4年目の恋と嫉妬の行く末

 梅雨が明け、外ではきつい太陽光が燦々と降り注ぐ季節。今、日本はオールスター戦の熱狂に包まれ、日本中の人々がテレビ画面にかじり付いている。

 今日もゲームがようやく終わり、気が付けば時計の短針は「十」を指している。空はもう青から黒へと変化してしまった。

 日中の太陽で鉄板の様に熱せられたアスファルトからの熱気が身体を包み、ドーム内の空調に慣れ切ってしまった身体は悲鳴を上げ、額にはもう玉のような汗が浮かんでいた。

「あーあ、せっかくシャワー浴びてきたのに…。」

 阿部は額の汗を拭いつつ、誰ともなく呟いた。

 セ・リーグ、パ・リーグに分かれて戦うオールスター戦。四年もの長きにわたって思いを寄せる、新井貴浩を今日も間近に見れて、彼は上機嫌で帰途を辿る。

「新井さん!」

 彼の少し前を歩く人物。見間違えるはずがない。阿部は小走りで新井に駆け寄った。

「阿部?」

 呼ばれて、驚いたように後ろを振り向いた新井は、駆け寄って来る阿部に気が付き声をかけた。

 満面の笑みで阿部は新井を見つめる。

「今日はお疲れ様でした。今、帰りですか?」

「そうじゃ。お前も今か。」

 二人は駅の方角へ並んで歩きだす。

 阿部は、こうやって二人で喋りながら歩けることが嬉しくて、何を喋っているか分からないまま喋り続ける。

 普段は、頼もしい先輩でありたいと気を張っている分、今の様に、些細な悩みも聞いてくれる新井の存在は、阿部の中でとても大きい。恋愛感情抜きに考えても、とても大切な人だ。

 どの位経っただろう。阿部の視界に駅がちらついた。いつの間にか、別れは目前となっていた。

「新井さん。用事が無いなら、…これから一緒に、食事にでも行きませんか?」

 一分一秒でも長く傍にいたい。その思いが、無意識のうちにその言葉を出させた。

 一秒が酷く長く感じた。これから、金本さんと食事に行く予定があったのかもしれない。そんな不安が、阿部の心をよぎる。

 新井は、この後の予定を思い出すように、一瞬考え込んでから、阿部に笑顔を向ける。

良い(えぇ)のぅ。何処か良い店、知っちょるか?」




 二人がやって来たのは、小洒落たフランス料理のバルだった。二人は、カウンターの端で、ワインとチーズで乾杯した。

 クラシックが穏やかに流れる店内は、照明が暗めでとても雰囲気が良い。

 阿部は、周りに座る、幾組かのカップルや夫婦を横目に、自分達もいつか…、と心ならず思った。だが、鈍感な新井が分かってくれるわけも無いと、少し悲しく思った。自分の恋の為にいろいろしてきたが、それはどれも功を奏さず、結局、金本への嫉妬心へと返るのが落ちだった。

