第一話血と契と愛
――― ヴァンプハンター
それは、聖職者とは名ばかりの、吸血鬼を専門に狩り続ける者達。
―――吸血鬼
それは、人間の血を吸い、生きながらえる者達。
日が沈み、世界が、闇にとじる。今宵は新月、常闇の夜だ。その闇の中、一人の男―――ヴァンプハンター―――が、吸血鬼と、静かに対峙していた。吸血鬼は、人と姿は変わらない。それは、漆黒のドレスに身を包む若い女だった。吸血鬼―――女は呟く。
「やっと見つけた。」と。
男は、剣を構えなおす。女が走り出す。血みどろの戦いになると思われた。しかし―――
ここは、森の奥の、教会。人が、ほとんどより付かなくなって何年が経ったかわからない。しかし、そんな教会に住む者がいた。
「リーザ! ったく、何処に言ったんだ!」
苛立たしげに、歩き回り、庭に出た。そのとき、突然上から何か降ってくる。視界がそれで埋め尽くされ、こける程では無かったが、少したたらを踏む。しかし、それは一瞬の出来事で、すぐに、「ニャォ」と言って視界から消えた。
すると、涼やかな女の笑い声が上から降ってくる。
「あはは。ちょっと、ロイド、その位受け止められないの?」
その声の主は、「あー、面白かった。」と言いながら、上の木から飛び降りる。
「おまえなぁ…」
「木に登って降りられなくなってたのよ。あの猫。…そんな事より、ちょっと使っちゃったの、飲ませて。」
―――血を。
そう、彼女は、あの夜の吸血鬼だった。
吸血鬼には、最も相性の良い血を持つ人間―――
リーザのマスターは、ロイドだった。そこで契約を交わした。ロイドが、血を与える代わりに、リーザは、吸血鬼―――仲間、殺しに手を貸すという契約を。
しかし、この契約を持ち掛けたのは、意外な事にリーザだった。その契約は正確に言えば、リーザは、ロイドの命令に従う、と言う意味を指す。
その、契約を結んだからこそ、共に生活することになった。
「仕方ないじゃない。人間がご飯食べるのと一緒よ」
そう、言いながら、部屋の中に入っていく。リーザの服は、毎日あの夜と変わらない黒いドレスだ。
――――…あの服で、どうやって木に登るんだ?
ロイドはリーザの後を追いながら、思った。
「ロイド? どうかした?」
「…いや。」
深く考えても仕方の無い事なので、ロイドは考えるのを止めた。
その日の深夜。今日も、二人の前には、吸血鬼がいた、さっきまでは。目の前には赤い水溜まりが出来、転々と落ちる肉。
もうそれは、バラバラの肉片でしかなかった。
「………よく、そこまでやるな…」
「徹底してやらなきゃ。再生できないほど。このくらいしとかなきゃ、少し血を与えれば、再生してしまうから。」
「口を潰せばいいだろ…だったら…。」
「だめよ、口以外のところから入った血でも血をたらせば、再生する。」
吸血鬼には、驚異の再生能力がある。不死とさえ噂されるほどに。彼らは血を使い、自らを再生するのだ。糧としては、造られた血液でも、仲間の血でも事足りるが、彼らが人の血を好むのは、その質だろう。人の血は同じ量でも、格段に回復量が多い。
「近寄らないで、人間は。」
近付こうとしたロイドに、強い口調でリーザは言った。
吸血鬼の血は人間の遺伝子に強く働きかける。吸血鬼の血に触れるだけでも、人間は、吸血鬼に近付く。そのため、特にヴァンプハンターは吸血鬼化する事が多い。だが、その事実はあまり知られていない。ロイドも、リーザに教えられ、はじめて知ったのだった。
「―――あぁ、すまない。…………1つ聞いていいか? ここに俺がいる理由はあるのか?」
常々思っていた疑問を、ロイドは口にする。その質問に、リーザは落ちた眼球を、踏み潰しながら、ケロリと答えた。
「えっ? あるわよ? 私に血が足りなくなったらどうしたらいいの?」
「………ビタミン剤かよ…俺は…」
わかっちゃいたが…と、ロイドがぼやくが、リーザは、それを無視した。
「ロイド? 貴方もシャワー浴びれば?」
