初稿置き場
2025年8月(4ページ目)
2025/08/22 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 10
セレンの心配をよそに、一行は何の問題も起こらないまま、アキュイラの地を踏んだ。
国境地帯ではあるものの、もう何十年と戦の起こっていない街は美しく整備され、馬車から見るその光景は両国の平和を象徴しているように思えた。
これから、自分はこの場所で生きて、そして死んでいくのだろうか。
ほんの少し、胸の中に寂寥が浮かぶ。だがそれと同じくらい、この美しい街を守っていくという役目は、そう悪いものではないのかもしれないとも思う。
「――少し、街を歩いてみたいんだが」
ぽつりと零れた言葉にミイスがにっこりと微笑み、程なくして馬車は街の広場に停車したのだった。
ロウェルの手を借りて地面へと降りたセレンは、王都とはまた違うアキュイラの街並みに、きょろきょろと視線を巡らせる。
そんなセレンにくすとロウェルが笑みを漏らす。
「楽しそうだな」
「なっ……そ、そんなんじゃないっ。私は周囲を警戒して――」
「はいはい、そういうことにしといてやるよ」
苦笑しながら髪をかき混ぜる手に、セレンはますます目を吊り上げる。
「だから、髪を乱すのはやめろと――」
セレンが拳を握ると、彼は手を離して肩を竦めた。
「まあ、なんにせよ無事に着いてよかったじゃないか」
「……ああ」
「んじゃ、俺もお役御免だな」
そう言って、ニッと笑うロウェルに、セレンは虚を突かれる。
「は――?」
「おいおい。元々アキュイラまでの護衛、っていう契約だったろ? 忘れちまったか?」
「そういうわけじゃ……」
たしかに、目的の場所まで到着はした。だが、てっきり城まで――、これからセレンが住むことになる場所までは着いて来るのかと思っていたのだ。
まだ別れまで暫しの猶予があると思っていた――。
だが、ロウェルは「お役御免」という言葉を取り消す気配もなく、セレンは呆然としたまま、どうにか謝礼金の手配だけは指示をする。
ロウェルは受け取った袋を開けて、ザッと中身を確認するとすぐに懐にしまった。
「はいよ、たしかに」
セレンは何と言ってよいか分からずに、ただロウェルの姿を無言で見つめる。
「それじゃあな」
「…………ああ」
ここで彼を引き留める理由など存在しない。
セレンは俯きながら、こくりと頷いた。
だが、彼はすぐには去ろうとせず、小さく嘆息する。そして、セレンの俯いた視界に彼の手が伸びてくる。
「な、に……」
頬をすべる指に、上を向かされる。
感情の読めない彼の目と視線が絡んで、セレンはぴくりと肩を跳ねさせた。
「そんな顔しなくても、すぐに会える。またな、セレンティーネ」
「え……」
ロウェルの唇が頬をかすめてゆく。
セレンは彼の体温が移ったかのように熱い頬を押さえながら、今度こそ去っていくロウェルの背中をただ見送った。
#玉座の憧憬_本編 10
セレンの心配をよそに、一行は何の問題も起こらないまま、アキュイラの地を踏んだ。
国境地帯ではあるものの、もう何十年と戦の起こっていない街は美しく整備され、馬車から見るその光景は両国の平和を象徴しているように思えた。
これから、自分はこの場所で生きて、そして死んでいくのだろうか。
ほんの少し、胸の中に寂寥が浮かぶ。だがそれと同じくらい、この美しい街を守っていくという役目は、そう悪いものではないのかもしれないとも思う。
「――少し、街を歩いてみたいんだが」
ぽつりと零れた言葉にミイスがにっこりと微笑み、程なくして馬車は街の広場に停車したのだった。
ロウェルの手を借りて地面へと降りたセレンは、王都とはまた違うアキュイラの街並みに、きょろきょろと視線を巡らせる。
そんなセレンにくすとロウェルが笑みを漏らす。
「楽しそうだな」
「なっ……そ、そんなんじゃないっ。私は周囲を警戒して――」
「はいはい、そういうことにしといてやるよ」
苦笑しながら髪をかき混ぜる手に、セレンはますます目を吊り上げる。
「だから、髪を乱すのはやめろと――」
セレンが拳を握ると、彼は手を離して肩を竦めた。
「まあ、なんにせよ無事に着いてよかったじゃないか」
「……ああ」
「んじゃ、俺もお役御免だな」
そう言って、ニッと笑うロウェルに、セレンは虚を突かれる。
「は――?」
「おいおい。元々アキュイラまでの護衛、っていう契約だったろ? 忘れちまったか?」
「そういうわけじゃ……」
