三章真実

 セレンはその夜、アキュイラを出奔した。

 誰にも、何も告げず。ロウェルだけを連れて、まるで――逃げるかのように。

 たった数ヶ月前に馬車に乗ってゆったりと進んだ道を、今度は逆戻りに馬で駆ける。

 人目を避けるように山道を辿り、日が落ちればそのまま山中でロウェルに寄り掛かかり目蓋を閉じた。

 そうしなければ、ほんのひとときすら眠ることができなかったのだ。

「セレンティーネ、もう王都はすぐだ。今日は街に泊まろう」

 王都入りが目前まで迫った頃合いで発せられたロウェルの提案に、セレンは「そんな暇は」と反論しかけた。しかし、このままの薄汚れた着衣のままで向かうこともできないと気付いて、言葉を引っ込める。

「そう……だな。わかった」

 頷いたセレンは道を逸れて、彼の言う街へと方向を変えた。

 市街まで到着した後は、慣れた様子のロウェルに先導されて中流階級――主に金持ちの平民向けの宿へと向かう。手続きも何もかも彼に任せきりで、セレンはその背後で所在なく佇むしかできない。

 店主と朗らかに会話をするロウェルの姿を見つめながら、小さく溜息をついた。

 平民の中では目立ってしまうらしい銀髪を隠すフード付きの外套を、ぎゅっと握り締める。

 ここまで辿り着くことすら、彼に頼りきり。自分の無力さを一層痛感して、胸が苦しかった。

「――セレンティーネ?」

 その時、ロウェルが顔を覗き込んで、小声で名前を呼ばれる。驚いて顔を上げると、気遣わしげな表情をする彼と目が合った。

「な、なんだ?」

「いや。ぼーっとしてるから心配になっただけだ。平気か?」

 こくりとセレンが頷くと、ロウェルは手に鍵を握らせてくる。

「これ部屋の鍵な。俺はちょっと出てくるから……、一人で行けるか?」

「ばっ、馬鹿にするな。それくらいできる」

 苦笑するロウェルに背を向けて、階段を上った。鍵についた番号と同じ部屋へ辿り着くと、扉を開けて中へと入る。既に荷物は運び込まれており、更に室内にあった三つの扉は、一つが浴室、後の二つがそれぞれ一人用の寝室となっているようだった。

 一通り内部を確認したセレンは、共用部分に設えられたソファへと腰を下ろす。

 しんと沈黙が身を包んで、急に手が震えた。

 本当にこの選択は正しかったのだろうか。

 こんな所まで来てしまって、何か自分が酷く愚かなことをしているのではないかと思えてしまう。

 後悔、という言葉が浮かびそうになって、セレンは慌てて首を振った。

 務めを放棄してアキュイラを出てしまったのだ。

 もう、後戻りなんてできない。

 手の震えを止めようと、両手を強く握り締める。

 こんなところで、怖気づいている場合ではないのだから。

 ――けど。

「ロウェル……」

 彼は何故、自分と共に来てくれたのだろう。

 何の関係もなかったはずなのに。

 ただ、セレンが「付いて来て」と言ってしまったばかりに――。

 それでも、彼には最期まで傍にいてほしいと願っていた。

 この旅の終着点に辿り着くまでは……。

 とりとめもないことばかりが浮かぶ思考を打ち切りたくて、セレンは立ち上がると窓辺に寄って外を眺めた。

 思えば、アキュイラを出て以降、ロウェルがこんなにも傍を離れるのは初めてな気がする。

 たったそれだけで、こんなに心細く感じるのかと自嘲した。

 その時ふと、路地にロウェルの姿あることに気付く。隣にはフードを目深にかぶった人影もあった。

 彼らはしばし言葉を交わすと、それぞれ別方向に歩きはじめる。程なくして、ロウェルはセレンのいる部屋まで戻ってきた。

 扉を開ける音に振り返って、室内に入ってきた彼の顔を見つめる。

「今……、誰と話していたんだ?」

 ロウェルは一瞬驚いた表情をした後、笑みを浮かべて事もなげに言った。

「……別に? 道を聞かれただけだよ」

 本当に?

