あなたのうでのぬくもりと

 昨日は高校の卒業式だった。

 その日は、紫乃と高校での思い出を語りながら、かつての仲間達と再会したいと喋りながら別れた。夜はと言えば、両親にささやかながら御祝いしてもらい、とても良い気分で眠りについたのだ。

 そして今日。

「それじゃ、お爺。あと、よろしくねー。」

 かずさは顔馴染みとなって久しい、かの老人に手を降り、異界へ、魔法界へと向かう。

 あの日から一年半。やっと高校を卒業し、もう子供とは言わせない歳になったつもりだ。

 今日は絶対、泊まってやる!

 かずさは決意も新たに、異界への扉を開く呪文を唱えたのだった。




 魔法界に着くと、その足でエイルの元に向かった。彼はいつもと変わった様子もなく、いつものように単々と、来たのか、とだけで何も言わない。

 ……期待してたわけじゃないけど。

 かずさはひっそりと溜息を吐いた。高校の卒業、かずさにとっては人生の節目にもなる重要な出来事だが、異界人である彼には関係が無い。エイルが知るわけがない。

 もしかしたら、おめでとうぐらい言ってくれるんじゃないか、などという期待は無駄だ。

 今日はそんなことを言いに来たんじゃない……!

 気にしない事にして、そう気を取り直すかずさだった。だが、時間はあっという間に過ぎていき、気が付けば外は暗い闇に覆われようとしていた。

「そろそろ帰るか?」

 エイルの部屋で二人で他愛もない会話を、もっとも殆どかずさが喋っているだけなのだが、その後、いつものようにエイルがそう聞く。エイルは夜が更けようとする頃になると、決まってそう聞いては、かずさを人間界に帰した。いつもなら、そうだね、といって大人しく帰るかずさだったが、今日は違った。

 けど、どうしたら……。

 結果、何も言えずにかずさは押し黙った。

 いつまでも何も言わないかずさに、怪訝な顔でエイルが彼女の名を呼ぶ。

 かずさは俯いたままで、どうしようかと思案していた。

 このままではいつものように帰されてしまう。

 それは、嫌だった。

 かずさは、肩を竦め後ろを窓の方を向いたエイルの服の裾を掴み、くんと引っ張った。

 驚いたエイルが顔だけ振り返る気配がしたが、かずさは恥ずかしさからか顔を上げることが出来ない。

 二人の間に沈黙が落ちる。どちらも何も喋らない。心臓の音まで聞こえそうだと、かずさは思いながら、エイルの出方を待つ。

「………。」

「………。」

 しかし結局、いつまでも終わる気配のない沈黙に痺れをきらしたのも、またしてもかずさだった。

 わかってるくせに!!

 かずさは内心そう叫ぶ。エイルは普段、鈍い方ではない。いや、むしろ、聡い方ではないだろうか。

 かずさはムッと口をへの字に曲げる。

「―――ッ、バカ!」

 かずさはエイルを後ろから突き飛ばすと、その勢いのまま部屋を出ていった。




 かずさは城内を滅茶苦茶に走り、暫くしてようやく止まった。はぁ、と息を吐いて辺りを見渡す。

 そして場所を悟ると、ここは、とかずさは笑いをもらした。かずさは無意識にもう跡もない首筋をさする。この場所は、いつかにエイルに剣を片手に脅された所だ。

 つまるところ、軍部の演習場近くだ。隣国の魔法少女として、特にこの国の軍部ではエイルの彼女として、それなりに有名になったかずさは、もうこの辺りを歩いていても誰何されることこそないが、エイルの部屋からはかなり離れた場所ではある。

「あれ、かずささんじゃないですか?」

 突然かけられた声に驚いて、声の方を見る。

「レオンさん……。」

 どうしたの、と心配気な彼もまた、エイルと同じくエドウィンに仕える立場の、言わばエイルの同僚だ。エイルから友人だと彼の事を紹介されて以来、かずさとレオンはそれなりに話す事も増え、仲良くなっていた。ちなみに、かの一件でフェリエに懸想した彼は、それ以来告白しては、すげなく断られているらしい。

「どしたの、エイルと喧嘩でもした?」

「……レオンさん。」

 茶化したように聞くレオンに、恨めしげな目を向けると、あれ、図星?! と、あわあわと謝罪をする。

 とはいうものの、あれは喧嘩なのだろうか。かずさは溜息を吐いた。

 どっちかというと、私が怒って出て来ただけだ……。

 とくにここ暫くは、会っても、楽しい時間より喧嘩している、いや、かずさが怒っている時間の方が多かった気がする。

 かずさは追っても来ないエイルに、また溜息を吐いた。

「何かあったみたいだね。俺でよければ、話聞くよ?」

 かずさは項垂れて、そしてその言葉に頷いた。

 だが、どこから話せば良いのだろう。かずさは迷った末、仕方なく初めから話すことにした。

「昨日、高校を……、こっちでいうと、えっと、初等教育…かな、を卒業したんです。」

 魔法界では教育課程は大きく二つに分かれている。一つ目が初等教育。人間界では小学校から高校にあたるのがそれで、だいたいが、十歳から十五、六歳までの人が通う。この初等教育は義務でこそないが、殆どの人が当たり前として通うところだ。もう一つが高等教育。こちらを通うかは任意で、専門に分かれて学びに行くらしい。人間界では大学、専門学校などがこれに当てはまるとの事だ。いつかにエイルからそう説明を受けたそれを思い出しながら、そう人間界での高校を説明する。

「それで、えっと……。なんというか……。」

 魔法界での初等教育の終わりは、本当にほぼ日本で言うところの高校卒業と、同じ意味を持つ。つまり、まだ成人こそしていないものの、もう、大人として扱われはじめる時期らしい。

 かずさはエイルと五つほど、歳が離れており、まだ学生の身。エイルはそれを気にしているのだろう。

 と、思っていたかずさだったが、よく考えれば、ここは魔法界。日本人の感覚とはまた違う可能性もある。そういうことではなかったのだろうか。

 かずさはそう思うと、いや、それでなくても、内容が内容なだけに、はっきりと口に出して言うことが出来ず、目を泳がせ、あーうー、と延々唸っている。

 卒業したから、と喜び勇んで来たみたいで、その通りなのだが、かずさは今更ながら、かなり恥ずかしいことをしようとしているのか、と少々青くなっている。

 ていうか、女からって、はしたない?!

