ウィルフレッドと共に、アミラは祖国テレイスへと戻った。

 国境まで来ていた両親と再会し、叔母の元で少しの間静養して――。その後は、まるで何事もなかったかのように日常へと帰っていった。

 もちろん、父ティニスはどこか難しい顔をしていたし、帝国に関する問題をこのままにしておくということはないのだろうと察せられた。しかし同じくらい、この件にもうアミラを関与させたくないのだという空気も感じて、あまり触れることはしなかった。

 例外があったとすれば、隣国での「内乱」が首謀者たちの処刑によって終息した――という知らせを聞いた時だ。

 まるであらかじめ流れが決められていたかのような、早すぎるほどに素早い終わりだったらしい。

 ――は最期の言葉を守ったのだ。


 そうして、あのどこか現実味のない一年ばかりの日々から、いくつも季節が巡った。

 アミラも少女と呼べる年齢を過ぎ、友人の結婚報告も聞こえはじめている。だが、そういった色めいた話題から遠ざかったまま、年数にして実に五年が経過していた。

「――お嬢様! そのように走っては駄目ですよ!」

「わかってるー!」

 きゃっきゃと楽しそうに駆け回る年端のいかぬ少女に、アミラはつられるように笑った。

 現在アミラは王都に居を構える商家で、そこの主人が溺愛する一人娘の家庭教師兼側仕えのような、住み込みの仕事をしている。そんな今年八つになる教え子は、天真爛漫で少しばかり甘えたで、年相応の明るい娘だった。

 少女は商談にやってくる客たちの間を縫い、受付の隣にある階段を駆け上がる。アミラは彼女が人にぶつかったり、こけたりしないかとハラハラするが、周囲の人々も見慣れた光景に和やかに笑みを向けていた。

「アミラー! はやくー!」

 踊り場でぴょんぴょん跳ねる少女に「危ないですよ」と注意しつつ、彼女の後を追おうとする。だが階段へとに足をかける直前に、背後から聞こえた声に気付いた。

「うちのお姫様は今日も元気いっぱいだねぇ」

 のんびりした調子で話す壮年の男に、一番早く反応したのは少女だ。

「お父さま!」

 振り返ると、彼女の言葉通りに少女の父――この商会の長がいる。雇い主の登場にアミラは頭を下げた。

 仕事で不在がちの商会長が、こんな時間に顔を出すのは珍しい。何かあったのかと訝しむが、その隣にフードを目深にかぶった人物がいることに気付いて、来客かと納得する。

「あのね、お父さま! 聞いて――」

 大好きな父の姿に嬉しくなったのだろう、階段を駆け下りてくる音が聞こえた。アミラは「お父さまは、まだお仕事中ですよ」と窘めようとする。

 だが、少女の足音が不自然に乱れた。

「きゃっ……」

 階段を踏み外したのだと悟るが、背を向けていたせいで受け止めるのが間に合わない。それでもどうにか、怪我だけは――と手を伸ばす。しかしそれより早く動いたのは、商会長と共にいたフードの人物だった。

 彼は少女に素早く駆け寄って、その小さな身体を抱き留める。アミラはその光景にほっとしつつも、視界に映った金髪に顔を上げ――息を飲んだ。

 駆け寄った時にか、少女を受け止めた時にか、反動でフードがその頭から外れていた。

「リ……」

 いや、あり得ない。彼は死んだはず――。

 だがその男の視線がこちらの姿を捉え、そしてどこか気まずそうに逸らされるのを見て……、アミラの額に青筋が浮かんだ。

 とはいえ、今はそちらより優先すべきことがある。

 男の腕にしがみついたまま、きょとんとする少女にアミラは声をかけた。彼女は何が起きたのか分からなかったのだろう。暫し呆然としていたが、足を滑らせたことを思い出して、火がついたように泣き出してしまった。