 そう思ったが、「もう話は終わった」とばかりに彼は背を向けてしまう。

 その背中へもう一度声をかけることが、何故かセレンには出来なかった。





『――この、出来損ないっ!!』

 癇癪を起こした甲高い女の声と共に、セレンの頬に強烈な痛みが走った。

 大人の平手打ちに幼い少女が耐えられるはずもなく、床に崩れ落ちて腫れた場所を押さえる。

 痛い、という言葉を口内で噛み殺し、セレンはおそるおそる顔を上げた。

 そこには、怖ろしい形相でこちらを見下ろす母が立っている。

「ご、ごめんなさい、母様……」

 セレンは震える声で謝罪をするが、彼女は一層眉を吊り上げて叫んだ。

『お前は「王女」なのよ、セレンティーネ! どうして、あの程度のことも出来ないの!!』

「ごめん、なさい」

 怒声に身体を縮こまらせながらひたすらに謝るが、母の激高は止まらない。延々と、セレンを責める言葉が続いた。

「ごめんなさい……、ごめ、なさい……」

 耳を塞ぐように蹲って、何度も何度も同じことを繰り返す。

 そうして、どのくらいの時間が経っただろうか。不意に金切り声が止んだ。

 セレンはそろりと顔を上げるが、母はまだそこにじっと立っている。どす黒い顔でこちらを見下ろしたまま、暗い声で呟いた。

『お前は「王女」なのよ。誰が、何と言おうと。だから、お前は王太子としての務めを果たさねばならない』

 彼女がふいと背を向ける。

 そして、独り言のように続けた。

『それが出来ないお前には、価値などないのよ。セレンティーネ』

 去っていく母の姿を、セレンは見えなくなるまで黙って見つめていた。

「……あっ」

 だがその姿が消えると同時に、あっという間に視界が歪んで、ぼたぼたと涙が落ちてゆく。

 その雫が自身の目から零れていると理解して、セレンは恐怖でひっと喉を鳴らした。

 泣いてはいけない。泣いてしまうような「弱い子」は、今度こそ母様に捨てられてしまう。

 しかし涙は何度拭っても、次から次へと溢れてきてしまった。

 おねがい、止まって――。

 その時、目元に誰かの指が触れた気がした。

 セレンはそっと目蓋を開くが、周囲が暗くてよく見えない。

「どうした?」

 母様じゃない。やわらかな男の声だ。

 だれだっけ……。

「怖い夢でも見た?」

 でも、とても安心する。

 セレンはほっとしながら目を閉じて、小さく答えた。

「……かあさまが、わたしをせめるの。でも……、でも、それはわたしが、わるい子だから……」

 わたしが上手く振る舞えないから。わたしが母様の期待に応えられないから。

 全部、全部――。わたしが悪い。

 だから母様の叱責も当然で、全て受け止めるべきなのに。

 でも、……哀しくて。

「――セレン」

 そっと抱き起こされて、誰かの腕が背中に回った。

「セレンは、『悪い子』なんかじゃない」

「……でも」

 人の体温がこんなにも間近にあることが慣れなくて、じっとしていると、背をゆっくりと撫でる手の温度を感じた。

「俺は知ってる。セレンが一途で頑張り屋なこと、俺は……」

 あたたかな手の平で背を撫でられていると徐々に身体の力が抜けて、また涙が零れ落ちる。

 今度は恐怖が湧くことはなかった。

 でも。

 セレンは眠気で緩慢になりながらも、首を横に振る。

「わたしは……私は、母上の期待に…………。王に、ならなくては――」

 彼が息を飲んで、セレンの身体をきつく抱き竦めた。

「セレン、俺は――」

 男の苦しげな声が落ちる。

 だが、その後に続く言葉はなかった。




 日が昇りはじめ、やわらかな光がカーテン越しに差し込んでくる。

 その明るさでセレンはぼんやりと目を覚まして、ゆっくり起き上がった。

 こんなに穏やかな朝を迎えるのは、いつぶりだろう。

 自身の手の平を見つめて、昨夜の夢を思い出した。

 いつものように母からの罵倒を受けていたはずだった。だが、それだけではなくて――。

「……いや、都合のいい妄想だな」

 自分には、あんな風に強く抱きしめてくれる存在なんていない。

