「ツェント! もう昼だぞ、起きろ!!」

「うぅん……」

 ニクスはアトリエの床に沈む男――ツェントの傍で仁王立ちをして叫ぶ。

 だが彼の反応が鈍いのはいつものことで、起き上がろうとしないその姿に深い溜息を落とした。

「……来週、納品なんだろ。コーヒー入れてやるから起きてこいよ」

 微かに頷くのを見て、ニクスはキッチンへと踵を返す。

 俺の家で働かないか、と問われてから早三週間。

 はじめは雇い主だからと遠慮していたニクスも、あまりに頼りのないツェントの扱いがどんどんと雑になっているのを自覚している。

 だがそれもこれも、彼がニクスに与えた仕事を遂行するためには仕方がない。

 ニクスの仕事――画家であるツェントの助手、などと言えば聞こえは良いが、要するに何でも係だ。業務内容は、炊事、洗濯、掃除、経理に日程管理。それから、朝の弱いツェントを叩き起こし、腰の重い彼の締切に向けて尻を叩き、外で描きがちな主人の肩に上着をかける。

 ――嫁か。

 そう思ったのは、この仕事をはじめて三日目だったような気がする。

 とまあ、まるで不満があるかのように言ってみるが、実際のところそう悪いものだとは思っていなかった。なんなら、気に入っているとさえ言ってもいい。

 ニクスはしゅんしゅんと湧き出したポットを、熱を発生させる魔導具から外した。挽いた豆に細くその湯を回し入れて、フィルターを通してコーヒーが落ちていくのを見守る。それを何度か繰り返していると、背後に気配を感じた。

「起きたか?」

 振り向かないまま、その気配に問いかける。

「もうちょっとだから――」

 だが最後まで言う前に男の腕が腰に回り、肩口に頭を押し付けられる。

「――……ツェント、重い」

 自分より上背のある彼に文句を言ってみるが、しばらく離れないのも分かっていた。

 ツェントの気が済むまでその体勢で静止していると、ふわりと拘束が解ける。

「……おはよ、ニクス」

「っ――、もう昼だからな!?」

 まだ寝ぼけ眼の微笑に胸がぎゅっとなるような心地がした。

 だがそれを悟られないように、素っ気ない振りをする。

 ニクスが仕事を開始した間もなくから続くこの男の行動には、いつまで経っても慣れそうにない。

 相手にとってこれは、きっとなんでもない。ただの寝ぼけゆえの奇行。だというのに、どうして自分ばかりが動揺しているのか――。

 妙に腹立たしさを感じるニクスは、出来たばかりのコーヒーを雑にカップへと注ぐと、赤い顔が見られないようにツェントにそのカップを押し付けた。

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