贖罪の献身一
ロウェルとアレイストは、いわば「幼馴染」だった。
とはいっても、隣国の王とそこに正妃として嫁いだ公女との間に生まれた王子であるアレイストとは、身分の差というものはある。
まだ赤ん坊だった彼に引き合わされた時も、「将来仕えるべき主君」だと説明されていたくらいだ。
しかし、当時ロムーリャ公国にいたロウェルが何故、そんな王子と出会えたのかというと、少々特殊な事情が介在している。
アレイストの父が愛してやまない、側妃の存在だ。公国で蝶よ花よと育てられた公女リーティエは、夫からの寵が得られない現実に耐えられなかった。結果、子を妊娠すると同時に、宿下がりを名目に祖国へと戻ってきていたのだ。
その後アレイストが生まれてからも、彼女が王国へ戻ることはなく――。またあちらもあちらで、寵妃とその娘にしか興味がないのか、放置されることとなった。
このまま王女が跡目を継ぎ、アレイストは公国で生きるのだろうか。
そう思われていた中で変化があったのは、ロウェルが十二歳の時だ。
寵妃シエラがこの世を去った。
その報が公国へともたらされると同時に、当時九歳だったアレイストの召喚命令まで下されたのだ。
アレイストは――、母がこのまま公国で過ごせることを条件に、それを飲んだ。そうして彼は、会ったこともなかった父王の庇護下で立太子されたのだった。
それに追随して王国へ向かったロウェルだが、正式な臣下に加えられることはなく、微妙な立場に置かれ続けた。だが、ある意味では都合が良かったとも言える。身分の保証された人間では立ち回れないような、際どい仕事もこなすことができたからだ。
ロウェルは、アレイストの命令は何でも聞いた。
そうすることでしか、彼に贖うことが叶わない。そう思ったからだ。
十七年前の転落事故で、ロウェルの軽率さの代償を支払ったのはアレイストだった。命にこそ別状はなかったものの、左足の膝から下の自由を失ったのだ。
杖をつき歩く姿を見る度、自身の罪を呪った。
ロウェルはそれからずっと、アレイストへの贖罪に人生を捧げている――。
その日も、呼び出されて向かったのは、アレイストの私室だった。
あまり大っぴらにできないような命令を下す時、彼は度々そうする。そのため、特に何の疑問もなくそこへ足を踏み入れた。
衛兵に見咎められぬように窓から寝室に侵入すると、珍しくアレイストはベッドに腰掛けてこちらを睨め付けている。いつもならば、その隣にある部屋のソファに座っているのはずなのに。
余程内密な話なのだろうかと、ロウェルは少し緊張した。
「よう、今日はどうしたんだ?」
だが内心で感じている緊張感は欠片も出さずに、至って普段通りに声をかける。アレイストは不機嫌そうな顔を更に歪めた。
品行方正で優しい王太子殿下、として通っているアレイストだが、ロウェルに対してはこの十七年間一度たりとも笑顔を見せたことがない。いつも険しい表情ばかりだ。
「アキュイラの件、聞いてるか」
冷たい声音にもすっかり慣れっこで、もう寂しいとも思わなくなって久しい。
ロウェルは頭の中にある情報を引っ張り出しながら、軽い調子で答える。
「ああ、セレンティーネ殿下が領主に任命されたらしいな。それがどうした?」
「姉上を籠絡しろ」
「…………はい?」
意味が分からず首を傾げる。「籠絡」、もしや自分の知っている「ろうらく」ではないのかもしれない、と願望混じりに考えるが、アレイストは苛立たしげに続けた。
「二度も言わせるな。姉上をお前の言いなりになるようにしろ」
「……えっと」
どうやら、知っている「籠絡」で合っていたらしいと悟る。が、意図がまるで分からない。
「何故……?」
「姉上に反逆を起こさせる」
「は!?」
穏やかではない言葉が飛び出して、ロウェルは目を剥いた。
その後、彼が語ったあらましはこうだ。
セレンティーネは、今回の決定に不服を感じている。まあ、これは当然とも言えた。そもそもアレイストの立太子に伴い、廃太子されたこと自体納得していない人物だ。そんな中でますます玉座から遠ざかってしまうことが起き、彼女としては気が気ではないだろう。
