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2022年短編4-1

「ここで降りろ!」

 馬車の扉を開け放った男が、中に一人座っていた女を乱暴に引きずり下ろした。

 土がむき出しの地面に手をついた女は、ひりりとする痛みを覚えて、手の平に怪我をしたことに気付いた。地面に座り込んだまま、その手を見ると、いくつもの裂傷がその白い肌にできている。

「……『治癒(ヒール)』」

 女が小さな声でそう呟くと、その傷は瞬く間に消えていった。

 それを見た、先程女を引き倒した男が忌々しそうな目で女を見下ろしながら舌打ちをする。

「気味が悪ぃ……」

 男はフンッと鼻を鳴らすと、馬車の御者台に座り直し嘲るような顔で女を見下ろした。

「王妃様に目をつけられたこと、運が悪かったと思うんだな、ミリーナ王女様

 そう吐き捨てると、その男は無人の馬車と共に、その場を去っていった。

 一人取り残された彼女は、地面に座り込んだまま途方に暮れる、

 こうして女――王女であったはずのミリーナは、国から捨てられた。


2022/09/05

2022年短編4-2

「あらまあ、それならばミリーナ王女が適任なのでは?」

 声高にそう言い放った義母に、ミリーナはぽかんと彼女を見た。

 ここは謁見の間、本来ならば王妃といえど王の許しなく口を開くべきではない場所だ。だが、それを咎めるものはおらず、それどころか彼女の提案に「その手があったか」と言わんばかりの表情を浮かべる者までいた。

 困惑した様子なのは、その「問題」について奏上している、国境地帯を守る領主が遣わした使者と、あとはミリーナ本人くらいなものである。

 ここで異を唱えられるのはミリーナくらいだろう。そう判断せざるを得ず、ミリーナは王妃に向きなおった。

「本気で仰られているのですか? 本気で私に魔族領へ向かえと?」

 この世界には人間と、それから超常的な力――魔法を操ることを得意とする魔族とか存在する。魔族は極一部を除けば意思疎通を図ることもできず、人間を捕食対象として襲う魔族の中でも魔物と分類される獣たちと、それを恐れ対抗する人間とで争いが繰り返されてきた。

 その中で今目の前にいる使者は、こんな「問題」を持ってきたのだ。

 全魔族を支配下に治めた王が、人間との和平を望んでいる――。

 魔族領との境を治める領主は、どうするべきか判断を仰ぐべく、こうして使者を遣わせたのだ。

 当然、場は騒然となった。

 これは人間を殲滅するための罠に違いない。いや、そんなことをせずとも彼らには、それを成す力があるのだから、本当に和平を望んでいるのでは――。

 相手は人間側との交渉を望んでいるようだが、どこまで本当か分からない。

 そんな時に声を上げたのが王妃だった。

 ミリーナが適任。つまり、ミリーナに魔族領へと赴き、魔王と交渉してくればよい、と言っているのだ。

 ミリーナが確認するように問うと、王妃は真っ赤な唇を吊り上げて笑う。

「だってそうでしょう? 貴女ならば王族として身分は申し分ないし、何より……お仲間なんだから、話も聞いてもらいやすいんじゃなくて?」

 お仲間、という言葉に、瞬間的に爆発しそうになる怒りを押し込めて、ミリーナは努めて冷静に口を開いた。

「……王妃殿下、魔法が使える人間と、魔族は同一ではありません」

「そうだったわねぇ」

 王妃はなんでもないことのように笑う。当然だろう。わざとなのだから。

 ミリーナはたしかに魔族が得意とする魔法が使える。そしてその魔法を使える人間は、人と魔族が交わったことにより生まれるのだ、などという馬鹿げたことを信じている人間がいるのも事実だった。

 しかしそんなものはやはり噂に過ぎない。ミリーナの出自はしっかりしたものだからだ。それでも王妃がわざわざこれを口にするのは、それが事実かどうかが重要なのではなく、ミリーナを貶める材料がほしいからに過ぎない。

 元々の身分が低い彼女は、自分の息子――ミリーナにとっての異母兄の王位継承を盤石なものにしようと必死なのだ。そのためには、高位貴族の娘で国民に「聖女」などと呼ばれて愛されたミリーナの母が、そしてその娘が邪魔で仕方ないのだろう。

「それで、ミリーナ王女。わたくしの提案についてはどうお考え?」

 王妃の言葉にミリーナは言葉に詰まった。

 王妃の提案は一見正しいものだ。

 本当に魔族の王――魔王が、和平を望んでいるのならば、その交渉相手として王族を送るというのは一種の誠意になる。「お仲間」という言葉には賛同できないものの、魔法が使えるというのは、相互理解の点で有利に働くはずだ。

 だがそれもこれも、本当にミリーナを「和平の目的」で派遣するのならば、だ。

 あちらの真意も分からない時点で、それを本気で考えているとは思えない。

 となれば、彼女の提案の真意はこうだろう。

 ミリーナの「事故死」を狙った国外追放。

 罠だった場合、魔族に殺される。もし真実魔族が和平を望んでいても、きっと王都へ帰還する前に何らかの理由で殺される。

「…………私は」

 行きたくない、と言いたかった。

 だが、断る理由がない。そして、周囲を見渡しても助けてくれそうな人物もいなかった。父も兄も王妃の言いなりだ。かつて彼女に諫言した臣下たちも、とっくに左遷されていてこの場にはいない。

「私が、参ります」

 苦々しくそう言うと、王妃がぱあっと表情を明るくする。

「貴女ならそう言ってくれると信じていたわ! ああ、そうそう。話が纏まるまで、決して帰ってきては駄目よ?」

「…………えぇ」

 ミリーナはどうにもならない状況に、ぎゅっと拳を握りしめた。


2022/09/12

2022年短編4-3

 そうして、魔族領に接する山中に捨てられ、今に至る。

 ミリーナは溜息をつきながら立ち上がった。

「どうしよう……」

 このまま進むか、それとも王都へ戻って慈悲を乞うか。どちらにしても死ぬ可能性が高い。だが王都へ戻ろうにも、それまでに殺されるかもしれない。

 そう考えれば、魔族領へ向かう方がまだマシか。

 とはいえ、はいそうですかと進むのも躊躇われた。何故なら魔族というのは――

 ミリーナは噂に伝え聞く魔族たちを思い出して、身を震わせた。

「私なんか、丸飲みされてしまうかもしれないわ……!」

 魔族というのは、極々――、極一部を除き、凶暴な野生動物のようなものらしい。その上え、魔物と呼ばれるそれらは、人間を好んで食すという。何より、極一部の理性がある魔族も、人の生き血を啜るとか啜らないとかいう話だ。

