人形店奇譚 〜心を宿す人形のちょっと不思議な日常〜

 町の中心を貫くように流れる川。

 その遙か上を平行するように走る単軌鉄道の駅を降りれば、積み重なるように乱立する建造物を見下ろすことができる。

 そこから細い階段を下りれば、人々の活気ある声が聞こえ、西洋と東洋とが不可思議に混ざり合うような町並みが続いていた。

 ステンドグラスの窓がはまる高い塔の隣には、赤い提灯が下がった軒が連なっている。木製の橋にはガス灯が立ち、欄干の下にはまだ家々が立ち並んでいた。

 それを渡り、石畳を歩く。その先にある細い階段を降りて、また煉瓦敷きの道を行けば道半ばに細い路地があった。

 その先には一軒の小さな店が建っている。

 年季の入った木の扉を開ければ、からんころんと軽やかな鐘の音が鳴った。

 店の中は人が二人、三人と入ってしまえば手狭になるような小さな作り。その中央には、一人の女が立っている。

 妖艶な肢体に着物を纏い、涼やかな目元に浮かべられる麗しい微笑。

 だが、目を引くのはそこではない。薄桃色の長い髪も珍しいが、その頭部には同じ色の三角耳が生えている。そして、彼女の背後にも同色の尾が九本。

 彼女は微笑む。

「ようこそ、『メイシィ人形店』へ。当店は心を宿す人形を扱う店です」

第一話  喋る人形 喋らない人形

「『妖艶な美人店員がお出迎え』……ねぇ」

 面白がるような調子で呟かれた女の声に、イファは振り返った。

「なに読んでるんですか、(あるじ)さま?」

 ここは「メイシィ人形店」。

 店主のメイシィによって作られる、自分で動いて自分で考える人形――自立式(じりつしき)人形(にんぎょう)と名付けられたそれを売る店である。

 半円形をした店内には、壁に沿って大小様々な人形たちが幾体も並んでいたが、その中でも言葉を発しているのはただ二人だ。入口の向かいに備え付けられたカウンターに座るメイシィは、頬杖をつきながら雑誌らしきものをめくっている。

「いやなに、この前取材が来ただろう? それが記事になった、っていうから買ってみたんだけどね」

 店の従業員であり自身もまた自立式人形であるイファは、そう言っておかしそうに笑う主メイシィの手元を覗き込んだ。雑誌の正体は、この街のガイドブックらしい。

 頭の上にある耳を興味深げにぴくりと動かし、開かれたページの文字を目で追う。

「えーっと、『路地を入った場所にあるこの店は、店主と従業員の二人で切り盛りされている。店主は滅多に姿を現すことはないが、店のドアをくぐれば妖艶な美人店員があなたを出迎えてくれることだろう』……。まさかこの『妖艶な美人店員』って、イファのことですか!?」

「そうだろうね、だってこの店には、私とお前しかいないのだし」

 半笑いのメイシィには気付かず、イファは尾の先をふりふりとご機嫌に揺らしながら、ぽっと赤らんだ頬に手を当てる。

「やだもう、イファ照れちゃいます〜! ……って、なんで笑うんですか、主さま!」

 彼女はいつの間にやら、カウンターの天板につっぷして肩を振るわせていた。それを見たイファは、ぷくりと頬を膨らませる。

「上品な桃色を基調に、狐耳と尾を生やした美人姉妹の妹、ってコンセプトで作ったの主さまでしょ! なにも間違ってないじゃないですか! それ以上笑うなら、ぷんぷんです! ぷんぷん!」

「そういうとこだよ」

 やっと起きあがったメイシィだが、口はへの字に曲がり、まだ笑いを堪えている。イファはむむと口を尖らせた。

「中身が釣り合ってない、って言いたいんですか? そんなこと言ったら、主さまもじゃないですか。一人で歩いてたら、『お嬢ちゃんどうしたの? パパとママは?』って、声かけられるくせに!」

「……イファ」

 ピタリと笑いを収めたメイシィの声が一段下がる。

「間違ったことなんて言って――、……ごめんなさい」

「よろしい」

 主の怖い顔に、耳と尾がしゅんと項垂れた。

 メイシィが普段あまり店に出ないのには、制作に集中したいという理由もあったが、彼女のそうした容姿にも原因がある。

 椅子から立ち上がったその背丈はとても小柄だ。一般的な人間の成人女性と同程度の身長をしているイファの胸元程度までしかない。髪も黒のおかっぱ頭――本人は「ショートボブだ」と頑なに言っているが――なので、よけいに子供っぽく見えるのだ。

 精々百年程度しか生きられない人間とは違う種族が、この世界には沢山いる。

 イファのモデルはあくまで、「人間に狐耳と尾を組み合わせる」というものだが、同じような見た目をした者や、もっと動物に近い見た目の者も、世の中には存在した。

 そしてメイシィのように、姿は人間と変わらずとも、その何倍も長く生きる種族というのも存在するのだ。

 だがその種族は数が少ない。長く彼女と生活を共にするイファですら、二人と見たことがなかった。そのため、十を数える程度の見た目で、人間の何倍もの時間を生きていることを知らない者も多い。ゆえに、侮られることもままあるのだ。

「私はお前を人の嫌がることを進んで言うような子に育てた覚えはないよ」

「むぅ……。でも、そんなことを言うなら、イファの性格、主さまになら見た目に吊り合うように出来たんじゃないのですか?」

 メイシィはこの世に存在する全ての自立式人形の母とも言える存在だ。とくに外見などは完全に彼女の手によるものである。しかし、メイシィは首を横に振った。

「無茶をお言いでないよ。何故かは何度も説明しているだろう。自立式人形は主を得て初めて心を得る。その心をいじることなんて、私にだって出来ないよ」

 自立式人形は店にいる時点ではただの人形なのだ。

 今もイファたちを囲むように何十体と人形たちが並んで座っているが、動くことも喋ることもない。

 ただ彼らには心の核になるものをその身体に宿している。メイシィだけが持つ力で作り出されたそれは、人形が主と認めた相手との間に絆を結ぶと、「心」を生み出すのだ。その「心」を持った瞬間にようやく、人形は今のイファと同じように、動き、喋り、自由に行動できるようになる。

「私が作るのは人形たちの肉体だけ。その人形が本当の意味で『生まれる』のは、主と心を通わせた時だ。人が産み落とす子の性格を選べないように、人形の心もまた、その人形だけのものだよ」

「知ってますけどぉ……」

 イファはカウンターに突っ伏し、尻尾はしゅんと垂れ下がった。「子供っぽい」と言われるのを、イファも少しは気にしているのだ。不貞腐れているのを表すように、尾がぺしーん、ぺしーんとカウンターを叩く。

「何を拗ねているのか知らんけどね。お前はどんなお前であっても、私の可愛い娘には違いないよ」

「主さま……」

 自身の頭を撫でる主の優しい手に、イファは目を細める。そして、彼女の言葉に感動してその小さな身体に抱きつこうとした時だった。

 からんころん、と鐘の音がして店の扉が開く。

「ようこそ、『メイシィ人形店』へ……」

 イファは勢いよく立ち上がり、客を出迎える際の決まり文句を口にしようとした。

 だがそれは尻すぼみに消えてゆき、思わずメイシィと顔を見合わせる。

「あの、お客さま……?」

 入ってきた女性は、この世の終わりかのような暗い顔をして、その腕に人形を抱えていた。




 イファは店の扉に「臨時休業」の札を下げ、中に戻った。

 つい先ほど訪れた客――以前小さな人形を買って帰った顧客ツゥシャンは、今は店の奥へと通されている。そこは住居スペースになっており、イファの部屋やメイシィの作業場、リビングがあった。

 彼女はメイシィと共にそのリビングにいるはずだが、一体何の話をしているのだろう。やはり気になって、イファはそちらへと急ぐ。

 ツゥシャンは、泣きそうな顔がそう見せていたのか、儚げな印象の女性だった。

 はじめは腕に抱いていた人形が怪我でもしてしまったかとも思ったが、ぱっと見た限りでは大きな損傷があるようでもなかったように思う。

 ならば何があったのだろうか。

 二人がいる扉の前まで行ったイファだったが、いきなり中へ入るのも躊躇われる。仕方なしに、行儀の悪いことだと思いつつも、そっと聞き耳を立てた。

「それで、御用向きをお伺いしてもよろしいか?」

 中からメイシィの声が聞こえる。店に来てすぐは何も言葉にならない様子だったツゥシャンも、それを聞けるくらいまで落ち着いたらしかった。

「はい……。その、この子を……手放そうと、思いまして」

「――!」

 この子、とは一体誰の事かなど考えずとも分かった。彼女が来店時に抱えていたあの人形だ。

 自分と同じ人形が捨てられる。

 そう思うと、イファはもういても立ってもいられなくなった。

「どういうことですか!」

 バンッと音を立てて扉を開ける。

 突然開いた扉に、中の二人は驚いたのだろう。ツゥシャンの方はびくっと大きく震えて涙目になり、一方のメイシィはというと目を丸くした――が、それは一瞬のことで、すぐに手を額に当てて、やれやれと溜息をついた。

