初稿置き場
カテゴリ「玉座の憧憬 本編」(2ページ目)
小説・男女恋愛2025/08/22 00:00:15
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 25
城の裏手にある通用門を目指し、ロウェルは走っていた。
手を握りしめたままのセレンは、奇妙なほど黙りこくったまま付いてきている。だが手が握り返されるわけでもなく、ロウェルが手を離せばそのまま立ち止まってしまいそうなほどに、その目は虚空を見つめていた。
追手はどの程度出されるだろうか。
自分はこんな抜け殻のような彼女を、無事に救い出せるのだろうか。
「っ……」
アレイストの叫びが、未だに消えてくれない。
気を抜けば今すぐ引き返して、「俺はお前のために生きなければならないのに」と、懺悔しに戻りたい衝動に駆られた。
だが、今は後悔などしている場合ではない。
「セレン」
裏庭の門を潜りながら呼びかけると、彼女は緩慢な動作で顔を上げた。
「ひとまず、王都を脱出する。付いてきてくれるか?」
「…………好きにしたら」
やる気も、覇気もない返答に、喉を締められたような心地がした。
俺が、もっと早く決断できていれば――。
「――……なら、好きにする。行こう」
セレンの反応は薄い。ロウェルに促されるまま、通用門付近に隠していた馬に乗って、その後ろにロウェルが騎乗しても何も言わなかった。
馬を出発させる時も、彼女は無反応だった。
それが、これほど胸を突くなんて、ロウェルは想像もしていなかった。
#玉座の憧憬_本編 25
城の裏手にある通用門を目指し、ロウェルは走っていた。
手を握りしめたままのセレンは、奇妙なほど黙りこくったまま付いてきている。だが手が握り返されるわけでもなく、ロウェルが手を離せばそのまま立ち止まってしまいそうなほどに、その目は虚空を見つめていた。
追手はどの程度出されるだろうか。
自分はこんな抜け殻のような彼女を、無事に救い出せるのだろうか。
「っ……」
アレイストの叫びが、未だに消えてくれない。
気を抜けば今すぐ引き返して、「俺はお前のために生きなければならないのに」と、懺悔しに戻りたい衝動に駆られた。
だが、今は後悔などしている場合ではない。
「セレン」
裏庭の門を潜りながら呼びかけると、彼女は緩慢な動作で顔を上げた。
「ひとまず、王都を脱出する。付いてきてくれるか?」
「…………好きにしたら」
やる気も、覇気もない返答に、喉を締められたような心地がした。
俺が、もっと早く決断できていれば――。
「――……なら、好きにする。行こう」
セレンの反応は薄い。ロウェルに促されるまま、通用門付近に隠していた馬に乗って、その後ろにロウェルが騎乗しても何も言わなかった。
馬を出発させる時も、彼女は無反応だった。
それが、これほど胸を突くなんて、ロウェルは想像もしていなかった。
2025/08/22 00:00:14
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 24
久し振りに足を踏み入れた王城は、たった数ヶ月しか離れていなかったにもかかわらず、随分と久しいものに感じた。
アレイストと別れ、父の待つ応接室へと向かう。
アキュイラへの赴任を任じられた謁見の間――、よりは私的な空間だが、それでも「客人」として扱われていると感じてしまう。
ここに自分の居場所は無いのだと、痛感させられた気がした。
無意識で帯剣したままだった剣の柄を握る。その金属が擦れる音で、自身が酷く緊張しているのだと気付く。
目的の部屋まで辿り着くと、案内の従僕が一礼して去ってゆく。一人部屋の中に取り残されたセレンは、数度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。ソファに座る気にはなれなかった。
だが、程なくして叩扉の音がすると、間髪入れずに父が姿を現した。
「セレンティーネ」
呼ばれた名に、拳を握る。
「急に戻ると聞いて驚いた。どうした、何かあったか? 便りも無いゆえ、心配していた――」
白々しい。
この数ヶ月、欠片でも思い出すことなど本当にあったのだろうか。
彼にはアレイストという立派な跡取りが存在する。「王女」は、必要ない――。
「……父上」
セレンは暗い声で呟いた。
「何故、私をここから追い出したのですか」
「なに……?」
父の困惑したような声さえ厭わしい。セレンは嘲笑を浮かべる。
「白を切らずとも結構です。私の存在が邪魔だったのでしょう?」
「セレンティーネ、お前は一体何を……」
「――もういい加減にしてくれ!!」
セレンは堪らず叫ぶ。
「私は……、私は王にならねばならないんだ! そのためには、あんな辺境にいるわけにはいかない!!」
「……セレンティーネッ!?」
気が付くと自分の手に剣が握られている。
頭の片隅に残る冷静な部分が、いつそれを抜いたのだろうと思ったが、腰にある鞘が空になっていると気付く。
ああ、でも。父も弟も、殺してしまえば――、母の願いは成就する。
ならばそれは、とても「良いこと」のように思えた。
「待て! そんなことをしても、お前は『王』にはなれない!」
「……戯言を」
セレンは剣を振り上げた。
彼の言葉は、ただの命乞いにしか聞こえなかったからだ。
分かっているのだ。セレンとて。こんな方法で地位を得ても、長続きなどしないことくらい。それでも――
「私が許しても大臣たちは許さない! お前には――、っ、王家の血が流れていないのだから!!」
「…………は?」
振り下ろした剣が、父の肉体に触れる寸前で、セレンは手を止めた。
今、この男は、何と言った?
止まった刃に安堵したのか、彼は短く息をつくと、後ろに尻もちをついた。
「……本当だ。シエラが、お前の母が直接……、死ぬ間際に言った。だから、お前と私は――」
「黙れ!!」
セレンは、悲鳴のように叫んで、それ以上の言葉を遮った。
「そんな……そんなはず、ない。母様は、わたしを、『王の子』だって……」
だが、それ以上に反論が続かない。
セレンは焦点の合わない目で、床に座り込んだままの父――だと思っていた男を見下ろした。
本当は、どこかで分かっていた。
母譲りの流れるような銀の髪。それ以外、父にも母にも似ていない自分。
母が執拗に繰り返した「お前は王の子なのだから」という言葉が、違う意味を帯びる。
それは、事実とは違うからこそ、繰り返し口にしたのではないだろうか。まるで、言い聞かせるように。
でも、それならば、私は――。
その時、不意に部屋の扉が開いた。
「……アレイスト」
そこに現れた人物の名を、セレンはぼんやりと呟いた。
彼は抜き身の剣を握り締めるセレンに目を丸くしたが、そのすぐ後には楽しそうに笑った。
「なんだ。もしかして、もう言ってしまわれたのですか、陛下?」
二人の状況に驚くでもなく、至極悠然と部屋に入ってきた彼に、セレンはぞっとしたものを感じて、一歩後ずさった。
アレイストはセレンに微笑むと、床に座ったままの父の傍に膝をついた。
「お可哀想に、陛下。愛した娘に剣を向けられて、さぞご心痛のことでしょう。たとえ一滴も血の繋がらぬ娘でも、王女としてこれ以上無いほど、心を砕いてらっしゃったのに」
優しげな声で囁く姿は、これまで見せていた顔と変わらない。
だが――、この男は「誰」だ。
背筋にぞわぞわと怖気が走る。
アレイストは、膝をついたままこちらを見上げた。
「貴女は、とても大切にされていたのですよ。何も知らない、愚かな姉上」
はっきりと言葉にされて、これまでの行動が本当にどれほど「愚か」だったか、思い知らされる。剣を握っていられなくなって手から滑れ落ちたそれが、毛足の長い絨毯に沈んだ。
「さあ、陛下。後は私にお任せを」
そう言いながらアレイストが立ち上がると、開けっ放しだった扉の外に合図を送る。そこに現れた男たち――おそらく、アレイストの臣下たち――が、父を立たせて連れて行った。
「――さて、姉上」
アレイストが、セレンの落とした剣を拾い上げながら言った。
「これで、貴女は立派な反逆者ですね」
その「反逆」という言葉に、びくりと肩が跳ねた。
しかし、何も言い返すことはできずに、一度は開いた口をまた閉じる。
だが、一つ言っておかねばならないことがあると思い出して、声を絞り出した。
「……この件は、私一人の、独断によるものだ。アキュイラは関係ない。だから……」
反逆罪で処されるとして、セレンに連座させられるような親族は存在しない。だが、もしもそちらに害が及んでしまったら、と思ったのだ。今更になって。
どうしてもっと早く、この行動の危険性に思い至れなかったのだろう。
本当に自分は、何もかも遅すぎた。
セレンはきゅっと唇を噛んで、アレイストの返答を待つ。だが彼は、まるで「そんなことか」とでも言うように肩を竦めた。
「知ってますよ。そのくらい」