 そんな場所へ単身乗り込んで、無事でいられるとはとても思えなかった。もちろん、王妃はそれを承知でここに送り込んだわけだが。

「でも、行くしかないのよね……」

 自殺志願者でもあるまいし、選ぶならば死ぬ確率の低い方だ。

 もしかすると、噂は噂に過ぎないかもしれない。

「……行くわよ!」

 ミリーナはぎゅっと拳を握りしめて、魔族領に向かって足を踏み出した。


2022/09/16

2022年短編4-4

 だが、やはりというべきなのだろうか。

「――っ、火焔(フレイム)!!」

 ミリーナは走りながら、後ろに向けて手を広げて叫ぶ。その手の平の中心に火球が生成され飛んでいく。

 だが――

「ああ、もうっ!」

 ミリーナの後ろ、そこに迫る人の身丈の軽く倍はありそうな魔物には、然程ダメージを与えられている様子はない。

 火に怯んだのか、ほんの少しだけ足が遅くなって、どうにか追いつかれずに済んでいる。

 とはいえ、それもいつまで保つか。

 どうしてこんなことに、と泣きそうになるが、今はそんなことをしている場合じゃない。

 魔族領と故国の間に横たわる森に入ってすぐは、小さな魔物ばかりだった。こちらが近付いても逃げていくか、襲ってきても簡単に倒すことができた。

 しかしそれも、本当にはじめの間だけで、魔物がどんどん強くなっているのを感じて、ミリーナは隠れつつ進む作戦に切り替えたのだ。

 だがそれも長くは続かず、今に至る。

 走っては魔法を放ち、走っては――、と続けてどのくらいになるか。そろそろ体力の限界も見えはじめている。

 でも止まったら終わりだ。そう思った時。

「あっ!?」

 足が絡まってバランスを崩す。そしてそのまま、地面にどしゃりと顔から転んだ。

「いっ……」

 よろよろと手をついて起き上がり、ハッと後ろを振り向く。

 そこにはミリーナを追いかけていた魔物が足を止めている。もうこちらに追いつけるのを確信したのか、ゆっくりゆっくりとこちらへ近付いてきていた。

「っ――」

 あまりの恐怖で悲鳴すら上げられない。逃げなければ、と思うが身体が動かなかった。

 ああ、お母様……。

 ミリーナは手を握りあわせて、きゅっと目を閉じる。そして、遠い空の向こうにいる実母に祈る。

 助けてとは言いません。でもどうか、苦しむことのないよう――

 目を閉じていても、魔物が近付いてくる足音――いや、振動が伝わってくる。

 もう駄目だ――。

「――……?」

 しかし、不意に魔物の足音が止まった。

 おそるおそる目を開くと、魔物はもうこちらを見てはいなかった。上空を見上げ、静止している。

 一体何が、とミリーナも空を見上げた。

「…………ひと?」

 その何もないはずの空中に、人が立っていた。

 ――いや、あれは人間ではない。

 黒く長い髪をたなびかせるその男は、魔物を見据えて一言こう言った。

「去れ」

 その瞬間、魔物はビクッと身体を震わせて、一目散にどこぞへと消えた。

 魔物がたった一言でその命令を聞いた。それはつまり、あの男がそれだけ格上の相手だということ。

 ミリーナが呆然と男を見上げていると、彼はようやくこちらに視線を向けて……、どうやらこちらに近付いてきているようだ。その男の姿がどんどん大きくなってくる。

 そしてやはり、その男が「人間ではない」のを知る羽目になった。

 美しい相貌、長い黒髪に同じ色の瞳。それだけならばただの人間に見えただろう。

 だが、男の頭部には人間にはあるはずのないものがあった。

 黒い二本の角。

 それを認識した瞬間、ミリーナはもう駄目だと再び思って、あっという間に意識を失った。


2022/09/17

2022年短編4-5

「ん……?」

 目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。

 王女の自分に与えられていた部屋と遜色ないような、豪華な――貴人のための部屋だ。

 どうしてこんなところに、とミリーナは辺りを見渡す。

 そもそもどうして眠っているのだったか。

 そんな風に記憶を辿って、魔物に追いかけられたことを思い出した。それから、何故かその魔物が逃げ去って、それから……

「――目が覚めたか」

 ノックの音もなく扉が開いて、そんな男の声が聞こえた。

 ミリーナはそちらを向いて固まる。

 そう、そうだ。魔物が逃げた後、こんな男が空に――

「い……、」

「『い』?」

 男が持っていた水盆を近くの卓に置きながら、首を傾げる。

 可愛らしく小首を傾げても駄目だ。その頭には人ならざる証が鎮座している。

 ミリーナはかぶっていたシーツを握りしめ、力の限り叫んだ。

「いやぁ――――っ!!!」

 自分はこれからどうなるのか。食われる? 美味しく頭からバリバリされてしまうのか? あの水の入ったボウルはなんだ? 捌いた後に手を洗う用か!?

 混乱ここに極まれり、というのがここまで相応しいほど、ミリーナの頭が動転していたことはなかった。

 ミリーナはベッドの端ににじり寄って、身を縮こまらせる。

 だが、ミリーナの中で荒れ狂う混乱は、それ以外の変化をも、もたらしてしまった。

「あっ……!?」

 ぶわりと熱風が吹いた気がした。

 いや、これはただの熱風ではなかった。ミリーナの身体から、意志に反して魔力が漏れ出して、それがどんどん炎へと変換されていく。

「あ……あ……」

 自身の魔力で作り出した炎が肉体を傷付けることはない。だが、それが制御できないとなれば恐怖が湧き上がる。それになにより、それらの炎が他のもの、たとえば今ミリーナが握りしめるシーツに燃え移れば、瞬く間にそれは全てを燃やしてしまう。ミリーナ自身も含めて。

「やだ……、きえて、おねがい……!」

 その時、角を持った男がミリーナの手首を掴んだ。

「落ち着け」

「は、放して! 貴方まで、燃えてしまう!」

「大丈夫だ」

 その男の声は、何故だかミリーナを安心させた。

 男はミリーナをそっと抱きしめて、耳元で囁く。

「大丈夫。目を閉じて、深く息を吸うんだ」

 そんなのできっこない。そう思ったが、ミリーナは目を閉じた。それ以外の動作を封じられていたというのが大きな理由だったが、そうしてみると心が落ち着いてくる。炎の熱はまだ感じたが、それよりも男の体温が心地よくて、周りの出来事を曖昧にする。

 ミリーナはゆっくりと息を吸った。

「そう。今度はゆっくりはいて」

 男の言葉に従いながら深呼吸を繰り返すと、次第に熱気が消えていく。

「もういい。目を開けてみろ」

 男の身体が離れ、ミリーナはゆっくりと目を開いた。

 その時にはすっかり炎は無くなり、周囲は何事もなかったかのように落ち着いている。

 前はこんなに早く収まらなかった。

 ミリーナにとって今回のような出来事――魔法の暴走は初めてではなかった。ほんの小さな頃のことではあるが、あの時は風の魔法が暴走し、一部屋丸ごと吹き飛ばしてしまったのだ。