「ん? あぁ…って、またか、リーザ! シャワー浴びた後は、ちゃんと、髪乾かせって言ってるだろ!」
リーザは身体にタオルを巻いただけの姿だった。さらに、髪の毛は乾いておらず、水滴が滴り落ちている。彼女が歩いた場所を表すように、水が零れている。
「それに、服も着ろ!」
「普通、反対じゃない? 言う順番。」
「床が濡れるだろうが! お前は髪が長いんだから、自然乾燥っつたって、その前に床がビチョビチョになるわ!」
「むー、わかった、タオル巻いとく。」
リーザは不満そうにそういった。
「俺がシャワー浴びてる間に服着とけよ。」
ロイドは立ちながらそう言い、部屋を出ようとした。しかし、リーザに呼び止められる。
「ロイド、――血、欲しい…」
ロイドはため息をつく。そして、椅子に座りなおし、前を少し開け、首筋を出した。リーザは何も言わず、ロイドに乗るようにして、首筋に口を寄せる。だが、いつもならすぐに感じる、心地よい痛みを、感じなかった。リーザが、噛み付く寸前で動きを止めていた。
「……リーザ?」
ロイドが名前を呼ぶと同時に、リーザの身体がロイドに向かって崩れる。
「! ――リーザ!」
しかし、よく見るとリーザは、寝息をたてていた。
「……心配させやがって。」
リーザをそのまま置いておくこともできず、ロイドはリーザを抱きかかえ、リーザの寝室に向かいながら、ロイドは思った。
――――……なんだか、俺がリーザを襲ったみたいじゃねぇか……
前ははだけ、意識の無い女を抱きかかえているのだから、仕方が無い。
また日が沈み、世界が闇に包まれた。
「ロイド、行きましょ。」
「ん、今日もか?」
「うん。吸血鬼の匂いがする。」
何でも、吸血鬼には、吸血鬼の独特の“匂い”というものが、あるらしい。
二人は、闇に紛れ外へ出た。
リーザが匂いを辿る。そして、その人影が見えはじめた時だった。人影がこちらへと向く。遠くて見えないがなぜか、人影が笑った気がした。
「―――ッ」
悪寒が走る。背筋に冷たい汗が流れる。リーザは、瞬時に悟る。―――勝てない、と。だが、逃げることも、ロイドを逃がすこともかなわなかった。気がつくと目の前にいた。後ろへ跳ぼうにもその前に腕をつかまれる。
「―――なっ」
吸血鬼はニヤリと笑うと、リーザの腕を捉えたまま、後ろを振り返る。そこにはもう一人いた。そして、リーザを抱え、もう一人の人影の元に跳ぶ。
「―――リーザ!」
ロイドの顔を見ると、真っ青だった。力差は歴然としていた。
吸血鬼は人影の元に行くと、リーザを抱えたまま言った。
「捕まえたぜ、マスター。」
そう言いながら、吸血鬼はリーザの首に噛み付いた。
「―――ぁっ……」
力が抜けていく。身体中から力を奪われる感覚だった。
吸血鬼が手を離し、リーザは地面に倒れる。
「ふーん、結構色っぽい声、出すじゃねぇか。」
そう言いながら、リーザの頭を踏みつける。
「ぃっ……」
全身を舐めまわされるような視線を感じる。
そして、頭を踏みつける足に力が加わろうとした、そのとき―――リーザの頬に鮮血が、吸血鬼の血が、落ちた。そして、何かに抱えられ、距離を置いて止まった。―――ロイドだ。
リーザは、ロイドの肩まで口を持っていく事すらできず、腕から血を得た。
「リーザ、大丈夫か?」
囁く様な声で、ロイドが問う。しかし、その声がわずかにだが、震えているのをリーザは見逃さなかった。
「うん、大丈夫よ。ありがとう。」
しかし、それに気付かぬ振りをして、リーザは答える。そして、ロイドを庇うように、前に立つ。
「………何者なの、貴方達……」
震える声で、でもそれを悟られないように、リーザは問う。
吸血鬼はニヤリと笑う。
「おめぇらと一緒だよ。こいつはヴァンプハンターで、オレの
それを聞いた時、リーザは胸に走ったツキリとした、痛みに感じた。
――――どうして…? 私たちだって、利用しあう関係だった筈なのに…それが“辛い”だなんて…私は……イヤなの? ロイドと、利用しあう関係なのが?