 どれほど願っても、ついに得られなかった。

 セレンは両手をぎゅっと握り締めて、ベッドから立ち上がる。

 それでも構わないじゃないか。今はロウェルが傍にいてくれる。それだけで。

 寝室の扉を開けると、朝食の盆を持って帰ってきたらしい彼と目が合った。

「あ、起きたんだな」

 こくりと頷いて、テーブルにつく。

 空腹は感じていなかったが、セレンは義務的にパンとスープを口に運ぶと、カトラリーを置いた。

「もういいのか?」

 卓上には、肉や卵、野菜類が残っていたが、口をつける気にはならない。

 ロウェルは困った顔をしたが、肩を竦めるだけでそれ以上は黙ったまま、手にしていたスープ皿を一息に呷った。

「……セレン」

 器を置いた彼は口元をナプキンで拭った後、ぽつりと呟く。

「アキュイラに、帰らないか」

「……は?」

 一瞬、ロウェルが何を言ったのか理解できなかった。

 かえる……、帰る? ――今更?

「何故」

 短く問う。だが、彼は視線を逸らした。

「理由は、言えない……」

 瞬間的に爆発しそうになった怒りを、どうにか堪える。手の平に爪が深く食い込むほどに拳を握り締めて、ギッとロウェルを睨んだ。

「言えない、だと?」

「ああ。……けど、駄目だ。やっぱり、こんなことは間違ってる!」

 間違い、という言葉に、一度は堪えた怒りがもう抑えられなかった。

「――ッ、今更、怖気づいたのか!?」

 テーブルをバンッ、と叩いて立ち上がる。その衝撃で、食器が擦れて嫌な音が響いた。

 しかし、ロウェルはじっと沈黙したまま、何も答えない。

「何とか言ったらどうなんだ!」

「……とにかく、駄目だ」

 彼の態度に、一層腹立たしさが募る。

 今更――、何故、今更になって――!!

「セ――」

「もういい!」

 ロウェルの言葉を遮り、セレンは彼に背を向けた。

「お前がそんなに腑抜けだと思わなかった! ……帰りたいならば、一人で帰れ。私はもう行く」

 セレンはそのまま自分の荷物だけ掴んで、部屋を飛び出した。

 もう、引き返すことなんてできないのに。

 わたしはもう、とっくに――。

 滲みそうになった涙を、無理やり引っ込める。

 やはり私は、独り。

 そんな気持ちに押しつぶされそうになりながら。




 宿の階段を駆け下りて、セレンはそのまま外へと飛び出す。

 だが、そのまま徒歩で王都まで行くわけにはいかないと思い直して、宿の裏手にある厩へと向かった。

 もう誰も信用できない。

 いや、そもそも自分以外の人間に頼ろうとしたこと自体、間違いだったのだ。

 一人でやり遂げなければ。ひとりで――、独りで。

 セレンはきゅっと唇を噛み締めて、建物の角を曲がる。

 ただ足早に進んで厩の影が見えた、その時だ。

 何か気配のようなものを感じて、セレンは反射的にそこから飛び退く。

 身体が動いた後で、その場所に見知らぬ男が立っていることに気付いた。手には小さなナイフが握られている。

 刃先はぶるぶると震えており、明らかに荒事に慣れている雰囲気ではない。こちらを睨む血走った目には怯えが滲んでいた。

「……誰だ」

 セレンは警戒したまま、静かに問う。

「銀髪の、女……。お前…お前を殺せば……!」

 咆哮を上げて突進してくる男の攻撃を躱しながら、セレンは裏口らしき門から外へ出る。

 あんな場所で大立ち回りをしていては、ロウェルが追いかけてくるかもしれないと、脳裏に浮かんだからだ。

 ――なんて馬鹿なことを考えているんだろう。

 細い路地を駆けながら、セレンは自嘲する。

 彼はとっくに愛想を尽かして、去っていったに違いない。

 なのに、心のどこかでは追いかけてきてほしいと感じていることも分かっていた。

 未練がましいことだな、と思ってしまう。

 セレンは浮かぶ雑念を振り払ってから、ちらりと後方を見た。

 ナイフを持った男は、まだ何かを喚きながら迫ってきている。

 彼の口振りから察するに、セレン個人に恨みがあっての行動ではないようだった。

 ならば、誰かに雇われた……?

