初稿置き場
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玉座の憧憬 本編:小説・男女恋愛
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ツンデレ王子様の結婚事情:漫画(字コンテ)・BL
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
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改稿版完結
#ツンデレ王子様の結婚事情_字コンテ
彼の姿をはじめて見たのは、五年前のことだ。
元平民とは思えないような、ゆるく波打つ艷やかな黒髪と、高貴さを感じさせる紫の瞳に、僕は目を奪われてしまった。
創設されたばかりの魔塔――魔導師たちが身分の垣根なく魔術の研鑽を積むための機関――の、初代塔主に就任した彼は、過去に例を見ないほどの魔力量を持ち、また研究においても並の魔術師とは一線を画していた。
彼は「魔力を持たない者にも魔法を」を信条に、様々な研究開発を行っている。
はじめは彼の容姿、その静かで意志の強い眼差しに惹かれた僕も、いつしかその生き様に心までも奪われていた。
ほのかな憧れは尊敬へ、そして恋心へと変化していく。
けれど、その想いを伝える気はなかった。
僕は王族――ここアシュフェルト王国の第五王子だ。僕はいずれ貴族の娘を迎えるか、逆に婿に入って国を支える礎となって生きる。
そこに恋心など必要ない。いずれ妻となる女性と、穏やかな家族愛さえ育めればそれでいいのだ。
そう、思っていたのに――。
神聖なる大聖堂の祭壇で、僕は真っ白な礼服に身を包み、王族の婚礼において司祭の役割を担う父王の前に立っていた。
「ユリウス・ロシェ・ゴッドローブ。汝はライアン・アシュフェルトを伴侶とし、病めるときも健やかなるときも互いを敬い、愛をもって支えあうことを誓うか」
「誓います」
隣から朗々とした言葉が耳に届く。
父はそれに頷いて、次は僕の方へ視線を向けた。
「ライアン・アシュフェルト。汝はユリウス・ロシェ・ゴッドローブを伴侶とし、病めるときも健やかなるときも互いを敬い、愛をもって支えあうことを誓うか」
「……誓います」
怖気づきそうになりながらも、どうにか誓いを立てると、父は嫁いでゆく末息子に優しい微笑みを浮かべる。その笑顔に胸が痛い。
「では、誓いの口付けを」
隣に立つ男を見上げる。
感情の読めない紫の瞳とぶつかって、思わず後ずさりそうになった。
彼はすかさず僕の腕を掴み、やんわりとそれを阻止すると、もう片方の手で頤に触れた。
「っ……」
ぎゅっと目を閉じると、やわらかな感触が一瞬だけ唇に触れて、すぐに離れていく。
ハッと目を開くと、男の視線は既に逸らされている。
彼に――、今しがた自身の伴侶となったユリウスに腕を取られて、婚礼の参席者たちの方へと向く。
「この良き日、無二の伴侶となった若き二人に祝福あれ!」
背後で祝いの言葉を宣言する父の声もどこか遠い。
ユリウス……。
心の中で彼の名を呟く。
遠くから焦がれて見つめ続けていた人――。彼が僕のものになってしまった。
けれどこれは、僕の想いが通じた結果ではない。
貴族たちを取り巻く思惑の末の政略結婚。
後ろ盾の弱い元平民の彼を守るために、王族の伴侶を娶らせる。ただし、これ以上彼に権力が集中することを恐れた一派におもねって、子を成すことのできない男の僕が選ばれた。
僕よりも頭一つ分背の高いユリウスを見上げる。
キスの時以外、式の間中一度も視線が合わなかった。
胸に渦巻く寂しさに、そっと目を伏せる。
僕はきっと、彼に疎まれている。
王家から押し付けられた男を、彼が歓迎する理由などないのだから当たり前だ。
ならせめて、彼が煩わしさを覚えないように振る舞おう。
僕はそう、心の中で決意した。
*
婚礼の式典が終わり、ライアンは真新しい屋敷の一室でベッドの縁にちょこんと座っていた。
それまで住んでいた王宮から移り、今日以降の生活の場となる新居だった。王族を娶ったユリウスへ結納品の一つとして下賜されたものの一つだ。
ライアンは手を握ったり開いたりしながら、緊張を紛らわせようとする。
身に纏っているのは薄い夜着一枚。単なる寝間着――、にしては布地は薄く繊細で、結び目は解けやすい作りになっていた。
まるで、初夜を待つ花嫁だ。
もしも僕が女だったら――。
ライアンはそんなありもしない想像をする。
