第一話シルヴィーの精霊使い
第二章『柱』
ヘルデリット・アストル・リュグナーツ。彼はここリュグナーツ帝国を治める、まだ二十二歳の青年皇帝だ。しかし、彼のまわりには血なまぐさい噂が絶えず付きまとい、帝位の為、兄を殺害したという噂まで流れていた。さらに、リュグナーツ帝国家は、人間でありながら、また精霊使いでないにもかかわらず、魔法が使えるなど、創造神リュグナーツの名を冠するに相応しい、不可思議な噂も数多く存在する。そのため、その怪しさも手伝って、彼を良く言う人間はあまり多くはいなかった。
「そ、それで、何で私がお呼出し、くらわなきゃダメなのよ…。面識なかったと思うんだけど。」
ルチアは馬に乗って、父の背にしがみ付きながら言った。
リディアに見送られ、シルヴィー村を発ったのは、この日の朝。ディルバがシルヴィー村へと、帰ってきた次の日の事だ。
ディルバが今回シルヴィー村へと帰ってきたのは、ルチアを帝都へと連れてくるためだった。詳しい話は陛下本人から、ということで、何も聞かされないまま、ルチアは馬上で揺られることとなった。馬に乗れない事はないルチアだったが、技術的な問題で、今回はディルバの後ろに乗っていた。
「まあ、そう力むな。噂ほど怖いお方じゃない。それに、お前も精霊使いとなった時点で、国に仕えてることになるんだぞ。」
「それは…、分かってるけど。」
精霊使いの称号を受けることは、帝国及び皇帝に従属することを意味する。もっとも、皇帝直々に命を下され、彼の手足となって動くのは、ディルバをはじめとした一部の者のみで、それ以外は大方が、地元の『柱』の守り人として一生を終える。
ルチアは、いづれは父のように国で働きたいとこそ思っていたものの、こんな風に急に呼び出されるとは夢にも思っていなかった。
不安もある。なにせ、精霊使いとして何か行動するのは、『柱』の見回りしかしていなかったルチアにとって、ほとんど初めてのことだった。
それに…、イーデに謝りそびれちゃった。
ルチアはディルバの背中に頭をもたせ、ひそかに溜息を吐いた。口げんかなら、絶えずしてきた二人だが、やはり気になるものは気になる。とくにいつも、口げんかと言うより、ルチアがイーデを、一方的に言い負かしているということに、ルチア自身が気付いているぶん余計に。
ルチアはイーデの事を振り払うように首を振った。今そんなことをぐだぐだと考えても仕方がない。ルチアはディルバの背に顔を押し付け、つい数か月前、精霊使いになるために訪れたばかりの帝都を思った。
シルヴィー村から、少し北にあるリュグナーツ帝国、帝都ルイーゼ。シルヴィー村を出て数日間、馬を走らせ、ようやく帝都を囲む城壁が見えてきていた。地図上ではほんの少し北に来ただけだというのに、驚くほどの寒さがルチアを襲った。シルヴィー村では、降ってはすぐに消えてしまう雪も、帝都近くまで来ると、それらも多く残っていた。
「帝都の冬って、こんなに寒いんだ。」
吐く息もシルヴィー村で見るよりも、いっそう白く見える。辺りは日が昇りはじめ、明るさを増していく。その明るさに目を細めて前方を見ると、日に照らされた帝都は、ルチアには輝いて見えた。
「きれい……。」
ルチアはそう見惚れるように呟き、雪に反射して煌めく陽光を見つめていた。
ディルバは、かつての自分を見ているような、そんな気にさせるルチアの呟きに、ふと笑みをこぼした。
だが、ルチアを待ち受けているものは、この景色ほど美しい輝きに満ちたものではないだろう。少なくとも、ディルバはそう思っていた。精霊使いとしての経験が浅いルチアが、これから受けるはずの試練を乗り越えることが出来るのか。ディルバは彼女の力を、身内という事を抜きにしても、高く評価していたが、精霊使いとしての彼女の能力は決して高くない。
ディルバは何とも言えぬ気持ちを抱え、帝都を、その先で待ち構える主のことを考えた。このまま何事もなく終わればいい。しかし、おそらくそれを許してはくれないだろう。
