第二章影と黒
人間界に戻ってくると、厳しかった陽射しはすっかりかげり、空は赤く染まっていた。
「お早いお戻りだね、
「うーん。」
『ancien』の老人はかずさが戻ってくるとそう言って出迎えた。かずさは詳しい事は言わなかったが、魔法界に長期滞在することになったことを話した。
「―――まぁ、そういうわけ。どうしよう、親への言い訳……。」
かずさはまだ十七歳。一ヶ月も家を空けるなど、よほどの理由が無ければ許してもらえるはずもない。かずさはうーむと言いながら、店を歩き回っていた。
「それならここに働きに来てはどうかな?」
「え?」
老人が突然発した言葉に、かずさは驚いて振り返った。
この老人は何を言っているのだろう。かずさはそう思いつつ、老人の話を聞くために近寄った。
「一ヶ月間、夏休みを利用してここに住み込みで働く。ということにして、
かずさ達は十年前、魔法界へ行くときには『ancien』に厄介になっていると、親たちに言って、魔法界へと赴いていた。つまり、かずさの親も、老人と知らぬ仲ではないということは、承知していた。
なるほど、ここならば老人が保護者の役割を果たしてくれると、親たちも納得してくれるに違いなかった。
「あぁ、なるほど……。じゃあ、そうしてもらっても良い?」
「かまわないよ。」
老人は柔らかく微笑んで、かずさに答えた。かずさも老人に笑い返し、明日の朝にまた来る、と言って店を出ようとした。
「―――そうそう、
「え?」
老人はそう言った。かずさは聞き返すように振り返ったが、老人はそれ以上何も言おうとはしなかった。
老人の言うことは、いつも謎めいた言葉が多い。運命が来たとはどういう事なのだろう。
かずさは頭に疑問を残したままに、店を後にした。
「―――出た……。」
夜半。かずさは自分のベッドからむくりと起き上がった。十年前に倒しきれなかった敵から発せられた、魔法界の人間が「
「仕方ないなぁ……。
ダルそうに立ち上がったかずさは、魔法少女の格好へと変身した。
変身をしなくても魔法を使うことは出来た。しかし、この服はかずさのとって戦闘服に近い意味を持っており、着替えないまま、特に人間界で魔法を使うというのは、どことなく居心地が悪いような、そんな感覚がしたのだ。
ちなみに言うと、このコスチュームはレウリアの趣味で進呈されたもので、普段はペンダント内にそれに込められた魔法の力で圧縮され収納されている。
「さて、場所は、と……。
魔法少女たる所以であろうか、かずさは人間界へこちらへ害意を持った者が現れると、特殊な場合を除いて、なんとなく感じることができた。しかし、細かな位置となると話は別で、魔法に頼らざるをえなかった。
「んん? 学校か……。」
学校、つまりはかずさの通う高校であった。歩いてもそんなにない距離ではあったが、かずさは魔法で一気に行くことにした。急いでいった方が良いかもしれないというのもあった。しかし―――
「正直、この格好を知り合いに見られたら、死ぬ……。」
かずさは十七歳。子供が着て喜ぶような服は、普通卒業している歳だった。
「
かずさの姿は一瞬で消え失せた。
「ここらへんのはずなんだけどなぁ……。」
学校へと到着したかずさは、校庭のまわりの木々をかき分け、うろうろといるはずの敵を探していた。
もう既に時間は真夜中だった。夜の学校は明かりが無くて、本当に不気味だった。道の街頭と、月の微かな光だけがかずさの見方だった。
「
ちなみに、昼に現れる場合も少ないながらあり、そういう場合は、自身を透明にする魔法である、「
それはともかくとして、かずさは
その時、かずさの視界の端に何かが掠った。
「―――
かずさがとっさに叫び、輝くバリアがかずさの周りに展開された。そこへ、黒いもやもやした影が、バリアに突っ込み、跳ね返って、かずさの後方へと飛んで行った。