そんなリーザの心中に気付かず、吸血鬼は次々と喋っていく。
「さあ、どうする? マスター」
「………好きにすればいい」
「OK。―――やっと、
相手が本気になれば、すぐ殺されるであろう事は分かっていた。しかし、逃げる事も叶わない。後には退けなかった。
相手は狂気に満ちた、笑顔を浮かべる。
「なら、吸血鬼は、吸血鬼同士。人間は、人間同士。で、やろうぜ。」
殺し合いの始まりだった。
鮮血が散る。なぶり殺される感覚がする。相手は、鎌を使った。こちらが防戦一方にならないように、手をぬかれているのは、一目瞭然だった。彼女が元より使っていた、レイピアは、とうに折れ、予備のナイフも、もう限界だ。
「どうしたんだ? もっと楽しませろよ。」
相手は、この戦いを楽しんでいた。しかし、リーザにそんな余裕など無い。少しでも気を抜けば殺されるであろう。ちらりと視界に入るロイドは、リーザよりは善戦をしいていた。ロイドは、二刀流使いの剣士だった。
相手の鎌が、一閃する。スカートが大きく破れた。リーザは迷わず、スカートを取り払う。それが一瞬二人の間を分かつ。次に見えたときのリーザの姿は、ドレス姿から、短パンを穿き、美しい足を惜しげもなく晒した、姿になっていた。
「へぇ、スカートの中身はそれだったんだな。」
額に汗が滲む。スカートが無くなり、動きやすくはなった。しかし、武器が無い。これでは死ぬのは時間の問題だった。
迷いは一瞬。リーザは走った、ロイドのところへ。
「ロイド、剣を!」
そう叫んだ瞬間、剣が真上に撥ね上がった。リーザは迷わず空中でそれを取り、相手に、斬りかかった。
―――やった!
そう、思えたのは一瞬。相手の身体から、赤い血が散るのと同時に、リーザの視界は赤く染まった。―――自分の血で。
「なっ………」
地面に倒れこむ。身体は動かそうにも、動かなかった。自分の下に生暖かい水溜りが出来ているのを、感じる。
「―――リーザッ!!」
ロイドの叫ぶ声が遠くで聞こえた。
「は、やってくれたな。」
先ほど、自分が斬った筈の、相手の声が聞こえた。
「―――っく」
ロイドの息を呑む声が聞こえた。そしてその後、地面を蹴る音も聞こえた。そして、ロイドの私を呼ぶ声が聞こえた気がした。しかし、それを確かめる前に、意識が途絶えた。
ひどくゆっくりに感じた。彼女が、リーザが斬られる瞬間は。助けたかった、けど、身体が動かない。
相手が何か言っていたけど、全く耳に入らなかった。
ただ、動かないリーザをただ呆然と見ていた。そして、リーザが斬ったはずの吸血鬼が立った時、身体が自然に動いた。
気がついた時には走り出していた。リーザを抱え、ただ走る。その後のことは考えていなかった。
ロイドが気付いた時には森の中を走っていた。
体中に汗が滲んでいた。
リーザは、浅くだが呼吸をしていた。
「………よかった。」
しかし、血が足りないのか傷は治ることなく、血が流れ続けている。このままでは、程なくして死ぬだろう。
ロイドは、どうすればリーザを救えるか考え、一つの結論に辿り着く。リーザが生きる望み。それは、人間―――
ロイドは、持っている短剣を手に取りながら呟く。
「……あとで、殺されるかもな…俺…」
そう言っていても、ロイドはやめなかった。
短剣で何も無い左の掌を切った。案の定、血が溢れ出す。手首にも血が流れる。
そして、その溢れる血を自分の口に含む。
そしてそのまま、リーザの口に流し込んだ。
リーザは目を覚ました。
「ん……」
まだ、視界も、思考もボーっとしている。
「ここは…?」
「目、覚めたか?」
「!」
リーザは、跳ね起きた。思考が冴え、瞬時に現状を理解する。
まだ夜という事は、斬られてからそんなに時間は経っていない。そして、ロイドが自分を助けて、逃げてきた、と言うことを。
自分のせいで、彼が危険な目にあった事を。
「なんで、貴方がここにいるの!!」
「……起きて、一番に言うのがそれか…?」
ロイドは少し呆れ気味に、呟く。
「当たり前よ! ………私なんか……置いていけばよかった…のに。」
どんどん、声が小さくなる。リーザは、ロイドと目が合わせられなかった。自然の俯き、彼の居ない方向に、顔を向ける。
「なぜだ?」
「なぜ? なぜなんて聞く? ………私たちは、もともと利用しあう為に、一緒にいることにしたはずよ。……戦えない私なんて…邪魔なだけじゃない。」
リーザは、涙がこぼれそうになるのを必死で、我慢していた。
「…リーザ。こっちを向け。」
「…いや…」
消え入りそうな声しか出なかった。彼が、何を言うのかが怖い。
「こっちを向け!」
「やっ―――」
ロイドに、強引にそちらを向かされる。そしてその勢いのまま、ロイドは、リーザの唇を奪った。
「―――んぅ……ぁ……」
ロイドが唇を離す。