 夕食のメインは、牛肉のワイン煮込み。それから、白身魚のムニエルだった。

 まだ、恋人同士でなくても、今、この瞬間の新井は自分のもの。それが阿部には堪らなく嬉しかった。

「そういえば、今日の試合…。解説、金本さんでしたね。―――ホテル同じなんですか?」

 しまった。と思った時にはもう遅い。聞きたくない話題を振ってしまった阿部は、少しうなだれた。

 どうせ、同じホテルだろうと、高を括っていた阿部は、新井の意外な答えに目を見開いた。

「さぁ…?聞いちょらん。最近、会っとらんけんのぅ。引退しんさってから、あんまりスケジュール合わんけぇ。」

 少し寂しそうに話す新井を見て、阿部は金本を羨ましく思った。離れていても、新井の心を離さない金本が。

「そろそろ出ましょうか。」

 そんな表情もう見たくない。そして、そんな会話はもう、したくなかった。

 阿部は、最後のワインを飲み干すと、立ち上がってそう言った。もうそろそろ十一時になろうとしていた。




 家に帰った阿部は、一人自分の部屋でテレビをボンヤリと眺めていた。新井の顔が忘れられなかった。

 家に帰ってから悶々と新井の事を考え続け、三十分が経とうとしている。

 帰り際のあの会話が、阿部の頭の中で、何度も何度も再生された。

 新井のあの寂しい雰囲気を、自分が拭い去りたいと思った。

 阿部は、サッと立ち上がるとテレビを消して、鞄を引っ手繰るようにして肩にかけた。ホテルの場所も、部屋番号も知ってる。何も問題は無い。

 ただ、会いたい。それだけだった。




 一方ホテルへと帰り着いた新井は、阿部と話したことなどキレイに忘れて、自分の部屋へと足を踏み入れた。

「遅かったのぉ、新井。どこ行ってたん?」

 暗い部屋から突然声を掛けられたが、驚く間もなく唇を塞がれた。

「―――ぁ…金本さん。」

 囁くような声で、新井は相手の名を呼ぶ。一番会いたかった人が傍に居る。新井に笑みが浮かぶ。

 金本が近くにあるスイッチを押し、部屋が明るくなり、二人は、もう一度キスをした。

「それで、どこ行ってたんや?」

「阿部と、夕食―――」

 最後まで言い終わる前に、金本は、新井の口をもう一度塞ぐ。

「わしをほっといてか?」

 キスの合間に、金本が囁く。反論しようと思った新井は、金本の口調に微かな所有欲を感じ、その言葉を飲み込んだ。愛されてると強く感じれたことが、とても嬉しかった。

「ごめんなさい。」

 そして、素直に謝ってから、自ら金本の唇に自分のそれを重ねた。

 虚を突かれた金本は、酒に付き合えと言ってテーブルに着いた。素直な新井が可愛すぎたせいだろう。

「どうりで、ワインの味する思った。」

 そう言いながら金本は、焼酎を二人分注ぎ、持ってきたらしいスルメをつまみ始めた。

 暫くすると、酒に強い新井も酒に酔ってきはじめた。頬が少し赤みを帯びる。

「で、あの小僧(ガキ)にどこ触られてん。」

 金本が突然切り出した。唐突すぎて何のことか分からない新井は、暫くの間キョトンとして、金本の顔を見つめていた。しかし、それが阿部の事だと分かると、慌てふためき始めた。

「あ、阿部とは、何も有らん!何で、そんな話―――」

 金本は、少し目を細めて、新井に近付く。上気した頬は、誘っているかのような感じさせる。耳を甘く噛むと、新井の身体はビクリと震えた。

「あれの気持ち。(きぃ)付いてないこと、ないじゃろ。」

「でも…。」

 金本は、新井の頬にキスし、首元に唇を這わせた。鎖骨を舌で刺激すると、新井は溜まらず声を漏らした。

「あぁっ、か、金本さん……。」

 新井の着ているポロシャツを上に押し上げ、ピンクの突起に触れる。金本は、その片方を口に含み、舌でそれを弄る。もう片方は指で抓んで、そして転がした。

 新井はなすすべも無く、ただ金本の首にしがみ付く。

「あっ…ふぁ……、金…本さん。もっと…あっ――――」

 金本は、新井のズボンのベルトを外して、その隙間から手を差し込む。そして、新井自身に手を這わせ、ゆっくりと擦りはじめる。

「あっ…あぁっ、んっ――――」

「わしに会えんで、我慢しとったみたいのぅ…。」

 金本が笑みを浮かべながら言う。先端からは、蜜が零れその音は辺りに聞こえる程だ。

 金本は、それから不意に手を放し、腰のラインを撫でながら、後ろへと手を伸ばす。そして、その中に指を一本滑り込ませる。新井は、金本の指を待ち望んでいたかのように、その指を飲み込み、中は潤み、指を伝って蜜が滴り落ちる。