「あ、の……。ありがとう、ございます」

 ミリーナは意を決して角を持つ男に頭を下げた。

 もしかすると、頭からバリバリするつもりではないのかもしれないと、ようやく思えたからだ。

 先程の炎のせいか、額に浮いた汗を拭うさまは、人間となんら変わらない。角があるだけだ。

 男はミリーナの全身に検分するような視線を向ける。

「……怪我はないな」

「あ、はい。助けて……いただいたので」

「気にすることはない。我々の中ではよくあることだ」

「我々……?」

 ミリーナが問うと、男は不思議そうな顔をした。

「分かって来たのではないのか? ここは魔族の国」

 男はミリーナの手を取ってその手に口付けを落とした。

「ようこそ、人間の国の王女よ」

 ミリーナはもう一度卒倒しないのを、誰かに褒めてほしいと思った。


「少しは落ち着いたか?」

「……はい、ご迷惑をおかけいたしました」

 ミリーナは緊張に手を震わせながら、今ナイフとフォークを握っていた。

 魔法の暴走から暫し。危険な目にあわせたにもかかわらず、ミリーナを歓待すると言った男は、侍女――人間と殆ど見た目は変わらないが、目の覚めるようなピンク色の髪をした女性の魔族――に着替えをさせ、今は夕食を共にしている。

 食事も人間のものとなんら変わらない。パンにサラダに肉の焼いたもの。それからワイン。

「あの、この肉は……」

 そろりと口を開くと、優雅にワイングラスを傾けていた男が目を瞬かせた。

「ああ、魔物の肉は抵抗があるか? 牛とそう変わらないと聞いたのだが」

「魔物の肉……」

 どうやら、魔物と魔族というのは、彼らの中では同族ではないらしい。

 ミリーナは意を決して、その肉にナイフを入れた。そして小さくそれを切って口に運ぶ。

「……おいしい」

 たしかに牛の肉とよく似ている。こちらの方が筋肉質で固いが、食べられないほどではない。肉にかかったソースも独特の風味だが、ミリーナの舌には馴染んだ。

 ちらりと男の方を見ると、安堵したように微笑まれる。整った微笑にドキッとして、ミリーナは慌てて視線を外し、肉に集中しているフリをした。

「――それで、どうしてあんな森の中に王女が一人でいた?」

 食事も終盤に差し掛かった頃、彼が不意にそう尋ねた。

「……その前に、確認したいことが」

 ミリーナはナプキンで口元を抑えたあと、男に向き直った。

「貴方は、魔族の方々にとっての王……、という認識でよろしいでしょうか」

 男は頷く。

「そうだな、全ての魔族を抑えている、という意味で『王』と名乗っても差し支えがないだろう」

 やはり、彼は「魔王」だったのだ。

 ミリーナはとんでもない人に助けてもらったのだと、少し緊張する。

「では、我が国との和平を望んでいる、とお聞きしましたが、それも真実ですか?」

「ああ。これまで魔族たちは……それぞれの種族ごとに争い、統率されることもなかった。それでもこの地を守り続けられていたのは、人間に比べ我々の力は優れていたからだ。――だが時代は変わる。人間たちは我々に対抗できる武具の開発を進めているだろう?」

「はい。魔物たちに黙って殺されるわけには参りませんから」

「その通りだ。だがそれによって、魔族たちの生活もいずれは脅かされる」

「だから手を組む……。そういうことですか」

 男は頷いた。

 ミリーナは悩んだ。彼の和平への気持ちは本物だろう。自分たちの生活を守るため、敵になりうる存在と手を組むことで脅威を潰す。魔族がどれほどの人数存在するのかは分からないが、人間より数が少ないことは領土の広さから分かる。それならば実に合理的な判断だ。

 ミリーナは個人的に助けられた恩を除いても、手を組むべきだろうと思った。魔物の被害を抑えることも出来るかもしれない。だが、事はそう簡単ではない。

「私個人としては、貴方と手を組むのは悪くない考えだと思っています」

 男が眉根を寄せる。

「『私個人』ということは、国としては違うと?」

「というよりも、交渉する権限がありません」

 ミリーナが苦笑いで言うと、彼はますます怪訝な顔をした。

「どうして? 貴女は王女だろう」

「……私が何故、たった一人で森にいたと思われますか?」

 真実を語るのは、家の恥を晒すようで少し気が咎める。だが言わねば納得はしてもらえないだろう。ミリーナは続けた。

「私は魔族との交渉人という肩書きを名目にして、魔族領に捨てられたのです。国は魔族との友好関係を結ぶ気がないというより、そもそもそういったことが出来ると想定すらしていません」

 男は王としての顔で黙りこくる。

 ミリーナは考えを巡らせているのであろうその表情を見ながら、父が彼の十分の一でも自分の頭で考えるということが出来れば、と思わずにはいられなかった。

「失礼を申しましたが、そのくらい……人間社会における魔族のイメージは良くないのです」

「……ならば貴女はどうして単身でここへ? 噂を信じていなかった、というわけではないはずだ」

 はじめに卒倒したのを言われていると暗に感じ、ミリーナは苦笑した。

「言ったでしょう、『捨てられた』と。私は王妃に嫌われていまして。実子を王位につけるべく、彼女は私の死を望んでいます」

 彼は難しい顔をした。

「ということは、貴女を国許に返せば無事では済まないと?」

「あ……、そうなりますね」

 そこを伝えたくて言ったわけではなかったが、彼の言葉は真実だ。

「――わかった。ならば暫く……身の振り方を考えるまで、ここにいたらいい」

「えっ……!? あの、そういうわけには。私は貴国にとって、なんの益をもたらすこともできません」

「別に行くところがあるのか?」

「それは……、無い、ですが……」

 正直に言えば、彼の申し出はありがたかった。だが、人間たちとの間を取り持てるわけでも、交渉材料になるわけでもない自分を、どうして置いてくれるのかわからない。

 理由のない好意は怖い。

「そう警戒しなくていい。ここにいる間に貴女には魔法のちゃんとした使い方を身に着けてほしいだけだ」

「ちゃんとした……?」

「そう。先程のような暴走は、魔法を学ぶ前の幼子しか通常起こさない。なのにそれが起こった、ということは、人間の国では魔法を体系的に学ぶことができないのだろう?」

「そう、ですね。魔法を使える人間は稀なので……」

 幼子しか、と言われて少し恥ずかしいが、彼の言葉にそれを責めるような響きはない。

「きちんと魔法を扱えるようになることで、人間たちの魔法に対する偏見を減らしてほしい。……これが、貴女を滞在させる対価だ」

 優しい人だと思った。

 何か理由がなければ、ミリーナがこの場所に滞在することへ負い目を感じると察したのだろう。

「そういう、ことでしたら……喜んで」

 ミリーナは微笑んで頷いた。

「では改めて。暫くお世話になります、魔王陛下。私のことはどうぞ、ミリーナとお呼び下さい」

 丁寧に頭を下げてみせると、彼はぱちりと目を瞬かせた。

「そういえば、私も名を名乗ってなかったな……。失礼した、私はアルフェン。よろしく頼む、ミリーナ」

 そう言ってアルフェンは笑った。


 穏やかな朝。

 陽の光と共に目を覚まし、美味しい――たまに見慣れない食材の交じる――朝食を食べ、ゆっくりとお茶を飲む。それから、動きやすい服へと着替えて庭へと出た。

「ん〜……」

 ミリーナは思いっきり伸びをして、朝の空気を吸い込んだ。

 故国にいる時となんら変わらない。いや、それ以上に晴れやかな気分だ。絵本に描かれていたのとは違い、太陽も美しいし空気も澄んでいる。会う人会う人、礼儀正しく穏やかだ。

