初稿置き場
カテゴリ「玉座の憧憬 本編」(3ページ目)
小説・男女恋愛2025/08/22 00:00:05
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 15
「っ――!」
セレンは目を開くと同時に、ガバッと身を起こした。
「……ぁ、ゆ…め…………」
両の手を握って、開く。
そして、あの夢の中での違和感にようやく気付いた。闇の中で蹲っていたのは、母がいなくなった頃のセレンだ。……いや、もっと幼かったかもしれない。
「…………っ」
膝を抱えて小さくなる。
まだ心臓が早鐘を打っていて、とても眠れそうにない。
だが視界を閉ざせば、母の声が迫る。彼女はそう、国王の寵を一身に受けていたにもかかわらず、常に「卑怯な女狐」――アレイストの母に敵愾心を燻らせていた。
いずれ彼女が戻ってきて、己の全てを奪ってしまう――。
そのことを恐れていた。幼いセレンにも分かるほど、強く。
「……わたしは、おうに……ならなきゃ、ならない」
蹲ったまま呟く。
このまま――ちいさくちいさくなって、闇に溶けて消えてしまえればいいのに。
そう叶いもしない願いを募らせながら、セレンは己の身体をきつく抱き締めた。
#玉座の憧憬_本編 15
「っ――!」
セレンは目を開くと同時に、ガバッと身を起こした。
「……ぁ、ゆ…め…………」
両の手を握って、開く。
そして、あの夢の中での違和感にようやく気付いた。闇の中で蹲っていたのは、母がいなくなった頃のセレンだ。……いや、もっと幼かったかもしれない。
「…………っ」
膝を抱えて小さくなる。
まだ心臓が早鐘を打っていて、とても眠れそうにない。
だが視界を閉ざせば、母の声が迫る。彼女はそう、国王の寵を一身に受けていたにもかかわらず、常に「卑怯な女狐」――アレイストの母に敵愾心を燻らせていた。
いずれ彼女が戻ってきて、己の全てを奪ってしまう――。
そのことを恐れていた。幼いセレンにも分かるほど、強く。
「……わたしは、おうに……ならなきゃ、ならない」
蹲ったまま呟く。
このまま――ちいさくちいさくなって、闇に溶けて消えてしまえればいいのに。
そう叶いもしない願いを募らせながら、セレンは己の身体をきつく抱き締めた。
2025/08/22 00:00:04
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 14
セレンはふっと目を開いた。
だが周囲は真っ暗で、星の瞬きも蝋燭の仄かな明かりも何も見えない。
どこまでも闇が続いていて、そんな黒一色の世界にセレンは座り込んでいた。
ここは、どこ……?
きょろきょろと首を巡らせて、ふとこんな闇の中にもかかわらず、自分の姿だけははっきりと見えることに気付いた。
自分の手を握って、開く。
何か、違和感を覚える。
だがそれの正体は判然としないまま、セレンはその動作を繰り返していた。
『――セレンティーネ』
不意に響いた女の声に、顔を跳ね上げる。
「あ……」
そこには、自身とよく似た銀髪をたなびかせる女が立っていた。
彼女はこんな顔をしていただろうか。
もう記憶も朧げで、よく思い出すことができない。
それでも、セレンにはこの女が誰か分かっていた。
「……母様」
呟いた声に反応してか、女――母の目がギョロリとこちらを睨む。
セレンは床に座り込んだまま、恐ろしい形相の女を見上げる。
『お前は何をしているの』
「え……」
暗く沈んだ声に、身を竦ませる。
『こんな僻地で何をしているのかと、聞いているのよ!』
怒声に身体が震えた。
ああ、そうだ。母は時折こうして金切り声を上げることがあった。
それが幼いセレンには、とてもとても恐ろしくて――。
『お前は王の子なの! いずれ、王になるの! 全ての頂点に!! お前はこんな場所で埋もれるべき人間では――』
「でも、母様……」
『母上とお呼びなさい!!』
厳しい一喝に、セレンは俯いてぎゅっと目を瞑った。
小さな手を地面の上で握り締めて、じっと耐える。
『お前はやれば出来るのよ。あの卑怯な女狐の息子になど、負けはしないわ……』
「……はい、母上」
もう、顔を上げて母の顔を見つめ返すことすら、出来そうもなかった。
#玉座の憧憬_本編 14
セレンはふっと目を開いた。
だが周囲は真っ暗で、星の瞬きも蝋燭の仄かな明かりも何も見えない。
どこまでも闇が続いていて、そんな黒一色の世界にセレンは座り込んでいた。
ここは、どこ……?
きょろきょろと首を巡らせて、ふとこんな闇の中にもかかわらず、自分の姿だけははっきりと見えることに気付いた。
自分の手を握って、開く。
何か、違和感を覚える。
だがそれの正体は判然としないまま、セレンはその動作を繰り返していた。
『――セレンティーネ』
不意に響いた女の声に、顔を跳ね上げる。
「あ……」
そこには、自身とよく似た銀髪をたなびかせる女が立っていた。
彼女はこんな顔をしていただろうか。
もう記憶も朧げで、よく思い出すことができない。
それでも、セレンにはこの女が誰か分かっていた。
「……母様」
呟いた声に反応してか、女――母の目がギョロリとこちらを睨む。
セレンは床に座り込んだまま、恐ろしい形相の女を見上げる。
『お前は何をしているの』
「え……」
暗く沈んだ声に、身を竦ませる。
『こんな僻地で何をしているのかと、聞いているのよ!』
怒声に身体が震えた。
ああ、そうだ。母は時折こうして金切り声を上げることがあった。
それが幼いセレンには、とてもとても恐ろしくて――。
『お前は王の子なの! いずれ、王になるの! 全ての頂点に!! お前はこんな場所で埋もれるべき人間では――』
「でも、母様……」
『母上とお呼びなさい!!』
厳しい一喝に、セレンは俯いてぎゅっと目を瞑った。
小さな手を地面の上で握り締めて、じっと耐える。
『お前はやれば出来るのよ。あの卑怯な女狐の息子になど、負けはしないわ……』
「……はい、母上」
もう、顔を上げて母の顔を見つめ返すことすら、出来そうもなかった。
2025/08/22 00:00:03
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 13
結局、ロウェルは何をしに来たのだろう。
彼が持参した書状には、セレンのアキュイラ領主就任を言祝ぐ内容しか書かれていなかったし、それを届けに来ただけにしては、長期滞在する理由がない。
だがその理由を訊ねてみても、「セレンティーネの傍にいたいから」という、本気なのか冗談なのか分からない言葉ではぐらかされていた。
そう、はぐらかされた、と思っていたのだけれど――。
セレンはミイスの淹れた甘い茶の香りに、ふと目を眇めた。
「今日はいつもと匂いが違うんだな」
「ふふ。ご明察です、姫様。ロウェルさんに頂いたんですよ。姫様のお疲れが取れるように、って」