もしも、この身が女のものだったならば、たとえ想いが伴わずとも「抱いて」と口にしたのだろうか。
だが、ライアンはふるりと首を横に振る。
その時、部屋の扉を軽く叩く音がして、顔を上げる。そして、ゆっくり開かれた扉からは、同じく夜着を纏ったユリウスが現れた。
「お待たせいたしまして申し訳ございません、殿下」
ライアンの前まで歩み寄ったユリウスは、床に額づいて臣下の礼をとる。
「…………、」
ライアンは開きかけた口を閉じて、その様を睥睨した。
本来ならばここで、「もう僕は王族ではない。婚姻によって結ばれた関係なのだから、そう畏まらなくても良い」とでも言うべきなのだろう。
これから「円満な」関係を結んでいくのなら、当然言うべき言葉だ。
だが、ライアンは傲慢に見えるように足を組んで、ユリウスに言った。
「私はお前を待ってなどいない。よもや、この身に触れられるなどという、愚かな思い違いをしているのではあるまいな?」
ユリウスは平伏したまま、小さく頷く。
「これは王命ゆえの婚姻だ。対外的な『伴侶』としての義務は果たしてやるが、それ以外を私に求めることは許さない。私に干渉するな。代わりに私もお前がどこで何をしようと干渉しない。よいな」
「は」
短い了承の言葉に、ライアンは思わず眉をひそめてしまった。
「理解したならば、疾く去ね」
「ご随意に」
ユリウスは立ち上がると深く一礼して、こちらを見もせず部屋を出て行った。
パタンと扉が閉まり、しんと静けさが部屋を満たす。
「……はぁ」
ライアンはそのまま仰向けに寝転がって、瞑目する。
これで、僕に気を使って生活を変える必要はないと分かっただろうか。もし、秘密の恋人がいるのなら、関係を続けても構わないと取ってくれただろうか。
彼の邪魔になりたくない。
だが、いるのかどうかさえ分からない「彼の想い人」の存在を考えると、胸を貫くような嫉妬が湧き上がる。
「……これでいいんだよ」
ライアンは自分に言い聞かせるように呟くと、ベッドから立ち上がった。
夫婦の寝室として設けられたこの部屋以外にも、自身の個室にベッドがある。そちらに移動してから寝るのだ。
こんな広い寝台で一人きりでは、きっととても眠ることなんてできないから。
ユリウスと婚姻を結び、早七日。
ライアンはようやく見慣れてきた、新しい自分の部屋で、ベッドからのそりと起き上がった。
カーテンを自らの手で開けて、服を着替える。
ほんの少し前までは、全て使用人の手で行われていたことだ。もう自分は王族ではないのだから、と「初夜」の明くる日に通達し、その日以降朝食の時間まで一人で支度をしている。
ユリウスはというと、毎日魔塔へ仕事に向かい、律儀に毎晩帰ってくる。彼が早く帰宅した日はライアンも、しぶしぶの体で無言のまま同じ卓で夕食を取っていた。
彼にとっては義務で娶った伴侶であろうに、雑に扱われるでもなく、無言の中にも気遣いを感じられる。
そんな態度にライアンは、どうしようもなく心がときめき、それを隠すのに苦心していた。
そろそろ自分たちが「不仲」だということは、この屋敷に勤める全員が気付いている頃だとは思うが、幸い口出しをされることもなく、表面上は平穏だった。
まだ外は朝靄のかかる中、ライアンは開け放った窓辺に肘をついて、庭を見下ろす。
この時間ユリウスは、体力づくりと研究の思索に耽るため建物の周囲を散歩している。はじめて彼と食事を共にした時に、「もしご不快でしたら、止めますが――」と教えてもらった。
ライアンが「干渉しないと言ったはずだが?」と、眉間に皺を寄せて返したところ、その日課は続けられていた。
窓辺でぼんやりしている――振りをして、丁度庭に出てきたユリウスを見つめる。
この数日で彼がこちらの視線に気付いたことはない。
こうして見つめていることが知られれば、言い訳も難しいことは分かっているのに、こちらを向いてくれればいいのにと身勝手なことを思う。
共に過ごす時間が増えるごとに、「この婚姻に不快を覚えている」という態度を取ることが難しくなっていた。
「…………ユリウス」
彼に恋焦がれている。
遠くにいた時よりも、遥かに強く。
けれど、この気持ちが発覚してしまうのは、どうしても避けたかった。
きっと配慮してくれるだろう。酷い態度を取る今でさえ、あんなにも気遣ってくれるのだ。
愛している「振り」をしてくれるかもしれない。少なくとも、優しくしてくれるだろう。
だが――、それはあまりにも惨めに思えた。
その時、突然ユリウスが振り返って、こちらを見上げた。
「っ!」
ライアンは慌てて、窓辺から身を翻す。
