第一章魔法少女
「………夢か。」
全身にはびっしょりと汗をかいていて、夢の内容をまざまざと思い出させた。そして、その後の事も。
そう、あれは紛れもない、かずさが体験した戦いだった。
ある小学校低学年の夏休みの事だった。いつもの仲良し五人組は、学校の帰り道に何かに導かれるように、ある店に入った。アンティークショップのようなそこには、“魔法界”と呼ばれる世界に繋がる道があった。かずさたちはそこに落ち、そしてその落ちた先で、姫が攫われる、という事件に遭遇したのだった。そこから、あれよあれよと、姫を助けに行くという使命を言い渡され、気が付けば、テレビでよくやっているような、“魔法少女”になっていた。
姫、レウリアは夢見の力を持っており、その力を我がものしようとする輩が後を絶たず、ついにあの日、攫われてしまったのだった。そしてレウリアを助けるべく、五人の魔法少女は首謀者の元に乗り込み、それを倒し、どうにかレウリアを無事に救出したのだった。
それが十年前。かずさは今、十七歳の高校二年生になっていた。かずさはセミロングの髪をかきあげて、起き上がった。
他の四人の仲間たちは、皆、魔法少女をやめて、普通の女子高生をしていた。しかしかずさだけは、いまだに魔法少女を続け、戦い続けていた。
あの戦い以降、かずさ達五人に倒された敵は、矛先をレウリアの夢見の力から、魔法少女への復讐に変え、虎視眈々と五人の魔法少女たちを狙っていた。世界の隔たりがあるので、今まではそれほど大きな被害は出ていないが、かずさはそれらを滅し続けていた。
「最近は、あんな夢…みなかったのに。」
ぶつぶつと文句やらをいいながら、かずさはカッターシャツを着て、スカートをはく。そして、今日も魔法少女へと変身するためのネックレスを首にかけて、服の中に入れて隠すと、鞄をもって、家のリビングへと降りて行った。今日は、一学期の最終日。明日からは夏休みだった。
「あっつぅー。」
終業式は午前中で終わってしまうので、学生の多くは太陽がじりじりと照りつける中。帰る事を余儀なくされていた。かずさもその例に漏れずだらだらと友人と二人で帰路を辿っていた。
となりを歩いていたかずさの友人、
紫乃は頭の上でまとめた長い髪を、ひょこひょこと揺らしながら歩いている。
「かずさちゃん。今年も魔法界へ行くの?」
紫乃をはじめ、かずさ以外の魔法少女だった四人は、それぞれの理由で魔法少女をやめた後、彼女たちなりのけじめなのか、その後は魔法界へ行こうとはせず、例のアンティークショップ『ancien』へも訪れていなかった。
「うん。……顔見せだけだけど、ね。」
本当はそれだけではなかった。魔法界から人間界へ現れる、十年前の敵の手先を掃討し続けているかずさは、敵を完全に倒す方法をずっと探し続けていた。また、年に一度、夏休みを使って数日滞在していたのだが、それもそれが理由であった。だが、魔法少女をやめた四人に、心配を掛けない為、かずさはそれらをひた隠しにして、全て一人で動いていた。
「そっかぁ。」
紫乃は笑顔で頷く。
「ならここでお別れだね。今から行くんでしょ? 毎年そうだもんね。」
紫乃は分かれ道でそう言って、手を振ってかずさとは違う方向へ歩いて行った。かずさもそれに手を振りかえして、『ancien』へと向かった。分かれ道からは、すぐ見える所に店がある。しかし、かずさ以外の四人の魔法少女たちは、店の前すらも避けるようにしていた。自分の都合のためとはいえ、やめてしまった後ろめたさがあるのかもしれない。そのことを分かっていたかずさは、皆の気持ちをはかり、自分からは四人にかつての話をしないようにしていた。
少し寂しさはあったが、仕方のないことだった。