「
かずさは一旦後ろに飛び退って、結界を作る呪文を詠唱した。
「かの者はお前を穢すものぞ 壁を打ち建て世界を隔て―――
かずさはその魔法が完成すると、きっと
先に動いたのはかずさだった。
「
かずさは手を真っ直ぐ
かずさの少し手前で、
「
風圧で木が
「
かずさの手から放たれた水流が、
「清らかなる光 かの者を癒したまえ―――
その声に呼応するように、
かずさは
その時、かずさは背後に気配を感じた。
「―――誰!?」
かずさが後ろを振り返ると、後方の木から、人影のようなものが下りてきた。
この夏に似つかわしくない長袖、長ズボン。軍服のように見えるそれは、人間界にはいそうもない人物だった。闇のような黒髪の男は、何も言わないまま、かずさに近付いてくる。
(魔法界の人……? でも、味方とは限らないわ。―――けど、もし人間界の人、だったとしても……、それはそれでヤバい人だわ。)
この暑い中、山でもないのに長袖長ズボンというだけでも異様だが、軍服と考えると、コスプレで学校内へ不法侵入、となる。
油断ならない人物だと判断したかずさは、すぐ動けるように構えながら、近付いてくる男を睨むような目つきで見つめていた。惹きこまれるような銀の瞳が、闇夜の中でも際立って映った。
男はかずさから少し離れた位置で立ち止まった。
かずさは黙ったまま、男を見続けていた。どの位経っただろうか、男が口を開いた。
「―――俺の邪魔だけはするな。」
「え……?」
男はそれだけ言うと、さっと踵を返し、すぐに見えなくなってしまった。
「な、何なの、あれ……。」
かずさは呆然と男が歩いて行ったところを見つめていた。
「いってきまーす。」
かずさは大荷物で家を出た。両親はあの老人のところならかまわないと、気持ちよく送り出してくれた。
今日も憎らしいぐらいの晴天で、朝だというのに、もう痛いほどの日差しが照りつけている。その中をとぼとぼ歩くかずさは、ずっとあのよく分からない男の事を考えていた。
(いっみ分かんないこと、言ってくれちゃってさー、なんなのよ!、ってんのよ。もー、ほんとに。)
かずさはあの、惹きこまれそうな銀の瞳を思い出していた。あの目にかずさは、ゾクリとする何かを感じていた。ただ、彼女にはそれが何かは分からなかったのだが。
『ancien』に入ると、そこは、外の陽射しを適度に取り入れられていて、エアコンも無いのに少しひんやりとしていた。
「おはよう、
「そりゃ、ね。一ヶ月も行くんだもん。」
服などの生活用品はもちろん、嫌ではあるが宿題も持っていかなければならない。学生の宿命だった。そのせいで、紙が増えて重たいのを恨めしく思いながら、ふとかずさは、老人にあの男の事を尋ねてみようと思い立った。
「ねぇお爺。なんか、黒髪で銀の瞳の軍服きた人、知らない?」
「……
「あむーる……。」
おそらく本名と一致はしていないが、やはり魔法界の人間だったようだ。では「邪魔をするな」とは何だったのだろうか。しかし、老人に聞いても仕方の無い事に思えたかずさは、そっかと言って、老人に礼を言った。
「
「どういうこと?」
レウリアの周辺であんな顔を見た覚えがなかったかずさは、首をひねりつつ、魔法界へと向かったのだった。
魔法界へと到着すると、フェリエが迎えてくれた。フェリエに何か変わった様子が無かったので、とりあえずは一安心だった。
「フェリエ。姫様は?」
フェリエは笑顔のままで首を軽く振った。
「いえ、特には。あ、でも、護衛官さんが決まったんですよ。」
「護衛官……?」
レウリアに夢の話を聞いた時に、王から護衛を付けてもらう、と言っていたのは覚えていたので、それに関しては何とも思わなかった。
しかしかずさは、ふと来る前の老人の言葉が脳裏によぎった。
(まさか、ね……?)