「……『知ってる』、だって?」
セレンが顔を上げると、アレイストは堪えきれなかったかのように笑いだした。
「なんだ。気付いたから置いてきたんじゃなかったんですね」
「は……?」
アレイストは、セレンの疑問には答えず、突然後ろを向いた。
「お前の演技も中々だったみたいだね、ロウェル」
セレンは瞠目して、アレイストの視線を追う。
そこには、息を切らせて肩で息をするロウェルがいた。
「……アレイスト」
苦虫を噛み潰したような顔で、ロウェルが弟の名を呼んだ。
「あ……」
セレンは小さく喘いで、叫びだしそうになった口を閉じる。
そうか。そういう……。
全てが繋がって、セレンはもう立っていられずに、床に手をついた。
俯いたまま、ぽつりと呟く。
「わたし、貴方に……それほど憎まれていたの、アレイスト」
「……頭の回転は悪くないみたいですね」
セレンの問いを肯定したも同然の言葉に、視界が滲んだ。
ロウェルはアレイストの手先だったのだ。
セレンの心を開かせ、付け込んで――、こうして言い逃れの出来ぬほどの罪を犯させ、確実に葬り去るための。
最初から出来過ぎだった。賊に襲われたところに通りがかるなど都合が良すぎる。はじめは確かに疑っていたはずなのに、いつからこれほど心を許していたのだろう。
自身の存在を疎ましく思っていたのは、彼だったのか。
セレンは顔を上げて、アレイストを見上げた。
彼の持つ剣の刃に部屋の明かりが反射して、場違いなほど綺麗に見えた。
先ほど、セレンがしたように、アレイストが剣を振り上げる。
セレンはその様をじっと見ていた。
ああ、これでやっと――。
迫りくる刃に身体の力を抜こうとした時、突然その動きが止まった。
セレンも、そしてアレイストも驚いた顔をしている。
その剣を止めたのは――、アレイストの腕を掴んだロウェルだった。
アレイストが背後からきつく腕を握りしめるロウェルを睨む。
「何のつもり、っ――」
ロウェルはアレイストの手を軽く捻って、剣を手放させる。
「アレイスト……。俺はもう……お前とは行けない」
「なっ……」
それだけ言うと、ロウェルはセレンの腕を掴んで立たせ、半ば引きずる形で部屋を飛び出した。
「――お前まで、私を捨てるのか……、ロウェル!!」
状況についていけず、されるがまま走るセレンの後ろに、悲鳴のような叫びが聞こえる。
セレンの腕を掴む手が、一瞬震えた気がした。
#玉座の憧憬_本編 24
久し振りに足を踏み入れた王城は、たった数ヶ月しか離れていなかったにもかかわらず、随分と久しいものに感じた。
アレイストと別れ、父の待つ応接室へと向かう。
アキュイラへの赴任を任じられた謁見の間――、よりは私的な空間だが、それでも「客人」として扱われていると感じてしまう。
ここに自分の居場所は無いのだと、痛感させられた気がした。
無意識で帯剣したままだった剣の柄を握る。その金属が擦れる音で、自身が酷く緊張しているのだと気付く。
目的の部屋まで辿り着くと、案内の従僕が一礼して去ってゆく。一人部屋の中に取り残されたセレンは、数度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。ソファに座る気にはなれなかった。
だが、程なくして叩扉の音がすると、間髪入れずに父が姿を現した。
「セレンティーネ」
呼ばれた名に、拳を握る。
「急に戻ると聞いて驚いた。どうした、何かあったか? 便りも無いゆえ、心配していた――」
白々しい。
この数ヶ月、欠片でも思い出すことなど本当にあったのだろうか。
彼にはアレイストという立派な跡取りが存在する。「王女」は、必要ない――。
「……父上」
セレンは暗い声で呟いた。
「何故、私をここから追い出したのですか」
「なに……?」
父の困惑したような声さえ厭わしい。セレンは嘲笑を浮かべる。
「白を切らずとも結構です。私の存在が邪魔だったのでしょう?」
「セレンティーネ、お前は一体何を……」
「――もういい加減にしてくれ!!」
セレンは堪らず叫ぶ。
「私は……、私は王にならねばならないんだ! そのためには、あんな辺境にいるわけにはいかない!!」
「……セレンティーネッ!?」
気が付くと自分の手に剣が握られている。
頭の片隅に残る冷静な部分が、いつそれを抜いたのだろうと思ったが、腰にある鞘が空になっていると気付く。
ああ、でも。父も弟も、殺してしまえば――、母の願いは成就する。
ならばそれは、とても「良いこと」のように思えた。
「待て! そんなことをしても、お前は『王』にはなれない!」
「……戯言を」
セレンは剣を振り上げた。
彼の言葉は、ただの命乞いにしか聞こえなかったからだ。
分かっているのだ。セレンとて。こんな方法で地位を得ても、長続きなどしないことくらい。それでも――
「私が許しても大臣たちは許さない! お前には――、っ、王家の血が流れていないのだから!!」
「…………は?」
振り下ろした剣が、父の肉体に触れる寸前で、セレンは手を止めた。
今、この男は、何と言った?
止まった刃に安堵したのか、彼は短く息をつくと、後ろに尻もちをついた。
「……本当だ。シエラが、お前の母が直接……、死ぬ間際に言った。だから、お前と私は――」
「黙れ!!」
セレンは、悲鳴のように叫んで、それ以上の言葉を遮った。
「そんな……そんなはず、ない。母様は、わたしを、『王の子』だって……」
だが、それ以上に反論が続かない。
セレンは焦点の合わない目で、床に座り込んだままの父――だと思っていた男を見下ろした。
本当は、どこかで分かっていた。
母譲りの流れるような銀の髪。それ以外、父にも母にも似ていない自分。
母が執拗に繰り返した「お前は王の子なのだから」という言葉が、違う意味を帯びる。
それは、事実とは違うからこそ、繰り返し口にしたのではないだろうか。まるで、言い聞かせるように。
でも、それならば、私は――。
その時、不意に部屋の扉が開いた。
「……アレイスト」
そこに現れた人物の名を、セレンはぼんやりと呟いた。
彼は抜き身の剣を握り締めるセレンに目を丸くしたが、そのすぐ後には楽しそうに笑った。
「なんだ。もしかして、もう言ってしまわれたのですか、陛下?」
二人の状況に驚くでもなく、至極悠然と部屋に入ってきた彼に、セレンはぞっとしたものを感じて、一歩後ずさった。
アレイストはセレンに微笑むと、床に座ったままの父の傍に膝をついた。
「お可哀想に、陛下。愛した娘に剣を向けられて、さぞご心痛のことでしょう。たとえ一滴も血の繋がらぬ娘でも、王女としてこれ以上無いほど、心を砕いてらっしゃったのに」
優しげな声で囁く姿は、これまで見せていた顔と変わらない。
だが――、この男は「誰」だ。
背筋にぞわぞわと怖気が走る。
アレイストは、膝をついたままこちらを見上げた。
「貴女は、とても大切にされていたのですよ。何も知らない、愚かな姉上」
はっきりと言葉にされて、これまでの行動が本当にどれほど「愚か」だったか、思い知らされる。剣を握っていられなくなって手から滑れ落ちたそれが、毛足の長い絨毯に沈んだ。
「さあ、陛下。後は私にお任せを」
そう言いながらアレイストが立ち上がると、開けっ放しだった扉の外に合図を送る。そこに現れた男たち――おそらく、アレイストの臣下たち――が、父を立たせて連れて行った。
「――さて、姉上」
アレイストが、セレンの落とした剣を拾い上げながら言った。
「これで、貴女は立派な反逆者ですね」
その「反逆」という言葉に、びくりと肩が跳ねた。
しかし、何も言い返すことはできずに、一度は開いた口をまた閉じる。
だが、一つ言っておかねばならないことがあると思い出して、声を絞り出した。
「……この件は、私一人の、独断によるものだ。アキュイラは関係ない。だから……」
反逆罪で処されるとして、セレンに連座させられるような親族は存在しない。だが、もしもそちらに害が及んでしまったら、と思ったのだ。今更になって。
どうしてもっと早く、この行動の危険性に思い至れなかったのだろう。
本当に自分は、何もかも遅すぎた。
セレンはきゅっと唇を噛んで、アレイストの返答を待つ。だが彼は、まるで「そんなことか」とでも言うように肩を竦めた。
「知ってますよ。そのくらい」
「……『知ってる』、だって?」
セレンが顔を上げると、アレイストは堪えきれなかったかのように笑いだした。
「なんだ。気付いたから置いてきたんじゃなかったんですね」
「は……?」
アレイストは、セレンの疑問には答えず、突然後ろを向いた。
「お前の演技も中々だったみたいだね、ロウェル」
セレンは瞠目して、アレイストの視線を追う。
そこには、息を切らせて肩で息をするロウェルがいた。
「……アレイスト」
苦虫を噛み潰したような顔で、ロウェルが弟の名を呼んだ。
「あ……」
セレンは小さく喘いで、叫びだしそうになった口を閉じる。
そうか。そういう……。