名を呼んだ声が聞こえたはずもない。あの距離で、表情を窺うことだって。
「……大丈夫」
バクバクと音を立てる心臓を抑えて、大きく息を吐く。
きっと自分は、恋しい男を想う乙女のような顔をしていただろう。それを見られてはならない。
「大丈夫……」
もう一度言い聞かせるように呟くと、ライアンは鏡の前で苦心して切なくも熱っぽい目を、温度のない冷えたもので覆い隠した。
幸い、ユリウスと次に会った時に、彼がその時のことを口にすることはなかった。
良くも悪くも二人の関係に変化のないまま、一ヶ月。
久し振りに礼服に身を包んだライアンは、馬車の中で対面に座るユリウスに視線を向けた。自身が身に纏うものとは、少し違うデザインだが色味を合わせたジャケットとパンツに、迂闊にも胸が高鳴る。
今日は兄である王太子とその妻の間に生まれた王子の生誕パーティーに招待を受けていた。結婚式を除けば、ユリウスと同伴で向かう初めての社交場だ。
彼はこれまでの研究成果を認められ爵位こそ与えられているが、パーティーの類には殆どその姿を見せることはなかった。それは結婚後も変わらずで、殆どの時間を魔法に捧げている。
今回のものは王族主催のもののため、立場上断ることは難しいものの、ライアン一人で出席することも考えていた。
だがそれを提案するよりも先に、執事を介して衣装のデザイン案を渡されて、ユリウスが当然のように出席するつもりだったことを知った。
今ライアンが身に纏うのも、ユリウス自ら絞り込んだという案の中から選んだものだ。
婚約中の男女ならば、男側が女性にドレスを贈るのはまま一般的だ。婚約期間のなかった自分たちも、初めて共に出席するパーティーでくらいは、とそれに倣った形だろう。
ユリウスは義務感でしてくれたことだ。
そう言い聞かせなければ、頬が緩んで仕方がなかった。
その時、馬車が止まった。会場に到着したようだ。
「――殿下」
呼びかけの声にハッとする。
「なんだ」
「会場では、御身に触れてもよろしいでしょうか」
エスコートするには、腕なり手なりを取る必要がある。
それをわざわざ訊かねばならない関係だということに、身勝手な寂しさを覚えて、それを悟られぬように眉根を寄せた。
「いちいち聞くな。触れずにどう同伴者の体を取る気だ」
「……は。申し訳ございません」
ライアンが冷たい言葉を放っても、ユリウスの表情は変わらない。
彼は御者の開けた扉から外に出ると、こちらに手を差し出した。
ライアンは緊張に震えそうになりながらも、そこにそっと指を置いた。
「っ!」
それを予想外に強く握られて息を飲む。
「参りましょう、殿下」
「ああ……」
結婚以後、初めて姿を現した末王子とその伴侶に、好奇の視線が向けられているのに気付く。
ライアンはユリウスの腕に手を置いて、毅然と前を向いた。
会場入りしてすぐ、ライアンはユリウスと共に王太子夫妻の元へ挨拶に向かった。
生後三ヶ月になる甥は、生まれてすぐの頃より随分と大きくなっていて、王太子妃の腕の中ですやすやと眠っている。
兄は大人たちの視線を一身に受けながらも、堂々と眠っている我が子はきっと偉大な男になると笑っていた。
そんな家族との再開の後、ユリウスが何故か兄が二人で話がしたいとニヤニヤ顔で連行されていき、ライアンはホールに一人だった。
結婚生活はどうだ、魔塔主殿はどうか、といった貴族連中からの探りを躱していると、見知った顔を見つけてその輪を抜けた。
「ベルリーズ」
「あら、お従兄様」
彼女は扇を広げて、揶揄い混じりに微笑む。
「辺境伯夫人にいきなり声をかけるだなんて、不躾ですわよ?」
「あ……、そうだった。すまな――、申し訳ございません、夫人」
彼女――王弟の娘で今は辺境伯に嫁いだライアンの従妹であるベルリーズは、ふふふと笑って扇をぱちんと閉じた。
「構いませんわ。これまで通りにしてくださいませ、お従兄様」
「助かるよ」
彼女と以前会ったのは、ライアンがユリウスと婚姻を結ぶ前のことだ。その時のライアンは王族だったが、今はユリウスの――ゴッドローブ男爵の伴侶で、彼女より身分が下になる。
同じ王宮で幼馴染のように育った従妹に、かしこまって話すのはどうもむず痒いので、彼女の言葉にほっと息をついた。
「それより、ベルリーズ。会うのは随分と久し振りじゃないか?」
「まあ、ご自分の婚礼に出席しなかったから、と拗ねてらっしゃるの?」
「ベルリーズ……」
彼女はくすくすと楽しそうに笑うと、顎先に指を添えて首を傾げた。
「わたくしだって、お従兄様の晴れ姿は見とうございましたわよ? けれど、お二人の式はかなり急だったでしょう。辺境伯領から王都までは、かなり時間がかかってしまうし、都合がつけられなかったのですもの」