かずさはその予感を振り払って、フェリエに付いてレウリアの元へと向かった。
はたして予感は的中した。大荷物を抱えながら、レウリアの部屋に入ると、傍らに一人の男がいた。レウリアは満面の笑みでかずさを出迎えると、にこにこしながらかずさにその男を紹介した。
「えっとね、彼が私を護衛してくださる方よ、かずさ。お父様の近衛兵の中の一人を選んでくださったの。」
「あ、あんた―――」
レウリアが紹介しようとしている男は、闇のような髪、惹きこまれるような銀の瞳を持った、昨夜の男だった。昨日と同じゾクリとする視線が、かずさのそれとぶつかった。
「かずさ、お知り合いなの?」
驚愕の眼差しで男を見るかずさに、レウリアがおっとりと問いかけた。しかしそれに答えたのはかずさではなく、その男の方だった。
「いいえ、殿下。初対面のはずです。はじめまして、私はエイル・セイクリーです。」
感情のうつらない声で、坦々と男、エイルはかずさに名乗った。
「そ、う。よろしく……、エイル。…私は、かずさです。」
言いたいことは山のようにあったかずさだったが、レウリアの手前、なんとか平静を取り戻し自己紹介に成功した。もっとも顔は引きつりまくっていたが。
エイルはそれを無視するかのように、ふいっと視線を逸らした。そして、レウリアの方を恭しく見ると、こう申し出た。
「もう行ってもよろしいでしょうか、殿下。」
レウリアはおっとりと、首をかしげると、にこにこしながら言った。
「なら、かずさを部屋まで送ってあげて頂戴。よろしいでしょう、エイル。女の子にあんな荷物を運ばせるだなんて、酷だわ。そうでしょう?」
確かにかずさの担いできた鞄、というかリュックサックの化け物のようなそれは、「ただ」の少女が持つには、いささか酷なものであった。だが、魔法少女として、大いなる敵と戦っている少女が「ただ」の少女か、と言われれば、はなはだ疑問であったのだが。
それはともかくとして、納得がいかない様子で、何かを言おうとしているエイルだったが、結局は王女殿下からの命令に逆らうことができず、結局は頭を垂れた。
「……仰せの、ままに。」
かずさも、笑顔のレウリアに反発できるはずもなく、不承不承それを受け入れた。
二人はレウリアに挨拶をして部屋を出た。もちろんレウリアの手前、エイルがかずさの鞄を担いでいた。
しかし、扉が閉まったとたん、二人は一斉に溜息を吐いた。
「「………。」」
かずさが自分よりかなり身長の高いこの男を、刺すような視線で睨むと、エイルも負けず、うんざりとした視線をかずさに寄越した。
かずさはいらいらとしながら、手を差し出して言った。
「そんな顔するなら、持ってもらわなくても、結構なんだけど。」
「殿下が仰せだ。逆らうわけにはいかないだろう。」
エイルはそれだけ言うと、かずさをおいて、ひとりでとっとと行こうとした。もっとも、それに負けるかずさではないので、かずさも早歩きで彼について行っていた。エイルがかずさをチラッと見ると、ものすごい形相のかずさが、どかどかと迫っている。
二人は互いを睨み合うようなかたちのまま、ずかずかと歩いていた。
「あんた、何で人間界まで来たわけ?」
かずさは、エイルと魔法界であった時からの質問をぶつけてみた。あの時、暗がりでよくは見えなかったが、あの時の男と、目の前の彼が同一人物であると、漠然とながらかずさは確信していた。
「………身に覚えがないが。」
エイルはすっとかずさから視線を外し、無表情で答えた。かずさはいけしゃあしゃとそう嘯くエイルに、うさん臭そうな視線をやって、首を振った。
「よく言うわ。『
そこまで悟られていては、さすがに言い逃れづらくなってきたのか、エイルは溜息を吐いて、かずさを見た。
「じいさんが、勝手に呼んでるだけだ。」
「やっぱりね。昨日の奴、あなただったんじゃない。」
かずさはきっとエイルを見た。
かずさは昨日の男に、つまりはエイルに言われた「邪魔するな」の一言が頭から消えず、憤然としていた。
「邪魔するな、ってこれのことだったのね。それで? 何で、私が邪魔すると思うのよ。」
「腕の立たない奴は足手まといだ。」
「なっ……、足手まとい?!」
かずさの額に青筋が浮かんだ。かずさはギリギリと恨めし気にエイルを睨んだが、彼はどこ吹く風といった様子だった。
十年前にレウリアを奪還した魔法少女のメンバーの一人に向かってなんてことを、とかずさはエイルの様子にますます憤慨していた。
「昨日の
それは正論だった。あの程度の下級の
「あそこが魔法界ならそうしたわよ、私だって! けど、あそこは人間界! 人間界では魔法が使えないのが普通なの。あなたも知ってるでしょ?!
そこまで言い切るとかずさははぁ、と溜息を吐いた。今更ながら、声を荒げてしまったのがちょっぴり恥ずかしくなってきていたのだった。
「……怒鳴って、悪かったわ。」
「いや、確かにそうだな……。すまない。」
かずさは何に対して謝っているのかと、胡乱な目つきでエイルを見たが、すぐにやめて少し笑顔を浮かべた。自分が勘違いしていた事についてか、かずさを足手まといと言ったことについてか、どちらかは分からなかったが、これから少なくともレウリアの護衛として、一ヶ月は行動を共にするのだから、とかずさは水に流すことにしたのだ。
「ううん。あ、私の部屋ここだから、ありがとう。まぁその、これから一ヶ月前後だけど、よろしく。あんまりつっからないでくれると嬉しいわ。」
「………あぁ。」
エイルの返答はそっけないものだったが、かずさはエイルに対して初めてにっこりと微笑むと、鞄を受け取って部屋の中へと入った。
険悪なムードはとりあえず解消されていた。