たしかに、目的の場所まで到着はした。だが、てっきり城まで――、これからセレンが住むことになる場所までは着いて来るのかと思っていたのだ。
まだ別れまで暫しの猶予があると思っていた――。
だが、ロウェルは「お役御免」という言葉を取り消す気配もなく、セレンは呆然としたまま、どうにか謝礼金の手配だけは指示をする。
ロウェルは受け取った袋を開けて、ザッと中身を確認するとすぐに懐にしまった。
「はいよ、たしかに」
セレンは何と言ってよいか分からずに、ただロウェルの姿を無言で見つめる。
「それじゃあな」
「…………ああ」
ここで彼を引き留める理由など存在しない。
セレンは俯きながら、こくりと頷いた。
だが、彼はすぐには去ろうとせず、小さく嘆息する。そして、セレンの俯いた視界に彼の手が伸びてくる。
「な、に……」
頬をすべる指に、上を向かされる。
感情の読めない彼の目と視線が絡んで、セレンはぴくりと肩を跳ねさせた。
「そんな顔しなくても、すぐに会える。またな、セレンティーネ」
「え……」
ロウェルの唇が頬をかすめてゆく。
セレンは彼の体温が移ったかのように熱い頬を押さえながら、今度こそ去っていくロウェルの背中をただ見送った。
2025/08/20 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 9
結局、セレンはロウェルの同行を正式に許可した。
一度は「勝手にしろ」と言ってしまったのもあるが、実際、怪我人の多い現状人手はあって困ることはないからだ。
それに、あまりに頑迷なのも、子供っぽい意地のように思えてしまったというのもある。
ロウェルを負傷した御者の補佐に当てて、旅路が続く。
数日が経ち、いくつか山を超えはしたものの、あの時のような襲撃はなく、穏やかに時間が過ぎていった。
はじめに抱いていたロウェルへの警戒が、日ごとに薄れていく、
それと同時に、胸の奥で燻っていた「ある疑念」も、己の勘違いだったように思えてきていた。
「なあ、なんか気になることでもあるのか?」
ある日の野営中、不意にロウェルから問いかけられたセレンは、驚いて顔を上げた。
「……私は、そんなに変な顔をしていたか?」
「いんや。ただ……、たまーに周りを見回しているだろ。――警戒するみたいに」
セレンは思わぬ指摘に息を飲んだ。
この男は、存外周囲をよく見ている。傭兵をやっていくには、この程度の抜け目のなさは必要なのだろうか。
セレンはしばし考えたあと、素直に首を縦に振った。
「本当に、襲撃はあの一度きりの偶然だったのか、って」
「なにそれ。ただの物取りじゃなかったって言いたいのか?」
彼の問いに首肯する。
「荷が目的には、見えなかったんだ」
馬車の外へ飛び出した瞬間に感じた殺気を思い出す。
もしも積荷や金が目的ならば、セレンをはじめとした女には、生きていてもらった方が都合が良いはずだ。護衛たちは目的の妨げになるため殺すとしても、それ以外は――、売るなり、犯すなり、使い道がある。
ここウィレミニアでは、表向き人身売買は禁止されているものの、合法以外の方法ならばいくらでもあった。
ずっと考えていた疑念を口にすると、ロウェルは腕を組んで首を捻る。
「うぅん……、言いたいことは分かるが、それだけじゃあなぁ……」
セレンが押し黙っていると、ロウェルが顔を覗き込んできて、枝垂れていた前髪を耳にかけてくる。
「それだけが理由じゃなかったり?」
「…………ああ。お前は…奴らの武器を見たか?」
「武器?」
ロウェルは目を瞬かせる。
「奴らの使っていた武器が……、お――私の家に仕える者たちに支給されているものに似ていた気がして」
王宮、と言いかけて慌てて訂正する。
ロウェルは不自然に途切れた言葉には気付かなかったらしく、ただ驚いた顔をする。
「――んだな」
「何?」
「いや、身内から狙われてるの思ってるのか、と驚いて」
「無い話じゃないさ」
セレンは苦笑を浮かべた。
己の存在は、躍起になって消すほどではないと思っていたが、彼らにとってはそうではなかったのかもしれない。
「弟は、……家督を継ぐのに私が邪魔だろうし、父だって、きっと――」
アキュイラへの赴任も、自身を排除するための方便だったのだろうか。
セレンが唇を噛んで俯くと、突然頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「ちょっ、何をするんだ!」
「いや……。あんまさ、悲観するなよー、って思って」
顔を上げると、軽い調子の言葉とは裏腹に、どこか思い詰めたような顔をするロウェルと目が合った。