 まあ、ある程度は人間との和平を望む魔王による指示かもしれないが、噂に聞いていたような野蛮な種族でないのは確かだろう。

 理性がなく、人の生き血を啜るなど、彼らに一度でも会えば言えなくなるはずだ。

 魔物に追い掛け回されていた経緯から、この魔王の住む城へ到着してから数日は静養させられていた。とはいっても、望めば城中を探検することができたし、退屈さも息苦しさもなかった。むしろ、人生で一番のびのびできているかもしれない。

 そんな日々を過ごしていたが、今日からついに魔法の訓練に入る。今ミリーナが習得しているのは、数少ない本からの情報を元にした、ほぼ独学である。

 幼少期から自在に魔法を操るという魔族たち――、つまり魔法の本場で学びを得られるということに、ミリーナも少しわくわくしていた。

 先生はどんな方だろう。仲良くできるだろうか。

「――早かったな、ミリーナ」

 不意に聞こえた声にハッとして振り返る。

「アルフェン? どうしてここに? 見に来られたのですか?」

 それとも講師を紹介してくれるのか、と彼の周囲をきょろきょろと見渡す。だが誰もいない。

「何を言ってる? 私が教えるんだ」

 きょとんとした顔の彼に、ミリーナは目を見開いた。

「アルフェン自らですか!?」

「……不満か?」

「いえ、まさか! ただ、お忙しいのではないかと思って……」

 この日までの数日、何くれとなく彼はミリーナを気にかけてくれていたが、実際会えた時間は少なかった。夕食は共に取っていたため、顔を合わせない日こそなかったが、それでも食事が済めば慌ただしく出て行ったりと、ゆっくりしている様子はなかった。

 彼の時間を奪っているのでは。そんな不安をそれとなくぶつけてみると、アルフェンは少しバツの悪い顔をした。

「ああ……。普段はそうでもないんだ。ただその……、貴女の魔法訓練のはじめ数日くらいは、少し時間を多めに取りたくて。仕事を前倒ししていた」

「ご、ご迷惑、だったのでは……?」

「いや。提案したのはこちらだ。それに、はじめてすぐは不測の事態が起こりかねない。貴女は魔力量がとても多いから、何かあった時には私くらいしか対処できないから」

「そ、そうでしたか……」

 私のために? と、一瞬浮き立った心がちょっぴり沈む。そんな自分の心に気付いて、ミリーナは何を馬鹿なと頭を振った。

「それよりも、あのさっき、私の魔力が多いとおっしゃいましたか?」

 人間は基本的に魔法を使えない。稀にミリーナのような者もいるが、魔族とは比べ物にならない程度の魔法しか使えない。

 それは、魔法の元となる魔力が、体内より生成される量が少ないからだ。

 ミリーナも人間としては多い方であるようだったが、魔王であるアルフェンにしか止められないほど、というのは信じがたい。

 だが、彼は冗談を言っている風でもなく頷いた。

「やはり気付いていなかったか。でも本当のことだ。貴女が十分にその力を使えていれば、初日の魔物にも簡単に勝てたはずだ」

 初日の魔物――、つまりアルフェンに助けられた際ミリーナを追いかけていたあの魔物だろう。

 炎で怯ませるのがやっとだった。それなのに、アルフェンの言う事を信じるならば、あれに「簡単に勝てた」ほどの潜在能力があるらしい。

「信じられません……」

「確かに今は引き出しきれていない。でも、扱えるようになっておかないと、もっと酷い暴走が起きる」

 ミリーナはあの日の炎を思い出して震えた。あそこにアルフェンがいなければ、どうなっていたことか。

「だから、扱えるようにしよう。大丈夫、失敗しても私がいる」

「……はい。私、やりますね」

 彼が言うと、本当に大丈夫に思える。ミリーナは安堵して、よろしくお願いしますと頭を下げた。


2022/09/18

2022年短編4-6

 そうして訓練ははじまった。

 初日はミリーナの現状をアルフェンが知るため、彼に言われた通りの魔法を使う。それから基礎の確認と、国にいた頃には手に入れられなかった知識を学びつつ、自分の中にある魔力を感じとる練習をした。

 二日目以降は引き続き知識を得ながら、魔法をコントロールする術を身に着けてゆく。

 アルフェンだけではなく、他の魔力操作に長けた人や、火や水といったそれぞれの属性が得意な人に話を聞いたりなど、ミリーナの毎日は忙しくも充実していた。

「――『水の揺り籠(アクアコクーン)』」

 ミリーナは両手を天に掲げ、呪文を呟いた。すると、しゅるりと水が渦巻くように現れて、あっという間に大きな水球が出来上がる。

「できました!」

 嬉しくなって振り返ると、その様子を見ていたアルフェンが満足そうに頷いた。

「ならそれを半分の大きさに圧縮して」

「はい!」

 ミリーナは再び自分の操るその水の玉に集中して、それを言われた通りぎゅうっと小さくしていく。水を発生させている魔力量はそのままに、体積を小さくするのだ。それには繊細な魔力操作の能力を必要とする。ミリーナのように魔力を多く持つものはその能力を高めておかなければ、自分の身すら危険にさらすのだという。つまり以前のような暴走を引き起こしやすくなるらしい。

 ちなみにアルフェンは、ミリーナの作り出したものより倍ほど大きな水球を、親指の爪ほどのサイズにしてしまえる。そこまでできるようになるには、やはり時間がかかるようだが、ミリーナの目指すのはそれだ。

「っ……!」

 とはいえ、今はまだ先程のアルフェンの指示をこなすのも精一杯なのだが。

 ゆっくりゆっくりと水球を小さくしてゆく。

 あともう少し、あともう少し――。そして、

「――――できた!」

 指示された通りの大きさに圧縮する。今までは途中で失敗してしまい、中の魔力が抜けたり、それ以上小さくすることができなかったりした。

 だが今は、しっかりと目標の大きさを維持できている。

「よくやった、ミリーナ」

 後ろからアルフェンにそう声をかけられて、ミリーナは嬉しくなる。

「はい、やっとできました……!」

「やっと、とは言うが、随分早い方だと思う。ミリーナは筋がいい」

「え、本当ですか?」

 水球を維持したまま、ミリーナは再度アルフェンの方へ振り返る。

「ああ、今まで満足な訓練をしていなかったとは思えない。才能もそうだが、貴女は努力家だから」

 やわく微笑むアルフェンを見て、ミリーナの胸が高鳴る。照れ笑いを浮かべた。

「あ、ありがとうござ――、え、あっ」

 だが、気が抜けてしまったのが良くなかったらしい。

 ぱぁん、と弾けるような音がしたと思った瞬間には、土砂降りの雨――ではなく、弾けとんだ水球の水がミリーナたちに降りかかっていた。

「「…………」」

 近くにいたアルフェンも当然その被害を受け、濡れ鼠になった二人は呆然と顔を見合わせた。

「……ぷっ」

 だが水でべしゃべしゃになったお互いを見ていると、アルフェンが耐えきれないとでも言うように吹き出して、肩を震わせて笑いはじめる。

「っ、もう! 笑うことないじゃないですか!」

 ミリーナも怒ってはみせるが半笑いだ。

「っはは、すまない。――『春風(ウォームウィンド)』」

 笑いながらもアルフェンは、指を一振りする。その瞬間、ミリーナをあたたかな風が包んで、濡れていた服や髪が瞬く間に乾いてゆく。同じように自身の服も乾かしたアルフェンは上着を脱いで、ミリーナの肩にかけた。