だが、それらを乗り越えるのは、ルチアだ。ディルバにはほんの少しの手助け以外、何もできない。全てはルチア自身が決めてゆかねばならないことだ。
ディルバはぎゅっと手綱を握る手に力を入れ、帝都へ向けて馬に鞭を入れた。
これからルチアが聞かされるだろうことを、受け入れるか否か、それもルチア以外が決めることは出来ないのだから。
帝都ルイーゼは、水の神であるリュグナーツの名を冠するだけあり、運河や水路がそこかしこを通った、水の都と呼ばれる都市だった。もちろん水も大変美しく、その水は山からの湧水を直接ひいている。石畳で綺麗に舗装された道と橋があるが、人々の主な交通手段は舟のようで、市場も多くは水辺にあった。
皇帝の住まいであり、帝都ルイーゼの象徴でもあるルイーゼ城は、城下の運河にも繋がる人工湖の上に建っている。少し山あいの所にあるため、気温は城下よりも下がっていたが、湖面には薄い氷が張っているだけだった。
城内に入るには、岸からかけられた橋を渡る。昼間は基本的に通ることのできる橋だが、検問は厳しい、そうルチアは聞いていた。
「あ、ディルバさん、ご苦労様です!」
「おう、ご苦労さん。」
ディルバは手を上げてにっと笑うと、そのまま兵の横を通り過ぎていく。ルチアはその様子を彼の後ろからほうっと見つめていた。足止めを食らう事も無く通ってゆく父は、彼女には格好が良く見えた。
吊り橋のように見えた橋は、意外に頑丈で、馬を歩ませても全く揺れず、そのまま城門をくぐった。城は、城下の白い石畳と同じ石で造られており、朝日を受けて輝くように見える。内装も、嫌味にならない程度に、だが贅沢な装飾が施されていた。湖の上なのだから、大層寒いだろうと思われた城内は不思議と暖かく、冷えは全く上がってこなかった。
ルチアは、馬を兵士に託したディルバの背を早足で追いながらも、美しい城に感嘆していた。
「ここだ。」
ディルバは扉の前で立ち止まると、そこを指しながらルチアの方を振り返った。
「う、うん。」
ルチアは胸に手をあてて深呼吸をした。これからコインの表面でしか見た事がないような人と会うのだから、無理もないが、ディルバを見上げる顔も少し引きつっていた。
ルチアはさっと自分を見下ろして、服を整え、髪を手で梳くと、胸に揺れる徽章を見た。それは、大小二つの金属のそれを、金糸で作られた紐で結ばれたもので、精霊使いにのみ着けることが許されたものだった。精霊使いになったばかりのルチアの徽章は、まだキラキラと輝き、傷一つ付いていない。ルチアは紐の房の乱れを直すと、くっとディルバを見上げる。
「行こう、父さん。」
ディルバはそんな娘の顔を見て、にっと笑うと扉を叩いた。
「あー、緊張したー!」
ルチアは王ヘルデと会った後、扉を閉めるとへろへろとその場に座り込んだ。
初めて会ったヘルデは、コインで見ていた印象とは全く違った。青い瞳は冷たく切れるような印象を与えたが、それだけではなく、人を魅入るような、強い力を感じた。
全てを見透かされている気がした。
「おつかれー、ルチア。」
「あ! 今までどこ行ってたの、シリル!」
ルチアが突然降ってきた声に顔を上げると、その先にはよく見知った小さな影があった。ルチアは立ち上がると、けろっとそこにいるシリルを見た。城に着いた時までは確かにいた彼女は、いつの間にやらどこかへと行ってしまっていたのだ。
「ごめん。…あ。で、どうだったの?」
ルチアはシリルの問いかけに、すっと真剣な表情をした。
一言でいうには、あまりにも多くのことを聞いた気がした。
「……大変なことになったわ。」
ルチアはシリルと連れ立って、人気の無いところへと移動した。ヘルデに聞かされた話は、他人に聞かせてはならない話だった。
城の裏手にある庭園は、入り組んでいて、植木もルチアの身長よりも少し高いぐらいまである。不用意に入れば道に迷いかねないようなところだったが、二人きりになるにはうってつけの場所だった。庭園の隅の方に座れる場所を見つけ、ルチアはそこに座り、シリルもルチアの隣に座った。
