初稿置き場

2026年3月

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 19


 研究所を出て、寮までの帰り道を辿る。
 ファルは、隣でじっと黙ったままのレンの横顔に目だけで視線を向けた。
 鞄の肩紐をきつく掴み、俯き加減で歩を進める彼が何を考えているのか、全く分からない。
 普段あっけらかんとして素直な人柄だからこそ、その何も読み取れない表情が、酷く心を落ち着かなくさせる。
 ファルはレンから視線を外し、彼とエルジュの会話を反芻する。
 所長からの伝言を聞いた時の強張った表情を見れば、レンが「研究者になること」へ迷いを感じているのは明らかだった。
 ファルはきゅっと唇を噛んだ後、意を決して口を開いた。
「なあ、レン」
「……ん、あっ? なに?」
 思考の海から急浮上したような表情に、ファルは気付かない振りをして、なんでもないように聞こえるよう軽い調子で続けた。
「夏季休暇、まだ暫く続くだろ? 今年はアカデミーも最終学年だし、近々帰省してこようと思うんだ」
「あー、たしかファルのご両親って、今王都を離れて郊外に住んでるんだっけ」
「ああ、そうだよ。……それでさ、レン」
「ん?」
 不思議そうに首を傾げるレンの方へ向いて言った。
「もしよければ、なんだけど。一緒に……来ない?」
「え?」

2026/03/14 12:58:47

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 18


 記念墓地の慰霊訪問が終了し、一行は一度研究所へと戻った。
 だが、後は今後の――提出物などの諸注意を聞いた後は、体験入所が終了。解散となる流れだ。
 レンは帰る準備をしながらも、小さく溜息をついた。
 みな既にちらほらと帰途へつき、現在部屋にはレンとファル、それからエルジュしかいなかった。
「レン、そろそろ施錠しますので」
「あ、すみません!」
 エルジュの言葉に慌てて鞄を背負い、ファルと共に扉を潜る。
 最後に退室したエルジュが鍵をかける音を聞きながら、彼に一言感謝を伝えようと足を止める。
「――レン」
 だが振り向いたエルジュが口を開く方が早く、レンはぽけと口を開いたまま目を瞬かせた。
「所長からの伝言です。『この数日で君の熱意はよく伝わった。もし君がここを受けるのならば、我々は歓迎する準備を整えている』とのことです」
 それは事実上、内定が約束されたも同然の言葉だった。
 きっと少し前までのレンならば、飛び上がって喜んだはずだ。
 だが、何故か心はもやもやとして晴れないまま、小さく頷いた。
「……はい」
 よろしくお願いします、と言えばいいはずなのに。それで、長い間抱いてきた夢が叶うのに。
 だが、どうしてもそれ以上の言葉が出て来ない。
 そんなレンにエルジュは、少し目を細めた。
「それと……、ここからは私個人から、ですが――」
 レンは俯いていた顔を上げる。目が合って、エルジュが続ける。
「研究者を続けていれば、今回のようなことは発生します。もし抱えきれない……というならば無理をする必要はない、と考えます」
「…………はい」
「ですが、レン。私は貴方が良き研究者になれるとも感じていますよ」
 エルジュが淡く微笑んだのに、レンは瞠目する。
 レンが何も答えられずにいると、エルジュが続ける。
「さあ、後は自分で答えを出すことです。――また会いましょう、レン」
 レンは困惑を覚えたまま、去っていくエルジュの背中を見送るしかできなかった。