「まったく……、一番厄介なタイミングで……」

「や、厄介なタイミング、ってなんですか! 同じ人形であるイファが怒るのは当たり前です!」

「お前ね、少しはお客の表情を観察する事もお覚え。これが好き好んで人形を手放そうとしている顔かい?」

「で、でも……!」

 たしかにメイシィの言うとおり、短い茶髪に隠れる彼女の顔色はますます悪く、今にも倒れんばかりである。また、テーブルの上に座ったままの人形を見る目も悲しげなもので、人形が嫌いになったというわけではなさそうだった。

 しかし、そうであっても彼女は確かに「手放す」と言ったのだ。イファにはやはりその発言を許すことは出来ない。

 納得していないというのは、メイシィにも丸わかりだったのだろう。彼女はもう一度溜息をついてから、ちょいちょいと手招きする。

「ともかく、お前は少し落ち着いてこっちへお座り。それと、相手の言葉をちゃんと聞いておあげ。怒るのはそれからだよ」

「……わかりました」

 むぅと口を尖らせつつも、ツゥシャンの表情に勢いを削がれていたイファは主の言葉に従った。

「さてと、うちのが悪かったね。話を続けておくれ」

 メイシィはそう言って話を仕切り直そうとするが、彼女は首をふるりと振る。

「いえ……、イファさんの仰ることはもっともです」

 力なくそう言うと、その目からはついに涙が零れ、彼女は手で顔を覆って嗚咽をもらした。イファはぎょっとして、尻尾の毛がぶわりと膨らんだ。

「え、あ……! な、泣かないでください! 主さま、これじゃあイファがいじめたみたいです!」

「いじめたんだろうねぇ」

 メイシィは頬杖をついて、「さぁ、どうする?」とでも言いたげな顔でこちらを見る。

「面白がってないで、助けてください! ――あぁ、ツゥシャンさん! ごめんなさい、泣かせるつもりじゃなかったんです〜〜!!」

 イファはあたふたとしながら、懐からハンカチを取り出して彼女に差し出した。

 渡されたそれを受け取った彼女は、目元を拭いようやく顔を上げる。しかしその目は真っ赤になっており、あまりの痛々しさにイファは罪悪感にさいなまれた。

「泣いたりして、すみません……」

「うぅ、イファも悪かったのです……。でもでも、ツゥシャンさんが好きで人形を手放そうとしているんじゃないってことは、よぉくわかりました!」

 話の続きを聞かせてほしいという意味を込めて、ぎゅっとツゥシャンの手を握る。すると彼女も、鼻をすすりつつ頷いた。

「この子……ステラは、私にとって生活の中心になっていました」

 ツゥシャンはテーブルに座ったままの人形の頭をなでる。「ステラ」というのは、きっとこの人形の名前なのだろう。

 金の髪は丁寧に結われ、フリルのついた真っ白なシャツはパリッとアイロンがけされている。短いスカートにも埃一つついていない。大切にされているのだと、よく見ずともわかった。その名前を呼ぶ彼女の優しい声に、どうしてその人形を手放そうとしているのか、イファにはますます分からなくなる。

「私はステラを愛しました。私にできることはなんだってした、つもりです。でも、この子と出会ってから、昨日で二年が経ってしまいました」

 ツゥシャンがまた、悲しげな顔でステラを見た。

「二年が経過しても、この子は――。イファさん、あなたのように動いてはくれない」

 イファはじっと、座ったままの人形を見る。

 お店にある人形たちは、まだ主と出会えていないから動き出すことはない。しかし、ステラは違う。二年も前に主と出会い、彼女に大切にされていたはずだ。

 しかしステラは、喋ることはおろか瞬き一つする様子もない。その瞳はずっと閉じられたままだ。

 なぜと驚くイファとは違い、隣のメイシィは冷静な声で呟くように言った。

「通常、自立式人形は数ヶ月から一年程で心を得る。二年経っても、というのは……、たしかに少し長いね」

「主さま!」

 ツゥシャンが傷付いたように目を伏せるのを見て、イファは思わず声を上げる。だが、メイシィは小さく首を振った。

「私は事実を言っているに過ぎないよ」

 冷たいようにも聞こえるそんな言葉を言った後、彼女は傍らですっかりぬるくなっていた茶を啜る。

「さて、本題はここからだね。何故この人形を手放したい? 動かないから返品、という訳ではなさそうだが」

「……っ、私には、ステラの主は務まらないのではないかと、思いました。だから、この子が新たな、もっとこの子に相応しい主に出会えるように……」

「それで、手放したいと」

 問いかけに、ツゥシャンはこくりと頷く。

 彼女が黙ってしまうと、重い沈黙が落ちた。イファはどう口を挟んでよいのか分からず、そわそわとメイシィを見る。

 ツゥシャンは、自分が手を放すことがステラの幸せになると思っているようだ。そのことはイファにも痛いほどわかる。だが、そうすることが本当にこの人形に幸せになるのだろうか。

 メイシィがふぅと息をつく。

「自立式人形に心が宿るまでの時間にはある程度ばらつきがある。今この人形が動かないのは、貴女の愛が足りないわけでも、貴女を主と認めていないわけでもなく、ただのタイミングかもしれない」

 メイシィはそこで一度言葉を切り、じっとツゥシャンを見た。

「それでも、この子を手放すのだね?」

 改めて問われ、ツゥシャンは苦悩するように顔を歪める。だが、彼女の意志は変わらなかった。

「――わかった」

 頷いたツゥシャンを見て、メイシィも諦めたようにそう言う。だが、言葉はそこで終わらなかった。

「ひとまずステラはこちらで預かろう。そうだね……一月(ひとつき)ほど。その間はお互い一旦離れて今後どうするか、よく考えるといい。一ヶ月経って、それでも意志が変わらなければ、今度こそ正式に引き取ろう。いいね?」

「は、はい……」

 戸惑った様子のツゥシャンだったが、どこか安堵しているようにも見えた。

 すぐさま今生の別れとはならなかったからだろう。

 イファもそれにほっとして、ようやく表情を緩めることができたのだった。




「ステラを、よろしくお願いします」

 名残惜しそうに自身の人形を見つめ、ツゥシャンは帰っていった。

 店まで見送りに出たイファは、ステラを胸に抱きながらそれを見送る。

「――さて、イファ。それをここに座らせとくれ」

 メイシィは客がいなくなると、すぐにカウンターを指差してそう指示した。イファは言われた通りにステラを座らせる。

「どうするんですか?」

「どうするもこうするも、ね。さあ、そろそろいいだろう?」

「? なにがいいんですか?」

 イファが怪訝な顔をすると、彼女は首を横に振った。

「お前じゃないよ、イファ。――お前に言ってるのさ、ステラ」

 メイシィはステラの額を指で小突く。

「主はもうここにはいない。喋れないフリはもうおやめ」

「喋れないフリ……?」

「――なんでわかった」

 聞きなじみのない声が割って入る。

 さらには、今まで微動だにしなかったステラがしっかり目を開いて、メイシィを睨みつけていた。

 イファは驚きのあまり声を失い、口をぱくぱくとさせる。

 何よりも驚いたのは、ステラから発せられた声は、高く澄んだ――少年の声だったことだ。

 イファは彼の格好を見て、少女だと思い込んでいた。

「何故分かったかなんて、答えるまでもないだろう? 私はお前の制作者。要は産みの親のような存在だ。そうだろう?」

 押し黙るステラを横目に、イファはようやく声を絞り出す。

「ステラって、男の子なんです……?」

 口にした間抜けな問いに、立ち上がったステラはイファを睨んだ。

「ああ、そうだよ! 悪かったな、見えなくて!」

「な、なんで怒って――はっ、そんなことより! 喋れるなら、どうして黙ってたんですか!」

「それは……、アンタには関係ないだろ!」

 喧嘩腰のステラに、イファも苛立ちが募る。

「関係なくないです! 主さまが親だというなら、ステラはイファの弟なのですから! 弟が主と別れるところなんて、見たくないのです! そうでなくとも、一ヶ月も離れて暮らすなんて……」