 けれど、セレンが今王都に向かっていることを知る人なんて――。

 だが、そこまで考えた所で思考は途切れた。

「あっ」

 道を曲がった先に人が立っていて、避けようと身体を捻って転びそうになったからだ。

 しかしそれを抱き留められて、どうにか転倒を免れる。

「っ、すまな……――、え……?」

 顔を上げると、その人物と目が合った。フードを目深にかぶっているが、体勢を崩しているセレンからは中がよく見える。

 そこにある相貌を、信じられない気持ちで見上げた。

 彼はセレンを立たせると、左足を引き摺りながら一歩前へと出る。

「ご心配なく」

 それだけ言って、セレンが走ってきた方へと向かった。

「待っ――」

 彼が持っていた杖を捻ると、銀の刃に陽光が反射してセレンの目が眩む。

 それにたじろいでいる間に姿は見えなくなり――一呼吸の後には、辺りは奇妙なほど静かになった。

 そして、コツという杖をつく音と共に、もう一度フードの男が戻ってくる。

「お怪我はありませんか、姉上?」

「……どうして、ここに。……アレイスト」

 微かな血臭を纏い立っているのは、紛れもなく自身の異母弟だった。




 セレンは馬車に揺られながら、息を潜めて対面にいるアレイストの様子を窺っていた。

 暴漢に襲われ、弟と再会をして、今は二人きりで王都へ向かっている。

 どうしてこんなことになっているのか。そもそも、アレイストは何故あんな場所に――?

 疑問は尽きないが、彼に殆ど有無を言わせてもらえないまま流されてしまった。

「姉上」

 不意の呼びかけに、セレンは思わず肩をびくりと跳ねさせながら顔を上げる。

 アレイストは笑みを浮かべていて……、何を考えているのか少しも分からず、不安が湧いて消えない。

「……なんだ?」

「いえ。あんな場所でお会いするなんて、驚いたなと」

「あ、ああ……」

 お前こそと返すより早く、彼は続ける。

「しかも、追われてましたよね。一体どうされたのですか?」

「それは――」

 何と答えてよいのか分からず、口を噤んだ。

 いや、そもそもこんな場所まで来た自身の「目的」を考えれば、「世継ぎ」と二人きりの今は、最大の好機なのかもしれない。そんな気持ちが脳裏を掠める。

 だが結局は、剣の柄に手を伸ばすことはせずに、小さく答えた。

「私にも…分からない。急に襲われたんだ」

「……、そうでしたか。それは怖ろしい。ご無事でよかった」

「そう、だな……」

 変わらぬ笑みを向けてくるアレイストだが、セレンの緊張が解けることはない。むしろ、その笑顔の裏にあるものが恐ろしく、握り締めた手の平は汗で粘ついている気がした。

 彼は何故あの場にいた?

 それを都合よく助けられたのは何故だ?

 どうして、当然のように王都へ向かっていると知っている?

 けれどそう思うのは――、私が後ろ暗いものを抱えてこの場にいるせいかもしれない。

「――それで、今日は陛下にお会いされようと?」

「ああ……」

 アレイストの問いかけに対して、緩慢に頷く。

 そう。父王に会うために来たのは確かだ。

 だが対面して――、そして、どうしたらいいのだろう。譲位を迫る? それとも……

「それは、陛下もお喜びになるでしょうね。姉上の顔を見れなくなったのが寂しいと思っておいでのようですから」

「……それは、光栄だな」

 そんなことはあり得ない。扱いの厄介な王女を追いやれて、清々しているはずだ。

 セレンは荒んだ本音を心の奥底に封じ込めて、ぎこちなく口端を上げる。

 アキュイラへの赴任を命じられた日の怒りが、少しずつ再燃しはじめている。

 それを表情に出さないように気を付けつつ、セレンはふと窓の外を見た。

 ――今日、おそらく全てが終わる。

 数ヶ月ぶりの王都を視界に収めながら、セレンはきつく拳を握り締めた。




 久方振りに足を踏み入れた王城は、随分と懐かしいものに感じた。

 たった数ヶ月しか離れていなかったはずなのに、どこか見知らぬ場所のようにさえ思える。

 アレイストと別れ、応接室へと向かいながらセレンは感慨のような――、よく分からない感情に襲われていた。

 今目指しているのは、アキュイラへの赴任を任じられた謁見の間よりは私的な空間だが、それでも「客人」として扱われていると感じてしまう。

 ここに自分の居場所は無いのだと、痛感させられた気がしていた。

 指摘されることもなく佩いたままだった剣の柄を、無意識に握る。その金属が擦れる音で、自身が酷く緊張しているのだと今更ながら気付いた。

「こちらでお待ちください」

 目的地まで到着すると、案内の従僕が一礼して部屋を去ってゆく。立ち竦んだまま一人取り残された室内は、怖いほど静かだ。セレンは数度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせようと試みる。