アレイストは、いずれセレンティーネが王位を取り戻すべく、動くと考えているようだ。それならば、手勢が揃わぬうちに、またこちらにとって都合の良い時に、反乱を発生させて処理すればよいと判断していた。
「…………なるほどな」
一応、筋は通っている。
ロウェルは彼女の懐に潜り込み、誘導。出来うる限り少数で王位簒奪を目論ませる、という役回りだ。
だが、どことなくロウェルは腑に落ちないものを感じていた。
本当にセレンティーネ王女は、そのように動くのだろうか。
彼女との直接的な面識はないロウェルだが、そのような強行に走る性格とはどうしても思えない。現状、アレイストに危害を加えようとするでも、引きずり下ろそうと策を弄するでもなく、国王の目に留まる成果を出そうと愚直なまでの努力をしている人物だ。
もちろん不満は抱きつつではあるとしても、任地へ向かい、領地を盛り立てることに注力する――のではないか。
そしてそんなことは、アレイストも理解しているはずだ。
愚かとすら称せるほど真っ直ぐなその心根に、彼は羨望を感じている。本人は認めずとも、ロウェルにはそれがよく分かっていた。
「……アレイスト、もし上手くいったとして。その後、セレンティーネ殿下をどうする気なんだ」
「殺す」
端的な言葉に、ビクッと身体が震える。
アレイストは温度のない目をしたまま続けた。
「当たり前だ。反逆者は死をもって罰せられる。そうだろう?」
「あ、ああ……」
彼の中でこの計画は決定事項なのだろう。立ち尽くすロウェルを、アレイストはただじっと見ていた。
ロウェルはこれまで、彼のどんな命令にも逆らったことはない。
だが今だけは、頷いては駄目な気がするのだ。
その迷いがロウェルの口を動かす。
「アレイストは、それでいいのか? 元王太子が反逆なんて、大きな騒ぎになる」
初めて食い下がったロウェルに、アレイストは目を眇めた。
「馬鹿を言うな。表向き、反逆など存在させない。姉上は、私がこの手で殺す」
つまり、内々に処理した上で後顧の憂いを断つということらしい。
そこまで決めているのなら、ロウェルにもう言えることなどなかった。
分かった、と頷いてすぐ仕事に取り掛かるべきだ。
王女はそう時間を開けずに城を出立するだろう。準備も必要だ。懐に潜り込むなら、早く動いた方がいい。
了承を口にしようと顔を上げた時、アレイストと目が合った。
ロウェルは発そうとしていた言葉が出なくなってしまう。
アレイストの人生から「姉」が消えた後、一体彼はどうなる――?
その時、ふと疑問が湧いた。
どうして、「今」なんだろう。
セレンティーネを籠絡し、反逆を起こさせるなどいつでも出来たはずだ。むしろ王都にいる間であれば、ロウェルを介して後ろ暗い貴族と繋がらせて、一網打尽にすることも可能だった。国家の膿出しすら同時に終わらせてしまう。その方が普段のアレイストらしい。
まるで、遠ざかろうとする姉を、手元に引き戻そうとするような――。
「っ……」
ロウェルは一歩、二歩とアレイストに近付く。
「――俺は、納得できない」
彼の目が見開かれるのを、嫌な音を立てる心臓を無視しながら見つめた。
この十七年間で、ロウェルが初めて口にした「反論」だった。
だが一言発してしまえば、止めることなどできない。捲し立てるように続ける。
「王都から離れた王女に何ができる? たしかに不安の芽ではあるさ。けど、それが本当に脅威と成り得るのは一体何年後の話だ? その間、お前は一層ここで地盤を固めるのに? 今まで強行策に出なかった王女が、今更そんな手を取るとは俺には到底思えない。違うか?」
反証を並べ立てるが、アレイストは俯いたきり何も言わない。表情も窺えず、何を思っているのか全く分からなかった。
黙ったままの彼に勢いを削がれたロウェルは、そこで言葉を切って、弱々しく問いかける。
「……なあ、本当は…何が目的なんだ? 何がお前をそんなに――」