全てが繋がって、セレンはもう立っていられずに、床に手をついた。
俯いたまま、ぽつりと呟く。
「わたし、貴方に……それほど憎まれていたの、アレイスト」
「……頭の回転は悪くないみたいですね」
セレンの問いを肯定したも同然の言葉に、視界が滲んだ。
ロウェルはアレイストの手先だったのだ。
セレンの心を開かせ、付け込んで――、こうして言い逃れの出来ぬほどの罪を犯させ、確実に葬り去るための。
最初から出来過ぎだった。賊に襲われたところに通りがかるなど都合が良すぎる。はじめは確かに疑っていたはずなのに、いつからこれほど心を許していたのだろう。
自身の存在を疎ましく思っていたのは、彼だったのか。
セレンは顔を上げて、アレイストを見上げた。
彼の持つ剣の刃に部屋の明かりが反射して、場違いなほど綺麗に見えた。
先ほど、セレンがしたように、アレイストが剣を振り上げる。
セレンはその様をじっと見ていた。
ああ、これでやっと――。
迫りくる刃に身体の力を抜こうとした時、突然その動きが止まった。
セレンも、そしてアレイストも驚いた顔をしている。
その剣を止めたのは――、アレイストの腕を掴んだロウェルだった。
アレイストが背後からきつく腕を握りしめるロウェルを睨む。
「何のつもり、っ――」
ロウェルはアレイストの手を軽く捻って、剣を手放させる。
「アレイスト……。俺はもう……お前とは行けない」
「なっ……」
それだけ言うと、ロウェルはセレンの腕を掴んで立たせ、半ば引きずる形で部屋を飛び出した。
「――お前まで、私を捨てるのか……、ロウェル!!」
状況についていけず、されるがまま走るセレンの後ろに、悲鳴のような叫びが聞こえる。
セレンの腕を掴む手が、一瞬震えた気がした。
2025/08/22 00:00:13
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 23
セレンは馬車に揺られながら、じっと息を潜めて対面にいるアレイストの様子を窺っていた。
暴漢に襲われ、弟と再会をして、今は二人きりで王都へ向かう馬車の中だ。
どうしてこんなことになっているのか。そもそも、アレイストは何故あんな場所に――?
疑問は尽きないが、彼に殆ど有無を言わせてもらえずに、こんなことになっている。
「姉上」
不意の呼びかけに、セレンは思わずびくりと肩を跳ねさせながら顔を上げた。
アレイストは笑みを浮かべていて……、何を考えているのか分からず、少しだけ不安を覚える。
「……なんだ?」
「いえ。あんな場所でお会いするなんて、驚いたなと思いまして」
「あ、ああ……」
お前こそ、と返すより早く、アレイストが続ける。
「しかも、追われてましたよね。何があったのですか?」
「それは――」
何と答えてよいのか分からず、口を噤む。
いや、そもそもこんな場所まで来た自身の「目的」を考えれば、「世継ぎ」と二人きりの今は、最大の好機なのかもしれない。そんな気持ちが脳裏を掠める。
だが結局は、剣の柄に手を伸ばすことはせずに、口を開いた。
「私にも…分からない。急に襲われたんだ」
「……、そうでしたか。それは怖ろしい。ご無事でよかった」
「そう、だな……」
変わらぬ笑みを向けてくるアレイストだが、セレンの緊張が解けることはない。むしろ、その笑顔の裏で何を考えているのかが恐ろしく、握り締めた手は汗で粘ついている気がした。
彼は何故あの場にいた?
それを都合よく助けられたのは何故だ?
どうして、当然のように王都へ向かっていると知っている?
けれど、そう思うのは――、私が後ろ暗いものを抱えてこの場にいるせいかもしれない。
「――それで、今日は陛下にお会いされようと?」
「ああ……」
アレイストの問いに、緩慢に頷く。
そう。父王に会うために来たのは確かだ。
だが、会った後どうしたらいいのだろう。譲位を迫る? それとも……
「それは、陛下もお喜びになるでしょうね。姉上の顔を見れなくなったのが寂しいと思っておいでのようですから」
「……それは、光栄だな」
そんなことはあり得ない。扱いの厄介な王女を追いやれて、清々しているはずだ。
セレンはそんな本音を心の奥底に封じ込めて、ぎこちなく口端を上げた。
アキュイラへの赴任を命じられた日の怒りが、少しずつ再燃しはじめている。
それを表情に出さないように気を付けつつ、セレンはふと窓の外を見た。
――今日、おそらく全てが終わる。
数ヶ月ぶりの王都を見つめながら、セレンはきつく拳を握りしめた。
#玉座の憧憬_本編 23
セレンは馬車に揺られながら、じっと息を潜めて対面にいるアレイストの様子を窺っていた。
暴漢に襲われ、弟と再会をして、今は二人きりで王都へ向かう馬車の中だ。
どうしてこんなことになっているのか。そもそも、アレイストは何故あんな場所に――?
疑問は尽きないが、彼に殆ど有無を言わせてもらえずに、こんなことになっている。
「姉上」
不意の呼びかけに、セレンは思わずびくりと肩を跳ねさせながら顔を上げた。
アレイストは笑みを浮かべていて……、何を考えているのか分からず、少しだけ不安を覚える。
「……なんだ?」
「いえ。あんな場所でお会いするなんて、驚いたなと思いまして」
「あ、ああ……」
お前こそ、と返すより早く、アレイストが続ける。
「しかも、追われてましたよね。何があったのですか?」
「それは――」
何と答えてよいのか分からず、口を噤む。
いや、そもそもこんな場所まで来た自身の「目的」を考えれば、「世継ぎ」と二人きりの今は、最大の好機なのかもしれない。そんな気持ちが脳裏を掠める。
だが結局は、剣の柄に手を伸ばすことはせずに、口を開いた。
「私にも…分からない。急に襲われたんだ」
「……、そうでしたか。それは怖ろしい。ご無事でよかった」
「そう、だな……」
変わらぬ笑みを向けてくるアレイストだが、セレンの緊張が解けることはない。むしろ、その笑顔の裏で何を考えているのかが恐ろしく、握り締めた手は汗で粘ついている気がした。
彼は何故あの場にいた?
それを都合よく助けられたのは何故だ?
どうして、当然のように王都へ向かっていると知っている?
けれど、そう思うのは――、私が後ろ暗いものを抱えてこの場にいるせいかもしれない。
「――それで、今日は陛下にお会いされようと?」
「ああ……」
アレイストの問いに、緩慢に頷く。
そう。父王に会うために来たのは確かだ。
だが、会った後どうしたらいいのだろう。譲位を迫る? それとも……
「それは、陛下もお喜びになるでしょうね。姉上の顔を見れなくなったのが寂しいと思っておいでのようですから」
「……それは、光栄だな」
そんなことはあり得ない。扱いの厄介な王女を追いやれて、清々しているはずだ。
セレンはそんな本音を心の奥底に封じ込めて、ぎこちなく口端を上げた。
アキュイラへの赴任を命じられた日の怒りが、少しずつ再燃しはじめている。
それを表情に出さないように気を付けつつ、セレンはふと窓の外を見た。
――今日、おそらく全てが終わる。
数ヶ月ぶりの王都を見つめながら、セレンはきつく拳を握りしめた。
2025/08/22 00:00:12
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 22
宿の階段を駆け下りて、セレンはそのまま外へと飛び出す。
だが、そのまま徒歩で王都まで行くわけにはいかないと思い出して、宿の裏手にある厩へと向かった。
もう誰も信用できない。
いや――、そもそも自分以外の誰かに頼ろうとしたこと自体、間違いだった。
一人でやり遂げなければ。ひとりで――、独りで。
セレンはきゅっと唇を噛み締めて、建物の角を曲がる。そして、厩の影が見えた時だった。
何か気配のようなものを感じて、セレンは反射的にそこから飛び退いた。
身体が動いた後で、そこに見知らぬ男が立っていることに気付く。その手には小さなナイフが握られていた。
柄を握る手はぶるぶると震えており、明らかに荒事に慣れている雰囲気ではない。こちらを睨む血走った目には、怯えのようなものが滲んでいる気がした。
「……誰だ」
セレンは警戒したまま、静かに問う。
「銀髪の、女……。お前…お前を殺せば……!」
咆哮を上げて突進してくる男の攻撃を、セレンは躱しながら、裏口らしき門から外へ出た。
あんな場所で大立ち回りをしていては、ロウェルが追いかけてくるかもしれないと、脳裏に浮かんだからだ。
――馬鹿なことを。
細い路地を駆けながら、セレンは自嘲する。
彼はとっくに愛想を尽かして、どこかへ行ったに違いない。
なのに、心のどこかでは追いかけてきてほしいとも思っていた。
セレンは浮かぶ思考を振り払ってから、ちらりと後方を見る。
ナイフを持った男は、まだ何かを喚きながら迫ってきていた。
彼の口振りから察するに、セレン個人に恨みがあっての行動ではないだろう。
ならば、誰かに雇われた……?