ベルリーズの言う通り、ユリウスとの結婚はかなり急に決まった。実際のところ水面下で準備は進められていたようだが、ライアン自身がそれを知らされたのは式のたった一ヶ月前だったのだ。
ライアンが嫌がって、結婚を阻止するのを防ごうとでもしていたかのように。
確かに、それをもっと前に知っていたのなら、どうにかユリウスが「不幸な結婚」をせずに済むように、動いていたかもしれないが――。
その時ふと、ライアンの脳裏を疑問が掠める。
ユリウスは一体いつから、この結婚を知っていたのだろう……。
だがそれについて、深く考える暇はなかった。
「――殿下!」
突然ユリウスの声が響き、手首を掴まれる。常にない暴挙に驚いて振り返ると、珍しくその顔に微かな焦燥が浮かんでいた。
「どう、した……?」
強く掴まれたままの手首と彼の顔とを見比べていると、ユリウスはハッとしたように手の力を弱めた。
「申し訳…ございません……。その、そちらの方は……?」
「え、ああ……。会ったことがなかったのか? 彼女はテラネリア辺境伯夫人ベルリーズ。私の従妹だ」
「従妹……」
ユリウスの呟きに内心首を傾げつつ、ベルリーズにも同じようにユリウスを紹介すると、彼女はにっこりと微笑んでスカートを摘んだ。
「はじめまして、ベルリーズと申します。ライアンお従兄様の大切な方にお会いできて嬉しゅうございますわ」
「こちらこそ、お会いできて光栄です。お話中に失礼をいたしました」
ユリウスが先程のらしくない非礼を詫びると、ベルリーズは目を細めた。どことなく、先程ユリウスを連行した兄の表情と同じものを感じるのは気のせいだろうか――。
「いいえ、わたくしのような美しい女と共にいれば、心配なさるのも道理ですもの。気になさらなくてもよろしいわ」
美しい女、と自分で言うのかとライアンはベルリーズの相変わらずさに半眼になっていたが、ユリウスは生真面目に頭を下げた。
「寛大な御心に感謝いたします」
「よくってよ。――それよりお従兄様? わたくしはそろそろ我が夫とフロアを沸かせに参るつもりなのですけれど、そちらは?」
ベルリーズのよく分からない言い回しに目を瞬かせるユリウスに気付いて、ライアンはぽそりと補足する。
「辺境伯夫人はご夫君と一曲踊られるそうだ」
「……理解いたしました。殿下は如何されますか?」
「私はパートナー以外と踊るつもりはない」
ライアンは社交の一環として、当然一通りのものは習得しているが、特段ダンスを好んでいるという訳でもない。
もちろん、ユリウスの手を取れれば素敵だな、とは思うが――。貴族出身でもない彼が、そういったものを修めているとは思えない。
つまり、誰とも踊らないという意味でライアンは言ったのだが、何かを勘違いしたらしいベルリーズは、扇で口元を隠しながら微笑んでいる。
「まあまあ、お従兄様方もお熱くてらっしゃるのね。わたくしも、火傷しない内に退散いたしますわ」
ベルリーズは「おほほほ」と高笑いしながら、人波に消えていった。
どことなく気まずい中で取り残されたライアンは、とりあえず場所を移そうと、ユリウスを見上げた。
「そういう訳だから――」
「では、私からお誘いした場合、受け入れて頂けるのでしょうか」
「……え」
サッと跪いて手を差し出すユリウスに呆気を取られ、ライアンは気が付くとその手に、自分のものを重ねていた。
「……上手いじゃないか」
「恐縮です」
ホールの中央で手を取りながら、ステップを踏む。
ダンスの素養など無いだろうと決めつけていたことが恥ずかしくなるほど、ユリウスのリードは巧みだった。
ただ踊り慣れてはいないのか、動きが少々固いことにライアンはホッとしながら、曲調の変化に合わせて彼に身体を寄せた。
「どこで学んだんだ?」
「殿下との婚姻が決まった後に、陛下より講師をご紹介頂きました」
「……何故?」
「殿下の伴侶となります故、今回のような場面もあるかと。そのため、リード側だけ習得いたしました」
ライアンはぽかんと口を開けて、暫くユリウスを見つめたあと、ハッとして間抜けな顔を曝さぬように俯いた。
まるで、僕のためにと言われているようだ。
ダンスは基本的に身長の高い側がリードに回る。
僕のためだけに、という考えが浮かんで思わず頬が熱くなった。
いや、分かっているのだ。
元王族のライアンに恥をかかせぬため、という最低限の気遣いの結果だということくらい。
「……そうか」
それでも、嬉しくて。
ライアンは繋いだ手に、きゅっと力を込める。