「そ、そうか……」
にまにまとするミイスから視線を逸らす。
ロウェルがここに滞在しはじめてからしばしが経ったが、彼は二日と空けずこうして方々から贈り物をしてきていた。
そんな姿を見ていれば、憎からず思われているのだろうと、どうしても考えてしまう。
あの戯言のような言葉が、本気だったのではないか、と。
だが、そんなことがあり得るのだろうか……。
セレンは湯気の燻る明るいオレンジ色をした茶を、ほんの少し口に含んだ。
少し甘すぎる気はしたが、鼻を抜ける柑橘のような香りは清涼感があり、気分を落ち着けてくれる。
小さく息をつき、ふとミイスが茶器を二人分用意していることに気付く。
それは誰の、とセレンが問うより早く、部屋の扉が叩かれる音がした。
返事をして入ってきたのは、噂をすればというやつなのか、ロウェルだ。
ハッとしてミイスの方を見ると、まるで「ごゆっくり」とでも言うように、一つウインクを飛ばして部屋を出ていった。
「ちょ、ミイス……」
呼び止める間もなく彼女が去っていくと、苦笑するロウェルがセレンの手を取った。
「俺と二人きりは嫌?」
「そ……そういうわけじゃ」
ごにょごにょと歯切れ悪く呟きながら、セレンは仕方なくソファを勧めた。彼は当然のように隣へ腰を下ろす。
それに慣れつつある自分に、落ち着かないものを感じて、セレンは照れ隠しのように茶を飲み下した。
「セレンティーネ」
目を眇めてその様子を見守っていたロウェルが、甘い声でセレンの名を呟く。
「これ、今日のプレゼント」
そう言って差し出されたのは、白い花をリボンで纏めただけのブーケだ。
「あ、ありがとう。その、茶も……。ミイスから聞いた」
「……ああ」
ロウェルは何故か困ったように淡く微笑む。
その静かな、どこか悲しげな表情を、時折彼は滲ませる。
セレンにはその理由が分からないまま、いつか知る時がくるのだろうか、と夢想する。
この男が傍にいること。
それが当たり前になればよいのに、とセレンは思いはじめていた。
受け取った花束に顔を寄せる。
冷たいと形容されがちなセレンとは、似ても似つかない可憐な花だ。
「よく似合うよ」
そんなことを嘯きながら、こめかみに口付けるロウェルに、セレンは曖昧に頷いた。
#玉座の憧憬_本編 13
結局、ロウェルは何をしに来たのだろう。
彼が持参した書状には、セレンのアキュイラ領主就任を言祝ぐ内容しか書かれていなかったし、それを届けに来ただけにしては、長期滞在する理由がない。
だがその理由を訊ねてみても、「セレンティーネの傍にいたいから」という、本気なのか冗談なのか分からない言葉ではぐらかされていた。
そう、はぐらかされた、と思っていたのだけれど――。
セレンはミイスの淹れた甘い茶の香りに、ふと目を眇めた。
「今日はいつもと匂いが違うんだな」
「ふふ。ご明察です、姫様。ロウェルさんに頂いたんですよ。姫様のお疲れが取れるように、って」
「そ、そうか……」
にまにまとするミイスから視線を逸らす。
ロウェルがここに滞在しはじめてからしばしが経ったが、彼は二日と空けずこうして方々から贈り物をしてきていた。
そんな姿を見ていれば、憎からず思われているのだろうと、どうしても考えてしまう。
あの戯言のような言葉が、本気だったのではないか、と。
だが、そんなことがあり得るのだろうか……。
セレンは湯気の燻る明るいオレンジ色をした茶を、ほんの少し口に含んだ。
少し甘すぎる気はしたが、鼻を抜ける柑橘のような香りは清涼感があり、気分を落ち着けてくれる。
小さく息をつき、ふとミイスが茶器を二人分用意していることに気付く。
それは誰の、とセレンが問うより早く、部屋の扉が叩かれる音がした。
返事をして入ってきたのは、噂をすればというやつなのか、ロウェルだ。
ハッとしてミイスの方を見ると、まるで「ごゆっくり」とでも言うように、一つウインクを飛ばして部屋を出ていった。
「ちょ、ミイス……」
呼び止める間もなく彼女が去っていくと、苦笑するロウェルがセレンの手を取った。
「俺と二人きりは嫌?」
「そ……そういうわけじゃ」
ごにょごにょと歯切れ悪く呟きながら、セレンは仕方なくソファを勧めた。彼は当然のように隣へ腰を下ろす。
それに慣れつつある自分に、落ち着かないものを感じて、セレンは照れ隠しのように茶を飲み下した。
「セレンティーネ」
目を眇めてその様子を見守っていたロウェルが、甘い声でセレンの名を呟く。
「これ、今日のプレゼント」
そう言って差し出されたのは、白い花をリボンで纏めただけのブーケだ。
「あ、ありがとう。その、茶も……。ミイスから聞いた」
「……ああ」
ロウェルは何故か困ったように淡く微笑む。
その静かな、どこか悲しげな表情を、時折彼は滲ませる。
セレンにはその理由が分からないまま、いつか知る時がくるのだろうか、と夢想する。
この男が傍にいること。
それが当たり前になればよいのに、とセレンは思いはじめていた。
受け取った花束に顔を寄せる。
冷たいと形容されがちなセレンとは、似ても似つかない可憐な花だ。
「よく似合うよ」
そんなことを嘯きながら、こめかみに口付けるロウェルに、セレンは曖昧に頷いた。
2025/08/22 00:00:02
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 12
急な来客ということで、身繕いはそこそこにしてセレンは客人の元へと向かう。
もっと着飾らせたかったらしいミイスの不満げな視線を背中に感じながらも、それに気付かぬ振りで歩を進めた。
「ここだな?」
頷くミイスの姿を確認して、セレンは扉を叩いてからゆっくりと開ける。
「お待たせして申し訳な――…………」
だが、口にした謝罪を最後まで言い切る前に、セレンはそこにいた人物に、ぽかんと口を開けたまま呆けてしまう。
固まったままのセレンに、彼はスッと立ち上がると、信じられないほど様になった礼をとった。
「お会い頂けまして大変光栄にございます、殿下」
「なっ……、な――」
セレンの手を取り、その指先に口付ける男の仕草は板についていて、一朝一夕で身につけたものではないとわかる。だからこそよけいに混乱しながらも、セレンはどうにか声を絞り出した。
「どうして、お前がここにいるんだ!!」
そう叫ぶと彼――ロウェルは、イタズラが成功したように、ニヤリと笑う。
「どうして、って。お仕事だよ。お仕事」
ロウェルの「お仕事」という言葉で、使者の護衛でもしているのかと思い辺りを見渡すが、どこを見ても彼以外に誰もいない。
その仕草でセレンが何を考えているのか察しがついたらしく、彼はくすくすと笑った。
「そんな必死で探しても、俺以外いないぞ? ロムーリャからの使者は俺だからな」
断言されてしまい、セレンはますます混乱する。
「だ、だが、傭兵だって言ってたじゃないか!」