 アミラは「これからはよく足元を見て」「でも無事で良かった」と宥めつつ、少女を商会長の方へ連れて行く。

「旦那様。申し訳ありませんが、お嬢様が落ち着かれるまで、おそばにいてくださいませんか? その間、このお……客様のお相手は私が」

 にっこりと微笑みつつ、アミラは男の手首をギリッと握り締めた。

 商会長は確認するように様子を窺うが、彼がぎこちなく頷くのを見て、その要求を飲むのだった。




 商会にある一番上等な応接間に向かったアミラは、無言のまま男を室内へと招き入れた。

 程なくして茶が運ばれてきて、完全に二人きりとなったところで、ようやく口を開く。

「今まで何してたの、リーヴィス」

 外套を脱いだことで、以前よりはいくらか質素になった装いが露わになっていた。とはいっても暮らしぶりがそう困っている風でもなく、その風体には五年間の歳月が多少窺えたものの、それほど変わっているようには見えない。最後に会った時との大きな変化といえば、長かった髪がバッサリと切り落とされている点くらいだろうか。他は殆ど記憶のままの男が目の前にいる。

「わたし、てっきり貴方は死んだものと思っていたんだけれど」

 茶を一口啜り、じろりとリーヴィスへと視線を向けると、彼は困ったような顔をした。

「私も……そのつもりでしたよ」

 死に損なった――。そんなことを言いたげな表情に、アミラのティーカップを持つ手に力が籠る。

「……何があったのか、聞く権利くらいあるわよね」

「ええ……」

 リーヴィスはぽつぽつと、あの日アミラと別れた後の顛末を語った。

 反乱は失敗に終わり、彼自身をはじめ関係者は皆捕らえられた。そこまでは想定通りのことで、事態が変わったのは処刑を待つばかりになった頃。突然、あの国の王太子が会いに来たのだそうだ。

「彼は私が何故『内乱』を起こしたのか、理解していました。そして、自分の元で働くよう持ちかけてきて……」

「それを受け入れた?」

「……まあ、そうなりますね」

 件の決起で主となって動いていたのはリーヴィスだ。そんな「首謀者」を、表向き生かすことこそ出来ないが、能力を惜しまれたらしい。その結果、彼は公的には処刑されたこととなり表舞台からは消えたものの、今は名前を変えて王太子の元で――活動場所自体は主に国外ではあるが――働いているのだそうだ。

 アミラはじっとリーヴィスを観察しながら、話を聞いていた。

 あれからの流れ自体は分かった。だが、肝心なところは何も明らかになっていない。

 彼が核心を避けて話しているのは明白だった。

 暫し瞑目したアミラは、再びリーヴィスを真っ直ぐに見つめた。

「どうして、内乱を起こしたの」

 誤魔化すのはやめろ、と視線で告げると、動揺してか瞳がほんの少し揺れる。彼は小さく溜息をつくと、観念したように話しはじめた。

「以前も、言ったかもしれませんが……。帝国の再興を計画しはじめたのは父でした。ですが、その父が指揮を取れる状態ではなくなり――、纏め役が一時不在となりました」

 その際、そこに集まっていた貴族たちは大きく二分してしまったらしい。

 目指す先は同じであっても、方法の相容れない派閥ができてしまったのだ。王国内での旧帝国貴族の権威を高めていく、平和裏な進め方をしていきたい穏健派。それから、手っ取り早く現政権を打ち倒そうとする過激派だ。

 そして、そもそもが「帝国の再興」を目指す目的の元で集まった者たち故に、後者の考えがより優勢だったのだという。

「正直、私はどちらでもよかった。そもそも帝国に対して大した思い入れもありませんから。結果――、数の利で……でしょうね。反乱の機運が高まっていきました。その時です。ティニス殿下とその娘の存在が発覚したのは」

 どの方法を取るにしても、皇族の血を引く人間がいるのは都合が良い。リーヴィスは、帝国の盛衰を見ていたティニスよりは、何も知らない娘の方が利用するにはより適していると考え、一計を講じた。