「一応乾かしたが、あとで風呂にでも入ってしっかり温まってきたほうがいい。それまではこれを」

 アルフェンの上着をぎゅっと掴んだミリーナは、口を尖らせる。

「……笑いながら言っても、説得力ないです」

「すまない」

「――でも、ありがとうございます」

 お風呂いただいてきます、と言ってミリーナは走り出す。

 水の滴る前髪を掻き上げるのに見惚れてしまっただとか、上着をかけてくれたのが紳士的できゅんとした、だなんてことは、絶対言ってやらないのだ。


2022/09/19

2022年短編4-7

「ふぅ……」

 アルフェンに言われた通り、風呂に入ることとなったミリーナは心地良い温度のお湯に身を沈めて息をついた。

 ルルという名のミリーナにつけられたピンク髪の侍女によって、それらは手早く用意され、一人になりたいという要望を聞き入れた彼女は今、外で待機しているはずだ。

 ミリーナは膝を抱えて口まで潜り、目を閉じる。

「……っ」

 だが、視覚を閉ざせば、黒髪をたなびかせたあの美しい顔が浮かんできてしまい、慌てて目を開けた。

「…………私、やっぱり」

 それ以上を口に出すのは憚られて、ミリーナは口を引き結ぶ。

 口に出せば認めざるを得なくなってしまうような気がした。でも、たとえ明言せずとも、もうずっとミリーナの頭は一つのことに占められている。

 はじめは怖ろしいと感じたはずの凛々しい姿。「大丈夫」とミリーナに安心を与えてくれる優しい声。彼が見ていると思えばいつもより力が出て、褒められると今まで感じたこともないほど嬉しかった。

 けれど。

 ミリーナはいずれここを去る。何より、種族という大きすぎる差が両者の間には横たわっている。

 認めれば苦しいだけ。

 わかっているのに。

「……私、アルフェンが好きだわ」

 誰にも聞かれることない告白。それでいいのだ。

 けれど、この気持ちが彼にも届けばいいのにと、やはり思ってしまう。

 今身体を包み込む湯のように、あたたかい人。流れる涙が混じりあって消えるように、きっとミリーナの想いも受け止めようとしてくれるに違いない。でも、だからこそ、告げるわけにはいかない。

 今の自分は彼の足枷になる。そんなことは、ミリーナ自身も望んでいない。

 だから自覚したばかりの想いはここに置いていくのだ。

 今はまだ。

 ミリーナは抱えた膝に頭を乗せて、しばし微睡む。

 だがその時、ドォンと爆発音のようなものが聞こえ、建物と風呂の湯がぱちゃりと揺れた。

「!? ルル、そこにいますか?」

 ミリーナは慌てて立ち上がり、侍女の名を呼んだ。

「ここに、ミリーナ様」

 タオルを持ったルルが颯爽と現れる。

「さっきの音は?」

「申し訳ありません、わたしにも……」

 彼女はミリーナの身体を手早く拭きながら、バスルームの外へ出るよう促す。

「ルル、身支度をできる限り急いで」

「ミリーナ様! 何があるか分かりません。危のうございます!」

 音の出処に行こうとしているのだと察したルルが、血相を変えて首を横に振る。やはりあの音は普通ではないのだと確信する。

「ならなおのこと。アルフェンが心配です」

 自分が行ってどうなるものでもないかもしれない。だが、ここで突っ立っていることなどできない。

「……かしこまりました。どうしても、と仰るなら」

 ルルは重々しく頷いて、あとは無駄口を叩くこともなく用意を済ませていった。

「ありがとう」

 小さく感謝の言葉を呟くと、ルルは苦笑しながらぷるりと首を振った。


 音のした方角へミリーナは向かう。

 大まかな方向と、近くを通った人々の話から、場所は城の正面入口の付近だとわかった。既にそこにはひとだかりができており、ミリーナは彼らの隙間をどうにか通って、彼らの中心に向かう。

「ちょっ……、通して……。――わっ、と」

 どうにか最前列まで到着したミリーナは、隙間を無理やり通り抜けた反動で転びかけるが、後ろを付いてきていたルルに支えられ、事なきを得た。

 だが、顔を上げたミリーナは、目の前に飛び込んできた光景に目を見開く。

「なんてこと……」

「ミリーナ様?」

 ルルの問いかけは、ミリーナの耳には入らない。そのまま彼女の手を振り切って、駆け出す。

「ミリーナ様!?」

「ミリーナ?」

 騒ぎの中心にいたアルフェンがこちらを向く。彼の注意がこちらに移ったのに少しほっとながら、ミリーナはアルフェンの腕を掴んだ。

 だって、彼の前に血を流して座り込むのは――。

「やめてください」

「ミリーナ、これは襲撃者だ」

「……わかっています、でも」

 アルフェンと座り込む金髪の男との周囲には、戦いの痕跡がある。それに城門も破壊されていた。おそらく、男が侵入する際に、爆薬か何かを使った時の音が、あの爆発音だったのだろうと察せられる。

「彼がこんなことをしたのはおそらく」

「『ミリーナ』……?」

 金髪の男がミリーナの名を呟きながら、顔を上げた。

「……やっぱり」

 よく見慣れた若草色の瞳と目が合う。ミリーナが苦笑を浮かべると、男の目にはみるみる涙が盛り上がった。

「ミリーナ姉さん、生きて……」

「『姉さん』だって?」

 ぽろぽろ涙を落としはじめた男の頭をぽんぽんと撫でてやっていると、後ろからアルフェンの信じられないというような声が聞こえた。

 ミリーナは肩を竦める。

「はい、彼はマイスという名の……、私の従弟です」

「つまり、今回の襲撃は……」

「私を救うため……、でしょうね。お騒がせして申し訳ありません……」

 事情を飲み込んだらしいアルフェンは、大きな溜息をついてから、野次馬に散開するよう手を振った。


2022/09/21

2022年短編4-8

「本当に生きてて良かった……」

 一通り手当を受けたマイスは、ミリーナの手をぎゅっと掴んで、項垂れながらしみじみと呟いた。

「マイス、どうしてここまで来たの?」

「『どうして』!? 姉さんが王妃に追い出されたと聞いた時の僕の気持ちが分かりますか!? 何度あの女を殺してやろうと思ったか……、でもそんなことをしても姉さんが帰ってくるわけではないと思って……」

