souvenir et amour

 アルドラントから東に三日ほど。

 国境に位置する領地エンケスバークにベルはいた。

 ヒューの後ろ姿を見送り、アンディと決裂し――。彼はこれかも友達でと言ってくれたが、ベルはアルドラントにはいられないと判断した。

 一晩泣き明かしたあと、アルメリーネに退職を申し出て、結局辞職願は受け入れられなかったけれど。

 その代わりに彼女の計らいで、無期限の休暇を取らせてもらえることとなった。

 気持ちの整理がついたら、いつでも戻ってきていい。

 そう言って。

 アルメリーネと話をしたあと、ベルは誰にも何も言わずに早晩アルドラントを出立した。

 しかし、行く当てなどあるはずもない。

 困った末に、仕方なく現在の身元保証人である、母方の親族宅を頼ることに決めた。

 それがここ、エンケスバークである。

 かつては隣国――、ベルにとっては本当の故郷である国との諍いが絶えなかったと聞くが、二国が友好関係になったのは自身が生まれるよりも更に以前の話。

 今は国境を示す関所と壁が残っており、領主の住む城が城塞然としてこそいるが、交易の活発な華やかな土地だった。

 だが、丘の上に立つ領主邸まで来ると街の喧騒は遠ざかり、重厚な灰色の城が放つ威圧感が顕著に感じられる。

 一応、エンケスバークに入る前の町で先触れは出しておいたのだが……。

 ベルは緊張しながら城門を潜る。

 門兵に用向きを伝えると、話がきちんと通っていたようで、すぐに入ることができた。

 ひとまず門前払いは回避できたと安堵していると、邸宅の玄関が俄に騒がしくなる。

 乗ってきた馬を預けながら、その音に耳をそばだてると、いきなり玄関扉が開け放たれた。

 そして、そこにいたのは――。

「…………母上……?」

 あまりの不意の登場に、ぽかんとしたまま呟く。

「ベル……っ!!」

 この十年間に一体何があったのだろう。記憶の中にあるものとは結びつかないほどに老け込んだ、母の姿がそこにあった。

 彼女は目にいっぱいの涙を溜めて、ベルを勢いよく抱きしめる。

「ああ、ベル……。ベレスティア……、本当にあなたなのね…………」

 初めて、母に抱きしめられた。

 そんなことを困惑する頭の片隅に思う。

 ベルは泣きじゃくる彼女を抱き返すことも、拒絶することもできぬまま、ただただその姿を見下ろすことしかできなかった。




「……はあ」

 泣きじゃくる母――セレネスティからようやく解放されて一人になったベルは、領主夫妻に与えられた部屋で溜息をつく。

「どうして、こんなことに……」

 あり得ないと考えていた再会に痛むこめかみを揉みながら、先程までの出来事を思い返した。


「うっ……ひっく…………」

 握り締めたハンカチをぐしゃぐしゃにしている母が、いまだに洟をすすりながら、対面でソファに座っている。

 通された応接室で、ベルはその様を無感情に見ていた。

 飛び出してきたセレネスティを追うように現れた領主夫妻が、中へと促してくれなかったならば、今も外で縋りつかれていなのではないかと思う。それほど、一心に泣き続けていた。

「……あの、母はどうしてこちらに?」

 どうにも会話のできる状態ではなさそうな彼女から視線を外し、ベルは自身の隣にいる領主夫人のカレンに問いかける。

「ええ、詳しく話せば長くなるのだけれど……」

 ちなみに領主のオリバーは、「女同士の方がいいだろう」と、おそらくは主にセレネスティへと気を回してこの場にはいない。いきなり二人きりにされてしまわなかったのは、本当に幸いだった。