 そのあたりは、既にアミラも承知している内容だ。

 リーヴィスの計画が進む中で、「王女」を旗頭に戦争を――という流れはほぼ確定となった。

「反乱が成功するか、にも……私は興味がなかった。だから、貴女には女王――いえ、『帝国の人間』として最低限身に付けるべき教養は学んでもらっていたんですよ」

 彼の口振りは、失敗すると思っていたことが窺えた。

「『地獄まで付き合ってもらうつもりだった』、ね……」

 アミラが「高い確率で自分は死ぬはずだったんだろう」と言外に揶揄すると、リーヴィスは疲れたように微笑む。

「それが、嫌になったんですよ」

 どういう意味か分からず首を傾げると、彼は言葉を重ねた。

「貴女が死ぬのを見たくないと思った。『女王』という鳥籠に閉じ込めるのも。貴女のせいです。貴女が……、私の計画を狂わせた」

 リーヴィスが苦笑する。だがその表情は、どこか晴れやかだった。

「だから考えましたよ。これ以上ないくらい。貴女が傷付かずに、再び自由になれるように」

「その結果が、あれだったの……?」

 彼はこくりと頷く。

「過激派だけを残し、彼らを一斉に葬り去るには、あれが最も効率的だったので」

 一体いつから、この男はアミラを再び逃がす算段を立てていたのだろう。

 はじめは「王女」を逃げられない身分と立場にした上で、ゆっくりと「帝国の人間」に仕立て上げ、時期を見て政権を打倒する計画だったらしい。

 だが、それを秘密裏に変更したリーヴィスは、まず慎重に穏健派と過激派との見極めを行った。

 過激派は、アミラやティニスが生きている以上、必ずその血族を祭り上げようとすることが予想される。そのため、彼らを纏めて反乱分子に仕立て上げ、後顧の憂いを断とうとしたのだった。

 残された穏健派はというと、そもそも戦を望んでいない派閥だ。リーヴィスは彼らには変更した計画を伝え、早急に過激派との距離を置かせた。今は別の人物――いつかに会った侯爵と呼ばれていた男――が彼らを纏めているという。

「怖いですか?」

「え?」

「自分の目的のために、何人もの『同胞』を死に追いやったんです。私は」

 アミラはぱちりと目を瞬かせる。それから、小首を傾げて言った。

「確かに怖いかもね。……でも、貴方が『手段を選ばない』のは、今更じゃない。貴方、わたしに何したか忘れた?」

 揶揄い混じりにニヤリと笑って問うと、リーヴィスも虚を突かれたように押し黙ってから、肩を竦めた。

「そうでしたね」

 顔を見合わせて、くすりと笑い合う。

 懐かしい空気だった。

「……わたしがここで働いてるの知ってた?」

 彼は小さく笑んだだけだったが、その目は明らかに肯定の意を含んでいた。

「会いに来ようって……、思わなかった?」

「思いましたよ。何度も。……でも、貴方の中で私は既に死んでいて――、過去の人間なのは分かっていましたから」

「違うよ」

 反射的に出た言葉に、アミラ自身も驚く。

 だが、そう――。確かに「違う」のだ。死人だとは思っていた。けれど。

「『過去の人間』、なんかじゃないよ……」

 じわりと眦に涙が浮かんで、慌てて拭う。しかし、拭えば拭うほどにあふれてきて、ついにはぽろりと雫が零れ落ちた。

「アミラ……」

 ここへ来てはじめて、リーヴィスの困惑した声を耳にする。同時に、彼の声音で紡がれる自身の名前がとても好きだったのだと気付いて、更に涙があふれた。

 その涙に彼がこちらに手を伸ばして――、だが、触れるのを躊躇うように途中で止まってしまう。

 だから代わりに、アミラがその手をそっと両手で包み込んだ。

「わたし……、ずっと貴方にもう一度会いたかった……」

「…………なぜ? 私はお世辞にも、貴女にとって『良い人間』ではなかった……」

「さあ、わたしにも分からない。貴方を知ろうとしなかった後悔だ、って思ってたけど……。たぶん、ただ――、会いたかったの」

 視線が合って、その目がお互いだけを映している。

 あの時は、彼の手を素直に取ることができなかった。気持ち的にも、立場的にも。

 でも、これからはきっと。

 五年を空白が溶けて消えていく。そんな気がした。


fin.

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