棺の中で眠る最愛の人。
彼を守りたくて、その手を離したのに全て無駄だったと知ってしまったヨヒアムは、雷鳴響く聖堂で、愛する男の死体を前に絶望していた。
このまま、僕も彼の元へいってしまいたい……。
そう願った時、突然目の前が眩しくなり、気が付くと七年も前の過去に戻っていた――!
今度こそ、愛する人との平穏で幸せな日々を守りたい。
そう決意したヨヒアムの、奮闘と運命を描くファンタジーボーイズラブ。

| タイトル | 死に戻り令息の受難 突然過去に戻ったので今度は絶対愛する人との未来を掴みます! |
| タイトル(かな) | しにもどりれいそくのじゅなん とつぜんかこにもどったのでこんどはぜったいあいするひととのみらいをつかみます |
| 著者名 | 雪野深桜 |
| 著者名(かな) | ゆきの みお |
| 刊行日 | 2025年10月18日 |
| 種別 | 短編 |
| ジャンル | ファンタジーBL |
「あぁ……」
視界が滲んで、身体から力が抜ける。
周囲には誰の気配もなく、聖堂の屋根を叩く雨の音だけが響いていた。
冷たい石の床に膝をつき、硬い棺の縁を掴む。
ヨヒアムはこんなにも、己の身体が、心が、感情が、言うことを聞かないことがあるなど、これまで想像もしていなかった。
「……どうして、僕を置いていくんだ、ラエル」
たくさんの花に囲まれて箱の中に収まった男は、もうその目を開けることも、やわらかな声音で名前を呼んでくれることもない。
「僕は……君をこんな風にするために、手を離したんじゃないのに……っ」
愛していた。
この世の誰よりも、守りたかった、幸せでいて欲しかった人――。
なのに。
真っ白な葬送の花に埋もれる中で、彼の黒髪だけが沈んで見える。項で結ばれていたそれを、ほどく瞬間が好きだった。だが今は、赤黒い血が点々とついて、固まってしまっている。
敵兵の返り血なのか、それとも彼自身のものか――。
真相を本人に訊ねることも叶わない。
「ラエル……」
君と――、流血とも争いとも無縁の場所で、ただ笑っていたかった。遠くなったその日々が、どれほど幸福だったか、今になって思い知る。
「っ――」
もう一度彼の名を呼ぼうとした――その時、酷い雷鳴と共に視界が真っ白になった。
声を上げる間もなく、身体が痺れて動かなくなる。
何が、という問いは、掠れた音を喉から漏らすだけで、言葉にならなかった。
だが頬に次々と水滴が落ちてくるのを感じて、建物の天井がなくなったのだと気付く。
ようやく戻ってきた視界で辺りを見渡せば、焼けて崩れた屋根と、雨の勢いにも負けず燃える壁が見えた。
落雷が聖堂を半壊させ、自身にも感電したのだとわかった。
「っ、はは……」
直撃ではなかったせいか、命はある。
けれど――、それが何だというのだろうか。
ラエルのいない世界で生きていくことに、何の意味が。
ヨヒアムはよろよろと這うようにして、愛する人の眠る棺を覗き込んだ。
「このまま、一緒に燃えてしまえば、君のいる所までいけるかな」
彼の冷たい唇にキスをする。
そして、そのままヨヒアムは身体の力を抜いて目を閉じた。
触れた肉体が、固く冷え切っている。その現実に、胸が引き裂かれそうなほどの悲しみを覚えた。
もう一度だけでいい。彼のあたたかな抱擁に包まれたい――。
そう思った時だ。
「っ……?」
不意に身体から、痺れと重怠さが消える。
雨の音も聞こえなくなって、閉じた目蓋越しには雨空には似つかわしくない光が見えた気がした。
自分はもう死んだのだろうか。
しかしそんな判断をするには、意識が妙にはっきりしているような……。
ヨヒアムはそろりと目蓋を押し上げ――、息を飲んだ。
「ラ、エル……」
そこには、やわらかな朝の光が差し込む広いベッドの上で、穏やかな寝息を立てる愛しい人の姿があった。
「っ……」
一度は止まったはずの涙が、ぽろぽろと流れ落ちていく。
「……ヨヒアム?」
嗚咽を聞きつけてか、ラエルが目を開けた。
ああ、もう一度彼に名前を呼んでもらえるなんて――。
死の間際に見る、最後の幸せな夢。
それでもいい。
ヨヒアムは涙をボロボロと零しながら、あたたかな彼の胸に顔を埋めて、わんわんと泣いたのだった。