2026/03/14 11:56:14

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 17


 記念墓地まで辿り着いた一行は、ここの管理人から話を聞き、その後記念碑が並ぶエリアへと足を踏み入れていた。
 ファルはゆっくりと石碑の間を歩きながら、小さく息をついた。
 いつもは祖父母の名前が刻まれた場所まで一直線に向かうため、違う道を通るのは少し景色が新鮮に映る。
 また、いつ訪れてもあまり人気のないこの場所に、何人もの人影が見えるのも不思議な気分だった。
 ファルはレン以外の体験入所者が物珍しげに石碑の間を散策するのを、少しばかり羨ましいような悲しいような気持ちで見つめる。
 アカデミーの通常課程中に授業の一環で一度は訪れているはずだが、「普通」の国民にとっては、あまり来ることのない場所だ。
 そういう生い立ちを持てたことが、ほんの少しだけ羨ましかった。
 その時、そっと傍に気配を感じて振り返る。
「……エルジュさん」
「ファル、体調はどうです。きちんと眠れていますか?」
 思わぬ質問に首を傾げながらも頷く。
「え? ええ、はい」
「なら良かったです。繭の解剖にはショックを受ける人もいます。貴方も顔色が良いとは言い難かったので」
 たしかに今回のようなことがなければ、そうそう解剖――それも羽化に失敗した被験者の肉体を見ることはない。人によってはトラウマになることもあるのだろう。
 特に一見には()()()()()()ショックを受け、途中離脱したように見えただろうから、心配ももっともだった。
「大丈夫です。そういう意味では、もう気にしていません」
「そうですか」
「あ、でも……」
 所員でもない人間が聞いてもいいことなのかと言い淀むファルに、エルジュは続きを促すように小首を傾げた。
「あの時亡くなった繭は……、その後どうなったんですか?」
 あの様子を見て、まさか「そのまま打ち捨てられている」とは思わないが、それ以外にどうなるのか見当もつかず、おそるおそる訊ねる。
 だがエルジュは、そんな事かとでも言うように軽く目を瞠って、記念墓地の奥へ視線を向けた。
「通常はご家族の元へお返ししますが……。身寄りのない場合は、事前にご本人と話し合いをします。今回の場合ですと、一定期間引き取り手が現れないことを確認した後、あそこの合祀墓へと埋葬される手筈です」
 ファルもエルジュの視線を追って、花で溢れたその墓を見る。
 元々、この国までの亡命中に命を落とすなどして、遺体もしくは骨となって辿り着いた蝶の民を埋葬する場所だったと聞いている。
 今はそういった人々も一緒にいるのだと聞いて、寂しくなくていいのかもしれないな、と思う。
「……ちゃんと、人として扱ってくれるんですね」
「当たり前でしょう。そもそも、こちらの手が及ばず死なせてしまった方でもあるんです。せめて最期くらいは最大限丁重に扱わなければ……」
「そうですよね」
 当然、という顔で言うエルジュに、どこかほっと力が抜けた。
 レンも彼らと肩を並べていくのだと思えば、それがとても嬉しい。
 ファルはふと視線を巡らせて、レンの姿を探す。
「あ……」
 彼はいつも訪れるファルの祖父母の名前を前に、じっと立ち竦んでいた。
「……エルジュさん」
 エルジュが目を瞬かせる。
「レンは……、研究者になりますよね……?」
 エルジュがレンの姿を捉え、目を眇めた。
「……それは彼次第でしょう」
 彼の返答は曖昧だった。
 それは、入所への面接や試験について言っているのか、それともレンの心の内についてを言っているのか――。
 もしもレンの目標が変わってしまったのなら、ファルはきっとそれでも彼の選択を尊重するだろう。
 けれど――、もし、自身の過去やそれを吐露したことが、夢を叶えることを躊躇わせているのだとすれば……。
 それは耐え難いほどやり切れない。
 ファルはきゅっと拳を握って、レンの沈んだ横顔を見つめるのだった。