その表情に、ぎゅっと胸を掴まれた心地になる。
「……うるさい。悲観なんかしてないっ」
セレンはぷいっと顔を背けると、彼の手を払って髪を整える。
「そ? ならいいけど」
ちらっと視線だけ戻すと、もうロウェルはいつもどおりの顔をしていた。
セレンはそのことに、密かな安堵を覚えたのだった。
#玉座の憧憬_本編 9
結局、セレンはロウェルの同行を正式に許可した。
一度は「勝手にしろ」と言ってしまったのもあるが、実際、怪我人の多い現状人手はあって困ることはないからだ。
それに、あまりに頑迷なのも、子供っぽい意地のように思えてしまったというのもある。
ロウェルを負傷した御者の補佐に当てて、旅路が続く。
数日が経ち、いくつか山を超えはしたものの、あの時のような襲撃はなく、穏やかに時間が過ぎていった。
はじめに抱いていたロウェルへの警戒が、日ごとに薄れていく、
それと同時に、胸の奥で燻っていた「ある疑念」も、己の勘違いだったように思えてきていた。
「なあ、なんか気になることでもあるのか?」
ある日の野営中、不意にロウェルから問いかけられたセレンは、驚いて顔を上げた。
「……私は、そんなに変な顔をしていたか?」
「いんや。ただ……、たまーに周りを見回しているだろ。――警戒するみたいに」
セレンは思わぬ指摘に息を飲んだ。
この男は、存外周囲をよく見ている。傭兵をやっていくには、この程度の抜け目のなさは必要なのだろうか。
セレンはしばし考えたあと、素直に首を縦に振った。
「本当に、襲撃はあの一度きりの偶然だったのか、って」
「なにそれ。ただの物取りじゃなかったって言いたいのか?」
彼の問いに首肯する。
「荷が目的には、見えなかったんだ」
馬車の外へ飛び出した瞬間に感じた殺気を思い出す。
もしも積荷や金が目的ならば、セレンをはじめとした女には、生きていてもらった方が都合が良いはずだ。護衛たちは目的の妨げになるため殺すとしても、それ以外は――、売るなり、犯すなり、使い道がある。
ここウィレミニアでは、表向き人身売買は禁止されているものの、合法以外の方法ならばいくらでもあった。
ずっと考えていた疑念を口にすると、ロウェルは腕を組んで首を捻る。
「うぅん……、言いたいことは分かるが、それだけじゃあなぁ……」
セレンが押し黙っていると、ロウェルが顔を覗き込んできて、枝垂れていた前髪を耳にかけてくる。
「それだけが理由じゃなかったり?」
「…………ああ。お前は…奴らの武器を見たか?」
「武器?」
ロウェルは目を瞬かせる。
「奴らの使っていた武器が……、お――私の家に仕える者たちに支給されているものに似ていた気がして」
王宮、と言いかけて慌てて訂正する。
ロウェルは不自然に途切れた言葉には気付かなかったらしく、ただ驚いた顔をする。
「――んだな」
「何?」
「いや、身内から狙われてるの思ってるのか、と驚いて」
「無い話じゃないさ」
セレンは苦笑を浮かべた。
己の存在は、躍起になって消すほどではないと思っていたが、彼らにとってはそうではなかったのかもしれない。
「弟は、……家督を継ぐのに私が邪魔だろうし、父だって、きっと――」
アキュイラへの赴任も、自身を排除するための方便だったのだろうか。
セレンが唇を噛んで俯くと、突然頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「ちょっ、何をするんだ!」
「いや……。あんまさ、悲観するなよー、って思って」
顔を上げると、軽い調子の言葉とは裏腹に、どこか思い詰めたような顔をするロウェルと目が合った。
その表情に、ぎゅっと胸を掴まれた心地になる。
「……うるさい。悲観なんかしてないっ」
セレンはぷいっと顔を背けると、彼の手を払って髪を整える。
「そ? ならいいけど」
ちらっと視線だけ戻すと、もうロウェルはいつもどおりの顔をしていた。
セレンはそのことに、密かな安堵を覚えたのだった。
2025/08/19 00:00:00
#玉座の憧憬
#玉座の憧憬_本編 8
外へ出ると薄い夜着を風が吹き抜けていく。
何か羽織って来るべきだった、と身を震わせつつ、宿の裏庭を当てもなく歩く。
ぼんやりと夜空を見上げながら建物の角を曲がると、ふと人の気配を感じてセレンは視線を戻した。
「あ……」
そこには昼間の男が木箱に腰掛けて、こちらを見ていた。
「よぉ。……寝れねぇの?」
不意打ちの邂逅に固まっていると、男は呑気な様子でひらひらと手を振った。
