五話幼蝶の心は彼方に2

 家に入ると、懐かしい実家の匂いがした。

 ラテロに無言のまま腕を引かれ、キッチンの方へ連れて行かれる。彼はダイニングテーブルにレンを座らせると、ヤカンに水道水を入れて火にかけた。

 それを沸かしている間に、持参していた鞄から茶葉の缶と何かの粉末が入った小さな瓶を取り出す。

 沸騰した湯に茶葉を入れ、暫し蒸らしたあと、それをカップに注いだラテロは、仕上げにと小瓶の粉末を一振りした。

「――おまたせ」

 用意された二つのカップのうち一つをレンの前に置く。

「なつかしいね、兄さんの特製スパイス入りのお茶だ」

 お茶の香りに混ざって、複雑な香辛料の香りがする。レンにはシナモン以外に何が入っているのか分からないが、様々なものをブレンドしたものなのだそうだ。

 昔は彼の家に遊びに行っては、よく淹れてもらった。馴染んだ香りに、目の奥がツンとする。

 ゆっくり口にそれを運べば、あたたかさと慣れ親しんだ安心感で、もう駄目だった。

 目に溢れてきた涙は、ぼとぼととテーブルに落ちていく。ラテロは理由を聞くでもなく、レンが話すのを穏やかに待ってくれていた。

「――とある人に……、理由が分からず嫌われてたら、兄さんならどうする?」

 ひとしきり泣いて、ようやく涙が止まってきた頃、レンはすんすんと鼻を鳴らしながら、ラテロにそう訊ねた。

「……心当たりはあったりする?」

 レンは首を横に振った。

「初めて会った時からそうなんだ」

「そう……」

 ラテロはしばらく考え込んだ後、口を開いた。

「僕なら、もう諦めるかな」

「諦める……?」

「うん、だって……、理由も分からないなら、改善のしようがない」

 それは自分も諦めた方が良いということなのだろうか。レンはそう考えかけたが、ラテロの言葉はそこで終わりではなかった。でも、と彼は続ける。

「でもさ、レンくんはそうじゃないんでしょ?」

「え……」

「諦められるなら、今そうやって悩んでないよね」

 たしかにそうだ。

 レンは彼と――ファルと、仲良くなりたかった。

 こくりとレンが頷くと、ラテロは、だよねと苦笑する。

「じゃあさ、もう聞いてみれば良いんじゃないかな? どうして嫌うのか」

「聞く……」

 そう言われて、正面から理由を訊ねたことがないことを思い出す。いつも二人の間にあったのは、レンが一方的に喋るだけ。まともに会話が交わせるのは、課題に関することだけだった。

 もう何ヶ月も同じ部屋に住んでいたのに。自分達はお互いのことを殆ど知らない。訊ねようとすることさえも、していなかったのだと気付いた。

「――そっか、そうだね」

 光が見えた気がした。

 もしかすると、聞いた結果どうしようもないことだと発覚するのかもしれない。それでも、はっきりさせれば納得することもできるはずだ。

 ファルと真正面から向き合おう。

 次の行動が決まってしまえば、先程までの陰鬱な気分が嘘のように晴れてしまった。

「ありがとう、兄さん」

 レンは泣いていたのが少し恥ずかしくなって、照れ隠しするように笑った。

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