「傭兵、み、た、い、な、って言っただろ?」
セレンはロウェルの半笑いをしたままの反論に、ぐぬと言葉を詰まらせた。
たしかに、そう言われた気がする。
しかし、なんとも納得できずに顔をしかめていると、ロウェルがぽんとセレンの肩に手を置いた。
「揶揄って悪かったよ。さ、座ろう」
促されてソファに腰を下ろすと、彼もその隣に座る。
膝の上に置いた手は握られ、太腿は触れあいそうなほど近い。
明らかに領主と使者の距離感ではなかったが、セレンがそれに気付くほど平静を取り戻した頃には随分時間が経っていて、今更指摘できそうもなかった。
どことなく気まずさを感じながら、セレンは俯き加減で口を開く。
「お前、いつから私が『セレンティーネ』だと?」
「……まあ、暫く一緒にいたんだ。やんごとなき身分の方だってことくらい、すぐわかるさ」
「そういうものか……」
「セレンティーネ」
耳元で囁かれる名前に肩が跳ねた。
「拗ねてないで、そろそろこっち向いてよ」
「なっ、拗ねてなんか……」
顔を上げると、ロウェルと目が間近で合って口を噤んでしまう。
ロウェルは微笑を浮かべると、セレンの耳元に顔を寄せる。
「さみしかった?」
「だ、誰が……っ」
「そう? 俺はさみしかったけど……」
耳朶に触れる吐息に、セレンはぎゅっと目を瞑る。
身体と心に未知の感覚が湧き起こる。
それに怖気づきながらも、何故か逃げようとは思えなかった。
「ね。俺もっとセレンティーネの傍にいたいんだけど……、だめか?」
「っ、好きに……したらいい」
セレンが小さく頷くと、ロウェルは小さく嘆息した。
「……ありがとう、セレンティーネ」
背中に回った彼の腕に緊張しながら、セレンは安堵の混じるロウェルの声音に不思議なものを感じていた。
#玉座の憧憬_本編 12
急な来客ということで、身繕いはそこそこにしてセレンは客人の元へと向かう。
もっと着飾らせたかったらしいミイスの不満げな視線を背中に感じながらも、それに気付かぬ振りで歩を進めた。
「ここだな?」
頷くミイスの姿を確認して、セレンは扉を叩いてからゆっくりと開ける。
「お待たせして申し訳な――…………」
だが、口にした謝罪を最後まで言い切る前に、セレンはそこにいた人物に、ぽかんと口を開けたまま呆けてしまう。
固まったままのセレンに、彼はスッと立ち上がると、信じられないほど様になった礼をとった。
「お会い頂けまして大変光栄にございます、殿下」
「なっ……、な――」
セレンの手を取り、その指先に口付ける男の仕草は板についていて、一朝一夕で身につけたものではないとわかる。だからこそよけいに混乱しながらも、セレンはどうにか声を絞り出した。
「どうして、お前がここにいるんだ!!」
そう叫ぶと彼――ロウェルは、イタズラが成功したように、ニヤリと笑う。
「どうして、って。お仕事だよ。お仕事」
ロウェルの「お仕事」という言葉で、使者の護衛でもしているのかと思い辺りを見渡すが、どこを見ても彼以外に誰もいない。
その仕草でセレンが何を考えているのか察しがついたらしく、彼はくすくすと笑った。
「そんな必死で探しても、俺以外いないぞ? ロムーリャからの使者は俺だからな」
断言されてしまい、セレンはますます混乱する。
「だ、だが、傭兵だって言ってたじゃないか!」
「傭兵、み、た、い、な、って言っただろ?」
セレンはロウェルの半笑いをしたままの反論に、ぐぬと言葉を詰まらせた。
たしかに、そう言われた気がする。
しかし、なんとも納得できずに顔をしかめていると、ロウェルがぽんとセレンの肩に手を置いた。
「揶揄って悪かったよ。さ、座ろう」
促されてソファに腰を下ろすと、彼もその隣に座る。
膝の上に置いた手は握られ、太腿は触れあいそうなほど近い。
明らかに領主と使者の距離感ではなかったが、セレンがそれに気付くほど平静を取り戻した頃には随分時間が経っていて、今更指摘できそうもなかった。
どことなく気まずさを感じながら、セレンは俯き加減で口を開く。
「お前、いつから私が『セレンティーネ』だと?」
「……まあ、暫く一緒にいたんだ。やんごとなき身分の方だってことくらい、すぐわかるさ」
「そういうものか……」
「セレンティーネ」
耳元で囁かれる名前に肩が跳ねた。
「拗ねてないで、そろそろこっち向いてよ」
「なっ、拗ねてなんか……」
顔を上げると、ロウェルと目が間近で合って口を噤んでしまう。
ロウェルは微笑を浮かべると、セレンの耳元に顔を寄せる。
「さみしかった?」
「だ、誰が……っ」
「そう? 俺はさみしかったけど……」
耳朶に触れる吐息に、セレンはぎゅっと目を瞑る。
身体と心に未知の感覚が湧き起こる。
それに怖気づきながらも、何故か逃げようとは思えなかった。
「ね。俺もっとセレンティーネの傍にいたいんだけど……、だめか?」
「っ、好きに……したらいい」
セレンが小さく頷くと、ロウェルは小さく嘆息した。
「……ありがとう、セレンティーネ」
背中に回った彼の腕に緊張しながら、セレンは安堵の混じるロウェルの声音に不思議なものを感じていた。
2025/08/22 00:00:01
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 11
「…………はぁ」
物思いに沈んでいたセレンは、無意識に頬を指で辿る。
アキュイラの城へと到着してから――、ロウェルとの別れから、数日。
王都から突然やってきた余所者の王女を、この地の人々はあたたかく迎えてくれた。
なんでも、頻繁に変わってしまう代官ではなく、「領主」が、それも王女がやってきた、というのが嬉しいらしい。
以前は他領と変わらず貴族家の一つが治めていたアキュイラだが、彼らは横領やらなんやらと悪事を働いて罷免され、それ以降なかなか後任が見つからず、現在に至る。
代官の任期は基本的に一、二年。当座を乗り切るには十分だが、先を見据え、長期目線での領地運営は難しい。
そういう事情を聞けば、領主邸で働く人々が喜ぶのも理解できた。
また、セレンの赴任までこの地を守っていた代官も、引き継ぎのために当面残ることになっているのだが、彼が王女を歓迎する雰囲気を作ってくれていたのも大きいだろう。
現在セレンは、その代官に執務の内容を教わりながら、アキュイラの地について学びを進めている。
冷たい王宮とは違う、あたたかな空気。
王女ではなく、「セレン」に向けられる笑顔。
まだここに到着してから、片手で数えられる程度の日数しか経っていないにもかかわらず、安心と充足を――感じたことのない居心地の良さを覚えていた。
「……私は」
このまま、ここで生きていってはいけないだろうか。
母の願いも何もかも忘れて。
すり、と頬を指で辿る。
あんな風に触れられたのは、はじめてだった。
人の手というものは、あんなにも……やわらかにふれるものなの――?