 ソファに座る気にはなれなかった。

 だが程なくして叩扉の音がすると、間髪入れずに父が姿を現す。

「セレンティーネ」

 呼ばれた名に、拳をきつく握った。

「急に戻ったと聞いて驚いた。どうした、何かあったか? 便りも無いゆえ心配していた――」

 白々しい。

 この数ヶ月、欠片でも思い出すことなど、本当にあったのだろうか。

 彼にはアレイストという立派な跡取りが存在する。「王女」は、必要ない――。

「……父上」

 セレンは暗い声で呟いた。

「何故、私をここから追い出したのですか」

「なに……?」

 父の困惑したような様子さえ厭わしい。セレンは嘲笑を浮かべる。

「白を切らずとも結構です。私の存在が邪魔だったのでしょう?」

「セレンティーネ、お前は一体何を……」

「――っ、もういい加減にしてくれ!!」

 セレンは堪らず叫んだ。

「私は……、私は王にならねばならないんだ! そのためには、あんな辺境にいるわけにはいかない!!」

「……セレンティーネッ!?」

 気が付くと自分の手に剣が握られている。

 頭の片隅に残る冷静な部分が、いつそれを抜いたのだろうと思ったが、腰にある鞘が空になっていた。

 ああ、でも。父も弟も、殺してしまえば――、母の願いは成就する。

 ならばそれは、とても「良いこと」のように感じた。

「待て! そんなことをしても、お前は『王』にはなれない!」

「……戯言を」

 セレンは剣を振り上げる。

 彼の言葉は、ただの命乞いにしか聞こえなかったからだ。

 分かっているのだ、セレンとて。こんな方法で地位を得ても、長続きなどしないことくらい。それでも――。

「私が許しても大臣たちは許さない! お前には――、っ、王家の血が流れていないのだから!!」

「…………は?」

 振り下ろした剣が父の肉体に触れる寸前で、セレンは手を止めた。

 今、この男は、何と言った?

 紙一重で制止した刃に安堵したのか、彼は短く息をつくと、ふらりと後ろに尻もちをつく。

「……本当だ。シエラが、お前の母が直接……、死ぬ間際に言った。だから、お前と私は――」

「黙れ!!」

 悲鳴のように叫んで、その決定的な言葉を遮った。

「そんな……そんなはず、ない。だって母様は、わたしを、『王の子』だ…って……」

 だが、それ以上に反論が続かない。

 セレンは焦点の合わない目で、床に座り込んだままの父――だと思っていた男を見下ろした。

 本当は、どこかで分かっていたような気がする。

 母譲りの流れる銀の髪。それ以外、父にも母にも似ていない自分。

 執拗に繰り返された「お前は王の子なのだから」という言葉が、違う意味を帯びる。

 それは、事実ではないからこそ、何度も何度も口にしたのではないだろうか。まるで、言い聞かせるように。

 でも、それならば私は――。

 その時、不意に部屋の扉が開いた。

「……アレイスト」

 そこに現れた人物の名を、セレンはぼんやりと呟く。

 彼は抜き身の剣を握り締める姉の姿に目を丸くしたが、そのすぐ後には酷く楽しそうに笑った

「なんだ。もしかして、もう言ってしまわれたのですか、陛下?」

 二人の状況に驚くでもなく、至極悠然と室内へ入ってきたアレイストに、セレンはぞっとしたものを感じて一歩後ずさる。

 こちらに微笑みかけてみせた彼は、床に座ったままだった父の傍に膝をついた。

「お可哀想に、陛下。愛した娘に剣を向けられて、さぞご心痛のことでしょう。たとえ一滴も血の繋がらぬ娘でも、王女としてこれ以上無いほど、心を砕いてらっしゃったのに」

 優しげな声で囁く姿は、これまで見せていた顔と変わらない。

 だが――、この男は「誰」だ。

 背筋にぞわぞわと怖気が走る。

 アレイストは、膝をついたままこちらを見上げた。

「貴女は、とても大切にされていたのですよ。何も知らない、愚かな姉上」

 はっきりと言葉にされて、これまでの行動がどれほど本当に「愚か」だったか、思い知らされる。剣を握っていられなくなって手からこぼれ落ち、毛足の長い絨毯にそれは沈んだ。