 カレンは困った顔で?に手を当てる。

「実は……、セレネは今この街に住んでいるの」

「……は?」

 予想外の答えに、開いた口が塞がらなくなってしまう。

 セレネスティはベルの母親だ。当然、彼女が住んでいるのは、隣国――ベルの故国であるはず。

 父に何かあった? いや、それだけならば国境を越える必要はない。

 意味が分からず黙っていると、カレンは昔を思い出すように目を細める。

「もう五年になるかしらねぇ」

 彼女がセレネスティに水を向けるようにそう呟くと、母はいまだにハンカチを握り締めたまま、こくこくと頷いた。

「わたくし……、旦那様に離縁されてしまったの……」

 驚きすぎると声も出なくなるらしい。ベルは驚愕の表情を浮かべたままカレンを振り返ると、彼女は肯定するように一つ頷いた。

 再びすんすんと泣きはじめたセレネスティは、それ以上に言葉を続けることなど出来そうもなく、ベルは仕方なしにカレンへ説明を求める。

「一体この十年で何が……?」

「わたしも詳しい経緯は知らないのだけれど……。若い後妻を迎えたいとかで、セレネが気付いた時には、書類も手続きも全て整えられていて、屋敷を追い出されてしまったらしいわ」

「父がそんなことを……」

 権力欲の亡者だったような父が、若い女にうつつを抜かすなどあり得るのだろうか。そう驚きはしたが、ふと一つの可能性に思い至って納得がいった。

 若い妻――。それはつまり、逃げ出したベレスティアという後継者の代わりを、その女に産ませたかったのではないか、と。

 あまりの醜悪さに顔をしかめたくなる話だが、きっとそう的外れではない。むしろ邪魔になった前妻を殺してしまわなかっただけ、マシとすら言えるかもしれなかった。

「それで、どうしてここに?」

「離縁の際にね、国内にいることは許さない――、そう言われたらしくて。後はあなたと同じよ、ベルちゃん」

「……そう、ですか」

 つまり、国外の血縁を当てにしてきた、ということだ。

「その、申し訳ないです。親子揃ってこんな……」

 自身のときも、かなり迷惑をかけた自覚があった。それが母まで同様のことをしていたなんて。

 しかしカレンは、やわらかく笑って首を振る。

「いいの。しばらく泊めて、家を用意しただけよ。大した手間じゃないわ」

「でも……」

 ここの夫妻は人がよすぎないだろうか。

 だが、その「人のよさ」が今は少し辛い。

 普段は街の方で暮らしているというこの母との対面は、彼らの優しさで取り計らわれたのが嫌というほど分かってしまった。

 好意から、と理解していて文句を言えるほど、ベルは子供ではない。

「さあ、セレネ。そろそろ泣き止みなさい。ベルちゃんも疲れているでしょう? 話は明日以降にしましょう」


 カレンが手をぱちんと叩いてそう促すことで、ベルはやっと一人になることができた。

 これからのことを思うと気が重い。

 早く身の振り方を決めなければ。

 けれど今は酷く疲れていて、思考を纏めることなど出来そうもなく、ベッドにごろりと横になって目を閉じる。

 明日には母が、ベルには何も言わずに街にあるという自宅へ帰っている――。そんなありもしない希望を抱きながら、独りきりで眠りについた。




 母との邂逅から早一月。

 ベルはいまだ、エンケスバークの領主邸に厄介になりながら、ひたすらに彼女の相手をする日々を送っていた。

 セレネスティはあれから一度も、街にあるという自宅には帰っておらず、日がな一日ベルにべったりと張り付いている。今日も相変わらず庭先で、母だけが上機嫌な二人きりのお茶会が催されていた。