「わたしは……」
その時、控えめなノックの音が聞こえて、セレンは顔を跳ね上げた。
「っ、誰だ?」
「ミイスです」
入室を許可すると、どこか怪訝な顔をしたミイスが入ってくる。
「どうした?」
「その、姫様にお客様だそうで……」
「……客?」
自分をこんな辺境まで訪ねてくる「客」に、まったく心当たりがない。
「どなただ?」
「ロムーリャ公国からの使者様だそうです」
セレンはますます首を捻る。
ロムーリャ公国――。ここ、ウィレミニア王国の属国であり、アレイストの母がいる国だ。
ミイスによると、セレンのアキュイラ領主就任を祝いにきた、ということだが……。
「何故……?」
「さあ…………」
弟ならばともかく、セレンに公国との直接的な繋がりはない。アキュイラが国境を接しているわけでもなく、理由がよく分からなかった。
だが、相手は公国の印璽が押された書状を持っているとかで、無下にすることもできなかったそうだ。
「どうされます?」
「……会う」
訝しむ気持ちが無いではなかったが、正式な使者として訪ねてきたのならば、自分が対応する他ない。
セレンは仕方なく立ち上がると、客人を待たせているという応接室へ向かった。
#玉座の憧憬_本編 11
「…………はぁ」
物思いに沈んでいたセレンは、無意識に頬を指で辿る。
アキュイラの城へと到着してから――、ロウェルとの別れから、数日。
王都から突然やってきた余所者の王女を、この地の人々はあたたかく迎えてくれた。
なんでも、頻繁に変わってしまう代官ではなく、「領主」が、それも王女がやってきた、というのが嬉しいらしい。
以前は他領と変わらず貴族家の一つが治めていたアキュイラだが、彼らは横領やらなんやらと悪事を働いて罷免され、それ以降なかなか後任が見つからず、現在に至る。
代官の任期は基本的に一、二年。当座を乗り切るには十分だが、先を見据え、長期目線での領地運営は難しい。
そういう事情を聞けば、領主邸で働く人々が喜ぶのも理解できた。
また、セレンの赴任までこの地を守っていた代官も、引き継ぎのために当面残ることになっているのだが、彼が王女を歓迎する雰囲気を作ってくれていたのも大きいだろう。
現在セレンは、その代官に執務の内容を教わりながら、アキュイラの地について学びを進めている。
冷たい王宮とは違う、あたたかな空気。
王女ではなく、「セレン」に向けられる笑顔。
まだここに到着してから、片手で数えられる程度の日数しか経っていないにもかかわらず、安心と充足を――感じたことのない居心地の良さを覚えていた。
「……私は」
このまま、ここで生きていってはいけないだろうか。
母の願いも何もかも忘れて。
すり、と頬を指で辿る。
あんな風に触れられたのは、はじめてだった。
人の手というものは、あんなにも……やわらかにふれるものなの――?
「わたしは……」
その時、控えめなノックの音が聞こえて、セレンは顔を跳ね上げた。
「っ、誰だ?」
「ミイスです」
入室を許可すると、どこか怪訝な顔をしたミイスが入ってくる。
「どうした?」
「その、姫様にお客様だそうで……」
「……客?」
自分をこんな辺境まで訪ねてくる「客」に、まったく心当たりがない。
「どなただ?」
「ロムーリャ公国からの使者様だそうです」
セレンはますます首を捻る。
ロムーリャ公国――。ここ、ウィレミニア王国の属国であり、アレイストの母がいる国だ。
ミイスによると、セレンのアキュイラ領主就任を祝いにきた、ということだが……。
「何故……?」
「さあ…………」
弟ならばともかく、セレンに公国との直接的な繋がりはない。アキュイラが国境を接しているわけでもなく、理由がよく分からなかった。
だが、相手は公国の印璽が押された書状を持っているとかで、無下にすることもできなかったそうだ。
「どうされます?」
「……会う」
訝しむ気持ちが無いではなかったが、正式な使者として訪ねてきたのならば、自分が対応する他ない。
セレンは仕方なく立ち上がると、客人を待たせているという応接室へ向かった。
2025/08/22 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 10
セレンの心配をよそに、一行は何の問題も起こらないまま、アキュイラの地を踏んだ。
国境地帯ではあるものの、もう何十年と戦の起こっていない街は美しく整備され、馬車から見るその光景は両国の平和を象徴しているように思えた。
これから、自分はこの場所で生きて、そして死んでいくのだろうか。
ほんの少し、胸の中に寂寥が浮かぶ。だがそれと同じくらい、この美しい街を守っていくという役目は、そう悪いものではないのかもしれないとも思う。
「――少し、街を歩いてみたいんだが」
ぽつりと零れた言葉にミイスがにっこりと微笑み、程なくして馬車は街の広場に停車したのだった。
ロウェルの手を借りて地面へと降りたセレンは、王都とはまた違うアキュイラの街並みに、きょろきょろと視線を巡らせる。
そんなセレンにくすとロウェルが笑みを漏らす。
「楽しそうだな」
「なっ……そ、そんなんじゃないっ。私は周囲を警戒して――」
「はいはい、そういうことにしといてやるよ」
苦笑しながら髪をかき混ぜる手に、セレンはますます目を吊り上げる。
「だから、髪を乱すのはやめろと――」
セレンが拳を握ると、彼は手を離して肩を竦めた。
「まあ、なんにせよ無事に着いてよかったじゃないか」
「……ああ」
「んじゃ、俺もお役御免だな」
そう言って、ニッと笑うロウェルに、セレンは虚を突かれる。
「は――?」
「おいおい。元々アキュイラまでの護衛、っていう契約だったろ? 忘れちまったか?」
「そういうわけじゃ……」
たしかに、目的の場所まで到着はした。だが、てっきり城まで――、これからセレンが住むことになる場所までは着いて来るのかと思っていたのだ。
まだ別れまで暫しの猶予があると思っていた――。
だが、ロウェルは「お役御免」という言葉を取り消す気配もなく、セレンは呆然としたまま、どうにか謝礼金の手配だけは指示をする。
ロウェルは受け取った袋を開けて、ザッと中身を確認するとすぐに懐にしまった。
「はいよ、たしかに」
セレンは何と言ってよいか分からずに、ただロウェルの姿を無言で見つめる。
「それじゃあな」
「…………ああ」
ここで彼を引き留める理由など存在しない。
セレンは俯きながら、こくりと頷いた。
だが、彼はすぐには去ろうとせず、小さく嘆息する。そして、セレンの俯いた視界に彼の手が伸びてくる。
「な、に……」
頬をすべる指に、上を向かされる。
感情の読めない彼の目と視線が絡んで、セレンはぴくりと肩を跳ねさせた。
「そんな顔しなくても、すぐに会える。またな、セレンティーネ」
「え……」
ロウェルの唇が頬をかすめてゆく。