けれど、セレンが今王都に向かっていることを知る人物なんて――。
だが、そこまで考えた所でセレンの思考は途切れた。
「あっ……」
道を曲がった所に人が立っていて、避けようと身体を捻って転びそうになったからだ。
しかしそれを抱き留められて、どうにか転倒を免れる。
「っ、すまな……――、え……?」
顔を上げると、その人物と目が合った。フードを目深にかぶっているが、転びかけたセレンからはその顔がよく見える。
そこにある相貌を、信じられない気持ちで見上げた。
彼はセレンを立たせると、左足を引き摺りながら一歩前へと出た。
「ご心配なく」
それだけ言った彼は、セレンが走ってきた方向へと向かう。
「待っ――」
彼が持っていた杖を捻ると、銀の刃に陽光が反射して、一瞬目が眩むほど眩しく光った。
セレンがそれにたじろいでいる間に、彼の姿が見えなくなり――一呼吸後には、辺りは奇妙なほど静かになった。
そして、コツという杖をつく音と共に、もう一度フードの男が姿を現した。
「お怪我はありませんか、姉上?」
「……どうして、ここに……、アレイスト」
微かな血臭と共に立っているのは、紛れもなく異母弟アレイストだった。
#玉座の憧憬_本編 22
宿の階段を駆け下りて、セレンはそのまま外へと飛び出す。
だが、そのまま徒歩で王都まで行くわけにはいかないと思い出して、宿の裏手にある厩へと向かった。
もう誰も信用できない。
いや――、そもそも自分以外の誰かに頼ろうとしたこと自体、間違いだった。
一人でやり遂げなければ。ひとりで――、独りで。
セレンはきゅっと唇を噛み締めて、建物の角を曲がる。そして、厩の影が見えた時だった。
何か気配のようなものを感じて、セレンは反射的にそこから飛び退いた。
身体が動いた後で、そこに見知らぬ男が立っていることに気付く。その手には小さなナイフが握られていた。
柄を握る手はぶるぶると震えており、明らかに荒事に慣れている雰囲気ではない。こちらを睨む血走った目には、怯えのようなものが滲んでいる気がした。
「……誰だ」
セレンは警戒したまま、静かに問う。
「銀髪の、女……。お前…お前を殺せば……!」
咆哮を上げて突進してくる男の攻撃を、セレンは躱しながら、裏口らしき門から外へ出た。
あんな場所で大立ち回りをしていては、ロウェルが追いかけてくるかもしれないと、脳裏に浮かんだからだ。
――馬鹿なことを。
細い路地を駆けながら、セレンは自嘲する。
彼はとっくに愛想を尽かして、どこかへ行ったに違いない。
なのに、心のどこかでは追いかけてきてほしいとも思っていた。
セレンは浮かぶ思考を振り払ってから、ちらりと後方を見る。
ナイフを持った男は、まだ何かを喚きながら迫ってきていた。
彼の口振りから察するに、セレン個人に恨みがあっての行動ではないだろう。
ならば、誰かに雇われた……?
けれど、セレンが今王都に向かっていることを知る人物なんて――。
だが、そこまで考えた所でセレンの思考は途切れた。
「あっ……」
道を曲がった所に人が立っていて、避けようと身体を捻って転びそうになったからだ。
しかしそれを抱き留められて、どうにか転倒を免れる。
「っ、すまな……――、え……?」
顔を上げると、その人物と目が合った。フードを目深にかぶっているが、転びかけたセレンからはその顔がよく見える。
そこにある相貌を、信じられない気持ちで見上げた。
彼はセレンを立たせると、左足を引き摺りながら一歩前へと出た。
「ご心配なく」
それだけ言った彼は、セレンが走ってきた方向へと向かう。
「待っ――」
彼が持っていた杖を捻ると、銀の刃に陽光が反射して、一瞬目が眩むほど眩しく光った。
セレンがそれにたじろいでいる間に、彼の姿が見えなくなり――一呼吸後には、辺りは奇妙なほど静かになった。
そして、コツという杖をつく音と共に、もう一度フードの男が姿を現した。
「お怪我はありませんか、姉上?」
「……どうして、ここに……、アレイスト」
微かな血臭と共に立っているのは、紛れもなく異母弟アレイストだった。
2025/08/22 00:00:11
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 21
朝になり、カーテン越しに差し込む朝日で、セレンはぼんやりと目を覚ました。
こんなに穏やかな朝を迎えるのは、いつぶりだろう。
自身の手の平を見つめて、昨夜の夢を思い起こした。
いつものように母からの罵倒を受けていたはずだった。だが、昨夜はそれだけではなくて――。
「……いや、都合のいい妄想だな」
自分には、あんな風に強く抱きしめてくれる存在なんていない。
どれほど願っても、ついに得られなかった。
セレンは手をぎゅっと握り締めて、ベッドから立ち上がった。
それでも構わないじゃないか。今はロウェルが傍にいてくれる。それだけで。
寝室の扉を開けると、朝食の盆を持って帰ってきたらしいロウェルと目が合った。
「あ、起きたんだな」
こくりと頷いて、テーブルにつく。
空腹は感じていなかったが、セレンは義務的にパンとスープを口に運ぶと、カトラリーを置いた。
「もういいのか?」
テーブルには、肉や卵、野菜類が残っていたが、口をつける気にはならなかった。
ロウェルは困った顔をしたが、肩を竦めるだけでそれ以上は何も言わずに、手にしていたスープ皿を一息に呷った。
「……セレン」
器を置いたロウェルは、口元をナプキンで拭った後、ぽつりと呟く。
「アキュイラに、帰らないか」
「……は?」
一瞬、彼が何を言ったのか理解できなかった。
かえる……、帰る? ――今更?
「何故」
短く問う。だが、ロウェルは視線を逸らした。
「理由は、言えない……」
瞬間的に爆発しそうになった怒りを、どうにか堪える。手の平に爪が深く食い込むほどに拳を握りしめて、ギッとロウェルを睨んだ。
「言えない、だと?」
「ああ。……けど、駄目だ。やっぱり、こんなことは間違ってる!」
間違い、という言葉に、一度は堪えた怒りがもう、抑えられなかった。
「――ッ、今更、怖気づいたのか!?」
テーブルをバンッ、と叩いて立ち上がる。その衝撃で、食器が擦れて嫌な音が響いた。
しかし、ロウェルはじっと黙ったまま、何も答えない。
「何とか言ったらどうなんだ!」
「……とにかく、駄目だ」
彼の態度に、一層怒りが湧いた。
今更――、何故、今更になって――!!
「セ――」
「もういい!」
ロウェルの言葉を遮り、セレンは彼に背を向けた。
「お前がそんなに腑抜けだと思わなかった! ……帰りたいならば、一人で帰れ。私はもう行く」
セレンはそのまま自分の荷物だけ掴んで、部屋を飛び出した。
もう、引き返すことなんてできないのに。
わたしはもう、とっくに――。
滲みそうになった涙を、無理やり引っ込める。
やはり私は、独り。
そんな気持ちに押しつぶされそうになりながら。
#玉座の憧憬_本編 21
朝になり、カーテン越しに差し込む朝日で、セレンはぼんやりと目を覚ました。
こんなに穏やかな朝を迎えるのは、いつぶりだろう。
自身の手の平を見つめて、昨夜の夢を思い起こした。
いつものように母からの罵倒を受けていたはずだった。だが、昨夜はそれだけではなくて――。
「……いや、都合のいい妄想だな」
自分には、あんな風に強く抱きしめてくれる存在なんていない。
どれほど願っても、ついに得られなかった。
セレンは手をぎゅっと握り締めて、ベッドから立ち上がった。
それでも構わないじゃないか。今はロウェルが傍にいてくれる。それだけで。
寝室の扉を開けると、朝食の盆を持って帰ってきたらしいロウェルと目が合った。
「あ、起きたんだな」
こくりと頷いて、テーブルにつく。
空腹は感じていなかったが、セレンは義務的にパンとスープを口に運ぶと、カトラリーを置いた。
「もういいのか?」
テーブルには、肉や卵、野菜類が残っていたが、口をつける気にはならなかった。
ロウェルは困った顔をしたが、肩を竦めるだけでそれ以上は何も言わずに、手にしていたスープ皿を一息に呷った。
「……セレン」
器を置いたロウェルは、口元をナプキンで拭った後、ぽつりと呟く。
「アキュイラに、帰らないか」
「……は?」
一瞬、彼が何を言ったのか理解できなかった。
かえる……、帰る? ――今更?
