贖罪の献身二
ロウェルとアレイストは、いわば「幼馴染」だった。
しかし、二人の間に変化があったように、周囲もそのままではいてくれない。
「……ま、そうだよな」
ぼそっと呟いたロウェルの独り言は、誰に聞かれることもなく消えていく。
身を潜めて様子を窺う先には、アレイストと――、彼よりいくつか年少の若い女がいた。
庭の東屋で菓子と茶を前に談笑する男女。
ロウェルのいる場所へは声こそ届かないが、唇の動きでなんとなくは何を言っているか分かる。
まあ、とはいっても大した会話はしていないのだが。
未来の王太子夫妻に相応しい、誰が耳にしても困ることのない、それでいて仲睦まじいのが窺える内容だ。
ロウェルは沈みそうになっている自分の心に気付いて、それを紛らわすように頭を掻いた。
いつかこんな日が来ることは、はじめから分かりきっていた。
いや、アレイストの二十二歳という年齢を考えれば、遅すぎたくらいなのだ。
あの女性の名は、アミリア・キンドレー。近く王太子妃となることが内定している人物である。
前々から婚約者候補として彼らは面識はあったが、少し前から本格的に婚約の流れが加速し、二人は頻繁に顔を合わせるようになっていた。
おそらく、セレンティーネ王女が王都を離れたことにより、国王の彼女への罪悪感が薄らいだせいで、話が進んだのだと予想される。
「…………」
優しい笑顔をアミリアに向けるアレイストの姿が映った。
このままいけば、彼らは程なく結婚する。
血を継いで残すのは、王族に課せられた責務だ。そこに異論はない。
だがそうなった時――、自分たちの関係はどうなるのだろう。
アレイストの愛人にでもなるのか? いや、あり得ない。二人の間にあるものは、愛などではないのだから。
ならば、以前の立ち位置に戻るのか。
身体を重ねた事実などなかったかのように。
きっとその選択が正しい。
そうロウェルは考えている。
しかし、胸には一抹の不安があった。
アミリアとの逢瀬が増える毎に、アレイストがロウェルを求める頻度も上がっていることだ。
そして何より、苦しそうな表情をする回数も明らかに増加している。
彼女のことを厭っているわけではないようなのに、だ。
ここ暫く、アミリアの身辺調査を命じられて彼女について周辺を当たっていた。だが調べれど調べれど、非の打ち所のない令嬢――、感想はこれに尽きる。アレイストが父王の判断を一切信用していないがためのそれだったが、さすが王家と縁付く家の娘なだけはあった。
もっとも、個人の資質として少々気弱な面はあるようだが、問題になるほどではない。
「……そろそろ戻るか」
部下に投げていたキンドレー家やその親類に関する調査も終わっている頃だ。
夜までに報告を纏めておこうと立ち上がる。
今夜もまた、彼に呼ばれているのだから。
ロウェルの予想通り、アレイストの縁談はトントン拍子に進んだ。
アミリアの調査が終了した後、一ヶ月も経たない内に婚約式が行われ、半年後には既に婚礼が予定されている。
今年十八歳となるアミリアは、貴族令嬢としてはそろそろ嫁き遅れの心配をされる年齢だ。その件も考慮されてか、「王族の結婚」にもかかわらず、異例なほど様々な事柄が急速に動いている。
慌ただしく日々が過ぎる中で、アレイストとロウェルの関係だけが変わらない。
いつ、これで終わりだと言われるのか。毎夜覚悟しているのに、何もないまま時間だけが経過していく。
そうして、とうとう――婚礼を明日に控える夜となっていた。
ロウェルはいつものように、窓から部屋へと身体を滑り込ませる。
アレイストが背を向けて横たわるベッドへ静かに腰掛けると、彼の手がシャツを掴んだ。
「…………遅い」
「ごめん」
そのまま、二人とも動こうとする気配すらない。
普段ならばアレイストが億劫そうに起き上がって、ロウェルは命じられるより前に服を脱ぐ。
だが今宵はただじっとして、互いの呼吸音だけがしていた。
俺は、この関係を終わらせたくないのだろうか――。
彼に妻が出来た後まで、秘密のままでいられるはずもない。
明日以降、アレイストはアミリアと床を共にする。本心でどう感じているのかにかかわらず、それは決定事項だ。
ならば今夜、彼は選ばなければならない。
ロウェルと以前の関係に戻るのか、男の愛人がいることを公表するのか、それとも――
「アレイスト」
名を呼んでも、頭を上げる様子はなかった。
「アミリア嬢はできた令嬢だな」
顔だけ少しこちらに向けたアレイストは、ロウェルを鋭く睨む。
お前に言われるまでもない、という表情だ。
ロウェルは苦笑して彼の髪を撫でる。いつもはすぐさま払い除けられる手は、何故か今日はそのままだ。
「妻となる女性を大事にすべきだ。お前も分かってるだろ」
「――ッ、」
アレイストが息を飲んで、急に身体を起こした。
頭に乗せていた手は普段よりきつく叩き落とされて、爪が掠ったのか甲に赤い筋ができる。
ようやくロウェルを真正面から見た彼の目付きは、とても鋭い。
「説教はたくさんだ。何が言いたい」
「……夜、こうして会うのはやめよう」
きっとアレイストも、「何を言いたいのか」など分かっていたはずだ。それでも、はっきりと言葉に乗せる。
「そうやってまた、私から離れようとするのか」
暗い、憎しみさえ混じっているのでは思えるほど、絞り出すように落とされた声に、ロウェルもたじろいでしまった。
だが、これからの彼自身のためにも、この一線は引かねばならない。
「アレイスト、お前は王太子――未来の王だ。瑕疵のない王妃との円満な関係と、男の愛人を囲っているという醜聞……。どちらを取るかなんて、分かりきってるだろ?」
当たり前のことを、口にしただけのつもりだった。
しかしそれを告げた次の瞬間、ほんの一瞬――見間違いかと思えるほど一瞬だけ、アレイストは酷く傷付いた顔をする。
「アレ――」
「ああ、そうだな」
自分が何かとても悪いことを言った気がして、かけようとした声を、俯いたアレイストが打ち消すように呟いた。
そして唐突に床へ突き飛ばされ、更に枕を投げつけられる。
「な、にす……」
座った状態から押し出されただけで、ぶつかった物もやわらかい。怪我や痛みはないが、あまりに突然のことすぎて、心が追いつかなかった。
反射的に言い返そうとしてロウェルは振り返ったが、アレイストの表情を見て言葉が途切れる。
歯を食いしばり、怒りを抑えようとしてか肩で息をしていた。だがなによりも、その目が――今にも泣きそうで。
「お前はいつも正しい! いつも! でも、私は……っ」
声を詰まらせたアレイストは、また別の枕を投げつけてきた。
それから堪えきれなくなったように、叫ぶ。
「もういい! お前なんていらない!! どこへでも行ってしまえっ!!」
「アレイスト……」
「出てけよ! もう、私の前に姿を見せるな!!」
「――っ、……」
ロウェルは口を引き結ぶと、立ち上がって彼に背を向けた。
外へ出て、窓を閉める。
振り返りたい気持ちをどうにか抑え込んで、その場を立ち去った。
以来、ロウェルはアレイストと顔を合わせることはなくなった。
彼の「でも、私は」の後は何だったのだろう。
それだけが、心の片隅にひっかかり続けたまま――。