終章黎明
セレンが眠ってしまうまで傍で見届けたロウェルは、そっと部屋を退室した。
そこにむっつりと腕を組んで壁にもたれる人影を見つけて、目を丸くする。
「アレイスト……」
ちらと睨むようにこちらを一瞥するアレイストだが、そのまま何も言わない。ロウェルはきょろと視線を巡らせて尋ねた。
「リーティエ公女は?」
「母上なら、もう戻られた」
ならお前は? と視線で問うが、彼はやはり黙ったままだ。しかし、前を素通りして戻ることもできず、ロウェルは所在なく佇む。
そうしていると、アレイストは小さな溜息と共に、ようやく口を開いた。
「陛下には、誘拐されたセレンティーネ王女は公国内で保護、現在はリーティエ妃の元で静養中。誘拐犯は辛くも取り逃がした――、と伝えておく」
その言葉から、セレンは謀反人ではなく、誘拐の被害者として捜索されていたのだろうと悟る。どうりで追手に迫られた時、彼女への害意を感じなかったと納得した。
「わかった。頃合いを見てアキュイラに連れて行くよ」
「……ああ」
それきり、また沈黙が落ちる。
だが、次にその静寂を破ったのはロウェルだった。
「――なあ、アレイスト。……ごめんな」
彼の頬がぴくりと痙攣して、鋭い視線が向けられる。
「それは、何に対する謝罪だ」
「……、さあ。全部かも。でも一番は、あの日……お前の手を離してしまったこと、かな」
ロウェルの目が、無意識にアレイストの左足を辿った。その仕草で、ロウェルの言う「あの日」がいつのことか理解したのだろう。彼はまた溜息をつく。
「その件なら、謝罪は受けたはずだが?」
「たしかに謝りはしたな。でも、それを受け取ったことないだろ、お前」
こちらの言わんとすることが分かったのか、アレイストの眉間に刻まれていた皺が更に深くなった。
ロウェルとて、謝ったからといって簡単に許してもらえるとは思っていないし、もしそうなったとしても自分で自分を許せない。
だが、あの事件のあと初めて顔を合わせたアレイストに、心からの謝罪をして頭を下げたロウェルに返ってきたのは、「別に、いい」という短い返答と、それまで見たこともなかった冷たい表情だった。
謝罪をする、ということすら許されない。そう悟るには十分だった。
でも、それでも。もっと彼に踏み込んで、鬱陶しがられても謝るべきだった、と今は思う。
そうすればきっと――、こんな寂しそうな目をさせずに済んだのに。
「アレイスト」
「な、っ」
少し強引に腕を引いて、その身体を抱きしめる。
「俺は、今でもお前が大事だし、友人だと……、弟だと、思ってるから」
「っ……」
はじめは抵抗しようとしていた手の力が抜けて、ロウェルの服を掴んだ。
「お前は、ほんとに……」
肩口に顔を埋めたアレイストが、もごもごと何かを呟く。
「ん?」
「……ずるい。もう、僕のそばには、戻らない……くせに」
「また、会いに行くよ。必ず」
それっきり何も言わなくなった彼の背中をそっと撫でた。
いつか、この夜のことも笑い話にできる――。そんな日が来ることを願いながら。
「…………、」
朝焼けの中で目を覚ましたセレンは、ベッドからのそりと起き上がって、窓から覗く白い空を見ていた。
久し振りに――、本当に久し振りに、夢も見ずに眠った気がする。
昨夜、アレイストと、ロウェルと、交わした言葉の一つ一つはまだ鮮明だが、どこか遠い過去のようにも思えた。
とても、不思議な気分だった。
「……ねぇ、母様」
今日は黙って傍に立っているだけの母に呼びかける。
ただ恐ろしかった存在が、今は少しだけ違って感じられた。
――居場所が欲しくて必死だった。
自分と母はきっと、同じ気持ちを抱えていただけなのだ。
「わたし、はじめて今、母様が生きてらっしゃったら――、って思った。生きていらっしゃったら、どういう思いで玉座に執着していらっしゃったのか、……その心に、誰が住んでいたのか、聞くことができたのに、って」
幻影の母は黙したまま、何も語らない。
当たり前だ。セレンは「本当の母」のことなんて、きっと何も知らないのだから。
「母様、わたし……王には、ならないわ」
王族の血が流れていないから、だとか、そんな表面的な理由じゃない。
これはやっと取り戻しはじめた、「わたし」の決断だ。
「だから……、いつかわたしが母様と同じ場所へ行った時、沢山恨み言を聞くわ。でも、少しだけ見ていてほしいの。……ロウェルと生きていく、わたしを」
母は最後まで何も言わなかった。
でも、それでいいのだ。
きっとこれからも、母の夢に苦しむ夜はあるだろう。それでも、もう少しだけ生きてみることにしたから。