「さあ、陛下。後は私にお任せを」

 そう言いながらアレイストが立ち上がると、開けっ放しだった扉の外に合図を送る。そこに現れた男たち――おそらく彼の臣下たち――が、父を立たせて連れて行った。

「――さて、姉上

 アレイストがセレンの落とした剣を拾い上げながら言う。

「これで、貴女は立派な反逆者ですね」

 その「反逆」という言葉に、びくりと肩が跳ねた。

 しかし何も反論できずに、一度は開いた口をまた閉じる。

 だが、一つ言っておかねばならないことがあると思い至って、どうにか声を絞り出した。

「……この件は、私一人の、独断によるものだ。アキュイラは関係ない。だから……」

 反逆罪で処されるとして、セレンに連座させられるような親族は存在しない。だが、もしもそちらに害が及んでしまったら、と気付いたのだ。今更になって。

 どうしてもっと早く、この行動の危険性を考えつかなかったのだろう。

 本当に自分は、何もかも遅すぎた。

 きゅっと唇を噛んで、セレンはアレイストの返答を待つ。だが彼は、まるで「そんなことか」とでも言うように肩を竦めた。

「知ってますよ。そのくらい」

「……『知ってる』、だって?」

 セレンが顔を上げると、彼は堪えきれなかったかのように笑いだす。

「なんだ。気付いたから置いてきたんじゃなかったんですね」

「は……?」

 アレイストはセレンの疑問には答えず、突然後ろを向いた。

「お前の演技もなかなかだったみたいだな。――ロウェル」

 呟かれたの名前に瞠目して、彼の視線を追う。

 そこには、息を切らせて肩を上下させた――自身もよく知る男の姿があった。

「……アレイスト」

 苦虫を噛み潰したような顔で、ロウェルが弟の名を呼んだ。

「あ……」

 セレンは小さく喘いで、叫びだしそうになった口を閉じる。

 そうか。そういう……。

 全てが繋がって――、もう立っていられず床へ手をついた。

 俯いたまま、ぽつりと呟く。

「わたし、貴方に……それほど憎まれていたの、アレイスト」

「……頭の回転は悪くないみたいですね」

 問いを肯定したも同然の言葉に、視界が滲んだ。

 ロウェルはアレイストの手先だったのだ。

 セレンの心を開かせ、付け込んで――、こうして言い逃れの出来ぬほどの罪を犯させ、確実に葬り去るための。

 最初から出来過ぎだった。賊に襲われたところに通りがかるなど、やはり都合が良すぎた。はじめは確かに疑っていたはずなのに、いつからこれほど心を許していたのだろう。

 自身の存在を本当に疎ましく思っていたのは、アレイストだったのか。

 顔を上げて、セレンは弟だったはずの青年を見上げる。

 彼の持つ剣の刃に部屋の明かりが反射して、場違いなほど綺麗に感じた。

 先程自身がしたように、今度はアレイストが剣を振り上げている。

 その様を、ただじっと見ていた。

 ああ、これでやっと――。

 迫りくる刃先に身体の力を抜こうとした時、突然動きが止まった。

 セレンも、そしてアレイストも驚いた顔をしている。

 それを止めたのは――、剣を握る腕を掴んだロウェルだった。

 アレイストが背後に立つロウェルを睨む。

「何のつもり、っ――」

 ロウェルは握っていた手を軽く捻って、剣を手放させる。

「アレイスト……。俺はもう……お前とは行けない」

「なっ……」

 それだけ言うと彼は、呆けるセレンの腕を掴み、半ば引きずる形で部屋を飛び出した。

「――お前まで、私を捨てるのか……、ロウェル!!」

 状況についていけずされるがまま走る背中に、悲痛な叫びが聞こえる。

 セレンの腕を握る手が、一瞬震えた気がした。

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