「何故」
短く問う。だが、ロウェルは視線を逸らした。
「理由は、言えない……」
瞬間的に爆発しそうになった怒りを、どうにか堪える。手の平に爪が深く食い込むほどに拳を握りしめて、ギッとロウェルを睨んだ。
「言えない、だと?」
「ああ。……けど、駄目だ。やっぱり、こんなことは間違ってる!」
間違い、という言葉に、一度は堪えた怒りがもう、抑えられなかった。
「――ッ、今更、怖気づいたのか!?」
テーブルをバンッ、と叩いて立ち上がる。その衝撃で、食器が擦れて嫌な音が響いた。
しかし、ロウェルはじっと黙ったまま、何も答えない。
「何とか言ったらどうなんだ!」
「……とにかく、駄目だ」
彼の態度に、一層怒りが湧いた。
今更――、何故、今更になって――!!
「セ――」
「もういい!」
ロウェルの言葉を遮り、セレンは彼に背を向けた。
「お前がそんなに腑抜けだと思わなかった! ……帰りたいならば、一人で帰れ。私はもう行く」
セレンはそのまま自分の荷物だけ掴んで、部屋を飛び出した。
もう、引き返すことなんてできないのに。
わたしはもう、とっくに――。
滲みそうになった涙を、無理やり引っ込める。
やはり私は、独り。
そんな気持ちに押しつぶされそうになりながら。
2025/08/22 00:00:10
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 20
『――この、出来損ないっ!!』
癇癪を起こした甲高い女の声と共に、セレンの頰に強烈な痛みが走った。
大人の平手打ちに幼い少女が耐えられるはずもなく、床に崩れ落ちて頬を押さえる。
痛い、という言葉を口内で噛み殺し、セレンはおそるおそる顔を上げた。
そこには、怖ろしい形相でこちらを見下ろす母が立っている。
「ご、ごめんなさい、母様……」
セレンは震える声で謝罪の言葉を呟くが、彼女は一層眉を吊り上げて叫ぶ。
『お前は「王女」なのよ、セレンティーネ! どうして、あの程度のことも出来ないの!!』
「ごめん、なさい」
怒声に身体を震わせながら、ひたすらに謝るが、母の叫びは止まらない。延々と、セレンを責める言葉が続く。
「ごめんなさい……、ごめ、なさい……」
耳を塞ぐように蹲って、何度も何度も謝罪する。
そして、どのくらいの時間が経っただろうか。不意に母の声が止んだ。
セレンはそろりと顔を上げるが、母はまだそこにじっと立っている。どす黒い顔でこちらを見下ろしたまま、暗い声で呟いた。
『お前は『王女』なのよ。誰が、何と言おうと。だから、お前は王太子としての務めを果たさねばならない』
母がふいと背を向ける。
そして、独り言のように続けた。
『それが出来ないお前には、価値などないのよ。セレンティーネ』
セレンは去っていく母の姿を、見えなくなるまで黙って見つめていた。
「……あっ」
だが、その姿が消えると同時に、あっという間に視界が歪んで、ぼたぼたと涙が落ちてゆく。
その雫が自身の目から零れていると理解して、セレンは恐怖でひっと喉を鳴らした。
泣いてはいけない。涙を流すような「弱い子」は、今度こそ母様に捨てられてしまう。
だが、その涙を止めようと、何度拭っても次から次へと溢れてくる。
おねがい、止まって――。
その時、目元に誰かの指が触れた気がした。
セレンはそっと目蓋を開くが、周囲が暗くてよく見えない。
「どうした?」
母様じゃない。やわらかな男の声だ。
だれだっけ……。
「怖い夢でも見た?」
でも、とても安心する声だ。
セレンはほっとしながら目を閉じて、小さく答える。
「……かあさまが、わたしをせめるの。でも……、でも、それはわたしが、わるい子だから……」
わたしが上手く振る舞えないから。わたしが母様の期待に応えられないから。
全部、全部――、わたしが悪い。
だから、母様の叱責も当然で、全て受け止めるべきなのに。
でも――、哀しくて。
「――セレン」
そっと抱き起こされて、誰かに抱きしめられる。
「セレンは、『悪い子』なんかじゃない」
「……でも」
人の体温がこんなにも間近にあることが慣れなくて、じっとしていると、背中をゆっくりと撫でられる。
「俺は知ってる。セレンが一途で頑張り屋なこと、俺は……」
あたたかな手で背を撫でられていると、徐々に身体の力が抜けて、また涙が零れ落ちた。
今度は恐怖が湧かなかった。
でも。
セレンは眠気で緩慢になりながらも、首を横に振った。
「わたしは……私は、母上の期待に…………。王に、ならなくては――」
彼が息を飲んで、セレンの身体をきつく抱き竦めた。
「セレン、俺は――」
その後に続く言葉はなかった。
#玉座の憧憬_本編 20
『――この、出来損ないっ!!』
癇癪を起こした甲高い女の声と共に、セレンの頰に強烈な痛みが走った。
大人の平手打ちに幼い少女が耐えられるはずもなく、床に崩れ落ちて頬を押さえる。
痛い、という言葉を口内で噛み殺し、セレンはおそるおそる顔を上げた。
そこには、怖ろしい形相でこちらを見下ろす母が立っている。
「ご、ごめんなさい、母様……」
セレンは震える声で謝罪の言葉を呟くが、彼女は一層眉を吊り上げて叫ぶ。
『お前は「王女」なのよ、セレンティーネ! どうして、あの程度のことも出来ないの!!』
「ごめん、なさい」
怒声に身体を震わせながら、ひたすらに謝るが、母の叫びは止まらない。延々と、セレンを責める言葉が続く。
「ごめんなさい……、ごめ、なさい……」
耳を塞ぐように蹲って、何度も何度も謝罪する。
そして、どのくらいの時間が経っただろうか。不意に母の声が止んだ。
セレンはそろりと顔を上げるが、母はまだそこにじっと立っている。どす黒い顔でこちらを見下ろしたまま、暗い声で呟いた。
『お前は『王女』なのよ。誰が、何と言おうと。だから、お前は王太子としての務めを果たさねばならない』
母がふいと背を向ける。
そして、独り言のように続けた。
『それが出来ないお前には、価値などないのよ。セレンティーネ』
セレンは去っていく母の姿を、見えなくなるまで黙って見つめていた。
「……あっ」
だが、その姿が消えると同時に、あっという間に視界が歪んで、ぼたぼたと涙が落ちてゆく。
その雫が自身の目から零れていると理解して、セレンは恐怖でひっと喉を鳴らした。
泣いてはいけない。涙を流すような「弱い子」は、今度こそ母様に捨てられてしまう。
だが、その涙を止めようと、何度拭っても次から次へと溢れてくる。
おねがい、止まって――。
その時、目元に誰かの指が触れた気がした。
セレンはそっと目蓋を開くが、周囲が暗くてよく見えない。
「どうした?」
母様じゃない。やわらかな男の声だ。
だれだっけ……。
「怖い夢でも見た?」
でも、とても安心する声だ。
セレンはほっとしながら目を閉じて、小さく答える。
「……かあさまが、わたしをせめるの。でも……、でも、それはわたしが、わるい子だから……」
わたしが上手く振る舞えないから。わたしが母様の期待に応えられないから。
全部、全部――、わたしが悪い。
だから、母様の叱責も当然で、全て受け止めるべきなのに。
でも――、哀しくて。
「――セレン」
そっと抱き起こされて、誰かに抱きしめられる。
「セレンは、『悪い子』なんかじゃない」
「……でも」
人の体温がこんなにも間近にあることが慣れなくて、じっとしていると、背中をゆっくりと撫でられる。
「俺は知ってる。セレンが一途で頑張り屋なこと、俺は……」
あたたかな手で背を撫でられていると、徐々に身体の力が抜けて、また涙が零れ落ちた。
今度は恐怖が湧かなかった。
でも。
セレンは眠気で緩慢になりながらも、首を横に振った。