その時間は、長いような、しかし、一瞬だったような気がする。
「――――― 好きだ。」
耳元に少し熱っぽい、囁き声が降りてくる。そして、リーザを抱きしめる。力強くも、優しい腕の温もりを感じる。
リーザは彼に、少なからず惹かれていることを、気付いた。
しかし、リーザは悟っていた。自分が居ても、彼には危険しか来ないことを。
「バカ言わないで。」
声は震えていたかもしれない。自分の気持ちに嘘を吐き、彼を傷付けるだろう事を、言わなければいけない。自分が彼の傍に居る事は、災厄にしかならない。
「いいかげん離して。」
冷たく言い放つ。涙が零れそうなのを我慢する。
ロイドは、黙ってリーザを解放した。
「勝手に人の唇奪っておいて、こっちにはそんな気ないのに、イヤだって分からないの?」
ロイドは、黙ったままだ。リーザは泣いてしまわないように、矢継ぎ早に言った。
「第一、吸血鬼と人間が一緒になれる筈、無いじゃない。」
“吸血鬼と人間が一緒になれる筈無い”この言葉は、自分で言った筈なのに、すごく、傷つく自分の心を、リーザは感じていた。
――――そう、“吸血鬼と人間が一緒になれる筈無い”
リーザは、自分に言い聞かせるように、もう一度その言葉を、心の中で言った。
「もう、貴方とは居られない。何処かへ行って。」
これで良い筈だ。こうすれば、必要以上の危険―――リーザと居ることで、降りかかる危険は、無くなる。
――――…もう、会えなくたって、彼さえ、ロイドさえ生きていてくれれば……
「は、いやだね。」
「は、」と言うところに、リーザは、今度は本気で、ムッとした。
「―――なんでよ。」
「お前の考えてることなんか、すぐ分かるんだよ。―――どーせ、俺を遠ざけて生き延びさせようとしてんだろうけど……俺は、お前と離れて生きるぐらいなら、お前の側で死んだほうが、よっぽどマシだ。」
淀みなく告げるその言葉は、たった一つの真実の様に感じる。
「……ロイド、でも。」
「でも も、へったくれもあるか。」
そう言って、ロイドはリーザを抱きしめる。リーザの傷はもう粗方塞がっていた。
もう言葉は必要無い。ロイドは、リーザに顔を埋める。乗せる思いは一つ。誰よりも、愛しい人。あなたの傍に。
二人が、心を通わせていた時には、もうすでに、リーザを襲った者たちは、この世の者では、無くなっていた。無残な屍骸と成り果てた、彼らの傍に立つ男が一人。赤い雨に降られた男は、何の感情も無くそこに立っていた。血と油がついた一振りの剣を掃い、鞘に収める。
「もう、此処まで嗅ぎ付けたのか…。」
呟くと男は、死体に視線をやり、しゃがむと、徐に死体の懐を探った。目当ての物を見つけると、壊れていないのを確かめ、懐にしまった。そして、立ち上がるが早いか、死体などまるでそこに無いかのように、目もくれず、踵を返した。
リーザ達が教会に戻った時、既に深夜を越えていた。結局二人は、再戦する気力も、実力も無く、引き上げてきたのだった。血でドロドロだった服を着替え、ロイドは、今シャワーを使っているリーザに、血を要求されるだろうと、リビングで一人リーザを待っていた。
「…ちゃんと髪拭いたか?」
「開口一番それ聞くの? ほら、この通りよ。やれば出来るわよ、私だって。」
今日は珍しく、寝間着と頭にタオルを巻いた状態のリーザが、リビングに入ってきた。そして、ロイドは何気なく胸元を開いて、リーザが寄って来るのを待った。
しかし、彼女の温もりがいつまで経っても来ないので、ロイドは閉じていた目を開ける。
「どうした? 今日はかなり血を流したから、必要だろう?」
「でも、貴方だって…」
リーザは、ロイドの血を受けるのを渋っていた。そんなリーザをロイドは強引に抱き寄せる。自分の胸に倒れこむような形になった。そして、肩口に顔を押し付ける。
「ちょっ、何す―――――」
「良いから。俺は大丈夫だから。」
リーザが観念したように、血を体内に注ぎ始めると、ロイドは痛みを感じる。でも、決して不快なものではなく、心地よい痛み。甘い、痺れ。
「―――っ、もう限界……。」
リーザが口を離すと、ロイドは、リーザの唇に自分のそれを重ねた。最初は触れるだけの様なそれも、次第に深く、甘く、なっていく。互いの中にある愛情を、確かめるように。長いキスの後、ロイドは彼女の首元に口づける。
「―――んっ…。」
その優しい甘さに思わず声が漏れる。
ロイドは一旦そこで止めると、リーザの頬に軽くキスし、静かに問う。
「―――― 続けても?」
リーザは、ここで逃げても良いと、暗に言う彼に、リーザは、彼の愛情に精一杯応えたいと思った。リーザは、承諾の意と、彼への惜しみない愛情とを、唇に乗せて、彼のそれに優しく重ねた。
ロイドは微笑むと、リーザを抱え宵闇に消えて行った。