「は…はんっ! 寂しいだろう、とでも言うつもりか? むしろ清々するね!」

「な、なんて言い方するのですか!? ツゥシャンさんは――」

「そこまで」

 メイシィがパンと手を打ち鳴らし、言い争いは強制的に終了させられる。まだまだ言いたいことのあったイファは、抗議の目でメイシィを見るが、彼女はそれに気付いてすらいないかのような態度だ。

「お前達、少し熱くなりすぎだよ。落ち着きな」

 ステラはその言葉に思うところがあったのか、それとも単純に叫び疲れただけか、ドサッと音を立てて座り込む。

「ステラ、私は言ったはずだよ。『お互い』一旦離れてどうするか考えろ、と。あれはツゥシャンだけに言った言葉じゃない。お前にも言ったつもりだよ、ステラ」

「……わかったよ」

 ステラはメイシィの方を見ないままではあったが、こくりと頷いた。メイシィはそれに頷き返すと、今度はイファを見る。

「イファ、お前は少し冷静にものを見なさい」

 どうしてこちらまで注意されるのか分からず、むっと口を尖らせると、メイシィは肩を竦めた。

「まあ、いいよ。今はそれで。それより、そろそろ店を開けよう。臨時休業の札、外してきておくれ」

「はーい……」

 子供はこれだから、とでも言いたげな主の顔に納得のいかないイファだったが、メイシィの指示に従って身を翻す。

 扉のノブに手をかけてそれを押した。

「……あれ?」

 しかし、扉は少しだけ開いたところで、何かに引っかかっているかのように止まった。ツゥシャンが帰っていった時には、何事もなかったのに。イファは首を傾げつつ、えいっともう一度強く扉に力を込めた。

 やはり、途中で止まってしまう。

「主さま〜、扉が開きませ――、えっ!?」

 隙間から顔を覗かせて外を確認したイファは、目を疑うような光景に出くわした。

「どうしたんだい?」

 ひょこひょこと近付いてきたメイシィに、半泣きのイファは言った。

「あるっ、主さまっ……! 人が、人がしんでますぅ〜〜!!」




「まったく……『死んでる』なんて言うから、驚いたじゃないか」

 結論から言うと、店の前に倒れていた人間の青年は、死体ではなかった。

 短い黒髪に端正な顔をした彼は行き倒れ――、のようではあったが、当人に意識がないため、よく分からない。

 仕方がないので今は空き部屋に布団を敷き寝かせている。

「だって……、死んでるように見えたんですもん……」

 俯せに倒れていたため、はじめは分からなかったが、よく見れば青年はたしかに胸が上下して、きちんと呼吸していた。外傷もなく、ただ気を失っているだけのようだ。

 しかし、いきなりあんなものを見れば、誤解したって仕方がないのに。とイファは頬を膨らませる。

 現在、店番中のイファは客がいないのをいいことに、作業場に通じる扉を開けて、そこに籠るメイシィを喋り相手にしている。ステラはそのメイシィによって、念のためのメンテナンス中であった。

 それが終わった頃合いにふと時計を見れば、あの青年を寝かせてからそれなりの時間か経過していることに気付く。あの青年を見つけたのは昼前。もう今は日が傾きはじめる時間だ。

「イファ、もう一度様子を見てきます」

 メイシィに店番を頼んでから立ち上がると、彼の寝ている部屋へと向かった。目を覚ました時、誰もいない見知らぬ場所だとさぞ不安だろう。

 ぱたぱたと空き部屋に向かい、イファはそこの扉に手をかけた。そのまま中に入ろうとして、もう気がついているかもしれないと思い至る。少し悩んだ後、軽くノックをしてから、足音を忍ばせてそぅっと部屋に入った。

「――まだ、眠ってらっしゃる……?」

 青年は相変わらず布団の中で眠っているようだ。 イファは彼の枕元に膝をついて、その顔を覗き込む。

 ちょうどその時、うっすらと青年の目が開いた。

「あ、目が覚めました?」

 無事に意識を取り戻したのが嬉しくて、尾がふりふりと揺れる。

 彼はまだ寝ぼけ眼なのか、焦点の合わない目でこちらを見上げた。しっかりとした意識があるわけではないらしい。また眠ってしまうやも、とイファが思った、その時。

 その目がバチッと開いた。

「女神……!!」

「はい?」

 青年はガバッと身を起こすと、こちらを押し倒さんばかりの勢いで抱きつく。

「いっ……!?」

 寝惚けているとは思えない力だ。イファは、尾の毛をぼわっと逆立たせて硬直する。

「僕の女神(ミューズ)! こんなところにいたなんて……! もう離さない!!」

 ぎゅうぎゅうと苦しいほどに抱きしめられた。混乱と羞恥で顔が真っ赤になってゆくのを感じる。

「へ、へ……、へんたいですぅぅぅっ!!」

 イファはあらん限りの力を振り絞って、そう叫んだ。




「いやぁ……、申し訳なかった」

 にへらと笑って謝罪する青年を、イファは猜疑心いっぱいの目で睨む。

 あの後、叫び声を聞きつけて駆け込んできたメイシィとステラによって、イファは助け出された。青年は寝惚けていたと弁明し、今は全員店の方へと場所を移している。

 イファは身体をカウンターで隠し、その上から覗かせた顔の前にはステラの胴を掴んでその場に留め……、と徹底的にその青年から隠れる格好をしていた。

「……なんで、オレを盾にするんだよ」

「ステラはさっき、助けてくれましたもん」

 その言葉通り、青年の頬には彼の蹴り跡がしっかり残っている。部屋へ駆け込んでくるなり、飛び蹴りを食らわせてくれたのだ。

 ステラはイファの決して離そうとしない手から逃れることを諦めた様子で、溜息まじりにその場に座り込んだ。

「で、あなた誰なんですか」

「名前はアゼル。今は旅の途中、といったところかな」

「旅人……?」

 じとぉ、と睨むイファに彼は動じることもない。ずっと笑顔を浮かべ得体が知れないと警戒心を高まらせる。旅人などと言うが、本当にそうなのだろうか。

「主さま! やっぱりこの人、怪しいです!」

 隣のメイシィに抗議すると、彼女は肩を竦めた。

「イファ、第一印象で決めつけるのではないよ。……とはいえ、『怪しい』というのには、まあ…同感だね。あんた、雲界(うんかい)の人間だろう」

 笑みを浮かべるばかりだったアゼルの表情がはじめて動く。驚いたような、感心するような顔だ。

「わかりますか。地界(ちかい)の人々はあまりあちらに詳しくないと聞きますが」

「まあ、少しね」

 途中から話についていけなくなったイファは、怪訝な顔で首を傾げ口を挟む。

「主さま、ウンカイとかチカイ、ってなんですか?」

 メイシィが目を瞬かせた。

「ん……、教えてなかったかい?」

「仕方ねぇんじゃねぇの。あれって、おとぎ話とかでしかあんま聞かねぇし、アンタそういうの読み聞かせそうにねぇじゃん」

「え、ステラも知ってるんですか!?」

「あ……、まあ……、絵本とか、よく読み聞かせられたりしてたから、な」

 てっきり知らない仲間だと思い込んでいたステラの発言にイファは目を見開く。彼は照れているのか、頬をぽりとかいて視線を逸らした。

 イファは「知らないのは自分だけか」とがっくりしながら、説明を求めてメイシィを見つめる。

「今、私達が生きる世界とは別の世界があるのだよ、イファ」

「別の世界、ですか?」

「そう。どこか似たような、でも全く違う世界が別にある。その世界はここから見ると上の方にあるとされていて、昔の人は雲の上にあるのだと言っていたのさ」

「だから、雲の世界で『雲界』?」

 メイシィはこくりと頷く。

「実際は、時空が別なのだけれど……。まあ、これはいいか。一方、雲界の人間から見れば、こちらは下方にある。だから、『地界』と呼ばれる……、ということだね」

「へぇ……。でも、そんな話今まで聞いたことも見たこともないです。本当にあるんですか?」

「界を行き来できる人は限られているんだ。えっと……、イファ?」

 会話に入ってきたアゼルに、イファはむむっと顔をしかめた。

「なれなれしく呼ばないでくださいっ。それに、限られた人しか来れないなら、こんなところで行き倒れてるの、ますます怪しいです!」

「そう、それなんだよ! 実はお願いがあるんです、メイシィさん!」

 何故か目を輝かせ、こちらを見つめてくるアゼルにイファは一歩後退する。メイシィにお願いがある、というのに何故こちらを見るのか。

「お願いだって?」

「はい! 実は仲間とはぐれてしまって行くところがないんです。なので、しばらくこちらに泊めていただけませんか!」

「は、反対ですっ!!」

 ぽかんとするメイシィを後目に、イファは叫んだ。

「どうして! 見たところ女ばかりだし、男手は必要だろう?」

「……まあ、それは確かにそうだねぇ」

「主さま! イファ、てーそーの危機だったんですよ!?」

「貞操、ってお前ね……。抱きしめられただけじゃないか」

「んむ〜〜っ! 抱きしめられた『だけ』じゃないです!! それにそれに! 目的も分からないじゃないですか!」

「目的なんて、ただ一つだよ! 君を一目見た瞬間、凄まじいインスピレーションを受けたんだ! まさに君は僕の女神(ミューズ)! 君の姿をいつまでも見つめていたいんだよ、