「わたしは……私は、母上の期待に…………。王に、ならなくては――」
彼が息を飲んで、セレンの身体をきつく抱き竦めた。
「セレン、俺は――」
その後に続く言葉はなかった。
2025/08/22 00:00:09
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 19
セレンはその夜、アキュイラを出奔した。
誰にも、何も告げず。ロウェルだけを連れて、まるで――逃げるかのように。
ほんの数ヶ月前に馬車に乗ってゆったりと進んだ道を、馬で駆ける。
人目を避けるように山道を辿り、夜になればそのまま山中でロウェルに寄り掛かるようにして眠った。
そうしなければ、眠れなかったのだ。
「セレンティーネ、もう王都はすぐだ。今日は街に泊まろう」
そんな暇は、と言いかけたセレンだが、このままの薄汚れた着衣のままで向かうこともできないと気付いて、言葉を引っ込める。
「そう……だな。わかった」
セレンは進んでいた道を逸れて、ロウェルの言う街の方へと方向を変えた。
街まで到着した後は、慣れた様子のロウェルに先導されて、中流階級――主に金持ちの平民向けの宿へと向かった。手続きも何もかもロウェルに任せきりで、彼の背後で所在なく佇むしかできない。店主と朗らかに会話をするロウェルの背中を見つめながら、セレンは小さく溜息をついた。
平民の中では目立ってしまうという銀髪を隠すフード付きの外套を、ぎゅっと握りしめる。
ここまで辿り着くことすら、ロウェルに頼りきりだ。自分の無力さを一層痛感して胸が苦しい。
「――セレンティーネ?」
その時、ロウェルが顔を覗き込んで、小声で名前を呼ばれる。驚いて顔を上げると、気遣わしげな表情をする彼と目が合った。
「な、なんだ?」
「いや。ぼーっとしてるから心配になっただけで。平気か?」
こくりとセレンが頷くと、ロウェルはセレンの手に鍵を握らせてきた。
「これ部屋の鍵な。俺はちょっと出てくるから……、一人で部屋まで行けるか?」
「ばっ、馬鹿にするな。それくらいできる」
苦笑するロウェルに背を向けて、階段を登った。鍵についた番号通りの部屋へ辿り着くと、扉を開けて中へと入る。既に荷物は運び込まれており、更に中にある三つの扉は、一つが浴室、後の二つがそれぞれ一人用の寝室となっているようだった。
一通り内部を確認したセレンは、共用部分に設えられたソファへと腰を降ろした。
しんと沈黙が身を包んで、急に手が震えた。
本当にこの選択は正しかったのだろうか。
こんな所まで来てしまって、何か自分が酷く愚かなことをしているのではないかと思えてしまう。
後悔、という言葉が浮かびそうになって、セレンは慌てて首を振った。
務めを放棄してアキュイラを出てしまったのだ。
もう、後戻りなんてできない。
手の震えを止めようと、両手を強く握りしめる。
こんなところで、怖気づいている場合ではないのだから。
――けど。
「ロウェル……」
彼は何故、自分と共に来てくれたのだろう。
何の関係もなかったはずなのに。
ただ、セレンが「付いて来て」と言ってしまったばかりに――。
それでも、彼には最期まで傍にいてほしいと願っていた。
この旅の終着点に辿り着くまでは。
セレンは立ち上がって、窓から外を眺めた。
思えば、アキュイラを出て以降、ロウェルがこんなにも傍を離れるのは初めてな気がする。
たったそれだけで、こんなに心細く感じるのかと自嘲した。
その時ふと、窓から見える路地にロウェルの姿が見えた。
そのそばには、フードを目深にかぶった人影がある。
彼らはしばし言葉を交わすと、それぞれ別方向に歩きはじめる。程なくして、ロウェルはセレンのいる部屋まで戻ってきた。
扉を開ける音に振り返って、室内に入ってきたロウェルを見る。
「今……、誰と話していたんだ?」
ロウェルは一瞬驚いた顔をした後、笑みを浮かべて事も無げに言った。
「……別に、道を聞かれただけだよ」
本当に?
セレンはそう思ったが、「もう話は終わった」とばかりに彼は背を向けてしまう。
その背中にもう一度声をかけることは、何故か出来なかった。
#玉座の憧憬_本編 19
セレンはその夜、アキュイラを出奔した。
誰にも、何も告げず。ロウェルだけを連れて、まるで――逃げるかのように。
ほんの数ヶ月前に馬車に乗ってゆったりと進んだ道を、馬で駆ける。
人目を避けるように山道を辿り、夜になればそのまま山中でロウェルに寄り掛かるようにして眠った。
そうしなければ、眠れなかったのだ。
「セレンティーネ、もう王都はすぐだ。今日は街に泊まろう」
そんな暇は、と言いかけたセレンだが、このままの薄汚れた着衣のままで向かうこともできないと気付いて、言葉を引っ込める。
「そう……だな。わかった」
セレンは進んでいた道を逸れて、ロウェルの言う街の方へと方向を変えた。
街まで到着した後は、慣れた様子のロウェルに先導されて、中流階級――主に金持ちの平民向けの宿へと向かった。手続きも何もかもロウェルに任せきりで、彼の背後で所在なく佇むしかできない。店主と朗らかに会話をするロウェルの背中を見つめながら、セレンは小さく溜息をついた。
平民の中では目立ってしまうという銀髪を隠すフード付きの外套を、ぎゅっと握りしめる。
ここまで辿り着くことすら、ロウェルに頼りきりだ。自分の無力さを一層痛感して胸が苦しい。
「――セレンティーネ?」
その時、ロウェルが顔を覗き込んで、小声で名前を呼ばれる。驚いて顔を上げると、気遣わしげな表情をする彼と目が合った。
「な、なんだ?」
「いや。ぼーっとしてるから心配になっただけで。平気か?」
こくりとセレンが頷くと、ロウェルはセレンの手に鍵を握らせてきた。
「これ部屋の鍵な。俺はちょっと出てくるから……、一人で部屋まで行けるか?」
「ばっ、馬鹿にするな。それくらいできる」
苦笑するロウェルに背を向けて、階段を登った。鍵についた番号通りの部屋へ辿り着くと、扉を開けて中へと入る。既に荷物は運び込まれており、更に中にある三つの扉は、一つが浴室、後の二つがそれぞれ一人用の寝室となっているようだった。
一通り内部を確認したセレンは、共用部分に設えられたソファへと腰を降ろした。
しんと沈黙が身を包んで、急に手が震えた。
本当にこの選択は正しかったのだろうか。
こんな所まで来てしまって、何か自分が酷く愚かなことをしているのではないかと思えてしまう。
後悔、という言葉が浮かびそうになって、セレンは慌てて首を振った。
務めを放棄してアキュイラを出てしまったのだ。
もう、後戻りなんてできない。
手の震えを止めようと、両手を強く握りしめる。
こんなところで、怖気づいている場合ではないのだから。
――けど。
「ロウェル……」
彼は何故、自分と共に来てくれたのだろう。
何の関係もなかったはずなのに。
ただ、セレンが「付いて来て」と言ってしまったばかりに――。
それでも、彼には最期まで傍にいてほしいと願っていた。
この旅の終着点に辿り着くまでは。
セレンは立ち上がって、窓から外を眺めた。
思えば、アキュイラを出て以降、ロウェルがこんなにも傍を離れるのは初めてな気がする。
たったそれだけで、こんなに心細く感じるのかと自嘲した。
その時ふと、窓から見える路地にロウェルの姿が見えた。
そのそばには、フードを目深にかぶった人影がある。
彼らはしばし言葉を交わすと、それぞれ別方向に歩きはじめる。程なくして、ロウェルはセレンのいる部屋まで戻ってきた。
扉を開ける音に振り返って、室内に入ってきたロウェルを見る。
「今……、誰と話していたんだ?」
ロウェルは一瞬驚いた顔をした後、笑みを浮かべて事も無げに言った。
「……別に、道を聞かれただけだよ」
本当に?