セレンは彼の体温が移ったかのように熱い頬を押さえながら、今度こそ去っていくロウェルの背中をただ見送った。
#玉座の憧憬_本編 10
セレンの心配をよそに、一行は何の問題も起こらないまま、アキュイラの地を踏んだ。
国境地帯ではあるものの、もう何十年と戦の起こっていない街は美しく整備され、馬車から見るその光景は両国の平和を象徴しているように思えた。
これから、自分はこの場所で生きて、そして死んでいくのだろうか。
ほんの少し、胸の中に寂寥が浮かぶ。だがそれと同じくらい、この美しい街を守っていくという役目は、そう悪いものではないのかもしれないとも思う。
「――少し、街を歩いてみたいんだが」
ぽつりと零れた言葉にミイスがにっこりと微笑み、程なくして馬車は街の広場に停車したのだった。
ロウェルの手を借りて地面へと降りたセレンは、王都とはまた違うアキュイラの街並みに、きょろきょろと視線を巡らせる。
そんなセレンにくすとロウェルが笑みを漏らす。
「楽しそうだな」
「なっ……そ、そんなんじゃないっ。私は周囲を警戒して――」
「はいはい、そういうことにしといてやるよ」
苦笑しながら髪をかき混ぜる手に、セレンはますます目を吊り上げる。
「だから、髪を乱すのはやめろと――」
セレンが拳を握ると、彼は手を離して肩を竦めた。
「まあ、なんにせよ無事に着いてよかったじゃないか」
「……ああ」
「んじゃ、俺もお役御免だな」
そう言って、ニッと笑うロウェルに、セレンは虚を突かれる。
「は――?」
「おいおい。元々アキュイラまでの護衛、っていう契約だったろ? 忘れちまったか?」
「そういうわけじゃ……」
たしかに、目的の場所まで到着はした。だが、てっきり城まで――、これからセレンが住むことになる場所までは着いて来るのかと思っていたのだ。
まだ別れまで暫しの猶予があると思っていた――。
だが、ロウェルは「お役御免」という言葉を取り消す気配もなく、セレンは呆然としたまま、どうにか謝礼金の手配だけは指示をする。
ロウェルは受け取った袋を開けて、ザッと中身を確認するとすぐに懐にしまった。
「はいよ、たしかに」
セレンは何と言ってよいか分からずに、ただロウェルの姿を無言で見つめる。
「それじゃあな」
「…………ああ」
ここで彼を引き留める理由など存在しない。
セレンは俯きながら、こくりと頷いた。
だが、彼はすぐには去ろうとせず、小さく嘆息する。そして、セレンの俯いた視界に彼の手が伸びてくる。
「な、に……」
頬をすべる指に、上を向かされる。
感情の読めない彼の目と視線が絡んで、セレンはぴくりと肩を跳ねさせた。
「そんな顔しなくても、すぐに会える。またな、セレンティーネ」
「え……」
ロウェルの唇が頬をかすめてゆく。
セレンは彼の体温が移ったかのように熱い頬を押さえながら、今度こそ去っていくロウェルの背中をただ見送った。
2025/08/20 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 9
結局、セレンはロウェルの同行を正式に許可した。
一度は「勝手にしろ」と言ってしまったのもあるが、実際、怪我人の多い現状人手はあって困ることはないからだ。
それに、あまりに頑迷なのも、子供っぽい意地のように思えてしまったというのもある。
ロウェルを負傷した御者の補佐に当てて、旅路が続く。
数日が経ち、いくつか山を超えはしたものの、あの時のような襲撃はなく、穏やかに時間が過ぎていった。
はじめに抱いていたロウェルへの警戒が、日ごとに薄れていく、
それと同時に、胸の奥で燻っていた「ある疑念」も、己の勘違いだったように思えてきていた。
「なあ、なんか気になることでもあるのか?」
ある日の野営中、不意にロウェルから問いかけられたセレンは、驚いて顔を上げた。
「……私は、そんなに変な顔をしていたか?」
「いんや。ただ……、たまーに周りを見回しているだろ。――警戒するみたいに」
セレンは思わぬ指摘に息を飲んだ。
この男は、存外周囲をよく見ている。傭兵をやっていくには、この程度の抜け目のなさは必要なのだろうか。
セレンはしばし考えたあと、素直に首を縦に振った。
「本当に、襲撃はあの一度きりの偶然だったのか、って」
「なにそれ。ただの物取りじゃなかったって言いたいのか?」
彼の問いに首肯する。
「荷が目的には、見えなかったんだ」
馬車の外へ飛び出した瞬間に感じた殺気を思い出す。
もしも積荷や金が目的ならば、セレンをはじめとした女には、生きていてもらった方が都合が良いはずだ。護衛たちは目的の妨げになるため殺すとしても、それ以外は――、売るなり、犯すなり、使い道がある。
ここウィレミニアでは、表向き人身売買は禁止されているものの、合法以外の方法ならばいくらでもあった。
ずっと考えていた疑念を口にすると、ロウェルは腕を組んで首を捻る。
「うぅん……、言いたいことは分かるが、それだけじゃあなぁ……」
セレンが押し黙っていると、ロウェルが顔を覗き込んできて、枝垂れていた前髪を耳にかけてくる。
「それだけが理由じゃなかったり?」
「…………ああ。お前は…奴らの武器を見たか?」
「武器?」
ロウェルは目を瞬かせる。
「奴らの使っていた武器が……、お――私の家に仕える者たちに支給されているものに似ていた気がして」
王宮、と言いかけて慌てて訂正する。
ロウェルは不自然に途切れた言葉には気付かなかったらしく、ただ驚いた顔をする。
「――んだな」
「何?」
「いや、身内から狙われてるの思ってるのか、と驚いて」
「無い話じゃないさ」
セレンは苦笑を浮かべた。
己の存在は、躍起になって消すほどではないと思っていたが、彼らにとってはそうではなかったのかもしれない。
「弟は、……家督を継ぐのに私が邪魔だろうし、父だって、きっと――」
アキュイラへの赴任も、自身を排除するための方便だったのだろうか。
セレンが唇を噛んで俯くと、突然頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「ちょっ、何をするんだ!」
「いや……。あんまさ、悲観するなよー、って思って」
顔を上げると、軽い調子の言葉とは裏腹に、どこか思い詰めたような顔をするロウェルと目が合った。
その表情に、ぎゅっと胸を掴まれた心地になる。
「……うるさい。悲観なんかしてないっ」
セレンはぷいっと顔を背けると、彼の手を払って髪を整える。
「そ? ならいいけど」
ちらっと視線だけ戻すと、もうロウェルはいつもどおりの顔をしていた。
セレンはそのことに、密かな安堵を覚えたのだった。
#玉座の憧憬_本編 9
結局、セレンはロウェルの同行を正式に許可した。
一度は「勝手にしろ」と言ってしまったのもあるが、実際、怪我人の多い現状人手はあって困ることはないからだ。