嬉しくて心が浮き立つ。けれど、同時にそれを諫める声がする。
――僕は彼ばかりに、負担を強いているのではないか。
「お前は……」
「殿下?」
「お前は……、嫌ではなかったのか」
「……何についてでしょうか」
「私を娶ること」
ユリウスが息を飲んだ。
丁度その時、曲が終わる。彼は目を眇めると、ライアンに返答を返す代わりにこう言った。
「少し二人きりでお話しませんか、殿下」
「…………分かった」
ユリウスに先導されて、広間を後にする。
繋いだままの手がなければ、不安で身動きすら取れなかったかもしれない。
招待客に解放された休憩室の一つに、ライアンはユリウスと共に向かう。
その時、化粧直しでもしてきたのであろう令嬢とすれ違って、いまだに自分たちの手が繋がれたままであることを思い出し、途端に恥ずかしくなった。
「……お、おい。そろそろ手を」
「お嫌ですか」
足を止めて振り返ったユリウスの静かな眼差しにたじろいで、ライアンは思わず視線を逸らす。
「そういう訳では……」
「ならば、もう暫しご容赦下さい」
ライアンが小さく頷くと、ユリウスは再び歩き出した。
手を握っていなければ、逃げると思われているのだろうか……。
ユリウスの背へ盗み見るように視線をすべらせて、ライアンは思う。
この先で待ち受けている「話」も、一体何を言うつもりなのか。ライアンは不安で堪らなかった。
だが、その「話」を聞くよりも前に、不意に邪魔が入った。
「――ユリウス・ロシェ!!」
人気のない廊下に、聞き覚えのない男の声が響く。
ハッとして振り返ったライアンだったが、声の主が視界に入るよりも早く、ユリウスがかばうように前に立った。
「ロドリゴ・ベイドルート……」
男の名前らしきものを呟いたユリウスの声は硬く、ここに現れたことを歓迎すべき相手ではなさそうだ。ライアンは不安を覚えて、ユリウスの服を引いた。
「誰なんだ」
「――元、同僚です」
視線を逸らすことなく返された答えに、反応したのは男ロドリゴの方だった。
「はっ! 『同僚』!? 貴様にそう思われていたとは光栄だな。私の事など、歯牙にもかけていなかっただろう!」
ユリウスは男の叫びに何も答えない。ロドリゴは、それにさえ気付いていないかのように捲し立てる。
「貴様はいつもそうだ。私のことを、いつも見下していた! その目で! 私を! いつもだ!!」
「……誤解です」
「誤解なものか! 貴様は惨めたらしく貴様に負ける私を、嘲笑っていたはずだ! 貴族たる私を平民の貴様が……!」
ギリッと歯軋りするロドリゴは、ユリウスを見ているようで見ていない。そう、ライアンには感じられた。
自身の劣等感が作り出した「ユリウス」を、あの男は酷く憎んでいる――。
「おい……」
あまり相手にしない方が良いのではないか。
そうユリウスに提案しようと声をかけようとした時、それまで興奮しきっていたロドリゴが、急に表情が抜け落ちたような虚ろな顔で、ユリウスを見た。
「卑しい平民ごときが、魔塔主になったというだけでも腹立たしかったが――。その上、王族を娶るなど、どれほど身の程知らずだというのだ」
ユリウスが小さく息を飲む。
それまで男の発言を、まるで意に介していなかった中で、どれが琴線に触れたのだろう。
だが、それを問うよりも早く、ロドリゴが懐を探りながらゆらりと動いた。
「――だが、それも今日で終わりだ」
ざわりと何か嫌な予感がした。
明確に何が起こると分かっていた訳ではない。ただ、ライアンは気が付くと、ユリウスの前に躍り出るようにして、彼の身体をかばっていた。
その行動にユリウスが目を見開くのと、ロドリゴが取り出した何かを投げつけ眩い閃光が放たれるのとは、ほぼ同時だった。
刹那の静寂――、そして、耳をつんざくような爆音が轟いた。
「――殿下っ!!」
頭上で悲鳴のようなユリウスの声が聞こえる。
手足の感覚がない。
何が起こったのだろう。
けれど、ユリウスの声が聞こえるということは、きっと彼は無事なのだ。
なら、いいか……。
ライアンは急速に沈んでゆく意識の中で、その事実に安堵をして、そのまま意識を手放した。
「ん……」
真っ白な光に導かれるように、ライアンはゆっくりと目蓋を開けた。
「ここ、は……」
あまり見覚えのない部屋のベッドにいることに気付き、何度か瞬きをする。ああ、いや、一度だけ来たことがある。「初夜」の日にユリウスを待っていた、二人用の寝室だ。
何故こんな所で眠っていたのだろう、と不思議に思いながら起き上がる。
そもそも僕はいつ寝た? というより、何をしていたっけ?