かずさは頭を振って、その事を頭から追い出して、店のドアを開けた。
カランカランとドアのベルがなって、扉が開く。少し薄暗いその店には、店主の老人以外はいない。老人はいつもレジの所で座って、新聞を読んでいた。
「お爺。」
「
老人は読んでいた新聞から顔を上げぬまま、かずさにそう言った。老人は独特の呼び名で人を呼んでおり、昔から魔法少女たちのことはその「色」で呼びかけた。
「紫乃と一緒だったって、どうしてわかったの?」
「楽しげな声が聞こえたのでね。」
紫乃と別れた、分かれ道から店が見えるとはいえ、声が聞こえると思える程は近くない。それなのに、声が聞こえるとは。かずさは相変わらず謎に包まれた人だと、老人を見やった。
老人は相変わらずこちらに視線を向けることなく、新聞を読んでいる。それは魔法界の言葉で書かれた新聞で、かずさたちが使う言葉と、話し言葉は大変酷似しているのだが、書き言葉は全く違う言語のようで、かずさは苦労の末ようやく意味が取れるようになったのだった。
「『速報 殿下の夢』……? 姫様、また何かご覧に?」
新聞の一面を飾る見出しにかずさは目をとめた。殿下とは、かずさたちが降り立った国の王女殿下である、レウリアの事だ。また、そのレウリアが夢見の力で見た事象の中で、特に国を揺るがすものは、新聞の一面にもなることも多い。さらっと内容を読んでみたが、具体的な内容は何も書いていなかったが、かずさはレウリアの元に早くいった方が良いかもしれないと思った。
「さ、行っておあげ、
それを見透かすかのように、老人はかずさに声をかけた。かずさは老人に頷き返すと、店の階下へと降りて行った。
店の地下に続くそれをおりると、方陣が描かれており、呪文を唱えることで、魔法界と繋がる道を開くことが出来る。かずさはまず、もう十年も着続けている魔法少女の格好へと変身した。
「
鮮やかな水色が彼女を包み、あっという間に衣装を変えた。かずさは
かずさはその方陣の中心に立つと目を閉じた。
大方の魔法は簡単に打ち出せるようになっていたかずさだが、集中しなければ難しい魔法の一つが、この異界の路を繋ぐ魔法だった。
かずさは集中を高め、力を集中させ叫んだ。
「かの使いの息吹を聞け 二つの異なる世界を繋ぐ音 雅なる鈴の音を聞けり―――
かずさが目を開くと、時空が歪んでいるような、ぐるぐると渦巻く流れが、かずさの眼前の空間にあった。かずさの魔力と呼応して青っぽく光っているそれを、かずさは潜り抜けた。
歩みを進めると、視界は真っ白な光に塗りつぶされていく。そうして、いつのまにか魔法界に到着しているのだ。
かずさは気が付くと、先ほどまでいた場所とは違う場所にいた。
床に方陣が描かれているのは同じだが、後ろが大きな扉のようなものがそびえていて、そこが通路へ入る入り口となっていた。魔法界は皆が魔法を使えるため、常に通路を開いておくことも可能だった。前を見ると一人の女がいて、かずさを待ち侘びていたような視線を送っていた。
「かずささん! お待ちしておりました。」
魔法の残り香で光をまとっていたかずさが落ち着くと、彼女が走り寄ってきた。
「フェリエ。……ねぇ、姫様に何か、あったの?」
彼女はフェリエ。レウリアの侍女の一人で、幼い頃からレウリアに仕える彼女は、十九歳ながら、古参の侍女の一人であった。十年前かずさたちが魔法界に来たときにも、すでに侍女をしており、レウリア奪還に尽力してくれたひとりだった。かずさとは特に仲が良く、かずさが魔法界に訪れるときには、必ず出迎えに来てくれていた。
しかし、いつもより彼女の顔には緊迫感があった。かずさは来る直前に見た、新聞の見出しが脳裏をかすめ、フェリエとの再会を喜ぶのもそこそこに、念のため声を潜めて聞いた。
