子どもになった彼女と僕の物語
3
「……はぁ、はぁっ」
レーラは庭を滅茶苦茶に逃げ回った末、小さな小屋を発見した。
「ここなら……」
その小屋の取っ手を掴めば、運の良いことに施錠されておらず、急いでその中に身を隠す。
逃げなければ、逃げなければ。誰にも見つからない所へ――。
そうでなければ……。
レーラは小屋の隅に身を縮こまらせる。埃が溜まっていたが、気にはならなかった。それよりも、精一杯端に寄って、誰からも見つからないようにしなければならない。
カタカタと手が、身体が、震える。
ここならば見つからないはず。きっと。でも――、確証はない。
「誰か……」
レーラは自分の口を押さえ込む。
泣いても叫んでも誰も助けてくれやしない。
あの時、助かったのが奇跡なのだ。二度はない。
だからもし、もしも、見つかってしまったら――。
その時、キィと音がした。
「っ……!!」
小屋に誰かが入ってきたのだと、すぐに分かった。
口元を押さえていなければ、悲鳴をあげてしまっていただろう。
「―――」
霞みがかった声が聞こえた。だが、まだ相手はこちらの存在に気付いていない様子だ。
決して声をあげてはいけない。そうしておけば、諦めて出て行くだろう――。
しかし、その願いも虚しく、小屋に入ってきた誰かはどんどん奥へ、レーラのいる場所へと近付いてくる。
来ないで……!!
だが――、レーラの上に濃い影が落ちる。
「あ……」
震えながらその影を仰ぎ見た。
顔がよく見えない。その男が何かを言っているらしいのが分かっても、聞き取れない。
「―――、―――――――。――――――――――」
だがこれだけは分かった。
自分は見つかってしまったのだ。
だからきっとまた、あの時の同じことが起こる。今度はきっと、逃げられない。
「いや…………」
涙がぽろぽろと落ちてゆく。
でもこの涙はきっと、あの男を喜ばせるだけ。分かっていても止められない。
「――――、―――――」
ほらだから、男が手を伸ばしてくる。レーラは喉を引き攣らせて、それを叩き落した。
「やめてください……!!」
あの時もこうして必死に抵抗した。けれど、手首を掴まれ、床に引き倒されて――
「お願い、やめて……。これ以外の事なら、なんだって言うことを聞きます、だから……」
成す術がなかった無力感と恐怖を思い出す。
もう二度と、あんな思いは嫌だと思ったのに。
「だから、どうかやめてください……、デトリデュール様…………」
急速に意識が遠のいてゆく。
ここで気を失ってはどうなるか。だがどうすることも出来ずに、レーラの意識は闇に飲まれた。
「デトリデュール……?」
アラナスは意識を失ったレーラを腕に抱えあげながら、うっすらと記憶にあるその名前を辿る。
「――ああ、そう、そうだ」
どこの誰だったのかを思い出すと同時に顔を顰める。
彼女は懇願し、そして酷く怯えていた。何をされたのかはよく分からないが、恐怖を感じるようなことをその男にされたのだろうということは、想像に難くない。
レーラが元々住んでいた妖精の里で、あまり良いとは言えない扱いをされていたことは、事前調査で分かっていた。
災厄を呼ぶ、と周囲とは違う髪色とも相まって、虐げられていたらしい。
妖精たちは大抵、部族ごとに里という集落を形成している。それゆえに里によって、そこに暮らす人々の髪色が違うことが多いのだそうだ。
レーラの髪色は鮮やかな水色。
その髪色を持っていた人々は、彼女がまだ幼少の頃に天災によって滅んでしまったのだという。
そのために、移り住んだ先である件の里では、一つの里を滅びを招いた災害を呼んだのがレーラなのではないかと噂され、何の罪もない幼子は孤独の中で育った。
調書にはそういったことが書かれていた。
「……レーラ、一体あなたの身に、何があったのですか」
問いかけても、滾々と眠る彼女は答えない。
アラナスはその細い身体をぎゅっと抱きしめて、その場を後にした。