それに、あまりに頑迷なのも、子供っぽい意地のように思えてしまったというのもある。
ロウェルを負傷した御者の補佐に当てて、旅路が続く。
数日が経ち、いくつか山を超えはしたものの、あの時のような襲撃はなく、穏やかに時間が過ぎていった。
はじめに抱いていたロウェルへの警戒が、日ごとに薄れていく、
それと同時に、胸の奥で燻っていた「ある疑念」も、己の勘違いだったように思えてきていた。
「なあ、なんか気になることでもあるのか?」
ある日の野営中、不意にロウェルから問いかけられたセレンは、驚いて顔を上げた。
「……私は、そんなに変な顔をしていたか?」
「いんや。ただ……、たまーに周りを見回しているだろ。――警戒するみたいに」
セレンは思わぬ指摘に息を飲んだ。
この男は、存外周囲をよく見ている。傭兵をやっていくには、この程度の抜け目のなさは必要なのだろうか。
セレンはしばし考えたあと、素直に首を縦に振った。
「本当に、襲撃はあの一度きりの偶然だったのか、って」
「なにそれ。ただの物取りじゃなかったって言いたいのか?」
彼の問いに首肯する。
「荷が目的には、見えなかったんだ」
馬車の外へ飛び出した瞬間に感じた殺気を思い出す。
もしも積荷や金が目的ならば、セレンをはじめとした女には、生きていてもらった方が都合が良いはずだ。護衛たちは目的の妨げになるため殺すとしても、それ以外は――、売るなり、犯すなり、使い道がある。
ここウィレミニアでは、表向き人身売買は禁止されているものの、合法以外の方法ならばいくらでもあった。
ずっと考えていた疑念を口にすると、ロウェルは腕を組んで首を捻る。
「うぅん……、言いたいことは分かるが、それだけじゃあなぁ……」
セレンが押し黙っていると、ロウェルが顔を覗き込んできて、枝垂れていた前髪を耳にかけてくる。
「それだけが理由じゃなかったり?」
「…………ああ。お前は…奴らの武器を見たか?」
「武器?」
ロウェルは目を瞬かせる。
「奴らの使っていた武器が……、お――私の家に仕える者たちに支給されているものに似ていた気がして」
王宮、と言いかけて慌てて訂正する。
ロウェルは不自然に途切れた言葉には気付かなかったらしく、ただ驚いた顔をする。
「――んだな」
「何?」
「いや、身内から狙われてるの思ってるのか、と驚いて」
「無い話じゃないさ」
セレンは苦笑を浮かべた。
己の存在は、躍起になって消すほどではないと思っていたが、彼らにとってはそうではなかったのかもしれない。
「弟は、……家督を継ぐのに私が邪魔だろうし、父だって、きっと――」
アキュイラへの赴任も、自身を排除するための方便だったのだろうか。
セレンが唇を噛んで俯くと、突然頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「ちょっ、何をするんだ!」
「いや……。あんまさ、悲観するなよー、って思って」
顔を上げると、軽い調子の言葉とは裏腹に、どこか思い詰めたような顔をするロウェルと目が合った。
その表情に、ぎゅっと胸を掴まれた心地になる。
「……うるさい。悲観なんかしてないっ」
セレンはぷいっと顔を背けると、彼の手を払って髪を整える。
「そ? ならいいけど」
ちらっと視線だけ戻すと、もうロウェルはいつもどおりの顔をしていた。
セレンはそのことに、密かな安堵を覚えたのだった。
2025/08/19 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 8
外へ出ると薄い夜着を風が吹き抜けていく。
何か羽織って来るべきだった、と身を震わせつつ、宿の裏庭を当てもなく歩く。
ぼんやりと夜空を見上げながら建物の角を曲がると、ふと人の気配を感じてセレンは視線を戻した。
「あ……」
そこには昼間の男が木箱に腰掛けて、こちらを見ていた。
「よぉ。……寝れねぇの?」
不意打ちの邂逅に固まっていると、男は呑気な様子でひらひらと手を振った。
「何故ここに……」
「お嬢さんと同じだと思うけど?」
なんと答えてよいか分からず黙っていると、彼は気にした様子もなくへらりと笑って、隣に置いていた瓶を持ち上げた。
「飲む?」
「……酒か? 今はそんな気分じゃ……」
「いいから、いいから」
男はセレンの話など聞きもせず、小さなグラスに瓶の中身を注いで差し出してきた。
それを無視するのも決まりが悪く、セレンは仕方なくそれを受け取ると、彼が座っているのとは別の木箱に腰を降ろした。
「お、や~っと座ってくれたな」
にやにやと笑う男を無視して、セレンは薄赤色をした酒を一口飲む。ほのかに香る果物の匂いが強すぎない酒精と共に喉を滑り落ちていく。
「……酒なんて、久し振りだ」
王女として出席する会食などで飲むことはあったが、私的な時間で酒を口にしたことなどあっただろうか。
不思議と好みにあう甘めのそれをあっという間に飲み干すと、男はグラスに継ぎ足してくれながら言った。
「そうなのか。酒は悪くないぞ。……嫌なことも忘れさせてくれる」
彼も別のグラスに酒を注いで、それを飲む。
「嫌なこと……? 貴方――……、あ、と……」
名を呼ぼうとして、まだ聞いていなかったことを思い出す。いくら怪しんでいたとはいえ、命の恩人に名前さえ尋ねていなかったのかと恥ずかしくなった。
そわそわとするセレンに、彼はくっと笑って言った。
「俺はロウェル。お嬢さんは?」
「……セレン」
本名をそのまま答えるのはまずいと思い、略称を答える。
「へぇ、美人は名前まで綺麗なんだな」
さらっとそんなことを言われて、思いがけずセレンの頬は赤くなる。だが、それに気付かぬ振りをして、話を戻した。
「そ、それで。貴方も……忘れたいことがあるのか?」
「『も』ね……。お嬢さんはどうなんだ?」
ロウェルの問いに、冷たい母の声が甦った気がした。
だが、それを振り払うように小さく首を振る。
「別に大したことじゃない。少し……、夢見が悪かっただけだ」
「夢……ね。嫌な過去でも思い出した?」
やわらかな声音で続く問いに、セレンは素直に頷いていた。
酒が緊張も警戒すらも和らげていたのかもしれない。
「……貴方は?」
「俺は――」
ロウェルはグラスに口をつけながら、遠くにある細い月を見つめる。
「犯した罪と……贖罪について、かな」
出会って以降彼が纏っていた、どことなく軽薄な空気がフッと煙のように消えた。
「贖罪……?」
ちらりとロウェルがこちらを悔いて、セレンはその暗い瞳にびくりと肩を震わせた。
だが、その一瞬後には、彼は再び仮面を被り直すかのように、軽く笑う。
「なんてな。そんな重いもんじゃねぇさ」
誤魔化すような笑みにセレンは何も言えなくなる。
だが何故か、あの深い闇を思わせる目が、この男の本質な気がして、取り繕ったような言葉を信じる気にはなれなかった。