「そういえばこれ、機密漏洩にならないのかな…?」
何から話そうかと悩んでいたルチアは、はっと思い立ったようにそう言った。ヘルデには、あの部屋での話は、絶対に他言無用だと言われていたのを、改めて思い出したのだ。
そう言って心配げに自分を見たルチアにシリルは、呆れた様に溜息を吐いた。
「ならないよ! 法律で決まってるんだから。知らないの?」
精霊使いとその精霊使いに使役された精霊間では、何を喋っても機密漏洩にはならないんだ、とシリルは自信満々に言った。
「…知るわけないし。何で知ってるの。」
「昔に法律書読んだの!」
シリルは大分昔に、ディルバに帝都で精霊用の大きさの法律書を買ってきてもらって以来、苦心して全てを暗記していた。いつか、父のようになりたいと思っているルチアの役に立つだろうと思って、読み始めたシリルだったが、そのことはルチアには内緒にしていた。ルチアの為というのを知られるのが、なんとなく恥ずかしかったからだ。
何も知らないルチアは、得意げに胸を張るシリルを横目に見、やれやれというような、視線を送った。
しかし、ルチアが真剣な顔で黙ると、シリルもそれを感じて、ルチアの顔を見上げて黙った。
暫くの沈黙の後、ルチアがゆっくりと口を開いた。
「『柱』が、崩壊し始めているんだって。」
「―――え?!」
ルチアの口から発せられた思わぬ言葉に、シリルは目を見開いて、ルチアの顔を見直した。
『柱』はこの世界を支えるとされる重要なものだ。創世の時代から、この世界にあり続けるとされる『柱』。それが崩壊するなど、おとぎ話の話だった。
ルチアも、その話をヘルデから聞いた時は、当然、自分の耳を疑った。現実に『柱』が崩壊するなど、誰が考えただろうか。勿論、前例も聞いたことは無い。おとぎ話では、世界が危機に晒される、というが、実際に崩壊すればどうなるのかは、誰も知らない。
この話を聞いた時ルチアは、言いも知れぬ恐怖が迫ってくるような気がした。
「スリメーラの雷の『柱』のほとんどが消失、したんだって。」
「消失……?!」
スリメーラは国の西北にある海辺の町で、ここにもシルヴィー村のものと属性は違うものの、同じ様に『柱』があった。ルチアが実際訪れた事は無いが、ディルバから、潮風の気持ちがいい港町で、港から見える海上の小さな岩礁のような場所に、『柱』があると聞いていた。
「陛下が派遣してる人たちの報告書のまとめみたいなやつ、見せてもらって、そこに書いてあったの……。だから多分、本当に起こってるんだと思う。」
信じられない、決して信じたくない話だった。しかし、嘘だと言うには、あまりにも重い話だった。
シリルは神妙に頷く。
「そうだね。…うん、ルチア一人騙すには、壮大すぎるし…。」
そう言って、小さく笑うシリルに、ルチアはわざとしかめっ面をして、シリルの頭を指で小突いた。
「もう、今真面目な話!」
「あはは、ごめん。でも、笑わなきゃやってらんないでしょ……。」
「……………うん。」
二人は話の深刻さを思い出し、顔を見合わせて溜息を吐いた。
「それで、シルヴィーの『柱』の調査をしてほしいんだって。」
ルチアは手を後ろにつくと、空を見上げた。空は憎たらしいほど晴れ渡っていた。
『柱』の崩壊は、どうも大陸の沿岸部から始まっているらしく、中央に近いシルヴィーは、おそらくまだ崩壊はしていないと思われるらしいが、何か異変が無いか探って来てほしいと、ヘルデから言われたのだった。
「わたし達だけで調査するの?」
シリルは少し心配げにルチアを見上げた。おそらく、経験の浅いルチアを心配してのことだろう。精霊使いとなったとはいえ、『柱』に無闇に近付くことは出来ない。そのため、いつも見ているのは聖具であって、『柱』ではない。もちろんのことながら、ルチアは『柱』を実際に見た事も無い。それで異変と言われても、二人だけでは見つけられるかは分からなかった。