「ああ、ベレスティア。また貴女と一緒にすごせるなんて、夢のようよ」

「……そうですか」

 にこにこと微笑む母に、ベルは無表情のまま茶を一口啜る。

「ねえ、やっぱり街でお母様と暮らしましょう? きっと楽しいわ」

「いえ。私はこちらでオリバー様とカレン様にご恩をお返ししたいので」

 無邪気な提案に、眉をひそめそうになるのを必死に我慢して、ベルは坦々と返した。もうこのやりとりも、何度目になるか分からない。

「……やっぱり、わたくしと暮らしたくはないのね」

 セレネスティの暗い声にハッとした時には、彼女はほとほとと涙を零して、至極悲しげな表情をしていた。

「そ…ういうわけでは」

「うそだわ……! 貴女はずっとわたくしの提案を断ってばかり……。いずれはまた、わたくしを置いて行ってしまうのでしょう……!」

 金切り声を上げる母に、罪悪感、またかと呆れる気持ち、それから――堪らえようのない怒りが湧く。

 だがベルは、唇をきゅっと噛み締めて、叫び返しそうになるのを耐えた。

「旦那様に捨てられて、今度は貴女にも捨てられるのね……」

 世界で一番不幸だとでも言いたげなセレネスティの嘆きを無言で流す。

 もう聞き飽きるほどに聞いたその嘆きに、ベルは最早返す言葉を持たない。はじめの頃は「そんなことない」だとか、そういった通り一遍な慰めを口にしていたが、それすらも疲れてしまった。

 彼女はただ人に構ってほしいだけ、自身の不幸に酔いたいだけなのだろう。

 そうとでも思わねば、やっていられない。

 ベルは素知らぬ振りで茶を飲みながら、その内心は母をせめて睨みつけてやりたいのを必死で抑えていた。

 私が十年前、どんな気持ちであの家から去ったと思っているの。

 今度は貴女に捨てられる? 私はとっくの昔に貴女たちを捨てているの――。

 そんな言葉が飛び出そうになる度に、ベルは懸命にそれを飲み込んでいた。

 目の前の母が、とても――きっと想像以上にとても苦労したのは、年齢よりも老いた今の姿を見れば分かる。ベルもそれを察していながら、更に彼女を追い詰めるようなことを言う気にはなれなかった。

 だが、さめざめと泣くセレネスティから出てくるのは、殆どが恨み辛みの言葉だ。旦那様が酷い、ベルが冷たい、わたくしの居場所はどこにもない――。そんな言葉ばかり。

 反論を口にすることもできずに、ただ受け止めているだけであっても、ベルの心は疲弊し切っていた。

「――どうしてみんな、わたくしを捨てるの? わたくしが何をしたの? ひどい、ひどいわ……」

 ベルが黙り続けていると、今度はそれが気に障ったのかセレネスティがキッとこちらを睨む。

「貴女も、やっぱりわたくしのことなんて、どうでもいいのね……っ! だから、黙っていられるのでしょう!」

 詰る言葉にそれでも黙っていると、彼女は涙に濡れた顔を覆った。

「あぁ……、どうしてこんなことになってしまったの。小さな貴女は、あんなに素直で可愛かったのに……」

 ティーカップを持つ手が、動揺に揺れる。

「ベレスティアは、いつも笑顔で優しい子だったわ。なのに……」

 気が付くとベルは、カップを叩きつけるようにテーブルに置いていた。ガチャンッ! と陶器の擦れる音が響いて、セレネスティも顔を上げる。

「ベレスティア……?」

「いい加減にして」

 ベルは地を這うような声で呟いた。

「ベレスティア? 怒っているの……? どうして?」

「どうして?」

 間抜けな質問をするセレネスティを、思わず鼻で嗤う。

「ええ。母上の言う通り、『ベレスティア』は優しい子だったと思いますよ。優しくて、素直で……、貴女がたに都合のいい人形のように」

 酷い酷いと嘆くだけならば、聞き流すことができた。だが、過去を引き合いに出されて――、その上『昔の方が良かった』などと言われて黙っていられるほど、ベルの傷は浅くはなかった。

「私が何故、突然家を出たのか……。貴女は少しでも考えたことがありますか。ないですよね? もしあったなら、自分ばかりが不幸――みたいな顔をしていられるはずがないですから」