「……それで、何故…私達について来ようと?」
どうしてそんなことを改めて聞いたのか、セレンは自分でもよく分からなかった。
ただ、もう少し、この男の心の内に触れてみたかったのかもしれない。
だが、彼はもう表情を崩すことなく、軽薄な調子のまま言った。
「言ったろ? ここで会ったのも何かの縁だし、って。今は暇してるから仕事があるとありがたい、ってのもあるけど。でも第一は――」
ロウェルは、ジッとセレンの顔を見つめた。
「第一は、かわいい女がいるから?」
「――は?」
セレンは男の言葉にスッと目を細める。
かわいい女――。たしかに、この一行にはミイスをはじめとした侍女たちが幾人も同行している。
セレンは「この男……」と額に青筋を立てて、ロウェルを睨んだ。
「お前……、ミイスたちに色目を使うなら――」
「は!? 違う違う!」
「何が違うん――」
怒鳴ろうとしたところで、ロウェルが指を差してくる。
「なんだ、この指は」
「本気で言ってる? 俺の言ってる『かわいい女』って、あんたのことなんだけど」
「はあっ!?」
揶揄われてる。絶対に。
セレンはグラスを握る手にギリギリと力を込める。
だが、ロウェルは追い打ちをかけるように、へらへらと笑って言った。
「冗談だよ。あんたは『かわいい』じゃなくて……、綺麗なんだよな」
「っ!!」
いやに真剣な目で言われ、セレンは羞恥のあまりに残っていた酒を呷ると、すくっと立ち上がった。
「馬鹿なことを言うのもいい加減にしろ!」
セレンはグラスをロウェルに押し付けるように返すと、そのままくるりと背を向けてその場を後にしようとする。
だが、その背中に声がかけられる。
「それで? ついてってもいい?」
「~~っ、勝手にしろ!!」
やけっぱちに叫んで、セレンは足早にその場所を後にする。
なんだかんだ、あの男の思惑通りにされてしまったのでは――。と気付いたのは、ふて寝しようと布団をかぶったものの結局眠れずに、ベッドの上で朝日を拝んだ時のことだった。
#玉座の憧憬_本編 8
外へ出ると薄い夜着を風が吹き抜けていく。
何か羽織って来るべきだった、と身を震わせつつ、宿の裏庭を当てもなく歩く。
ぼんやりと夜空を見上げながら建物の角を曲がると、ふと人の気配を感じてセレンは視線を戻した。
「あ……」
そこには昼間の男が木箱に腰掛けて、こちらを見ていた。
「よぉ。……寝れねぇの?」
不意打ちの邂逅に固まっていると、男は呑気な様子でひらひらと手を振った。
「何故ここに……」
「お嬢さんと同じだと思うけど?」
なんと答えてよいか分からず黙っていると、彼は気にした様子もなくへらりと笑って、隣に置いていた瓶を持ち上げた。
「飲む?」
「……酒か? 今はそんな気分じゃ……」
「いいから、いいから」
男はセレンの話など聞きもせず、小さなグラスに瓶の中身を注いで差し出してきた。
それを無視するのも決まりが悪く、セレンは仕方なくそれを受け取ると、彼が座っているのとは別の木箱に腰を降ろした。
「お、や~っと座ってくれたな」
にやにやと笑う男を無視して、セレンは薄赤色をした酒を一口飲む。ほのかに香る果物の匂いが強すぎない酒精と共に喉を滑り落ちていく。
「……酒なんて、久し振りだ」
王女として出席する会食などで飲むことはあったが、私的な時間で酒を口にしたことなどあっただろうか。
不思議と好みにあう甘めのそれをあっという間に飲み干すと、男はグラスに継ぎ足してくれながら言った。
「そうなのか。酒は悪くないぞ。……嫌なことも忘れさせてくれる」
彼も別のグラスに酒を注いで、それを飲む。
「嫌なこと……? 貴方――……、あ、と……」
名を呼ぼうとして、まだ聞いていなかったことを思い出す。いくら怪しんでいたとはいえ、命の恩人に名前さえ尋ねていなかったのかと恥ずかしくなった。
そわそわとするセレンに、彼はくっと笑って言った。
「俺はロウェル。お嬢さんは?」
「……セレン」
本名をそのまま答えるのはまずいと思い、略称を答える。
「へぇ、美人は名前まで綺麗なんだな」
さらっとそんなことを言われて、思いがけずセレンの頬は赤くなる。だが、それに気付かぬ振りをして、話を戻した。
「そ、それで。貴方も……忘れたいことがあるのか?」
「『も』ね……。お嬢さんはどうなんだ?」
ロウェルの問いに、冷たい母の声が甦った気がした。
だが、それを振り払うように小さく首を振る。
「別に大したことじゃない。少し……、夢見が悪かっただけだ」
「夢……ね。嫌な過去でも思い出した?」
やわらかな声音で続く問いに、セレンは素直に頷いていた。
酒が緊張も警戒すらも和らげていたのかもしれない。
「……貴方は?」
「俺は――」
ロウェルはグラスに口をつけながら、遠くにある細い月を見つめる。
「犯した罪と……贖罪について、かな」
出会って以降彼が纏っていた、どことなく軽薄な空気がフッと煙のように消えた。
「贖罪……?」
ちらりとロウェルがこちらを悔いて、セレンはその暗い瞳にびくりと肩を震わせた。
だが、その一瞬後には、彼は再び仮面を被り直すかのように、軽く笑う。
「なんてな。そんな重いもんじゃねぇさ」
誤魔化すような笑みにセレンは何も言えなくなる。
だが何故か、あの深い闇を思わせる目が、この男の本質な気がして、取り繕ったような言葉を信じる気にはなれなかった。
「……それで、何故…私達について来ようと?」
どうしてそんなことを改めて聞いたのか、セレンは自分でもよく分からなかった。
ただ、もう少し、この男の心の内に触れてみたかったのかもしれない。
だが、彼はもう表情を崩すことなく、軽薄な調子のまま言った。
「言ったろ? ここで会ったのも何かの縁だし、って。今は暇してるから仕事があるとありがたい、ってのもあるけど。でも第一は――」
ロウェルは、ジッとセレンの顔を見つめた。
「第一は、かわいい女がいるから?」
「――は?」
セレンは男の言葉にスッと目を細める。
かわいい女――。たしかに、この一行にはミイスをはじめとした侍女たちが幾人も同行している。
セレンは「この男……」と額に青筋を立てて、ロウェルを睨んだ。
「お前……、ミイスたちに色目を使うなら――」
「は!? 違う違う!」
「何が違うん――」
怒鳴ろうとしたところで、ロウェルが指を差してくる。
「なんだ、この指は」
「本気で言ってる? 俺の言ってる『かわいい女』って、あんたのことなんだけど」
「はあっ!?」
揶揄われてる。絶対に。
セレンはグラスを握る手にギリギリと力を込める。
だが、ロウェルは追い打ちをかけるように、へらへらと笑って言った。
「冗談だよ。あんたは『かわいい』じゃなくて……、綺麗なんだよな」
「っ!!」
いやに真剣な目で言われ、セレンは羞恥のあまりに残っていた酒を呷ると、すくっと立ち上がった。
「馬鹿なことを言うのもいい加減にしろ!」