「うるさいっ!!」
突然激高したアレイストは、キッと顔を上げてロウェルを睨んだ。
「お前は私の言うことを聞いていれば良いんだ! どうして黙って従えない!?」
「アレイスト、でもこんなのは……!」
「黙れよっ!! 姉上もだ! どうしてそんな風に諦められる!? どうして、簡単に『陛下を支えろ』なんて……っ」
泣きそうな声で叫ぶ姿に、思わず手を伸ばす。明確な意図があったわけではなかった。ただ、無意識に抱きしめようとしたのかもしれない。
しかしそれより早く、アレイストがロウェルの胸倉を掴む。前屈みになっていたせいで、難なく体勢を崩されると、そのまま何故かベッドに仰向けで転がされていた。
「ア、アレイスト……?」
暗い、沈んだ目と視線が絡んだ。
「お前は私の命令を拒むんだな?」
静かな問いにたじろぐ。
これは、解答を間違えれば取り返しがつかない気がした。
ロウェルは慎重に口を開く。
「拒みたい、わけじゃない。でも、俺は……、この選択をした後、お前が傷付くんじゃないかと思ってる。だから、違う方法でお前の気が済むなら、と言いたかったんだ」
「…………そんな方法、無ければ?」
「従う。お前の望み通りに動く」
間髪入れずに返したことが功を奏したのか、ロウェルの服を掴んでいたアレイストの手がほんの少し緩んだ。
だが澱んだ目は変わらず、こちらを見つめている。
「望み通りに、ね。どんな事でも?」
「ああ」
「今すぐ死ねと言えば死ぬのか?」
ロウェルは頷いて言った。
「俺の命は、全てお前のものだから」
「……なら」
何の感情も感じない表情をしたまま、突然アレイストはロウェルのシャツを引き千切る。
唐突な行動に息を飲んで黙っていると、彼は剥き出しになった腹の筋を無感情に指で辿った。
「死ぬ必要も、姉上のところに行く必要もない。その代わり――」
臍を撫で、ベルトに触れ、その下にあるものをズボン越しに掴む。
「私が何をしても、絶対に離れないと証明してみせろ」
「っ、あ゛! ぅぐ……」
碌な前戯も無く、潤滑剤すらない状況で身体を開かれる。
その痛みは想像を絶する程で、ロウェルは叫び出さないようにするので精一杯だった。
激痛以外の何も感じない。
そんな拷問めいた行為は、まさに「証明」にはうってつけだな、と頭の片隅で考える。
アレイストの命令をこなす中で、人を殺したことなら何度もあった。だが身体を売るような真似は――、さすがにしたことがない。
それを知っていたのかと思うほど、的確な証明法だ。
「っ――!!」
引き攣るような痛みと共に、アレイストの陰茎が内部に埋められていく。身体が二つに裂けるのではないかと考えてしまうほど、痛くてたまらない。生理的な涙が滲み、苦痛を逃がそうとシーツをきつく掴んだ腕はブルブルと震えている。
快楽などあろうはずもない。その事実が、これが肉欲や愛によるものではなく、二人の繋がりを確認するただの作業なのだと物語っているようだった。
「ん゛ぐぅっ……!」
一番太いところが中に収まると多少は楽になったが、今度はジンジンと痛みを主張しはじめる。無理やりこじ開けたせいで、皮膚が裂けたらしい。
苦しさで呼吸もままならないが、挿入は続く。だが程なくして、アレイストが荒い息をつきながら動きを止めた。
ロウェルは無意識に瞑っていた目を開く。
眼前には脂汗を滲ませたアレイストがいた。それを見て、今更ながら相手にとっても、そう簡単な行為ではなかったと気付く。誰も受け入れたことのない隘路へ強引に自身を押し込めるのだ。苦痛がないはずもない。
彼は、一体何をそれほど恐れているのだろうか。
そんな疑問が、不意に浮かぶ。
無理やり身体を繋げてまでロウェルの心を試したいと思うなんて、どう考えても異常だ。
もっとも――、それを受け入れている自分も、決して普通ではないけれど。
「……アレイスト」
彼が動かずにいることで多少痛みが引いてきたためか、言葉を発する余裕が出てくる。
こちらに視線を向けたアレイストの顔には、後悔と絶望と――安堵が見え隠れしていた。