しかし、シリルの不安そうな表情に、ルチアは首を振った。
「ううん。何人かと一緒にするんだって。」
「そうなの?」
シリルがそれは誰なのかと聞こうとした時、ふいに別の声が割り込んだ。
「―――ルチア?」
突然誰かに呼ばれたルチアは、驚いてその方向を見た。
そして、その視線の先には思いもよらぬ人物がいる。ルチアは思わず立ち上がって、その名を呟いた。
「………イーデ?」
帝都にいるはずがないはずのその人物、イーデが、確かにそこにいた。
「どう思いました?」
ルチアがヘルデの執務室を後にしたのは、つい今しがたのことだった。
彼女が出て行ったあと、さっさと仕事に戻ったヘルデに、ディルバは部屋の壁に寄りかかりながら問いかけた。勿論、ルチアの事だ。
ヘルデはディルバの方を見ずに、目の前の書類にさらさらと何事かを書きつけていく。
「悪くはない。良い瞳をしていた。」
「それは良うございました。」
ヘルデは自分にも他人にも厳しい。それ故に、あまり他人を褒める方ではない。そんな彼からこれだけ言わせれば、初対面としては上々の出来だと、ディルバは満足げに笑った。
「だが、異変を感じている、と言ったのは驚いたな。」
「そうですね…。」
ヘルデの言葉に、ディルバも神妙な顔で頷いた。
世界を支えているとされる『柱』。それに崩壊の予兆があるという話には、さすがに驚きを隠せない様子のルチアだった。しかし、それと関係があるかは分からない、と前置きしたうえでこう言った。
昔よりも、『柱』の力を近くに感じるんです。
これはさすがのディルバも、ルチアのこの言葉に驚いた。つい数日前をはじめ、ここ何年もの間に何度もシルヴィー村へ帰っていたというのに、何も気が付かなかったからだ。
「それだけの、察知能力を持つというのに……。なぜあの娘の火は、あれほど小さい?」
「それは……。」
ルチアの精霊使いとしての魔力は驚くほど小さい。その異様さに気が付かない主ではないと、思っていたディルバだったが、眉をひそめて小さく溜息を吐いた。
口籠ったディルバに、ヘルデは書類から目を離して顔を上げた。
「何を隠している。」
ヘルデはじっとディルバを見ていた。その口調は、確信を得るために聞いている様だった。
ディルバは逡巡した。しかし、結局は小さく首を振ると、ヘルデの目をしっかりと見つめ返した。
「言えません。私の口からは…絶対に。……罰ならお受けしますが?」
ヘルデは、ディルバの意思が固い事を悟ると、ふっと息を吐いて手を振った。
「いや、お前には働いてもらわねばならん。」
そう言って、ヘルデは机から出した紙をディルバに渡しながら、にやりと笑った。
また遠方へ飛ばねばならないらしい。ディルバはそれを受け取ると、わざとらしく溜息を吐いて、部屋を後にした。
「何で、こんなところにいるの…?」
ルチアはその場に突っ立ったまま、ここにいるはずのないイーデを凝視していた。相手も少なからず驚いたような表情で立っていたが、ルチアに会えたのを心底喜ぶような笑顔を浮かべて、彼女の方に近付いた。
しかし、そんなイーデの後ろに、もう一人、ルチアの見知らぬ人物がいた。
「イーデちゃん。その人は……?」
おっとりとした様子で口を開いたのは、イーデの後ろにいたその女性だった。色素の薄い髪と金の瞳。一目で妖精だと知れる彼女を見て、ルチアが目に留めたのは彼女の着る真っ白な外套だった。全身をすっぽり覆い隠す長い外套は、国家に仕える精霊使いや妖精といった、魔術師のみが着ることが許されるものだった。
そして、その白の色は、国家に仕える妖精に与えられる色だった。この外套をめったに着ない父ディルバも、同じ型の紅色の外套を持っており、幼い頃見た、それを着た凛々しい父の姿をルチアは今でも覚えていた。
「あ、彼女はディルバさんの娘さんだよ。」
「エルストルさんの…。」