イファ!」

「き、きもちわるいです!!」

 イファはアゼルの熱量に、ぞわっとして身を震わせるが、彼はめげずにメイシィに詰め寄った。

「お願いです、メイシィさん! 僕の本業は服飾デザイナーです。元々、見聞を広めるため地界まで来たんです。それが、こんな出会いに繋がるなんて!! 今なら様々な人形達の服も作るとお約束できます! 彼女が傍にいればそれも簡単です!!」

「――乗った!」

「主さま!? もうっ、『乗った』じゃないです〜〜!!」

 メイシィとアゼルはガッシリと握手を交わす。

 おいおいとむせび泣くイファの頭に、生ぬるい目をしたステラの手がぽんと乗った。




「ようこそ、『メイシィ人形店』へ! あ、お久しぶりです。ロロちゃん元気ですか?」

 訪ねてくる客の相手をし、要望を聞いて、時には店主であるメイシィに取り次ぎ――。イファはいつも通りの日常を送る。

 しかし、対する客達は「いつもの」反応とは違った。イファの背後にちらちら視線を向けて、居心地悪げな顔をしている。

「あの……、イファちゃん。後ろの方、は? 新しい店員さんかしら……?」

「気にしないでください」

 イファは後ろに人などいないかのように、笑顔で応対を続けた。

「……じゃあ、これを……いただくわ」

 その客は何とも複雑な顔をしながら、中形人形用のヘッドドレスを指差す。

 ちなみに、人形のサイズは大きく五つに分かれていた。小さい方から、超小形人形は手乗りサイズ。小形人形はイファの肘から指先ほどまでの大きさ。中形人形は足下から腰くらいまで。大形人形は胸くらい。等身大人形はイファと同じサイズだ。ステラはこの分類でいうと小形人形に属する。

 会計を済ませた品をイファが笑顔で渡すと、受け取った客はそそくさと帰っていった。店の扉が閉まり、鐘の音も鳴り止む。そうなってしまえば、客がいなくなるまではと根性で張り付けていた笑顔は剥がれ、イファは大きな溜息をついた。

「……まったく、イファに穴が開いたら責任取ってくれるんですか?」

 腰に手をあてて、ずっと無視していたアゼルを振り返る。

 彼が店に転がり込んでから早数日が経ち、ついにイファの我慢が頂点に達していた。

 接客の間、まさに穴が開くほどに見つめられているのだ。

 それも毎日。

 イファ自身もその視線にすわりが悪かったが、数日も経てば諦めるほかないと無視を決め込んでいる。とはいえ、せっかく来てくれたお客さまにまで居心地悪く思わせるなら、話は別だ。

「さっきのお客さま、あなたの視線が気になってお買い物に集中できてなかったです」

「あ……、それはごめん」

 あっさりと謝罪され、イファは拍子抜けした。また煙に巻くような物言いをされると思っていたのだから、調子が狂う。文句を続けようとしていた口は、開いたまま言葉に詰まってしまった。

 素直に謝っている相手をこれ以上責めるようなことなど、とても言えない。イファはうむむと口をへの字に曲げて、それ以上の言葉は飲み込む他なかった。

「わかれば良いのです……。それより――、なにを書いてるんですか?」

「ん? 君にはどんな服が似合うかな、と思ってね」

 少し興味が湧いて、イファは彼が持っているスケッチブックを覗き込もうとする。しかし、パッと取り上げられてしまった。

「まだダーメ。作ってからのお楽しみ、ってやつだよ」

 いじわるな物言いに、イファはむっとする。

「……あなたがどんな物を作るのかわからないなら、イファ着られないです」

「それは困るなぁ……」

 さほど困ってもいなさそうな声音でそんなことを言いつつ、アゼルは頭をぽりぽりとかいた。

「うーん。あ、ちょっと脱いでくれる?」

 さも名案が思い浮かんだと言いたげな顔をするアゼルに、イファは一歩足を後退させる。警戒感を表すように、尾がピンと立った。

「や、やっぱり変態さ――」

「違うから。上の着物だけだよ。中にブラウスを着てるだろう?」

 アゼルの指摘通り、イファは丈の短い着物の中に立襟のブラウスを着ていた。下はフレアのスカートを穿いているため、たしかに着物だけを脱ぐことは可能だ。

 怪しみつつも、イファは細い帯を解き、着物を脱いだ。

「君が着てる服、色合いも紫とか暗めの色ばかりで落ち着いてるから、大人っぽい印象だろう? だから……」

 アゼルは先程解いたばかりの帯締めを手に取る。薄紫のそれをイファの首元にまわし、帯締めが正面にくるように調節しながら蝶結びをした。

「それから……えーっと、薄い色の上着か何か、ある?」

「そこに等身大人形用の羽織なら……」

 イファは、商品棚の端に数枚並んでいる服を指さす。

「ふむ……、やっぱり桃色かな」

 アゼルはぶつぶつと独り言を言いながら、薄紅色の羽織を手に戻ってきた。

「さ、これを着てみて。鏡は……、ああ、あそこだ」

 手渡されたそれを肩に掛けると、押されるように姿見の前へ移動させられる。

 着物を脱いで羽織をひっかけただけで何がしたいのだろう、と思いつつもイファは、にこにこするアゼルに押され鏡を覗き込んだ。

「……あっ」

 イファは目を瞬かせる。

 これまでの大人びた印象とは全く違う自分がそこにいた。

「かわいい、です……」

 ほぅと息をついて、姿見に映る自身を見つめる。ブラウスの上に羽織っているものを変えただけのはずだ。それなのに、こんなにも違って見えることが不思議で仕方がなかった。

「今は有り物で組み合わせただけだけど、もっと僕がデザインした服を着て欲しいんだよ」

 一心に鏡を見つめ続けるイファの顔を見て、アゼルはにこっと笑う。

「どう? ついでに僕のこと、君も認めてくれると嬉しいんだけど」

「そ……、それとこれとは別です」

 イファは見惚れる顔を彼に見られたことが恥ずかしくなり、頬を赤らめてぷいっとそっぽを向いた。その時、ふとメイシィの作業場へ繋がる扉が目に留まり、浮き立った気持ちが少し沈む。

「……どうかした?」

「少し、ステラのことが気になってしまって。ステラ、主と離されて不安だと思うんです。なのにイファだけ、楽しくって……」

「そこまで気にする必要ないと思うけど」

 そう言われても気になるものは気になった。

 今ステラは、メイシィと共に工房にいる。店の方にいて商品と間違われるのは嫌だと彼が言ったからだ。

「商品と思われるのは嫌だ、ってことは、今の主と離れたくはないないってことだと思うんです。なのに……」

 違う主の元に行きたいというならば、むしろその「新しい主」と出会える機会をふいにするとは思えない。

 だがそれならばどうして、彼は主の前で動かない人形を演じ続けたのだろうか。

「本人には聞いた?」

「……『アンタには関係ない』、って言われたんですもん」

 イファはステラと言い争いをした時のことを語った。

 あの時の言いぐさには未だにカチンとくるものがあるが、一方では頭ごなしに言い過ぎたと自身も反省していた。それ以降、もう一度聞いてみるべきか、静観するメイシィに倣うべきか、ずっと悩んでいる。