セレンはグラスをロウェルに押し付けるように返すと、そのままくるりと背を向けてその場を後にしようとする。
だが、その背中に声がかけられる。
「それで? ついてってもいい?」
「~~っ、勝手にしろ!!」
やけっぱちに叫んで、セレンは足早にその場所を後にする。
なんだかんだ、あの男の思惑通りにされてしまったのでは――。と気付いたのは、ふて寝しようと布団をかぶったものの結局眠れずに、ベッドの上で朝日を拝んだ時のことだった。
2025/08/18 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 7
「――っ!」
セレンはガバッと身を起こすと、早鐘を打つ胸を押さえて荒く息をついた。
「…………夢、か」
辺りは暗く夜の帷の中にあったが、自分が使っていたベッドも周囲も、眠る前と何一つ変わっていない。
「母上、は……、やはり――」
セレンが王位につくことを望んでいるのではないか。
王都をどんどんと離れていっているこの現状に、指先が震える。母の意に叛いていることが、酷く恐ろしい。
セレンは震えを誤魔化すようにぎゅっと拳を握って瞑目する。
あの夢は、王太子位を失った十歳の頃を思い起こさせる。
ただ一つ違うのは、アレイストが立太子したあの場に、母は既にいなかったということだ。
だから、実際にああして母に声をかけられたわけではない。
あれはただの幻。死者は甦らない。
頭では理解している、のに。
セレンは自身の身体をぎゅっと抱きしめて、ふると身体を震わせた。
しかし、そんな姿すら情けないものに感じて、その腕を解く。
セレンはきゅっと唇を噛み締めて、足を床に下ろした。
「夜風にでも当たろう……」
このままではとても眠れそうになかったから。
#玉座の憧憬_本編 7
「――っ!」
セレンはガバッと身を起こすと、早鐘を打つ胸を押さえて荒く息をついた。
「…………夢、か」
辺りは暗く夜の帷の中にあったが、自分が使っていたベッドも周囲も、眠る前と何一つ変わっていない。
「母上、は……、やはり――」
セレンが王位につくことを望んでいるのではないか。
王都をどんどんと離れていっているこの現状に、指先が震える。母の意に叛いていることが、酷く恐ろしい。
セレンは震えを誤魔化すようにぎゅっと拳を握って瞑目する。
あの夢は、王太子位を失った十歳の頃を思い起こさせる。
ただ一つ違うのは、アレイストが立太子したあの場に、母は既にいなかったということだ。
だから、実際にああして母に声をかけられたわけではない。
あれはただの幻。死者は甦らない。
頭では理解している、のに。
セレンは自身の身体をぎゅっと抱きしめて、ふると身体を震わせた。
しかし、そんな姿すら情けないものに感じて、その腕を解く。
セレンはきゅっと唇を噛み締めて、足を床に下ろした。
「夜風にでも当たろう……」
このままではとても眠れそうになかったから。
2025/07/30 00:00:00
作品一覧
改稿版更新中
玉座の憧憬 本編:小説・男女恋愛
初稿更新終了
ツンデレ王子様の結婚事情:漫画(字コンテ)・BL
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
初稿更新中
改稿版完結
#玉座の憧憬_本編 16
仕事に集中していれば、雑念は消えてくれた。
だが、ふとその集中が途切れてしまえば、また耳元に母の囁きが落ちる。
――僻地で何をしているの。
――お前は王の子。
――こんな場所で埋もれるべき人間ではない。
そのどれもが、セレンの中に強い苦しみを生んでゆく。
アキュイラは「僻地」でも「こんな場所」でもない。
けれど、母上の言葉には従わなければ……。
ただ立ち止まった中に、葛藤だけが起こっていた。
口を引き結んだセレンは、目の前にある書類へ視線を落とし、内容を確認してペンを走らせる。
そしてまた、次の紙を取ろうとしたほんの一瞬に、母の声が木霊した。
だが、今回はその思考に飲まれ切る前に、机の上に影が落ちる。
ハッとして頭を上げると、そこには神妙な顔をしたロウェルが立っていた。
彼はセレンと目が合うと小さく溜息をついて、握られたままのペンをサッと引き抜いた。
「お、おい、何を……」
眉をひそめたロウェルが、セレンの口元へ人差し指を添える。反論を封じられてしまい、不満げに彼を見上げると、首を横に振られた。
「朝から休んでない、って聞いた。今何時なのか分かってるか?」
「それは……」
答えられずに窓の方へ首を傾けると、空は茜色をしている。もう夜に近いと言って、差し支えない時間だった。
「セレンティーネ」
机の向こう側にいたロウェルが、こちらへ回り込んで傍らに膝をつく。
「どうした? 何かあったか?」
自身よりも幾分背の高い彼から見上げられるのが、少し不思議な感覚がする。
「……何も」
小さく首を横に振って答えた。
そう、何もありはしない。あれは、ただの夢なのだから。
「嘘つけ。目元が赤いぞ」
伸びてきた指が眦を擽る。セレンはその感触に自然と目を閉じていた。
「隈もできてるな……。おいで、少し休もう」
ロウェルに手を引かれると、セレンはそのまま立ち上がってしまう。
どうしてこんなにも素直に応じてしまうのか、自分でも不思議だった。
執務室を出たロウェルは、手を引いたままセレンの自室へ向かう。まるで当然のように中まで入ると、二人掛けのソファの前まで歩き、セレンをそこに座らせるように肩を押した。
「ちょっ……」
「いいから」
隣に腰掛けたロウェルはセレンの頭を引き寄せて、そっと撫でる。
その手が心地よくて、身体の力が抜けてしまう。
けれど、わたしは…こんなことをしている場合では……。
そう思うのに、目蓋まで重くなってきてしまった。
指の一本を動かすことすら億劫になって、大人しくロウェルの肩に身を預ける。彼は心底愛おしむかような手つきでセレンの髪を指で梳いて、頭頂に口付けた。
「なにがあった?」
そっと落とされるやわらかな問いに、セレンは気が付けばぽつと口を開いていた。
「…………夢を、見た…だけだ。わるい……ゆめを」
髪を梳くロウェルの手が一瞬止まって、また動き出す。
「どんな?」
セレンは眠気に抗えなくなり、目を閉じる。
どんな? あれは、どんな夢だっただろう……。ただ一つ、たしかなのは――
「私は、王にならねば……」
「――――、」
ロウェルは何も応えない。
どんな表情をして、彼はセレンの言葉を聞いたのか。
気にはなったが、どうしても目蓋が開かなかった。
セレンの意識が眠りの中へ転がり落ちてゆく。
「……なら、」
耳元を吐息が擽った。
「なら、奪ってしまえ――」
それは、現実のロウェルが発した言葉だったのか、それとも夢現の見せる幻のようなものだったのか。
その答えは分からぬまま、セレンは意識を手放した。