合点がいったというように、イーデに頷く彼女は、あまり表情変化の無い人だった。
イーデは彼女ににっこりと微笑むと、ルチアの方を向いた。
「ルチア、彼女は、僕がシルヴィーに来る前の知り合いで、近所に住んでて、よくしてもらってたんだ。」
ルチアはふうん、というように頷いて、女性の方に頭を下げた。
「そうなの。…ルチア・エルストルです。はじめまして。こっちは、精霊のシリルです。」
「はじめましてー。」
自分の名前が出たシリルは、慌てて立ち上がるとルチアの顔の横辺りまで飛び、ぺこりと頭を下げた。
イーデは彼が八歳程の頃、シルヴィー村に越してきた。それ以前は、このリュグナーツ帝国の東に位置する、妖精ばかりが住む国、セレーシア王国にいたとルチアは聞いていた。だが、当時の知り合いの話を聞いたのは初めてだった。
自分が知らないイーデを知っている人物がいることを、改めて感じたルチアは、一抹の寂しさのようなものを覚えた。しかし、それをルチアは見ないふりをして、目の前の彼女に微笑む。
ルチアをじぃと見ていた女性は、やはり笑う事は無い。
「初めまして。私は、スメラと申します。」
スメラの金の瞳は、イーデと同じ色だったが、イーデのそれとは驚くほど違う、一見すると冷たいような印象をルチアに与えた。
「それで、イーデ。なんでここに?」
ルチアはシリルを腕に乗せると、ようやく気になっていた疑問を口にすることが出来た。下ではシリルも同意するように、うんうんと頷いていた。
「実はスメラ姉さんから突然手紙が届いて、呼ばれたんだ。」
「手紙…?」
イーデは、セレーシア王国を出た後スメラとは何の交流も無く、本当に突然連絡があったから驚いたと続けた。イーデはルチアとシルヴィー村で別れた後、すぐにシルヴィー村を発っており、ルチアたちが帝都に着くより少し前に到着していた。
「うん。それで…、えっと、陛下からお話しあったよね?」
「お話し…。」
イーデの言う「お話し」とはおそらくは、ヘルデに聞かされた『柱』の崩壊の話だろう事は、ルチアにも容易に想像がついた。しかし、あれは極秘事項。油断して口を滑らせるわけにはいかない、たとえ気の知れた相手でも。ルチアはそう思い、頷かずに、首を傾げた。
「……何の、こと?」
「え、えっと…?」
その返しは予想外だったのか、イーデは軽く狼狽えて、ルチアを見返した。
そんなまごまごとしているイーデを見かねたのか、黙って下がっていたスメラが、そろそろと後ろから近寄ってきた。イーデが気配に気が付いてスメラの方を向く。ルチアもその方向を向いた。
「ルチアちゃん。私達は『柱』の崩壊を、知ってるわ。…これで、話せるかしら。」
「………わかりました。」
ルチアはふっと息を吐いてそう言うと、イーデの方を向き直った。ここまで言われて、言わないわけにはいかなかった。
「無闇にいっちゃダメかな、って思ったの。ごめん。」
きまり悪げに謝るルチアに、イーデは首を振った。
「いいんだ。それで、本題なんだけど。シルヴィーの『柱』の調査に、僕とスメラ姉さんも行くことになったんだ。」
「え?! それって、どういう…?」
さっそく本題に入ったイーデに、ルチアは声を上げて、シリルと目を見かわした。シリルも同じように目を見開いて、ルチアを見た。
「うん。僕もびっくりしてる…。」
イーデはスメラからの手紙を受け、帝都に着いてすぐにスメラに連れられ、ヘルデと謁見し、そこでルチアと同じように、『柱』の崩壊を聞かされた。そして、ディルバ・エルストルの娘、つまりはルチアと共に、調査してくるように言われたらしい。
「そう言えば、誰かと一緒に調査するって、ルチア言ってたね。」
シリルがぽんと手を打つ。ルチアもそれに頷いたが、ヘルデと会った時の事を思い出すように、手を顎につけた。
「言ったけど。名前は聞いてなかったから。」
スメラまで一緒という事は、ぽっと出二人だけに任せるのは心配という事だろう。ルチアのそんな考えを肯定するように、スメラは少し調査を手伝って、問題がなさそうならば途中で抜けるらしい、とイーデは続けた。