 胸元に居場所を変えた帯締めの端をいじいじといじくっていると、アゼルはふむと息をついた。

「まあ、案ずるより……、ってやつかな。――ステラ!」

 突然、アゼルがステラの名を呼び、作業場に続く扉の方へ向かう。

「なんだよ」

 その扉が開かれると、驚いたらしい彼の声が聞こえた。

「イファを見てくれ、かわいいだろ?」

「なんなんだよ、急に……」

 部屋の中へ消えたアゼルは、ステラを手に乗せてすぐに戻ってくる。

 ステラと目が合い、イファはどう反応してよいやら分からず、曖昧に笑った。

 彼は黙ったまま何も言わない。ただただ、じっとこちらを見つめている。

「あ、あの……、ステラ?」

「あっ、いや……。うん、かわいいよ」

 ステラは慌てた様子で答えるが、何かを考え込んでいるように見えた。見惚れて返答が遅れた、という風でもない。

「何か気にかかることでもあったんですか?」

 イファは、カウンターの上におろされた彼と視線を合わせるように腰をかがめた。

「別に……」

 ステラは視線を合わせず、下方を見ている。その頑なな様子は、出会った日のことを思い起こさせた。

「――やっぱり、『アンタには関係ない』なんですか?」

 数日とはいえ生活を共にし、少しは打ち解けられたかと思っていたイファは、悲しくなりながらそう尋ねる。耳もしょんと項垂れていた。

 ステラも初日に自分が言った言葉だと思い出したのだろう、はっとしたように顔を上げる。

「……気にしてたのかよ。あの時は、その……」

 ステラは眩しいものを見るような眼差しでイファを見上げた。

「アンタさ、『かわいい』って言われて嬉しいだろ? オレは……、素直に喜べない。だから……」

「『かわいい』って言われるの、嫌なんですか?」

「……アゼル、アンタ嬉しい?」

 イファの質問には答えず、彼は代わりにアゼルの方を見る。

「うーん? まあ、『カッコいい』の方が嬉しいかな」

「そういうことだよ」

 これでわかるだろう、と言いたげな顔をするステラに、イファは首をひねった。

「それはつまり……?」

「ステラはこう言いたいんだよ。かわいい格好じゃなくて、もっとカッコいい服が着たい、ってさ。――というわけでステラ。ついでにこれ、着てくれないか?」

 その手にはどこから出したのか小形人形用の服がある。

 これまで彼が着ていた少女のような服ではなく、少年用だと一目でわかるようなものだ。シャツにサスペンダー付きの半ズボン。襟元やズボンの裾は変わったデザインをしている。

 アゼルのデザインした服らしいが、イファはすてきだなと思うと同時に釈然としないものも感じた。

「……イファのこと『女神』だとか言ってたのに、はじめにつくるのはステラのなんですね」

 ぼそっと呟くと、二方向から視線にはっとする。

 これでは嫉妬してるみたいだ。

「ち、ちがいますこれは……!」

 言い訳しようと口を開くと、アゼルがにまにまと笑いつつイファの肩に手を置く。

「そう怒らないでイファ。これはメイシィさんにもらった余り布で作っただけなんだから。君に作るものは布から探して……、ああいや、糸から作ってもいいな……。色糸で織るのもいいし、地模様を入れるのもいいな……。ああでも、染めるのも……、それに刺繍で模様を描くのも……! イファ! どれがいい!?」

 ずいっと詰め寄られ、イファは顔をひきつらせて叫んだ。

「きもちわるいですぅ〜〜!!」

 隣で服を渡されたきり、放置されているステラはひっそりと溜息をついたのだった。




「ここ……、みたいですね……」

 イファは小さなメモに書かれた住所を見比べつつ、店から少し離れた場所にある住宅街に来ていた。

 そこへ通じる橋から下方を覗き込み、流れる川から一階層上の場所だと確認する。似たような木造家屋が上下左右に立ち並ぶ中から目当ての名前を探し出し、イファはその門扉を叩いた。

「こんにちは、ツゥシャンさん!」

「いらっしゃい、イファさん」

 中から駆け寄ってくる音が聞こえた後、扉が開く。そう言って現れたツゥシャンは儚げに微笑んだ。

「ごめんなさい、わざわざ……」

「わざわざなんて思ってませんよ! ステラが心配だったんですよね? イファわかります」

 通されたリビングはやわらかい色で纏められ、ツゥシャンの優しげな雰囲気をそのまま写し取っているようだった。その中央に据えられたふかふかのソファにイファは腰を下ろす。

 ツゥシャンらが離れて暮らすようになり、既に半月が経過していた。

 ステラとは、あの後何故かアゼル主催のファッションショーとなってしまったため、詳しい話はできていない。だが、あの時にもらった服を大事に着ている様子を見る限り、それまでの服装に多少の不満はあったのかもしれないと推察していた。それが彼らが別れて暮らしている原因に繋がるのかは分からないが。

 イファは、ステラともこの半月で仲良くなれたと自負している。だが、そんな彼と主のために何が出来るのかは思い浮かばず、悶々と日々を過ごしていた。

 そんな時に「ステラに一目だけでも会いたい」とツゥシャンから手紙が届いたのだ。

 メイシィはそれを許可しない代わりに、イファに彼女を訪ねるように指示した。主の方からも話を聞きたいと思っていた折であったため、これ幸いと彼女の元へ出かけることにしたのだった。

「……えっと、人形もお食事は出来るのでしたよね」

「はい! 食べなくても大丈夫ですけど、イファは美味しいもの大好きです」

「なら、お茶とお菓子を出しますね」

 イファは、キッチンの方へと向かうツゥシャンに頷き返す。一人になり、ふとベランダの方を見れば、よく陽の当たる菜園があった。

 ここは街全体が複雑な階層状になっている。そのため下方の階では日当たりが悪いことも多い。ツゥシャンの家は下から二階層目で、この地区では五階層ほどになっているところばかりだ。そんな中でこんな場所があるのはとても不思議だった。

「いいでしょう?」

 茶菓子の乗った盆を手にしたツゥシャンが戻ってくる。

「あそこでひなたぼっこすると、とても気持ちがいいの」

「ステキですねぇ」

 メイシィ人形店は、人目を避けるように細い路地の奥に立地していた。知っている人にしかたどり着けないような場所がいいという、メイシィの考えに基づいてそんな所にある。そのため目論見通りに客は厳選されるのだが、それと同時に日当たりなど望めるべくもなくなっていた。お休みの日にでも、ぽかぽかの日差しを満喫できるのは、とても羨ましい。

 イファはいいなぁと思いつつも、前に置かれた茶の方へ目を戻す。小さな焼き菓子と良い香りのお茶に、イファは顔を輝かせた。それに口を付けると、ツゥシャンが感心したように溜息をつく。

「本当に飲めるのね、ふしぎだわ……」

 ステラが動かないフリをしているばかりに、人形が食事をするさまを初めて見たのだろう。イファが飲食する様を、しげしげと見つめる。

 これまで特に考えたこともなかったが、思えば彼女の言うとおり不思議な話だとイファも思った。生物ではない人形が飲み下したものは、一体どこへ行くのだろう。原理はよく分からないが、それを成したのはメイシィだということに代わりはない。だから、イファは得意げに胸を張った。

「そうなのです。イファの主さまはすごいのです」

「えぇ、本当に。それに比べて、私は……」

 ステラが既に心を得ていることを知らない彼女は、やはりまだ自分が主として相応しくないと思っているのだろう。

 主を悲しませて、とここにはいないステラに少々怒りを覚えたが、どうすればよいのか分からず、イファは口を噤んだ。

 ツゥシャンが部屋の一角に目を向けているのに気付くと、つられてそちらを見る。

 そこにはやわらかそうなクッションやベッド、小さなテーブルと椅子などが置かれていた。

「あれは……ステラのものですか?」

 ツゥシャンが頷く。

「あれがあると、あの子を手放す決心がつかないから、処分しようと思ってたのですけれど、どうしてもできなくて……」

「しょ、処分なんて! ステラは戻ってくるかもしれないじゃないですか!」

 ツゥシャンの意思がいまだに固いことを知り、イファはどうにか二人がまた一緒に暮らせるようにしたいと改めて思った。

 どうにかして、ステラと彼女の間を取り持てたらいいのに。

「――あ、そうでした」

 イファはぽんと手を叩いて持参した鞄を探り、その中から一通の封筒を取り出す。

「……これは?」

「開けてみてください!」

 イファがそう言って差し出したクリーム色の封筒を、ツゥシャンは不思議そうに見つめた後、ゆっくりと開いた。

 中身は一枚の写真だ。

「ちょっと前のことなんですけど。今店に……不本意ながら、ステラとは別の居候がいるのですが、彼が服飾デザイナーなんです。その試作品を着てもらってる写真なんですよ」

「……そうなんですね」

 写真のステラは黙って座り込み、相変わらずただの人形のフリをしている。

 今日、ツゥシャンの元に写真だけでも持って行こうとしていたところ、ステラにこれ以外は駄目だと言われてしまったのだ。それでも、少しくらい彼女の気持ちが晴れればと思った。