 いつのまにか頬に手を当て、黙考しているかずさの姿に、レオンも思うところがあったのか、突然、あ、と声をあげた。

「かずささん。もしかして、そういうこと……?」

 レオンも明言は避けたが、かずさは通じたことに、ほっとする気持ち半分と、恥ずかしい気持ち半分で、コクコクと頷く。

 事情を解したレオンは、そういうことか、と頭を抱えていた。今かずさがここにいる理由も、大方察しがついたのだろう。

「でもさ、あいつの気持ちも分かってやってよ。」

 五つも下の大事な彼女をどう扱うか、はかりかねてるんだよ、とレオンは言ったが、かずさの顔は晴れない。かずさも、何度そう自分に言い聞かせたか分からないからだ。

「私、不安なんです。」

 かずさはぽつと呟き、この一年半を思い浮かべた。

 あの日、一年半前のあの日、確かにエイルは「愛してる」と、言った。

 でも。

 その言葉が、自分の作り出したまやかしなんじゃないか、と思ってしまうほど、あれ以来、エイルがそういった言葉を口にしたことはない。

 いや、言葉に出さないだけならば、かずさは構わなかった。エイルが元々そんなに喋る性質でないのは分かっていたので、そうそう口に出してもらえるなど、端から期待していない。

 かずさは知れずまた溜息を吐いていた。

 確かに距離は近付いたと思う。だがそれはいつもかずさからだった。かずさは暇を見つけてはエイルに会いに魔法界へと赴いた。共にいる時間が長ければ、否応なく距離が近付いたと思うのは必定だろう。

 そして会うのがいつもかずさからなら、手を繋ぐのもかずさからだった。キスなど、あれ以来していない。

 だから、いつもいつも不安だった。

 私だけが好きなのかな。打ち消そう、打ち消そうとしても、何度だってかずさの頭に浮かんできた問いだ。

 ずっと不安で仕方がない。

「私の事、もう、好きじゃないのかな……」

「―――そんなわけないだろう!」

 かずさ自身、意識して出た言葉ではなかった。その言葉に突然の返答。かずさはびくっと顔をあげ、声のした方向を見る。

「エイル……。」

 かずさの口からほろりとその名がこぼれた。

 かずさの隣にいたレオンは、ふっと不敵に微笑むと、エイルの肩を叩いてその場を後にし、この場はかずさとエイル、二人きりになる。

 かずさはその現実に気が付くと、勢いよく立ち上がり、一歩後ずさる。自身の頬に熱が集中するのを感じた。

「い、い、いっ、いつ、から……。」

 先程の言葉もそうだが、レオンが静かに聞いていてくれるのをいいことに、考えを纏めるため色々口にした気がする。全部聞かれてたとしたら。かずさは今すぐこの場から消えたい気持ちでいっぱいだった。

 かずさの問いにエイルは答えなかった。その代わりのように、つかつかとかずさに近寄った。

 そして無言のまま、かずさをぎゅっと抱きしめる。

「エ、エイ……、エイル……?」

 突然の彼の行動に言葉もままならないほど動揺していた。そんなかずさを抱きしめるエイルの腕には、少し息苦しく感じるほどの力がこもっていた。

「すまなかった。」

 囁くような声だった。かずさは、ただ抱きしめられながらその囁きを聞いていた。

「不安にさせるつもりはなかったんだ。」

「………うん。」

 かずさはこくりと頷いて、頭を彼の胸に預けた。

「好きだよ。」

「………。」

 かずさはエイルの背に腕を回して、ぎゅっと掴んだ。

 嘘ではないのは分かっていた。けれど、その気持ちは、自分のものと本当に同じなのか。

「信じられない?」

「……分かん、ない。」

 分からなかった。本当に分からなかった。

 エイルは、そうか、と言って、かずさの髪を撫でた。髪を梳くように指を通して、その髪を柔らかく引いた。かずさがそれにしたがってそっと上を向く。

「すまない。」

 エイルはもう一度そう言うと、いつの間にか浮かんでいたかずさの涙を吸うように、それに唇をよせ、そして、かずさの唇も塞いでしまう。

 一年半前のやり直しでもするかのような、優しい口付けだった。

 だが、すぐに顔を離したあの時とは違う。

 まるでこの一年半を、今度は埋めようとするかのように、何度もかずさに触れる。次第かずさは息が上げ、エイルの腕をぎゅっと掴んだ。

「………ぁ。」

 ようやく唇を離すと、かずさは小さく声をもらし、くたとエイルに身体を預ける。

 エイルはそんなかずさの、少し赤らむ頬にもう一度キスすると、かずさの背と脚に手を回して、彼女を持ち上げた。

「もっと早く、こうしていればよかった、かな。」

 エイルはそう言って苦笑する。

 かずさはそんな彼の言葉を聞きながら、エイルの首に腕を回して、ぎゅと身体を寄せた。

「好き……。」

 自然とそんな言葉がこぼれた。ああ、と応じるエイルの声は、とても、とても優しい響きだった。

 あったかい……。

 かずさはエイルの肩に顔をもたせて、目を閉じた。

 不安だった心がとけていく気がした。

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