「あっ―――!あっ、あぁぁっっ!」

 前後される指の動きに合わせる様に、新井の身体もビクビクと震えた。

 快楽に潤んだ瞳が金本を見上げ、懇願する様に光る。その瞳は確かに、金本自身を求めている事を伝えていた。

 その眼差しに、金本はニヤリと微笑み、指を引き抜く。そして、新井のズボンを下げようとした。

 その時。

「新井さーん!俺です、阿部です!入りますよ!」

 部屋の扉の外から聞こえてきた突然の声に、二人はピタリと動きを止めた。

 金本は、鍵を掛け忘れた事を思い出し、舌打ちをして立ち上がった。

「新井、お前は身なり正しとくんじゃ。」

 そう言って、金本は邪魔者を追い返すつもりで、そこへ向かった。

「何じゃ、阿部。今、取込中ゆうのは分かるじゃろ…、あ、おい!」

 阿部は一瞬気圧されたが、金本の傍をすり抜け、新井のいる部屋へと突進した。

「新井さん!すみません、来ちゃいました。」

 ここまで来れば、気の良い新井は追い返さないだろう、と思っての事だ。

 一方の新井は、未遂で体が疼いてるなどと知られたくないので、それを隠してくれる焼酎の存在に、心底感謝しているところだった。

「で、金本さん。こんな時間にここで何してるんですか。明日も試合なんですから、身体休めなきゃいけないのは、よく御存じでしょう。」

 阿部は、新井の傍に腰を下ろすやいなや、金本に攻撃を開始する。二人が何をしていたかなど、新井の首筋に残るアトを見れば、火を見るより明らかで、阿部は、金本へ嫉妬の炎を燃やす。