「何故ここに……」
「お嬢さんと同じだと思うけど?」
なんと答えてよいか分からず黙っていると、彼は気にした様子もなくへらりと笑って、隣に置いていた瓶を持ち上げた。
「飲む?」
「……酒か? 今はそんな気分じゃ……」
「いいから、いいから」
男はセレンの話など聞きもせず、小さなグラスに瓶の中身を注いで差し出してきた。
それを無視するのも決まりが悪く、セレンは仕方なくそれを受け取ると、彼が座っているのとは別の木箱に腰を降ろした。
「お、や~っと座ってくれたな」
にやにやと笑う男を無視して、セレンは薄赤色をした酒を一口飲む。ほのかに香る果物の匂いが強すぎない酒精と共に喉を滑り落ちていく。
「……酒なんて、久し振りだ」
王女として出席する会食などで飲むことはあったが、私的な時間で酒を口にしたことなどあっただろうか。
不思議と好みにあう甘めのそれをあっという間に飲み干すと、男はグラスに継ぎ足してくれながら言った。
「そうなのか。酒は悪くないぞ。……嫌なことも忘れさせてくれる」
彼も別のグラスに酒を注いで、それを飲む。
「嫌なこと……? 貴方――……、あ、と……」
名を呼ぼうとして、まだ聞いていなかったことを思い出す。いくら怪しんでいたとはいえ、命の恩人に名前さえ尋ねていなかったのかと恥ずかしくなった。
そわそわとするセレンに、彼はくっと笑って言った。
「俺はロウェル。お嬢さんは?」
「……セレン」
本名をそのまま答えるのはまずいと思い、略称を答える。
「へぇ、美人は名前まで綺麗なんだな」
さらっとそんなことを言われて、思いがけずセレンの頬は赤くなる。だが、それに気付かぬ振りをして、話を戻した。
「そ、それで。貴方も……忘れたいことがあるのか?」
「『も』ね……。お嬢さんはどうなんだ?」
ロウェルの問いに、冷たい母の声が甦った気がした。
だが、それを振り払うように小さく首を振る。
「別に大したことじゃない。少し……、夢見が悪かっただけだ」
「夢……ね。嫌な過去でも思い出した?」
やわらかな声音で続く問いに、セレンは素直に頷いていた。
酒が緊張も警戒すらも和らげていたのかもしれない。
「……貴方は?」
「俺は――」
ロウェルはグラスに口をつけながら、遠くにある細い月を見つめる。
「犯した罪と……贖罪について、かな」
出会って以降彼が纏っていた、どことなく軽薄な空気がフッと煙のように消えた。
「贖罪……?」
ちらりとロウェルがこちらを悔いて、セレンはその暗い瞳にびくりと肩を震わせた。
だが、その一瞬後には、彼は再び仮面を被り直すかのように、軽く笑う。
「なんてな。そんな重いもんじゃねぇさ」
誤魔化すような笑みにセレンは何も言えなくなる。
だが何故か、あの深い闇を思わせる目が、この男の本質な気がして、取り繕ったような言葉を信じる気にはなれなかった。
「……それで、何故…私達について来ようと?」
どうしてそんなことを改めて聞いたのか、セレンは自分でもよく分からなかった。
ただ、もう少し、この男の心の内に触れてみたかったのかもしれない。
だが、彼はもう表情を崩すことなく、軽薄な調子のまま言った。
「言ったろ? ここで会ったのも何かの縁だし、って。今は暇してるから仕事があるとありがたい、ってのもあるけど。でも第一は――」
ロウェルは、ジッとセレンの顔を見つめた。
「第一は、かわいい女がいるから?」
「――は?」
セレンは男の言葉にスッと目を細める。
かわいい女――。たしかに、この一行にはミイスをはじめとした侍女たちが幾人も同行している。
セレンは「この男……」と額に青筋を立てて、ロウェルを睨んだ。
「お前……、ミイスたちに色目を使うなら――」
「は!? 違う違う!」
「何が違うん――」
怒鳴ろうとしたところで、ロウェルが指を差してくる。
「なんだ、この指は」
「本気で言ってる? 俺の言ってる『かわいい女』って、あんたのことなんだけど」
「はあっ!?」
揶揄われてる。絶対に。
セレンはグラスを握る手にギリギリと力を込める。
だが、ロウェルは追い打ちをかけるように、へらへらと笑って言った。
「冗談だよ。あんたは『かわいい』じゃなくて……、綺麗なんだよな」
「っ!!」
いやに真剣な目で言われ、セレンは羞恥のあまりに残っていた酒を呷ると、すくっと立ち上がった。
「馬鹿なことを言うのもいい加減にしろ!」
セレンはグラスをロウェルに押し付けるように返すと、そのままくるりと背を向けてその場を後にしようとする。
だが、その背中に声がかけられる。
「それで? ついてってもいい?」