「いえ、今のところは、何も。ですが…少し困ったことになってまして。」
フェリエもそれに倣うように、かずさにさらに近寄り、声を潜めてこう答えた。
「困ったこと?」
「えぇ……。ともかく、来てもらえますか?」
かずさは頷くと、足早に歩き始めたフェリエに慌てて着いて行く。
やはりレウリアに何かあったらしい。かずさはその予感に確信を深めた。
夢見の力を持つことで、十年前の一件以外にも何度も危険にさらされてきたレウリア。この十年間、かずさも何度も何かを予感させるような夢を見たと聞いてきた。しかし、ここにはフェリエ以外の人間も数人いたが、彼女以外に緊迫した様子が感じられない事がかずさは気になった。
フェリエが早とちりをしている可能性もある。しかし、フェリエはレウリアに仕えはじめて久しい。ちょっとやそっとのことで、このように緊張をみなぎらせるようなことにはならないはずだ。
(なら、一部の人間しか詳細は知らない……ってことだわ。つまりそれだけ、大事……。)
かずさの胸に嫌な予感がよぎる。しかし今は、フェリエの「今のところは何もない」という言葉を信じ、レウリアの元へと急ぐことにした。
約一ヵ月ぶりにかずさが会ったレウリアは、白金の髪を優雅に垂らし、憂いに満ちた表情で座り、相変わらず女であるかずさの目から見ても、大変美しかった。
「かずさ! よく来てくれましたね。」
フェリエが開けたドアから現れたかずさに、ぱっと顔を輝かせ、レウリアはかずさを出迎えた。
「一ヵ月ぶりですね、姫様。お元気でしたか。」
かずさもレウリアに答えるような笑顔を浮かべ、勧められるまま、彼女の隣に座った。フェリエはかずさが中に入ると、静かに扉を閉め、暫くするとお茶を片手に戻ってきた。
「ありがとう、フェリエ。貴女もここにいて下さいね。」
レウリアがおっとりとフェリエに言うと、フェリエも心得ているというように、頷き返して、二人から少し離れた位置にちょこんと座った。レウリアはそれを見ると、かずさの方を向き直って話し始めた。
「昨日の事なんです。夜眠っていた時。いつものように、夢を見たんです……。」
レウリアは夢の内容を語りはじめた―――
薄暗い世界の中で私は一人だった。私は何かを守ってその世界に一人で。
私が守っていたものは私にはとても必要で、それも、私が必要だった。
それは私の全て。それも私が全てだった。
でも、そのとき黒い影が伸びてきて、私を包んだ。
私は逃げたかった。逃げようとした。
でも逃げれなかった。
この黒い影は私の中に入り込んだ。
そして、
私が一番大事なそれを奪っていった―――
「―――大事なもの……?」
レウリアが話し終わる。かずさはそれが具体的に何を意味するのかよくは分からなった。
「いつも言っているように、私の夢はとても抽象的なの。だから本当は、どんな解釈だってできるわ。」
レウリアは、「私」とは言ったが、これはレウリア自身の事を指すとは限らないという。だが、今まで幾度となく夢見をしてきたカンだろう。レウリアは自分なりの解釈をこう述べた。
「でもね、おそらくだけど、私自身の大事なものが、奪われるんだと思うわ…。」
フェリエは既に聞いていたのか、特に驚く様子もなく、二人の様子を窺っていた。
かずさは今聞いた内容を吟味するように考え込んだ。大事なものは何を意味するのか。周囲の人、国、それとも―――
「姫様。姫様は、『大事なもの』が何を指すと、お思いですか?」
かずさはレウリアに問うた。
「そうね、色々考え付くけれど、私自身から奪われるものだと思うの。つまり、最悪の場合、私は『命』を奪われるんじゃないか、って考えているわ。」
「命……。」
確かに十分あり得る可能性だった。かずさはようやく、レウリアが夢の内容をあまり公表していない理由に合点がいった。
