子どもになった彼女と僕の物語

「……はぁ、はぁっ」

 レーラは庭を滅茶苦茶に逃げ回った末、小さな小屋を発見した。

「ここなら……」

 その小屋の取っ手を掴めば、運の良いことに施錠されておらず、急いでその中に身を隠す。

 逃げなければ、逃げなければ。誰にも見つからない所へ――。

 そうでなければ……。

 レーラは小屋の隅に身を縮こまらせる。埃が溜まっていたが、気にはならなかった。それよりも、精一杯端に寄って、誰からも見つからないようにしなければならない。

 カタカタと手が、身体が、震える。

 ここならば見つからないはず。きっと。でも――、確証はない。

「誰か……」

 レーラは自分の口を押さえ込む。

 泣いても叫んでも誰も助けてくれやしない。

 あの時、助かったのが奇跡なのだ。二度はない。

 だからもし、もしも、見つかってしまったら――。

 その時、キィと音がした。

「っ……!!」

 小屋に誰かが入ってきたのだと、すぐに分かった。

 口元を押さえていなければ、悲鳴をあげてしまっていただろう。

「―――」

 霞みがかった声が聞こえた。だが、まだ相手はこちらの存在に気付いていない様子だ。

 決して声をあげてはいけない。そうしておけば、諦めて出て行くだろう――。

 しかし、その願いも虚しく、小屋に入ってきた誰かはどんどん奥へ、レーラのいる場所へと近付いてくる。

 来ないで……!!

 だが――、レーラの上に濃い影が落ちる。

「あ……」

 震えながらその影を仰ぎ見た。

 顔がよく見えない。その男が何かを言っているらしいのが分かっても、聞き取れない。

「―――、―――――――。――――――――――」

 だがこれだけは分かった。

 自分は見つかってしまったのだ。

 だからきっとまた、あの時の同じことが起こる。今度はきっと、逃げられない。

「いや…………」

 涙がぽろぽろと落ちてゆく。

 でもこの涙はきっと、あの男を喜ばせるだけ。分かっていても止められない。

「――――、―――――」

 ほらだから、男が手を伸ばしてくる。レーラは喉を引き攣らせて、それを叩き落した。

「やめてください……!!」

 あの時もこうして必死に抵抗した。けれど、手首を掴まれ、床に引き倒されて――

「お願い、やめて……。これ以外の事なら、なんだって言うことを聞きます、だから……」

 成す術がなかった無力感と恐怖を思い出す。

 もう二度と、あんな思いは嫌だと思ったのに。

「だから、どうかやめてください……、デトリデュール様…………」

 急速に意識が遠のいてゆく。

 ここで気を失ってはどうなるか。だがどうすることも出来ずに、レーラの意識は闇に飲まれた。




「デトリデュール……?」

 アラナスは意識を失ったレーラを腕に抱えあげながら、うっすらと記憶にあるその名前を辿る。

「――ああ、そう、そうだ」

 どこの誰だったのかを思い出すと同時に顔を顰める。

 彼女は懇願し、そして酷く怯えていた。何をされたのかはよく分からないが、恐怖を感じるようなことをその男にされたのだろうということは、想像に難くない。

 レーラが元々住んでいた妖精の里で、あまり良いとは言えない扱いをされていたことは、事前調査で分かっていた。

 災厄を呼ぶ、と周囲とは違う髪色とも相まって、虐げられていたらしい。

 妖精たちは大抵、部族ごとに里という集落を形成している。それゆえに里によって、そこに暮らす人々の髪色が違うことが多いのだそうだ。

 レーラの髪色は鮮やかな水色。

 その髪色を持っていた人々は、彼女がまだ幼少の頃に天災によって滅んでしまったのだという。

 そのために、移り住んだ先である件の里では、一つの里を滅びを招いた災害を呼んだのがレーラなのではないかと噂され、何の罪もない幼子は孤独の中で育った。

 調書にはそういったことが書かれていた。

「……レーラ、一体あなたの身に、何があったのですか」

 問いかけても、滾々と眠る彼女は答えない。

 アラナスはその細い身体をぎゅっと抱きしめて、その場を後にした。

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