「~~っ、勝手にしろ!!」
やけっぱちに叫んで、セレンは足早にその場所を後にする。
なんだかんだ、あの男の思惑通りにされてしまったのでは――。と気付いたのは、ふて寝しようと布団をかぶったものの結局眠れずに、ベッドの上で朝日を拝んだ時のことだった。
#玉座の憧憬_本編 8
外へ出ると薄い夜着を風が吹き抜けていく。
何か羽織って来るべきだった、と身を震わせつつ、宿の裏庭を当てもなく歩く。
ぼんやりと夜空を見上げながら建物の角を曲がると、ふと人の気配を感じてセレンは視線を戻した。
「あ……」
そこには昼間の男が木箱に腰掛けて、こちらを見ていた。
「よぉ。……寝れねぇの?」
不意打ちの邂逅に固まっていると、男は呑気な様子でひらひらと手を振った。
「何故ここに……」
「お嬢さんと同じだと思うけど?」
なんと答えてよいか分からず黙っていると、彼は気にした様子もなくへらりと笑って、隣に置いていた瓶を持ち上げた。
「飲む?」
「……酒か? 今はそんな気分じゃ……」
「いいから、いいから」
男はセレンの話など聞きもせず、小さなグラスに瓶の中身を注いで差し出してきた。
それを無視するのも決まりが悪く、セレンは仕方なくそれを受け取ると、彼が座っているのとは別の木箱に腰を降ろした。
「お、や~っと座ってくれたな」
にやにやと笑う男を無視して、セレンは薄赤色をした酒を一口飲む。ほのかに香る果物の匂いが強すぎない酒精と共に喉を滑り落ちていく。
「……酒なんて、久し振りだ」
王女として出席する会食などで飲むことはあったが、私的な時間で酒を口にしたことなどあっただろうか。
不思議と好みにあう甘めのそれをあっという間に飲み干すと、男はグラスに継ぎ足してくれながら言った。
「そうなのか。酒は悪くないぞ。……嫌なことも忘れさせてくれる」
彼も別のグラスに酒を注いで、それを飲む。
「嫌なこと……? 貴方――……、あ、と……」
名を呼ぼうとして、まだ聞いていなかったことを思い出す。いくら怪しんでいたとはいえ、命の恩人に名前さえ尋ねていなかったのかと恥ずかしくなった。
そわそわとするセレンに、彼はくっと笑って言った。
「俺はロウェル。お嬢さんは?」
「……セレン」
本名をそのまま答えるのはまずいと思い、略称を答える。
「へぇ、美人は名前まで綺麗なんだな」
さらっとそんなことを言われて、思いがけずセレンの頬は赤くなる。だが、それに気付かぬ振りをして、話を戻した。
「そ、それで。貴方も……忘れたいことがあるのか?」
「『も』ね……。お嬢さんはどうなんだ?」
ロウェルの問いに、冷たい母の声が甦った気がした。
だが、それを振り払うように小さく首を振る。
「別に大したことじゃない。少し……、夢見が悪かっただけだ」
「夢……ね。嫌な過去でも思い出した?」
やわらかな声音で続く問いに、セレンは素直に頷いていた。
酒が緊張も警戒すらも和らげていたのかもしれない。
「……貴方は?」
「俺は――」
ロウェルはグラスに口をつけながら、遠くにある細い月を見つめる。
「犯した罪と……贖罪について、かな」
出会って以降彼が纏っていた、どことなく軽薄な空気がフッと煙のように消えた。
「贖罪……?」
ちらりとロウェルがこちらを悔いて、セレンはその暗い瞳にびくりと肩を震わせた。
だが、その一瞬後には、彼は再び仮面を被り直すかのように、軽く笑う。
「なんてな。そんな重いもんじゃねぇさ」
誤魔化すような笑みにセレンは何も言えなくなる。
だが何故か、あの深い闇を思わせる目が、この男の本質な気がして、取り繕ったような言葉を信じる気にはなれなかった。
「……それで、何故…私達について来ようと?」
どうしてそんなことを改めて聞いたのか、セレンは自分でもよく分からなかった。
ただ、もう少し、この男の心の内に触れてみたかったのかもしれない。
だが、彼はもう表情を崩すことなく、軽薄な調子のまま言った。
「言ったろ? ここで会ったのも何かの縁だし、って。今は暇してるから仕事があるとありがたい、ってのもあるけど。でも第一は――」
ロウェルは、ジッとセレンの顔を見つめた。
「第一は、かわいい女がいるから?」
「――は?」
セレンは男の言葉にスッと目を細める。
かわいい女――。たしかに、この一行にはミイスをはじめとした侍女たちが幾人も同行している。
セレンは「この男……」と額に青筋を立てて、ロウェルを睨んだ。
「お前……、ミイスたちに色目を使うなら――」
「は!? 違う違う!」
「何が違うん――」
