子どもになった彼女と僕の物語

 ずっと水底に沈んで過ごす日々。

 いつからか季節の移り変わりも周囲の人々も、全てが遠くなって、遥か頭上にある水面に落とされる小石が作る波紋に耳を澄ましていた。

 優しく手を差し伸べてくれる人がいて、彼らの傍にいるときだけはほんの少しだけ、水面の近くに上がってみたけれど、どうしても――そこから出てゆく勇気は持てなかった。

 どうして外に出るのが怖かったんだっけ。

 それを思い出そうとすると、酷く胸が痛んで考えるのを止めてしまう。

 水面(みなも)越しに見える「彼」の顔が悲しげなるのにも気付いていたけれど、どうすることもできなかった。

 波紋が邪魔をしないところで、その表情をみてみたいような。そんな些細な願いはあった。でも、この安全な水の中でたゆたっているのは、ひどく心地が良くて――。こんな日々が続くのも、仕方がないと思いはじめていたのだ。

 だって、へ出るのは怖い。

 距離の空いてしまったあの人が寄る辺にならないのだと、そう突きつけられるのが――、とても、怖い。


 案内の女性が先導する後をついて歩き、レーラは「客人」の待つという応接室へ向かっていた。

「こちらです」

 どこか素っ気ない声に、レーラは慌てて足を止めた。

 里からの客人が、この先にいる。

 レーラは自分ではよく分からない緊張で汗ばむ手をぎゅっと握りしめる。

 入りたくない。

 けれど、はるばるやってきた相手を顔も見ずに追い返すなど、出来るはずもない。会いたくない理由が分からないのならば、なおさらだ。

「……ありがとう」

 どうにか笑みを浮かべて女に微笑むと、レーラは意を決して扉を叩いた。

「失礼…いたします。おまたせして、もうしわけ――」

 扉を開ける。

 何度も頭の中で練習した挨拶は、その甲斐なく途中で途切れてしまう。

「あ……」

 唇が震えて、それ以上の言葉が出てこない。

 どうして――?

「へぇ、ご立派な格好で、偉くなったもんだな、レーラ」

 そこには、もう二度と会わないだろうと思っていた、里長の息子がいた。

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