記憶を辿って、甥の生誕パーティーのこと、ユリウスと共に踊ったダンスを思い出し、そして意識を失う直前まで辿り着く。
「あの後どうなったんだ……?」
男が何かしようとしているのを見て、ユリウスをかばった所までは覚えているのだが、その後のことがさっぱりだ。
だが、自分の身体に大した外傷もないし、それほど騒ぐようなことではなかったのかもしれない。
そうだとすれば、少々気恥ずかしいが――、まあ行動してしまったものは仕方がない。後の問題は、自分の行動について、どうユリウスに説明するかだ。
そんなことを暢気に考えていたライアンだったが、不意に扉を開く音に気付いて、そちらを向く。
「あ」
そこには何か器を持ったユリウスがいて、視線が合うと彼は目を見開いて固まった。
「殿下」
ぽつりと呟いたかと思うと、彼は持っていた器を手から力が抜けてしまったかのように床へ落とした。入っていた水が辺りをびしょびしょにしてしまう。
だが、それにすら気付いていないかのように、ユリウスはこちらへと一心に駆け寄ってきて、そのままの勢いでライアンを抱きしめた。
「っ!? お、おい……!?」
初めての抱擁に動転するが、ユリウスはますます腕の力を強める。
「申し訳、ありません……。ですが――」
泣くのを堪えるかのような声に、ライアンも困惑する。
「なんだか知らないが、大袈裟じゃないか……?」
おそらく、あの後気を失ったことに気を咎めているのだろうと当たりをつけてそう言うと、ユリウスはガバッと顔を上げた。
「大袈裟なものか!! 三日も目が覚めなかったんですよ!?」
「……み、みっか?」
ちょっとばかり昏倒した程度で、自分は寝過ぎではないだろうか。
少々気まずくなって、ライアンはユリウスから視線を逸らす。
「それは……、その、世話をかけた」
「そのような事はどうでもよいのです。それよりも、何故あのようなことをなさったのですか」
ユリウスの口調から怒りの気配を感じ、驚いて顔を上げる。
ライアンがどれほど冷たい態度を取ろうが、眉一つ動かさなかった男が、思えば今日は実によく表情が変わっている。
「あのような、って」
「魔導爆弾の前に飛び出すような真似です」
「は……? 爆弾?」
その言葉を呟いて、ようやくあの時感じた眩しさと爆音が繋がる。男が投げたのは「魔導爆弾」――つまり、魔法が込められた爆発物だったのだろう。
「え、でも傷無いし……」
「俺が治したからに決まってるでしょう! 俺がいなければ今頃、四肢欠損、出血多量で死んでいます!!」
「ひぇ……」
そんなに酷い状態だったのかと、つい声が漏れた。
だが、そんな爆発だったならば、目の前にいる彼は無事だったのだろうか。
「……貴方は?」
「はい?」
「ユリウス、貴方に怪我は?」
彼はパチパチと目を瞬かせたあと、不思議そうな顔をしたまま返答を呟いた。
「軽症で…済みました。殿下のおかげです……」
「そうか……」
ほっとして笑みが零れた。
それならば、身体を張った甲斐があるというものだ。中々に凄惨な怪我を負ったようだが、幸い記憶にないし、五体満足で今生きている。なら、何も問題はない。
いや、仮にあの場で死んでいたとしても、ユリウスが無事だったのなら、何の悔いもなかっただろう。
「……あの、殿下」
「なんだ?」
「もう一度お聞きしても良いでしょうか。何故、あのような真似を……?」
「ああ……」
ライアンは、ユリウスから視線を逸らして、少し悩んだ。
もう、「元平民を疎ましく思っている王子」の仮面は剥がれてしまっている。今更、何をど悪しざまに言ったところで、命をかけてまで彼を守ろうとしたという行動と整合性が取れない。
ならば、ここは正直に述べるしかないだろう。
ライアンは溜息をついて肩を竦めると、ユリウスに向き直った。
「僕は何年も前から、貴方のことを好ましく思っている。また、貴方はこの国に必要な人で、その損失は王子としても看過できないし、僕個人としても嬉しいことではない。だから、守った。……まあ、命を助けられたのは僕の方みたいだが」
茶化すように付け加えてみるが、ユリウスは固まってしまったまま身動ぎ一つしない。
仕方なく、ライアンは一方的に続けた。