怒鳴ろうとしたところで、ロウェルが指を差してくる。
「なんだ、この指は」
「本気で言ってる? 俺の言ってる『かわいい女』って、あんたのことなんだけど」
「はあっ!?」
揶揄われてる。絶対に。
セレンはグラスを握る手にギリギリと力を込める。
だが、ロウェルは追い打ちをかけるように、へらへらと笑って言った。
「冗談だよ。あんたは『かわいい』じゃなくて……、綺麗なんだよな」
「っ!!」
いやに真剣な目で言われ、セレンは羞恥のあまりに残っていた酒を呷ると、すくっと立ち上がった。
「馬鹿なことを言うのもいい加減にしろ!」
セレンはグラスをロウェルに押し付けるように返すと、そのままくるりと背を向けてその場を後にしようとする。
だが、その背中に声がかけられる。
「それで? ついてってもいい?」
「~~っ、勝手にしろ!!」
やけっぱちに叫んで、セレンは足早にその場所を後にする。
なんだかんだ、あの男の思惑通りにされてしまったのでは――。と気付いたのは、ふて寝しようと布団をかぶったものの結局眠れずに、ベッドの上で朝日を拝んだ時のことだった。
2025/08/18 00:00:00
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 2
この世界の人間には男女の別と、もう一つ「性」が存在する。
国民の大半は「ベータ」と呼ばれる、特筆すべき特徴のない人々。
「――閣下、資料をお持ち致しました」
「ありがとう」
ユリスは自身の副官に礼を述べながら、その紙束を受け取る。
下位貴族出身の彼も、ベータの一人だ。
「ユリス」
「はい、殿下」
ユリスは顔を上げて、声のした方を見る。
金髪の輝く髪に、深い青の瞳をした青年は、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「二人の時に『殿下』はやめろって、言ってるだろ~?」
「え、ああ……」
いつの間にか、副官が消えていることに気付いて、ユリスは仕方なさそうな振りをして、言い直した。
「ルベルト様」
よしと満足そうに笑む彼から、ユリスはそっと目を逸らす。
こちらの気持ちなんてお構いなしな自信に満ちたその表情は、なんとも王族――、そして「アルファ」らしい。
彼ら、アルファ性の者たちは、ベータに比べ様々な能力が優れているとされ、過去には酷い選民思想を持った国さえあったほど、この世界を牛耳っている者たちと言ってよいだろう。
そして、もう一つ――。
「それで、ユリス。それは何の資料だ?」
「隣国の『オメガ保護法』についてのものです』
アルファ、ベータ、そしてオメガ。
この三つが、男女性とは別に存在する三性だ。
オメガは――、長らく社会的地位が著しく低く貶められていた。
男女共に妊娠ができるという特異性もさることながら、「発情期」と呼ばれる三ヶ月に一度程のペースで訪れる期間があることが原因だろう。
発情期の名の通り、その期間に入ったオメガは、社会生活を営むこと自体が難しくなる。加えて、その時に発せられるフェロモンは他者にも影響して、アルファの発情を誘発してしまうのだ。
そんな性質故に、オメガ達は性の捌け口に利用され、まともな職にも就くことができない不遇の時代が長く続いた。
それに変化があったのが、数十年前に開発された「抑制剤」の登場だ。
その薬は、オメガの発情をある程度抑え、強力なものならば、殆ど発情期の影響を受けなくなる。
それにより、ようやく社会進出が進み、法も整えられてきたのが現在だ。
「隣国のオメガ保護について? なんでまた」
「最近、オメガの国王が誕生したでしょう? そのせいか、あの国はかなり先進的な施策を打ち出しています。参考になるかと」
「あぁ~、老害クソジジイ共が、『オメガに権利をやるなんて』って、ご立腹だからな」
「えぇ。このままでは他国に置いてゆかれます」
ユリスはスッとルベルトから視線を逸らした。
「反対派は――アルファは、オメガを子を成す道具としてしか見ていませんから」
アルファとオメガの間には、「番」という特殊な関係性が存在する。発情期のオメガとの性交中に、その首筋をアルファが噛むことで成立するそれは、両者のフェロモンを互いにしか効かなくする効果がある。
抑制剤が開発される以前は、オメガが安全に日常生活を送るための、唯一の手段だった――。
「おいおい、私たちも『アルファ』だろ?」
ユリスは弾かれたように顔を上げた。
「あ、その……。殿下のことをそう思っているわけでは」
