今度はあなたと手を取りあって
「そういえば……、あれって結局どういう意味だったの?」
ベルが不意に思い立って口にした問いに、ヒューは不思議そうに目を瞬かせた。
「『あれ』?」
エンケスバークでの彼との再会から数ヶ月。
なんだかんだアルメリーネの侍女に復職したベルだったが、身の回りにはそれ以上に大きな変化があった。
そう、ヒューと結婚してしまったのである。
あの後すぐに主人の元へ舞い戻ったベルは、彼との婚約について告げた。
仕事の復帰時期や、以後は基本通いに転向することなど、諸々を決めてヒューのいる宿に帰った時には、既に無断で結婚証明の書類が提出されていたのだ。
ベルを絶対に逃さない、という気迫が見て取れて笑ってしまった。
そんなてんやわんやの日々も落ち着き、身内――アルメリーネ夫妻やカレン、オリバーなどといった人々――だけを招いた簡単な結婚式が終わったのが今日。
今夜から新しい生活がはじまる……、と言いたいところだが、その実昨日までとあまり変わらない。
同居生活は前からはじめているし、式にまつわる諸々の準備がなくなってむしろ身軽になるくらいだ。
とはいえ、心境の方も変わらないと言えば嘘になる。
名実共にヒューの妻になったのだ、という実感がじわじわと湧いてきていた。
そんな時、ふとベルは気になった。
彼がかつて告げた「あの言葉」の真意は何だったのか――、と。
だが急に「あれは何だったの」とだけ聞かれたヒューは、意味が分からなかったようだ。ベルは補足をする。
「ほら、十年前の『君が家を継いでくれなきゃ困る』って言葉。私が思ってるような意味じゃない、って言ってたじゃない。じゃあ、何だったの?」
ヒューが放ったその発言で、ベルは地位目当てだったのかと酷くショックを受け、故国を飛び出すきっかけとなった。
今となってはさすがに、自身の勘違いだったと信じることが出来ているが、ならば彼の真意は何だったのかと不思議に思っていることに変わりはない。
いい機会だと考えて聞いたつもりだったのだが、ヒューは顔をしかめて、なんとも嫌そうな表情をした。
「ええ……、今聞く……それ?」
いや――「嫌そうな」ではなく、照れを隠そうとしているだけだなと勘付いたベルは、追求をやめない。
「今だから、じゃない?」
ヒューは長々と悩んだあと、しぶしぶ……本当にしぶしぶ、といった様子で口を開いた。
「めちゃくちゃカッコ悪いから、言いたくないんだけどさ……。あの時の俺、ベルが家を継いでくれなきゃ……、その……」
彼はベッドに腰掛けていたベルの隣に座り、腰に腕をまわしてくる。
「こうやって、一緒になれないと思ってたんだよ」
「…………えぇ?」
「だってそうだろ? 君はあの家の後継者だったけど、もしも家督を継がないなら、どこか別の家の……跡継ぎに嫁がされることになったと思わないか?」
「うーん……まあ、たしかに」
ベルの父は――、まあまず後継から降りることを許さなかったはずだが、そうなったらなったで政略の道具に使ったであろうことは想像に難くない。
ヒューは悲しそうに続けた。
「どうあがいたって、君は俺のところには来てくれない。俺が君の婿に選ばれたのは、次男以下の子息で、家同士の関係に旨みがあり、あとはちょっとばかり頭の出来がよかった。それが理由だったろ」
「嫁がせる相手としては、『最悪』ということね」
「そう。だから、『君が家を継がなきゃ困る』って、言ったんだ」
ベルはヒューの説明を聞いて、眉を下げる。
あの時にこの本心を知っていれば、きっと違う結果になっていた。こんな回り道をせずに――。
「……それで、どうして『カッコ悪い』の?」
「…………その……」
「ヒュー?」
「いや、だってカッコ悪いだろ!? 全部ベルに押し付けて、俺はのうのうと転がり込んでくるものを享受しようとしてたんだぞ!?」
そう叫んだヒューは、一転して項垂れぼそぼそと続けた。
「俺の力で結婚を認めさせてやる――。くらいの気概が持ててれば……、って何度後悔したか……」
「だから、商売をはじめたの?」
「……ああ、そうだよ。ベルが頼れると思えるような男だったら、何も言わずに姿を消したりしなかったはずだ、って」
ベルはふと目元を緩めて彼の頭を撫でる。
「――……なら、きっとこれまで時間は、必要な別れだったのね」
十年前の自分たちはあまりに子供で、気持ちに素直になることも、互いに自立することも出来ずにいたのだと思った。
あのまま、家という檻に縛られて結ばれていたなら、一体どうなっていただろう。
今のように、穏やかな気持ちで過ごすことは出来なかったのではないか。そんな風に思った。
「ヒュー。私、言ったかしら」
「何を?」
「私、ずっと昔からあなたが好きだったわ」
彼は目を見開いて頭を上げる。
ベルはその驚いた顔に笑って、額にキスを落とした。
「……今は、あなたを愛してる。私を見つけ出してくれて、本当にありがとう」
視線が絡み、自然と唇が触れあった。
「俺も、愛してる。昔も、今も――」
影が重なり、夜が更けていく。
きっとこれまでの苦労も涙も、この時のためにあったのだ。
そんなことを思いながら。