027:水

 ガシャン!

 大きな音共に、花瓶が部屋の壁に当たって砕け散った。硝子片がそこかしこに飛んで、男の頬を切りつける。そして瓶の中に入っていた水が床に広がった。

 そこには、花瓶の破片と共に昼間に贈られたばかりの真っ赤なガーベラが散らばっている。

「姫……。」

「うるさい!!」

 アリステーラはハミルに飛びかかるような勢いで彼に突進する。だがハミルは、それを受け止めきれず、ハミルは壁に背中を打ち付け、そのまま二人はずるずると床に座り込んだ。

「花、ドレス、宝石……! もう、うんざりなのよ!! あいつの色に染められているみたいで吐き気がする!」

 そう叫びながらアリステーラはハミルの胸を殴りつける。騎士である男の身体には、か弱き姫の拳などさしたる影響を与えはしない。

 だがその手が打ち付ける胸が、酷く痛んだ。

 心が、痛んだ。

 アリステーラの手が止まる。小さく息を吐いて、頭をハミルの胸につける。

「ハミル……、私を………私を、抱いて…、抱きしめて……。私を、見捨てないで…お願い………。」

 胸が痛い。

 もう、ずっと。

「……………ええ。」

 視界の端に、踏みつけられ捩れた血のような色の花が映った。




「っ………!」

 扉の向こうから、衣擦れの音、そして小さな声が聞こえる。

 リィナは上げかけた声を、両手で抑え込んで何とか飲み込んだ。

 まさか、そんなはずない。

 何度も浮かぶその考えを否定する。

 しかし、部屋の中で交わされていた会話。漏れ聞こえる息遣い。その全てが、その室内を想起させる。

 とんでもない事を知ってしまった。その恐怖で息も上手くできない。足もすくんで動かない。

 どうしたらいい?

 息を吸う、でも空気が入ってこない。

 それは、光の届かぬ深い水底に溺れていくように。

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