「はは、分かってるよ。それより、早くそれを読んで、私にも回してくれ」
「……読まれるのですか?」
「私は『老害クソジジイ』じゃないんでね」
冗談混じりにそう言ったルベルトに、ユリスは愛想笑いを返して、資料に目を落とした。
(……「私たちもアルファ」か)
ユリスは無意識に項を指で辿る。
(俺は、殿下に大きな嘘を吐いている……)
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 2
この世界の人間には男女の別と、もう一つ「性」が存在する。
国民の大半は「ベータ」と呼ばれる、特筆すべき特徴のない人々。
「――閣下、資料をお持ち致しました」
「ありがとう」
ユリスは自身の副官に礼を述べながら、その紙束を受け取る。
下位貴族出身の彼も、ベータの一人だ。
「ユリス」
「はい、殿下」
ユリスは顔を上げて、声のした方を見る。
金髪の輝く髪に、深い青の瞳をした青年は、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「二人の時に『殿下』はやめろって、言ってるだろ~?」
「え、ああ……」
いつの間にか、副官が消えていることに気付いて、ユリスは仕方なさそうな振りをして、言い直した。
「ルベルト様」
よしと満足そうに笑む彼から、ユリスはそっと目を逸らす。
こちらの気持ちなんてお構いなしな自信に満ちたその表情は、なんとも王族――、そして「アルファ」らしい。
彼ら、アルファ性の者たちは、ベータに比べ様々な能力が優れているとされ、過去には酷い選民思想を持った国さえあったほど、この世界を牛耳っている者たちと言ってよいだろう。
そして、もう一つ――。
「それで、ユリス。それは何の資料だ?」
「隣国の『オメガ保護法』についてのものです』
アルファ、ベータ、そしてオメガ。
この三つが、男女性とは別に存在する三性だ。
オメガは――、長らく社会的地位が著しく低く貶められていた。
男女共に妊娠ができるという特異性もさることながら、「発情期」と呼ばれる三ヶ月に一度程のペースで訪れる期間があることが原因だろう。
発情期の名の通り、その期間に入ったオメガは、社会生活を営むこと自体が難しくなる。加えて、その時に発せられるフェロモンは他者にも影響して、アルファの発情を誘発してしまうのだ。
そんな性質故に、オメガ達は性の捌け口に利用され、まともな職にも就くことができない不遇の時代が長く続いた。
それに変化があったのが、数十年前に開発された「抑制剤」の登場だ。
その薬は、オメガの発情をある程度抑え、強力なものならば、殆ど発情期の影響を受けなくなる。
それにより、ようやく社会進出が進み、法も整えられてきたのが現在だ。
「隣国のオメガ保護について? なんでまた」
「最近、オメガの国王が誕生したでしょう? そのせいか、あの国はかなり先進的な施策を打ち出しています。参考になるかと」
「あぁ~、老害クソジジイ共が、『オメガに権利をやるなんて』って、ご立腹だからな」
「えぇ。このままでは他国に置いてゆかれます」
ユリスはスッとルベルトから視線を逸らした。
「反対派は――アルファは、オメガを子を成す道具としてしか見ていませんから」
アルファとオメガの間には、「番」という特殊な関係性が存在する。発情期のオメガとの性交中に、その首筋をアルファが噛むことで成立するそれは、両者のフェロモンを互いにしか効かなくする効果がある。
抑制剤が開発される以前は、オメガが安全に日常生活を送るための、唯一の手段だった――。
「おいおい、私たちも『アルファ』だろ?」
ユリスは弾かれたように顔を上げた。
「あ、その……。殿下のことをそう思っているわけでは」
「はは、分かってるよ。それより、早くそれを読んで、私にも回してくれ」
「……読まれるのですか?」
「私は『老害クソジジイ』じゃないんでね」
冗談混じりにそう言ったルベルトに、ユリスは愛想笑いを返して、資料に目を落とした。
(……「私たちもアルファ」か)
ユリスは無意識に項を指で辿る。
(俺は、殿下に大きな嘘を吐いている……)
2025/08/02 00:00:00
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 1
「っ、あ……、は…………」
目の奥がチカチカする。
後ろから伸し掛かられるように熱い雄を体内に受け入れていることが、いまだに信じられない。
執務室の床に押さえつけられたまま、ユリスは震える指で自身の項を辿った。
