアはやはり疲れを溜め込んでいたのか、そう言い終わるともう寝てしまっていた。ヴェリスはそれに気が付くと、掴んでいた彼女の手をゆっくり離して、彼女の長い髪を撫でた。

 あまりにも無防備に眠るユリーシアの寝顔を、ヴェリスは複雑な表情で見つめた。男の前でこんなに隙だらけでいるなんて、と思う一方で、信頼してくれているのだと思うと、やはり嬉しさもあった。

「儀の準備ね……。そんなもの、としてはどっちでもいいんだけどな。」

 そんなことよりも、ヴェリスとしてはユリーシアの健康の方が、遥かに重要な案件だった。

 ヴェリスは眠るユリーシアを抱き上げ、彼女の長い髪も踏んでしまわないように、一緒に持ち上げる。

「まったく……。」

 ヴェリスは溜息をついて、空を仰ぐように上を向いた。

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