 当惑するセレネスティをベルは冷たく見据える。

「私はあの家が嫌になったから出て行ったんです。『素直で可愛いベレスティア』が嫌になったから……! 分かりますか!?」

 立場が逆転してしまったかのように黙り込むセレネスティが腹立たしい。

 ベルは勢いよく立ち上がって、彼女を睥睨するように見下ろした。

「もう母上の知る『ベレスティア』は、どこにもいないんです。私はとっくの昔に――」

 ――貴女を捨てている。

 そう叫ぼうとした言葉は、後ろから口を塞がれて飛び出す前に消えた。

「ベル、そこまでにしておこう」

「あ……」

 背後から聞こえた声に、一気に頭が冷える。怒りで強張っていた身体から緊張が抜けるのを察してか、もベルの拘束を解いた。

「…………ヒュー」

 顔だけ振り返ると、彼と目が合う。そこには何故か、アルドラントで別れたきりのヒューが経っていた。彼は微笑みだけを返して、セレネスティに向き直る。

「お久し振りです、セレネスティ様」

「……ヒューくん、ね」

 ヒューはにっこりと笑って、ベルの腰を抱き寄せた。

「申し訳ないのですが、彼女が貴女と同居できないのには、理由(わけ)がありまして」

 彼は妙に芝居がかった仕草でベルの手を取ると、その甲に唇を押し当てる。

 ちゅっと音を立ててキスをして、セレネスティに向かって意味ありげに微笑んだ。

「……こういうことでして。彼女を連れて行っても構いませんか?」

 セレネスティは暫く惚けたような顔をしたあと、はっとして頷く。

「そ、そういうことだったの……! もう、ベレスティアも言えばいいのに。もちろん、若い二人を邪魔立てなんてしないわ」

 急にニコニコしだした彼女は、あっさりとベルを解放をした。

「ありがとうございます。――ベル、行こう」

 何が何だか分からないが、この場から離れられることにほっとして、ヒューに従って歩き出す。

 だが、数歩足を進めたところで、彼が不意に止まった。

「――セレネスティ様、最後に一つだけ」

 母の方へ振り返ったヒューの視線は、先程までの笑顔が嘘のように冷え切っている。

「…………ヒューくん……?」

 セレネスティも困惑を顔に浮かべていた。

「先程、ベルが言った言葉……、今一度よくお考え下さい」

「…………」

 彼女は何も答えない。ヒューも解答を期待はしていなかったのか、そんなセレネスティから視線を外し、ベルの手を握った。

 歩き出す彼の後を追いながら、ベルは母の姿を肩口に振り返る。

 ……さよなら。

 心の中でそう告げると、母に背を向けてもう二度と振り返らなかった。




「ベルちゃんっ!」

 ヒューに連れ出されて、領主邸を後にしようとしていたベルを引き止めたのは、そんなカレンの声だった。

 彼女の後ろにはオリバーもいて、どちらもがどこか申し訳なさそうな顔をしている。

 戸惑いに足を止めると、ベルの手を握り締めていたヒューが不意に離れていった。

「……ヒュー」

 心細さについその名を呼べば、彼は苦笑して肩を竦める。

「大丈夫だから。待ってる」

 ヒューが玄関口の壁に寄りかかるように立ったのを確認して、ようやくカレンたちの方へ振り返った。

 彼女たちは一体何を言う気だろうか。

 これまで過ごした一ヶ月の間、この二人は本当によくしてくれた。しかし、ことセレネスティとの関係においては、静観しているのが殆どだったのが現実だ。

 彼らは「親子が仲直りできればいい」と考えているのは明白で、悪気がないからこそ苦しかった。

 ベルは二人と目が合わせられずに俯く。

 きっと彼らはこういうはずだから。

 ――お母様を許してあげて。

「……ベルちゃん」

 カレンが泣きそうな声で名前を呼んだ。ベルはぎゅっと目を固く瞑って、母を擁護するであろう発言を待つ。だが――

「ごめんなさい」

 聞こえたのは、そんな言葉だった。

「…………え……?」

 一瞬、何を言われたのか分からず、のろのろと顔を上げる。

 その瞬間、ベルはカレンの腕の中にいた。

「……カレン様?」

 あたたかな彼女の抱擁に困惑する。

「さっきね、ヒューさんに怒られてしまったの」

「ヒューに?」

 カレンは頷いて続けた。

「『国境を越えてまで逃げたかった相手と、二人きりにするなんて正気か?』って」