「なんだかステラ……、嬉しそう」

「そう、ですか? ……でも、ツゥシャンさんのところに帰りたがってますよ。イファにはわかります」

 ツゥシャンはそれには答えず、じっとその写真を見つめていた。




 イファはしばしツゥシャンの話し相手をした後、彼女の家からお暇した。

「やあ、イファ」

「ふぇっ!?」

 家を出たところでいきなり声をかけられ、文字通り飛び上がらんばかりに驚いたイファは、きょろきょろと落ち着かないまま辺りを見渡す。するとそこに、意外な人物を発見して目を見開いた。すぐ側の壁に背をつけて、アゼルがひらひらと手を振っていたのだ。

「なっ、こ……、こんなところで何をしてるんですかっ」

「何って……、君のお迎え、かな?」

「イファ、そんなにこどもじゃないです……」

 一人で帰れる、と言いたいところだが、どうせ行く方向は同じだ。仕方なしに、イファは歩きだした彼の隣についていった。

 無言のまま黙々と歩く。はじめはちらちらと隣を気にしていたイファだが、すぐに思考はツゥシャン達のことでいっぱいになっていた。

「――浮かない顔だね。そんな表情もとても良いけど」

 心配しているのか、なんなのか。こちらを覗き込んでくるアゼルを、イファはげんなりした顔で見る。

「何かあった?」

 一応、心配してくれているらしい。

 イファは小さく首を横に振った。「何か」というわけではない。ただ、思いつくままにぽろりと口から疑問が零れ落ちる。

「どうして……、お互いが大事なのに、離れることを選ぼうとするんでしょうか」

「ステラと……、その主のこと?」

 イファはこくりと頷く。

「彼のこと言ったの?」

「……まさか。ステラは今も主に動けることを知ってほしくないんです。本人が隠したがっていることを、無断でイファが言えるわけないです」

「それもそうか」

 それきりまた、イファもアゼルも黙って帰路を辿る。普段何かを描いている時以外はよく喋るこの男が、今日に限って静かだった。

 ふと、遠い空を見つめるアゼルに気が付き、イファも同じようにその方向を見る。

 日が暮れはじめた空は赤く、林立する建物の隙間から夕日が射し込んでいた。上空はうっすら夜の気配が近付いて、小さく星も輝いている。

「……『ステラ』か」

 アゼルがぽつりと言葉をこぼす。イファが首を傾げると、彼はこちらを見てにっと笑った。

「知ってる? 上の世界――雲界では『ステラ』は『星』という意味なんだ」

「星……」

「主はそれを知っていてつけたんじゃないかな。だから大丈夫さ、きっと」

 それは、輝くものとしてだろうか、それとも手が届かないものとしてだったのだろうか。

「だと、いいですけど……」

 軽い調子でそう言うアゼルにイファは頷き――、はたと思った。

雲界(あちら)といえば、お連れの方と連絡取れたんですか?」

 仲間とはぐれたとは言っていたが、それ以降の彼はのほほんと暮らすばかりで、連絡を取ろうとするそぶりは見えなかった。

 尋ねられたアゼルは、目をぱちぱちと瞬かせる。

「あー……、残念だけどまだだね」

 まさか忘れてたのでは、という反応にイファは眉根を寄せた。

「ずいぶんと脳天気なんですね。いまごろ、あなたを必死で探してらっしゃるかもしれないのに」

「……はは、そうだね」

「んもう! なんなんですか、その言い方!」

 イファが怒ると、アゼルは一層楽しげに笑うから腹立たしい。ぷんすかしていると、子供をあやすように頭を撫でられる。

「君はどうして、そこまで人のためになれるの」

 突然、神妙な声音で問われ、イファは首を傾げる。

「何がですか?」

「ステラの話を聞こうとしたり、今日だってここまで来たのはそのためじゃないか。どうして?」

「……イファには質問の意味がよくわかりません。みんなが幸せになれたら、イファも幸せ。……あなたは違うんですか?」

 どうして、と言われてもよく分からなかった。そうすべきだと思ったから。そうしているだけなのだ。

「みんなは君みたいに真っ直ぐじゃないんだよ」

 褒められているような言い方だが、素直に頷きがたいのは何故なのか。イファは、じぃっとアゼルの顔を見つめ、はっとした。

「……それ、イファのこと『単純』だってバカにしてます?」

「あはは、バレたか」

 からからと笑うアゼルに、ぷぅっと頬を膨らませる。

「〜〜っもう!! やっぱりイファ、あなたのこと嫌いです!!」




 それから一週間と少し。

 期限の一月(ひとつき)が迫るにしたがって、ステラはむっつりと黙り込むようになっていた。

 アゼルは軽く「大丈夫」などと言っていたが、イファの心配は尽きない。しかし、そのことに触れてほしくなさそうなステラの様子に、手を出しあぐねていた。

 だが、ツゥシャンが再び店を訪れる日の朝。

 ステラの姿を見たイファはついに我慢の限界を突破し、声を荒らげた。

「どうして、また、ただの人形のフリをしているんですか、ステラ!!」

 動かない人形フリは徹底しており、彼はその声にも反応しない。

 店のカウンターの上に座るステラの元へずんずんと歩み寄ったイファは、バンと音を立ててそこに手をつく。

 さすがに無視していられなかったのか、彼は面倒くさげに目を開け、胡乱な表情のままイファを見上げた。

「どうして、って……。主はオレが動くことを知らないからだよ」

「動けることを教えないつもりですか」

「そうだよ」

 淡々としているステラに、イファは一層苛立つ。

「なぜですか!? このままじゃ……、本当に別れることになってしまいます!」

「そうだな」

「そうだな、って……。ステラはそれでいいんですか!?」

「……今更、動けることを知らせてどうすんだよ。しかも、オレがこんな性格だってことも、本当の性別すら主は知らないんだ」

「そ、そんなの! 話せばきっと分かってくれます! 性別なんて、些細な差じゃないで――」

「『些細な差』、だって……?」

 ステラの声に怒気が混じったのを感じて口を噤む。まずいことを言ったと思った時には既に遅く、今度はステラが(かたき)でも見るような顔でイファを睨んでいた。

「それはあんたが……、あんたが、当事者じゃないから言えるんだろ!?」

 彼の叫びに、イファの怒りが冷める。

「オレにとっては、『些細』なんかじゃない!! オレには……、オレは……」

 ステラは悔しげに唇を噛んだ。

「それに、自分の人形の性別も分からないような主なんか……、こっちから、こっちから――、願い下げだよ!!」

 吐き捨てるように言うが、彼自身がその言葉に傷付いたような顔をする。

 そして、泣きそうになるのを隠すように顔を背けると、唐突に立ち上がりカウンターから飛び降りた。

「ステラ!?」

 人形の身体能力は小形になればなるほど、人間のそれより高く設定されている。高いところから落ちた時に怪我をしないためだ。

 ステラもその例にもれず、自身の身丈より何倍も下方にある床へ難なく着地すると、振り返ることもなく走り出した。

 店を出ようとしている。

 そのことに気付いたイファは、止めなくてはと思いつつも、背の小さな彼に扉を開けられるはずもないと油断していた。

 だから、一歩行動が遅れてしまった。

 その時、まるでステラはそれを分かっていたかのように、店の扉が開いたのだ。

「こんにち――、えっ」

 店内に入って来たツゥシャンの足下を、ステラはするりと通り抜けて走り去る。

「――イファ?」

 丁度後ろから、アゼルとメイシィも顔を出した。イファは、真っ青になってあたふたと二人の方へ振り返る。

「ス、ステラが……走って逃げて……。イファ、追いかけます!!」

「あ、待って。僕も行く!」

 呆気にとられるツゥシャンの横をすり抜けて、イファは街へと飛び出した。




「あの……、今のはどういう……」

 店主と二人きりになったツゥシャンは、おろおろと店の扉を振り返る。

「とりあえず、座ったらどうだい?」

 そう勧められ、彼女が引っ張り出した椅子にそろそろと腰掛けた。

「あの、それで」

「もう隠す必要もないね。ステラは、元から動けたし喋れたんだよ」

 ツゥシャンは目を見開いたまま、足下をすり抜けていった小柄な影を思い出す。

 ステラに見えた。

 しかし、そんなはずはないとその考えを打ち消したのに。

「元、から……?」

 もしかすると、途中で動けるようになったのかもしれないと、思いたかった。しかし、そんな幻想も店主の頷きが否定している。

 元から。それはつまり、この店に来る前から、ということだろう。

「なら、どうして喋ってくれなかったの……」

 やはり、自分を主として認めてくれていないから、なのではないのだろうか。

 ツゥシャンは誰に問うでもなく、項垂れて呟く。

「まあ、ステラの本音は私にも分からないよ」

 店主は嘆息をもらした。

「でもねぇ……、本当はもう、答えを知っているんじゃないかい?」

「え……」

 その時、脳裏に一枚の写真が浮かぶ。

 少年の姿をしたステラの写真。

 それを見た時ツゥシャンは、もしかすると知らぬ間にずっと彼を傷付けてきたのではないかと思った。

 フリルにスカート、可愛らしい服。それらはステラの好みが分からなかったために、全て自身の一存で買いそろえたものだった。

 いつか、あの子が自分で選べるようになった頃、また選び直せばいいと思って。

 しかしステラには、もうずっと意識があったという。それに気付かぬまま、きっと色々なことに我慢をさせ続けていたに違いない。

「それとも、何も確かめないまま、あの子このまま捨てるかい?」

「そんなの……!!」

 あの子の幸せと考えて、手放そうという気持ちは固いままだった。たとえあの子のいない生活が、どれほど寂しくとも。

「私、あの子が……大切なんです……」

 ステラがどう思っているのか、何も知らない。それと同時に、自身がどれほどあの子を大切に思っているのか、伝えきれていないことに気付く。

「……っ!」

 ツゥシャンは立ち上がり、踵を返して走り出した。

 扉を開けて外へ。

 何故だか、あの子がどこにいるのか、わかるような気がした。




 イファはアゼルと共に店を飛び出した後、その周囲を走り回っていた。

「どこに行ったか見当はついてるの?」

「わかりません。ただ、そう遠くへは行ってないと思います」

「根拠は」

「この街は、人間の大きさから逸脱した者が暮らすにはとても不便な街なんです。それにステラは、このあたりの地理にも疎いと思います」

「ああ……、たしかに」

 何故崩れないのか不思議なバランスで成り立っているこの街は、どこへ行くにも細い道と階段を通らなければならなかった。多くの人々は、一般的な人間とそう変わらない体格のため、慣れてしまえばそう不便を感じることはない。

 しかし極端に身体が大きければ道は通れないし、ステラのように小さければ階段の上り下りができないだろう。

 その上、ステラは店に滞在するようになってからは、殆ど外に出ていなかった。ツゥシャンも、あまり外へ連れ出すことはなかったらしい。そのため、彼が道を知っているとは考えづらかった。