「すぐ出発するの?」
イーデはルチアにそのつもりだと頷いた。しかし、いつの間にやら話の輪から外れ、端の方にいたスメラが話を遮った。
「待って、二人とも。陛下が、呼んでらっしゃるから。それが、終わってからにしてほしいわ。」
「あ、わかった。」
イーデが行ってくるように手を振ると、スメラは頷いて、ぱたぱたとその場を後にした。
その姿を見送った後ルチアは、父に何も言わずにここまで来ていた事を思い出した。すぐに出発するなら、一言ぐらいは言っておかないといけない。
「時間ありそうなら、私、父さんを探してくるね。」
「あ、僕も行くよ。」
イーデはさっさと歩き始めたルチアを、慌てて追いかけて、彼女の横に並んで歩いて行った。
「エルストルさん。」
ディルバがヘルデの部屋から出、廊下を歩いていると、向こうから歩いてきた若い女性に声を掛けられた。
「スメラか。久しぶりだな。」
自分とは違い、与えられた外套をいつもきっちり着こなしている彼女は、特に表情を変える事も無く、こくりと頷いた。
「先程、娘さんとお会いしました。」
「そうか。」
わざわざ報告してくるとは、そう悪い印象を受けなかったらしい。おっとりとしていて、口数も少なく、表情変化にも乏しいスメラは、誤解されやすいが、悪い娘ではない。
自分の半分ほどの歳のスメラを自分の娘のようにも思っていたディルバは、娘ルチアの同年代の魔術師として、仲良くなってくれたらと常から思っていた。
ディルバはスメラの頭に手を置くと、ぽんぽんと頭を撫でた。
「ルチアを頼むよ。」
ディルバはそう言い残して、スメラの脇を通って行った。スメラは暫くきょとんとディルバを見送ったが、すぐに自分も目的の方向へ歩いて行った。
「父さん!」
ディルバがスメラが去って行くのをちらりと横目で確認した後、今度は満面の笑みで手を振るルチア達が来た。ディルバもそれに手を挙げてこたえた。
「今の、スメラさん?」
どうやら遠くから、二人で話しているのが見えていたらしい。しかしなぜか、少しむっとした顔で、ルチアはディルバを見上げていた。
そんなルチアを見て、ディルバはくくっと笑って、ルチアの頭に手をのせると、くしゃくしゃっと撫でた。ルチアはその手をのけようと手を払っていたが、照れつつも嬉しげな表情をしていた。やはり、スメラが頭を撫でられていたのが気に入らなかったらしい。
ルチアが自分で手を引きはがすまで、くしゃくしゃと撫でていたディルバは、少し恥ずかしげに、手を軽く叩いてくるルチアを楽しげに見つめていた。
「もう出るのか?」
「あ、うん。そのつもり。父さんは……、また仕事ね。」
さすが十六年娘をやっているだけあり、ディルバの表情だけで仕事の有無が分かったらしく、ルチアは溜息を吐きながら、首を振った。ディルバも苦笑いを返す。仕事の為、なかなか家に帰れない事は、ディルバ自身寂しさと引け目があったが、こればかりはどうしようもなかった。
「次はスリメーラへ行くから、暫くは帰ってこれないけど、それが終われば、しばらく休みを貰えるから、そんな顔するな。」
「うん…。」
ルチアは肩を竦めて笑った。会えないのは寂しかったが、それ以上に精霊使いとして活躍する父は、彼女の誇りだったからだ。
ディルバはよしよしと、またルチアの頭を撫でた。されるがままになっていたルチアだったが、その時、ディルバの背後に人影を見つけた。
「あ、スメラさん。もう終わったの?」
「終わったわ、ルチアちゃん。」
とことこと近付いてくるスメラに、ルチアが手を振ると、意外にもスメラは小さく手を振ってこたえた。
スメラが近くまで来ると、ディルバはルチアの頭から手を離した。ディルバはルチアから一歩下がって、その場の全員の顔を一人一人見た。
「じゃ、行って来い。気を付けてな。」
ルチアは笑って大きく頷いた。
「―――行ってきます!」