レウリアは国の姫であった。特に、彼女以外、嫡出のいないこの国で、次期王になる一番可能性の高い人物はレウリアだった。
レウリアの夢見の力はとても具現性が強く、その夢が暗示していたと考えられる事象は必ず起こっており、レウリアが夢から予想した出来事は、とても高い確率で起こっている。つまりは、彼女が自分の死を予感している以上、それが起こりかねない状況にある、ということだった。
そんな話が出回れば、国中が混乱を呈すのは明らかだった。
「なるほど……。それで、私はどうすれば?」
事情は分かった。それで、自分に何ができるというのだろうか。かずさはレウリアを見た。
「えぇ、それで、暫く……こちらに、滞在していただけないかしら、って思いまして。」
「は?」
レウリアは、父である王に話して、一人護衛を付けてもらうつもりだが、それだけでは心配、また、かずさのように親しい人間がいてくれる方が心強いと、説明した。
かずさとしては、レウリアの言い分も分からないではなかった。しかし、長期滞在と言われればまた話は違う。もともと、夏休みには一週間ぐらい留まっていたが、それぐらいの期間のため、紫乃に口裏を合わせてもらえたが、一週間程で全て解決するとはとても思えない。
レウリアは期待に満ちた眼差しで、かずさを見つめていた。護衛官もいるのだし、ここは断らなければ。そう思うかずさだった。
しかし、そもそもこの期に及んで、いまだに魔法少女を続けている、というだけでも分かるが、かずさは真面目なうえに、押しに弱かった。
つまり、頼まれると断れないのが彼女である。きらきらとした目がかずさを見つめていた。
「―――もう、わかりました! ただし、一ヵ月だけですからね!」
「本当ですか、かずさ! ありがとう!」
満面の笑みを浮かべるレウリアを見ると、少なからず引き受けて良かったと思うかずさだったが、親への言い訳が、最大の問題だった。
「すみません、かずささん。」
あの後、用意の為一旦帰ると言って、レウリアの元を辞した後、人間界へと戻るために、人間界と魔法界を繋ぐ扉の前まで来たところだった。
フェリエが謝るのは今までにない長期滞在を強いてしまった事だろう。
「いいよ。ていうか、フェリエのせいじゃないし。」
「でも。随分、無理矢理…だったでしょう?」
かずさは否定もできす、しかし肯定もしづらかったので、はははと誤魔化すように笑った。
「でもね、乗りかかった船だし。ちゃんと戻ってくるから。安心してよ、フェリエ。」
「そういうところが、心配なんですよ。」
フェリエは少しムッとしたような顔で、かずさを少し睨む。しかし、フェリエは少し悲しそうな顔になった。
「ねぇ、かずささん。本当はもう、それ、辞めたいのでしょう? 他の皆さんみたいに……。」
かずさは笑う事をやめて、ふっと真顔になった。
レウリアや、フェリエ、魔法界のことは好きだった。しかし、仲間達が魔法少女をやめ、自分も高校を半ばにした今、続けることをかずさが悩んでいるのは本当だった。いつまで続けなければならないのか、そう思うことも、日に日に増えていっているのが現状だった。
それでもかずさは、レウリアを見捨てるようなことは出来なかった。
「大丈夫。心配してくれてありがとう、フェリエ。」
かずさは言葉を濁して、はっきりと答えるのを避けた。少なくとも、それを決めるのは今ではない、そう思った。
フェリエも、かずさにそれ以上言及するようなことはしなかった。言いたいことはまだある、という顔をしていたが、かずさの気持ちを汲んだのだろう。
「それじゃ、すぐ戻ってくるから。」
かずさは、まだ心配顔のフェリエに笑顔を向けると、通路への扉を開き、その中へと消えていった。