 なので近辺にはいる、と思うのだが。

「でも、小さいので、隙間に隠れられたらイファ達に見つけるのは難しいです」

 複雑な街の構造は、それだけ死角も多くなる。

 もし、このまま見つからなければ、と不安が襲った。

「こうなったの、イファのせいです……」

 イファは滲む涙をぐいっと拭う。彼を傷付けてしまったからこうなっているのだ。自身に泣く資格などない。

「ステラがすごく悩んでいたことを、簡単なことみたいに言ってしまいました。悩みの深さはその人にしか分からないって、イファ知ってたのに……」

 彼は今どこにいるだろう。姿を見せてくれなくても、無事ならそれでいいのだ。

 もし何かがあれば、ツゥシャンにも、ステラ自身にも顔向け出来ない。

「イファ、こうしている間にもどこかへ行ってしまうかもしれない。行こう」

「……っ、はい」

 イファは、ステラの無事を願いながら、走り出した。




「……はぁ、やっと行った」

 イファとアゼルの会話を物陰で聞いていたステラは、彼らがようやく場所を移してくれたことに安堵して、詰めていた息をはきだした。

 細い、人間では入り込めないような隙間で、ステラは座り込んで膝を抱える。

 イファを心配させるのは本意ではなかった。しかし、どうしても出ていくことはできず、だからといって店に戻ることも躊躇する。

 自分が発した、主を愚弄する言葉が耳について離れない。あんな風なことを本気で思っているわけではなかった。

 ただただ、怖かったのだ。

 彼女の望む自分ではないこと。それが知られてしまえば、嫌いだと、もういらないと、そう言われてしまうのではないかと。

「……そろそろ移動しよう」

 ずっと同じ場所にいれば見つけられてしまうかもしれない。

 このまま、どこかへ消えてしまおうか。

 それは疲れた心には妙案のように思えた。

 このまま自分がいなくなれば、主の中で「ステラ」は永遠に美しいままの存在になる。それは、素晴らしいことのように思えたのだ。

 隙間から一歩足を踏み出す。

「これで良いんだ」

「そうかもしれないな、ステラ」

 突然の返答にステラは肩を跳ね上げた。

 振り向いたそこには、なぜかいなくなったはずのアゼルがいる。

「アゼル……。一人?」

「イファなら撒いてきたよ。彼女がいると話し合いが出来そうになかったから」

 普段、イファを女神だ何だと持て囃している男と同じ人間だとは思えないような、冷たい目で彼は言った。

 ステラは見下ろされる視線に少したじろぐ。

「は、話し合い……? 連れ戻しに来たんじゃないのかよ」

「まさか。僕はイファと違って、そんなお人好しじゃない。君が出ていくというなら好きにすればいいよ」

 底の知れない笑顔に寒気を感じた。

「でも、ま……。しばらく生活を共にした仲だからね。少しは手伝ってあげようかと思って」

「手伝う……?」

「そうだよ。隠していたんだけど僕にはね、少し変わった力があったんだ。ずっと何に使うのか分からない力だった。でも、ここに来てようやく分かったんだよ」

 もったい付けたような言い方をするアゼルは、手を掲げる。

「僕は触れた人形を初期化できる」

 アゼルは笑った。

「そうして主の元に戻れば、今度こそ主の望む自分になれるかもしれない」

「望む、自分に……?」

「そう。なに、駄目だったらまたやりなおせばいいのさ」

 馬鹿馬鹿しいことをと思う気持ちが、もし上手くいけばという気持ちにかき消されていく。

 もしこれで、主の望むように生きられるなら――。

 それは酷く魅力的な誘いに聞こえた。

 ステラは何も答えられなかったが、アゼルは訳知り顔でうんと頷く。

「答えは出たみたいだな」

 そう言った彼は、広げた手のひらをこちらに向けた。ゆっくりと近付くその手を、ステラはぼうっと見つめる。

 これで、きっと……。

「――まってください!! 本当にそれでいいんですか!?」

 ステラは閉じかけていた目を開く。

 イファはアゼルの言葉を聞いていたらしい。しかし、彼女の言葉を聞く気にはならなかった。これで、全て上手く行くのだ。だから、邪魔をされたくない。

 だが、イファはかまわず叫ぶ。

「このままじゃ、今のステラが消えてしまう! 今までの思い出も何もかも! それで、本当に後悔しないんですか!?」

 必死の声にハッとした。

 ステラと主の間に会話は一言もない。しかし、毎日顔を合わせ、彼女の話を聞き、通じているものがあった。

 それも全て消えてしまう。

 それは、とても、とても――、恐ろしいことだと思った。

「……――だ」

 主の顔が浮かぶ。

 毎日、毎日、反応を返さない人形に声をかけ続けていた彼女。

 その優しさを知る度に、勇気が出ないことが申し訳なくなった。しかしそれ以上に、本当の自分を知られることへの恐怖も膨れ上がっていく。

 怖くて怖くて、一層声は出なくなった。

 今もだ。震えて声が出ない。

 しかしそれは、これまでの恐怖とは別の「恐怖」だ。先程までは、待っていたとさえ言えたアゼルの手が、今は怖ろしくて仕方がなかった。

「やだ……、やだよ……」

 唇が震えて、上手く声が出ない。

 それでも、強烈に思うのはただ一つだ。

 主に会いたい、今すぐに。

「――たすけて、主!!」

 叫んでぎゅっと目を閉じる。

 いつ来るかと思われた恐ろしい手は、何故かいつまで経ってもやっては来ない。

 代わりに、ふっと頭上から笑い声が降ってくる。おそるおそる目を開けてみると、アゼルはとうに手を引っ込めて笑っていた。

 あの冷たい微笑じゃない。この一月何度も見たやわらかい笑顔だ。

「なんだ、ちゃんと言えるじゃないか」

 そう言って、アゼルはステラの背後に向かって顎をしゃくった。

 振り返る。

「……ステラ」

 そこには、泣き笑いを浮かべるツゥシャンがいた。




 ステラがツゥシャンに駆け寄り、二人が抱き合う。

 それをイファはアゼルの隣で見つめていた。

「急にいなくなったと思ったら……。どうしてステラをいじめてたんですか」

「いじめてた、だなんて人聞き悪い……。ちょっと本音を言いやすくしてあげただけじゃないか」

 結果を見ればアゼルの言うとおりなのだが、どうにも釈然としない。

 そんな内心と反してステラとツゥシャンは、イファの願っていたような良い形で収まるようだった。

 つまり、ステラは心を得た自立式人形として主の元に戻るのだ。

「良かったですね、ステラ」

 落ち着いた頃合いを見計らって声をかけると、ステラはもじもじとしていた。

「その、ごめんさっきは……」

「いいえ、イファも無神経でした。だからおあいこ、ということにしましょう」

「……うん」

 ほっとしたように笑う彼を見て、イファも安堵する。彼らが丸く収まったのに、こちらが喧嘩したままなのはやはり後味が悪い。

 しかし、ステラは思い出したようにイファの背後に胡乱な目を向けた。

 じとっと見られていることに気付いたアゼルは、目を瞬かせた後、にへらと笑った。

「あ、もしかしてさっきのこと? あれなら安心してよ、ウソだから」

「……だとは、思ったけどさ」

「っ、もう!! ついていいウソと、そうじゃないウソがあります!!」

 遠い目をするステラに代わり、イファは毛を逆立たせて叫んだのだった。




 ステラ達は、一度店まで戻ってメイシィに挨拶した後、仲良く帰って行った。