セレンはそう思ったが、「もう話は終わった」とばかりに彼は背を向けてしまう。
その背中にもう一度声をかけることは、何故か出来なかった。
2025/08/22 00:00:08
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 18
ミイスと碌な会話もないまま、日々が過ぎてゆく。
セレンの心に凝る苛立ちと焦燥は、時間を追うごとに募っていっていた。
「セレンティーネ」
耳元に落ちる男の声に、セレンは目蓋を押し上げる。
「あ……」
自分はいつの間に眠ってしまっていたのだろう。
セレンは知らぬ間に突っ伏していた机から身を起こすと、目の前に立つロウェルを見上げた。
「ごめん、返事がなかったから心配で入ってしまったんだ」
「…………そうか。……いや、構わない。お前なら」
思ったままの言葉がぽろりと落ちる。ロウェルは虚を突かれたように一瞬目を見開いたが、すぐに口元へ笑みを浮かべた。
「……光栄だよ」
どこか浮かない笑顔のまま、彼はセレンの方へ手を伸ばす。
「それより、こんな所で寝るなんて……。やっぱりまだ、よく眠れないのか?」
やわく頭を撫でられて、また目を閉じそうになるのをどうにか堪えた。ロウェルの問いに小さく頷いて、手からこぼれ落ちていたペンを拾い上げる。
だが、すかさずそれが上から抜き取られてしまった。
「こら。少しは休め。ほら、立って」
隣まで回り込んできたロウェルに、腕を取られて腰を上げる。
「だが……」
抵抗の言葉は弱く、そのまま部屋のソファまで移動させられてしまう。
ロウェルの傍にいると、どうしてこんなにも素直に従ってしまうのだろう。目まぐるしく回る思考が緩んでしまって、上手く考えが纏められなくなってしまう。
隣に腰を降ろしたロウェルに肩を引き寄せられて、彼にもたれかかる格好となる。抵抗しようと腕を上げることすら億劫で、セレンはそのまま身体の力を抜いた。
こんなことを、している場合では……ないのに。
「なあ、セレンティーネは何に思い悩んでいるんだ?」
「…………言っても詮の無いことだ」
ロウェルがセレンの髪を撫でる。
「教えてよ。俺は知りたい」
「――っ」
毒のように甘い囁きだと思った。
頭が痺れて、思考力を奪う。
この男に全て投げ出してしまえば、私は楽になれるのだろうか――。
セレンは小さく口を開いた。
「母の……。母上の、声が、聞こえるんだ」
「……どんな」
「私を責める、声……。私が、母の期待に応えられない、から」
セレンはきゅっと唇を噛んだ。
全て、全て――、私が悪い。
アレイストのように、一目で王の子と分かる男として生まれられなかった。
誰もが認めるような、国王の素質もない。
だというのに、母から受け継いだのは銀の髪ばかりで、王に目をかけてもらえるような愛嬌すら持ち合わせてはいなかった。
今こうなっているのは、全て私自身のせい。
「――だから、私はここで……、もっと、もっと……もっと、努力をしなければ」
「…………それは、いつまでだ?」
「え……?」
セレンはロウェルからの問いに、ゆっくりと目蓋を上げた。
「ここで努力して、成果を出して――、都に戻る?」
顔を上げて彼の顔を覗き込むと、ただじっとこちらを見つめる瞳と目が合った。セレンは戸惑いながらも頷く。
「都に戻って、また努力して……。『王になる』?」
セレンの目的をはっきりと口にされて、息を飲む。
でも、そうだ。その通りなのだ。私が「王になる」には、それしか。
だが、ロウェルは小さく首を横に振った。
「セレンティーネ。それは一体何日――、何年かかるんだ? それまで、こんな生活を続けるのか?」
「……それは」
何も答えられない。
分かってはいるのだ。こんな日々を長くは続けられないことくらい。
いずれ限界が来ることくらい。
でも、じゃあどうすればいい?
どうすれば、母の願いを叶えられる?
どうすれば――。
「――『奪ってしまえ』」
ポツリと落ちたロウェルの呟きに、セレンはハッと顔を上げた。
「本当は分かっているんだろう? こんな場所でいくら努力したところで、どうにもならない、って」
セレンは息を飲んだ。
ずっと見ない振りをしてきた現実を直視させられて、酷く胸が軋む。
「だ、だが……」
「怖い?」
端的な問いに、ぐっと言葉が詰まった。
怖い。たしかに、自分は恐怖を感じている。
だが、それは一体「何」に対してだろう。
王位を簒奪すること自体なのか。
それを仄めかすロウェルへなのか。
もしくは、その選択も消去できないでいる自分自身へなのか。
だがそれらは、「このまま何も出来ずに死んでいく」こと以上に怖ろしいことなのだろうか。
「……私に、出来ると思うか」
セレンの呟きにロウェルは目を細めた。
「他に誰が出来る?」
背後にまた、母の気配を感じた気がした。
「…………私は、王にならねばならない。ロウェル、付いて来てくれるか?」
彼はセレンの手を取ると、指先に口付けを落とした。
「ああ。全てが終わるその瞬間まで、俺はセレンティーネのそばにいる」
#玉座の憧憬_本編 18
ミイスと碌な会話もないまま、日々が過ぎてゆく。
セレンの心に凝る苛立ちと焦燥は、時間を追うごとに募っていっていた。
「セレンティーネ」
耳元に落ちる男の声に、セレンは目蓋を押し上げる。
「あ……」
自分はいつの間に眠ってしまっていたのだろう。
セレンは知らぬ間に突っ伏していた机から身を起こすと、目の前に立つロウェルを見上げた。
「ごめん、返事がなかったから心配で入ってしまったんだ」
「…………そうか。……いや、構わない。お前なら」
思ったままの言葉がぽろりと落ちる。ロウェルは虚を突かれたように一瞬目を見開いたが、すぐに口元へ笑みを浮かべた。
「……光栄だよ」
どこか浮かない笑顔のまま、彼はセレンの方へ手を伸ばす。
「それより、こんな所で寝るなんて……。やっぱりまだ、よく眠れないのか?」
やわく頭を撫でられて、また目を閉じそうになるのをどうにか堪えた。ロウェルの問いに小さく頷いて、手からこぼれ落ちていたペンを拾い上げる。
だが、すかさずそれが上から抜き取られてしまった。
「こら。少しは休め。ほら、立って」
隣まで回り込んできたロウェルに、腕を取られて腰を上げる。
「だが……」
抵抗の言葉は弱く、そのまま部屋のソファまで移動させられてしまう。
ロウェルの傍にいると、どうしてこんなにも素直に従ってしまうのだろう。目まぐるしく回る思考が緩んでしまって、上手く考えが纏められなくなってしまう。
隣に腰を降ろしたロウェルに肩を引き寄せられて、彼にもたれかかる格好となる。抵抗しようと腕を上げることすら億劫で、セレンはそのまま身体の力を抜いた。
こんなことを、している場合では……ないのに。
「なあ、セレンティーネは何に思い悩んでいるんだ?」
「…………言っても詮の無いことだ」
ロウェルがセレンの髪を撫でる。
「教えてよ。俺は知りたい」
「――っ」
毒のように甘い囁きだと思った。
頭が痺れて、思考力を奪う。
この男に全て投げ出してしまえば、私は楽になれるのだろうか――。
セレンは小さく口を開いた。
「母の……。母上の、声が、聞こえるんだ」
「……どんな」
「私を責める、声……。私が、母の期待に応えられない、から」
セレンはきゅっと唇を噛んだ。
全て、全て――、私が悪い。
アレイストのように、一目で王の子と分かる男として生まれられなかった。
誰もが認めるような、国王の素質もない。
だというのに、母から受け継いだのは銀の髪ばかりで、王に目をかけてもらえるような愛嬌すら持ち合わせてはいなかった。
今こうなっているのは、全て私自身のせい。
「――だから、私はここで……、もっと、もっと……もっと、努力をしなければ」
「…………それは、いつまでだ?」
「え……?」
セレンはロウェルからの問いに、ゆっくりと目蓋を上げた。
「ここで努力して、成果を出して――、都に戻る?」
顔を上げて彼の顔を覗き込むと、ただじっとこちらを見つめる瞳と目が合った。セレンは戸惑いながらも頷く。
「都に戻って、また努力して……。『王になる』?」
セレンの目的をはっきりと口にされて、息を飲む。
でも、そうだ。その通りなのだ。私が「王になる」には、それしか。
だが、ロウェルは小さく首を横に振った。
「セレンティーネ。それは一体何日――、何年かかるんだ? それまで、こんな生活を続けるのか?」
「……それは」
何も答えられない。
分かってはいるのだ。こんな日々を長くは続けられないことくらい。
いずれ限界が来ることくらい。
でも、じゃあどうすればいい?
どうすれば、母の願いを叶えられる?