「またね、母様」
セレンは立ち上がって、おもいっきり伸びをする。
本当に久し振りに感じる、清々しい朝だった。
その後、アレイストはセレンと顔を合わせぬまま王都へ帰還したらしい。
少し遅れてセレン自身も、アキュイラへと戻ることとなった。
数ヶ月ぶりに会ったミイスは人目も憚らず大泣きして、セレンに「心から貴女を案じてくれる人」の存在を思い出させてくれた。それから、心労などで出発時よりも更に痩せたきりのセレンに気付いた彼女は、誰が止める間もなく、ロウェルの頬に平手打ちを食らわせていた。
その言い分としては、「貴方がついていながら、どうして姫様がこんなことになっているんですか!」とのことだ。手厳しい一撃を甘んじて受け入れた彼は、返す言葉もないのか、ただただ頭を下げるばかりだった。
――こうして「誘拐されていた」セレンは、まるで何事もなかったかのように、アキュイラへと帰ることができた。
その筋書きが真実ではないことくらい、皆分かっていただろうに。結局、誰も追求してくることはなく、セレンはこの恩に報いるためにも一層領主業に邁進していった。
それから数年。
セレンの姿は王都の城内にあった。
今度は押し入ったわけでは当然なく、今宵の主役の姉として招待をされた席だ。
今日は、主役――アレイストの婚礼が行われていた。
日中に誓いを終え、今はパーティーの最中にある。セレンはアレイストの代わりに、ファーストダンスを済ませて壁際まで抜けてきたところだった。
「ほい」
差し出されたグラスに顔を上げる。
「ありがとう、ロウェル」
パートナーとして出席しているのは、もちろんこの男だ。今のところ婚約者ですらないのだが、当然のように一緒にいる。
セレンは細いグラスに軽く口を付けつつ、新妻と談笑するアレイストの姿を見つめた。
表情がとてもやわらかい。
王太子としての笑顔でも、あの夜に見せた寂しげな微笑でもない。
そのことに安堵して――、安堵できている自分にもほっとする。
「アレイストも随分、落ち着いたみたいね」
「あぁー、まあ。最初は結構荒れてたけどな」
子供の成長を見守るような顔をしているロウェルに、セレンは目を眇めて胡乱な視線を向けた。
「そうね。あなたは頻繁にアレイストと会ってるものね。わたしに『傍で見てろ』とか言ってたくせに、殆どいやしないんだから」
「ちょ……、殆ど、ってことはないだろ。月一くらいでしか……」
「往復の時間を考えたら、半分はいないじゃない」
「うぐっ……」
しどろもどろになるロウェルに多少は溜飲が下がり、セレンは肩を竦めた。
「でも、奥様とも上手くいってそうだし、そろそろ返してもらわないとね。……ねえ、ロウェル」
「なんだ?」
「結婚する?」
「ぶっ!」
飲んでいたワインを吹き出したロウェルは、げほげほと涙目で咳き込みながら、こちらを見上げる。
「……本気か?」
「だって、アレイストの縁談も纏って、もう気兼ねする必要はないし。正式に籍を入れれば、もう少し王都へ行く頻度も減らしてくれるでしょ」
「それは、まあ……。そろそろ
「じゃあ、いいじゃない」
「いや、それはそうなんだけど」
彼は何やら唸ったあと、はあ、と大きな溜息をついた。
それから、セレンの空いている方の手をうやうやしく掴む。この数年で、すっかり剣ダコの消えたそれは、ほっそりとした令嬢の指をしていて、セレンは自分自身でも不思議に見えるときがあった。
ロウェルはそんな手の先に、ちゅっとキスを落とす。
「答えは……、その、イエスだ。イエス、だが」
「『だが』?」
「プロポーズは、今度俺からやり直させてくれ」
なんとも渋い顔でそう言った彼に、セレンはぷっと笑ってしまった。
「ふふ、なら期待して待ってようかしら。でもいいの? 仕切り直しをしようとしてる、なんてミイスの耳に入ったら、口煩くダメ出しされそうだけど」
「う゛……。たしかに……」
アキュイラに戻って以降、ミイスはやたらとロウェルに手厳しい。だが彼も、その扱いを甘んじて受け入れているので、思うところがあるのだろう。
ちなみにセレンは内心「まるで姑の嫁いびりだなぁ」と感じているが、それは二人には内緒だ。
「いや! でも、やるから。待っててくれ」
意気込んで宣言された言葉に、くすくすと笑う。
「なら、楽しみにしてるわ」
セレンはロウェルの手に指を絡めて、先程より一歩距離を詰めた。自分より少し高い位置にある肩に身体を預けて、目を閉じる。
彼の隣が、わたしの居場所。
これからも――、死が二人の元に訪れるまで。
終