「いっちゃいましたね」

 この一ヶ月、ずっと一緒にいたステラがいなくなる。彼が主の元に帰れたことは嬉しいが、やはり寂しかった。

「なに、もう会えなくなる訳じゃないだろう?」

「それは…わかってますけど」

 メイシィの言葉に頷きはするものの、やっぱり寂しいものは寂しいのだ。

「まだ僕がいるじゃないか、イファ」

「……そうでしたね」

 嬉々として会話に入ってくるアゼルにイファはげんなりと目を向ける。

 しかし、今回の一件は、彼の機転がなければこう上手くは収まっていなかったかもしれない。

「ん? 早く仲間と連絡取れ、って言わないの?」

「イファが言っても仕方がないじゃないですか。だからもう……、ほんとーに仕方がないので、認めてあげます、――アゼル」

 改めてそう言うのは気恥ずかしいものがあった。しかし、それを悟られたくなくて、ぷいっとそっぽを向く。きっとまた、アゼルはいつものように大興奮することだろうと思って身構えていたのだが、何故だか彼からの返答はない。

 よもや聞いていなかったのでは、とそちらを見ると、ぽかんと口を開けてアゼルはイファを見ていた。

 彼は数秒固まった後、ギギギと音がしそうなほどゆっくりと、メイシィの方を向く。

「聞きましたか、メイシィさん……。イファが……、イファが……、デレました!!」

「ちょっ、え、デレ……っ!?」

 イファは自身の頬が赤くなっていくのを、鏡を見ずとも分かった。助けを求めて主の方を見れば、彼女までニヤニヤしている。

「みたいだねぇ」

「主さままで!!」

 イファは顔を真っ赤にしながらぷりぷりと怒った。


 これが今の「メイシィ人形店」の日常である。


***


 ステラはその頃、ツゥシャンの腕に抱かれて帰途を辿っていた。

 その道すがら、前方からフードを目深に被る女がゆらりと現れる。どことなく怪しげな雰囲気を感じ、足早に通り過ぎようとしたところで、二人は声をかけられた。

「もし、『メイシィ人形店』はこの先ですか」

「え、ええ……。この道を真っ直ぐ行って、それから――」

 説明をするツゥシャンの腕の中から、ステラは女を観察する。遠くから店を訪ねてきたのかもしれない。彼女の被る外套は、擦り切れて汚れていた。ツゥシャンが道順を教えると、女は一礼して去っていった。

「なあ、主……」

 ステラは、去っていく女の後ろ姿を見ながら、ツゥシャンに声をかけた。頷く彼女もやはり同じ事を思ったらしい。

「今の方、イファさんにそっくりだったわ……」

 フードの下に隠された顔は、全くと言っていいほどイファと同じ作りだった。

「でも色は水色だった」

 イファは髪色も毛色も瞳も桃色をしている。今の女はそれをそっくり水色に変えたような姿だった。

「あの方も店主さまのお人形かしら?」

「さあ……」

 しかしあの女がイファと似ているのは顔形だけだ。

 ステラはふるっと身体を震わせる。

「ステラ、寒い?」

「そうじゃ、なくて……」

 女の瞳が身体の芯まで凍りそうなほどに冷たかったのだ。


(第一話 完)

 以上、『人形店奇譚 〜心を宿す人形のちょっと不思議な日常〜』の「序」及び「第一話」でした!


 何年か前のきゃらぶんの賞に出したやつ。

 一応、連作短編形式で一冊想定(の1話目)。


 久々に読んだけど、おもろいと思いますねん。

 一次すら通らんのはマジで謎――、って思ってたんですけど、受賞作のタイトルみたら、(正直全部、現代物に毛が生えたような「ザ・キャラ文芸」みたいなやつばっかりで)まあ、納得でした。

 ……けどさぁ? そういうの求めてるなら、最初からそう言ってや……、「ジャンル不問」とは……? とは思いましたよね……。


 まあ、それはさておき。

 一応これは、「続き書きたいな〜」候補にはいるので、いつか書くかもしれません。

 が、書かないかもしれないので、以下にプロット(2〜4(最終)話)も載せときますね。

2話


 イファとアゼルはメイシィから、高齢の主を持つ人形の様子を見てくるよう指示された。しかし人形アイツィは、買物に出かけ不在だった。

 出直すことにしたイファ達だが、夕方になっても彼女はまだ帰宅していない。行方不明だと慌てる主に代わり、捜索するも見つからず、身代金を要求する手紙が届いたことで、最近多発していた自立式人形の誘拐事件に巻き込まれたと発覚する。

 人形たちを救出したいイファは、ヒントを求めてアイツィの買い物ルートで情報収集をする。しかし、イファも攫われてしまった。

 誘拐され閉じ込められた牢には、被害者である沢山の人形たちがいた。彼らと脱出計画を立てようと奮闘。だがイファは、一人だけその中から連れ出される。

 その先では、事件の首謀者らしきイファそっくりの女がいた。彼女は何年も前に生き別れた、「イファの双子の姉」というコンセプトの人形シュイエだった。

 やっと再会できたと喜ぶイファだが、彼女がイファとメイシィを憎んでいると知る。詳しく聞こうとするも、外で騒ぎが起こりシュイエは逃亡した。

 混乱に乗じてイファも他の人形たちと共に逃げようとするが、再び捕まりそうになる。しかし、そこへアゼルが現れた。

 騒ぎの原因は、アゼルと街の治安維持部隊が人形の救出に来たからだと判明。事件は解決したものの、イファはアゼルに仕掛けられた発信機の存在を知り憤慨した。




3話


 やっと見つけた姉シュイエを探すイファだが、闇雲に探して見つかるはずもなく、途方に暮れる。友人の人形ステラに相談すると、相手の拠点を探してみてはと助言され、別の自立式人形が切り盛りする宿屋へと話を聞きに行った。

 その宿で、シュイエが男達と揉めているのに遭遇したイファは、彼女を連れて逃走する。しかし追手を撒いた後、すぐにシュイエも姿を消した。

 イファは宿屋へ戻り、騒ぎについて謝罪。店番をしていた人形の青年ジィナンから、そのお詫び代わりに、別居する主の元を訪ねるように頼まれる。

 その主を訪ねたイファだったが、彼は持病で倒れてしまう。幸い一命をとりとめたところに、ジィナンが駆けつける。イファは、ずっと共におらずとも強い絆で結ばれていることもあると、二人から学ぶ。

 その夜イファは、メイシィがシュイエによって襲撃されているのを発見。シュイエが自分は捨てられたと思っていたことが発覚する。メイシィはその誤解を解き、彼女はメイシィの元へ戻ってくることになった。




4話


 シュイエの誤解が解けた次の朝。今度はアゼルが姿を消していた。しかし、置き手紙が残され、彼は仲間と共に元の世界へ帰ることがわかった。

 アゼルが挨拶もなしに行ってしまったことに不満を持ったイファは、彼ともう一度会うことを決意する。

 世界を繋ぐ扉は、街を治める盟主のところにある。イファは伝手を辿って、盟主の娘リャンフェイと接触した。

 人形の訪問販売という体で彼女に会い、アゼルたちの帰還がもうすぐだと知る。イファはリャンフェイの手引きを受け、アゼルの元へ向かった。イファは彼に、帰ってほしくないと本音を吐露。アゼルはそれを受け、帰還を取りやめた。

 アゼルが店に戻ると、彼のイファへの溺愛ぶりに拍車がかかっていた。イファは彼がいることを嬉しいと思いつつも、少し自分の発言を後悔した。

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