「この一ヶ月間、酷い態度を取っておいて何を今更、と思われるだろうが……。その点については、すまなかったと思っている。だが、ああいう態度をとれば、貴方は僕を気にせず生活できるようになるはずだと考えていた。僕は貴方の迷惑になりたくない。王命で娶らされた男など、疎ましい存在だろう? だから、これからも気にせず研究でも、真に愛する恋人との逢引でも好きにすると――」
「お、お待ち下さい!!」
慌てたように口を挟んだユリウスに、ライアンは目を瞬かせた。
「で、殿下は……俺――私を、嫌っておいでだと……」
「そう思われるよう、振る舞っていたのは事実だ」
ユリウスは何を言ってよいか分からなくなったかのように視線を彷徨わせる。
「……私に『恋人』はおりません」
呟かれた言葉に虚を突かれて、ライアンは内心慌てて笑みを浮かべた。胸に湧き起こった安堵は見ない振りをする。
「そうか。だが、これからも僕に気を使う必要は――」
「そうではなく!」
言葉を遮る声の強さに、ライアンは驚いて黙ってしまう。ユリウスは、声を荒らげたことを恥じるように視線を逸らして続けた。
「私は、婚姻の誓いを違えるつもりはありません」
「それは――」
気にせずとも良い。
そう続けようとしたが、不意に手を握られて言葉を切った。
「私……俺は、貴方を愛しています」
「は……?」
「言うつもりなんてなかった。けれど、貴方以外に愛する人がいると思われるのは心外です」
ユリウスは苦しげに息をつくと、ライアンの手を離した。
「貴方に想いを返してほしいなんて、我儘を言うつもりはありません。傍にいられるだけでいい」
ユリウスはふらっと立ち上がって、ライアンに背を向けた。
「ただ、俺が貴方を――貴方だけを愛していることは、知っていてください」
彼はそのまま、ライアンが止める間もなく部屋を出ていってしまう。
その後すぐ、メイドが現れて床に転がった器と水の片付けをしていった。彼女に聞いたところによると、その水は意識の無かったライアンの身を濡らした布で清めるためのものだったらしい。
この三日間、ユリウスは殆どライアンの傍を離れることなく世話を焼き続けていたという。
一人になった部屋で、ライアンは両手で顔を押さえた。
「えぇ……」
頬に触れた手の平は、火傷しそうなほどに熱かった。
あの後ひとしきり照れたライアンだったのだが、とあることに、はたと思った。
僕ははじめに「何年も好意を持っている」と言ったはずなのに、どうして彼に気持ちが伝わってないんだ……?
それに気付いてしまうと、一人で自己完結してどこかへ行ってしまったユリウスに、なんともムカムカしてくる。
次に会った時、何を言ってやろうかと考えながら、再び彼が顔を見せるのを待つ。しかし結局、夜になってもユリウスがその姿を見せることはなく、ライアンは痺れを切らして彼を呼びつけたのだった。
彼が来るまでの間、手持ち無沙汰なライアンはベッドから立ち上がると窓を開け放って、腰くらいの位置にある桟に肘をついて月を見上げた。
その時、叩扉の音がして、振り返りそうになるのを堪えて応答すると、ユリウスが中に入ってきた。
「――お呼びと伺いましたが、殿下」
声を聞けば、一度は収まっていた苛立ちが再び湧いてきて、ライアンはむぅっと頬を膨らませる。
何も答えずにいると、困ったような声でユリウスが続ける。
「あの、お風邪を召されます。回復なさったばかりで、無理は……」
「貴方が治してくれたんだろ」
「しかし、三日間意識がなかったのですから」
苦言を呈しながらも、近寄ってくる気配のないユリウスに、ライアンはますますムスッとして、唇を尖らせたまま仕方なく振り返った。
先程までは肘をついていた窓辺に浅く腰掛けて、ライアンは腕を組む。床に膝をついたユリウスを見下ろして、どうしてくれようかと思った。
「立って、こっちへ来て」
「は、はい……」
距離を開けて止まろうとする度に、「もっとこっちへ」と言い続け、ようやく間に人ひとりも入れない程度の距離まで近付く。
「あの、殿下……」
「それやめて」
「はい……?」
「もう僕は『殿下』じゃない。貴方の伴侶だろ」
当惑するユリウスを睨み上げる。これまで訂正してこなかったのに、随分勝手だなと我ながら思うが、素直に優しく言ってやる気分にはどうしてもなれなかった。
「で、ですが……えっと…………」
「何? 僕の名前なんて忘れた?」
「!? まさか、ありえません! ……ラ、ライアン様」
「……うん」
初めて彼から呼ばれたその音が、じんと胸に染み入ってくる。
ただ名前を呼ばれただけなのに、どうしてこんなに嬉しいのだろう。