 驚いて振り返ると、照れ隠しかヒューはそっぽを向いている。

「わたしたち、あなたがぎこちないのは再会してすぐだからだ、って思い込んでいたわ。でも……、ヒューさんの言う通りだと気付いたの。だから――……、ごめんなさい」

 ベルはしばし無言で悩んだあと、そっと彼女の背に腕を回した。

「いいえ、カレン様とオリバー様のお心遣いは、理解しているつもりです。ただ……」

 彼女は首を横に振ってベルの言葉を止める。

「もう何も言わなくていいの。あなたは何も悪くないんだから」

「カレン様……」

 もう一度ぎゅっとベルを抱きしめたカレンは、今度は明るい声で言った。

「ね、ベルちゃん。もう行ってしまうのでしょう? でもこれだけは覚えておいて。わたしたちはあなたのことを、本当の娘のように思っているの。ねえ、あなた」

「! ああ、もちろんだとも。ベルはもう私たちの娘だ」

 小走りで近寄ってきたオリバーは、カレンごとベルを抱きしめる。

「だから、いつか……わたしたちに会いに、帰ってきてね」

「……!」

 ベルは目を見開いて、二人の顔を仰ぎ見た。

 彼らの瞳には、紛れもなく親愛の情が窺える。

 そう、家を飛び出す前のあの頃。両親から本当にほしかったのは、きっとこれなのだ。

「……はい。必ずまた帰ってきます。あかあさま、おとうさま……」

 三人はきつく抱き合って、別れを惜しんだ。

 それは、ベルが長く願ってやまないものだった。




 荷物を纏め領主邸を出たベルは、ヒューと共に彼の用意した馬車に乗っていた。

 ひとまず、エンケスバークの街にあるという商会の支部に向かうらしい。

「……ねえ、ヒュー」

 暫く黙ったままカレンたちとの別れに浸っていたベルは、気持ちの昂ぶりが収まってきた頃合いで、ようやくじっと窓の外を見ていたヒューに声をかけた。

「落ち着いた?」

「ええ。……その、連れ出してくれてありがとう」

「どういたしまして」

 にっこり微笑んで彼はそれだけ言う。

 会話が途切れてしまい、ベルは少し焦って口を開いた。

「ねえ、どうして?」

「ん?」

「どうして……、こんなところまで来てくれたの……?」

 一度はこちらに背を向けた彼は、何故こんな遠いところまで追いかけてきてくれたのだろう。

「どうして、って……」

 ぶつけた疑問にヒューは少し困った表情をして、目を瞬かせた。

「もうどこにも行かない、って言ったじゃないか」

 まるで当然のように告げられた言葉に、サッと?が赤らむ。

 覚えていてくれたのか――。

 熱い頬を隠すように俯くと、膝の上に置いていた手に、ヒューの指が触れた。そしてそのまま、ぎゅっと握り締められる。

「ベル」

「……なあに?」

 ゆっくりと顔を上げると、彼の真剣な眼差しとかち合って、思わず身体がぴくりと震えた。

「ごめんな。けど俺はもう、君から離れる気はないんだ」

「…………どうして謝るの?」

 心底不思議に思ってベルが首を傾げると、ヒューは苦笑を浮かべる。

「君が嫌がったとしても、世界の果てまでだって追いかけて見つけ出すから」

 ベルはさらりと告げられた――、捉えようによっては重すぎる発言に、呆気にとられて言葉を失った。

 そしてふと、世界の果てまで逃げる自分と、それをどこまでだって追ってきてくれる彼を夢想して、ふっと笑みが漏れる。

「本当に? 私がどこへ行っても見つけてくれるの?」

「もちろん。今回も見つけ出しただろ? まあ、『世界の果て』よりは、よっぽど簡単だったけど」

 ベルはそう言ってのけるヒューと、顔を見合わせて笑った。

「……ね、ヒュー」

 ひとしきり笑いあったあと、ぽつりと彼の名を呼ぶ。

「もしも、『世界の果て』まで逃げたくなったとしたら――、あなたが連れて行ってくれる?」

 ぽかんとするヒューに、ベルはまた笑ってしまった。

 随分と遠回りしたような気がする。

 ああ、けれど――。

 感極まったように、ベルをきつく抱き寄せたヒューの胸の中で思う。

 十年前に置いてきたものには、確かに追いつかれてしまった。

 けれど、それは想像以上の幸福に形を変えて、今ベルを包んでいる。


fin.

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