どうすれば――。
「――『奪ってしまえ』」
ポツリと落ちたロウェルの呟きに、セレンはハッと顔を上げた。
「本当は分かっているんだろう? こんな場所でいくら努力したところで、どうにもならない、って」
セレンは息を飲んだ。
ずっと見ない振りをしてきた現実を直視させられて、酷く胸が軋む。
「だ、だが……」
「怖い?」
端的な問いに、ぐっと言葉が詰まった。
怖い。たしかに、自分は恐怖を感じている。
だが、それは一体「何」に対してだろう。
王位を簒奪すること自体なのか。
それを仄めかすロウェルへなのか。
もしくは、その選択も消去できないでいる自分自身へなのか。
だがそれらは、「このまま何も出来ずに死んでいく」こと以上に怖ろしいことなのだろうか。
「……私に、出来ると思うか」
セレンの呟きにロウェルは目を細めた。
「他に誰が出来る?」
背後にまた、母の気配を感じた気がした。
「…………私は、王にならねばならない。ロウェル、付いて来てくれるか?」
彼はセレンの手を取ると、指先に口付けを落とした。
「ああ。全てが終わるその瞬間まで、俺はセレンティーネのそばにいる」
2025/08/22 00:00:07
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 17
「姫様……、少しお休みになってください」
傍らにそっと置かれたティーカップに、セレンは顔を上げた。
そこにはミイスの心配げな表情がある。だが、その物言いたげな目に苛立ちを覚えて、セレンは手元の書類に視線を戻した。
「問題ない」
「ですが、お顔の色が悪いです。夜もあまり眠れてらっしゃらないのでしょう?」
「……問題ない」
彼女の言う通り、ここ何日もセレンは碌に眠れていない。
毎晩のように――、母の囁き声が聞こえるからだ。
いや、最近では日中の今もすぐ傍らに立っているような気さえする。
夢も見ずに深く眠れるのは、ロウェルが傍にいる少しの間だけ。ほんのひととき眠りに落ちて――、人々が寝静まる夜は、母の声と共に夜を明かしていた。
だが、それで問題があるわけではない。
身体は動くし、休息を取っていないわけでもなかった。
セレンにはどうしてこう、彼女が口を出してくるのか分からなかった。
分からない。分からなくて、腹が立つ。
私は平気なのに。
仕事に意識を戻すセレンの前で、ミイスはくっと息を飲んだ。
いつもなら、「冷めないうちに飲んでくださいね」と茶を残して去っていくのに、今日の彼女は中々動こうとしない。
何か言いたげな空気を肌で感じ、セレンは握っていたペンにきゅっと力を込めた。
それと同時にミイスがついに口を開く。
「姫様、いい加減になさってください! ご自身の今のお顔を、きちんと鏡でご覧になったことがありますか!? そんなにご無理をなさるほど、アキュイラの地は逼迫してはおりません! わかってらっしゃるでしょう!?」
いつの間にか止まっていたペンから、ぽたりと真っ黒なインクが落ちた。
それはまるで、セレンの心を蝕むように広がっていく。
「――ッ、うるさいっ!!」
バンッ、とペンを机に叩きつける。
ミイスの肩がびくりと跳ねたが、今のセレンにはそのことに構っていられるほどの余裕が消え失せていた。
怒りのままに捲し立てる。
「お前に何が分かる!? 父上に見限られ、『こんな辺境』に棄てられた私の何が……!!」
ミイスが息を飲んで呆然と言った。
「『こんな辺境』……? それ、本気で仰っているんですか?」
その問いに言葉が詰まる。
違う……。ちがう。わたしは、そんなこと――。
でも。
セレンは込み上げる激情のままに、机の上にあったものを床に叩きつけるように手で払い落とした。
仄かな湯気をたてていた茶器が、派手な音と共に砕け散った。
「出ていけ!!」
「姫さ……」
「ひとりに、してくれ……」
ミイスは黙って深く一礼すると、部屋を出ていった。
扉が閉まり、しんと沈黙が降りると、途端に身体の力が抜けてしまった。
どさりと椅子に身を沈めて、顔を両手で覆った。
きっと今のでミイスにも見限られてしまっただろう。
世界に独りきりにされてしまったような虚無感が襲う。
だが――。
『そんなもの、王たるお前には関係がないわ。そうでしょう?』
「――はい、母上……」
こんな時でも、母の声が消えることはない。
#玉座の憧憬_本編 17
「姫様……、少しお休みになってください」
傍らにそっと置かれたティーカップに、セレンは顔を上げた。
そこにはミイスの心配げな表情がある。だが、その物言いたげな目に苛立ちを覚えて、セレンは手元の書類に視線を戻した。
「問題ない」
「ですが、お顔の色が悪いです。夜もあまり眠れてらっしゃらないのでしょう?」
「……問題ない」
彼女の言う通り、ここ何日もセレンは碌に眠れていない。
毎晩のように――、母の囁き声が聞こえるからだ。
いや、最近では日中の今もすぐ傍らに立っているような気さえする。
夢も見ずに深く眠れるのは、ロウェルが傍にいる少しの間だけ。ほんのひととき眠りに落ちて――、人々が寝静まる夜は、母の声と共に夜を明かしていた。
だが、それで問題があるわけではない。
身体は動くし、休息を取っていないわけでもなかった。
セレンにはどうしてこう、彼女が口を出してくるのか分からなかった。
分からない。分からなくて、腹が立つ。
私は平気なのに。
仕事に意識を戻すセレンの前で、ミイスはくっと息を飲んだ。
いつもなら、「冷めないうちに飲んでくださいね」と茶を残して去っていくのに、今日の彼女は中々動こうとしない。
何か言いたげな空気を肌で感じ、セレンは握っていたペンにきゅっと力を込めた。
それと同時にミイスがついに口を開く。
「姫様、いい加減になさってください! ご自身の今のお顔を、きちんと鏡でご覧になったことがありますか!? そんなにご無理をなさるほど、アキュイラの地は逼迫してはおりません! わかってらっしゃるでしょう!?」
いつの間にか止まっていたペンから、ぽたりと真っ黒なインクが落ちた。
それはまるで、セレンの心を蝕むように広がっていく。
「――ッ、うるさいっ!!」
バンッ、とペンを机に叩きつける。
ミイスの肩がびくりと跳ねたが、今のセレンにはそのことに構っていられるほどの余裕が消え失せていた。
怒りのままに捲し立てる。
「お前に何が分かる!? 父上に見限られ、『こんな辺境』に棄てられた私の何が……!!」
ミイスが息を飲んで呆然と言った。
「『こんな辺境』……? それ、本気で仰っているんですか?」
その問いに言葉が詰まる。
違う……。ちがう。わたしは、そんなこと――。
でも。
セレンは込み上げる激情のままに、机の上にあったものを床に叩きつけるように手で払い落とした。
仄かな湯気をたてていた茶器が、派手な音と共に砕け散った。
「出ていけ!!」
「姫さ……」
「ひとりに、してくれ……」
ミイスは黙って深く一礼すると、部屋を出ていった。
扉が閉まり、しんと沈黙が降りると、途端に身体の力が抜けてしまった。
どさりと椅子に身を沈めて、顔を両手で覆った。
きっと今のでミイスにも見限られてしまっただろう。
世界に独りきりにされてしまったような虚無感が襲う。
だが――。
『そんなもの、王たるお前には関係がないわ。そうでしょう?』
「――はい、母上……」
こんな時でも、母の声が消えることはない。
2025/08/22 00:00:06
作品一覧
改稿版更新中
玉座の憧憬 本編:小説・男女恋愛
初稿更新終了
ツンデレ王子様の結婚事情:漫画(字コンテ)・BL
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 アレイスト×セレンIF:小説・男女恋愛・バッドエンド・R18・本編読了後推奨
玉座の憧憬 ロウェル×アレイストIF:小説・BL・R18・本編読了後推奨
初稿更新中
改稿版完結
#玉座の憧憬_本編 26
全てが曖昧に通り過ぎていく。
セレンは、馬上の景色を見るともなく視界に映していた。
憤り、絶望、後悔――。それらはどこか遠くへ行ったらしく、今のセレンの胸に浮かんでくることはない。
疲れてしまった。
ただただ、大きな虚脱感が伸し掛かっている。
時間が歪んでしまっているのか、少し目を閉じただけのつもりだったのに、次に目を開いた時にはどこかの山中にいて、放置されて久しいらしい山小屋が目の前にあった。
「セレン、今晩はここで夜を明かす。明日は早く出るから、出来るだけ身体を休めておいてくれ」
「……そう」
ロウェルの言葉に頷きだけ返して、小屋の中に入った。
彼が手慣れた様子で埃を払い、寝床を用意する。
セレンがぼんやりとその様子を見つめていると、作業を済ませたロウェルが手を引いて、薄い毛布を肩に掛けてきた。
指示された場所に身を横たえて、じっと息を詰める。
ロウェルは窓辺に座って、厳しい顔で外を見つめていた。
この男の目的は何なのだろう。
もう信用なんてできない。でも――。
「あなたは、アレイストの何」
セレンは囁くような声で呟いた。
ロウェルは驚いたような顔でこちらを向いて、悲しい――いや、どこか諦めたような苦笑を浮かべた。
「……さあ、何だったんだろう。友人……『だった』。昔は」
ロウェルは遠くを見るような目をして、外に視線を戻した。
その目は今もアレイストの方へ向いているのだろうか――。