「ユリウス、少しかがんで目を閉じて」
「は? はい」
言う通りにした彼の胸元を手繰り寄せる。そして、彼の唇にそっと自分のものを重ねた。
「えっ……」
思わず、といった様子で目を開けた彼と視線が絡んだ。
「僕、『好意を持ってる』って、言ったよね」
「ですが、それは……」
「こういう意味の『好意』だよ。わかる?」
「…………自惚れても、よいのでしょうか」
口元を押さえ、信じられないといった顔で視線を彷徨わせるユリウスに、ライアンは肩を竦めた。
「いいよ、好きにして」
抱きしめて、と言う代わりに腕を広げて彼を見上げた。ユリウスはこちらの反応を窺うようにゆっくりと、ライアンの背に腕を回した。
少し物足りなさを感じるほどに、その抱擁はやわらかい。ライアンは、自ら彼の胸に顔を埋める。
「ね。いつから、僕のこと見てたの」
「……以前、夜会でお会いしたことを覚えていらっしゃいますか?」
「ああ……。たしか、貴方が叙爵されてすぐの」
慣れない席で、彼は下位貴族の令嬢に囲まれて随分と困っていた。それをライアンが助けたのだ。その時には既に、彼に対して仄かな憧れを持っていたライアンは、それを無視できなかった。
「あの時のお姿が忘れられず……。身の程知らずにも、陛下から王家と縁続きの姫を娶るよう打診された際、殿下――ライアン様のお名前を出してしまったのです」
ライアンは驚いて顔を上げた。
「まさか、この結婚はそれで……?」
「はい。ですので、貴方は望まぬ結婚だとばかり」
それで、あの爆破犯に「身の程知らず」と詰られた時に反応があったのかと納得する。それともう一つの事実に思い至って、ライアンはボッと頬を赤らめた。
「…………その時の父上、妙に嬉しそうだったり、ニヤニヤしたりしてなかったか?」
「え? ああ……、はい。確かにそのようなご様子でしたが……」
「やっぱり!」
ライアンは顔を覆って呻いた。
父――いや、おそらく家族全員に、ライアンがユリウスに想いを寄せていると知られていたのだと気付く。
隠しているつもりだったのに! と、内心で嘆くが、そのおかげでこの縁が結ばれたのだと思うと、何とも言えない気持ちになる。
「あの、ライアン様?」
「……なんでもない。僕が貴方を好きだと、みんなに気付かれていたことが恥ずかしいだけだ」
「っ…………」
ぴくりとユリウスの腕が震えたのに気付いて、目だけで彼を見上げる。
すると、そこにはライアンの照れくささが移ってしまったかのように頬を染めるユリウスの姿があった。
「ユリウス?」
「いえ、その……。ライアン様の『好き』というお言葉に照れてしまい……」
そういえば、はっきり言っていなかったか、と思い至り、ライアンはくすりと笑って、ユリウスを抱き寄せた。
「好きだよ、ユリウス。愛してる。もう、僕を離さないで」
「…………はい」
抱き返されたその腕は、とても力強かった。
*
「んー……」
あの日から、僕の生活は一変した。
鳥の声に目を覚まして伸びをしていると、横から伸びてきた腕にベッドの中へ引き戻される。
「ユリウス、もう朝だぞ」
触れる体温が心地よくて、もう一眠りしてしまいたくなるのを堪えて、愛しい伴侶の頬に口付ける。
「んん……もう少しだけ…………」
実は朝が弱かったらしい彼の微睡んだ声に、仕方がないなぁと肩を竦めて彼の腕に身を預ける。
胸に頬を擦り寄せて、もう日常となった優しい時間を楽しんでいると、ユリウスも次第に覚醒してきたのか、ぎゅうっと強く抱きしめられた。
「ユリウス」
「……おはようございます、ライアン」
「おはよ」
まだ眠気があるのか、緩慢に目を瞬かせるユリウスに微笑む。すると彼は、眩しそうに目を細めて言った。
「今日も美しいですね」
「は!?」
たまにこういうことをサラリと言うようになったのだけは、少々心臓に悪いが――。
僕は真っ赤になった顔を、ぱたぱた扇ぎながらユリウスを睨む。
「ほら、もう起きろ! 仕事だろ」
「……行きたくない」
再び抱き込まれそうになって、両手で突っぱねるが、いつも力負けしてしまう。
ぎゅうぎゅう抱きしめられて、その抱擁にとろんとしはじめた頃、ユリウスは起き上がった。
「なるべく早く帰りますね」
「……うん」
彼の膝に乗って、長い口付けをする。
「……はあ」
幸せの過剰摂取で死ぬのではないだろうか。
最近抱いている最大の悩みは、そんなあまりに幸福なことだけだった。
終