「マ、マイス……、言葉が過ぎるわ」

「いいえ。あの女は姉さんがいなくなった後、ますます調子づいています。王も……突然、伏せがちになりました。譲位の準備が進んでいるとか」

 ミリーナは国王が「突然」伏せがちになったという言葉に、まさかと瞠目する。

「それって、王妃殿下はもしかしてお父様を……」

「噂に過ぎませんが、遅効性の毒を仕込んでいたのでは、と言っている者もいますね」

 ミリーナは神妙な顔で黙り込んだ。

 兄は父以上に王妃の言いなりだ。もしも噂に違わず、譲位が行われるのだとすれば……。

「王妃殿下の専横がますます、ということね」

「――姉さん、戻ってきて下さい」

 マイスの真剣な声に、ミリーナは少し動揺した。

「え……、でも」

「今、王妃に不満を持つ者たちの間で、反乱の機運が高まっています。その旗頭として、貴女以上に相応しい人はいません」

 マイスの目は真剣だった。だが――、いやだからこそ、ミリーナは静かに首を横に振った。

「国のため、できることはしたいと思うわ。でも、もし……、今の王政を倒し、新たな国を――、ということならば、私はそこに相応しくはありません」

「姉さん!」

「私は王妃殿下が好き勝手振る舞うのを、ただ横で見ていたの。そんな人間に誰もついてはこないわ」

「そんなことはないです、姉さん。貴女が生きていると知れば、皆どんなに――」

「私が死んでいたら、どうするつもりだったの」

「そ、れは……」

 ミリーナがじっと見つめると、マイスは観念したように口を開いた。

「僕が姉さんの代わりをする予定でした。現王の子は他にいませんし、それ以外の王族やそれに連なる人間で、年や血の近さを考えれば……、僕しかいません」

 そうだろうな、とミリーナは思う。マイスはミリーナにとって従弟――、つまり彼もミリーナと同じく先王の孫という立場だ。現王の若くに亡くなった兄の息子。世が世なら、王子と呼ばれていたのは彼の方だっただろう。

「なら、表には貴方が立つべきよ、マイス。私も出来ることはするから――」

「嫌です!!」

 マイスの叫びに、ミリーナは目を見開いた。

「僕が王になったとして……、その後、貴女はどこへ行くのですか」

「それは……」

 ミリーナは口を噤む。国に居続けることが出来るだろうか? いや、きっと争いの種になってしまう。ならば――?

 その逡巡を察したのか、マイスはこちらが口を開く前に呟いた。

「貴女は国を出るつもりでしょう? 少なくとも、王宮からはいなくなる。そんなの、嫌です」

「マイス……」

「もう会えないと思ったんです。失った、と。でもこうして会えた……。だから、もう離れたくない」

 これ以上、聞いてはいけない気がした。聞けば、これまでの関係が変わってしまうような。

 だが、マイスの言葉は止まらなかった。

「姉さん――、いいえ、ミリーナ、どうか傍にいてください。……貴女が好きなんです」


「どうしよう……」

 マイスに充てがわれた客室から退出したミリーナは、一人頭を抱えていた。

 彼の「好きなんです」という、思いもよらぬ告白が脳裏に焼きついて離れない。

 魔法の訓練をしているということを言い訳に、答えを保留にしたミリーナだったが、いずれは答えを出さなければならない。

 国に戻るのか、戻らないのか。王になるのか、それとも――マイスの気持ちを受け入れるのか。

 胸がじくじくと痛む。

 マイスのことは好きだ。けれどそれは、弟のような存在としてであり、家族へのもののような愛だ。

 でも、彼の言う「好き」が、そういう意味でないのは分かる。そして、ミリーナがその「好き」を向けているのは彼ではなく――。

「アルフェン……」

「どうした?」

「――っ!?」

 何故か返ってきた言葉に、ミリーナはビクッとして顔を上げた。

「ア、アルフェン!? いつからそこに……」

「つい今しがただが……。どうした、何かあったのか?」

「あ……、いえ……」

 ミリーナは視線を彷徨わせる。どう答えたら良いものか。考えあぐねた末、少し本題とは外れたところから口にする。

「その、マイスのこと、すみませんでした。怪我も大したことなくて……。手加減してくださったのですよね?」

「ああ……。どうにも話が噛み合っていない気がしたから……。どうも彼は、我々が貴方を攫ったと考えていたようだ」

「そうだったのですね。……もう、助けていただいたのに」

 その時、アルフェンの頬に微かな切り傷を見つける。髪に隠れていたから気が付かなかったのだ。

「アルフェン、貴方こそ手当はしましたか?」

 ミリーナはその傷へ手を伸ばす。枝垂れる髪を耳にかけて、その傷を見る。どうやらそう深い傷ではないらしく、ほっとした。

「ん……ああ、気が付かなかった」

 彼が「『治癒(ヒール)』」と呟くと、その傷が消える。その様子をミリーナは、自分が出来たら良いのにと思いながら見つめる。『治癒(ヒール)』は、自分の傷を治す魔法のため、他者には効き目がないのだ。その他人に使うことの出来る魔法もある――らしいのだが、とても難しい魔法で、ミリーナにはまだ扱うことができない。

「それで……、彼との話はそれだけ?」

 アルフェンの手が、ミリーナの手をやわらかく掴んだ。胸が高鳴る。だが、これから言うべきことを考えれば、同じくらい胸が引き絞られる心地がする。

「……いいえ、国に戻らないかと……、言われました」

 アルフェンが息を飲む。

「そう、か……。そうだな、彼は貴女と同郷なのだから……」

「ひとまず、返答は保留にしてあります。魔法の訓練がまだあるから、って……」

 引き止めてほしいと思った。

 だが彼の立場からすれば、魔族を近くで知ったミリーナが国に帰ることは、メリットでしかない。

 そしてやはり、アルフェンは首を横に振った。

「いや、もう今でも暴走するようなことはないと思う。だから貴女が望むのなら……、」

「――っ」

 帰れ、と言われている気がした。

 ミリーナは俯いて唇を噛んだ。

 望まないと言えば、どうするの。そう言いたかった。

 だが、この別れはいずれ来るものだったのだ。だからどうにか、そんな言葉を飲み込む。

「――わかりました。少し、考えます」

 ミリーナはぺこりと頭を下げて、彼の隣をすり抜ける。

 無理矢理に浮かべた笑顔は、引き攣ってはいなかっただろうか。

 帰りたくないという本心には、どうか気付かれていませんように。

 ミリーナはぎゅっと拳を握って、でもそれを悟られないようにその場を後にした。


2022/09/22

2022年短編4-9

 ミリーナが立ち去るのを見送ったアルフェンは、ほどなくして自身の執務室に戻った。

 部屋にいた副官ロイズが、こちらの顔を見て目を瞬かせた。

「何かありました?」

「……何がだ?」

「浮かない顔をされているので」

 アルフェンは、自分の顔をぺたりと押さえて眉根を寄せる。

「ミリーナが国に戻る……かもしれない」

「お引き留めなさったんですか?」

「……何故」

 仏頂面で問うと、ロイズはやれやれという顔で肩を竦めた。

「申し訳ありません、そんなことを言えてたら、そんな顔なさってませんよね」

 そんな顔とはどんな顔だと思いながら、ロイズを睨むが彼はどこ吹く風だ。幼少期からの付き合いのため、たまにこうして、良く言えば気安いというか、無礼というかな言動をこの男はする。