「何って…。目の前の酒見れば分かるじゃろ。」

 飄々と言ってのける金本に腹が立つ。阿部は、キッと金本を睨むと、扉を指差して言った。

「新井さんと晩酌なら、俺がします!だから、もう帰ったらどうですか!」

 金本は、それを聞いて溜息を吐き、首を振りながら出口に向かった。そして、チラッと後ろを振り向いた。

「まったく…。それなら、何でお前はこんな時間に来るんかのぉ。」

 金本は捨て台詞だけはいて、去って行った。

 阿部は、二人きりになれることを期待して来ていたので、思わず安堵の溜息が漏れた。

「あの、新井さ―――」

 阿部が新井に向き直り、どうして来たか説明しようと思った時だった。

「兄ちゃーん!居るんじゃろー?入るからなー。」

 新井の弟の良太の声が聞こえた。そして、返事を待たず、ズカズカと入り込んだ。

「あれ?阿部さんじゃ。どうしたん?」

 良太は、阿部にそう聞いたものの、返事を期待しているものではなく、興味をさっさっと兄に移した。

「そんなことより、兄ちゃん。このホテルの中庭見た?すっごく広いんじゃ!じゃから、キャッチボールでもしよ!」

 そう言って、良太は兄に詰め寄った。

 それに苛立った阿部は、良太を引っぺがすと、声を荒げて言った。

「お前は、こんな時間に何考えてんだ!もう深夜だろ!わかったら、早く出てけ!!そもそも、俺はお前の「兄ちゃん」って言う呼び方が前から気にいらな――――」

 そうまくしたてるが、阿部が言い終わる前に、扉がノックされた音が聞こえた。そして、苛立ったような声も聞こえてくる。

「阿部さん!居るんでしょ?金本さんから通報があって来ました。帰りますよ!」

 外から聞こえる声の主は、坂本勇人だ。

 おそらく金本は、お返しとばかりに良い所で邪魔させる予定だったようだ。だが、阿部はその声を聞くと、良太の首根っこを掴み、坂本の居る所へと良太を引き摺って行った。

「ハヤト!ちょうどいい所に。良太(これ)連れて帰れ。良い子は寝る時間!」

 そう言いながら、良太を廊下に放り出して、扉を閉めて鍵を掛けた。

「あっ、ちょっと!阿部さん!!」

 叫ぶ坂本の声は、虚しく廊下に響くだけだった。




「やっと、二人きりですね。」

 新井の居る部屋へ戻った阿部は、そう言いながら新井の隣に座ろうとした。しかし、新井はそんな阿部の肩に手を掛け、自分の方へと引き寄せた。

「あ、新井さん?!」

 驚く阿部を無視し、新井は強引に阿部の唇を奪う。

「さっきの酒に、何か入っとったみたいじゃ…。体の熱が取れん。――――金本さん帰らせた責任、とってもらうけぇ…。」

 そう言って、新井は立ち上がり、阿部をベッドの方へと引っ張っていく。そして、ベッドに押し倒すと、阿部のシャツのボタンを外し、キスをする。

「あっ…新井…さん、俺っ―――」

 慕い続けてきた新井に愛撫され、身体が自然と反応する。阿部は、夢見心地で新井の首に腕を回した。

 新井の愛撫は激しく、ともすれば、すぐにでもイってしまいそうになる。

「黙っとれ。―――第一、わしの事「兄ちゃん」って呼ぶ良太はダメじゃゆうのに、お前は坂本君の事「ハヤト」って呼ぶところから、気に入らんのじゃ。」

 キスを繰り返しながら、囁く様に言うその声に、一抹の嫉妬が感じられて、阿部は照れつつも嬉しくなった。

 だから、受ける一方だった阿部は、新井のほんの少しの隙に体制を反転し、新井を自分の腕で抑え込み、新井の口を自分のそれで塞いだ。そして舌を侵入させ、新井を余す所無く味わった。

「責任なら、今から取ってあげますよ。」

 そう耳元で囁いて、頬にキスし、その口付けはどんどん下へと下がっていく。

「んっ―――あぁっ…」

 新井は、堪らず声を上げた。阿部は今にも弾けそうな、新井自身をあえて避け、その周りの最も敏感なところに触れる。

「あっ―――!あっ、ぅん、ああぁ…」

 阿部は、震える新井の脚を押さえつけ、それを執拗に繰り返した。

 すると阿部はふいに顔を離し、新井の手を掴む。そして、指やその付け根を舌で攫う。

 敏感になった体は、たとえ指でも、そこから快感が体中に広がる。それでも新井は、もどかしげに体をくねらせる。

「…限界?」

 阿部が、新井の耳元に顔を近づけ囁くと、新井は認めるのが悔しいのか、顔を歪める。その、涙を浮かべ、赤らんだ顔は、阿部の欲求をさらに煽った。

「なら、ちゃんと言って下さいよ。」

 新井のプライドが、それを言う事を許さない。しかし、阿部はそれを承知しながら、ギリギリのところを攻め立てる。

 暫くは必死に抗っていた新井も、遂には屈し、か細い声で言った。

「あっ…阿、部ので……っぁ、イかせ…て――――」

 阿部はニヤッと笑うと、新井の腰を持ち上げ、躊躇なく貫いた。

「――――ああああっっ!!」

 女のように濡れたそこは、阿部を待ち侘びた様に受け入れ、ヒクつく中は、さらに深く繋がることを望むように、阿部を締め付ける。

 新井は嬌声を上げ、動きはさらに激しくなる。体を前後させながら、阿部は新井の唇を奪い、新井の声すらも呑み込むように、口付けを深くした。

「―――っ、ぅあ………んん」

 それでも抑えられない喘ぎが、合わさった唇の隙間から零れ落ちる。阿部は、一旦唇を離し、新井の体中に唇を這わせていく。

「新井さんっ…俺―――もう……」

 その言葉が皮切りの様に、もう一度、新井の中に阿部が深く突き入ると、その中ではじけとんだ。そしてその動きに、新井は身体を震わせ、ほぼ同時に果てた。

 阿部は糸が切れた様に、新井の隣に倒れ込み、ボンヤリと新井の横顔を見つめていた。

 何を言えば良いのか分からなかったが、沈黙にも耐えられなかった阿部は、何も考えないまま、新井を呼んだ。

「新井さ――――」

 ほぼ同時に起き上がった新井に、キスで口を封じられ、言葉は最後まで続かなかった。

 啄む様なキスは、次第に熱と激しさを帯び、舌を絡めあう深いものへと変化していた。そして、名残惜しむように唇が離れ、二人は見つめ合った。

「何じゃ、慎之助。」

 ふいに口を開いた新井は、確かにこういった。「阿部」ではなく「慎之助」と。

 阿部は、そんな新井に笑顔を向け、こう言った。

「俺…、幸せです。貴浩さん。」