2026/03/13 13:37:49

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 16


 いつもはレンと二人で歩く記念墓地までの道を、今日は大所帯で辿る。
 ファルは吹き抜ける冷たさの混じる風に目を細めた。
 先導する研究所の所長だという男の後をついて歩きながらも、彼の声は耳を素通りしてゆく。
 蝶の民研究所の体験入所――最終日。
 研究所の所員たちと共に、ファル、レン、そして残りの体験入所者三人は、王都の外れにある記念墓地に訪れていた。
 研究者という道を選ぶのなら、決して避けては通れない、非道な研究の犠牲となった人々についての話。それらを訥々と語る所長の言葉を聞き流しながら、空を見上げる。
 実際その「非道な研究」が行われていた現場にいた過去を持つファルとしては、彼の言葉はやはりどこか現実感に欠けている。
 実際に経験したことではないから当然といえば当然だろう。
 それに今のファルには、それ以上に気にかかることがあった。
 隣へチラと視線を向ける。
 普段ならば真剣な顔で、それらの言葉を聞いているであろうレンのことだ。
 だが彼もどこか上の空な様子で、だが同時に深く思い悩むような表情もしている。
「……、」
 ファルはそんな彼に声をかけようか迷って、やはり口を閉じた。
 こうして口を噤むのも、レンが思い詰めた表情をしているのも今にはじまったことではない。
 死亡した繭の解剖を見た日――いや、ファルが過去を語ったあの時から、もうずっとその表情が晴れないのだ。
 やっぱり僕のせいだろうか――。
 ファルはそんな罪悪感にチクチクと蝕まれている。
 今彼が何を考えているのかは、何度も聞こうとして聞けず、正確なところは分からない。
 だが、その表情が曇るきっかけとなったのは、間違いなくファルが過去を吐露してしまったせいだろう。
 はじめは、「ファルを体験入所に誘ってしまった」とでも後悔しているのかと思っていた。だが、彼の誘いを受けたのも、解剖に立ち会うと決断したのもファル自身だ。レンを責めるつもりもないし、彼がもし謝罪でもしてこようものなら、そう伝えるつもりだった。
 だが、沈んだ様子を見せるようになって一日が経ち、二日が経ち――、もしかするとレンが思い悩むのは違う点なのかもしれないと思うようになった。
 それが「何」なのかまでは分からなかったが。
 自分はレンの存在に、とても救われている。
 繭の臭いを契機に蘇った記憶は、決して愉快なものではない。それでも、そのことについて一種の区切りが付けられているのは、あの日、あの時に、彼が傍でじっと話を聞いてくれたからだ。
 そんなレンが悩みを抱えているのならば、自分も支えたいと思うのは当然だった。
 だが不用意に訊ねてしまえば、「悩んでいる」ということすら隠されてしまうのではないかと怖くて聞けずにいる。
「――レン、行こう。置いていかれそうだ」
 自然と遅くなっていた歩調のせいで、前方を進む一行と、少しばかり距離ができていた。
 ファルが声をかけると、レンがハッとしたように顔を上げる。
「あ、そうだな。ごめん」
 早足で歩きはじめた彼の背中を、ファルは見つめるしかできないでいた。

2026/03/11 12:04:57

#夢見る少年と未羽化の蝶
#夢見る少年と未羽化の蝶_二章 15


 深夜。
 碌に眠れぬまま目を覚ましたレンは、すやすやと寝息を立てるファルを横目に、部屋をそっと抜け出した。
 あまりにも眠れないため、水でも飲もう――と思ったはずだったが、足は食堂の方ではなく外へと向かう。
 通常課程の頃とは違い、門限も出入りの制限もあってないような上級課程の寮は、まだ人の気配がする。
 建物の外まで出て上を見上げれば、一つ二つ、まだ明かりのついている部屋が見えた。
 今のレンのように眠れない人がいるのか、それとも逆に寝落ちしてしまったまま、消灯していないだけだろうか。
 そんなことを考えながら、寮の周囲をゆっくりと歩く。
 今日は本当に色々なことがあった。
 死にかけた繭を救い、解剖を見て――、
「っ……」
 耳にファルの叫びが木霊する。
 レンは無意識に足を止め、俯いて唇を噛んだ。
 あの後、一通り吐き出せたからか随分すっきりした様子のファルと共に、所員への挨拶だけをしてすぐ帰宅した。
 彼らは自分たちが解剖にショックを受けたのだろうと考えてか、あまり気にしないようにと声をかけてくれた。
 たしかに、覚悟が足りていなかったとレンは感じている。
 だがそれは、所員たちが懸念した点についてではない。
 ……エルジュだけは何か思うところがあったのか、そういった声かけをすることはなかったが。
 レンは小さく溜息をつき、暗い空をぼんやりと見上げる。
 番号で呼ばれる実験体。非人道的な行為が常態的に行われる環境で生きていたファル。その心に刻まれた傷は、レンが想像しているよりも、ずっとずっと深い。
 そして、同じような傷を抱える人々は、ファル以外にもこの国に沢山生きて、生活をしている。
 ファルと共に定期的に訪れるようになった、他国で犠牲となった蝶の民を弔う記念墓地の光景を思い出す。
 あそこに刻まれる名前は、今もなお増えているのだ。
 蝶の民の研究者になるということは、彼らと、今生きる人々の思いを受け止め、共に未来へ繋いでいくということ。
 その、覚悟がなかった――。
 レンには彼らの気持ちを真に理解できる日は来ない。ましてや、自分は「蝶の民」ですらない。
 俺が軽々しく踏み込んでいい世界なのだろうか……。
 憧れだけではままならない。
 その現実がレンを深く思い悩ませていた。

2026/03/04 12:07:51

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