 それを本気で咎めようと思ったことはないが、今日は胸に渦巻くもやもやと相まっていつもより癇に障った。

「何が言いたい? 彼女はもうかなり魔力も安定しはじめているし、帰るというのを止めることはできないだろう。それに、彼女が帰国するのは、こちらにとっても悪い話ではないはずだ」

「……まあ、たしかにそうなんですがね」

 ロイズがまだ何か言いたげなのを察し、アルフェンはそれを促す。

「言いたいことは、はっきり言ってくれ」

「貴方ご自身はそれで良いのですか?」

 アルフェンは口を噤んだ。

「ミリーナ様と過ごす貴方は、これまで見たことがないほど楽しそうです」

 アルフェンは、ロイズの言葉に何も言葉が浮かばなくなる。

 ミリーナと過ごす日々は楽しかった。いつしか、この日々がずっと続くのだと錯覚するほどに。だが――

「……国に戻れば殺されると嘆いていた彼女に、帰国の目処がたった。それは、喜ぶべき……だろう?」

「…………貴方がそう仰るなら」

 そう言いながらも、ミリーナがここに留まることを願わずにはいられなかった。


2022/09/24

2022年短編4-10

「…………綺麗な月」

 ミリーナは自室の窓辺で膝を抱えながら、ぼんやりと夜空を見ていた。

 マイスの言葉。そしてアルフェンの態度――。自分はどうすれば良いのか、考えても答えは出ない。

 いや、本当は答えなんて出ている。けれど、認めたくなかった。

 一つ溜息をついたミリーナは、ぴょいと立ち上がると、薄着のまま部屋を出る。向かうのはこの部屋より少し高い階にあるバルコニーだ。

 少し肌寒い廊下を歩きながら、ミリーナは纏まらない思考をもてあそぶ。

 先程からずっと堂々巡りをしてだかりで、何も変化がない。

 マイスは帰国を望んでいる。おそらくアルフェンも。だから、彼に別れを告げて、この恋は封印して、国に戻るのが正解なのだろう。

 けれど、すっぱり決断することもできなかった。

 到着したバルコニーの扉に手をかける。

「……あ」

 声を発したのはどちらだったのか。ミリーナの視線の先には、こちらを振り返って驚くマイスの姿があった。

「眠れなかったんですか、姉さん」

「――うん、そうなの」

 いつもと変わらぬ「姉さん」という呼称。それから変わらぬ笑顔を見て、ミリーナは気が抜ける。そうなってようやく、ミリーナは自身がずっと緊張していたのだと知った。

「すみません、僕の言ったことのせいですよね」

 否定することが出来ず、ミリーナは曖昧に笑う。

「いずれ……、考えなければならないことだったわ」

 帰国するのか、しないのか。それはマイスが来る来ないにかかわらず、決めなければならないことだった。

 たとえ彼がミリーナを探しに来なかったとしても、国が荒れれば知らずに過ごせるわけがない。そうなる前に国内の状況を知ることができて、むしろ良かったのだとは思う。

「姉さん、王妃に追い出された者達は皆、貴女の帰りを待っています」

「……ええ」

 彼らを放って、自分だけがぬくぬくと暮らすことなど、どうせできやしなかった。

「帰ってきてください、姉さん」

 だから、この別れは遅いか早いか、それだけの違いなのだ。

「そうね、それがきっと皆のため――」

 ミリーナは痛む心を見ないふりをした。


2022/09/25

2022年短編4-11

「…………あれは、ミリーナ?」

 アルフェンがその夜、ミリーナの姿を見つけたのは本当に偶然だった。

 アルフェンの自室から、彼女のいる客室に一番近いバルコニーはよく見えるのだ。少し前からあのマイスなる人間がいたのには気付いていたが、そこに彼女まで現れたのを見つけ、アルフェンは窓からその様子をそっと確認する。

 距離があるため彼らが何を話しているのかなどは、当然聞くことはできない。魔法を使えば可能ではあるだろうが、それをするのはあまりに無粋であるだろうし――、何より、親密そうに話す彼らを目の当たりにする勇気がなかった。

 話し込む二人をアルフェンはじっと見つめていた。

 ミリーナが何かを話し、人間の男がそれに返答する。ミリーナがまた何かを口にして、そして、人間の男が――、

「――ッ!」

 アルフェンは息を飲んだ。自分でも理解ができないほど、感情が乱れているのが分かる。

 手で口を覆い、呼吸を整える。そうしなければ、身の内に抱える魔力が制御できずに溢れ出してしまいそうだったからだ。

 アルフェンは、目を閉じて落ち着こうとするが、先程の光景が目蓋の裏に浮かぶ。

 ミリーナが人間の男に、抱きしめられている光景だった。

 ああ、彼女は選んだのだ。

 そう思った。

 同族である人間とともに生きることを、彼女は選んだ。そしてそれは、アルフェンもまた、願っていたことのはずだった。

 だがそれは「本心」ではなかったのだと、暴れだしそうになる魔力が痛いほどに訴えている。

「ミリーナ…………」

 どうにか身を起こし、彼らがいた場所へ視線を向ける。だがもう、そこには最初から誰もいなかったかのように、人影すら見えない。

「……行かないでほしい、と……言えたなら」

 だが彼女が帰ることを望んでいるのなら、きっと引き止めることなど、決してできないだろう。

 彼女を閉じ込めることが、アルフェンの目的ではないのだから。


2022/09/27

2022年短編4-12

 どうするのかを決めたミリーナの行動は早かった。

 翌朝には帰国の報告を受け、その次の日にはここを発つと言うのだ。

 アルフェンは「そうか」と笑って受け止める他、出来ることはなかった。


「お世話になりました」

 旅装となったミリーナは、見送りに出てきた城の面々を前に頭を下げる。その一番前にいるアルフェンは、何と言って良いやら分からず、その姿を見つめるしか出来ない。

「アルフェン、急でごめんなさい」

「……いや、故郷に戻れるのだろう? 喜ぶべきことだ」

「そう、ですね」

 ミリーナは一瞬困ったような顔を浮かべる。だが、アルフェンがその意味を問いただす前に、そんな表情は明るい笑みにかき消される。

「魔法の特訓も続けますね。いつかアルフェンみたいに出来るように」

「ああ。だが、無理はするな。何かあっても止めてやれない」

「…………はい」

 ミリーナが虚を突かれたような顔で固まって、それから頷く。

「……あの、アルフェン」

「なんだ?」

 ミリーナは何かを迷うように視線を彷徨わせる。だが、結局首を横に振った。

「やっぱり、なんでもないです」

「――姉さん、そろそろ」

 その時、ミリーナの後ろにいた人間の男が出発を促して彼女に声をかける。

「わかってる。……アルフェン」

 ミリーナは一歩アルフェンに近付いてその手を握った。

「ミリ――」

「また、お会いしましょう」

 ミリーナはそういうと、ぱっと手を放して踵を返す。

 そしてあっという間に人間の男と共に馬へと乗って、こちらに手を振りながら行ってしまった。

「……ミリーナ」

 こちらが声をかける間もなかった。

 本当に「また」などあるのだろうか。自分と彼女がいる場所は、こんなにも遠いと言うのに。

 アルフェンはしばしその場所に、呆然と立ち続けた。


2022/09/28

2022年短編4-13(終)