「――お前、オメガ……だったのか……っ!?」
半ば強引にそこへ噛み跡をつけたアルファの男は、ユリスが長い間恋焦がれ――、決して結ばれることはないはずの相手だった。
「ちが、……私は――」
オメガなんかじゃない。
だが、そんな分かりきった嘘の言葉すら言わせてもらえず、再び抽挿がはじまった。
愛する人に抱いてもらう。
胸の奥底に押し込めてきた願いが叶ってしまった。
けれど、胸が引き裂かれるように痛い。
どうしてこんなことになってしまったんだ。
この人にだけは、決して自分が「オメガ」だと、知られてはならなかったのに――。
#愛する貴方と「番」を解消する方法(仮題)_字コンテ 1
「っ、あ……、は…………」
目の奥がチカチカする。
後ろから伸し掛かられるように熱い雄を体内に受け入れていることが、いまだに信じられない。
執務室の床に押さえつけられたまま、ユリスは震える指で自身の項を辿った。
「――お前、オメガ……だったのか……っ!?」
半ば強引にそこへ噛み跡をつけたアルファの男は、ユリスが長い間恋焦がれ――、決して結ばれることはないはずの相手だった。
「ちが、……私は――」
オメガなんかじゃない。
だが、そんな分かりきった嘘の言葉すら言わせてもらえず、再び抽挿がはじまった。
愛する人に抱いてもらう。
胸の奥底に押し込めてきた願いが叶ってしまった。
けれど、胸が引き裂かれるように痛い。
どうしてこんなことになってしまったんだ。
この人にだけは、決して自分が「オメガ」だと、知られてはならなかったのに――。
2025/08/01 00:00:00
作品一覧
改稿版更新中
初稿更新終了
初稿更新中
改稿版完結
#玉座の憧憬_本編 11
「…………はぁ」
物思いに沈んでいたセレンは、無意識に頬を指で辿る。
アキュイラの城へと到着してから――、ロウェルとの別れから、数日。
王都から突然やってきた余所者の王女を、この地の人々はあたたかく迎えてくれた。
なんでも、頻繁に変わってしまう代官ではなく、「領主」が、それも王女がやってきた、というのが嬉しいらしい。
以前は他領と変わらず貴族家の一つが治めていたアキュイラだが、彼らは横領やらなんやらと悪事を働いて罷免され、それ以降なかなか後任が見つからず、現在に至る。
代官の任期は基本的に一、二年。当座を乗り切るには十分だが、先を見据え、長期目線での領地運営は難しい。
そういう事情を聞けば、領主邸で働く人々が喜ぶのも理解できた。
また、セレンの赴任までこの地を守っていた代官も、引き継ぎのために当面残ることになっているのだが、彼が王女を歓迎する雰囲気を作ってくれていたのも大きいだろう。
現在セレンは、その代官に執務の内容を教わりながら、アキュイラの地について学びを進めている。
冷たい王宮とは違う、あたたかな空気。
王女ではなく、「セレン」に向けられる笑顔。
まだここに到着してから、片手で数えられる程度の日数しか経っていないにもかかわらず、安心と充足を――感じたことのない居心地の良さを覚えていた。
「……私は」
このまま、ここで生きていってはいけないだろうか。
母の願いも何もかも忘れて。
すり、と頬を指で辿る。
あんな風に触れられたのは、はじめてだった。
人の手というものは、あんなにも……やわらかにふれるものなの――?
「わたしは……」
その時、控えめなノックの音が聞こえて、セレンは顔を跳ね上げた。
「っ、誰だ?」
「ミイスです」
入室を許可すると、どこか怪訝な顔をしたミイスが入ってくる。
「どうした?」
「その、姫様にお客様だそうで……」
「……客?」
自分をこんな辺境まで訪ねてくる「客」に、まったく心当たりがない。
「どなただ?」
「ロムーリャ公国からの使者様だそうです」
セレンはますます首を捻る。
ロムーリャ公国――。ここ、ウィレミニア王国の属国であり、アレイストの母がいる国だ。
ミイスによると、セレンのアキュイラ領主就任を祝いにきた、ということだが……。
「何故……?」
「さあ…………」
弟ならばともかく、セレンに公国との直接的な繋がりはない。アキュイラが国境を接しているわけでもなく、理由がよく分からなかった。
だが、相手は公国の印璽が押された書状を持っているとかで、無下にすることもできなかったそうだ。
「どうされます?」
「……会う」
訝しむ気持ちが無いではなかったが、正式な使者として訪ねてきたのならば、自分が対応する他ない。
セレンは仕方なく立ち上がると、客人を待たせているという応接室へ向かった。