なんでそんな顔するんだよ。
そう言って笑いたくなった。
だって、今感じている苦痛も行為そのものも、ロウェルが拒否しなかったからこそのものなのだ。
それでも逃げないと確認して、安堵もしているくせに。
ロウェルは、痛みのせいでぎこちないながらも笑った。
「どうした? 言っただろ、俺の全てがお前のものだって。気の済むまで確かめろ」
「っ……」
アレイストは、何も答えなかった。
だが、ゆっくりと抽挿をはじめ、それは精を中に吐き出すまで続いた。
「っ、ぁ……!」
四つん這いの状態で、ロウェルは背中を弓なりに反らす。
勃ち上がった前からは白濁が散って、内腿が震えた。中をきつく締めてしまったせいか、背後のアレイストが呻く。
背筋にぽたりと落ちた冷たい汗にも感じてしまって、シーツを握る手に力が籠もった。
肩で息をしながら、ずるりと陰茎が抜け出ていくのを待つ。達したばかりで敏感になっている肉体は、その刺激にも痺れてしまう。だがロウェルは、それを無視して身体を起こした。
何度か深呼吸をして事後の熱さを鎮めると、隣でこちらに背を向けて丸くなるアレイストの方を見つめる。
「アレイスト、寝る前に身体を洗え」
頭を撫でるように彼の黒髪を梳くが、すぐに払い除けられた。
「お前がやれ」
「……はいはい。それなら、ほら。腕こっちに回して」
ロウェルは自身の首に抱きつかせると、お姫様だっこをして扉一枚で繋がった場所にある浴室へと連れて行く。
彼の細い身体を片腕で抱え直すと、水栓を捻り浴槽に湯を溜めた。
上下水道完備なのはさすが王の住まう城だなぁ、などと妙な感心をしながら、湯船の温度を確かめて、そこにアレイストを放り込む。
「熱くないか?」
何も言わないので問題ないらしいと判断し、石鹸を泡立て彼の肌に手を伸ばした。そうして洗ってゆくのも慣れたもので、ぼんやりと考え事をしながら作業をする。
一体、幾度目だろうか。
身体を繋げ、こうして細々と世話をして、彼が眠るまで傍にいる夜は。
もう両の指で数え切れないほどの回数を重ねているのは確かだ。
酷い痛みを伴った接合は、最初の一回きり。その後は、受け入れる準備をするようになった。アレイストのしなやかな指先が体内をまさぐるのは、いまだに慣れないが――。それでも肉体は適応していくものなのか、内部で快感を拾えるようになっていた。
はじめに比べれば、お互いの負担は軽減した。だが、それだけとも言える。
口付けはおろか、抱き合ったこともない。
挿れて、出して……、終わりだ。
アレイストは、こうして世話をする際に触れることは許しても、それ以外は頑なだった。
愛撫どころか、眠る時に抱きしめることもできない。
商売女との行為の方が余程、情感があるのではないかとさえ思うほど、二人の間に流れる空気は冷たかった。
身体の距離は過去にないほど近いのに、心は以前よりもずっと離れている。
それはきっと、気のせいではない。
「――よし」
アレイストを綺麗にし終えたロウェルは、自分の方はザッとおざなりに汚れだけを流す。それから、彼をぬるい湯に残したまま寝室でシーツを替えた。浴室へ戻ると、今度はその身体を抱き上げて一緒に外へ出て、水気を拭いてやってからベッドに寝かせる。
じとりとした視線を感じて、ロウェルも横に寝転んだ。それを確認したアレイストは、やはり背を向けて、身体を丸める。
決してこちらを見ない。触れさせることもない。だが、離れるのは許さない。
どこか矛盾したアレイストの態度は、ロウェルを少なからず混乱させている。
それでも、彼の傍からは離れられない。
――離れる気もない。
程なく寝息が聞こえだしたのに気付いて、その眠りを妨げてしまわないよう慎重に上体を起こした。
「俺はお前が望む限り傍にいるよ。……どうしたら、信じて……安心してくれるんだろうな」
ロウェルはアレイストのこめかみにキスをする。
この行為は、贖罪の延長などではないのだろうけれど。
今はそれについて、深く考えないようにしていた。