 ミリーナが魔族領を去り、程なく彼女の国で反乱が起こった。

 現王の治世に不満を持った者たちが、王女とその従弟――つまりミリーナと彼女を連れ戻しに来た人間とを旗頭として、現体制を打倒せんとしたものだ。

 主に活躍の噂が届くのは、()の人間ではあったが、時折その傍にいる伴侶のような存在としてミリーナの噂も聞いた。

 戦乱の噂を聞いては彼女の無事を心配し、無事を聞いては一緒に動向を聞く羽目となるあの男と仲睦まじいという話に心掻き乱される。

 忘れなければと思えば思うほど、彼女のいた穏やかな日々が恋しかった。

 もう一度、一目会いたい。

 そう願うのに時間はかからなかった。

 だがその機会もないままミリーナの国での反乱は、彼女側の勝利で終わり、新王としてあの男が即位したと聞くこととなった。

 ミリーナは魔族との友好関係を結ぶべく尽力しているようで、それについては嬉しく思った。だがその話が進めば進むほど、次に彼女に会えるのは彼女とあの男の婚礼なのではないかという不快感、不安感が、胸の奥に巣食っているのも感じていた。


「――そろそろお時間ですよ」

 アルフェンはロイズの声にハッとして、座っていた椅子から腰を上げた。

「もうそんな時間か……」

「はい、先触れが参りました」

 ミリーナの努力により徐々にではあるが、魔族と人間との距離が縮まってきている。そしてこの度、人間の国から使者が派遣されることとなったのだ。

 なんでもその任を授かっているのが、それなりに身分の高い人間だと言うことで、アルフェン自ら出迎えることとなった。

 書面でのやり取りはしてきたが、人間と対面するのはミリーナ以来初めてである。

 信頼のできる人間なら良いのだが。

 人間側とて、魔族と友好関係を結ぶというのに乗り気な者だけではないだろう。二つの種族の間には長らく対立してきた歴史がある。だから、「友好的」とは言えずとも、そうなる努力ができる人間が望ましかった。

 ミリーナならきっと、そういう人材を選んではくれただろうけれど。

 それでも少し緊張していた。

 アルフェンはロイズを伴い、表門の方へと出る。

 すると魔を置かずして馬車が見えてきた。こちらから贈った魔物避けの魔法が施された魔導具もしっかり取り付けられている。当然ながら襲われた形跡もない。

 使者が無事に到着したことに安堵しつつ、その馬車が門を潜り目の前で止まるのを待つ。

 御者が降りてきて馬車の扉を開ける。そして、その中から出てきたのは――

「――初めまして……、じゃないですよね。お久しぶりです、アルフェン」

 満面の笑みを浮かべるミリーナだった。


 マイスと話したあの夜。

 ミリーナは直前まで彼の手を取るつもりだった。

『帰ってきてください、姉さん』

 そんな懇願に、きっと頷くことが正しかった。

 しかしミリーナは、気が付くと差しのべられたその手を振り払っていた。

「あ…………」

 パンッという乾いた音と、瞠目するマイスの顔を見て、ミリーナは我に返った。だが、もう本心に蓋をすることは出来なかった。

「ごめん、なさい……。私は王族としての責務を果たすため、国には戻るつもりです。でも、そこまで。私は……、貴方とは共に歩めない」

 マイスの反応が恐くて、ミリーナは俯く。きっと傷付けただろう。ミリーナにとってはマイスのこともまた大切なのだ。それでも、彼の誘いに頷くことはできない。

 ミリーナは黙ったままのマイスをちらりと見た。

「ずるいな、姉さんは」

 そこにいたマイスは、怒るでも悲しむでもなく、困ったように笑っていた。

「おこ…らないの?」

「……まさか。少し、さみしいけれど」

 マイスはふっと遠くを見つめるように、ミリーナから視線を外す。

「連れ帰ってからじっくり気持ちを分かってもらおうかと思ってたのに、それも許してくれないなんてね。でも……、姉さんが一番辛い時に傍にいれなかった。だから、当然なのかも、ってね」

「マイス……」

「姉さん。最後にわがままを聞いてもらっていい?」

「……私にできることなら」

「抱きしめさせて。恋人に、するように」

 マイスの初めて見る艶っぽい視線に、ミリーナは戸惑い赤面する。

 だが、できることならすると言ったのだ。

 ミリーナは小さく頷いて、その願いを了承する。

「ありがとう」

 そう言うが早いか、マイスの腕が背中に回る。その感触がすっかり大人の男のものなのだと気付く。

 しかし、胸が高鳴ることはない。

 これが答えなのだと感じながら、短い抱擁は終わり、ミリーナとマイスは「姉弟」に戻った。


 それからの日々はあっという間に過ぎていった。

 アルフェンとの別れを惜しむ間もなく、今は仲間となった王妃にかつて追いやられた家臣たちと合流し、城へと進軍する。

 その後のことは、あまり気分の良いものではなかったが、目的は達せられた。

 新王となったマイスの元、ミリーナは魔族との国交を実現させるべく邁進した。書面でのやり取りの中、どうやらアルフェンは元気らしいと知れて嬉しい一方、もう傍に誰か別の誰かがいるのではないかと考えては不安になった。

 ミリーナは彼と何の約束をしているわけでもない。想いを伝えたことさえない。

 この不安――嫉妬は身勝手なものだと気付いていながら、どうすることもできなかった。

 そうして、そんな不安と戦いながら、ようやく魔族領への使者派遣を実現させたのだ。

 ミリーナは「私が、参ります」と、いつぞやと同じ言葉を口にして、使者に志願した。一つの提案を携えて。


 そうして今、驚くアルフェンの顔が目の前にあった。

「――初めまして……、じゃないですよね。お久しぶりです、アルフェン」

 挨拶をしてみても、アルフェンもその周囲にいる魔族たちも、誰一人口を開かない。

 ミリーナは仕方なく、鞄から「ある書状」を取り出した。

「それじゃあ聞いてくださいね」

 ミリーナは書状を広げて、高らかに宣言した。

「『我が国は貴国との友好を末永いものとするため、貴国王と我が国の王女との婚姻を提案する』!」

「つ、つまり……?」

 ようやくアルフェンが口を開いてくれたのににんまりして、ミリーナは今度は自分の言葉でこう言った。

「愛しています、アルフェン。私と結婚してください!」

 アルフェンの目が大きく見開かれ、次の瞬間には駆け寄ってきた彼にきつく抱きしめられていた。

 ミリーナは目を閉じてその胸に頬を寄せる。

 返事は? だなんて最早聞く必要はないだろう。

 状況をようやく飲み込めた周囲の人々の祝福の声に、アルフェンも嬉しそうにしているのだから。


Fin.


2022/09/29

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